「黒きワルキューレの騎行。 …このお話って本当に必要だったの?」マッドマックス フュリオサ たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
黒きワルキューレの騎行。 …このお話って本当に必要だったの?
核戦争により荒廃した世界を舞台に繰り広げられる、暴力と混沌のディストピア・カーアクション映画『マッドマックス』シリーズの第5作にして、第4作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)に登場するキャラクター、怒れる女大隊長フュリオサの若き頃を描いたスピンオフ作品。
崩壊した世界に残された肥沃な「緑の地」で暮らしていた少女フュリオサは、狂気的な野心家ディメンタスが率いる野蛮なバイカー集団に誘拐されてしまう。母メリーは単身フュリオサの救出に向かうのだが…。
監督/脚本/製作…ジョージ・ミラー。
若きフュリオサ大隊長を演じるのは『スプリット』シリーズや『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』のアニャ・テイラー=ジョイ。
バイカー集団を束ねる恐怖の支配者、ディメンタスを演じるのは「MCU」シリーズや『キャビン』のクリス・ヘムズワース,AM。
歴史的大傑作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』から9年。ついにジョージ・ミラーのマッドな世界が戻ってきた!9年というとかなりの年月だが、『マッドマックス/サンダードーム』(1985)から『デス・ロード』までに30年のブランクがある事を考えると短く感じてしまうから不思議。
冒頭、じゃりン子フュリオサが登場した時には「すわサンダードームの再来か!?」と身構えてしまったが、ちゃんとハードでマッドなディストピア映画になっていてそこは一安心。
セリフではなくビジュアルで物語る、寡黙でありながら雄弁なジョージ・ミラー節は本作でも健在。服装や乗り物によりそのキャラクターがどのような人物であるのかを表すその語り口はまさに匠の技である。
フュリオサのセリフは映画全体を通して20〜30個ほどしかない。サイレント映画と見紛うほど寡黙なキャラクターが主人公なのだが、その物語性は全く失われていない。これは目線や仕草などを含むすべての身体表現がそのままストーリーテリングとして活きているからであり、ノンバーバルな表現手法が生み出す言語を超えた力強さがこの映画には満ちているように思う。
そんな寡黙な主人公フュリオサを演じたのはシャーリーズ・セロン…ではなく人気急上昇中の若手女優アニャ・テイラー=ジョイ。
セロン様からアニャにキャスティングが変更されたというニュースを聞いて不安になったのは自分だけではないはず。この2人全然タイプが違うじゃん!!だが、結果としてこの心配は杞憂に終わった。アニャ・テイラー=ジョイ見事なり!!
彼女の異常なまでに大きなお目目から繰り出されるバキバキに決まった眼光は、フュリオサの内に燃える激しい怒りを完璧に表現。セロンの持つ圧倒的な強者感はないものの、若きフュリオサとしてはこれ以上ないほどハマっているキャスティングではないでしょうか。
鮮烈なデビューを果たしたアニャオサだが、実は前半1時間くらいは出番なし。前半パートの主人公はアリーラ・ブラウンという子役が演じるロリオサである。
このアリーラ・ブラウンちゃん、もしかしたら将来的にかなりBIGになるかも!!『タクシー・ドライバー』(1976)のジョディ・フォスターや『レオン』のナタリー・ポートマンを彷彿とさせるような存在感を放っており、彼女の気迫から目を離すことが出来なかった。
なによりこのアリーラちゃん、アニャにそっくり!正直どのタイミングでアリーラからアニャに役者がチェンジしたのかまるでわからなかった💦
その自然な交代ぶりがちょっとばかし気になったので調べてみると、なんとなんとの驚愕の事実が発覚。AI生成技術を用い、物語の進行に合わせてアリーラの顔をアニャの顔にだんだんと近づけていたのです!だからこれほどまでに似ていたのか!そう言われなければ気が付かないほど自然なAI合成。技術の進歩スゲー!そしてコエー…。
