落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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不思議な設定の法廷劇
予告編を観た時から、フランスが舞台なのになぜ英語喋ってるんじゃ?と思った。主人公が外国人だからとは思ったが、現地のフランス人弁護士との会話もほぼ英語。裁判は大丈夫なのか?と余計な事を考えた。笑。被告人はドイツ人、被害者の夫はフランス人、ロンドンで知り合って結婚、家庭の中では不公平の無いよう英語で会話?なるほど、被告人の妻はドイツ人らしく非常に論理的で弁も立つ。作家だから当然か。対する被害者である夫は情緒的。議論してもオサレ気味。妻は作家として成功したが、夫はある理由で鬱気味であり執筆が出来ない。それでも家事や子供の教育など妻や息子に献身的に尽す。夫や息子は妻・母をモンスターと呼んでいる。モンスターというより情緒が欠落したPSYCHO-PASSに近い様な、、、。
法廷で公開される夫婦間の強烈な口論の録音が一つの山場。日常的に追い詰められた人が発作的に自傷行為に及ぶのはよくある話。
夫が夫婦喧嘩をUSBに録音していた理由は危険を察知していたからか?或いは妻に嫌疑かかかるよう諍いの証拠として記録していたとは考えられないか?そうであれば、結構怖いリベンジだが。
弁護士と妻との親密さも気になった。食事の後、二人に気遣うように他の人が席を立つのも思わせぶり。
「裁判で勝てば何か見返りがあると思ったが、何も無かった。」という妻。裁判を通してして自分の行き過ぎた言動が相手を追い詰めていた事に気付いたのか?
最後に犬が母親にすり寄って行くが、これは何を意味するのか?この犬は盲導犬の役目もあり、何時も主人である少年の側で寝ていた。まるで逃げる様に母親の側にやってきて眠るのは何故?
難しい風味の雰囲気サスペンス
サスペンスとはなんぞや。
その意味を調べてみたところ、元は“宙ぶらりん”を意味し、転じて不安や緊張を抱いた心理を描く作品との事。分かりやすく言うと、ハラハラドキドキが続くって事らしい。
で、これはサスペンスかと言うとちょっと違う。
強いて言うならそう、夫婦喧嘩の成れの果てに起きた事件の、裁判傍聴日記。
誰が殺したのかの真相解明はどこか遠くにうっちゃられ、珍しくもない夫婦の真実の姿を延々と暴露する謎の弁論大会。
みんな小難しい顔して小難しいこと言いながら、大して中身あること言ってない。
何か大事な真実が隠されているのでは?!と思わせて、全然無い。ただ夫婦仲が良くなかった。それだけ。でもそれも、最初からだいぶ分かってました。だからそんな勿体ぶらなくても…。
フランス語と俳優の眉間の皺と法廷の雰囲気に包まれた、雰囲気産業映画だった。
男女の立場が逆転しているところが現代的か?
