せかいのおきくのレビュー・感想・評価
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色のあるせかい
全編、白黒かと思っていたらところどころ色が着くのですね。
白黒も慣れると勝手に頭の中で色づいているようで、実際に色が着くとせかいが、日常でもちょっと感動しますが、、、白黒のままでもよいのに、あれは。
でも色が着かないところもあってなにか意味がありそうですが、私には分からなかった。
黒木華は白黒でもきれいで可愛らしい。
佐藤親子の共演も微笑ましい。
マリオのせいで、他の映画の回数が減って、午前に1回だけだったので、混んでいてびっくり。
最前列で見上げることになってしまったことと、昔のTVサイズの画面で見にくかった。
でも、ヒット作も映画館にとっては良いことですよね。2000円が普通のせかいにはなって欲しくない。
なるほど、白黒じゃないとね
冒頭から強烈
小さい頃、親戚の家の田んぼにありました
牛のやつが
なんせ、人口より牛の数が多いとこだったんで
しかし、人はすでにバキュームカーにお世話になっていました
白黒でも案外楽しく見れました
華ちゃんの着物の色がピンクだとは想像できなかったですが、似合う
至る所で肥の入った桶を転がしてましだけど
大丈夫なのか?そーゆーものだったのか?
日本史授業を取ってなかったので
安政がいつの時代かは知らないですが
ダジャレを言ったり
恋愛感情もったり
近所の人が心配してくれたり
今とそんなに変わんないですね〜
日本だからかな
ゴミ問題はいつの時代も大変な思いをしてくれている人がいるから生活できてるんですもんね
そして、その仕事をしてもらって恩恵受けてる人が忌み嫌うという、これまた今でもある問題だなぁ
結局は臭いものに蓋しちゃうんですかね
白黒でよかった
地味な時代劇でこれといった極悪人は出ないしチャンバラも無し。
しかも主人公は江戸の汲み取り屋と落ちぶれた武家の娘。
「アレ」を中心に話が回るんだけどかわやでの汲み取りシーンや
こぼしたのを手ですくったり怒った顧客に頭からぶっかけられたり
ビジュアル的には血みどろスプラッタシーンよりキツい。
カラーにしなかったのは正解。
しかし2カットだけカラーになるシーンが!
目を背けたくなります。
いくら作り物とはいえ出演者たちは良く頑張りました。
アレは何で出来ているの美術さん。
冗語の世界
2023年。阪本順治監督。江戸時代末期、糞尿処理と紙屑拾いの若者二人と、不正を告発して落ちぶれた武士を父に持つ娘の出会いとそれぞれの生活を描く。糞みたいな世界(比喩)を呪いながら糞にまみれて生活する(現実)男たち。言葉にできない感情を抱えながら、実際に言葉を失ってしまう娘。二重化している映画世界のなかで、しかも登場人物たちはそれを自覚してネタにしており、多分に演劇的に生きている。ひとつの事態が三重化しているのだ。
肥溜めのシーンがこれでもかと描かれることではなく、このしつこさに辟易するか、面白い試みとみるか。徹底して市井の人々の暮らしと感情に寄り添い、それを美しいと感じる阪本監督の感性に寄り添えるか。瞬間の美しさを捉えることに躍起となって、カットのつらなりから浮かび上がる運動や感情はさほど意に介さないことに意を唱えるかどうか。いろんな意味で見る者を選ぶ映画だ。
自然に優しい江戸の循環型社会が社会的差別を内包していること、そのなかでも咲く花があること(もちろん蓮!)という物語の要諦を見逃す者はいない。
2023年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️✨
『せかいのおきく』というタイトルやモノクロームな美しい映像からは想像もつかない様な"糞まみれな"純愛青春映画でした。
時代の権力構造の中で、未来の見えない将来に悲観する暇も無く、ちょっとしたユーモアを忘れず、ほろ苦い青春を生きる、3人の若者の物語でした。
ネガティブさよりも、淡々と毎日を生きる中で、ひとつひとつの困難を乗り越えようとする物語は、共感出来ました。
細やかな演出には派手さはありませんでしたが、逆にそれがとてもリアルでした。
この映画は、肥溜めの糞をこれでもかと描き、日本映画史上とても稀有な作品となりました。
上映館も少なく、レイトショーでの上映予定もほとんど無いようなので、このゴールデンウィークに観ることが出来て良かったです。
オススメ!
