バービーのレビュー・感想・評価
全114件中、61~80件目を表示
アイロニカル
エブエブみたいだった。──というのもエブエブは派手な見た目だったが母娘の和解と“君は特別な存在なんだ”ということが描かれていて、バービーも派手な見た目だったが母娘の和解と“君は特別な存在なんだ”ということが描かれていた。──ような気がしたから。
白眉だと思ったのは母グロリア役のアメリカフェレーラが現世界のしがらみを演説するところ。
ケイトマッキノンが演じるやさぐれバービーのところで打倒ケンランドしようとするときバービーがわたしなんかぶさいくなのよと泣き言をぬかしはじめたので激励する場面だった。
グロリアは世の中何をやっても余計なことをいう奴がかならずいて出る杭は打たれてしまうのだ──という話を熱弁したのだった。
長い台詞だったので覚えていないがSNSにつくコメントとして考えると解りやすい。(たとえば)痩せているとふくよかなほうが健康的とかいわれる。太るとデブよばわりされる。儲けていると守銭奴だのがめついだの言われる。子育てしていると子育てアピール乙とか言われる。リーダーをやると上から目線だといわれる。きれいでいようとすると媚びだと言われる。何をやっても茶々を入れられる。なにをするにもバランスをとらないとできない。そういうがんじがらめな世界なので嵌まるようにじぶんを押し殺す。──というような話だった。
たとえば先般、畑違いのボディメイクコンテストに出場したとあるカーリング選手の外観の変化に対しネットで盛んにコメントがついた。そのほとんどが「元のぽちゃ体型のほうがすきでした」というものだったが、いやいやおまえの意見なんかきいてないし、他人様の向上心を摘むような発言は黙っとけよ。──という話。
バービーは姿形の理想値を人形で具現化することにより、ボディイメージによる差別を助長してきたといえる。そのことを自戒というか自虐ネタにしたセルフパロディが映画バービーというわけ。
ガーウィグとバームバックの夫婦チームが書いた脚本でアイロニーの切れ味はさすがだった。
フェミ映画だと言っている人がいたがフェミ映画ではなく多様性への応援歌になっていてバランスを保ちながら生きることを推奨している。
きみの個性も自己肯定感もわかったし気持ちの上ではそれで生きていい。だけどその個をモロ出しにしちゃうと社会との間に軋轢が生じるからスピードを緩めて2位くらいにしといたほうがいいぞ、と提案している。
Mr. Incredible(2004)のラストで“ダッシュ”が出ている運動会を家族で観戦しているシーンがあったでしょ。
で、ダッシュは速すぎるので父ちゃんのインクレディブルが「スピード出し過ぎんなよ」てな感じで応援しながらもセーブしろってややこしい声援を送るシーンあったでしょ。
あれがこの映画の縮尺。“みんなちがってみんないい”という理想郷標語があるけど、ほんとの標語は“みんなちがってみんないいけど工夫しないと自殺することになるぞ”だ。映画バービーが言っているのはそういう話だった。
IMDB7.4、RottenTomatoes88%と83%。
前述のごとくアイロニカルなのでにやける場面多数だが、にやけながらも意味を解ったうえでにやけているのではなく、なんとなくにやけていることを自覚していた。
とはいえこの映画のおもしろさはわかるしアメリカでウケてるのもわかるが、じぶんはノれなかったというのが正直な感想。
英語圏でバービーやケンと過ごしてきたという来歴がなければ映画バービーの真髄はわからないのではないか──と個人的には思った。
だいたい多様性を言うなら防空ずきんをかぶってもんぺをはいて竹槍をもった銃後バービーや特攻服に日の丸はちまきをした神風ケンがいてもいい。かれらがLAのビーチに上陸してほしがりませんかつまではとかばんざいとか絶叫しながらバービーやケンと白兵戦をやるというならいざしらず、およそ生活環境にバービーがある文化圏向けの映画という印象は否めなかった。
演技陣では人形的な演技に徹したせいでロビーにもゴズリングにも魅力を感じなかったが、マッキノンはバービー世界にもかかわらずマッキノンだったし、ガーウィグだろうがバームバックだろうがいつでもどこでもウィルフェレルはウィルフェレルだった。
まとめるが映画バービーが言いたいことはバービー以後に湧いたバービーわかる感を出してくるインフルエンサーに対して無理すんなというツッコミをいれないでやんわりと彼または彼女のバービーわかる感を認めてあげなさい──ということだ。ひるがえってバービーのテーゼとは他人様が出してくる我(が)や生き様にいちいち茶々入れんなということだ。
場違い
私以外は昔の少女たちばかり。
疎外感が半端なかった。
そもそもバービー自体には何の興味も思い入れもない。
娘たちもどちらかと言えばリカちゃん派だったような。
子供映画同様、まともにレビューしていいのか悩むところ。
だが、一応対象は大人のはずだし、
心が女と強引に主張すれば女子トイレにすら入れてしまうおかしな時代、
少女映画にじじいが場違いなコメントをしても許されてしかるべき?
