バービーのレビュー・感想・評価
全497件中、1~20件目を表示
こんなに長時間ピンクをみたの初めて
マーゴット・ロビーとライアン・ゴズリングだから出来るバービー&ケン。
バービー人形からこのストーリー生まれてくるってすごいな。(アタシが持ってたのはリカちゃんだけどね)
ガーヴィグ監督がバービー?って、ずっと思ってたけどしっかりガーヴィグ節でした。脚本がパートナーのバームバックと共同も納得。
前半は「トゥルーマン・ショー」やウェス・アンダーソンみたいな展開なの??と思いきや、後半しっかりギアチェンジしてきたところがさすが。
先日観た「アメリカン・ビューティー」でも感じたことだけど、私の「幸せ」ってホントに私が求めてる「幸せ」なのかな。他の誰かが大量に垂れ流してる「幸せポルノ」に染められちゃってるのかなとピンクが少し曇ってみえるシーンもあった。
男だから、女だから、平等なんだからとかじゃなくて一人ひとりがその人らしい自分らしさを愛せる世界線になったらいいなってグレタ&ノアのIメッセージ(Weメッセージ?)
は力強かった。
難を言うなら、お二人の作品あるあるで後半のセリフ量がかなり多いのでメタバービーのキラキラ✨を求めて観たら消化不良おこすかも。
〈私〉至上主義ではバービーの鬱は治らない
本作をみてジェンダー不平等の現実を感知して、エンパワーメントされた経験は何にも代え難い。これほど多くの人々に観賞された事実も大きな意義があると思う。
しかし本作をみて、現代の問題が的確に描写されて、万事解決とされるならそれは困る。少なくとも私は本作をフェミニズム映画とは言えない。そうしてしまったらアニエス・ヴァルダやケリー・ライカートの仕事を、そして今も闘っている人々を無視することになってしまうから。
「バービーが女性の地位を向上させた」
私はバービーランドをオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』のようにすばらしいディストピア世界とみたから、上述のセリフも大いなる皮肉だと思っている。もちろんそうであって、女性の地位を向上させたのはバービーといった「人形」ではなく、現実に闘った「人」である。
フェミニズムの「運動」が洗われている。バービーランドでは定型のバービーと同等にアフリカン系やアジア系、肥満体型や車いすのバービーが存在している。もちろん彼女らが同等に存在していることはすばらしいことだ。しかし浅はかな多様性とも思ってしまう。まさか自明に存在していたとでも言うのだろうか。バービーを産み出したマテル社の企業努力とも?そして彼女らの間には同じ「女性」だから何も問題がないとでも?
そんなわけがない。定型以外のバービーが存在できるようになったのは、アフリカン系のフェミニストの運動の成果だし、障害者運動やボディー・ポジティブの運動も起こったからだ。そして現在は同じ「女性」でも人種や階級、宗教、世代、障害などの差異の尊重と連帯が問題になっている。それは「インターセクショナリティ」という概念で記述され、今なお議論されていることである。
もうひとつバービーランドがディストピア世界と思うことがある。
それはケンが現実世界でホモ・ソーシャルを学び、「Kengdam」という王国をつくるが、バービーらが闘って元の世界を取り戻したとき、ケンのアイデンティティーを回復するためにバービーが放つ言葉である。
「ケンはケン」「自分でいることが幸せ」
〈私〉は〈私〉であって、〈私〉であることは幸せ。グロテクスだと思う。〈私〉であることの根拠が〈私〉でしかないことに。この自己参照。関係するのは〈私〉だけ。それは男といった他者や母といった役割、仕事によるアイデンティティー獲得からの解放にも思えるが、とても残酷だ。〈私〉を構成するのは何なの?もし〈私〉に何もなければ、または根拠を摩耗したら何を参照することになるの?
