君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
全1296件中、561~580件目を表示
あのアオサギ、誰?
宮崎駿監督作品だから多くの人が賛否し、様々な考察あり、何やかんや話題になってヒットしている作品ではあるけど、あまり名の知れてない監督の作品だったらここまで話題になるのだろうかね?的な内容だとおもいます。
なんていうか身内ウケ作品だと感じましたね。明らかに大衆には向けてはいないですね。最近、こういう有名監督の視聴者置いてけぼり自己満作品が多い気がします。
業界人や余程のジブリファンでないと、この作品から意味やメッセージを読み取るなどは難しいとおもいます。私はさっぱり何が描きたかったのか?何を伝えたいのか?わからないままです。そもそも何かを伝えようとしていたのかもよくわかりません。
とは言え映画の品格というか作画、動画は文句なしの最高レベルだとおもいます。描写の仕方も。流石はジブリ。
特に何の意味があるの?って思うような真人がズボンを穿くシーン、ものすごく細かで丁寧な描きは見事だと思いました。でもただズボン穿くシーンなんですがね。
アニメーションで実写並みの何気ないシーンを描くのは宮崎駿監督の性癖なんでしょうね。
そのくらいですかね注目したのは。
実は途中で眠くなりました。私にとってはそういう作品でしたね。
過去の宮崎駿作品ではそんな事無かったのに。
作品の品質は高いのですが私には向いていなかった作品ということで2.5点にしました。
とても良かった
生と死の間=「十三重の石の時空を超えた世界」=『黄泉の国』に迷い込んで
取り敢えずは、人の評価に惑わされず、余計な先入観など持たないままの素直な気持ちで受け止めることをお勧めしておきます。
やはり、宮崎ワールド=ジブリ感全開の素晴らしさだと感じました。
多くを語りだすとキリがないので、感じたことを並べる程度に納めておく事にしたいですが…..
一番気になった『13個の石の積み木』にまず触れておこうと思います。
劇中で重要な意味を持つ「十三重の石」ですが、これについて様々な解釈、意見が披露されているようです。
私見としては、古代から時間や方位などに使われている六十進法の、60の約数である12はそれらの基準の数として、月、時間、方位などに用いられ、この数は、十二因縁、十二支も意味します。
実は『十三重石塔』というものが国内だけでもかなりの数存在し、アジア各地に同様の塔が存在しているようです。
この建造物のもつ意味は、上記の12に対し「因縁を超えた」13という数、宇宙の摂理である十二支、十二か月を超えた十三という不思議な数に因んだというようにも解釈されており、この数が「時空を超えた黄泉の国」の象徴なのではないかと感じました。
逆に、時間の概念の数字として大きな役割を持つその12に対し、12より一つ多く素数である13は、その調和を乱すものとも考えられることがあるので、劇中のようにその「13個でバランスを保つ」行為に「危うい現世のバランスを保つ」意味を持たせているのではないかと。
周りにあった沢山の石のことを考えると、何らかの原因で崩壊してしまった、実は元の『十三重石塔』の破片、或いは残骸ということなのかもしれません。
作品内容についてはまず、戦争繋がりで、ある意味前作の姉妹編とまでは言えずとも、延長線上のテーマは感じます。
特に「夫(一族)が戦争で敵味方を問わず人の生死を左右することになる、兵器(だが”大空を飛ぶ物”という側面もある)製造に関わる仕事に就いており、その妻は何らかの因果で天に召される。」という類似点を持っていること。(あえて劇中で、ゼロ戦のキャノピー=風防ガラスを見せる描写もありました。)
ある意味、前作のお話の最後の部分からの続編的に、それを更に次を担う世代のストーリーへと繋げるかたちとして描いた、”発展形”的作品のように位置づけられるのではないかと。
そして、直接的な反戦という形で見せるよりは、「戦時下の人(身近な)の生と死」を描く事で問いかけてくるもの、何かを感じ取って欲しいのだろうと受け止めました。
それから、この映画のタイトルになっている本が途中で登場する前後で、主人公に変化が現れたように思いませんでしたか?