全体的にストーリーはあってなきがごとし。
人間界に行ったときには現実の親子との絡みやカーチェイスもあってちょっと期待したが、
すぐにバービーランドに戻ってしまい幼稚な展開に。
バービーの発案者が登場してきっと感涙モノのことを言っているのだろうが、
じじいには全く入ってこず。
いつもはエンドロールの終わりまでみるのが礼儀だと思っているのだが、
耐えきれず途中で退席した。
苦しかった・・・・・。
吹き替えも良かった
1回目吹き替え、2回目字幕で鑑賞。
2回見て思った以上に吹き替えのテンポの良さからくる軽妙さ耳から入る情報量の差で吹き替え寧ろ悪くなかったぞ!となりました。ちなみに歌のシーンは字幕仕様です。
1度目はユーモアと皮肉、ライアン・ゴズリングのケンは彼しかありえないってハマりっぷり最高って気持ちと、人形の世界の再現度の高さ、そしてもちろんバービーの可愛いさとファッションのキラキラ感、おもちゃの世界の嘘くささを最大限生かしつつ安っぽくならない隙のないクオリティにやられて満足。
2度目は同じ要素を楽しみに行った筈が、自分の楽しむポイントに変化が起こっていてより味わい深く楽しめました。現実世界を初めて目にしたバービーが涙するシーンとかが泣けてきちゃって。
ほぼ同年代、同じ価値観、落ち込む人なんて居ない、みんな同じテンションでずーーーっとハッピーな世界との対比に、落ち込んだり怒ったり良い事以外も一緒に存在してる世界を見て良し悪しなんて関係なくただ違うものが同居している事に美しく感じるステップから入ったのは染みる。
物語の中で度々出てくる「バービーにも責任がある」「私は定番タイプのバービーだから」ってセリフの持ってるバービー側への痛烈な皮肉も2度見すると意味がハッキリとしてきて、「らしさ」の呪縛が色々なところに散りばめられているので探すのも面白いです。
お母さんが女性の大変さについて語るシーンは名台詞でサイッコウ!でしたけど、その女性が振り払いたいあるべき姿ってのを最大限に理想化したのがバービーランドのバービー達であり彼女らの輝きは男性を脇に置くことで発光しているのも面白くて、人形に込められた夢ってめちゃくちゃパーフェクトで貪欲じゃんて。
ラスト近くの「定番品だから出来る事が何もない」ってセリフもより感慨深く聞こえました。
唯一1人しか居ないって事実だけで、アイデンティティが確立されているアランが居心地悪そうなのも「同じ」という幻想と同調圧力の中での少数派の立場が出ていて良いキャラだよね。
これはほんと良い映画だと思う。
バービーの世界、人と人間は違うけど
永遠に歳を取らない、ハッピーなピンク色に囲まれた生活、暮らし、貴方はそんな生活を望むのかと聞かれたら大抵の人間の答えは分かりそうな気がする。
多分、イエス、はいと答えるだろう、でもこれって人生経験の差、現在の状況も関係していると思うのだ。
生活、全てに満足している人は永遠の幸福を約束しますと言われたらどう思うか、反対に今の状況に不安、満足していない人なら藁にも縋りたい気持ちになるかもしれない。
いつもと同じ生活、その繰り返しに不満を抱くこともなく生きているバービーに突然、異変が起きた、それは人間と繋がっているから。
映画の冒頭のシーンで少女達がバービーを見て驚いて(ショック)今まで自分達が可愛がっていた人形を捨てるシーンは一見、残酷に見えるけど、これは少女、女の子なら普通じゃないかと思ってしまうのだ。
自分の異変を改善、治すために人間界に行くのだけど、このとき恋人のケンも同行する、このとき色々なものを見て聞いて、驚いて何を感じたのか、男女の差もあるのかな。
ケンの変わりよう、元の世界に戻したいと考えるバービー、バービーを作った人間達の姿は真面目で真剣、時に滑稽に見えてしまうのは自分だけかなと思ったり。
バービーが出した答えと選択は全ての人間と人形が求めた答えではないと思う、ケンは残るし、他のバービー達は見送ることはするけど自分から外に出て行こうとはしない。
でも、それは今だけかもしれない。
ランドが永遠に幸せの姿を保って有り続けるという保証はないからだ。
バービーを作った人間も歳をとる、意識も変わるだろう。
人は歳をとり老いていく、人形は劣化し、壊れていく。
似ているようで違う、でも、永遠という言葉は二つの世界にはないのだ。
最期の別れ、老女とバービーは親子、母と娘みたいで、生まれてくる子は女の子かもと思ってしまったのです。
たくさんの女性の代弁者?