バービーの鬱は治らない。バービーランドを取り戻したとしても、この「〈私〉至上主義」からは解放されない。むしろその果てで〈私〉が死ぬ。バービーのプライベート空間であるハウスは、別のバービーに開かれていてー悪く言えば相互監視だー、バービーである〈私〉とバービーである〈あなた〉の境界はなくなる。みんな名前がバービーなのだから。
〈私〉はバービーであって、〈あなた〉もバービーである。〈私〉であることは〈あなた〉であることであって、それは幸せ。
私は気が狂うと思う。
気を狂わせないためには「ダブルシンク」をしなくてはいけない。グロリアのスピーチで語られた現在の女性の状況のように。ジョージ・オーウェルの『1984年』のように。でも「ダブルシンク」は鬱を治さない。
スピーチ=言論が洗脳を解くためには重要だ。けれどもうケンとの闘い方で「バカなふり」とかやめてほしい。いつの時代の誰のフェミニズムの闘い方ですか。そしてバービーが仕事でアイデンティティーを獲得するふりをして、産婦人科に行く結末も。もっと闘いは切実だ。それこそ法の逸脱が必要だし、死と触れあっている。だからケンたちの「ごっこ遊び」の闘いで終わらせてはいけないんです。
私たちはバービーランドをみて、ジェンダー不平等の現況を感知しなくてはいけない。と同時にバービーランドではない別の仕方の世界を創造/想像しなくてはいけない。その「ダブルシンク」が求められている。そしてそれを現実に反映させる運動が。そこまでの射程があるなら本作はアカデミー賞の作品賞に相応しいし、グレタ・ガーウィグが監督賞にノミネートされていないことは抗議してしかるべきだ。
ただ私はそもそもファーストシーンで人形を宙に投げることからアヴァンクレジットに繋げる仕方があまりにもダサいと思っているから、複雑な心境にいる。
ジェンダー平等と自己認識
U-NEXTで鑑賞。
バービーは日本で言うリカちゃんのイメージが強いですが、ジェンダー平等などのテーマで描かれていて奥深かったです。
ピンク一色のセットは派手で、可愛さ溢れる人形の街並みを実写で再現した光景には驚きました(その影響で、ピンクの塗料が品薄になったとか)。
人形をただ実写化しただけでなく、現実社会についても描かれていたのが好印象でした。男女ともに社会で活躍する機会を与えられる必要性や、自分が何者なのかを考えて生きる大切さが伝わってきました。
最近のアメリカでは、女性の社会進出が騒がれたり、自分軸を持つ人が増えているように感じます。日本でも実践されている部分はありますが、格差などの問題は未だに解決しておらず、課題は山積みです。そのため、自分らしく生きることが今後重要になってくるのではないかと考えました。
私も自分がどうしたいのかを意識しながら、少しずつ自信を持って生きようと思える作品になっていました。
アホになれれば楽しいはずが、フェミニズム要素で我に返る
マテル社公認映画でありながらいわば自虐的描写てんこ盛りなのはさすがハリウッド映画。廃盤バービーへのツッコミや男だらけの役員メンバー、一人ずつ壁で囲われて閉鎖的なオフィス空間。
なんだかゆるーく行き来できてしまう、現実世界とバービーランド。陽キャが過ぎてどこかシュールなバービーランドの住人たち。この辺はB級すれすれのノリというか、根底に流れるフェミニズム的テーマがなければ完全にB級と言ってしまいたい雰囲気だ。
世界のピンク塗料を枯渇させた、ガーリーにむせかえるようなバービーランドのセットはなかなかの見応え。バービースタイルでないと着こなせないようなファッションを次々びしっと決めてみせるマーゴット・ロビーはさすがの美しさ。ある意味狂気じみたケンというキャラを徹底的にやり切るライアン・ゴズリングも見どころだ。
こういうノリの映画は深く考えずに見られればアホになれて楽しいのだが、これだけフェミニズム色が濃いと、あれこれ考えてしまわざるを得ない。
(この辺さまざまな見方があるかとは思いますが、私個人が素直に感じたことです)
まず感じたのは、バービーランドにおけるケンたち男性の立ち位置は、現実世界における(少し古い時代の)女性の立ち位置をそっくり表象しているということだ。バービーに比べるとはるかに個性に欠け(ると見做され)、バービーランドという社会においてはバービーの付属物としか見られず、軽視される存在。
物語の中で、人間の世界に行って男性が活躍する姿を見たケンは、バービーランドに人間界の男性観(マチズモ限定)を持ち込む。そしてバービーランドの憲法を変えようとするが、バービーに煽られ男性同士の対立にかまけているうち憲法改正を阻止される。憲法改正は出来なかったが、バービーの「ケンはケン」と個性を認めるかのような言葉に満足する。さらにバービーは「ケンたちもそのうち力をつけるでしょう」(だっけ?)みたいなことを言い放つ……
それでいいのか?
