バービーのレビュー・感想・評価
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炎上騒動は抜きにして、作品のメッセージに共感できない
本作は、本国で同時期に公開された『オッペンハイマー』で扱われている“原爆”に悪乗りしたプロモーションが、日本ではとりわけ問題となったわけであるが、それを抜きにしてもこの映画が何を伝えたかったのかよくわからなかった。
映画は、バービーと彼女たちのボーイフレンドの“つもりである”ケンたちが暮らす「バービーランド」で、ある日、己の人生に疑問を抱いたマーゴット・ロビー演じるバービーが、人間の住む世界へと旅立つところから始まる。物語の舞台が実は“虚構の世界”だったというオチは、有名どころだと『トゥルーマン・ショー』が思い浮かぶが、それよりむしろ『LEGOムービー』に近いものを感じた。別の映画の話をするのはご法度かもしれないが、LEGOムービーはレゴブロックの本質を明確に描いた(レゴは説明書どおりに組み立てても自由な発想でも組み立てても構わないが、飾っておくよりも誰か(ここ重要)と共有して遊ぶことに意義がある)傑作である。
ただし、本作『バービー』については、LEGOムービーほど響くものがなく、悪くいえばフェミニストの自己満足にしか感じられなかった。
たとえば、ライアン・ゴズリング演じるケンは、マーゴット・ロビー演じるバービーが大好きで大好きでしょうがない。その想いが報われずに拗れた結果、彼はヴィランへと成り果て「バービーランド」を人間界で得た“家父長制”の知識で洗脳し、「ケンランド」へと作り変えようとする。しかし、そこはあくまでもケン。彼が元々、おバカさんであることが幸いし、洗脳が解けたバービーたちにあっさりと反旗を翻されてしまう。結局、この場面は支配構図がケンからバービーへと戻ったにすぎず、自分のアイデンティティに悩むケンへのフォローもお座なりだったように感じる。単にケンはバービーに自分を受け入れてもらいたかっただけなのに、意中のバービーには最後まで拒絶されてしまうのだ。しかも、ケンたちには住む家もない。バービーには彼女たち専用の家があり、そこで暮らしてパーティー三昧にもかかわらず、それに関するフォローも最後までお粗末なのである。これなら『トイ・ストーリー3』のバービーとケンの恋路のほうが、よほど気持ちよく鑑賞することができた。
人間界パートについても同様にお座なりだったように感じる。旅のきっかけである母娘についても、バービーの生みの親であるマテル社についても、それぞれの問題は本質的には何も解決していないはずのに、何か良い話風にまとめられているだけに見えるのだ。
揚げ句は、主人公のバービーである。彼女は自らを“ステレオ”タイプのバービーだと認めている。実際、あらゆる肩書きのバービーがいる中で、彼女は役職に就いている描写がない。それでも旅を通して自分が何者であるか、ある程度の自己発見をするのがお決まりの流れではあるが、その彼女の選択がなんと“人間”になることである。別にいつまでも“お人形さん”である必要はないかもしれないが、少しばかり人間界にいただけで、その結論に達するのはいささか唐突に感じられた。確かに人間界での出会いはあったが、それは彼女に人間になるのを決意させるほどの影響を与えたようには思えなかったからだ。そのように描くならば、人間界での描写を増やし、バービーが人間であることに感動する場面を挿入すべきだったように思う。それゆえ、彼女の決断がただの“わがまま”にしか映らなかったのが残念だ。
結局、本作は男性主権の世の中に対するカウンターカルチャー以上のメッセージが感じられず、登場するどのキャラクターにも感情移入することができずに終わってしまう映画であった。
夢の終わり、夢の始まり。
かつてバービー人形で遊んだ女の子たち、色とりどりの衣装に着せ替え、様々な職業に就くのも思いのまま、夢は膨らむ。常にハッピーなバービーランドでの暮らしのように夢中で遊んだ女の子たちもやがては成長し、物心がついて死におびえて眠れない夜を過ごし、社会の現実を知る。
黒人の女性大統領、女性宇宙飛行士なんて現実にはそうそうなれるもんじゃない。多様性を売りにしながら重役たちがすべて男性で占められているマテル社のように現実社会は女性にはまだまだ厳しい。
お前たちは我々が与えた夢の世界にいればいいんだ、社会は我々男たちが裏で回しているんだからと言わんばかりだ。
与えられたバービーの世界は結局は企業が商品を売るために作られたもの。ならばそんな与えられた夢から醒めて自分自身の人生の夢に向かって一歩を踏み出すしかない。
