「見終わった後も、耳の奥で鳴り響く音」関心領域 sow_miyaさんの映画レビュー(感想・評価)
見終わった後も、耳の奥で鳴り響く音
身の回りや世界で起きていることに対する自分の「関心領域」について、問いかけられる作品なのだが、衝撃的な映像が日々流れてくる中にあるためか、今作で描かれている映像を観ても、それほどまでには心が動かない自分に、軽くショックを受けた。
Wikipediaをみると、主人公のヘスは以下のようなことを語っているようだ。
「世人は冷然として私の中に血に飢えた獣、残虐なサディスト、大量虐殺者を見ようとするだろう。けだし(蓋し=思うに)大衆にとってアウシュヴィッツ司令官はそのような者としてしか想像されないからだ。彼らは決して理解しないだろう。その男もまた、心を持つ一人の人間だったということを。彼もまた悪人ではなかったということを。」
『アウシュヴィッツ収容所:所長ルドルフ・ヘスの告白遺録』179頁
映画は、全くこの通りに、忠実に描かれていたと思う。「悪人ではなかった」かどうかは、見解が分かれるかもしれないが、少なくとも自分の中にも、ヘスと同様のものが存在しているのは間違いない。
見終わった今も、耳の奥で、映画から聴こえてきた様々な音が鳴り続けているような気持ち。
りかさんのコメントを拝読して、レビューの言葉が足りなかったことに気付かされたので、ちょっと補足。
ヘスの言葉を決して肯定的に、または「あの中では仕方なかったよね」と同情的に受け止めるつもりで、彼の言葉を引用した訳ではありませんし、りかさんもそう受け止めていただいていると思いますが、わかりにくい書き方でした。
対象が変われば、私もヘスのような攻撃性を持ってしまう可能性があるという自覚を持たなければと思ったというのが、書きたかったことです。
優生保護法や、らい予防法が、平成の半ばまで継続してきたことや、自分も含めて、それに疑問を抱いて(知ろうとして)こなかったこと。最近のことで言えば、トランプの発言を熱狂的に受け入れる人々など、国がやっていることならとか、自分にとって好ましいと思っている誰かのお墨付きだからとか、思考停止で無条件に従ってしまうことの普遍的な恐ろしさが描かれた作品だと思います。
「私にも理解できるから仕方ないよね」ではなく「私にも理解できる部分があるから、そういう誤った選択をしないように気をつけなければ」を大切にしたいと思います。
ですが、そのどこにでもいる普通の人間たちが、ヒトラーのもと、アウシュビッツを作り、人に自分たちと同じ人間とは到底思えないことをしているわけで、外から見たら理解なんてできる筈無いです。ナチス思想が異常としか思えないです。その中にいると麻痺してしまって正当性を見出そうとするのかと。そのギャップが吐くシーンかと。
少なくとも 善い人 では無いですよね でも 誰でも 体制下に置かれたら 同じ状況になる可能性はあると思います。 ソレャ権力側につくのが楽だし気持ちいいですから なかなか りんごの🍎少女にはなれそうに無いですね 私は。 イイねありがとうございました😊😊拝読させていただきありがとうございました😊
おはようございます😃
共感有難うございます。今作品のインパクトは強烈でした。身近な恐ろしき事に慣れて無関心になっているヘスの家族の姿は、もしかしたら現代でも通用するのかもなあ、と思いながら観賞した事を思い出しました。ではでは。返信は大丈夫ですよ😃
共感ありがとうございます。かばこ氏のコメントにも共感します。ミャンマー、パレスチナ、ウクライナだけじゃなくさまざまな事件や社会問題が伝えられるなかで普通に食事したりできる私たちも映画で描かれた家族も程度が違うだけだって言われてしまえば、返す言葉はありません。
ヘスは、吐いてましたね。さすがに人の心が残っていたようです。
全体主義に飲まれたら、進むしかない。自分を納得させるためには関心領域を極端に狭めてそれ以外は感じないようにするしかなかったのかもしれません。
あの「重低音」は収容所の焼却炉の稼働音らしいです。
直接的なホラー場面はひとつもないのに、私には今まで見た中で最恐に近いホラー映画でした。