フェミニズムは男女同権主義に立脚するはずだが、バービーはケンたちと共同で新たな憲法を制定したりはしない。彼らを(バービーランドの)法的には元の社会的に劣後した立場に戻し、バービーがケンに個人的ガス抜きをしただけで解決扱い。
これが男女逆ならば炎上案件になりそうだ。
純粋にバービーランドの中のケンだけを見れば、生まれながらに女尊男卑の世界の弱者なのに、本作のケンに対する扱いは、現実の男性優位社会へのカウンターになっている。
そもそもバービーの世界観の起源自体が、女児向けの玩具という性質上女性優位なので、男性の存在が空気にならざるを得ないという側面はある。男の人形に凝ってみたところでマジョリティには売れないということなのかもしれない。
だとしても、目覚めたケンの描写が現実世界の男性への偏見に満ちている様子には少々うんざりした。私自身はそういうことに人一倍神経質というわけではないつもりだが、多様性を押し付け……もとい標榜するポリコレの聖地アメリカの作品が、特定の属性(男性)を「現実界の男といえばマチズモ、馬、『ゴッド・ファーザー』を語りたがる」などと一括りにする、そのダブルバインドぶりにちょっと白けたのだ。
今の時代に女性の主体性や多様性を描くのに、そうやって他の属性を雑にまとめて貶める必要があるのだろうか。
終盤でグロリアが羅列する”女性を縛る不自由さ”の内容に、女性特有の問題ではなさそうなものが混じっていたり、頭脳労働的な職業とウェイティングスタッフのような職業の扱いに軽重が見られたりと、ケンの扱いで首を傾げたことをきっかけに他の重箱の隅も気になり出してしまった。
頭バービーなノリと、嫌でも目に入る定型のフェミニズム的メッセージのギャップを行き来して、思った以上に脳みそが忙しくなる映画だった。
パロディーなのでお気楽に
のっけから、かの有名な名作映画のパロディーからスタート。そして赤ん坊の人形を叩き壊すシーンからして、ああ、この映画見て怒っちゃ負けなんだな、と思いました。みんな、「2001年宇宙の旅」は知っているのでしょうか。
性差別とか男社会に女性軽視の問題とか、よくある議題の真面目なテーマが紛糾しそうですが、ありがちな話だと聞き流して、まっピンク色のビジュアルを素直に楽しむ、ポップコーン映画として見れば良いかと思います。そもそも人形遊びなんてしたこと無いし、リカちゃんならともかく、バービー人形なんてしらないけど、お祭り騒ぎの映像を気楽に楽しむだけなら、バラエティーな映画として十分役割を果たしているかと。
でもわずかに見せるリアルな美しさを魅せるシーンもあって、そこまでふざけた映画でもなかったと思います。バービー創始者を登場させるところは流石。
でも、スタッフロールに入る前の本物のバービー人形達はちょっとしたホラー。最初に魅せられなくて良かったw 音楽とか、スタッフロールのピンクのフォントも素敵ですね。やっぱり最後まで席を立たずに見てしまった。
みんな違ってそれでいい、の裏と表。
監督としてのグレタ・ガーウィグがこれだけのバジェットの大作映画の準備が整っていたかは、正直微妙だったかもと思う。美術や衣装のクオリティに比べて映像が充分にハネてないように感じてしまったからだ。作品から感じた面白みは、映像よりもコンセプトだったり多層に織り込まれた皮肉やユーモア混じりの問題提起だったりのほうが勝っていて、終盤になるほどセリフに頼りすぎではないかとも思う。
しかし間違いなく刺激的で、いろいろ考えさせられる作品ではあり、しかもこの映画について語られている言説がぞれぞれ微妙にベクトルが違っていて、観る側の価値観や先入観をあぶり出すような仕掛けになっている。この映画のどこに感じ入ったり、ひっかかったり、わがことのように感じたりするのか、結局は自分と向き合うハメになるのは、劇中のバービーやケンともシンクロする。
素晴らしいと思ったのは、クソバカ集団であるケンたちの代表としてライアン・ゴズリングとシム・リウが対決するバカげたミュージカルシーンで、戦ってるうちに通じ合ってしまうまでがわずか一曲の中で表現されていたこと。あの場面が古典ミュージカル『オクラホマ!』の「ドリームバレエ」の引用であることはグレタ・ガーウィグも明かしているが、「ドリームバレエ」のシーンは心の迷いからひとりの人間のアイデンティティが分裂する様を描いていて、いわばこの映画のケンたちも同じアイデンティティから生まれたバリエーションにすぎないと言える。
それはバービーたちも一緒で、マーゴット・ロビーの定番バービーだけが、バリエーションのひとつであることを捨てて有限の命を持つ人間になろうと決意する。正直、人間ってそんなにいいものか?と思ってしまうし、誰もが違っていてそれでいいというメッセージ性に100%ポジティブに共鳴できるわけでもないのだが、人生の次の段階に進むためにアイデンティティの根底から揺らぐような変化を受け入れなくてはならない局面が訪れるというのは心底その通りだと思うし、この映画の表向きの明るさとは裏腹に、選択には常に伴う辛さと哀しみを作品から感じられたことが自分にとっての一番の魅力だった。