まずバービー役の人がすごく綺麗!
ダンスや衣装、歌にはいいと思うところがあるけれど少しくどく感じてしまう所もあり、、、
ストーリーとしては可も不可もなくって感じでした。女性には響くかも?って感じ。バービーを通して、娘との絆を取り戻すところやケンとの仲違い?も上手い所に収まったと思う。ただ、ファンタジー要素と現実的要素を交えながら進めてるから、訳か分からないことや理解できないとこもしばしば、、、
バービー(女性)もケン(男性)もアランも色々考えてるよ!悩んでるんだよってことで。
おバカ映画?ジェンダー映画?
まず、普通にコメディ映画としてだけ見ても十分面白いです。
ジェンダー映画として見ると、男女逆転している女性上位のバービー界での男の扱いや馬鹿な感じは耳に痛く良い感じでしたが、最後の最後まで男性は平等に扱われること無く終わった点にはモヤモヤしました。
あの世界の男性はマトモな人権や職業選択の自由も無かった頃の女性の暗喩のようなものであり、地位改善がされずに終ると現実世界以下のバービー界を肯定するような終わり方になるため、この映画の方向性が解らなくなります。
楽しくエンパワメントされます。
日本女児が主に遊んでいるのはリカちゃんジェニーちゃんなので、日本では映画「バービー」はまあそんなに爆発的には流行らないとは思います。
とはいえ、見たら絶対女の人には刺さると思うんだけどな。
きっとコメディ映画、女性のエンパワメント映画のスタンダードになると思います。
アメリカ・フェレーラが髪の毛きられたバービーの家でぶちまけた演説は、徹頭徹尾その通りで、この世界は女にとって災いに満ちています。
全然安全でも平和でも平等でも公正でもない。
でも人間として生きていることは老いることを含めて楽しく、面白い。
そんな気持ちになれて、とてもよかったです。
バービーは、老いの中に美というか意義を見出し、人間バーバラとなり、ラストは婦人科へ行くわけです。念願?の性器を手に入れてね。
よくできているコメディだと思います。ラブ要素はないです。
バービーランドは女の子のための世界だから、男は添え物であり、一員とみなされていません。
というのは、現実世界の逆転ですよね。
よしながふみの大奥と似たようなパラレルワールドと理解しました。
そのバービーランドでないがしろにされるケンたちは、現実世界における女性のメタファーでもあります。
なのでケンはバービーランドで不満なわけです。その状態で、現実社会じゃ男が実権を握っていることに、おかしな感化をされてしまって、バービーランドをケンダムに変えてしまおうとのクーデターを起こす。
なんで馬やねんというツッコミとともに、風刺が効いているなと思いました。
このクーデターは、女性を支配した後は、男性同士で覇権を争い合うという、有害な男性性(トキシックマスキュリニティ)をバービーたちが利用して、阻止します。
で、ケンたちを軽んじてきたことをバービーは謝罪しました。
多分これからはケンたちの権利?を含めたバービーランドを運営していくんでしょう。
ただケンの社会における居場所のなさを"K"enoughだけで終わらせるのは、現実の女としては納得いかないなぁと思いました。続編があるとしたら、ここが掘り下げる部分になるのかな?