一昔前なら、亡くなった人が女で、疑われる人が男だっただろう。カンヌ映画祭パルム・ドールでアカデミー賞にも5部門でノミネートされている作品なので、期待が強すぎだせいかもしれないが、驚きはなかった。従来はミステリーといえば、英米のイメージが強く、フランス発なんてと以前は思っていた。だが、「このミステリーがすごい 2015年版」で、「その女アレックス」が1位になってから、そうでもないと考え直すようになった。また、先日第4シーズンの放映が終わったばかりのテレビドラマ「アストリッドとラファエル」も毎回唸らされてばかりで、大好きだ。だが、私にはこの結末は物足りなかった。ラスト近く、どんでん返しがあるのかなと妄想したくらいだ。安っぽいのは嫌いだが、想定内の結末でがっかり。確かに、夫婦間の役割分担や、息子の事故に対する思い、小説のプロットの話、息子自身の実験など退屈だったわけではない。だが、世間で言われているほどは、私は評価できない。
リアルすぎて、胸にしみる
ほぼ法廷での対話劇のため単調過ぎるかな
直前のランチで食べ過ぎてしまったこともあり、何回か記憶が途切れてしまい……気づいたら妻が訴えられていました。
後半もほぼ場面が法廷での会話劇なので、流れが単調で数回寝落ち。長くて単調という印象。朝イチで見れば、もう少し良い印象だったかもしれません。
夫の小説の案を盗んで自作を出すわ、家事育児をやってる旦那が、自分にも時間が欲しいと言ったら、誰も頼んでないわよ、好きにすれば?とのたまうわ、じゃあ、誰が目の見えない息子を見るの?とあまりに妻がモンスター過ぎて、背筋が凍る。でも、これ男女逆転だと、割と日本ではあるよねーと友達と話しました。
息子が無理矢理、母親を救うけど、物凄いトラウマになって、高校生くらいになったら病んじゃいそう。
一風変わった家族ドラマ
ユナイテッドシネマ浦和にて鑑賞🎥
自分にはビミョーな映画に見えた🤗
序盤は「お~、男が転落死して自殺かもしれないが他殺の可能性もあるのか…」というあたりは面白くなりそうな気配があったが、裁判ものになっていく。裁判で語られる過去の出来事は過去映像挿入。
犬を散歩させている視覚障害のある少年。彼は父親が死んでいるのを見つける。転落死のようだ。しかし、頭には転落する前に傷つけられたような痕がある。自殺か他殺かわからない。不審死であるが、夫の妻であるベストセラー作家のサンドラに夫殺しの疑いがかけられ、裁判となる。
裁判では、夫婦の秘密や嘘などが披露されて、一風変わった家族ドラマになっていく。
決定的な物的証拠が無い状況で繰り広げられる裁判。こういう裁判映画は日本映画にもある。若尾文子の『妻は告白する』も…(^^)
ただ本作、観ていて興味をそそるような展開にはならず、ハッ!とするようなところも殆ど無いが、裁判所でのツルツル頭検事がインパクトあり。
アカデミー賞獲るかどうかは結果待ちだが、こういう変わった映画が受賞することもあるので獲るかも…😁
法廷劇は見ごたえがあるが、長くダレるところも
雪山の山荘で夫が転落死
妻による殺人か、自殺か、事故か
第1発見者(目撃者では無い)は目が不自由な息子で、真相はどこに・・・
というお話
正直、真相は最後までわかりません
証言や証拠が出るたびに夫婦の関係が明るみになっていくという緊迫の法廷劇
妻と息子役の人の演技が素晴らしく引き込まれる
が、ちょっと長いです
途中でダレちゃったかな
そこまで集中力を続けられる内容ではなかったです
このタイトルはいかがなものか?
邦題はなんかちょっと違う気がする。
一筋縄ではいかない作品‼️
パルムドールも納得の怪傑作
ポイントは3つ。
【1】タイトルの秀逸さ
『落下の解剖学』というタイトルそのものが、本編のサスペンスを紐解くキーワードになっている点が素晴らしい。
観終わったあとにタイトルを見直し、そういうことだったのかと感嘆のため息が自然と出たほど。
「何が落下し、どう解剖される」のか?
そして「何が解剖され、落下していく」のか?