同じように感じた人がどれだけいるかも知らないし、それが自分ひとりだったところで構わない。そういうことを伝えている映画でもあると思っている。
美術の素晴らしさ
プロダクションデザインが素晴らしい。この分野ではオスカーの有力候補だろう。キッチュでリアリティを追求せず、ドールの世界を具現化してみせ、そこに生身の役者がいても違和感のないバランス感とピンクを基調にしたカラーリングをケバケバしさを感じさせずに再現。レトロなポップ感が抜群に心地よさを感じさせる。芝居のあり方もあえて戯画的で、オーバーアクティブなものにしているのも良い。リアルなだけが良い芝居ではない、こういう方向性の面白い芝居もアメリカ映画でもどんどん追求してほしい。
スタンダードモデルゆえに特定の職業やアイデンティティを持たない主人公のバービーと、そんなバービーの彼氏というポジションでおまけ的に生まれたがゆえに、やはりアイデンティティを持たないケンの2人(2体)がフェミニズムや有害な男性性の体験を経て、自分らしさを獲得しようと試みる。現実社会のマテル社は男性経営者の支配だと本作は描かれている。事実かどうかは知らないが、その体制は特に破壊されない。資本主義とフェミニズムの関わりにはある種の課題があると本作は示唆している。
ビリー・アイリッシュ「What Was I Made For? 」の唄声に痺れる
2023年製作/114分/G/アメリカ、原題または英題:Barbie、配給:ワーナー・ブラザース映画、劇場公開日:2023年8月11日。
最後、安易に主人公のバービー(マーゴット・ロビー)とケン(ライアン・ゴズリング)の恋愛成就とはしなかった脚本には、拍手とは思った。
物語的には、知的に振る舞い女をウリにしたらいけないし、感情的になってもダメ、強くなくてはいけないがそれを表に出してもいけない、妻母としては勿論仕事もきちんとすべき、みたいなニュアンスで、現代女性の生き辛さを訴えていたのが、家庭を持った娘を持つ父親として、ずいぶんと身につまされた。かつては、お嬢様はお茶入れメインで給料もらえてたらしいし、男たちも仕事と家庭を両立できてなかったのに。
映画に実名で登場して驚かされたが、マテル社は1945年設立でカリフォルニア州エルセグンドに本社を置く米国を代表する玩具メーカー(2023年5.4billion US$)。バービー&ケン人形の他にも、セサミストリートや機関車トーマス関連商品も扱ってるらしい。バービー人形(娘のバーバラにちなんだ)は、創業者の妻ルース・ハンドラー(後に社長、1916〜2002)が、映画にあった様に当時のあかちゃん様の人形とは異なるものとして、考案されたとか。
ミュージカル仕立ては楽しみであったが、多くの曲が自分には今ひとつに感じてしまった(ライアン・ゴスリングがダンスも歌唱も上手かったのには感心させられたが)。主人公のお悩みシーン及びエンドロールで使われた、ビリー・アイリッシュ&フィニアス・オコネルの「What Was I Made For? 」には、内容的にも映画にピタリと嵌り、素晴らしい唄声に心を揺さぶられ、痺れてしまった。
監督グレタ・ガーウィグ、製作デビッド・ハイマン 、マーゴット・ロビー 、トム・アカーリー ロビー・ブレナー、製作総指揮マイケル・シャープ 、ジョージー・マクナマラ、 イノン・クライツ 、コートニー・バレンティ 、トビー・エメリッヒ 、ケイト・アダムス、脚本
グレタ・ガーウィグ 、ノア・バームバック、撮影ロドリゴ・プリエト、美術サラ・グリーンウッド、衣装ジャクリーン・デュラン、編集ニック・ヒューイ、音楽アレクサンドル・デスプラ、音楽監督ジョージ・ドレイコリアス、視覚効果監修グレン・プラット。
出演者
バービーマーゴット・ロビー、ケンライアン・ゴズリング、グロリアアメリカ・フェレーラ、変てこバービーケイト・マッキノン、アランマイケル・セラ、サーシャアリアナ・グリーンブラット、大統領バービーイッサ・レイ、リー・パールマン、マテル社CEOウィル・フェレル、最高裁判事バービーアナ・クルーズ・ケイン、ノーベル物理学賞受賞バービーエマ・マッキー、お医者さんバービーハリ・ネフ、売れっ子作家バービーアレクサンドラ・シップ、ケンキングズリー・ベン=アディル、ケンシム・リウ、ケンンクーティ・ガトワ
ケンスコット・エバンス、マテル社重役ジェイミー・デメトリウ、アーロン・ディンキンスコナー・スウィンデルズ、弁護士バービーシャロン・ルーニー、外交官バービーニコラ・コーグラン、報道記者バービーリトゥ・アリヤ、マーメイドバービーデュア・リパ、ナレーターヘレン・ミレン、ケンジョン・シナ、ミッジエメラルド・フェネル。
空想の世界から、後半は「女もつらいよ」の世界
国際線の映像サービスで鑑賞。
お気楽ノー天気なバービーランドの世界観から映画は始まる。でも、そこで起こったバービーの異変を追いかけて行くうちに、人生観を問われるような問題を考えさせられた。実はけっこう重いテーマを描いている映画だと思った。
具体的に出てくる問いかけは、女性の事例だけど、実は大人全体に対する問いかけでもあると思った。全く挫折することなく理想を実現することなどあり得ないのだから。誰でも、どこかで挫折したことがあるし、何かをあきらめて生きている。「こうなりたい」と努力しても、なかなか実現せず、うまく行かないことの方が多い。