男性CEOが女の子たちに与えたものは偽りの夢だったが、バービーの生みの親であるルーシーが与えた夢は無限の可能性だった。彼女が自分の娘に託したようにバービーには何者にでもなれるんだという夢を託した。
バービーランドで同じ日々を暮らしていたバービーがある時気づく。何の職業にもついていない自分は何者なのかと。自分はただのバービー、何者でもない存在なのだと。
同じく添え物でしかなかったケンが自己実現のために反乱を起こした姿を見て彼女は彼に言葉をかける。
ケンはケン、そのままでいいんだと。男だからどう生きなければならないという考えに縛られる必要はないのだと。
いまや現代社会においては性別や人種に縛られず自分が自分としてどう生きてどう自分を磨いてゆくのかが問われる。男性だから、白人だからという理由で特権が与えられた時代は終わりが近いのだから。
そうケンに話したバービーはその言葉が自身にも当てはまることに気づく。何者でもない自分は何者にでもなれるんだと気づいた彼女は人形という存在に縛られず人間になる夢を実現するために一歩を踏み出す。
それはかつてバービー人形で遊んだ女の子たちが成長して現実社会で自分の夢を実現するために一歩を踏み出す姿を投影するかのように。
「レディバード」のグレタ・ガーウィック監督作品だけに期待大で鑑賞、その期待をはるかに上回る作品だった。これだけ高い娯楽性と深いメッセージ性を兼ね備えた作品はそうそうお目にかかれない。
人種問題、ジェンダー問題、そして人生について実に深く考察された傑作。
うっせえよ
女性が思う男性の鬱陶しさ(ギターの弾き語りとか)が清々しく言語化されていて爽快でした。そもそもバービーもそうですが、作られた時というのは男性の趣味が入っていなかったはずではないかな?それが、段々と変化したんですかねえ。
人形もそうですが、女子アナとか女性アイドルとか、男性社会によって女性が均一化されすぎて気持ちが悪いと思ってます。そういえば、女性だけではなく、ジャニーズもそうでしたね。ジャニーズを作ったのも特権階級の男性ですし。
劇中、女子学生が性的な女性=バービーが古臭くなったみたいなことを言っていて、時代が変わったなあ&頼もしいなあと思いました。男性社会の中では性的な女性は、圧倒的に有利な時代があったんですよ。日本は今でもそうかもしれませんが。
ラスト、バービーが婦人科にいたということは、出産を暗示していたのでしょうか。新しい価値観の次世代がどんどん生まれれば、こんな嬉しいことはありません。
ライアン・ゴスリング本当最高だった❤️
号泣😭 ファンシーピンクの下で実はごっつい映画
引くほど泣いた。変わること、怖くて涙が出るけれど、誰かのいいようにされることはやっぱり許せないから言いたいことは言うし、賢く切り抜ける必要も時にはあるし、じっと動きたくない時もあるけれど、こうあるべき、などは本当にどこにもないから、誰かに許しを乞いたり確認したりする必要はない、一歩進む決意は自分がする。
LAでバービーがローラースケート中に行き交う人に笑われたり、警察官からでさえも性的にしか見られていないという描写1つとっても、リアルそうで的確で、でもウィットな調子だから軽く装っていて本当に秀逸。
現実世界のフェミニズムが大きなテーマ/隠喩としてあるにせよ、女性だけを盲目的に見つめて描かれている訳ではないからあらゆる角度への眼差しがすごい。
ケンがバービーランドで強いられていた苦境・不満を原動として、より男性がリスペクトされる世界にしたくてケンダムを打ち立てる「ただのオマケキャラのケン」にフォーカスした描写もそう。いつも素敵なバービーもケンの気持ちを全然気にしていない事実(ガールズナイトだからケンの誘いを断るとか)とか、変てこって言ってファンキーなバービーを区別したりとか、知らずに誰かを傷つけていることを優しく悟る描写もよかった。
そういう各当事者への配慮バランスのおかげか、ほとばしるお母さんのスピーチの場面など、ヒリヒリと迫るように女性に力を与えてくれるシーンで、“女性よがり”になりすぎていないから、より安心してメッセージに没入できたのだと思う。
たとえば“勧善懲悪”モノの善側の人は、絶対的に隙なく正しいっていうキャラしかいないドラマも多くてげんなりすることもたまにあるけれど、この映画では各人の良さと反省すべき点が垣間見れるからこそ、色々なタイプの鑑賞者の琴線に触れているのだと思う。
だからこそ、楽しい“バービー”を観ようとしたら、とんだとばっちり、という鑑賞体験そのものが壮大な皮肉になっている人、シュガーコーティングされたものばかり食べている女の子で、バービーも軽くて甘いと思っていたら実はホットソースが飛び出してきたりガチガチに咀嚼する必要もあったりするびっくり箱で信じられないくらいエネルギーをもらった人など、極端な鑑賞体験の差が各地で起きているだろうことも映画バービーのすごいところ。
