「先入観で物事を判断することの危うさ」ミッシング マルホランドさんの映画レビュー(感想・評価)
先入観で物事を判断することの危うさ
本作は人間の意識がいかに目先の事象によってそらしやすいかを幾度となく体験させられる一本だったと思うし、思い込みによっていかに印象が操作されやすいかを痛感する。そして男女の考え方の温度差も対照的に描いていて随所に仕組まれたストーリーラインに思わず乗ってしまいそれに気付かされたときはとてもハッとさせられた。
例えば娘の目撃証言を受けて警察署に相談をしに行く箇所がある。そこで警察と夫妻とのやり取りがシーンの中央にあってそこに目は行くのだけれど隣に隣人トラブルに対応しない署内の人間を恫喝している男性がいる。両者を同じカメラに移しているのだがどうしても意識や聴覚の方は夫妻よりも恫喝している声の方に気をそらされてしまう。また商店街で口論している男女がいて喧騒が続く中娘の張り紙にいたずらをしてあって限界を迎えて母親が思わず叫ぶシーンがあるがそこでもより大きな音に注意が向かってしまうなど、必ず両方の対称性を際立たせて組み込んでいるのがとても作り込まれている。
また報道に携わる人間のアンビバレントな事情などにも深く描く。口では「正義」やら「不正を追求」などと口にはするけれど自分たちの視聴率や見たいものしか認めない、結局「絵」にならないものはお蔵入りにして自分が求めるものを作り上げてそれをさも「真実」と称して散布することの愚かさにも踏み込んでいる。紗織里がテレビ局の人間に不信を抱き詰め寄るシーンで、手前で口論しているがその奥ではカメラマンがカメラを構えていかに面白く映るかというポジションを意識している最中に小物が風に飛ばされて悪戦苦闘をするところはそれを戯画化して風刺のようにも見えたし、はっきりしない程度の紗織里の弟をカメラの前に出して「事件を明らかにしたい」と口で言いながらも強い口調で糾弾したり、まるでその弟が犯人だと思わせるような編集をするなど、うまく二面性を浮き彫りにする見せ方も見事。
そして男女間の温度差の違いも本当にリアルで、女性の方は感情が先走って男性側はぐっとこらえて目先の事にいちいち反応しないという対象的になっていたのも興味深い。
今の時代は人とつながりやすいし情報が秒速で目にしやすい時代。手元のスマートフォンを開けば地球の反対側のことまで知れる時代。
情報を手に入れやすいということはそれだけ目にしやすい文字が多くなっているしものが多ければ多いほどノイズが頭の中を満たす。そしてなかなか答えが出ないことを拒絶してしまって自分たちはどこかでこの事実はこうあってほしいという欲が働いて湾曲して捉えてしまう。母親はわらをもすがる思いでネットの書き込みを真に受けて突っ走ってしまう姿や報道陣のカメラの画作りに結果的に協力してしまう。頭ではわかっていながらも体が動いてしまうところは見ていて辛かったが、その彼女が他人の痛みを自分のことのように感じて泣いたりする姿はとても尊いものとして作品に刻み込まれて思わず体が震えてしまった。
そういうのは時間が経てば立つほど尾ひれになにかがくっついてしまってだんだん後戻りができなくなるんですよね…。考えすぎてしまって余計悪化していくから感情ってのは時として厄介なものですよね…。
共感ありがとうございます。
今、ふっと浮かんだのが当事者にとっての真実、周囲にとっての真実、どちらも起こった事実とかけ離れてしまったんじゃないか? という事。直ぐに何らかの結果が出てればこうはならなかったでしょうね。
コメントありがとうございます!いたるところに反応しやすいフレーズが仕組まれていてとっさに脳内に「あれってあのことだよな?」って思わせてから次のシーンで答え合わせのように脳内で思ったことを登場人物が口に出すところとかギクッとしましたね…