「「SHE SAID」以前にあった、これが映画業界の平凡な日々」アシスタント しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
「SHE SAID」以前にあった、これが映画業界の平凡な日々
主人公のジェーン(ジュリア・ガーナー)は一流大学を卒業し、憧れの映画業界に就職した。
プロデューサーを夢見るが、いまはまだ入社して5週間の新人アシスタント(正式雇用の前にインターン期間があったらしいが)である。
本作は彼女がまだ暗いうちに家を出て深夜に帰路に着くまでの、ある1日を描いている。
劇中、ほとんど抑揚がなく、淡々とストーリーは進む。
カメラも映画制作会社のオフィスからほとんど出ない。
だが本作は終始不穏な雰囲気に満ちている。
いまにも、何か事件が起きそうだ。
だが、何も起きない。
アシスタントのジェーンは大量の雑用をこなし、その間、権力者によって“何か”がおこなわれている。
でも誰も声高に問題を叫ばない。
誰も被害に遭ったと騒がない。
そう、描かれるのは“平凡な日”だ。
つまり、ここで起こっていることは“事件”ではなく、“平凡なこと”だ、と本作は述べている。
だが、本作を観る僕たちは知っている。
スクリーンにはハッキリとは描かれないが、何がおこなわれているか。
この不穏な雰囲気の果てに何が起きたか。
そう、本作は「SHE SAID」の“前日譚”なのである。
あの映画には巨悪に挑んで勝利したカタルシスがあった。
だが、そのドラマチックなストーリーの前には“平凡な日々”が延々と続いていたのである(エンドロールに出る本作への情報提供者への謝辞が、このことを裏付けている)。
日常に、ぽっかり開いた闇を見つけたとき、どう行動するか?何が出来るか?
本作は観る者に問いかける。
闇は大きく深い。
本作の「会長」は決してスクリーンに映し出されることはない。
そして課題は構造的だ。
見て見ぬフリをする同僚(女性社員すらも)、人事部の相談窓口も機能してない(ぜんぶ会長に筒抜けである)。
このようなことを引き起こしているのは、特定の誰か(例えばワインスタイン)「だけ」ではなく、ここには構造的な問題があるのだということを本作は語っている。
ジェーンはささやかな抵抗を見せるが、それは不調に終わる。
周囲も見て見ぬフリ。
騒ぎ立てないほうが身のため。
何より、自分が傷ついたわけではない。
本作が描くのは「映画みたいな逆転劇」ではなく、そこで給料をもらって暮らしている「平凡な日々」だ。
ジェーンは答えを出さないまま本作は終わるが、彼女を責めることは難しい。
彼女は「正義のヒロイン」ではないし、誰もが映画のようなヒーロー/ヒロインになれるわけではないのだ。
「正義のヒロイン」ではないからこその、怒りや悲しみ、心配、戸惑い、そして迷いをたたえたジュリア・ガーナーの演技が光る。