「感性が結びつけた二人」アナログ talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
感性が結びつけた二人
みゆきが携帯もスマホも持たなかったのは、不幸な出来ごとに遭ってしまい、そのことから「時間を止めたかった」(=外界からのダイレクトなアクセスを止めたかった)から、ということのようです。
外からの刺激を断ち切って、静かな内省を大切にしていたいという心情だったのでしょう。
とかく人間関係の複雑さから心を病んでしまう人も少なくない昨今、彼女のような生き様(ざま)も、それはそれで、ある意味「正解」とといえるのではないでしょうか。
否、むしろ、本作のみはるのように、自分の心に正直に生きることがもしできれば、本当に毎日の生活は素敵だろうなぁとも思います。評論子は。
そして、彼女の(その頑なな?)気持ちを融かしたのは、彼女と同じような感性を持ち合わせていた水島との出会いだったことも、疑いのないことと思います。
水島にしても、他の連絡手段を聞き出そうとしたり、彼女が携帯を持たない理由を糺(ただ)そうとしたりはしない―。それは、彼女を彼女のあるがままで受け入れるという、彼の素直な心根の表れでもあったのだろうと思います。
他方、当のみゆきの側でも、携帯を買って、止めていた時間を、また動かそうとしていた―。
まるで「同じ感性」という糸で結びつけられたような二人の心根の温かさが画面を通して伝わってくるような、充分な佳作であったとも思います(作中の糸電話が、その「糸」の示唆だったというのは、たぶん、評論子の考え過ぎでしょう。)。
(追記)
作品の本筋とは関係がないのですけれども。
持つべきものは友人だと、改めて思いました。
折に触れては水島を支え、励まし、慰め、そして決定的で残酷なものではあったものの、貴重な情報をもたらして水島を助けたのは、他ならない彼の友人の山下と高木でした。
「親しき仲にも礼儀あり」とは言うものの―。
気さくに、時には(ある意味)乱暴なことも言える関係性というものは、何にも替えがたいものだとも、改めて思いました。
別作品『素晴らしき哉!人生』の「友ある者は、人生の敗残者ではない」というのは、間違いなく、こういうことを言うものだとも、改めて思います。
(追記)
日時を約束して喫茶店で待ち合わせ…メールやSNS(デジタル)で連絡を取り合わないというまさに「アナログ」ですなぁ。
評論子もひと頃は、まだ学校にいるうちに「何時ころ」と約束をしておいて、彼女の家に電話すると、タイミングよく彼女が電話を取ってくれる…まさに「昭和アナログ」でございました。
二つ三つタップして、すぐ彼女(彼氏)と話ができるのは、考えてみれば、なんと味けのないことでしょうか。
たまにタイミング悪く家族が電話を取ってしまうこともありました。
お母さんが取ったときは「はいはい、娘ですね。少しお待ち下さいね。」と、何の問題も起こらないのですけれども。
これがお父さんが取ったりすると「ウチの娘に何の用だ。悪い虫でもついたか。」とでも言わん気なけんもほろろの対応だったりもします。
そういう苦難が、二人の愛を育てていたと考えるのは、評論子の単なる思い過ごしでしょうか。
(追記)
同じく女優さんと言っても、モデルのご出身だけあって、一つ一つの所作が美しかったですね。みゆき役の波瑠は。
評論子に言わせれば、女優さんと言えば、まずは、なんと言っても別作品『クレイマー、クレイマー』のジョアンナに恋をしてから、メリル・ストリープの一辺倒だったのですけれども。
また一人、素敵な女優さんを知ることができたとに思います。
これも、本作を観ての「収穫」の一つではあったと思います。
トミーさん、いつもコメントありがとうございます。
スマホが当たり前の今は、LINEで簡単に連絡がとれちゃうので、待ち合わせの時間に彼女が遅れているときにも、「電車が遅れた」とかすぐに情報が入っちゃって「何かあったのか」と思い遣ることは、なくなっちゃったようですね。
共感ありがとうございます。
悪友たちが洩らしてたように、恋愛っていいものだという部分の筋を通して作った作品と感じました。今にして思えば、スマホを持たず口約束で会うのが、ちょっとプレイみたいで引っかかってますが・・スマホを持とうとしていた所は泣けますね。