ソフト/クワイエットのレビュー・感想・評価
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ややホラーな気もするが、しかし述べたいところははっきりします
今年192本目(合計843本目/今月(2023年6月度)17本目)。
※ 交通機関トラブルで最初の5~7分程度が抜けています。
多くの方が書かれている通り、人種差別をテーマにした映画です。
まぁもう人種差別に関する発言はオープンすぎて、この映画がR15どころかPG12扱いでもない(なのに、なぜか「~ライル」がPG12とか謎なのが映倫)というのが不思議なくらいです。
日本ではおよそ普通には「人種差別」という論点が発生しませんが、例えば男女同権思想から発生する衝突であったり身障者差別だとかという論点程度はあろうと思いますが、それでも「いじわるされた」とか「ちょっと強く言われた」とかという程度で、映画で描かれるようなようなことにはならないはずです(「その意味では」日本は平和な国ともいえる)。
まぁ、正直なところ、この映画がPG12でもなく一般というのがある意味すごくて、「別の意味で」見終わってからむかつくというかやり場がないというか、そういうタイプの映画です。間違ってもカップル割だから行こうかとかというような映画ではないので注意が必要です。
既存の映画であえて同じタイプの映画をあげるとすれば「聖地には蜘蛛が巣を張る」になると思いますが、表現はこちらのほうが強いかなというところです。
日本はそれでも集会の自由を保障しながら、あまりにも支離滅裂であったり、他者の人権を侵害しうるようなものは規制される(ヘイトスピーチ規制法・条例など)のですが、思想良心の自由(思うだけ)は規制できませんし、集会とは言わないものの「個人対個人」でのやり取りにおいて人種を持ち出すというのは想定外で、(これもまた他の方が触れていましたが)近い将来、フィリピン・インドネシア等をはじめとして広く外国人労働者が入ってくることであろう「近い未来の日本」でこういうことが起きたらどうするのだろう…(日本では人権侵害事案は法務省なり、外国人の場合、その性質上、受け皿が行政書士になることも多いが、日本語が7割も通じない状況ではまともな判断は難しい)という「実際上の懸念」はありうるのかな、というのが個人的に見たところです。
評価としては、まぁ多くの方が述べられるように「あまりにも見た後にむかつきすぎる」という点ですが、この点はそれを意図したと考えられる「セルビアン・フィルム」と同じ趣旨で、こちらに減点していない以上はこちらもそうであり、減点なしにしています。
ただし何度も述べるように「カップルデーだから行こうか」とかというような映画では「およそもってない」ので注意です。
なお、採点においては、このような特殊な事情を扱うがために、「人によっては気分を害することがある」点は考慮したものの、本映画が人種差別を扱うこと自体は事前に予告されていたものであり、それも「多少度は超えるが、支離滅裂でもない」という点において減点なしにしています。
とても良い映画
口論の末、自滅して行くのが見ていて何とも滑稽で面白かったですね。
これはコメディですね…スリラー風味の。
この作品が怖いなと思ったのは、深層心理では白人はみんな心の中では同じ事を思ってるんじゃないのか?という気持ちがしたことです。
海外なんかを一人旅してるとそんな思いに駆られること結構あったりしたので…明らかに嫌な目つきで睨まれたりとか、普通にありますからねぇ。
でも、これは偏見ですよね。
ロンドンに行った時、道で地図を広げていたら、優しく声をかけてくれたイギリス紳士もいましたし、パリではカメラを向けたら優しく微笑んでくれた果物屋のオッちゃんとかもいました…。
この広い世界、人間色んな人がいてますわ…笑
あぁ、こわっ!笑
不快感極まることで引き込まれる
今年一番、胸糞の悪くなる不快感極まる作品でした。
それでいて、つまらないわけじゃない、というかむしろ引き込まれる、強いフィルムでした。
黒人清掃員への侮蔑の眼差しと、直接喋るのを厭い教え子にクレームを入れさせる、主人公である幼稚園教師のクソ女の描写から始まり。
鉤十字の模様の入ったパイでナチ思想にはまった白人至上主義者なのを見せつつ。
アーリア人以外全ての人種への差別的発言と行動はエスカレートする一方で、そりゃもう酷さ全開。
行き着くとこまで行くんですが、観ていると最初に恐怖を感じ、次に腹の底から湧く怒りに支配されました。
監督自身、アジア系アメリカ人の母と、ブラジル出身の父をもち、様々な差別を受けてきた人。
彼女には暴走する白人至上主義者は「どこかにいる危険な人」ではなく、「隣人としてそこにいる危険」。
その監督が今まで見て感じてきた「アメリカで起こった真実」を描くという視点で作られているので、こんなにリアリティ溢れる作品に仕上がっているのだなと。
難点は、音楽。
怖いことが起きるシーンにやたら怖さを誘導する曲を被せるので、予想が容易で身構えさせられ、意外性や驚きが半減する感じ。
この点はもったいなかった。
ワンショットでこれだけの作品を作るとは!