ある意味では、ケンの映画とも言えると思います。
バービーが飛ぶのは、人形で遊ぶ子供がハウスから出すときそうするからで、バービーランドは実際のおもちゃにないものは存在しないようです。
だからシャワーも飲み物も実態はない。トーストはあるけど多分プラスチックなんだよね。
ケンたちのシュールなミュージカルシークエンスも面白かったし、現実のJCあたりにボロカスゆわれてショックを受けるくだりも面白いし、その意見は的を射ているし、リアルワールドの履物は、ビルケンシュトックであるあたり、私の実生活と重なってるし。
もともとレディバード、ストーリーオブマイライフで、ガーヴィグには信頼を置いているしで、私は本当に満足でした。
ブリジャートンでペネロペ・フェザリントン役をしている、ニコラ・コークランがバービーの一人として出演していたのですが、ほぼワンシーンのみの出演でした。
デュア・リパより出番少なかったです。
ケン・ゴスリングと、ケン・”シャンチー”・リウも面白かったです。
ネットミームの件は悲しいですが、他国の悲しみに理解が薄いのはどこの国でもあることなので、人の振り見て我が振り直せでいいんじゃないかな。
以下は、わたくしとバービー的なもののおもいで。
私もかつてジェニーちゃんを持っていて、ジェニーちゃんの髪の毛に母の整髪料を塗ったくって(除毛ムースだったこともある…怒られた)、腰まである髪を背中の真ん中くらいにカットしたりした。
多分小2のクリスマスプレゼントとして貰ったのがジェニーちゃんだったと思う。
一般的に子供が喜ぶプレゼントが来ない家だったので、数少ない一般的なプレゼントがとてもうれしかったことを覚えてます。
青いラメドレスのジェニーちゃん。パンツはいつぞやなくしてしまって、性器のない股をさらされたかわいそうなジェニーちゃん…。
私が興味を失った後、確か13歳下の妹が受け継いでいたっぽい。
それまでは隣家の幼馴染がいっぱい持ってるリカちゃんやその妹やティモテを貸してもらって、リカちゃんハウスで遊ばせてもらい、お化粧させて(サインペンみたいのでリカちゃんたちの口紅やアイシャドウを塗る玩具がありましてん)もらってて、、、
てゆうのを、冒頭の「ツァラトゥストラかく語りき」を使った2001年宇宙の旅のパロディを観ながら思い出していました。
モヤモヤが残る作品だった
これ、バービーでフェミニズムというテーマ扱うって
なかなか難しい事だったと思う。
バービーランドでは女性が主権を握っているけど
リアルワールド行くと逆で……って
物凄い恐ろしい事実を突きつけられた感があって、
そしてそれをバービーが掘り下げて終結させるんだけど、
バービーランドは元の様に女性に主権が移ったにも関わらず、バービーは人間になりたい!ってよく分からない。
バービーがリアルワールドに行って受ける視線とか
不安感、羞恥心はかなり生々しくて、
あれ誇張も肥大化もしてないからね!?とは声を出して言いたい…。
バービーランドは、殆どバービーとケンで出来ているので、どうしてもこのテーマをやろうとすると、バービー&ケンの構図になり、男女二元論という構造の元でしか話が進んでいかない。ケン(男)が上だ、バービー(女)が上だって話。アランの活躍も半端な感じで中々モヤっとした。
"フェミニズムの波に打ちひしがれている男を慰める映画"に見えてしまう面があったのよな…。
ルッキズム的な部分をもっと突っ込んでも良かったのでは?と思う。(実際いま市場にどんなバービーが出回っているのかは知らんが…)
後半のケンダムシーンはマジで執拗に感じたし、
何だったのあれほんと……。
なんかケンチームの印象ばっかり残ってて、
バービーチームってあんまり掘り下げられてない印象。
職業や受賞歴ばかりが取り上げられて、
内側の個性が伝わってこなかったよ……。
そもそもバービーに内面は無いって話かもだけど
ケン側って意外とそういう部分が見えたりしたんだよな。
というか、色んな個性溢れるバービー見るために
「バービー」観に来たんたよ!って感じ。もっと見せて。
でも現実社会では、バービーが美しいと褒めあったり、
多様性のある各々の魅力を認め合ったりする余裕すらなくて、
バックラッシュの波が来ているんだから有害な男性性を
どうにかしないと!ってことなんですかね。
個人の魅力に目を向けてる場合ではない、
脅威はもうすぐそこまで来ているってことなのか。
やっぱり、人間社会の構図が変わっていないから
いくらバービーランドで覆しても……ってなってしまう。
ケイト・マッキンノンも、外れものだけど許してやるか、みたいな感じでランドに加わってたのも何だかな、だったし。頑張ろう人間ってことか。
あの母娘の存在は素晴らしかったのだけど、
結局すべてが説明的で、お勉強会みたいになってしまっていて辛かった…。もう少しストーリーに絡めて見せることも出来たんじゃ無いだろうか…。
とはいえ、現代社会で生きる女性を取り巻く複雑な障壁を
多角的に描いていて、様々な角度から議論できそう。
それでも、アメリカ・フェレーラ起用してるのとか
「アグリーベティ」観てた人々にはぶっ刺さるだろうし、
「セックスエデュケーション」や「フリーバッグ」のキャスト、エメラルド・フェネルやらとか出てきた辺りは良かった。
鑑賞前までは2020年代の「オズの魔法使」になるかもしれない!と意気込んでたんだけど、そうはならなかったですな……。
グレタ・ガーヴィグって映画すきなんだろうか、と
ふと疑問に思ったりもしてしまった。
これまでの3作品含め、肌に合わない感じがしている。
『ウーマン・トーキング』を引き合いに出さずにいられないのだけど、やっぱりあの映画ってだいぶ先を行ってたっていう扱いになってしまうのかな。アケルマンの様に、何十年後に掘り返されて、進んでる映画だったなんて言われてしまうのだろうか…。
マテル社公認
バービーは女性至上主義。
バービーランドは毎日楽しく生活してパーティーを開催。ある日、異変が起きて人間界へ出向く。
ボーイフレンドのケンと。
人間界ではバービーランドとのギャップを肌で感じる。ケンは男性社会は素晴らしいと触発され、逸早くバービーランドに帰り、男性社会に変えてしまう。その前に仕事はビーチをみてるだけの人だったから、急に変わり過ぎ。
ピンク色は正義の象徴を振りかざし、家も車も小物もピンク。可愛いいし、贅沢に造っている。
マーゴット・ロビーも楽しそう。
オープニングの赤ちゃん人形の破壊は、そこまでしなくても、おもちゃ箱の端に置いても良いのでは。そりゃ、画像にキノコ雲を付ける配慮のなさ………。
最後は元通りになったけど、脳内はピンク。
せめて半分位のバランスでも良いかと。
ジェンダー的問題をアピールしたかった感じ。
子供向けではなく、大人向けな作品でした。
バービーの彼方へ!!
