「ちょっと雑すぎてこりゃもう何も…。毎回定番すぎる評価もさらに輪をかけるありさま。」白鍵と黒鍵の間に yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
ちょっと雑すぎてこりゃもう何も…。毎回定番すぎる評価もさらに輪をかけるありさま。
今年345本目(合計995本目/今月(2023年10月度)10本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
※ 映画のストーリーとしても「昭和末期」としていつかは具体的に示されていませんので、昭和55~60年程度を想定し、法律の解釈もその当時のものによるものとします(この映画はそれをまず決めないと評価ができない)
まず結論からいうと「結構こりゃ厳しいなぁ…」というところです。今週(10月1週)、一番荒れる枠じゃないのかな…(明日(月祝)の「~法定相続人」まであれないと思っている…)といったところです。
東京テアトルさんの映画で、映画館としては実際に直営のシネリーブル梅田でも放映されていますが、人気作という事情からいろいろな映画館で放映されています。そして東京テアトルさんの映画というと、去年の「はい、泳げません」など比較的わかりやすい映画が多いのですが、こちらはちょっとどうなんだろう…といったところです。
中には本当に「真似する人がいると困るよなぁ」というものもあり(法律系資格持ちとしてはこちらのほうが激怒度は高い)、正直困ったところです。
テーマとしてはジャズもので、昭和のジャズ喫茶をテーマにある音楽を弾くだの弾かないだのといった抗争があったのか(史実に着想を得ているのかも謎)、大半それらの話題に、妙に聞き取りにくい(あるいは「悪い」ともいえる。後述)英語や、ほか、「真似しちゃダメよ」なものをストレートに描きすぎで、個々個々は減点幅としては調整してもそれが数え役満的な状態になっていて、どうするんだろう…といったところです。
東京テアトルさんの映画と言えば、極端な大当たりはないとしても「極端な大ハズレもひかない」という扱いで見に行っていたので残念です。
映画そのものも、音楽(ジャズ)に関すること(楽譜読解の理論など一部含む)をストレートに問われるなど妙に難易度の高い部分があり結構厳しいです。
さっそく評価いきましょう。
ちょっと特殊な論点がこの映画には混ざっているので、それらにも触れます。
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(減点0.2/音楽の演奏と表現の自由(憲法論))
・ 表現の自由はこのように音楽演奏においても現れます(著作権法にもあらわれます)。表現の自由は絶対無制限ではありませんが(たとえば、ヘイトスピーチが規制されるのと同じ)、「ジャズ喫茶(バー)で弾くだの弾かないだの」にまで制限が及ぶ映画の述べる趣旨が不明です(ただ、日本では憲法論に関しては間接適用を取るので、不法行為論の中でここを論じることになります)。
(減点0.2/英語表現が妙なまでにぎこちなかったり、妙にきわどい)
・ 英検3級の面接会場ですか?みたいなレベルの英語の話し方なのが気になります。まぁ、昭和末期のころはまだ就職で英検だのTOEICだのといったことが聞かれていなかったものと思います。
ただその突っ込みよりもマズいのは、それに対応する女性の方(リサさんだっけ?)の返し方で、 a** h**eなど(さすがに書けません。いわゆる「伏せ文字必須の単語」) さすがに昭和末期でもそりゃないでしょみたいな返し方をしています(この当時はそういう、下品な表現とかといった概念がなかったのかなぁ…)。
(減点0.8/事務管理の描写が「あまりに」雑に過ぎる)
・ 酔っぱらっている人や、溺れかかっている人などを救助する行為を、民法上では「事務管理」といいます(697条以下)。「財布を拾ったので警察にとどける」というのもこれです。費用請求権はありますが報酬請求権はありません。民法がこれを定めているのは、「ある程度の相互扶助を想定している」ということになります。
ただそのために「一度始めた事務管理は勝手に中止できない、善管注意義務を負う」といった義務も管理者(事務管理を始めた人)には課せられます(697条以下)。
しかし、事務管理において管理者はあらゆる代理権を本人(ここでは、倒れている人等)から与えられているのではないので、本人の名を借りて各種の契約等を行ってもそれは(表見代理が成立しなければ)無権代理にしかなりません(判例)。
…で、いつも書いているのはその話(まぁ、事務管理と無権代理だけでも100回は書いていると思う)、それであれば0.3程度の扱いです。
問題はここからで、この映画、なんとそのあとに「代わりに救急車呼んで」などと適当に事務管理を放り投げてしまう点であり、これが無茶苦茶です。事務管理は継続して管理する義務まで負わせているからです。また、放り出されたほうも結構面倒な状況にしかなりません。事務管理の管理者が別の事務管理を発生させることができるか等論じると面倒なことになるからです(法は想定していないため、これらに対応する条文がまるで存在しない)。
この「投げ出し行為」はとても問題のある行為で、事務管理の中でも、この映画の例のように「救急車を呼ぶこと」が事務管理者に課せられた事務だというもの(倒れた人を救助する類型は普通そうなる。あるいは病院につれていくほか)は、その性質上、私法である民法だけでなく医療行政という「公法」が適用される行政法とクロスする論点があり、救急行政も混乱してしまう事案です(救助者に対して、「どのような状態だったのか」等聞きたくても、このように「投げ出し」があるとそれが全くできなくなる)。つまり、民法と行政法(医療行政)のクロス論点をつついている部分があり、行政書士の資格持ちはここでプッツンするわけです。
(減点なし/参考/保護責任者遺棄罪(刑法)との関係)
「保護責任者」には、親などが含まれる典型例ほか以外に、事務管理の管理者も含まれるとされます。そして、単純遺棄罪と違って保護責任者遺棄罪は「単純な置き去り行為」も対象になります(単純遺棄罪は単純な置き去りは対象にならない)。
※ ただこの点は微妙なところがあり、事務管理は法定債権と呼ばれる「契約なくして成立する債権」であるゆえに、これを根拠に逮捕、起訴などすると「倒れている人を法の正しい理解のないまま助けようとすると不備をつかれて民事刑事で責任を問われうる」という委縮効果を生むので、「あまりにも支離滅裂でない限り」、刑事罰まで課されうるかどうかは微妙なところはあります(誰も事務管理をしなくなってしまうため。この辺、民法と刑法各論のクロス論点で文字数が足りなくなるので以下省略)。
(減点なし/参考/私が映画を見るときの採点幅のスタンス)
コメントがあったので、こちらで触れておきます。
基本的に「極端にがっちがち」には見ない立場ですが、「真似すると困るもの」や「極端に違法性の強い行為」ほかについて「あまりにも極端に過ぎる描写」は個々チェック対象で、「強行法規かどうか」ほかいくつか幅が存在しますが、「がっちがちの条文当てはめは行わない」というものです(最高裁判例、高裁以下裁判例、あるいはリアル日本の実情ほかも見たうえで、「真似をするとまずい行為」は個々指摘する、というものになります)。