他作品にもみられる様に、今回は少女では無く少年の、(異世界での)冒険を通しての成長ドラマという基本は失われることなく、ストーリーの軸になっていると思います。
個人的には、その後の主人公が自らの意思で、惑わされる事なく、目的をつら抜いたこと=「どう生きるか?」の問いかけの答えに既になっている様に感じましたが。
途中、あの世界を“地獄”と呼んでいた箇所があります。
そのものズバリじゃないですが、元の生者の世界から“堕ちて”しまった者たち、これから生まれてくるものたちが交錯する、時空も超えた場所、所謂「黄泉の国」とかの解釈になるかと。
しかしそれはシチュエーション(状況設定上)の必要性からという側面が強く、空(宇宙)から飛来した『それ』は生と死の狭間の世界から、現実世界の(善悪の?)バランスを計る力を持ち得て、大叔父さんはその力を管理する番人として長年現世を保ってきたが、寿命を迎えるにあたって後継の必要性から“血筋の者”の誰かを求めたという背景と、それを理解した主人公が「以後もその力により(裏の)見えない世界からバランスを図る」道を選ぶのか?、それとも、実際に自らの行動でやって見せた様に、自ら(と周りの者たちと)の力を信じて現実世界の道を行くのか?
その選択は既に映画のラストで、作品タイトルへの答えとして示されていると思いました。
考え方によっては、他のSF 作品にもみられる設定としてある、「宇宙の何らかの意思からもたらされた(争い続ける人類を試すべく)超自然的テクノロジー」との解釈も出来るとは思いましたが、そちらに重きが置かれているかと考えると、そちらは微妙に思えました。
あと、世界観や登場キャラクターのインスピレーション的にすぐに思い浮かんだのは、
不思議の国のアリス
白雪姫=七人の小人
イエローサブマリン
などとか?
鎌倉物語の映画も思い出したかな?
あと、どなたかの指摘にあった「なぜ夏子があの世界で出産する事に?」については、主人公が対象にならないとしたら彼以外には彼女のお腹の子供が唯一の血筋=あの世界の後継者であり、主人公を追い返そうとするなつこの態度もそれを受け入れている故と解釈できる。
「父親の早い再婚」を不倫まがいに受け取った方も居られるようですが、そここそ終盤直前の“姉妹”のやり取りと、上記の事などから考えるに、「この時が来た場合の姉妹の取り決め(姉の願い)」=主人公の継母になるという約束事が存在していたのではないかと考える方が、むしろ自然かと。
観終わって、思いついた点について忘れぬうちに、雑駁ながら......
それから書き漏れたので追加しておきます。
題名が「君たち」と複数形になっている事についてですが、幼少期に既に向こうの世界に行って自分の未来も理解していた事で母が主人公の“その時が来たとき”の為に残しておいたと解釈される本の題名からきているという事。
そしてもう一つは、この作品を観た人々がこの主人公のとった選択、この作品の結末から受け止めるメッセージについて、「自身に投影して考えて欲しい」という事が込められているということは、言うまでもないと思いますが…..
うがって考えるとそれは、
「誰かの意思で与えられた調和(平和)を受け身で生きていくのではなく、“友達”や“自分の周りに居てくれてる人々”と、自分たちの努力で築いていって欲しい。」という『平和への願い』の様に私には感じ取れましたが、皆さんは如何に解釈されたんでしょうかね?
ウクライナ問題や中国の台頭ほか、混迷を極める世界情勢の中で、この10年間の間に宮崎監督が抱かれた、特にこれからを担う世代へと向けられたメッセージであるかの様だと、強く感じました。
特に、毎年やって来る“終戦の日”がまた近づいてきたこの夏の時期に、という公開のタイミングも無縁では無いのでは?
悪戯な先入観や、妙な邪推を排除して、まっさらなご自身の心のままに受け止めて欲しい作品であると、願うばかりです。
あえて前宣伝や事前情報を排除された監督の意図も、けっして勿体ぶって隠し立てされてその効果を狙う様な、下衆な発想からのものなどではあり得ないでしょう、正に上記の願いゆえと理解しております。
結局また、書きすぎちゃいました……
最後にもう一つ、蛇足ながら。
事前に、「次回作はナウシカの続編では?」との説が流れていた様でしたが、あながちハズレでも無いようにも。
それは、映画版のナウシカはハッピーエンド的に変えられていましたが、宮崎氏の原作版は“主人公が拒否して終わる”という展開でした。
その点について、ナウシカで果たせなかった「元通りのエンディング」を今作で取る形でもって再現して、自身の最終作として締めくくっておきたかったのではないだろうか?