冒頭のシーンが強烈。たのしく人形でままごと遊びをしているように女の子たち。幸せそうには見えないが子どもにしてもう世の中こんなもんで、感じ。そこに唐突に現れた新タイプのバービー人形。屹立するバービーに旧タイプあてがわれた人形を激しくバイオレントに破壊する女の子たち。バービーの破壊力。
バービーランドではみな名前がバービーで、誰も私が私がとマウント取ったり自己主張したりしないけどみんな普通名詞バービーをみんなが固有名詞としてつかい、それぞれのバービーぶりを楽しんでいる。そこには、日本の新聞にうっかりいつものってしまうようなスーツ姿の男だけのシーンもないし、今時は新しい生活新しいテクノロジーなど気取っても、なかなかどうして、スーツではないがポロシャツにチノパンのおっさんたちが出てきちゃうの。とにかくそんなものとは無縁のバービーランド。ケンたちもみなケンだけど、マウント取り合い、なにもないところで自己主張と承認欲求、バービーたちに承認されてなんぼのケンは普通名詞ケンでしかない。
そんなこんなで、現実社会にはマテル社があり、経営人はカリカチュア化されて滑稽なおっさんたちで、秘書の女性は反抗的な子どもとの関係に悩んでいた。
この親子の葛藤諍い苦悩と、バービーを救う過程で親子関係が修復され救われて行く過程が、なんともステレオタイプで、この現実世界の現実人間二人のほうが、マテル社の社員たち同様に、まるで、マンガで、空想、夢の世界の住人のようだった。
バービーランドで、バービーたちの添えものの男たち。人間の住む現実の世界でも、
馬とか車とか軍隊とかミサイルとか名刺とか肩書きとか家族女子ども、そんなものを使ってなんとか生きている男たちよ。
毎日繰り広げられるガールズナイトはガールズがいれば良いのに、ケンダムつくろうとしたケンたちのボーイズナイトは、バービーたち女の子がいないとだめなんだ。なんだかなあ。
兎にも角にもほんとにライアンゴスリンが??と半信半疑でしたがあのライアンゴスリンが渾身のケンという苦悩に満ちたアイコンを演じ、マーゴットロビーは完璧なバービーであった。
現実世界の滑稽さステレオタイプさ、嘘っぽさ。
バービーランドの、なんとも言えない、ほんとっぽさ。
最後の最後の、セリフまで。バービーはみな女のリアルを体現する。
ごちゃごちゃし過ぎ
差別に関する問題や、仕事、生き方についてなど様々なメッセージが込められているように感じられましたが、問題がごちゃごちゃし過ぎている上に最終的には元の世界のままで、結局のところ何が言いたいのかよく分からなかったです。
もっと頭を空っぽにして観れる作品だと思っていたのですが、以外と重たい内容で作品のイメージには合っていないと思いました。
ただ、興行的には成功しているようですが、その理由が私には分からなかったです。
あと、作中にかなり古い名作のパロディがいくつか出てきますが、本作を鑑賞する年齢層の方には伝わらないのではと思いました。
ライアン・ゴズリング最高
こういうの関心ある人なら「あるあるネタ」がたくさん詰め込まれてて「分かる分かる」ってなるんじゃないでしょうか。皮肉も効いてるし。
バービーの本社の会議室に男しかいないのに「女の子の夢」の話してるところとか、いちいちどうでも良いことに時間かけてるのとか、うちの会社かと思った。
男女の世界逆転のところで、職を持ってた女性たちがみんな無職になって男性の相手役になってたところで、受付の女性が「女性の苦しさ」みたいな演説始めたのはなんか説明調で正直微妙だった。あと逆転世界での女性たちがあまりにも無知で主体性もゼロって感じになっているのも少々違和感あり。バービー世界で女性たちの職業がみんなすごいの、あれは男社会で描かれる男性像の反転というか皮肉なんでしょうか?それとも女性もこんな地位に付けるというポジティブメッセージ?うーん。
「バービーとケン」というセットでしかもどちらかといえばバービー主体、ケンは引き立て役であんまり主体性がなく陰に隠れがちだった世界(これって現世での女の在り方でもあるよね)から人間界に行って、みんなの視線(勘違い)を感じ、声をかけられ、男性たちが主導権持ってるの見て、これが俺だ!と有害な男性性を持ち帰ってケンワールドつくって、バービーから呆れられて、なんだかんだ「ケンはケン」とbe yourselfを説かれてありのままの自分を取り戻す、みたいな。まぁある意味ケンの物語でした。