作中でそれらが詳らかになるたび、心臓をキュッと掴まれ、引き込まれていく。
【2】ザンドラ・ヒュラーのサイコパスな演技
物語のコアは、主人公サンドラが夫を殺したかどうか。
つまり、サンドラがシロかクロかで物語が引っ張られていくのだが、
サンドラ役ザンドラ・ヒュラーの芝居が圧巻すぎてラストカットまで「この人はこの期に及んでもまだ嘘をついているかもしれない」と疑心暗鬼にかかってしまう。
黒いヴェールを一枚被ったような、決して本心を見せないザンドラの不気味な芝居。
これを観るためだけに本作を観る価値があるといっても過言ではない。
【3】考察し放題な脚本
サスペンス好きが喜びそうな考察の隙間があちこちに意図的に散りばめられており、一応の結末は提示されるものの、視聴後に「いやあそこはこうで……」「これはこういう理由で……」と考察し放題。
作中唯一の癒やしである可愛い愛犬スヌープにすら、疑惑かけ放題という懐の深さ。
脚本と演出が秀逸すぎる。
いかにもカンヌでパルムドールらしい映画
テープ
パルムドール受賞は納得の作品
『落下の解剖学』のタイトルの通り、夫婦の愛や信頼関係が下向していく様を、落下による死が妻による殺人なのか自殺なのかを切り開いて明らかにしていく。この2つの落下を掛け合わせたタイトルはあっぱれ。結末が観る人によって解釈が違うだろうと思われるこの映画は、見応えがあったし、久々にあれこれ考えさせられた。
冒頭の、学生がサンドラのインタビュー中に流れる大音量の音楽。たまに音量が小さくなったり止まったかと思えばまた大音量。最初理由がわからなかったが観ている私がイラッとした。サンドラは顔を顰める事も無く、話題を変え、逆に学生にパーソナルな質問をしていく。後にそれがバイセクシャルを理由に誘惑したのではと検察官に詰め寄られてしまうのだが…
私はあのインタビュー中に、サンドラは夫の殺害を決心したんだと思う。顔色も変えず、下から怒鳴って上にいる夫に音量を下げさせようともしなかった。蓄積された被害妄想のダメ夫への怒りが、リミットの線を超えた瞬間だったのではないか。
息子が犬にアスピリンを飲ませて検証しようとしたが、あれは母親が父親を殺そうとしたのではないかと疑っていたのではないか。犬が死にかけた事で、母親の父親に対する殺意を確信したんだと思う…
…てな具合に、ついついあれこれ考えてしまう映画なのである。まだまだあるがキリがないのでここまでにしておく。
印象に残ったのは、父親が車の中で死について息子に諭すシーン。父親の口パクに息子の声がアテレコ(?)されている。見事にズレもなく完璧だった。何度もやり直したのかなーなんて思いながら観てしまった。
役者一人一人が素晴らしい。犬も含め。裁判中のハゲの検察官の憎たらしさもこの映画にスパイスを効かせている。あと雪景色。最高。『シャイニング』には劣るが。
都合の良いカタルシスを排除をした秀作
退屈さに慣れる必要あり
ほぼ自宅と法廷のシーンだけで展開されて絵がわりも無く、派手なシーンもほぼ無く、説明と会話が延々と続く。
ワード数もメチャクチャ多く、フランス語ネイティブ以外は字幕を追い続けるのが疲れる。
全体的な雰囲気はいかにもフランス好みの退屈な人間ドラマ・・・
という印象だったけど、鑑賞後に1人で色々考えてしまう幅のあるメッセージ性を感じた。
この家族が抱える問題は日本でもありえるシチュエーションで、夫・妻・子供全員に感情移入出来るところがある。
安易に弁護士とのラブストーリーにせず、人間の心理にフォーカスしたところも見事だし、最終的に本当に夫の自殺だったのかを確定させる演出が無いのが素晴らしい。
ただ、他人に積極的に勧めるかと言えばちょっと難しい。
ショパンとアルベニスに象徴される母と父の不和と対立の物語。そこで息子の選んだ道とは?