頭がゆるめでお人形なマーゴット・ロビーだけを見たくてそれしか見えてない男性鑑賞者も中にはいると思うけれど、劇中で“男”に対して急に畳み掛けられる皮肉と頼りなさとクズな描写に、その人は多分ボコボコにやられて見ていて段々嫌気がさし、とにかく後味がよくわからないまま気づいたら終わってて、なんだかなあと思いながら的外れで至らない意見やレビューで終了する人がいる一方で、同じ男性であれ全然違った感銘を受けている人のコントラストがすごく顕著だと思う。
自分が誰かの意見をジャッジする権利は全くないし、どの感想もリスペクトされるべきで、各人の性自認などによってこの映画に共感する点への偏りというのもあるけれど、あまりにも斜めからの見方をキープし続けたまま見終わる人もいるんだなということを他の方の感想を各所で見て愕然とした(娯楽だしどのように消費するのかも本当に個人の自由だけれども)。鑑賞後の二次的な効果がこんなにも大きい映画、ということからもこの映画の巧みさが伺えると思う。
あと完全に偏見だけど、バービー鑑賞後にキューブリックの宇宙の旅のパロディそれだけを得意気に言及してお前は知らないだろ、っていう調子で悠々語るマウント彼氏とか大量発生してそう笑
それからオッペンハイマーとの一連の騒動自体は日本人として嫌悪感を抱いていつつも、だから作品そのものをボイコットするには勿体なさすぎる映画。バービーの劇場公開が続々終了する中、サブスクやらで今度はフライデーナイトにポップコーン片手に観るか、っていう層が予想外に喰らうであろう衝撃の方が劇場でみた人より多いのかもしれないなと思った。
映像はピンクファンタジー その影に語られるナカミは
バービー映画といっても、バービー人形とだけしか知識がないが、劇場チラシで、「ようこそ、〈夢〉のようなバービーランドへ!」見て、出演マーゴット・ロビー「ハーレークイーン」の・・ あってるかも・・ライアン・ゴズリング・・いいかも・・。で、観たもので、キャピキャピのビンク・ファンタジー・コメディじゃないの!?
の行き違いから、鑑賞モード.リセットしてのためか前半、乗り遅れ感を引きづって、後半にはなんとか楽しめるようになりましたが、消化不良でした。
マーゴットのバービー、はまってましたし、ケンのドラマ中での、あたふた感、キラキラなビンクの世界での存在キャラでOKだったのが、人間社会で見たり体験して、今までのバービーでいるのではなく、自分にある新しい自我に目覚め、同時にビンクファンタジーのケンとともに、新たな社会情勢、価値観を得ていく映画でした。
★Digital5.1ch鑑賞
★重低音 1
★音圧 1
★移動音 2
★分離度 3
サイド(左右、後、活躍度)1
★サラウンド 2
ほぼ、スクリーン側での音出し
左右、後方は、残響成分がメイン
勇気が欲しい時に見たいサプリのような作品。
バービーの世界観を味わいたくて
公開をずっと楽しみにしていた作品。
(絶対に好きな映画と固唾を飲んで
公開日を迎えたが日本では公開直後紆余曲折あり
少しばかしクールダウンした状態で劇場に足を運んだ)
可愛いが溢れて気分が上がりっぱなし♡
リアルバービーハウス作りたいと思った。
可愛さをモチベーションに行ったが
内容が想像を超える深み。
物語が進むにつれて現代社会を生きている上で
感じた壁や閉塞感について改めて考えさせれる
描写が多くバービーの気持ちに感情移入して
心に刺さり、気づいたら号泣。
一番の見どころだと感じたのは、
秘書のママのセリフのところ。
同調勢力、所属意識の強い日本人にとっても
響いたと思う
感じてきた言葉にならない思いが
うまく言語化されていた。
らしさ、役割、固定概念を外して
鎧は外して何にでもなれる存在なんだと
背中を押してくれる作品だと思う。
バービーを楽しむ子供向けの作品ではなく
現代を生きる大人が見るべき作品だと思う。
アメリカ映画の良さ
冒頭の「2001年~」のパロディで爆笑しました。
そりゃそうだよね、オンナは子供のお人形遊びからして「赤ちゃんのお世話」に洗濯に家事。本人自身の楽しみというより、母性を自覚させ、主婦予備軍、奉仕者として刷り込まれる感じ。
女の子の世界に「なりたいものになれる」意識革命をもたらしたバービーは、まさにモノリス級の画期的存在、ってのにものすごく納得した。
この掴みだけで、この映画が只者ではないのが分かる。
そして、ちゃんと楽しいので、アンチな盛り上がりに乗って観ないとしたらもったいない。