そういう現実をきちんと受け止めつつ、適切な自尊心を持って生きて行くことで、「人としての魅力」がにじみ出るようになるのかもしれない。バス停でバービーが美しいと感じた老女がいた。彼女が、そういう人なのだと思った。
ラストシーンは、女性にしか体験できない幸せなことで、ハッピーエンドに感じた。でも一方で、そのことは女性が背負う宿命でもあり、「全女性が体験できるわけではない。その場合、女として生きる意味とは」なども考えさせられた。
ケンがいい味を出していると思う。「バービーの飾りのひとつ」という軽さをうまく演じていた。エピソードとしての「ケンランド」は、象徴的な意味がきちんとありながら、全体ストーリーにうまく収まりよくできていたと思う。
バービーランドに現実が入り込むとき
あらすじ:
完璧な毎日が続く“バービーランド”に暮らすバービーたち。けれどある日、突然「死」や「セルライト」など現実的なワードが頭に浮かぶようになり、主人公のバービーはその原因を探るため“リアルワールド”へと旅立つ。そこでは想像とは違う現実が待ち受けており、彼女とともにやってきたケンもその世界の「男性優位社会」に影響されてしまい…?
感想:
バービーランドは、ちょっと奇抜だけど「きっとこういう世界なんだろうな」と思いながら見ていた。ピンクに満ちた日々や、バービーたちの完璧なルーティンも、その中ではちゃんと成立していて、見ていて楽しかった。
男性社会はああいう風刺の仕方になるんだなーと感じたし、それをバービーランドに戻していくのが、またある意味リアリティがあって、でもどこか滑稽でもあって。
ポップで明るい見た目に反して、するどい皮肉が潜んでいて、最後までただのファンタジーとは言いきれない作品だった。
バービー「アメリカ現代女性はわしが育てた」
主演、マーゴット・ロビーとライアン・ゴスリング。
【ストーリー】
今まで製造されたすべてのバービーとその姉妹やボーイフレンドたちが暮らすバービーワールド。
その中でスタンダードタイプのバービー(マーゴット・ロビー)は、毎日ハッピーにすごしていた。
あるとき、気まぐれにきみょうな言葉が口をついた。
「毎日死ぬことばかり考える」
みなが動きを止め、彼女をみる。
あわててとりなしたバービーだが、その日以来、体に不調があらわれる。
ハイヒールをはくための足がぺったんこになり、太ももにセルライトができてしまう。
バービーはバービーランドをあとにして、リアルワールドをおとずれた。
バビ肉!(バービー・リアルワールド受肉)
正直ただのキッチュなコメディだと思ってました。
たとえ目の前に日焼けしてピンクの服着たライアン・ゴスリングがあらわれて、
「ヘーイきみ!バービーに興味ある?今からスクリーンにドライブしない?」
とナンパされても、
「急いでますので」
とそそくさふりきった事でしょう。
だってこの映画の彼、こわいしきもいんだもん。
見てすぐに目をうばわれるのは、徹底的に作りこまれた美術と画面。
服、髪型、小物から車、はては建物まで、カンペキにオモチャの世界を造りあげてます。
くすみのないショッキングピンクの衣装なんか、まぶたの裏に残像灼きつきそうなドギツさ。
役者も徹底的にやりまくってて、ポーズも動きも重さのないバービーのCMのよう。
バービー好きには、たまらない映画でしょう。
この映画のすぐれた部分は、ただバービー世界をカンペキに作っただけではなく、その先に価値を作った点ですね。
アメリカ人にとって、アメリカ女性にとってバービーがどういう位置を占めていたのか、といった部分をストーリーの中核とし、"バービー文化"の存在意義を徹底的に分析して語り尽くしたところ。
テーマがブレることなく、純度を高めながらラストまで一気に走りきったストーリーは、完成度だけならトイストーリーとならべても遜色のない出来でした。
ジャスティスリーグのザックスナイダーカット
ジャスティスリーグのザックスナイダーカットを真剣に見ているような気分になった。
そりゃ男が劣勢な社会で生きてきたケンが現実を知れば絶対そうなるよな、という感想。
こういうテーマで映画を作るのは、今の社会で大切だとは思うだが、作り手のニヤニヤ顔がどうしても浮かんでくる。
結局女性優位の社会を取り戻したかっただけなんじゃないの?って思ってしまった
バービーランドが正しいとは思わないし、
ケンランドも正しいとは思わない。
ケンたちの、「ケンそのものをみて」という主張も分からなくはない。が、それでケンランドを作ってしまうのはよくない。
とはいえ、バービーランドも正しくはなかったことが、現実との差異で証明されたわけで、
バービーランドを取り返したよ、ヤッホー!なんて、ちょっとダメじゃない?と思った。
結果的に、共存しよう!みたいな、現実とは権力が逆になってる!みたいな終わり方をしたが、
要所要所のシーンで見える女性仕草がちょっとむず痒かった。
憲法改正でマーゴット・ロビーバービーは喜んじゃダメでしょ。
もうよくわからなかった。ほんとによくわからなかった。
ギャグなのか?シリアスなのか?
