マッドマックス フュリオサのレビュー・感想・評価
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期待を上回る面白さ、シリーズファンなら是非映画館で鑑賞すべし
前作の重要人物とはいえ当初は女性が主役のマッドマックスに違和感を感じ映画館で鑑賞するか少し迷いましたが、実際1度見てみると前作に劣らぬもしかしたら上回る程の出来で前作同様リピート鑑賞する面白さでした、今回アメリカをはじめ海外でコケてしまった理由は自分が当初感じたマッドマックスで女性が主役?という違和感による食わず嫌いだと思うのですがシリーズファンなら映画館で鑑賞しておかないと後悔すること必至、もう3作目が作られる可能性がほぼ消えてしまったのが残念でなりません。
要予習
黒澤明監督を継承する者
本作鑑賞中、まず思い浮んだのが、同じく最近観て記憶にも新しい旧作の数々——『用心棒』、ドル3部作(『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』)、そして『ソイレント・グリーン』だった。
多くの人が指摘するとおり、「対峙する2派を争わせる」「野良犬が手首(足首)をくわえてくる」「囚われた瀕死の主人公が姿をくらます」など、黒澤明監督の『用心棒』そのものだし、クロサワつながりだと“弾薬畑”の落下門は映画『乱』の城門を連想させる。
そもそも本作は、「《物語》をたどる醍醐味が存分に味わえる」点において、1960年代半ばまでの黒澤作品に相通ずるものをつよく感じさせる。
それにしても、魔改造カーアクション全開のバイオレンス作品を、クランクアップ時点(2022年)で御年77歳のジョージ・ミラー監督が撮ったんだと思うと、75歳で『乱』を撮った黒澤監督の枯れっぷりが改めて実感される。
このほか、「“ウォー・タンク”にバイク集団が襲いかかる」「丘を駆け上がり、敵を狙撃する」などのシーンでは、セルジオ・レオーネ監督の《ドル3部作》が思い浮かんだ。さらに「イモータン・ジョーの“子産み女”」や「ディメンタスお抱えの“ヒストリーマン(老賢者)”」は、リチャード・フライシャー監督の『ソイレント・グリーン』にでてきた「“家具”=囲われた若い女性」や「“本”=学識ある老人」を連想させる。
そんな他の旧作との結びつきだけにとどまらない。これもすでに言われていることだが、本作は前作『怒りのデス・ロード』から一転、神話的な作りを前面に押し出している。黒澤監督がシェイクスピアやドストエフスキーに範をとったように、本作では数々の神話や聖書、古典のエッセンスを随所に織り込んでいる(…といっても、ぼんやり見当がつく程度なのだけど)。
冒頭、禁断の果実に手をつけたことに端を発する、少女の「楽園追放」で始まり、ラストは、映画『ミッドサマー』の熊に埋め込まれた彼氏よろしく、果物の木の栄養分(?)になったのじゃ、とヒストリーマンの口伝で締めくくられる。この語り口がすでに一種の流離譚であり神話なのだが、劇中も各人のセリフをはじめ、母親の磔殺、壁いっぱいに模写された絵画「ヒュラスとニンフたち」…等々、神話や聖典などを仄めかす描写が散りばめられる。
なお先の絵画は英国ラファエル前派の代表作だが、その延長線上でいうと、休戦協定の取引条件でイモータン・ジョーに譲り渡される少女フュリオサの容姿や身なりは、ラファエル前派が好んで描いた絵画からそのまま抜け出してきたかのようだ(…イギリスにロケハンした『天空の城ラピュタ』のシータにもどこか似てるが)。
と、ここまでくると、同じアニャ・テイラー=ジョイの出演作で神話や伝説、英雄譚に材をとった『ノースマン 導かれし復讐者』を引き合いに出したくなる。がしかし、あちらは神話的叙事詩をリアルなアプローチで描いた重厚な作品。『フュリオサ』における戯画的なキャラ立ちやカーアクションに顕著なぶっ飛び感、狂騒はゼロだから、両作の印象はまるで違う。
最後に、議論をよんでいる「AI技術を用いた大幅補正」についてひとこと。
本作はフュリオサの少女から大人への移行にAIを導入、「35~80%の割合でアニャ・テイラー=ジョイと子役の顔を少しずつ混ぜていく」方法が採られたとのこと。そんなこととは露知らず、こんなに似た子をよく見つけてきたもんだねと感心しながら観ていた。
AIで主役の顔を大幅修正した作品としては、近年『インディ・ジョーンズと運命のダイアル』(2023)や『アイリッシュマン』(2019)などが注目を集めたが、「当人を若返らせた顔を作る」「本人とスタントマンの顔を差し替える」など、鑑賞中はともかく後で考えたら「そりゃそうだよね」と勘づくものが大半だった。
しかし、本作のケースはおそらく言われなきゃ気づかない。また複数人の顔を混ぜたり、笑顔を泣き顔に変えるなど、実写撮影を根底から覆すような事態も今後予測できる。ギャラなど俳優の労働条件にも関わるだろう。なにより作り手の《倫理》が問われないと、この先わたしたち観客は安心して映画館の暗闇に身をまかせられないよ。
WITNESS !!!