上も下もない。
63本目。
衝撃的な始まりで、これが最後迄とは。
これがカラーだったらとは思うけど。
解釈、感想人各々。
身分の違いあるけれど、飯食って排泄するのは皆同じ。
上も下もない。
まあ、そう解釈。
汚穢屋2人の腰が、もう少し座ってくれれば良かったかな。
池松壮亮が熱演!幕末の時代の糞尿を売り買いする底辺の人たちをリアルに描く。
阪本順治監督には「エルネスト」やキューバ関連イベントでお会いしたことがある。あまり取り上げられないテーマをしっかり向き合って製作されている印象を受けた。「団地」も面白かった。
今回の映画は、「気鋭の日本映画製作チームと世界の自然科学研究者が協力して、様々な時代の「良い日」に生きる人々を描き「映画」で伝えていくYOIHI PROJECTの第一弾作品です。」(公式HP)とある。江戸時代の幕末の頃の糞尿を売り買いする底辺の人たちと長屋、そして武士。理不尽な仕打ちを受けるもひたすらに耐えて生き抜いている人たち。
黒木華は武士の娘であるが事情あって長屋に住んでいる。武士のホコリを持つ父と暮らし、気丈夫でしっかりしている。
個人的には池松壮亮の役どころがとても印象的で、あの時代を生き抜くサバイバル精神を持っている。それは揺るがない身分制度の中に身を置き、それから逃れることもできない自分をよく知って耐えて生きてる。そこを演じきっている。庶民の日常の生活をありのままに描き、下からの視点をリアルに伝えようとする試みは、一見地味ではあるがじわじわと心に残る映画であると思う。
その後、時代は大きく変わっていく事となる前の時代。彼らがより人間らしい生活ができるようになるのであろうか。
ほぼ全編モノクロの映画であることが、時代を感じさせる。糞尿が画面に頻繁に映るのでその方がいいのだが。ほんの数カットがカラーになる演出もある。
人間は仕事に生きるに非ず、役割りを見つけ出せ
本作は予告編を見て、絶対に見ようと思っていました。
日本の時代劇にはチャンバラ(アクション)メインの作品と、落語の様な長屋モノの庶民の日常を描いた作品と、大きく2種類のタイプがあって(テレビなどのシリーズでは両方融合されたものが多い)、割合で言うと圧倒的に前者タイプの方が多く、本作は珍しく後者の物語の様だったので見たくなりました。
更には、後者の傑作の代表に『人情紙風船』という作品があり、この作品の影響なのか悲劇的で暗い作品が多かったのですが、本作は悲劇的要素も含みつつ最後は希望で終わっていたのも珍しかったです。
で本作の内容ですが、テーマとして恋愛モノと生き方(人生観)について、大きく2つの核で物語が進み、私は前者は苦手な分野なので後者のテーマに様々な考察へのインスピレーションを貰いました。
ここからは少し映画から外れた内容で進んで行くとは思いますが、映画のメッセージには通じるとは思いますのでご容赦を…
近年、SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)という国連目標が叫ばれ続けていますが、これを聞いて意味や主張は分かるがどうしても真剣に聞けず鼻で笑ってしまう人が多くいて、私もその一人です。
何故そうなるのかというと、様々な社会問題に対していつも同じセリフの繰り返しになるのですが“今更言うな”に尽きるのです。今更言うこと自体が遅すぎるのですよ。
歴史的に産業革命から200年間、世界はこの方向で進んできたのです。それからずっと自然破壊しながら、一部のパワーを持った人間の目先の豊かさだけを追いながら、将来の危機についても予測していながらも突き進んだ人間が、200年前に戻れるのか?という疑問から、今更信じられないという意味で苦笑してしまうのですよ。
まさに人間社会に於いて、歴史上最も激しく変化したこの200年であり、そして本作がまさに200年前の日本の姿であって、今の日本人が当時の生活に戻れるのか?ということです。
何故、人間は自然破壊をしてまでも産業革命を突き進んだのか?という疑問を解決してからでないと、急にSDGsを叫ばれても何も進まないという話です。
それを踏まえ話を本作に戻しますが、人間社会の歴史は何千年前に“都市”というものが出来てから、糞尿問題との戦いでもあった筈です。
少し前「水滸伝」を読んだ時もこのエピソードが出てきましたし、欧米社会のハイヒールも糞尿対策から生まれたものだと聞いていて、日本の江戸は世界でもその対策が最も進んだ都市であったと言われています。まさに今言うSDGsの理想社会であったのです。
本作では“役割り”というのが重要なテーマになっています。
現在、機械化・AI化によって産業革命以降に生まれた人間の“仕事”(労働)というのがかなり無くなってしまっています。だったら人間は仕事をしなくても良いのか?という問題が出てきますが、江戸時代の庶民(町人であり、士農工商の工商に当たる人達)というのは殆どがフリーターだったらしいです。武士と農業の様な毎日毎日一定の仕事がある人間などいなかったという意味です。皆が皆その日暮らしの日雇いの様な存在であり、“宵越しの金は持たない”という言葉は、その日暮らしのそうせざるを得ないという意味でもあるのです。なので、当時は“仕事”という言葉よりも“役割り”という言葉の方が重要だったのだと思います。