アメリカ映画は架空の世界を借りてガチンコでは言いづらい現実社会の実情とか問題を語るのが上手い。最初の「アバター」もそうだった。
的確な現状認識と深い洞察、問題点を掴む鋭い目が、「バービー」にはあると思う。
視点が多角的なので、どの立場のだれに共感するか反感持つか、どの解決策なら許容できるかも含めて見る側に委ねられる多角性がある。
私は、ケンダムランドの後始末のところ、今の女性の位置と思った。急に持ち上げられて重要な立場に抜擢されてもお飾りか付け焼き刃で歴史がなく経験もないから上手く行かない、それをみて「だから男はダメだ」と言われがち。なので、これから力をつけて、すこしづつ上に行こうというのに、大きく頷きました。
バービーたちがケンの扱いを反省し、今後は改めると言うのは、世の夫たちにこうあってほしいという願望を見ました。
アメリカ人でも女性の社会的立場がまだまだ、というか日本と大差ないみたいなのが意外だったが、日本の女性にはグロリアが語ることに加えて、外で働くのは当然なのに家事や育児、介護はオンナの仕事で、しかも手を抜くなとか、夫の家族に尽くせ、みたいな圧力があったりする。
それから、夫は自分のことしか興味なし、娘も反抗期でさびしく、仕事も半端、癒やされたいのはママだったというのはよく分かる。子供が小さい頃は大変だけど、かーちゃん、かーちゃんって寄ってくるのは幸せなんだよね。こういうところも排除しないし。結局、娘は頭脳明晰しっかりした女性に育っててママを愛していて、ママも幸せを再確認できるし。
単純に、バービーの(ピンクの!)世界を見られるのが楽しい。
マーゴット・ロビーがリアル・バービー。おちょくられがちなケン、(「トイ・ストーリー」とかでも!)ライアン・ゴスリング、よくやったと思う。
グッズ見るのもよいし、いつも快晴、階段は使わないとか、飲み食いは真似だけ、へんてこバービーは、やりがちで大笑い。髪の毛切っちゃったり顔に落書きしたり、脚のジョイントの問題で縦に大開脚するんだよ、確か。色々なタイプのバービーがいて、職業様々、有色人種や太った彼女もいるんか、と思うし、廃版キャラたちも見られて興味深い。
結局定番タイプのバービーのみが「なりたいものになれる」(そりゃそうでしょう。)、だからって人間になっちゃうなんて! ピノキオ!?
バービー産みの母の延々説教はどうかと思った。
でもって、ヒトになるには、まず、それ!?
ヒトにあるものが無いんだから確かに外せない問題よね。専門家に相談を。
基本コメディで、軽く見られるのが良いと思う。
ただし、その分女性に権利を主張されたら都合が悪い国や地域では上映禁止になったりするんだろうとは思う。
それにしてもリアル・マテル社の皆さん、太っ腹!
ビジュアル面やバービー人形あるあるはよかった!
親がバービー世代で、自身も少し人形で遊んだことがあるくらいの
バービーとの距離感で観に行きました。
バービーランドの作り込みやバービーギャグはかなりあるあるネタだらけで面白かったです!
バービー世代のマダムが多く観に来ている回に当たったのですが、
かなり盛り上がって大笑いが起きていました。
ハイヒールを脱いでもつま先立ちなあの足
車へ乗せられる時のバービーの動き
変てこバービーの開脚っぷり
ぎしぎしした挙動
つるつるのぺたんこおまた
全部全部めちゃくちゃあるあるで、こうしたネタが出て来るたびに
劇場全体で笑ってました。
…ただ、この作品そのものが放つメッセージ性に関しては
私には遅すぎるものだったなと感じました。
性別に左右されすぎる世界
個が尊重されない世界
幸せなことですが、私自身はそういう世界にはあまり縁がない人生を送ってきたために
全く共感・没入が出来ず、世界観の前提部分を拾い集めるのに一番頭を使いました。
アメリカの差別意識って今もまだこんな次元がスタンダードなの?
だとしたらそりゃあデモも演説もウケる世界だよね…
と思いながら観てました。
演説タイムに関しては、せっかく“映画”なのに
全部セリフで処理されちゃったつまらなさを感じてしまいました。
もうこのあたりは感性の違いですかね…。
平たく言えば、Not for meでした。
ただただ、ビジュアルとバービーギャグはよく出来ていておもしろかったです。
子ども向けではない
全体的にコメディっぽくとても楽しい、オープニング2001年宇宙の旅のパロディーから始まり、モノリスではなくそそり立つのはでっかいマーゴットロビー(笑)足綺麗だなぁ。
バービーランドは見てるだけで楽しい、色んなバービーとかアイテムが出てきてワクワクする!子どもが見て楽しいのはこの辺までかな?