雪の山荘に、お父さんとお母さんと息子の核家族、といえば、僕くらいの世代の大半は『シャイニング』をなんとなく思い浮かべるはずだ(笑)。
『落下の解剖学』の監督夫妻(夫が脚本)も、そのことには自覚的だと思う。
お父さんの作家という職業もそうだし、より正確に言えば「作家志望だけど作家になれずに教員をしている」ところまで一緒だ。さらに言えば、作家としてうまくいかないのを「家族のせいにしている」ところまで。
僕は、映画が始まってしばらくして、階段からボールが転がって来るシーンを見て確信した。ああ、これ『シャイニング』へのオマージュだ、絶対わざとやってる、と。
『シャイニング』もまた、作家への夢をかなえられない男の挫折と苦悩の物語であると同時に、夫と妻の苛烈な闘争の物語でもあった(そこにきわめて聡明な子供がからむ)。
『落下の解剖学』では、お父さんは妻と息子を斧で襲うほど頭がおかしくなるまえに、なんらかの理由で墜落死を遂げる。
常人とは異なる鋭い感覚を有する少年、クラシック音楽の印象的な使用、最終的に起きた出来事の全てが解明されるわけではないまま終わる宙ぶらりんの感覚など、ジュスティーヌ・トリエ監督が『シャイニング』を意識しているのは、まあまあ間違いないと思う。
なお、パンフでは本作の元ネタとして、オットー・プレミンジャーの『或る殺人』と某ミステリー映画(結末とかかわるので伏せる)が挙げられていて、さすがは映画評論家さんだと感心した。言われてみれば確かにそうだよな。
(ちなみに、ポスターアートは絶対『ファーゴ』を意識してると思うw みんなもそう思うよね??)
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それにしても、『落下の解剖学』とは面白いタイトルを付けたものだ。
僕はこのタイトルを見た瞬間、「これはそのうち観に行かなきゃ」と思わされたものだが、ここでの感想を見ると、意外に否定的な人もいるんだね(笑)。
個人的には、ちょっと意外な単語の組み合わせが、とても新鮮で良いと思う。
「落下」という物理っぽい単語に、「解剖」という生体的・動物的な単語を重ねてくるのはじつに詩的だし、邦題を敢えて直訳にしたのもセンスが良い。
ここで「解剖」される「Fall」とは、夫の「墜死」であると同時に、夫の権威の「失墜」であり、妻の成功からの「転落」であり、家族の「没落」でもある(『アッシャー家の崩壊』の「崩壊」も、原題では「Fall」だ)。
さまざまなフェイズで絡み合う「落下」の分析を通じて、現代の家族の在り方を照射するのが監督の意図ということになろう。
映画としては、正直前半は結構うとうとしてしまってよく覚えていない部分も多々あるのだが、裁判が始まってからは緊迫度も増し、最後まで集中して観ることができた。
多少睡眠不足でも、あんなヒリついたヤバい夫婦喧嘩につきあわされたら、眠気も吹っ飛ぶというものだ(笑)。
法廷ミステリー仕立てではあるが、謎解きの要素は想像以上に希薄だ。
そこを期待して観に行くと拍子抜けするのは確かだけれど、観ていればすぐに「そこがキモでない」ことはわかってくる。
要するに、監督は「家族」の関係性をとことん「腑分け(解剖)」して、誰もが感じながらも敢えて目をそらしているような暗部にまで踏み込んで、それを明るみに出したいのだ。
家族とは、畢竟、赤の他人同士にすぎない夫婦が、血縁のある子供を介してつながったユニットである。そこには常に「愛情」と呼ばれる得体の知れない何か(夢であり、希望であり、欺瞞であり、呪いでもある何か)があると同時に、意見の相違があり、感情の対立があり、マウントの取り合いがあり、主導権の争奪戦がある。
監督の意図としては、幸せだった(幸せだとそれぞれが信じていた)家族が崩壊(転落)していく様をつまびらかにするのがあくまで主眼で、法廷劇というフォーマットはそのために選ばれた最適の「手段」にすぎないのだろう。
なので、妙なトリックだとかどんでん返しなどは出てこないし、法廷での思いがけない証言で意想外な真相が明らかになるようなギミック重視の作りにもなっていない。
代わりに、裁判を通じて問いかけられる「家族とは何か」という問いには、深い洞察と思慮をもって、きちんと応えてくれる映画には仕上がっていると思う。
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この映画を観ていて僕がいちばん気になっていたのは、実は「言語」だったりする。
お母さんは外の人とはフランス語を話す。ここはフランスの田舎町であり、フランス語以外通じない。だが、家族と話すときは英語だ(かなり日本人にとっても聴き取りやすい)。夫に通じる共通の話せる言葉が英語だからだ。