個人的にライアン・ゴスリングがツボだった。顔芸最高。「what?」を「なに?」じゃなくて、「なぬ?」って訳してたのも最高でした。
公式完全監修の自虐ネタ炸裂
バービー
米マテル社の創業者の一人
ルース・ハンドラーがドイツ旅行の
みやげに娘に買った「ビルト・リリ」
という人形をもとに1959年に発売
された女児用玩具人形
最終的にはビルト・リリの権利まで
買収し全世界で累計10億体を売る
ロングセラー商品に成長
ちなみに初期の製造は日本で
行われていたという
日本では1962年に初輸入
その5年後にリカちゃん人形を
タカラが販売した
野郎が観に行くような映画では
なかろうと思いつつ予告での
「ドライヴ」「ファースト・マン」
「ブレードランナー2049」等で
ファンになった
ライアン・ゴズリングのアホっぽさ
に惹かれて観に行くことに
でどうだったか
フェミニストの幻想だとか
ネットでは批判の対象にされ
オッペンハイマーとくっつけた
ミームに激おこの日本人もいたり
と騒がれてましたが
まぁ観てねー連中はそんなもの
中身は半世紀のバービーの歴史
そして社会でどのような影響を
産んだか産めなかったかを
マテル社も含めメタく
自虐ネタも満載で楽しめました
まず冒頭のバービーを見て
衝撃を受けた子供たちが
赤ちゃん人形を破壊する
シーンからしてぶっ飛んでます
面白いのは
バービーランドが
「女児のバービーでの遊び方が
反映された世界」
であること
歴代の様々なバービーですから
当然女性優位の社会構造
ですから男人形の「ケン」達は
そりゃオマケ・添え物・引き立て役
なのは男の自分でもわかります
それをフェミニズムの幻想だ
とか言っちゃう奴はちょっと・・
でバービーランドは
そんなですから周囲の小道具も
みんなバービー人形についてくる
部品(おそらく完全再現なんでしょうね)
ですから飲むフリ食べるフリ
人形だから年も取らない
(妊婦型とか売れなかったり
発売中止になったバービーも
ちゃんといるのが自虐的でよい)
そんな世界を謳歌する
(通常型)バービーがそんな
完璧な世界に疑問を感じる
ところから始まります
子供のイマジナリーな世界
ですから矛盾だらけでも
仕方がないんですが
現代社会と当てはめると
毎日繰り広げられる
ポリコレ論争に言葉狩りと
現実世界も混沌した世界
ひどいことも言われるし
老いもある
でもバービーはそんな現実世界に
触れながら「美しい」と
一筋の涙を流します
生きているとはどういうことか
目の当たりにし
このシーンすごくよかったですね
今まで何も「期待」
されていなかったケンが
人間社会で男性社会に目覚め
バービーたちを洗脳して
しまうシーンも男系社会を
逆から描いてるのは面白い
土建も最初から女性がやっている
のなら話は逆になりますし
男性を立てる事が
新鮮に映ってしまうのでしょう
自分はネットでよく見る
話が通じないフェミニストは
まったく毛嫌いしてますが
ガーヴィグ監督の
バービーランドのとらえ方は
考え込まれて面白いです
こうやってテーマとして
あげつらってやってくれれば
いいんですよ
黒人を出せとか
女性を主人公にしろとか
そんな簡単なことではないのだから
簡単にしたがるのは
脳みそが動かないからです
結局バービーは
ランドを取り戻しますが
何も取り柄がない自分に改めて
悩むところで
(マーゴット・ロビーが言っても
説得力がないがみたいな
ナレーションには爆笑した
いちいちメタいんだよこの映画笑)
まさかのマテル創始者が現れ
バービーに創始者にも
わからない未来をを示し
バービーは人間界で生きていきます
ネットスマホの時代
バービー人形に未来はあるのかな
なんて思うことがありますが
売れ行きは相変わらずのようで
驚きました
しかし前述した多様性だ
トランスジェンダーだと
議論に上がる時代に
女の子向けの玩具がどう
付き合っていけるでしょうか
でもひょっとするとバービーが
道筋を示す未来がやってくる
のかもしれないなと
思える映画でした
面白かったからこそ、残念ではある
高畑充希さんがすごく良かった。男性優遇の世界も女性優遇の世界もバランス悪いというか。メッセージ性の強い映画でした。ブラックジョークとか、バービー人間の世界で暮らすの?とかツッコミどころはありましたが、笑えて面白い作品でした。いろいろ炎上したの勿体無かったです。
観に行って良かった!