ライアンゴズリングは、色んな役をやるなぁ・・可哀想な役が多いような気がするなぁ、ケン役も、良かった!面白かった。歌って踊るゴズリング。
女対男、という風にし過ぎてるのでは?という、批判も織り込み済みかな、バービーを題材にする以上避けられないかな。最後、仕事の面接に行くのかな?と思ってたら、そっちなんだ!っていう、あそこも、批判が来るのも折り込み済みかな、何を選んだっていいじゃないってことかなぁ。娘が大きくなったら一緒に観てみたいな。
バービー アンド ケン
仙台の映画館、土曜のレイトショー。
前日予約時は自分で5席目の予約。やはり事前のプロモーションで一悶着あった影響でガラガラなんだなと思い劇場へ。
しかしながら上映時間が近づくにつれて人は増え、最後にはなんと中央以降の席が8割程埋まる客入り。
大半は女性で、カップルや男性ひとりの客の姿もチラホラ。字幕回と言うこともあって、外国人の女性グループなども来ていて予想外の混雑具合に自分のみならず早目に席予約したであろう方からも驚きの声が聞こえてきた。
公開後の評価の高さや実際に観た人の口コミがよい影響を与えた結果なのか、1ヶ月近く経った今になって作品の実評価の声が浸透しはじめた雰囲気を感じた。
かく言う自分自身も、事前のいざこざから何だかつまらなそうというレッテルを貼って観に行く候補から外していたが、何かといい評判を見聞きするようになり映画館へ足を運んだひとりである。
さて、作品の感想に移る。
そもそもバービーに何の思い入れも無い自分であったが、バービーが女性の自尊心や女性と社会の関係に良くも悪くも影響を与えて来た人形、マスコットであったのだなと作品を見進める途上で感じていた。また一方で、バービーの添え物として恋人の様な違うようなケンという存在が、何で居るのか分からない存在として描かれている気がして空虚で主体性の無いケンに嫌悪感すら感じるとともにヘタレな彼への哀れみを感じたし、後に男性の支配欲と馬に目覚めてしまった彼の人間的未熟さに感情移入もしていった。
最終的にケンはケンとしてひとりの存在として認められながら、バービーには選ばれない残酷さは、バービーが人間になる事を選んだ事とともに、個人の自立と選択とは何かという事を多角的に描く演出に思えていいなと思った部分であった。
現実世界での母娘のやり取りやバービーを泣かした娘の痛烈なスピーチは今現在のバービー人形の立ち位置を言い表したと共に、思春期におけるバービー人形の役割りも感じることが出来たように思えて、あの2人の存在ややり取りはこの物語のもう一つの主軸であったと感じた。
たくさんの切り口から、生き方の選び方について考えるきっかけとなるよい作品だと思ったし、いい年した自分のようなおじさんより、思春期真っ只中で色々と迷っている若い世代の人が観たらまた感じるところがあるのではないかと思った映画でした。
モウジョウドウジョウカサハウス
今更観賞して、バービーの行く末や婦人科に行く件を評しても、既に数多のお歴々のレビュアー様が丁寧に解釈されているので、ここはやはりケンの立場からの感想を考えてみたい
『もう充分だ、ケン』というTシャツに制作陣のメッセージが吐露されていることに今作の白眉を受取った マチズモとホモソーシャル、そして優位に立ちたいという本能を揶揄したシークエンスは流石に的確という他はない 私など優位性を保つ能力など皆無なので、今作のそれはブイブイ謂わせている現在の勝ち組に対してのやっかみだと思って貰って結構 全員死滅してしまえばいいんだと思う程だ 人より記憶力がよく、人より理解力が高く、人より自分を騙す能力が優れている人間は、男女関係無く、人を貶める事に快感を覚えることなく、もっと高みに意識をシフトしろ、と云いたい
折角貰ったギフト、何故に下に意識が向くのか、もっと向上心を持てと小一時間説教したいが、ま、聞く耳もたないかw
女性はこれから益々社会を、否、世界を導くメシアとなる そうまるで神の導きのように・・・
さて、男は?・・・・ 種馬(よかったじゃない、馬が好きなんだろw)のみ残されて、劣勢者は駆逐されるのみ 野生の摂理といえばそれまでだ 果してライアン・ゴズリングはどっちなのか、それが今作のメッセージなのだと断言する
あ、自分は、駆逐側ですw
人形の世界と実社会
現代要素を盛り込んだ人形たちの冒険。
昔から長年続く人形たちの遍歴も加え、それぞれの時代ごとに作られたキャラクターも登場させることで、バービー人形で遊んだことのある人には心をくすぐられる点もかなりあるだろう。そしてドールハウスなどを実寸台で作るなどその世界観を上手く描いてる。
あと人形であることを逆手に取った笑いもあり、楽しめる点もあるのだが、やはりバービー人形を通ってこなかった私には親近感が湧かなかった。
ただストーリーには人現代要素をふんだんに取り込んでていまの社会の縮図をポップに描いて共感も呼べる。
「わたし」を作り上げることの難しさ
冒頭「あ~、『2001年宇宙の旅』のパロディだね~、結構そのままだね~」
後半「俺も妻に『ゴッドファーザー』語ってた~。猛省…。」
自分を取り巻く世界から規定された役割から解放されることはとても難しいと思う。私自身、肩書を外した時に何が残るのかというと、答えに窮する。女の子との新しいロールモデルとして生み出されたバービーが「フェミニズムを50年後退させ」たのであれば、エンディングのバービーが彼女自身のロールから解放され、どのような旅を始めるのかとても楽しみだ。そして、自己の旅を始める足掛かりが「婦人科受診」というのも何ともひねりが利いている。まずは自分の体を大切に、ということであろうか。構造主義的に規定された自己の解放という点では、最近の作品だと『ウーマン・トーキング』、少し前だと『トイ・ストーリー4』と親和性のある作品だと感じた。
これからアイデンティティーを確立するであろう若者に見てほしい映画だと感じた。そして10年後、20年後、ここから少しでもよりよくなっていればいいし、自分のそのために何かしなければならないなと感じさせる良作であった。
賛否両論ある作品なのでレビューは正直に。 【気に入らない点】 一旦...
