ノック 終末の訪問者のレビュー・感想・評価
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ハズレのほうのシャマラン
出エジプト記の災いや黙示録の四騎士を伝えたいがために作られた寓話のような。へー、そうなんだ・・・と頷くだけの作品。
そもそも、地球が滅びるから自ら犠牲になるものを差し出せとか、突拍子もない展開で困惑するばかり。被害者とも言える弁護士アンドリュー(オルドリッジ)の言動は一般庶民を代弁してるかのようだが、結局は銃に頼ってしまうアメリカの闇まで描いていたのだろうか。なんとなくキリスト教原理主義の匂いもするのだが、ここで中和剤のようにゲイカップルを主人公にするというあざとさ。
嘘だ虚言だとTVブレイキングニュースを見せられても作為的なものを感じるのが当然。ここのアンドリューとレナードの心理戦は面白かったけど、結局はそこだけ。得られるものは何も無いし、世紀末思想の押しつけのように感じられ、むしろ不快感を与えられて終わってしまった。
映画の感想は人それぞれ。冒頭のバッタも出エジプト記なんだよな~とか仮面ライダーへのオマージュなんだよな~(ウソ)とか、見終わった感想を語り合うのも面白い・・・違うか。
回想シーンが完全に意味無し
不条理な選択を迫られるサスペンスもの。それはいいんだが、そもそも迫られる内容からして「従うわけ無いだろアホ」で終わるレベル。途中で銃を入手してるんだから危険な侵入者を全員撃って警察呼べばいいだけの話。なんでアメリカ人って警察無視するのか謎。
そういうご都合主義部分を抜きにしても、映画として致命的な欠陥がある。それは度々挟まれる主人公の回想シーンに全く意味のないこと。いや過去の葛藤とかできごとが実は現在の問題とか解決法に関係してたとかならわかるよ。でも完全に無関係。ただ単にホモカップルが過去に苦労してきましたマル――みたいな話を入れたかっただけ。これlgなんちゃらに媚び売りたかっただけだろ。芸術としての映画の敗北だわな。
シャマランはマジつまらん監督になったなー。シックスセンス以外、ぜーんぶ駄作。こんな監督むしろ珍しいぞ。
究極の選択では全然ない
本当はトリックなのではないか?
恐怖感は味わえるが
カメオ出演の時間が少なかったな~
「ガッカリ映画界の巨匠」が放つ最新最強のガッカリ作品w
シャマラン映画は「ガッカリしたかどうか」を問うてはいけない。ガッカリするのは当たり前だからだ。したがって「どれくらいガッカリしたか」が正しい問題の立て方なのであるw
こんなガッカリ映画界の巨匠wシャマランの最新作が、知らないうちにアマプラで配信されていたので慌てて観た。
で、本作がどの程度ガッカリするかと言えば、「『ハプニング』と同じくらいガッカリした」という感じだろうか。つまり、ガッカリ度最上級の最低の作品ということだ。
前作『オールド』の場合、何故、物語の舞台となる海岸だけ時間の進み方が早くなるのか説明されないままなのだが、主人公たちは一応はその謎を解明できたし、そこから脱出することに成功し、海岸を利用してショボい事業をしていた犯罪グループの実態も暴露されるという点で、とりあえずカタルシスは得られた。
ところが本作では、ある日突然、ゲイカップルとその子供の別荘に奇妙な4人組が来訪し、カップルと子供のうち誰か一人が犠牲にならなければ世界が破滅するから、死ぬ1人を選べという。
来訪者の発言が真実なのかウソなのか、ウソなら何のためなのか、まるでわからない。
また、発言が真実だとしたら、何故、世界が破滅するのか、それと主人公たちの犠牲に何の関係があるのか、最後まで皆目わからない。さらに来訪者が1人ずつ犠牲になれば、破滅を先送りできるのは何故か。こうした疑問が次々に上積みされる。
最後までそのどれ一つとして解明されないまま、来訪者は全滅、カップルの一人が犠牲になってメデタシメデタシという結論だから、どこからもカタルシスのカケラも生じてこないのである。
いくら「ガッカリ映画界の巨匠」作品とわかっていたとしても、さすがに投げやりすぎるだろう。次回作ではもうちょっと「本気」を出しましょうねwww
選択
世界の終りってこんな感じなの?