フェミニズムをやりたいのか?バービー人形の物語をやりたいのか?
でも笑えたので万事OK!
息苦しい
残念ながら私にはサッパリ…早々に退屈になってしまった。アイデアは良いと思うし、世界観も凝ってて新鮮だけど、映画として面白いかと聞かれるとうーんて感じ。
アメリカって、早く自立した大人になることを求められたり、可愛いよりセクシーが正義だったり、ステイタスとかヒエラルキーとか、人種、性別、宗教、色々直面しなきゃいけないことが多くて、よけいに「自分が何者か」っていうことに疑問や罪悪感持ちやすいのかな。勝手なイメージだけど。成功すれば大きいけど、ある日突然、容赦なく切られてすぐ無職になるし。
なんか書いてて「アメリカンビューティ」思い出した。なんか息苦しいのよ。
日本の女性って、30過ぎても好きな人はパステルピンクのパフスリーブワンピ着てるし、シルバニアファミリー集めて持ち歩くし(専用の透明なポーチまで100均で売ってる)、可愛いものが好きとか、少女っぽいものをずっと内包してる感覚ってふつうにあるんじゃないかな〜と。私がのほほんと生きてきてしまっただけかもしれない。だから刺さらないのか?(汗)女性だから、見ていて全部身に覚えはあるし、分かるわ〜って頷くところはたくさんありましたが…
現実と向き合って自分を認める作業は確かにしんどいが、映画では独特の窮屈さを感じました。
バービーが泣きじゃくるとこは好き。
まっさらな、ありのままのバービー。抱きしめたくなる表情がとにかく印象的。同時にありのままの自分も抱きしめて全肯定したくなります。
バービーも悩み、ケンも悩む、人生は葛藤の連続・・
1959年にマテル社から発売されたファッションドール、バービーは65年の歴史、当時、日本はアメリカに比べ人件費が安く、繊維産業が盛んで人形本体と衣装とをまとめて発注できるという理由から製造は日本だったそうだ。家内も幼いころ3体持っていたそうだ。
冒頭のバービー人形発売で子供たちが幼児の人形を打ち壊すシーンは「2001年宇宙の旅」の道具に目覚めた人類を彷彿とさせるシーンへのオマージュか、余りにも衝撃的で思わずどんな映画かと身構えてしまったが、バービーランドのファンタジックで美しい世界観には酔いしれました。人間界の男性優位ぶりにケンが刺激を受け女性が上位のバービーランドの乗っ取りを企てるが何とか和解、バービーとケンはロスに戻ったようだが人間なんかにならない方が良かったでしょうにと複雑な心境・・。各賞ノミネートも納得、ほろ苦く美しいファンタジーでした。
ヒールの靴からサンダルに
先手を打とう
こないだDVDで観ました💿
バービーを演じるマーゴット・ロビーは相変わらず群を抜いた美しさ😀
今回は人間界に戸惑いながら、自分の存在意義を見つめ直す感じでしたね🤔
初めて流す涙も印象的。
本当にぶっちぎりの金髪美人ですが、それだけではない、多彩な表現が出来る女優さんです👍
一番目立つケンにはライアン・ゴズリング🙂
バービーの気を引こうと頑張る彼ですが、基本空回り。
終盤には彼の逆襲とも言うべき展開になり、ワイルドに。
ただそれでもどこか笑える、ドジキャラな面があるのがポイントですな🤔
シム・リウらと踊るダンスシーンのクオリティは見事でした👍
公開当時、かなりの興収を上げたと記憶してますが、終盤に男社会で生きる女性の心情にフォーカスした場面があり、それが共感を呼んだのでしょう🙂
本当は映画館で観たかったのですが、男1人で行くのが小っ恥ずかしくて断念した作品でした😔
とりあえず観れてよかったです🎬
バービーの最後の選択にも、注目ですね👍
アイデンティティの物語
トドリック・ホールは無関係
思想強め
バビ即一切、一切即ケン。 ライアン・ゴズリング、あんたこんなに良い役者だったのか!?