賛否両論ある作品なのでレビューは正直に。
【気に入らない点】
一旦女性を下げてからでないと、女性の生き方を肯定できないんですかね?
もうこのタイプのメッセージ性が強い作品は飽きたな、と言うかもう今更だなと思う。
女性でいることの素晴らしさ、息苦しさ、理不尽さは言われなくても理解してる。
さあ!女性も好きに生きてイイんですよ!男になんて負けちゃいませんよ!
言われんでも名だたる女性権利の歴史から学んできたことなんで、説教くさくて敵わん。
※※※ただ本作は日本基準の思想ではなく、グローバルスタンダードの現状をベースにしているので、作品をシリアスに捉えられるかはその国によると思う。(特にキャットウォークは日本にはないしな)※※※
【足りなかった点】
せっかくバービーという最高の女性性を取り上げているのに、”女っぽい楽しみ方”は否定されていた気がする。
別に”スイーツ大好き!可愛いモノ大好き!ガールズナイト大好き!”そんな典型方バービーっぽい人生でも良くない?という肯定がなされなかった。
典型的なバービー=”普通”でいる選択をすることもまたいいんじゃないかな?
いかにも”バービーっぽい”女性も肯定されるべきだった。
AV業界が当事者の有無を言わさず淘汰されそうな現状を見ている気分。
こっちは別に女でいることに困ってねえよ!!勝手に問題視すんな!!って感じです。
他にも時代についていけないオジサンネタだったり、黒人ネタだったり盛り込みすぎのわりに何も回収しないんだよ。テーマを雑に扱い過ぎ。
ことごとくギャグが冷めてた。
【良かった点】
”配役・演技・造形・曲選”においてはなんの違和感もなく、むしろすごく好みの作品だった。
マーゴット・ロビーのプラスチックガールっぽい表情から人間味のある涙まで演技の幅が広すぎる…!
バービーの衣装も世界観もとにかくかわいい!が詰まっていて世界中のピンク塗料がなくなっただけあるなと。
使いまわされた”自分らしく”と言うメッセージ性でも、やっぱり生きにくいよねと言語化してもらったシーンは流石に泣いたな。
”自分らしく”でいいと気がつく前にこの作品を見ていれば評価はかなり変わってきたかもしれない。
【男についての描かれ方】
男ってバカなんですよ~!単純でしょ?と言わんばかりのアホシーンがもう呆れを超えて一周回って面白い。
不遇なケンが男性性に目覚めるのは、こんな世界があったのか!と言うよりも
バービーに相手にしてもらえなかった”現実からの逃避”に思えたのよな。
女も男も平等に馬鹿にしていかないと、一般受けせず評価に偏りが出てきてしまうから過度に男性性を入れてきたんだろうがさすがにやり過ぎ。
男性をバカにすることで均衡を保とうとすんなよ…
【総評】
・この映画にどんな意見を持つかで人となりを判断するのは面白そう
・これが高度な社会風刺コメディ(ブラックコメディ)だとしたら日本人には100%理解できない
・出演者に罪はない
・バービーの歴史は知っていた方がいい
本当に見たかった作品は、バービーが人間界に来ちゃってドタバタ!みたいなファンタジーの方向性で人間の愚かさを批評して欲しかったんだがな…
※※ネタバレ注意※※
【ラストについて】
ラストは企業面接にでも行くと思ったら・・・??