原爆ミーム、賛否両論の感想+家族からの「オッサンが一人でBarbie?」という反対の声に負けず観に行って来ました!(モギリのお姉さんの目線も、ちょっと冷たい感じが…)
結論から言うと、すごく真っ当な作りの良い映画です。
後半もたつく感じもありますが面白かったですよ!
コメディのネタとかは90年代のコメディ映画が好きであればハマると思います!
あの曲が、あんなに笑える曲になるとは…。
とにかく、マッチボックストゥエンティーの、「あの曲」は大ヒット曲。
未だにアメリカのラジオとかで掛かってそうだし。
マッチボックストゥエンティーが、どんな気分だったか気になる。
面白くなる要素はあったが、不発といった感じ
全てが完璧なバービーランド、しかし無機質で空虚な世界。
そこから何故か主人公のバービーが死、というものを突然意識し、そこから自身の身体の劣化、食物の腐敗、重力を感じ、その異変を直す為にリアルワールド、人間界へ。
リアルワールドではバービーは男性から常に性的な視線、卑猥な言葉を浴びせられ、自分達を愛玩してくれるはずの少女達からは徹底的な拒絶の言葉を吐き付けられ絶望する。
その一方、お供に付いてきたケンがリアルワールドでの男性としての優位性をみいだしたが、学位やキャリアがないとリアルでは評価されない為、女が女であるだけで価値のあるバービーランドを男が男であるというだけで価値のある世界へ変革する、というところまでは面白かったのですが、それ以降、全く感情移入出来なかった。
主人公バービーを匿うヘンテコで嫌われものなバービーや売れなかったシリーズのバービー達の中で嫌われものバービーを虐待し、ゴミのように捨てた女性が田嶋陽子が腐るほど吐いているようなフェミニズム論を叫んで、バービー達が元の無機質な女性優位社会のバービーランドを取り戻すことを決意。
何かこの辺りではやく終わんないかな、死ぬほど退屈🥱的な気持ちになってしまい、寝てもいいけど映像や音がうるさいので仕方なくダラダラ最後まで見た感じです。
フェミニズム映画として特化すべきか、
キラキラバカ映画として特化すべきか、
玩具としての悲哀を描くことに特化すべきか、
どの選択肢もあったと思うのですが、どの方向性も中途半端に取り入れてしまった為か、後半の展開がものすごくダルく感じた。
最終的に主人公バービーが選ぶ選択も、それまでの過程の描写が不十分なので、なんの感情も抱けず。
何故ラストシーンで主人公バービーが婦人科を受診したのか(自身が女である事を確認するため?)も意味不明。
後半以降の展開で主人公バービー自身の決意や自立、成長が見たかったのだけれど、どうでもいい内輪ネタやパロディ、ケンからバービーランドを取り戻す、という安易な男女対立構造で論ぜられるフェミニズムにうんざりしてしまった。
あと、ケンの暴走を止めることに尽力したヘンテコバービーに、安易にケンの女として従属する事を決めた肩書大統領のバービーが騒動が落ち着いたあと、あなたに謝る、代わりに私の下で働かせてあげる的な発言をした所は本当に反吐が出るほどムカついた。
こういった潜在的に自分達とは違う異物を低くみる姿勢がBarbenheimerといった糞ミームを拡散させ、公式もそれに乗っかってはしゃぐ行為に繋がったのかなーと思う。
そういった米国人の思考を理解するにはいい映画かも。
自分らしさと生きる
設定も世界観もよかった
女の子たちに夢や自由を与えたバービーランドは
ケンたち男性を軽視した差別的世界という皮肉
子供の頃から性別においての刷り込み
男の子は外でお兄ちゃんたちに混ざって遊んでなさい
女の子はお家でお行儀よくおままごとでもしてなさい
でも本人が望んでいれば問題ない、それでいい
私も両親に常々言われて嫌だったのが
兄たちは男だからいいけれど、
お前は女なんだからちゃんとしなさい
身の回りのことをしない兄の片付けは
女のお前がやるべきだと
反骨精神がうまれて
あえて言葉遣いも悪くしていたのを思い出しました
いやいや自分のことは自分でやれるようにしとけ!