前作で信者となった身としては本作の出来がどうであろうと観る前から★5は決まっている。半年前に配信され始めた英語版トレーラーに涙して以来、待ちわびた5月末の公開日…と言いつつ、多忙で初日から7日後にIMAXで鑑賞。相当ハードルを上げて臨んだ感想は、でも、信者ながら、正直、うーん、なんか違う…。前日譚という性質上しかたないけど、全体に説明的・辻褄合わせ的で、2時間半の尺でダレるとこもあるし、クライマックスに向けて回転が上がっていく感じがなく…。
とまあ、思ったことはいろいろあった。あったのだが、9年前に初見で衝撃を受け、その後劇場へ4回足を運び、極爆にも行き、DVDやサントラも購入した前作が自分にとってパーペキ(注・パーフェクトに完璧、死語)な作品である以上、同じ世界観のなかにある今作でそれを超越するものは存在しえないのだとも観終わって気づいた。制作側もそれはわかっていることなのだろう。
そんなわけで過剰な期待そのものが間違っていたと考え直し(信者なので)、素直な気持ちで1週間後に2回目を鑑賞したところ、ウォー・タンクを囲んでの戦闘シーンはアクションとして出色だし、ディメンタスはじめ新キャラにも味わいがあるし、スッキリ終わらせてはくれない復讐劇の神話的ラストやクドいと感じたエンドロールも含め、怒りのデスロードのスピンオフ作品としては十二分な出来ではないか、と考えが改まった(信者だし)。
特にボミー・ノッカー発動後にタンク後方で吹き流しがたなびくアホらしい画作りや、ぐぐぐと表情に近づくカメラワークなどマッドマックスの十八番が観られ、準決勝敗退の甲子園球児っぽくもある坊主頭で額タールのアニャもまた愛しで、やはり今作は★5で正解。時間があったら重ねて観てしまうかも(信者ならでは)。
崇高でさえあるエンターテイメントの極み
思いのほかストーリーがあった
クリス・ヘムズワースって
狂気の世界に咲いた花
前作(怒りのデス・ロード)と変わらずの世紀末っぷり。ただ前作ほどのむさ苦しさがなくて見やすかった。フュリオサは狂気の世界にあって一種の清涼剤のような存在で、彼女自身も望郷と復讐に取りつかれているけど、彼女がいるだけで絵がきれいに見える。イモータン・ジョーやその息子たち、ウォー・ボーイズまでキャラの濃さが薄まるから面白い。
敵であるディメンタス将軍がいい味出してた。賢人から知識を得たり、領地を奪う度に何か作戦を立てたりと、筋骨隆々な見た目に反しただの脳筋でないのがよかった。
惜しいのは最後の決着のつけ方。血と硝煙にまみれた世界なのに派手なアクションもなく、追いかけまわして決着がついたのには拍子抜けしてしまった。
ここでこんな事言っちゃダメだけどさ
マッド IMAX
面白いこと全部のせ!
本気のハリウッド
アクションすごいね。走って、跳んで。身体をつかったアクションなんだよね。キレがある。作中の厳しい時代を生き抜くには、これぐらいの生命力がないとだなと思うの。
出てくる人たちが欲望を前面に出してて良いね。貧すれば鈍するで鈍しきった世界なんだけど、そこで生身でぶつかってる感がいいの。
そんな中にも、時に崇高な感情はあるんだよね。そこもいい。
エピソードはどれもこれも壮絶だね。「一歩間違えたら死ぬ」の連発だけど、間違えなくても死ぬ時代なんだろうな。
そしてそれをアニャ様がやり切る。アニャ様、身体能力も高いね。
アクションは金かかってるなという感じで観てて楽しいね。
そうしたエンタメ要素の高さを保ちながら、深い話も入れてくるの。
ハリウッドは本気でつくるとまだ健在だね。
ただのスピンオフではない
アメリカでの興行成績は今ひとつ。これは恐らく暴君ディメンタス将軍、支配者イモータン・ジョーというふたつの悪の組織の間でフュリオサが立ち回るという展開が、アメリカ人好みの勧善懲悪の展開に欠けるからでしょうか。
言ってみればフュリオサ自身も復讐に燃える女という役どころ。善なき世界の飽くなきバトル。これはこれで面白いのだが。
フュリオサがいかにして片腕を無くしたのか、故郷を目指す理由とは、何故イモータン・ジョー率いる要塞の大隊長になったのかが見所である。
見る前に「怒りのデス・ロード」を視聴し「フュリオサ」を観賞。このあと再び「怒りのデス・ロード」を視聴することで、その繋がりがよりいっそう楽しめる。
フュリオサ役がシャーリズ・セロンからアニヤ・テイラー=ジョイに変っているが悪くない。むしろ幼少期から描いているのでその成長と合わせ違和感なく没入する。
監督が1979年の「マッドマックス」から一貫してジョージ・ミラーが手がけているのも嬉しい。あの復讐に燃えるマックスが時を経てフュリオサに投影される。ちょっと痺れます。