あるアメリカの片田舎で、移民や有色人種の存在やダイバーシティや多様性を日頃から鬱陶しく思っている白人女性達、本人たちは普段自分の境遇が悪いのは、逆差別を受けているせいだと思い込んでいるのだが、実は本人の資質に原因がある。集会後メンバーの経営する店でのアジア人親子とのちょっとしたトラブルが、最悪の事態に陥っていくまでを、ワンカットで描く。いつもながらこういう作り方は、何度も練習したのだろうなと、舌を巻かざるを得ない。威勢だけは良い白人女性だが、おつむと思慮が足りないので泥沼に陥っていくのが哀れではある。
スケープゴートとエスカレート
白人至上主義の人間が周りにいないからイメージがつきづらい。映画とかで出てくるのもネオナチっぽい屈強な男たちやKKKの白マントを被っているイメージしかない。でも、彼らも普段はアメリカ社会で普通に生活しているんだよなと本作を観ると思い知らされてしまう。
教会の一室で開かれたのは白人至上主義の女性グループの会合。幼稚園の先生してたり、スーパー経営していたり、普通に勤めていたり、見た目だけでは主義主張なんてわからない。そんな「普通の」見た目の女性たちが語る差別発言の数々。少し笑ってしまうくらい極端な意見が飛び交っていた。後半よりもむしろ前半の会合シーンが怖い。
そんな彼女たちがどんどん暴走していくという流れ。バカみたいな選択の連続ででとんでもない方向に転げ落ちていく。胸糞悪いんだけど、どうなるんだ?と目が離せなかった。
満たされない人生にはスケープゴートを求めがち。誰かのせいにする方が簡単だから。そして暴力は単独ではなくグループになるとエスカレートするということだ。似たようなことが周りで起きる可能性が十分あるからこそ怖い話なんだよな。
ブラムハウスの新作。そう来ましたか!
爽やかな気分で劇場を出たい人にはお勧めしません。じつに不快な映画ですが、血がドバドバ、肉片がピューンのスプラッターではありません。普通の女性たちが、これも一種の「ノリ」なのでしょう、どんどんヤバい方向に行ってしまう話です。ワンショットで撮影されたのが売りですが、中盤までは特別にその良さは感じられませんでした。物語の終盤、ある理由で汚れた部屋を綺麗にしなければならなくなりますが、その片付け風景を延々と見せられることになります。なぜならワンショットだから省略がありません。主人公の後悔とうんざりがよくわかって、あれは並みのスプラッターより私の心がやられました。予告編でやってた同じくブラムハウスの「M3GAN」が楽しみです。あのロボット、なぜか若い頃の中谷美紀さんに似ている。
連邦議会襲撃事件を彷彿とさせる
「アーリア人団結を目指す娘たち」という不愉快極まりない会合を開き、パイを食べながらレイシズム全開の最低発言を繰り返す女性たちが、あれよあれよという間に最悪の事態に陥っていく。
連邦議会襲撃もこんな感じで起こったのかと思うと、劇中起こる惨劇も簡単に現実になるのだと気づき、寒気がした。
隣の怪物
観た後の胸糞さ・不愉快さは、別ベクトルではありますが昨年観た『セルビアン・フィルム』に匹敵する全編ワンシーン・ワンカット(ワンショット)のスリラー映画。
行き過ぎた白人至上主義の自称“模範的な一般白人女性”の狼藉っぷりに終始顔をしかめることになりました。スリラーとしては『セルビアン・フィルム』同様に悔しいことに最悪によく出来ている。
冒頭アジア系の清掃員を見る目から違和感がありましたが、話が進むに連れて露呈する作中女性の差別意識の高さには唖然とします。
しかも、主人公のエミリーの職は幼稚園の先生ですから世も末ですよ。まあ、清掃員への理不尽なクレームを教え子にさせて、それを「闘う」と称したのを聞いた親御さんがドン引きしてたので「普通にコイツだけおかしい」ってわかったのはまだ救いですけど。
でもこんなのが後から4人集まります。やっぱり末だわ。
しかし、彼女達は至って自分が健全だと信じていて、仲間内で食べ物を持ち込みながら日々の愚痴を溢す会を開いています。