・序盤に赤ちゃん人形壊しておいて、妊娠オチはキモすぎる
・「私は恋愛しない」という発言に整合性が取れなくなる
妊娠オチと言われているけど、上記を加味し性器のなかったバービーが初めて婦人科健診をしに行ったとできれば考えたい(笑)
じゃなければジョークに品がなさすぎる…
風刺が満載
バービーをネタにこんな話が語られるとは。
コメディなのかと思いきや、結構社会派な本作。
なかなか深いテーマだった。
バービーというおもちゃが世に生まれ、バービー自体は変わらないものの、それを取り巻く環境が変わっていく。そして、変わっていく価値観の中で、その本質さえも問われていく。
冷静に考えると結構な理不尽だ。
バービーが時代錯誤なのか、それともただの言い掛かりなのか。時代にそぐわないと言えばそれまでだけど、その本質さえ歪めていくのは第三者だ。
声高に主張するその声に、つい耳を傾け同調してしまう。自分自身、洗脳されてしまうから自ずと「自分」がわからなくなる。その時々の価値観に揺さぶられる自我ってのが厄介極まりなく、自分を見失うのも必然かと思われる。
風刺のキツいネタをサラッと見せる脚本も演出も優秀で、架空の世界を維持する美術も照明も色彩もいい仕事してくれてた。
冒頭、全員がバービーなのに強烈な違和感。
いや、恐怖さえ抱く。
全く違う個性なのに平等である事を強いられてるような感じだ。個性を尊重するも個別化されない環境とでも言うのだろうか…正直、不気味だ。
バービーランドが実在してて、人間界と行き来きできちゃうのは良く分からんのだが、ケンズキングダムだかなんだかを奪い返すにあたり、男性を観察する女性目線の的確な事ってったらない。
めちゃくちゃ思い当たる節がある。
話は逸れるが「民主主義は金権主義に簡単に変わる」とかなんとかって台詞もイカしてる。
民の頭の中…本作で言う男社会の大多数が「金」を中心に思考を巡らすからなのだけれども。
その社会の覇権を奪還しようとするバービー達が、ケンにするアプローチがまた適切で…ここの件は好きだなあ。
洗脳されてるバービー達にも、注目してしまう。
女性の社会進出が推奨される昨今ではあるものの、男性と同等の事をやらねばならないってのは、やはり男性社会に進出するからであり…女性にとって、本当の意味での社会進出はまだ成し遂げられてはいないのだろうなぁとボンヤリ思う。
バービーも本来の役割以外の事を付加されていってるような気がしてならない。
多様性と一括りにするのは簡単だけど、その多様性を全てにおいて適応するには無理があって…差別は論外だけど区別はせねばならないと思われる。
まだまだ社会は混迷しているのだろう。
そんな社会に対する問題提起と、無個性や普通は欠点などではなく可能性の塊であると訴える本作であった。
むしろ無個性なんてのは便宜上存在するだけで、実際には存在しないと言わんばかりだ。
結局のところ、自分の行動は自分にとっては普通にやってしまう事なので、それが他者からみてどんなに優れた一面であっても自分では気付きにくい。
自我の確立とは、他人からの干渉を受けつつ形成されるものみたいなので、己に問うだけでは見つけられないものなのかもしれない。
ラストの婦人科も、自分を知る為の一歩なのだろうなぁ。オチとしては捻りが効いてた。
にしても、バービー自体に歴史があるからこそ、そんな多様な価値観を押し付けられてきたんだろうなぁとは思う。バービー側からすると要求なのかクレームなのか微妙なとこだろうなぁと。
クレームが起点だとするのなら…こんなネタでこんな社会派な映画まで撮れてしまう社会の行く末がソラ恐ろしいのである。
まぁ、差別の歴史が色濃く残る国だから、そんなものが反映されてしまうのも無理はないんだろうなぁ。
何かの思想?
最初は良かった。
バービーランドでかわいいピンクに囲まれたバービーたちに、曖昧な恋人?のケン。アラン。
バービー人形たちのファンタジーな世界がワクワク。
人形が人間の世界へ行って真実を知り直面して行く?
死を想像したことで人形に異変が起き、それはそのバービーで遊んだ人間の思いが人形に吹き込まれたことで起きた異変だと分かり、裂け目を閉じるためにその人間と一緒にバービーランドに戻ったら、ケンがバービーランドを支配しており、ケンVSバービーになって、何でか今度はケンVSケンになって、はぁーーーーー?!何かもう分からんってなってしまった。
途中から観るのが辛くなってきたんだけど 何回か観たら分かるんかな。
マーゴット・ロビーめちゃくちゃ可愛くてバービー人形にピッタリだったし、ライアン・ゴズリングのケンもムキムキでかっこいいと思ったけど、何でケンはあんなに影薄い設定なの?
そしてマーゴット・ロビーのバービーは最後なんで人間になるの?えー???