バービー人形たちが暮らす国「バービーランド」で巻き起こる大騒動を描いたファンタジー・コメディ。
監督/脚本は『レディ・バード』『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』の、名匠グレタ・ガーウィグ。
脚本に名を連ねるのは『フランシス・ハ』『マリッジ・ストーリー』のノア・バームバック。
騒動の原因である定番タイプのバービーを演じるのは『アバウト・タイム 愛おしい時間について』や『スーサイド・スクワッド』シリーズのマーゴット・ロビー。ロビーは本作の製作も務める。
バービーのボーイフレンド、ケンを演じるのは『きみに読む物語』『ラ・ラ・ランド』の、名優ライアン・ゴズリング。
バービーを生み出した「マテル社」のCEOを演じるのは『ズーランダー』シリーズや『LEGO(R)ムービー』シリーズの、名優ウィル・フェレル。
物理学者バービーを演じるのはドラマ『セックス・エデュケーション』シリーズや『ナイル殺人事件』のエマ・マッキー。
ナレーターを務めるのは『モンスターズ・ユニバーシティ』や『ワイルド・スピード』シリーズの、レジェンド女優デイム・ヘレン・ミレン,DBE。
妊婦の人形、ミッジを演じるのは『リリーのすべて』や『プロミシング・ヤング・ウーマン』(監督/脚本)のエメラルド・フェネル。
👑受賞歴👑
第96回 アカデミー賞…歌曲賞!
第81回 ゴールデングローブ賞…主題歌賞!
第49回 ロサンゼルス映画批評家協会賞…美術賞!
第29回 放送映画批評家協会賞…オリジナル脚本賞/最優秀コメディー賞!✨
1959年にマテル社が発売が開始。今や全世界で親しまれている着せ替え人形「バービー」。販売数は10億体を超えるというのだから、その影響力は計り知れない…まぁただ、日本だと「リカちゃん」というタカラ製着せ替え人形が覇権を握っており、バービーの存在感は薄いのだが。
日本はともかく、世界的なバービー人形の人気は凄まじく、これまでに50本以上のアニメ映画やテレビシリーズが制作されているが、実写化されるのは今回が初めて。
おもちゃの実写化ってそんなん需要あるの?なんて思うところだが、よく考えたら『トランスフォーマー』シリーズ(2007〜)だって原作はおもちゃ。過去には『マスターズ/超空の覇者』(1987)や『G.I.ジョー』(2009)なんてものもあったし、意外とこのジャンルには奥深い世界が広がっているのかもしれない。
全世界興行収入は14億ドル以上。これはコメディ映画として全世界No.1の記録である。さらに、『ハリー・ポッター』(2001〜2011)も『ダークナイト』(2008)も飛び越え、ワーナー・ブラザース史上最大のヒット作となってしまったのだから驚く。
日本ではまるでヒットしなかったのだが、これは前述したように日本ではリカちゃんが圧倒的なシェアを有しているためだろう。邦題をしれっと『リカちゃん』に変更していれば、この国でも大ヒットしていたのかもしれない。
やれフェミニズムだのWOKEだのポリコレだのと外野がグチグチ煩い作品だが、女児用玩具を題材にした映画なのだからそんなにややこしい作品ではない。メッセージ性は強いが、基本的にはバービーで遊ぶ子供も、かつてバービー人形で遊んでいた大人も一緒になって楽しめるストレートにとっても面白いコメディ映画である!!いや、マジで何度も爆笑してしまいました🤣🤣🤣
特に笑わせてもらったのはバービーのボーイフレンド、ケン。バービーの付属品として扱われる悲運のおもちゃである彼だが、『トイ・ストーリー3』(2010)にメインキャラクターとして登場し、その続編となる短編映画『ハワイアン・バケーション』(2011)では主役を務めるなど、近年再評価の機運が高まっている…ような気がする。
そんな彼がついに実写化。しかも演じるのは名優と名高いあのライアン・ゴズリングである。
本作の1番の衝撃は、「ライアン・ゴズリングってこんなに良い役者だったのっ!!?」という事。『ラ・ラ・ランド』(2016)や『ブレードランナー 2049』(2017)、『ファースト・マン』(2018)でどこか影のあるキャラクターを演じていた彼。いぶし銀ではあるが華はねぇよな〜…なんてこれまでは思っていたのだが、今回の好演を見てその印象は180°激変。頭空っぽのバカを、ここまで完璧に演じる事が出来るとは!!もう本当に本人もこういう人なのだとしか思えない。この人の資質はむしろこっち方面の役で生きるのでは?
