「首をこれから観る人が楽しめるかチェックする項目。冒頭はネタバレなし。作中も史実通りなので基本的にラストがどうなるなどのネタバレなし」首 ニックネームさんの映画レビュー(感想・評価)
首をこれから観る人が楽しめるかチェックする項目。冒頭はネタバレなし。作中も史実通りなので基本的にラストがどうなるなどのネタバレなし
以下の項目に当てはまる数が多いと面白くない、期待外れになります。
これから観る人にぜひとも共有してあげてください。
戦国時代のことをあまり知らない人
感動的なストーリーを求めている
戦国時代はだたの殺し合いではなくロマンチックな世界だと考えている人
背景がわかる説明的なセリフや会話が必要で、映像だけで理解するのが難しい人
大河ドラマのような華やかさを求める人
ブラックジョークに敏感な人
山場等があると思っている人
首は歴史映画の中ではダントツ1位です。
日本の歴史映画では北野監督にすべて撮ってもらいたいくらいです。
黒澤明監督は北野武に日本の映画を託すと手紙を出したのは有名ですが、
ビートくんがこれを撮れば七人の侍と並ぶと言われたのも納得ですね。
youtubeで黒澤明監督と北野監督が対談してる動画があります。
連日レビュー1位のこの作品の評価は二分されるので3~4内で落ち着くと思います。
といってもその男凶暴につきのように元々あった脚本をすべて書き換えたことからわかるように、やはり映像作家として監督の感覚で作られるものなので、監督にとって興味のない時代の小説も映画の台本も書かないのだろうなと思います。
◆歴史の要点に沿って史実通りなのでほとんどネタバレに含まれません
史実通りです。誰が生きて死ぬか結果は変わっていないです。
生死だけ明確にして、歴史の空白を北野監督が小説で表現して映像化したものです。
◆義務教育で習ってる知識プラスあればOK
最低限知ってる前提でストーリーはすすんでいます。
最低でも義務教育で習う戦国時代で本能寺の変までを知っている必要があります。
信長が本能寺の変で明智光秀に討たれたことだけの知識だと理解できないと思います。
内容もエグいですが、中学生の義務で習う歴史では理解が難しかもしれないので、R15で良かったと思います。
余談ですが、一般的に知られている信長の初陣は現在の中学2年生くらいの年齢で、家臣たち800人を連れ、敵陣に火を放ち勝利となっています。その逆の説もあります。
父親の信秀に出陣を命じられてますが、中学生の息子へ行ってこいとは、現代では信じられない感覚ですが、戦国時代はこんな感じだと思います。
◆誰も戦国時代の細かいことなんて知らない
「史実では~」「自分の知ってる歴史では~」と事細かく思う方は、二次創作を楽しむことに向いていないと思います。
その場合は、国立国会図書館などのすべての書物の原文を一字一句ありのままに読むことをおすすめします。
◆身分の理解 を知ってると面白い
身分の理解は物語を楽しむために重要です。武将(摂津守や守護など)の教養や価値観は農民と大きく違います。
特に忠義を重んじ、武芸や礼儀などがある武士と、無教養な秀吉の感覚を意識して映画を観たが良いです。
秀吉や周囲の言動行動を理解でき、これが終始一貫しています。
◆戦国時代とは人殺しであることは間違いない
戦国時代というのは、ただの人と人の殺し合いです。
それらを踏まえて人物の想像は、現代のニュースなんかで報じられる常軌を逸したやばい人たちを思い出してください。
現代とは違うので、人の命なんてのもそれよりも雑な扱いですね。
◆一般的に好まれるアクション映画のようなものではない
一般的に好まれるのは、戦闘シーンや死の場面でスローモーションにしたり感動の音楽を入れたりしますが、北野映画の真髄はアクション映画のような「このシーンを見せたい」ではなく、あっけなくその一瞬で人が死ぬ殺人の映像です。
死は基本的にリアルで、その部分以外が全部遊びで、ブラックジョークが含まれてます。
アウトレイジ(ヤクザ)の戦国版ではなく、逆です。戦国時代が元であって、
現代の疑似家族のような集団の方が戦国時代のような生き様を模しています。
◆以下、作中で印象的だった部分
光秀は、「首」が武士にとってどれほど大切かが伝わります。試し撃ちなどでためらいもなく殺してる姿は戦国の武人だなと感じます。
現代でもよくニュースになっているパワハラやその度が超えたものがいくらでもいることからわかるように、信長みたいなのはいるいると思いながら観れます。
多羅尾光源坊あたりは、「座頭市のダンス」+「菊次郎の夏の子役がみた悪夢」的な演出があり怪しい音楽ですね。
出演者の役柄と現実のたけしとの関係が反映されているように見える