でも彼女の母国語は英語でもフランス語でもない。ドイツ語だ。
彼女はドイツ人なのだ(言われてみればいかにもゲルマン的な風貌だ)。
お父さんはフランス語話者のフランス人だが、妻と話すときは英語で話す。これはイギリスで出会ったときからのルールであり、英語での会話が(ドイツ人とフランス人がフェアネスを守る上での)ふたりの妥協点なのだという。
息子はフランス語を話すが、お母さんは英語で話しかけ、時と場合によっては息子も英語で答える。ちなみに法廷はフランス語で進行し、被告としてのお母さんは当初フランス語を強要されるが、途中から自ら要求して英語に切り換える(ドイツ語には切り換えないのがミソ)。
要するに、この映画でお母さんは、ほとんど「本当の自分の母国語」を話さない。
相手に合わせずに自分らしくあろうとするときですら、英語という共通語で話し、何かしら「本当の自分」はさらけ出さないようにしている。
この映画で、お母さんの正体が最後の最後まで得体が知れないのは、ポーカーフェイスだけが理由ではない。彼女は言語においても、常にヴェール越しに自分を「制御」して発言しつづけているのだ(あの盛大な口喧嘩の際であっても、彼女はずっと英語のままであり、理性を喪い切ってはいない。小説家としても、彼女は英語で書いているらしい描写がある)。
グローバルな出自の一家として多言語が飛び交う環境は、そのままこの家庭の抱える「無理」と「不具合」にも直結している。
フランスは父親のホーム。母親にとってはアウェイだ。
母親側には、夫の希望を汲んで敢えてアウェイに身を投じたという「貸し」の感覚がある。
さらには、単純に雑談するだけでも自分の一番気楽に話せる母国語を話せない窮屈さが、この夫婦にはある。もともとが「無理に無理を重ねて」「理性で制御して」なんとか保ってきた家族なのである。
「仮面家族」とは言うまい。彼らは本気で愛し合い、このルールのもとで幸せになろうと努力してきたのだから。しかし、結果的には重ねた無理がほころんで、こんなことになってしまった。作家志望どうしの国際結婚は悲劇に終わった。
ともあれここで強調しておきたいのは、「言語のストレス」がそのまま「家族のすれ違い」のアナロジーとして用いられているという点だ。
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以下、箇条書きにて。
●終盤に再現される、長大な夫婦喧嘩のやりとりはなかなかの衝撃度だった。
最近だと、ブラッドリー・クーパーの『マエストロ その音楽と愛と』での、バーンスタイン夫妻の交わす激烈な口論シーンもインパクトがあったが、今回はあれと匹敵するかそれ以上にえげつなかったような(少なくとも長さと粘着度は倍くらいあったしw)。
この二つの映画には、よく似たところがある。
まずは両作とも「夫婦ともに創作者としての優れた能力がありながら、片方が巨大な成功を収めたがためにもう片方が一歩引かざるを得なかった」話である。
それから、愛情あふれる表面的には幸せな生活の水面下で、嫉妬とマウントの「澱」がどんどんと夫婦間で溜まっていった結果、やがてぎくしゃくとぶつかり合うことになる流れも同じだ。
なにより、浮気したほうが浮気したことを大っぴらに正当化していて、あまり意に介していないらしいところもよく似ている。
ただ『マエストロ』の場合は、成功者であるレニーを妻がやりこめるという流れなので、まだ旦那のほうにも立つ瀬があるが、『落下の解剖学』の場合は、成功していない夫が成功者である妻に喧嘩をねちねち吹っかけた挙句に徹底的に撃退されコテンパンにされる流れなので、余計に報われないし、やりきれない(笑)。
劇中でも示唆されているとおり、旦那は事前に録音を仕掛けていることから考えても、敢えて妻を「挑発して」「怒らせて」それを記録しようとしている。
実にいやらしいやり口だ。女々しくて、根性のさもしい夫である。
でも、これだけ性根が捻じ曲がるまでには、夫サイドにも大変な苦労があったのだろうことは察するに余りある。息子の視覚障害に関する後悔の念(さして旦那が悪いとも思わないが)や、家族に対する責任感、いつまでも形をとるに至らない小説群、焦るほどにうまくいかない家内分担、気づくとどんどん引き離されている妻との格差。人間、病めば病むほど後ろ向きになるし、性格も暗くひねくれていくものだ。
僕もこういう思考回路に陥らないように、頑張って生きていかないと……。
●メインの夫婦以外でいうと、僕は細面のイケメン弁護士以上に、やたらねちっこく責めてくるスポーツ刈りの少壮検事のほうが印象に残った。やなヤツだけど、この俳優さんうまいよね!