ライバルのケンを演じた『シャン・チー』(2021)のシム・リウとのコンビネーションも抜群。この人こんなに体が動く役者だったんだ。うーん、デイミアン・チャゼルもマーベルも、役者の使い方を間違えていたんだなぁ。
バービーというタイトルであるが、はっきり言って記憶に残っているのはケンのことがほとんど。もうこんなんタイトルを『ケン』に変更するべきですやん。
家父長制と有害な男らしさのバカバカしさを、こうも見事に画として見せられてしまうと、男として恥ずかしいとかそういうのを通り越してもう爆笑するしかない。マンスプとかギターとか、心当たりがあるかも…。反省しますもうしません😢
グレタ・ガーウィグ監督の前作『ストーリー・オブ・マイライフ』(2019)は大好きな映画なんだけど、そっちは原作が「若草物語」(1868)というだけあってかなり文芸的な作品だった。てっきりそういうアーティな作風を得意とする監督だと思っていたので、これほどまでにはちゃめちゃなギャグコメディで勝負してくるとは思わなかった。しかもそれがちゃんと面白い。この人に撮れない映画はないのか!?
グレタ・ガーウィグの才能、その底知れなさには畏怖の念を抱かざるを得ない。
大変楽しめたのだが、ギャグとシリアスのアンバランスさは気になるところ。
『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』(2020)や『プロミシング・ヤング・ウーマン』など、マーゴット・ロビーはフェミニズム要素を色濃く反映させた作品をこれまでもプロデュースしてきている。そんなロビーとガーウィグ監督が手を結んだのだから、当然ながら本作も男女の格差や性差別に深く切り込んだ内容となっている。
そもそも、バービー人形を実写映画化しておいてガールズ・エンパワーメントを打ち出さないなんて事はあり得ないのでそこは良いのですが、ステートメントの表明があまりにストレートすぎるのはいかがなものか。
顕著なのは後半、男根主義に目覚めたケンによってバービーたちが洗脳されてしまうというシークエンス。展開としてはなかなか悍ましいのだがその描写はとことんバカバカしいという、笑いながら観ていられるシーンで急に「人間界の女性はこんなに苦しんでいるのよ!」とか大真面目にセリフで言われてしまうと「お、おう…」と怯んでしまう。
クライマックスもそうで、ケンvsケンのバカな大戦争の後に「あなたはあなた、私は私」的な正論でお話を纏められても「いやそれはわかってるんですけど…」と冷や水を浴びせられた感じになっちゃう。
忘れてはいけないのは、これはあくまでも「バービー人形」の映画化であるという点。
フェミニズムは大切な事だが、それよりも本作では〈バービー人形で遊ぶ〉とはどういう事なのかを追求するべきなのでは?女の子に”ファシスト”と罵られたバービー人形の存在意義とはなんなのか、そして次の世代にバービー人形を引き継いでいく意味とは、みたいな感じのおもちゃ論をもっと強く提示して欲しかった。
そういう意味では同じくワーナー・ブラザースが配給している『LEGO(R)ムービー』(2014)の方が、おもちゃとはなんなのかを真摯に追求していた様に思う(ちなみにこの映画、ウィル・フェレルが『バービー』とほとんどおんなじ様な役で出演しているのでまだ観ていない人は要チェック!)。
最後は人間になるというピノキオ的なオチもなんだかなぁ…。
「何にでもなれる!」というメッセージは立派だが、流石に人間は人形になれないし人形は人間になれない。そもそも、人形よりも人間の方が素晴らしいって本当にそうか?死なないし老けないし毎日ハッピーなら人形の方が良いじゃんねぇ?
第一、クライマックスで良いところを持っていったルース・ハンドラーとかいうババァ、脱税の容疑で起訴されてんぞ!信用しちゃならねぇ!!
…と、めちゃくちゃ笑える映画なのだが、少々頭でっかちさを感じてしまう。
登場人物がほぼ全員バービーとケンという、ほとんど禅の様なバカバカしいアイデアは最高なのだから、もっとそういうエキセントリックな方向に振り切って欲しかったのが本音。怒れるバービー軍団が人間界に押しかけ世界を崩壊させ、最終的に『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)の男女逆転バージョンが始まるとかだったらもう花丸あげてた。
にしても、パパ活ケンとかコックリングケンとかお腹の胎児を出し入れできるミッジとか、この映画の製作陣以上にマテル社の頭はイカれているよね💫
全497件中、1~20件目を表示