結果的に子供の可能性を制限することになる
バービーの生みの親、国税庁に捕まったみたいですが笑
それでも素敵でした
子供に許可や許しなんて必要ない
振り返ったときに目印になるように私は見守るだけ
子供は所有物ではない
1人の感情をもった人間なんですよね
私も昔、お人形遊びしていたので懐かしくもあり
そうそう、ツルペタね、わかるわかる
都合のいい展開しかない理不尽がない世界が
子供ながらに逃避できて
幸せな時間だったのを思い出しました
何にでもなれる訳ではない現実を大人になりながら
私たちは知ることになります
色々な生きづらさも感じながら
バービーとケンが人間界に迷い込み
戸惑い笑わせてくれる姿にほっこり
ありのままの姿の女性を見て本能的に
それが美しく感動し涙を流すバービー
男社会を目の当たりにしたケンの少年のような顔
どちらもいいシーンでした
男とか女とか関係ない
地位も関係ない
これまでの生き方、これからの生き方も関係ない
誰もが自由な生き方で
リスペクトされる素晴らしい命
女性が体のラインが強調されるものを着るのも
メンズライクな服を着るのもよし
馬鹿なふりをするもしないもよし
結婚するしない、子供をつくる、つくらないもよし
これまでの概念も間違っていないし
そこにわざわざ、はまろうとする必要もない
全部正しい、間違いなんてない
この監督の作品は優しい
これまでもを否定しない
ありのままでいいという優しい世界
女性は本当に大変で苦労してきて、可哀想!なんてしない
みんな同じ人間だよ、だからどうするの?っていう
聡明な監督
ストーリーオブマイライフもレディバードも
『自分らしさ』を大切にしていて本当に好きです
人はみな、好き嫌いがあって得意不得意がある
生物学的に則って2択にしようなんて無理がある
ラストシーンのバービー改めバーバラになった彼女
沢山の選択肢がある中でこの道を選ぶラストもよかった
与えられた命と人生は、自分のもの
もちろん主演の2人は最高でした
オッペンハイマーの件で観ない人もいるみたいですが
1つの作品と出会う機会を失って悲しいです
(抗議することも大切だと思います、それとは別で)
まだまだ潜在的に性差別がある日本にこそ観てほしい作品
マテル社の懐の深さ
良い意味で思ってたのと全然ちがってて面白かった。
バービーがいかに欧米社会に密着した重要な存在であったかを間接的に理解できた。
バービーやケンの俳優が歳をとり過ぎていて、最後まで人形というには違和感がありすぎると思っていたのだけど、ハーレイ・クインが好きなんで好感はもてた。
バービーは日本だと女児向け人形のいちジャンルにすぎないけど、アメリカだと社会そのものに影響力を与えたすごい存在のよう。
冒頭の2001年のパロディは、バービーという玩具のインパクトの大きさを明確に表している。時代にはまった新しいカルチャーというものが、逆に時代をつくるというダイナミズムをもつことのすごさをあらわしている。
女児向け玩具に赤ちゃん人形しかなかった時代に登場したバービーは、女性が女性らしくあることの楽しさや喜びを表現することができるという意味で女性を解放したけど、そこには「男性にとっての都合の良い女性像」が不可分に入り込んでいて、現在においては逆にフェミニズムを後退させたという要素もあり、功罪を抱え込んだ複雑な存在である、というような面白くも複雑な問題があることが、この映画観るだけでよく分かる。
でも本当にハリウッドって面白いなあ、と思うのが、バービーのメーカーであるマテル社までも散々にこき下ろした脚本であるということ。この作品は男性の愚かさ、滑稽さ、愚劣さを女性視点で徹底的に糾弾しているけど、そのためにはマテル社を悪者(よくいってマヌケ)にするしかない。でも日本だったら、普通そんなことはできない。
たとえば仮面ライダーをこの映画のようなやり方でメタ的に扱った作品(すごい面白そうな映画になりそう…)を作ろうとしても、表立ってバンダイを批判したり馬鹿にしたストーリーには絶対できないだろう(だから日本では象徴的に真のメッセージを隠してストーリーを作る手法が発達したのだと思うが…)。
最後、バービーが人間として社会で活躍する、というオチになったのもとても良かった。
ところで、アメリカでは「バービー」と「オッペンハイマー」が同時公開ということだけど、日本での「オッペンハイマー」の公開はいつになるのだろう?
問題になることを恐れて公開日が決まらないということなんだったら、そういう考え方そのものが映画文化を衰退させている気がする。映画が社会的議論の中心になるチャンスを逃すというのは、あくまで映画はエンターテイメントにすぎなくて、その範疇を出るべきでは無い、といわれているようだ。
全114件中、61~80件目を表示