映画ならではのフィクション仕様なのか、フランスの法廷のリアルなのかは知らないが、これだけ検事も弁護士も感情剥き出しでスタンドプレイに徹していて、判事も時々の気分を隠さずに恣意的に進行してるのって、どうなんだろう? そういえば昔、ガストン・ルルー原作の『黄色い部屋』やサッシャ・ギトリの『毒薬』を観たときも法廷シーンの恣意的な展開にびっくりしたものだけど、フランスだとこれが普通なのか。
法曹家の「個人的な技量」で有罪・無罪の結果がころころ変わりそうな裁判とか、実際には結構ヤバいんじゃないのか?? ちっとも事実と証拠だけに基づいて審理されてる気配がしないんだけど……。こんな裁判なら、訥々とした弁護士と検事が事務的に型どおりの審理をやる裁判のほうがなんぼかマシな気がするなあ。
●お母さんが得体の知れない人で、お父さんがダメ人間で、じゃあ息子にシンパシーを集めて来るのかと思ったら、犬を毒殺しかけるろくでもないDQN児童で(サイコパスかよ)、誰にも感情移入させてくれないトリエ監督の鉄壁のツン仕様に驚嘆。
●このワンちゃんがホントに芸達者でびっくり。どういう指示を出したらあんな動きが出来るのか。顔までなんか演技してるように見えるんだけど……。
●母親の性格描写や終盤の展開、息子のキャラクターと証言内容などから、個人的に「真相はこうだったのではないか」という推測はあるのだが、敢えて書きません。
●最初にかかるうるさい曲については全く知らないが、少年とお母さんが連弾で弾いているのはショパンのプレリュード第4番。このときは母親が主旋律を片手で弾いて、息子が和声をつけているのだが(もちろん本来は一人が二手で弾くピアノ曲)、法廷に出廷する前に少年が一人で弾くシーンでは、少年自身が主旋律のほうを弾いている。ここには「主従関係の逆転」を見て取ることが可能であり、これは母と息子の「頭をなでるシーンの逆転劇」とも呼応している。
ショパンが母親を象徴する曲とするなら、少年がしきりに練習しているアルベニスの「アストゥリアス」は、彼と父親との想い出のこめられた楽曲だ(タイトルクレジットでも練習中の音が流れ、のちに父の死を悼みながら少年が弾くシーンも出てくる)。
結果として、映画のラストでは、ショパンのプレリュード4番を変奏した映画用の編曲が延々と流れる。最後の最後で少年が結局「誰を選び、誰を守ることにしたのか」を、冒頭の音楽との対比で明らかにする、じつに面白い選曲だと思う。
リズム重視で攻撃的だがどこか繊細で神経質なアルベニスと、美しく静謐ながら手の込んだ半音階進行に毒をひめるショパンの対比。それはそのまま、この映画で対立せざるを得なかった二人の心的世界を象徴しているのかもしれない。
「推定無罪」感覚のリトマス試験紙映画
配偶者を殺したという容疑をかけられた主人公の女性。
価値観や人生観、性癖などをあげつらう、検察側のありとあらゆる印象操作で有罪風に映し出されますが、結局は決定的な証拠がなく無罪となります。
2時間半のこの作品で、どれだけ主人公を有罪だと感じたか、そして結末に納得できたかは、疑わしきは罰せずという刑事裁判の原理原則が身についているかを自分自身で確認するのに有効な映画だと思いました。
さすがパルムドール
全458件中、221~240件目を表示