本作を語る上でやはり外せないのは、凶暴なバイカー集団を束ねる長、マイティ・ソー…じゃなくてディメンタス。粗野とバカと下劣の権化であるゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーーーーッ!!な、シリーズ屈指の憎まれ役である。クマちゃんのぬいぐるみを常に携えているなんて、ジャイロ・ツェペリかおのれは。
このディメンタスを演じるのはみんな大好きクリス・ヘムズワース。スーパーヒーロー俳優として名を馳せた彼が、持ち役とそっくりな見た目でありながらそれとは正反対の卑劣漢を嬉々として演じています。
近年のインタビューで、マイティ・ソーを演じた事への後悔と不満をたびたび口にしているクリヘム。スーパーマンを演じたジョージ・リーヴスも苦しんだように、やはりスーパーヒーローを演じてしまうとそのイメージが定着しすぎてしまい、今後のキャリアの幅を狭めてしまうのだろう。しかもクリヘムの場合はソーがあまりにもハマり役だったから、その苦しさは他のスーパーヒーロー俳優よりも一層強い事だろう。
陽気な優等生というパブリック・イメージを脱ぎ捨てるため努力を積み重ねるクリヘム。Netflixの『スパイダーヘッド』(2022)という作品では悪役を演じており、狂気的な天才科学者という彼のイメージとは全く異なる役柄に挑戦している。まぁこの映画は作品自体がショボショボだった上、クリヘム渾身の天才演技も完全に滑っており、すでに彼のキャリアの黒歴史と化しているわけだが…。
そんな彼がついに掴んだ新境地が今回のディメンタス。想像力の欠如からくる凶暴性と凝り固まったマチズモに起因する野心。定着したパブリック・イメージを完全に逆手に取る、マイティ・ソーの鏡像のようなキャラクターを見事に演じ切った。
ソーの再演に難色を示すクリヘムだが、ジョージ・ミラー監督はクリヘムとの再タッグを望んでいるのだとか。『マイティ・ソー』の新作をジョージ・ミラーが監督する、なんていう未来が待っていたりして?
とにかく画面上の情報量が多い作品であり、正直一回観ただけでは上手く消化しきれない。もう一度観に行ってもいいかもー、なんて思えるほどにはしっかりした映画だったのだが…。
正直言うと期待ハズレ🌀
確かに本作は凡百のアクション映画とは一線を画す重厚な作品だが、なんと言っても前作があの『デス・ロード』でしょう?史上最強レベルの超傑作の後に、普通に良い映画をお出しされても「あの…思ってたんと違うんですけど」となってしまうのは必然というもの。9年ぶりの新作ということもあり、期待値がMAXまで高まっているところへの今作だったので、ちょっとガッカリしてしまったというのが本音。
というか、そもそもですね…。本作を全否定しているという風にも取られかねないというのは重々承知の上で言いますが、フュリオサの過去とかぜんっぜん興味ないんですよね😅
もちろんフュリオサは大好きなキャラだし、彼女の身の上や失った左腕のことは気になる。でも、それは観客一人一人が自分の頭の中で補完すれば良いだけのこと。
なぜフュリオサがああまでしてワイブズを救おうとしていたのか、なぜあれだけの美女でありながら妻ではなく戦士としてイモータン・ジョーに仕えているのか、なぜイモータン・ジョーを討ち取る際に「私を覚えているか?」と言い放ったのか。そう言ったヒントを一つ一つ拾い上げ、自分なりのフュリオサ像を作り出すからこそ味があるのであって、「実はこういう過去があったんです」とオフィシャルな設定を提示されてしまうと、キャラクターの自由度が失われて魅力が薄らいでしまう。本シリーズに限ったことではないが、時系列の隙間を埋めりゃ良いってもんじゃないから!観客が想像出来る余地を残しておいてくれ。
前作と今作では物語の語り方が大きく違う。
前作は見せ場のみを繋いで物語を構築するという超変化球。映画というよりはむしろ爆音ロックンロールのライヴに参加しているといった感じ。さすがAC/DCを産んだお国。馬力が違います😊
一方今作は、原題が『Furiosa: A Mad Max Saga』であることからも分かるように「Saga」(神話的英雄譚)であり、フュリオサという偉人の伝説を物語るというスタンスをとっている。注目したいのは本作がサーガであるというまさにこの部分。この映画で描かれているのは、例えばイエス・キリストの半生であるとか、源義経=チンギス・ハーン説とか、そう言った眉唾物の伝説と同じようなもの。かつて存在していた女傑フュリオサの神話を後世の人間が語っている、というような建て付けであり、描かれている事の全てが真実ではない。
