「ぶち上がりはしない」マッドマックス フュリオサ 映画読みさんの映画レビュー(感想・評価)
ぶち上がりはしない
怒りのデスロードはほぼ満点つける人間の感想。
<総評>
怒りのデスロードで活躍したフュリオサの、デスロードまでの来歴を描くゼロエピソード。
イモータン・ジョーとディメンタス、二大ならず者頭領の抗争を描き、
それに凄惨に振り回される幼フュリオサ~成人フュリオサの復讐を描く。
うーん。内容が暗い、重たい。
マッドマックスの世界観を女性視点でちゃんとやるとこうなるのはわかる。
すごく真摯に、ちゃんとやっている。
そのおかげで、怒りのデスロードのエンタメ感は失われている。
馬鹿な男同士が馬鹿馬鹿しく戦うから快作だった側面があったのだと思う。
本作では、男たちですら崩壊後の世界の諦念と虚脱を深掘りしている。
それも「ちゃんとやると」そうだろうけど…
このシリーズにはちゃんとやってほしくなかった感はある。
映画.comの告知では「ブチ上がる」と書いてあったがまったくそうは思わない。
映画でしっかり人文読みたい人向けの、ヒューマン懊悩系の作品に思えた。
ちゃんとやった故に凄惨なシーンも多いので(馬鹿馬鹿しく派手に死ぬ、とかではない。容赦なくエグい感じの)、デートムービーには絶対におすすめしない。
<脚本的な指摘>
●敵ボスの格の低さ
イモータン・ジョー配下の女幹部フュリオサがそこに至るまで、という話なので、前作を知る人間にはイモータン・ジョーの勝利は見えている。ディメンタスもその軍団も前作(時系列的には後の話)に欠片も出てないからだ。
ディメンタスはフュリオサの母を殺したボスだが、率いている「地獄のバイク軍団」がすでに見栄えとして弱い。イモータン・ジョーたちはご存じウォー・タンクを筆頭とする地獄のクソデカ改造車軍団だからだ。さすがに視覚的に差がありすぎて、露骨に格が釣り合っていない。
そして現実でのバイクの欠点そのままに、地獄のバイク軍団は物資の輸送能力や航続距離がない。よって、荒廃した世界で物資の都市間輸送を行うことができず、隊商の略奪やすでにある都市への襲撃・制圧・略奪でしか自分たちの生活を支えていけない。イモータン・ジョーは砦とガスタウンと弾薬村を車による物資輸送で連携させていたが、ディメンタスたちは一拠点を制圧してもその流れに加われずにおねだりするだけなのだ。作戦や思想がどうしても行き当たりばったりになり、やはり支配者であるジョーに最初から最後まで格で及べていない。
ディメンタスを資質と実力の両面からジョーになれなかった敗北者として描くのは意図的だろうが、鑑賞者としての期待値の低さに付き合わされるのは別問題。
結果、最後のバイク軍団vsジョー軍団の戦いもダイジェストで、気がついたらあっさりバイク軍団は壊滅している…という所までちゃんとやってしまった。無論、それがテーマでないゆえにダイジェスト化できる、ちゃんとやるとそうなるのはわかるが、エンタメとしてはどうだろうかと思った。
●脚本の強引さ
・冒頭
母の意志(遺志)もわかっている幼フュリオサが、戻ってしまい全てが台無しになる所はガッカリだった。あの行動に説明をつけるとしたら「まだ子供だったから」だろうか。
あの凄惨な世界で、豊穣の地の発見者たちを帰さないために積極果敢に工作を仕掛け、捕まっても恐ろしい男たち相手に口も割らなかったフュリオサが、「まだ子供だったから」戻ってしまうのはヒーロー性の欠如と脚本都合の両方を感じた。
このドえらく大変な世界で、この強く高潔な母の薫陶を受けて育った娘が、令和の日本人児童よりも甘いのではないかという行動をここ一番で発揮するのは、最も初速を重視する冒頭にあってはならない落胆ポイントである。もしこれが「仕方ない」と許せるまたは共感ポイントとして組み込まれているのなら、アメリカは子供は日本よりも子供としていられて、日本よりも圧倒的に豊かなのかもなと思った。
母親もディメンタスの軍団を「自分たちの豊かな地を見つけたから」という理由でばっさばっさ殺して回っているので、捕まればディメンタスたちから嬲られて殺されるのはまあ仕方が無い。とはいえ、この強引に感じる徒労的な運びからシーンとして見せられるのは嫌だった。冒頭からブチ上がるどころかブチ下がった。
・ラスト間際
フュリオサは敗残の兵となったディメンタスを残党狩りする形で復讐を果たすので、真の決戦はその前の弾薬村での遭遇戦となるが、ここではフュリオサ&ジャックは大善戦するも敗北という結果に終わっている。この後、隙をついてフュリオサは脱出し行き倒れて気がつくと砦に戻っており、ここから最後のシークエンスとなるが、この砦に戻れた流れはさすがに強引。こういう執念とラッキーでチャンスが巡ってきて復讐を果たせるわけだが、意志と絆ある大善戦でも勝てなかったディメンタスが次に出会うときはすでに狩られる落ち武者状態というのは、マッド世界の力学なら必然とはいえど、やはりエンタメとしてはどうなのかと思う。
△幼フュリオサのかわいさで持ってる
幼フュリオサはそれはもうかわいい。美形で名演であると思う。この子ひとりで画面が持つ。しかし、序盤はこの子のかわいさにがっつり依存して展開を持たせており、美少女の美少女性に支えてもらなわいといけないマッドマックスとはどうなんだ、はある。もし不美人だったならこの物語は成立していただろうか? 他の作品ならともかく、前作ならば「美醜なんか関係なく余裕で成立してるよ」と言い切れたものが、そうだろうか? という域になっているのは賛否両論が持ち上がる点だろう。
以上。
かなり胸糞展開・胸糞シーンがあると感じたので、観に行く時は心に余裕があるときに、一人で行くのがいいかもと思う。
よほどシリーズのファンでない限りは、怒りのデスロードをリピートした方がいいように感じた。前作があの快作感で、次作で終始重くやられてもやや困惑、という具合でした。