「百姓・秀吉」首 U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
百姓・秀吉
随分と大胆な解釈な脚本だった。
長らく時代劇がもっていた様式なるものを排除したと言ってもいいし、アンチ大河と言っても過言ではないように思う。
時代考証を無視したわけではなく、そこはしっかりと踏まえた印象がある。当時の生活レベルで出来うる事を考えるとこうなったみたいな事で、時代劇に浪漫を抱いてる人々にはゲテモノと言えなくもない。
でも、逆にマニアなんて人達にはエッジは効いてはいるものの飲みこまざるを得ない設定が溢れてた。
1番分かりやすいのは「男色」って文化だ。
あそこまでフィーチャーされる事はなく、物語を動かす要素にガッツリ絡む事もなかった。でも文献には残ってる史実でもあって、本作は正直に…いや、躊躇わずに映像化したと言えなくない。
男女間にある色恋沙汰と同様な感情に描かれてはいるものの当時の事は分からない。
そして、秀吉のキャラがまた秀逸。
どの秀吉も侍への憧れと百姓だった劣等感が根っこにあったように思うんだけど、全くない。
心根が卑しくて、欲に正直であんなに違和感があるくせに、あんなに納得してしまえる秀吉像には初めて出会った。
そんな秀吉の視点から見える武家社会は滑稽で…小舟の上で割腹するシーン等は、必ず名場面として描かれそうなものではあるが、そうならない。
侍ではない秀吉には理解が及ばない儀式なのだ。
それらを総じてキム兄は「みんなアホか…」とボヤく。
お上手だったし、ナイスなキャスティングだった。
信長は大タワケのまんまだったし。
あの信長に武士の階級制度の厳しさと憐れみを感じてしまう。主君の命は絶対なのだ。
家康の狸っぷりも素敵だったなあ。
知的だった。別に知的なる台詞があるわけではない。小林薫さんがそう思わせた。
そんな様々なパーツが「天下の覇権」に集約されていく脚本は見事だった。
武将達は皆悉く権謀術数を企み、男色という色恋までも活用する。裏切りも暗躍も普通の事で、座れる席は1つしかないのだ。
とてもじゃないが、尊敬する人に挙げられるような人物は1人もいない。
秀吉も頑張って真似しようとすんだけど、どうやら長けてはいないみたいで…冒頭の光秀に話す口調が棒読みなのはそのフリかと思えてしまう。
ところが彼は生き残るし、一時期ではあっても天下人となる。
それは多分、武士の理屈が分からなくて否定して捨てていった事が功を奏したのかと思えてならない。ある種の革命だ。単色だった社会に違う色をぶちまけた。武家であるならば考えもしない事を、平気で提案しやってのける。
ブルーオーシャンを下手くそなバタフライで溺れそうになりながらも泳ぎきったかのようだ。
そんな事を彷彿とさせる秀吉像だった。
ラストカットは首見分の際に、おそらくは光秀であろう首を蹴飛ばすカットだ。
「俺が欲しいのは光秀の首じゃなくて、光秀が死んだって証拠だ」とかなんとか。
本能寺の変の際に、光秀が灰を掘り起こしてでも見つけてこいと言った首。武士の本分が立たないのである。でも百姓である秀吉には関係ない。
結果同じ事であっても、首などいらないとブチキレるのだ。
そんな秀吉見た事ないけど、あっても不思議じゃない事のオンパレードで…誤解を恐れずに言うなら、史実と風俗と人物像を解析し、外連味を排除しリアリティを追求した作品とも言える。
中村獅童さんも良かったし、最優秀キャスティング賞なるものがあるならば、拍手喝采と共に進呈したいところである。
まぁ、なんせ価値観が違う。
「お前、ぶっ殺すぞ」が冗談でも脅しでもなく、出来てしまえるご時世なのだ。
そこら中に死体が転がっている時代で、人を殺せる道具を常にお互いが持っている時代なのだ。
狂人の集まりだと思うのは無理もないが、アレが常識で日常だった時代なのかもしれないのである。
そんな人物や状況が揶揄する事もいっぱいありそうなのだけど、敢えて難しい事は考えずに、この大胆な考察を楽しんでもいいんじゃないかと思う。
こんばんは。遅ればせながらレビュー拝読させて頂きました。
そうだった、そうだった!
なるほど、そんな意味が!
すごい解釈だな!
作品を思い出しながらレビューと照らし合わせました。余韻が奥深いものになりました!