との考えも浮かんできましたが、如何でしょうかね?
まあ、監督ご本人に伺わないかぎり、その真相は分かりませんね……
宮崎駿の走馬灯
宮崎駿ワールド全開の作品でした。
ジブリ作品に共通しているテーマの一つ、主人公の成長は今作もしっかりと描かれていました。
今作を観ていて1番思ったのは、この作品は宮崎駿の走馬灯的な作品だなと。
なにせ今までのジブリ作品のオマージュとも言える要素がたくさんあるのです。
“ワラワラってこだまっぽいなー”とか、“ヒミってお母さんの子供時代か、マーニーみたいだなー”とか、“あちらの世界とこちらの世界、まさに千と千尋の世界観だなー”とか。
魔法の感じとかはハウルっぽかったり。
時代としても戦時下を描いています。
宮崎駿の世界、思考、彼らしさ、そんなものが詰まりに詰まっていました。
「自分は今まで数々の作品を世に出してきた。それぞれの作品には特徴やテーマや要素がそれぞれ存在している。君たちはこれまでの自分の作品を観て何を思ったか。何を感じたか。そして今作ではどうだ。君たちはどう生きるかーー。」
私はそんなメッセージを勝手に受け取りました。
あまり分かりやすいストーリーでもなく、若干観客を置いてけぼりにしてる感はありますが、この作品から感じとれるものはたくさんあると思います。
2回3回と見れば着眼点も変わりまた新たな考えも生まれると思います。
まさに宮崎駿の走馬灯を覗かせてもらった、人生を体感する、そんな映画でした。
正に宮崎駿ワールド
よくできてはいるが、感動はしない。
私は2回目見ても面白かった
本当に観客の反応が2分されてしまう不思議な映画です。
私は公開直後に見て、ムズ!って思いつつも、居眠りもせず、予備知識なしでジブリを見れる幸せを感じながらかぶりついてみました。
その後、レビューやらニュースやら「失われたものたちの本」も読んでいろんな解釈を2週間見たのち(もちろん主題歌もダウンロードして毎日聞いて)面白いんだろうか??寝ちゃうんだろうか、って思いつつもう一度見てみました。
結果、面白かったんです!
最後の方は何度も鳥肌がたつ感じで入り込めました。
途中寝たりしてしまうかもって思ってみたのも杞憂でした。
久石譲の音楽も1度目はあまり印象に残ってなかったのですが、今回は「君たちはどう生きるか」の本を主人公が読むときに流れてきたりするのが多分一番いいメロディーライン持っている気がするんですが、全部が聞けないのでサントラ買うしかないなって思って早速アマゾンに注文しました。
場面ごとの選曲が素晴らしいです。
2度目見てて気が付いたのは、極端に無駄な音がないんです。
静けさが全体を覆ってます。
もちろん、盛り上がるところは大音量だったり、左右に音が流れたりするんですけど、静かな映画って感じがします。
セリフは本当に少ないと思います。
主人公なんて、途中一言も喋りません。
なのに、映像はいろんなことを語ってます。
周りのおばちゃんたちもわちゃわちゃしてますけど、一つ一つのしぐさがすべてを語ってます。
最近テレビ見るときとかスマホをいじりながら、とか、倍速で見て、とかやっちゃってますが、そんな姿勢で見たらダメなんだと思います。
真剣に音と映像をしっかりみてすべての変化を感じてみるのが大切な気がします。
っていうのを本当に感じさせてくれる良作だと思います。
ファンタジーなんだから深く考えずに見たらいいんだと思います
寝ちゃったとかよくわからないって、つぶやきながら帰った人たちが今日もたくさんいました。
でも、こんな私みたいな人もいる本当に不思議な映画です。
また公開中に見に行っちゃうかもしれません。
一度、宮崎駿について書いておこう
見終わって感想を書こうとか思ったのだけど、よく考えると私は宮崎駿作品って見てはいるしそれなりに好きなんですが、ちゃんと感想を書いた覚えがないのです。
恐らく、私にとって感想を書けない種類の作家に属する人なんでしょうね。