改めて過去3部作を見直してみよう。そしてデス・ロードのその先も早く見たい。
マッドマックスの面白さを初めて知りました
ひさびさにIMAXにて鑑賞。
やっぱIMAXですよ。
画面でかいし映像も明るくてむっちゃキレイ。観る前から期待で胸が膨らみます。
私マッドマックス観たことないんですけど。
全然楽しめました。
(今作品鑑賞後「マッドマックス 怒りのデス·ロード」鑑賞)
捕らわれた幼いフュリオサを救うべく追ってきた母は、フュリオサの目の前で殺されてしまう。
母を殺したディメンタスに捕らわれたり、イモータの妻候補で捕らわれたり、何度も捕らわれて危うくなるがそのたびにヒヤヒヤする。が、その度に姿を変えて成りすましたり起死回生を繰り返す。ものすごい執念を感じる。決して不死身ではないが、復讐を終えるまでは死ねないのだ。
今回 私の大好きなThorが、こんな悪役に扮するとは。付け鼻ってこんなに印象かわるのですね。
残虐極まりなく憎らしくて許せないが、どこか憎めないディメンタス。なかなかハマり役に思いました。
ちゃんと、終わりがデス·ロードに繋がってて、あとから観たにもかかわらずデス·ロードもしっかり楽しめました。
個人的には警護隊長とフュリオサが安住の地に行き着いて欲しかった。
マアアド
マックスだもんね。
最狂に表現された特濃の映画になるのは間違いない。
その最狂特濃に体力を消耗し序盤寝落ちしたため
意識を取り戻した、フュリオサVSディスタンスへの
流れはさっぱりで、本作の印象は
ディスタンス対決からクライマックスに全て落ち着く
有様である◎
人類はバイキングとサクソンの争いに始まり
荒れ果てた地でも争う歴史を繰り返している
生き物らしいが😺コーカソイドの歴史以外も含めれば
500年も続く奪い合いの春秋や神話の世界でも
争いを記録してきたのが人類なのだから
もうそうそう変わらない。と言うことだと
断言されたようで、哀しくなり
ディスタンスの最後のあり方について触れたところなどは哲学的に拍手を送りたい内容だった。
と言うわけで、アクションSFといえども
スターウォーズはじめ思想的に楽しめる作品は
過去作含め長い歴史を持つもんだねぇ。
と感心して視聴したよ:)
コミカル要素が憎悪を萎えさせる
超面白かった「怒りのデス・ロード」の前日譚で女性軍団を率いていたフュリオサの少女期からを描くスピンオフ的作品なのだが後半できっちり「怒りのデス・ロード」につながっていて名画座で2本立てならもちろんこっちが先。悪役のディメンタス(クリス・ヘムズワース)がすごく良くてというか良すぎてもとは巨悪に立ち向かうバイク軍団のちょっと民主的なリーダーであったろうことがうかがわれテディベアを愛するユーモア満載のクソ野郎キャラなのでいくらフュリオサが怒りのエンジンをかき鳴らしてもこっち(観客)にはあまり響いてこないのが困ったものである意味ミスキャスティング。テーマはずばり復讐なのだ。古今東西の戦争の歴史を振り返りやってはやられの人間の性を諦念していて近年の映画ではタブー視されていた復讐全肯定映画である。それにしてもメカニカルな義手でディメンタスに立ち向かうフュリオサを見るにつけ想起するのは「狂い咲きサンダーロード」山田辰夫なのだアーメン。
なぜ左腕喪失の直接描写がない?
子役の女の子がいい。
ついつい、レオンのナタリー・ポートマンを思い出してしまう。
フュリオサの母親は馬に跨り、バイクに跨り、ありえないほどのスナイパーライフルの使い手。カッコいい。
母親譲りのスナイパーのフュリオサもありえんぐらいの腕前。
喋れない設定のセリフが殆どないフュリオサ役のアニヤーテイラージョイ。
このシリーズはアメリカ大陸に無尽蔵に残さている石油をバックに、アジアの豊穣な水資源に対する憧れやかつてのモーター王国アメリカをどうしても捨てきれない哀れな印象をどうしても感じてしまう。
アメリカの映画産業の巨大化の弊害もあるのだろう。
悪者インディアン映画を彷彿とさせる未来にあわないワンパターンな攻防シーンはもう飽きた。
フュリオサの左腕前腕がなくなったシーンの直接描写がないのは肩透かしだった。左腕に刻まれたユートピアヘの地図を目当てにディメンタスやイモータン・ジョーや恋人ジャックの裏切りを含めたバトルが繰り返される展開かと思ったら違った。
蛆虫はいらん💢
テディベアぶら下げてるアホなディメンタス役のヘムズワースよりジャック役のトム·バーグのほうがいい。
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