フュリオサに関して性的描写が一切ないことも、聖母伝説にはつきものである処女性の表れであると看做すのが自然だろう。あんな男だらけのところに美女が1人迷い込んだら、普通なら『エイリアン3』(1992)みたいに「やべーぞレイプだ‼︎」案件になっちゃいますもんね。
”物語ること”それ自体を物語にしてしまっているという、本作も前作とはまるで違うベクトルではあるものの超変化球であることには変わりはない。巨匠ジョージ・ミラー、普通の映画には興味がないし同じような映画を2度は作らぬ!…という事なのだろうが、観たかったのはロックンロールライヴなのよねー。
ハードロックバンドだと思って観に行ったらプログレが始まったみたいなガッカリ感。まぁそれが好きな人も居るんだろうけど、そこは相性っすかね。
相変わらずのマッドな世界観は健在なのだが、148分という長尺は頂けない。タイトな時間でピリッと締めるというのが『マッドマックス』シリーズの美点だった。短いからこそこの狂った世界に興奮出来たのだが、それが2時間30分も続いてしまうと流石にちょっと見飽きてしまう。この緩い時間感覚、やはりジョージ・ミラーも老いたという事なのだろうか。
首を傾げたのはフュリオサのメンターであり恋人、ジャック。この人ものすごくマックスっぽいんですよね。オルタナティブ・マックス。
「今回はマックスが主人公ではありません!フュリオサです!」と宣言しておきながら、なぜマックスもどきを登場させる必要があったのか。そんなキャラを出すくらいならマックス主役の『マッドマックス5』を制作すれば良いじゃん。
しかもこのキャラ、出てくる意味があったのかなかったのかよくわからん薄味さ。命を落とすシーンも曖昧で、「ん?あれであのマックスもどき死んだの?」なんて思ってしまった。「40日間戦争」をオミットするなど、本作は普通なら盛り上がりのピークに達するような場面をあえて描かないようにしている印象を受けた。その事についてはミラー監督なりの考えがあるのだろうが、大した盛り上がりもなく退場させるようなキャラなら最初から出さなければ良いじゃん。ジャック関連のエピソードを省けば120分以内に収めることも出来たんじゃない?
前作とは全く違ったタイプの映画を作る。その事自体は良いと思うが、カーアクションにもキャラクターにも、前作を上回るインパクトはなかった。そこは大いに問題があると思う。期待しすぎたこちらも悪かったが、『RRR』(2022)とか『トップガン マーヴェリック』(2022)とか、近年ゲーム・チェンジャーとなるようなとんでもないアクション超傑作がいくつか生まれているわけで。そういった作品たちと比べるとアクション面でもストーリー面でも本作はあまりに地味。悪くはないのだが、”ガッカリ映画”というカテゴリーに入れざるを得ない。
元々は前田真宏さん(同郷の大先輩!)を監督に据えてアニメ映画にするつもりだったという話だが、確かにこれはアニメ向きの企画だったかもね。
※一部の頭リクタスが「ポリコレが〜」「フェミニズムが〜」と騒いでいるらしいが、ミラー監督は80年代から”女性の戦い”をテーマにした作品を作り続けてるから!せめて『イーストウィックの魔女たち』(1987)とか『ロレンツォのオイル/命の詩』(1992)、プロデュース作品『デッドカーム/戦慄の航海』(1989)、『囚われた女』(1989)くらいは観てから物申せつーのっ!!💢
なるほど、私もロックとともに青春を送りましたから、ピンクフロイド出てきたら、あーそれじゃない…😮💨ってなりますねwww
ピンクフロイドもすっごいんですが。わかりやすい例えのレベルが深過ぎますwww
コメントありがとうございます。
第一作の北斗ワールドとは言い切れない70年代?ぽい、ザラッとした雰囲気が楽しみです。警察がまだ居る所も面白いですねぇ。監督の他の作品も劇場でかかればいいのですが。
上限マックスだったんですか!😱どうりで気合いが伝わったわけです♪そんな作品、なかなか出会えないし、みなさんが想いを全部言語化できるわけじゃないから、やっぱりすごいです👍
共感ありがとうございます
マッドマックス愛炸裂ですね。
確かに古くからのマッドマックスに親しんだ身としては、ヒューマンだし、ドラマだしで、「そこまでやる?」っていう、ディストピアらしい容赦ないアクションがうりだったはずでもんね。