まあ、いくら差別意識があったとしても身内間での愚痴で済ますならまだしも、会名が「アーリア人団結を目指す娘たち」なのは一発アウトじゃボケ。
会の参加者は不妊に悩んだり、会社で出世できなかったり、貧乏だったりと、それぞれに問題を抱える女性です。
そのことに不満を持つには別に構わないし、愚痴って鬱憤を晴らすこと自体はむしろ健全だとすら思います。……が、原因を全て他人種に押し付け、差別することを捌け口にしている時点で人道を大きく外れています。
厄介なの本人達は自分たちが絶対に正しいと信じており、マイノリティを淘汰することで社会が良くなると本気で思い込んでいるということ。
その「善意」を他人に押し付けるもんだから、社会で孤立しているワケなんですが、都合よくその社会で普通に暮らす人々のことは「洗脳」されていると捉えて内に、内に…と籠っていくのです。
なんかもうこの広大なインターネット世界でもよく見る流れだな……
こうした自浄作用のないコミュニティはロクなもんではありません。
ただ、コイツら口では「自分達は正しい」と宣いながら「自分達の会話が外に漏れるとマズイ」ってことはちゃんと認識しているのが珍妙で滑稽な部分ではあります。社会的に間違っているってことは何となくわかっているんですよね。
そもそもが自身の不遇を弱い者(と彼女達は認識している)を虐めることで発散してるだけのダサくて幼稚な卑怯者なんで、その部分と向き合うのが怖いのでしょう。
ボロが出るのも早くて、人を動かす能力がないだけなのに「コロンビア人に管理職の座を“盗られた”」と主張するマージョリーは、後半で起こった不測の事態にオロオロと泣き喚くだけで全く役に立たないことを証明してくれます。
まあ、そんな聴くに堪えない稚拙な優生思想を散々浴びせられる前半の時点でゲンナリですが、それが実際にターゲットを定めて暴れ出した時のアレっぷりに関しては想像を絶していました。
倫理をとことんブチ切っているんですが、だからこその面白さ(と言うと死ぬほど語弊があるな…)はちょっとあるんですよ。
この辺を突き詰めていくと、何故『セルビアン・フィルム』や『ファニーゲーム』と言った胸糞悪いだけのスリラー映画がこの世に存在しているかってコトにも繋がってくるんですよね。
そういうモノを娯楽とする怪物性も確かに我々の中には確かにある。相当人を選ぶ悪趣味な娯楽というのは承知の上だし、そういうの駄目な人からは「一緒にすんな!」とお叱りを受けそうなんですが、むしろそうやって断罪しちゃうのもマジでマズイことなんじゃないかって思う部分があります。
本作に出てくる奴らを「理解不能のカス!」、本作自体を「ただの悪趣味映画!」と評するの、その言葉の通りではあるんですが、いざ我が身を振り返って本当に自分の中にそういった要素が微塵もないかというと断言は絶対に出来ません。
エミリー達が口にする「優生人種によって劣等人種は管理されるべき」って思想に賛同する人は極々少数だと思う(と信じたい)んですが、じゃあ同じように語られた「(結婚アプリかなんかで)容姿の悪い男にあたると最悪!」とか「マッチョと細身の人、どっちが好き?(ぽっちゃりは除外されている)」とかは自分含めた結構な人が極々自然に言ってる言葉だと思うんですよ。
これらもルッキズムによる差別と言えば差別でして、そこら辺を無視して断罪する側に回っちゃうのもまた非常に危険です。
最近でも某ディズニー絡みで「LGBTQが過ぎるからクソ映画(その逆も然り)」とかの言説がバズったりしてますけど、この一概に決めつける雑な意見も危うい思想に踏み込んでる感じがある。この辺は一度、決めつけないで深く考えてみないと駄目だなァ…とは常々思います。
ぶっちゃけた話、誰もが誰かにとっての差別(と感じられる)発言は避けられないとは思いますし(もちろん節度や程度はある)時代によってその在り方も変容するものではあります。過去を遡及して糾弾するのも、勝ち馬に乗るかの如く皆が悪いというものを悪いと叩くのも良くないと思うけど、同時に止められないという諦念もある。