世界の終りの想像って、
国や宗教観、年代や仕事などで
全然違ってくるのでしょう。
で、私が思う世界の終りは
こんなハルマゲドン的な終わりではない。
なので、”信じる信じない”とか
”家族と全人類”とか、そんな選び方じゃなく
ロジックの展開としてしか見られなかった。
そんで、ロジックの展開だとすると
ビジョンが見えた4人と選ばれし3人が
”最良の選択”をしたとして、
また別の機会(もしくは場所)で、
同様な4人と3人が選ばれないとも限らない。
そして”世界の終り”こそが
”見えざる力”が選択したものであるならば、
我々は甘んじて受け入れなくてはならない。
せめて更なる再生を期待しながら。
だから我々が選択すべきなのは、
「今日の飯は何を食うか」
だけで良いのだ。
これ、なに?
わからないです
前作「オールド」が科学的だったからか、今回はその逆へ振り切った感じ。「オールド」では確かさを提示してオチもはっきりしていたが、今回は不確かさを提示してきた印象。
とはいえ、宗教に詳しい人が楽しめる映画。逆にいうとこの宗教に詳しい人は、シャマラン監督の意図を汲んでいるかもしれない。
側から見れば「ゲイのカップルが罰せられた」という見解もできるので、この大きな力は、ゲイを許せなかったのかもしれない。
だって、①人類が死ねば3人生き残って、②1人死ねば人類生き残る。
この場合、①を選んでも2人には罰だし、②を選んでもどちらかには罰になる。どっちを選んでも女の子は生き残る。全然調べてないからわからないけど、あの女の子の傷が神の子的な特別な存在を示すサインなのかな。女の子はどう転ぼうと無傷。
考え方によっちゃどこかの宗教へ大きな一石を投じた?とも取れる。オチを曖昧にして、4人にカルト的な要素も残して濁してはいるが、エンタメとしてギリギリ成立させているから、世に出ているんだろうなとも思う。うん。インタラスティングという意味のおもしろさだと思う。
捻っていないことが捻っているということ!?これがシャマランにしか出来ないアプローチか
M.ナイトシャマラン監督作品はあらかた観てきた。
予告は非常に不穏で素晴らしいものであり期待MAXで鑑賞。
今回はどんな捻りを魅せてくれるのか、と楽しみに観進めるうちに別の意味で不穏な空気が…。「これどう転んでも、どうにもならなくないか?」という不安が湧き上がり…。
しかし、ある啓示を受けて、ビジョンを見て、それを同時多発的に見ていた人間がいると知ったら行動せずにはいられなくなるというのは行動原理として筋が通っているし、その本気度もビンビン伝わる。でも決定的な証拠というのは他者にはわかるはずもなく、軟禁状態でその”狂った”状態の人達の気持ちに寄り添えるのか?どんな人権活動家でも寄り添えないだろう。「お前たちのせいで人類が〜」なんて言われてもなぁ。それぞれが自分自身の正義によって動きつつ(啓示によって”動かされている”という矛盾もある)、3人の家族は解決策を模索するがあらゆることの確証がない現状では解決する術は無い。
こうやって書いていて自分でもよくわからなくなってくるが、答えが出ない問答を繰り返させられているそれこそがシャマランの思惑の一つでもある「あえて捻らない、だけど濁しておく」というものに踊らされたような気もする。
ラストも賛否は分かれそうだが、濁すということを考えると「犠牲が必要だったか否か」も濁しておく必要があったのかなと思った。
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