たとえば、中村獅童は20年間ずっとたけし映画に出たかった思いがありました。彼は、番組などで合う機会がありながらもそれを言えなかったとのこと。
そして初めて出演したわけです。
作品では、百姓から侍大将になりたいという姿に反映されているように思えます。
また、木村祐一さんも北野監督に出演をお願いしたそうです。これも本作では秀吉に仕えたいという場面がメタ的な部分と重なります。
アウトレイジに出てきたセリフがあります。
アウトレイジを観た方ならすぐに気づくと思います。
作品のバイオレンスは刀メインなのでアウトレイジ+座頭市に近いかなと思います。
斬首だけでなく、そのあとの切口などが人によっては吐きそうになるかもしれませんね。
戦国時代というのはただの殺し合いなのでこういうものですので、気分が悪い、しんどい、見れないほうが正常かもしれません。
たぶんテレビではほとんどカットされて放送されるか、そもそも放送されない可能性も考えられます。ネット配信で見れそうですが、やはり大画面をおすすめします。
近年の北野映画ではアクションに力を入れていますが、やはり非現実的な演出は入っていませんね。
予告で刀と刀をぶつけて飛び跳ねる部分がありますが、
服部半蔵を表現するのにちょうどよい演出で、
本題ではないので監督はそのあたりの分別もされているのが伺えます。
もうひとつ、人物が高く飛び跳ねる一瞬のシーンを予告でみますが、これもファンタジー的なものではなく現実的な飛び方であることから、監督の中ではやはりこういう部分だけはリアルさを求めていますね。
成功すると、振り子の理論で「監督ばんざい」というようなコメディ、ギャグ映画をとりますが、ここでのアクションにはリアルさが一切ありませんでした。B級映画のようなCGにアクションですね。
◆若干、謎の編集かカット割りがある。
北野監督は編集が一番楽しいと言っていますが、足りない場面などがあった場合でも編集で可能と言っていたことがあります。
最後のある場面で必要な会話を入れる必要があったのか、編集で繋いでるのだろうなと思われる部分がありました。
このあたりは北野映画をずっと見てる人なら、違和感というよりは北野監督らしい編集手法だと気づくのではないでしょうか。
類まれなる優れた演出や編集が際立つ分、その逆がより目立つのかもしれません。
あと、予告でもある冒頭の秀吉のセリフのところのカットも気になります。
◆切腹のときの「あ」
毛利方との講和によって高松城主清水宗治の切腹シーンはYOUTUBEでも公開されているので見れますが、武士道なんてどうでもいい秀吉の演出が優れてましたね。
切腹時に清水氏が謎の「あ」を言うシーンがあります。
これは切腹まで待ちくたびれた秀吉たちが中国大返しで去っていった光景を目にした最後のセリフだとみられます。
謎のシーンというか、切腹と同時に秀吉が帰っていく姿の映像を含めてると、さすがにエグすぎますので、この部分は編集で観ている人で想像してねという箇所だと考えれます。
西島秀俊さんに遠藤憲一さんが上になってるシーンもカメラアングルは固定したままあとは想像してねという部分ですね。
毛利と和平を結んだあと、秀吉たちが中国大返しで戻るところは武将の乗馬をフォーカスさせず、足軽などに当てたのは良いですね。実際にあんな感じなのだろうなと思います。
監督は終始武将以外の庶民に焦点をあててますね。
しかし、装備ふくめて200キロ走ったり約7日とか地獄ですよ。
本能寺で信長が能演を鑑賞。人間五十年~の「敦盛」。
本能寺の変で舞う記録なんてないので、このあたりは信長が舞わずに能を鑑賞するようにしたのは、北野監督らしい空白の埋め方です。
北野作品の特徴は日本の伝統文化などを見事に収めているところです。
それに関して述べると、
西島秀俊さん主演だった北野映画「Dolls」は近松門左衛門の冥途の飛脚という人形浄瑠璃がベースとなっています。
この作品は北野映画が個人的な思いで作ったもので、もっとも映像美に優れた作品と評されています。
ソナチネでは、舞台が沖縄となっていて、琉球舞踊が見事に収められています。
ミュージカルベースだった座頭市では祭に向けて最後のタップダンスシーンが印象的ですが、
作中の早乙女太一、橘大五郎による日本舞踊の映像があります。
光秀を追うあたりは、「たけし城」!
とはいえ、戦国時代があってのたけし城なのですが、このあたりをみると戦国時代に生き残るのは運だなと感じます。
最後は座頭市のラストやアウトレイジに似た編集を思い出しました。
映画会社の社員監督が撮ってるセオリーなフォーマットではないので、、本当に北野監督でないとこのエグい映像は作れないです。