だからこそ、大事なことは常に自分を省みることだと思うんですよ。自己肯定感も大事なことですが、狭く籠って肯定ばかりしていてもロクなことにならないのも事実。視野を広くもって、いっちょ噛みするより前に調べて思考して改めていくことが必要になってきます。
その必要な過程を経ず、ロクなことにならなかった自分こそ、銀幕で大暴れしている本作の怪物どもであり、そういう意味では決して本作は他人事ではないのです。
本作が全編ワンショットという手法を取った最大の意義は、この自分事の延長線上(もしくは身近)に怪物が巣食っていることを際立たせることにあるのだと思いますし、そういう意味でもよく出来たスリラーたらしめています。
……と、こうした本作におけるワンショット演出の意義を考察した上で、本作の技術的な部分に対する不満点なんですけど、これ本当に全編ワンショットでやる必要ありましたかね?
確かにノンストップで無法を映すことで最悪さは増幅されてましたし、前述の我々と同じ軸にコイツらがいるって証明にはなっていますが、他のマイナス面があまりに目立ちすぎている気がするんですよね。
前半の会議の場面はとにかく単調、かと思えば移動するとカメラはブレるしところどころボヤける。車での移動シーンもありますが、移動距離が極端に短く感じる部分が気にかかりますし、終盤のボートの場面に至っては真っ暗闇で何をやっているのか全くわかりません。
いや、その前の場面であらかた説明してるから補完は十分に可能なんだけど、どのみち画面の見せ方としては最悪の部類ではあります。
昨年の『ボイリング・ポイント』は物凄く好きな映画なんですが、そちらはワンショットの技術が凄い極まっていて、見せ方が流れるようにスムーズだったんですよ。
その上で職場の焦燥感というワンショットならではの付加価値も生まれてましたし、作中時間と現実時間がズレているという映像の嘘も巧みに吐いていました。
僕が定義する優れたワンショット映画の条件って
①撮影技術の高さ
②ワンショットをやるだけの意義
③やった上での付加価値
なんですけど、本作の場合は②が部分的にあるかな…ってくらいで、正直他は基準を満たせてなかったかな…って。何ならワンショット部分による撮影の制限が足を引っ張っていた部分は凄くある。
なので、本来なら売りになるはずのワンショット映画としては全然推せないですね……単純に胸糞悪いスリラーとして推す方がまだわかる。
そんな部分もかなり両極端に寄っている問題作なのだなァ……
【聖地には蜘蛛が巣を張る】を見たとき、 ここまで気分を害する映画が...
【聖地には蜘蛛が巣を張る】を見たとき、
ここまで気分を害する映画があるんだと衝撃だったけど、
これはもっとすごかった
でも映画としてはよくできている
夢中で見た
弱いものイジメではなく、強いものへの反抗でもなく・・この感情は何だろう?
行き過ぎた人種差別撤廃に憤りを感じる白人女性が、集会で意気投合して、たまたま口論になったアジア系女性に恨みを持ち、ちょっとした仕返しをするつもりが最悪の事態を招く。
かつて冷遇されていた黒人、ヒスパニック系移民が公平な立場を獲得していく中で、標準未満の生活をしている白人は立場が逆転してしまうような恐怖を感じて、その結果攻撃してしまうということだろうか。
日本でも明らかに外国人が増えていて、特に通勤電車の中で疲れた顔の日本人とは対照的に、陽気に喋りまくるセレブ風な外国人を見ると、低賃金で働く日本人とそれを安く利用する外国人の図に見えて、なんだか理不尽な気持ちになります。
それより遥かに根深い問題だと思いますが、行き過ぎた優遇は不平等感を生んで、問題をより深刻化させていく気がしますね。
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