「「ジョーカー」を見に来るには物足りないだろう」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ ゆうぽんさんの映画レビュー(感想・評価)
「ジョーカー」を見に来るには物足りないだろう
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今回の映画の一つ根幹となっているのは、「ジョーカー信者」だと思う
いわゆる「無敵の人」であり、上流階級に一矢報いる時代の寵児。(劇中の人々にとって)
ジョーカーはこんな感じだろう。「ジョーカー信者」(我々観客)の人々も(ジョーカーの過去も知っているけど)それを求めているのだと思う。
しかし、今回の主人公は「アーサー」である。弱くて、障害を持っていて、才能も友人もない男が主人公だ。
そしてこの作品を通して感じることは、みんな「ジョーカー」ばかりに目が向いているということである。
ラストに刑務所のアーサーを殺した男も、ハーレーも、民衆も、「ジョーカー」を見にこの映画をみた人々も、みんな「アーサー」なんて見ようとしない。
勝手に祭り上げて、反逆のマスコットにして、自分達を肯定するジョーカーを信じ続けている。
別に貧しくなくても、悲しい過去がなくても、生まれが良くても、前作を見た普通の生まれの観客たちやハーレーは勝手にジョーカーを信仰している。アーサーの気も知らないで。
その挙げ句に「アーサー」=「ジョーカー」じゃないと分かればアーサーを見捨てる。いや、別の人格はまだジョーカーなんだろうとずっと聞いてくる。そりゃあアーサーは嫌になるだろうな。
多分、この映画に低評価をつけ、「こんなのジョーカーじゃない!」と怒っている方々に向けて、監督はこの映画を作ったんじゃないだろうか。まあ、本人たちに届いてないんだけどね。
だから、この映画は「JOKER」の続編ではなく、「JOKER」が受けた社会への補足みたいなものなんじゃないかなと考えております
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