なので他者の感想を読んでもいつもあまりピンとこないし「あぁ、なるほどね」程度の感情しか湧きません。
今回はその辺りを検証しながら宮崎駿という作家について、一度書いておこうと思います。
私の場合大まかに、テーマ性より物語性の強い作品であったり、鑑賞後感が単純に「あぁ~面白かった」だとか、「スゲェー」「なに、コレ」だとかの圧倒させられたにも関わらずテーマ性を見つけられなかったり理解不能の場合は大体感想が書けません。
なので、メッセージ性の強い(例えば社会派映画の様な)作品の方が感想を書くのが楽なのです(苦笑)
例えば、具象絵画を見る感覚と、抽象絵画を見る感覚との違いに似ているのかも知れません。
基本的に宮崎駿ってファンタジー作家であり、そしてファンタジーというジャンルでの私の鑑賞スタイルはほぼ疑似体験であって、一作品として俯瞰した視点で捉えられないのかも知れません。
だからファンタジー作品を見ている時はいつも理解を超えて「わぁ~~」って感覚しか残らないのです。例えば『オズの魔法使い』『不思議の国のアリス』『クマのプーさん』などの映画を見た時の感覚と同様で、鑑賞(解釈・解析)よりも実体験をしている感覚に近いのです。
但し、本作は今まで(全盛期)の宮崎作品とは違い作家自身の私小説も混ざっているので、なので観客(マニア)はああでもない、こうでもないといった言葉遊びに耽るのでしょう。前作『風立ちぬ』ではファンタジーから離れあれだけ自分語りをしていましたから…
で、前作だけではまだ自分語りが足りなかったようで、本作は全盛期作品群の純ファンタジーと自分語りとの融合の様な作品で、まさに今流行りの宮崎駿流のマルチバースを上手くやっていました(笑)
“集大成”って言葉は便利で、本作で今までの作品の要素を敷き詰めて個人史をも語るという方法を見つけ出したように感じました。
よく黒澤明など巨匠作家の晩年期に至る作品の変容と比較されがちで、自分語りの増加という点では共通していますが、宮崎駿は全盛期の作品の特質もまだまだ残していたので、観客側の違和感はそれ程無かったと思います。
手塚治虫なども自分語りはありましたが作品としては独立させていて、宮崎駿の様な“作品と個人史の融合”といった形はほぼなかったので、やはり他の先輩作家たちへの無意識の中の意識があったのかも知れませんねぇ。
期待はずれ
さすがレジェンドとしか言いようがない
印象は和製不思議の国のアリスか少年向け千と千尋の神隠しって感じ。千と千尋とくらべると後味とか全体の雰囲気が暗いのがやや好みではなかった。米津玄師好きでウルトラマンのエンディングとかバッチリだったんだけど、この映画のラストはもっと上がる曲の方が良かった。もしかするとそれだけで千と千尋より好きになったかもしれない。
細かい部分ではやはり声優が本職ではないのがクオリティを一段下げていると感じる、エンディングで名前を確認するまでお父さんの声を池田秀一と勘違いしていて、池田さんにしては活舌とかここぞというセリフのメリハリが下手に感じて、わざと周りに合わせてるのか歳なのかと心配になっていた。棒声優や違和感を感じるほどではなかったが、声だけで物語の魅力を上昇させるような本職がやればキリコなんかはめっちゃ人気キャラになりそうだったのに惜しい。
全体的には満足できる、難解そうに見えるのはタイトルのミスリードのせい、分かる分からないを議論するような映画ではない。ラピュタや千尋やスーパーマリオなんかとストーリーの骨子は同じ、ザ定番。
映像は見ているだけで楽しい、随所に盛り込まれた名画なんかのオマージュも知ってたら偉いとかではなく、多くの人になんかどこかで見たことがあるように感じさせるための仕掛けでしかない。
説明もないのに理解した気にさせる説得力は世界最高峰。だれか継いでくれ。
先達が我々に残せるもの
神が存在するとしたら。