私に想像力がなかったのか残念な感じでよく分かりませんでした。マーゴット・ロビーは問題なしに可愛かったのでそれだけに星3です。
二者択一かアウフヘーベンするか
昔親の転勤で海外にいってたこともあって人形そのものも知っていたのですが、周りの友人から聞いて何となくみる前~最初は自己肯定感映画なのかなと思いました。
割とそうではなかった。以下はネタバレだが、以下は男女の代名詞ではなく主人公の二名をバービー、ケンとする。
現実世界に行きミソジニーにドン引きするバービーと、バービーに振り向かれず自信喪失していたが現実世界で男性活躍の可能性を信じるケン。そこでフェミニズムとミソジニーが二項対立に走る。ただ、バービー世界の女性陣が持つフェミニズムは男女平等というよりややミサンドリー的な考えの持ち主だという印象を抱いた。また、バービーの世界はフェミニズムが前提であり常識であるから、現実世界にとっては変化をもたらす存在であるが、彼女ら自身は変化(男性優位のケンランド)にたいして抗議した
面白かったのが、持ち主が現実世界で持つ女の生活の矛盾を語るところ。それは私自身が男性との関わりで感じる部分でもあった。ルッキズムから、女はこう振る舞うべきという受動的な行動規範であった。その持ち主は恐らくフェミニストだが、マーベルの社員として活躍しており、ミソジニーに偏ってしまったバービーの世界に提案を試みることろ。娘も次第に打ち解けていくようでよかったです。その人が現実世界にたいして希望を抱いていないためか、より現実的かつ悲観的(ダル着、うつ病など)なイメージを投影するバージョンを上司に提案したのも面白かった。
バービーはケンを励ましたのにも関わらず、特技がないバージョンのバービーであるため、自分を見失ってしまい、創業者に頼んで何者かになれる人間世界に送ってもらった、、?
私としては男女はお互いに影響を受けて振る舞うことは当然だと認識していたので、現実世界=性別に影響されないっていうメッセージがあまり理解ができなかった。
ちなみに同じ映画館の人がこれ日本人向けじゃないよね~って言ってて、割と日本では男女は男女意識が強く、ミソジニーが浸透しており、かつ上昇志向というよりかは周りの影響を受ける傾向にあるのかと我に返った。
確かにキャピタリズムが繁栄した、米国なんかでは、女の人も学歴があり、医師や弁護士、MBAとればキャリアも男性同様なんとかなるきはするが、そうすると最初の現実世界の描写と矛盾するしな。となるとこれはバービー自身が捉えた現実世界なの?監督が言いたいことがあまりわからなかったです。
バッティングセンターに行ったような感覚
映画は、作者が投げかけたメッセージを我々観客が受け取るキャッチボールである。それがなるべく分かりやすく行えた方が良い映画だと思っている。
しかし今回は作者がただボールを投げているだけで、読者が拾いきれない部分も大いに出てきた。そのためバッティングセンターに行っているような感覚に近い。
映画自体に退屈する箇所は全くなく、面白く視聴することはできた。バービーの本気を感じることはできたが、映画としての出来を考えた時にそこが残念に思える。
クスッと笑えるシーンや風刺的な台詞の数々は本当に秀逸だった。しかしバービーランドへの行き方や、後半部分のメッセージ等が曖昧になっている。そこをあと30分ほど尺を使って述べてくれれば、より良いものとなったかもしれない。
前半は凄いが、後半は微妙に感じた!!
出だしはバービーワールドに観客を引き込むのが本当に上手く、ハッピーな気分になりました。バービー遊びあるあるネタや自虐ネタも豊富で、これは★5間違いないと思いました。しかし、人間の母親がお弁舌を述べたあたりから雲行きが怪しくなり、感性が占めた内容は理屈っぽくなり、作り手が変わったのかと思いました。バービーは気力を失ってしまいつまらなく感じ、残念に思いました。FF6のティナを思い出しました。ハツラツとしたマーゴットにすぐ戻ってまた自信を持って解決して欲しかったですし、最後はロスに住むのではなく、人間に愛されるドールというハッピーで普遍的な締め方をして欲しかったです。マテル社の黒服たちも人数が多くて常に圧迫感があり、また爺ばかりで何か不快でした。マーゴットもゴズリングも決して若くはないですが、ドール役を違和感なくこなしていて流石でした。ゴズリングはラ・ラ・ランドで女に捨てられた意趣返しをしているように感じ、興味深かったです。プレイリストも良かったです。男性がバカっぽく描かれていますが、逆にこれくらい女性に甘えても良いのかと、「ボブという名の猫」でも感じましたが気持ちが楽になりました。
リアルの男女の性差はもっと根深いと思うのだけど…
フェミニズムや製造元のおもちゃ会社すら揶揄しているおバカ映画と聞いてみてみた。
確かに、名作のパロディなどは、笑えるものがあった。
しかし、バービーがマテル社で逃げ惑っている時に、何故かマトリックス的に民家のキッチンにバービーが迷い込み老婆が出てくる展開には、頭の中では?しか出てこなかった。
最終的には後半で、老婆はバービーの生みの親の亡霊だとネタばらしされたが、そうすると人形の国が現実世界に介入してあーゆう展開になったのだろうか?
なんとも、ご都合主義の描きたにしか見えず、私はそこまでこの映画に入りきれなかった。
男女の性差(男は女を従えたい生き物といった描き方)も、アリーmyラブのように、現実のセクハラ訴訟や職場の問題を出された方が、何となく実感が湧くが、この映画にはそういったリアリティがなかった。
その分、見終わったあとはどうも肩透かしを食らったような感覚しか生まれなかった。
現実のジェンダー問題って、もっと複雑ですよ…。
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