「1988年、年の瀬近い銀座。 昭和で言えば63年、もう昭和も終わろ...」白鍵と黒鍵の間に りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
1988年、年の瀬近い銀座。 昭和で言えば63年、もう昭和も終わろ...
1988年、年の瀬近い銀座。
昭和で言えば63年、もう昭和も終わろうとしている頃。
銀座のキャバレーで法被にお面姿でピアノを弾いていた博(池松壮亮)は、謎の男(森田剛)から「ゴッドファーザー 愛のテーマ」のリクエストを受ける。
これまで銀座で働いたことのなかった博はその曲をリクエストしていいのは界隈を牛耳るヤクザの会長だけで、弾くことが許されているのも、会長お気に入りのピアニスト・南(池松壮亮(二役))だけということを知らなかった。
ので、博がくだんの曲を弾いてしまったがために銀座界隈は大混乱・・・
といった物語。
ポスターデザインや予告編から「かなり格好つけたジャズ映画」といった先入観があるのだけれど、映画が進むうち、「ありゃりゃ、これ、そんな格好つけ映画じゃないんじゃない?」「というか、むしろコメディ?」と思い始めました。
まぁ、昭和63年、昭和天皇が病臥に伏していた頃で、そんなときに法被にお面のキャバレーでもなかろうに・・・と思ったのは鑑賞後だとしても、バブルは弾ける前、とはいえ先述の理由で明るくすることもできないという、いま思えば、まことに厄介な時のことで、そんな時代のエアポケットに入ったかのように、劇中の時間軸は歪んで交差する。
お面のピアニスト博は、まだ師匠(佐野史郎)に付いて修行中の身。
ジャズピアニストになりたいという博に対して、「この国にはジャズのズの字もありません。ノンシャラントに弾かねばなりません」といって「ノンシャラント(=平然と無頓着に、のほほんと)」にピアノを弾き、最後は「チャンチャカチャンのチャンチャン」と弾いてオチを付ける。
そして、「ジャズが知りたければキャバレーです。キャバレーでお弾きなさい」と言われたのを真に受けたのが3年前。
で、一夜の騒動があって、南となったわけで、銀座のバンドマンになった南だがジャズピアニストになる夢は捨てきれず・・・と。
いやぁ、後半になればなるほど映画の猥雑さは増し、「ズンドコ節」が出るころには、完全に狂乱状態(あ、このズンドコ節、その後の伏線・暗喩ね)。
この時点では、もう大笑い必至・・・なわけなんだけど、他の観客のみなさんは引いちゃったみたいで、笑い声ひとつ聞こえず。
先に挙げた役者さんたち、いずれもいいが、バンマス役の高橋和也が、ノンシャラントな感じたっぷりでとりわけいい。
観終わって思い出したのは、マーティン・スコセッシ監督『アフター・アワーズ』『救命士』、スタンリー・キューブリック監督『アイズ・ワイド・シャット』。
一夜の混乱、まぁ、これもジャズよ。