その神がつくりだしたもうとある星である地球という名の星で人類と言われるものが息衝く(視覚として鳥に喩えられる。人間をはじめとする様々な次元で社会的生活を営む全ての知的生命体。その生き物達を取り巻く様々な不条理と無責任な世論又は其々の世界のあらゆる思想と文明)世界。
生き物達は勝手な生き物。盲目であるのにもかかわらず自分達は全能であると信じている。
世界は実に繊細なバランスの上に構成されている。
その事は神のみが知り得ている。
世界を構成するバランス。調和は、その世界に生き
る人類を含めた生きとし生けるもの全ての行動、意
思、感情、エゴ、誠意、悪意、創造により破壊と再生そして栄光が新たに創りだされることで保たれている。
神は世界を知ってしまった者にその成り行きを見守
らせる。その間も世界は破壊と再生を繰り返す。神
の視る日々の夢のように。
世界は無責任で、すぐ壊れてしまう脆弱で危い構造
であることを人は気付かなければいけない。
それは人生の先達が残していく我々へのメッセージと感じる。
世界をよくするためには技術や理論だけじゃない。
よくしようとする生きているもの達の想いが大切なんだよ。
時間をおいて繰り返し観るべき映画。
2025.5.2再鑑賞追記
⭐️4.5
いちばん自由な宮崎作品
ああ、宮崎監督は最後に「素の」映画を自由に創ったのだなと思いました。
宮崎監督の幻想でいっぱいの、とても美しい映画でした。
難解、賛否両論などと言われているようですが、『千と千尋』から『風立ちぬ』までの作品を観てきた鑑賞者からすれば、予想した通りの作品だったのではないでしょうか。
『千と千尋』あたりから、宮崎監督は物語の矛盾や破綻を次第に気にせず、常人離れした幻想的なイメージを映像にすること自体を主題にしたように思います。
この作品でも、メッセージを抽出することはできると思いますが、個々の出来事の意味づけは難しく、映画の中で十分に展開されるわけでもないので、議論にあまり意味はない気がします。
それよりは、個々の映像や言葉からふと受け取る感情自体を大切にするほうがよいのではないかと思いました。
個々の描写からは、宮崎監督の人間や自然に対する強い想いを感じます。
その点は、例えば庵野秀明監督の作品を観て「ああ、この人は本当は言うべきことなど何もないのだ」と痛感するのとは対照的です。
また、この作品にはとても多くの自作引用が含まれているので、後年、宮崎作品全体を語るとき、この『君たちは』に照らし合わせて他の作品も理解される、そういう素材になるのだと思います。
期待を裏切られたと酷評する人がいるのも当然です。
私はこの作品は、例えばフェリーニの『8 1/2』や、タルコフスキーの『ノスタルジア』と同様の作品として観るべきだと思います。
それらも、正直言って内容の正確な意味はよくわからず、定まったストーリーはないですが、映画芸術の到達点の一つとして語り継がれています。
芸術は結局、特異な才能の、いわば芸術の特殊階級が生み出すものなので、私たち大衆が即座に評価することは、そもそも無理があります。
たぶんこの作品も、長い時間をかけて評価が定まっていくのだと思います。
確かに『ラピュタ』や『トトロ』のような映画ではありませんが、人は成熟し、歳をとるので、いつまでもそれらと同じような作品を作っていたら、その方がおかしいと思います。
アニメで、日本でこのような作品が作られることは、もしかしたら二度とないかもしれません。
映画は予算も人も必要なので、世界的な評価を得たあとでなければ、こんな映画を好きに作ることはできないでしょう。
そして、そのような名声を得た監督であっても、創作の最晩年になって、このような作品に盛りきれないほどのイマジネーションを持つ監督は少ないでしょう。
それだけでも稀有な映画であり、宮﨑監督、本当にありがとうございましたと言いたいです。
む、む、む、
面白かった
全1296件中、561~580件目を表示