で本作は、仕事が無くなりつつある現代人が参考にすべきは江戸時代の庶民の生き方(思考法・観念)の中にヒントがあるのかも知れないという映画だったような気がします。
SDGsを叫ぶなら、こういう物語の様に人間の本質とは?から、じっくりと世界的なコンセンサスを得ながら教育と方向転換を進めなければ、ただの絵に描いた餅に過ぎないってことだと思いますけどね。
映画の述べる主義主張が何なのかがよくわからないが…。
今年145本目(合計796本目/今月(2023年5月度)2本目)。
まず、この映画は予告編などからして相当昔の映画のリバイバル放映なのか?と思えるような状況になっていますが(モノクロ)、映画の中ではカラーな部分がなぜか1か所だけある(4章と5章の間の部分。なお、現代に巻き戻ったりするようなタイムワープ的な仕掛けはない)ので注意です。
で、この映画がなぜにほぼほぼ99%モノクロなのか…というのは、この映画が扱うものが「ある特殊なものである」というところに大半つきます。もしカラーならもうそりゃR18は免れないでしょうというところです。
ただ、冒頭にも書いたように、この映画は何を述べたいのかがよくわからないのは、多くの方が書かれているところで、どうにもわからず。テアトル系列系の映画は比較的述べたいことがはっきりしている(「はい、泳げません」など)映画が多いと思いますが…。
・ この時代に(実は、現在でも)価値の高かった、「ある肥料の類」に関すること(この点がモノクロに関係する)?
・ 当時の女性の人権に関すること?女性の識字率の問題?
・ あるいは、タイトル通り「せかい」が意識されるようになったのもこのころであるのは史実上事実なので、そのこと?(ただし、海外は一切描写されない)
・ いわゆるSDGsのこと?
…といろいろ考えられるのですが、どれもが正解で一つに答えが定まらないように思えます。90分ほどと短いことと、登場する女性の意思疎通が困難であること(映画内では識字率の問題(寺子屋か何かに行くような発言がある))などによります。
ただ最後まで頑張ってみると、「英語字幕版担当だれそれ」というエンディングロールが出ることから、この「モノクロにせざるを得なかった、当時の農業ほかで重視された「あるもの」」について海外で日本で紹介する趣旨で海外進出を想定されているのではなかろうか…という気がします。そうであればストーリーを複雑にすると理解が困難になるので(特に歴史ものは海外の方にはどうしても厳しい)、どうもそれが正解(最大公約数的につくったらこうなった)という気もしますが、さて何が正解なのか…。
やや「何を述べたいかよくわからないタイプの映画」とは言えます。ただ、人の気分を害したりするような発言描写はほぼほぼありません。
採点に関しては下記を考慮して4.7を4.5まで切り下げています。
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(減点0.3/映画の主義主張が何なのかが見出しにくい)
多くの方が指摘内容にされている通りで、「この時代に重宝された「ある肥料のようなもの」」の話なのか、当時の女性の識字率等の問題なのか、あるいは「せかい」の認識の話なのか、それともSDGsか…と複数考えられてしまいます(多分一つではなく複合的に存在する?)。
特にテアトル系列さんの映画は理解の差はあっても、主義主張ははっきりしている映画が多いので、ちょっと意外だったかな…というところです。
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時代描写には難を感じるが、監督の思いが世界に届けば良い
肥汲みに関する描写が強烈で、そのために基本的にモノクロで描かれたらしい。時折カラー場面も出てくる。ただ、言葉遣いといい、長屋の人々との仲の良さのみならず浪人の娘との恋といい、フィクションとはいえ、江戸時代の描写として難を感じるところではあった。ただ、SDGs がテーマであり、『カムイ伝』でも身分の差を超える恋や、支配階級への反逆が描かれていることとも通じる面を感じた。阪本監督の思いが世界に届くならば、良しとしたい。
声を失ったけど恋をした
江戸時代の末期に生きる若者たちを描いた青春時代劇。モノクロ映像が何とも言えない抜群の雰囲気を醸し出している。生きることの厳しさを通じて心を通わせていく若者の心境を上手く描いている。主演の黒木華はさすがの演技力でおきくの役柄にピッタリの印象。
2023-66
珍しい白黒映画、でも言葉はごく現代調のアンバランス
「ウーン、コの映画をどう評したらいいんだろう?ここ笑うとこだぞっ」ってな感じの映画でした。観ていない方には何が何やら分からないと思いますが、観た私にとっても不思議な感じの映画でした。
最近には珍しい白黒映画(ごく一部のみカラーでしたが)であり、きっと白黒だからこそ表現できることが観られるんだろうという興味から観に行った訳ですが、始まった直後にその理由が分かりました。主人公の中次(寛一郎)と矢亮(池松壮亮)はおわい屋(人家の糞尿をくみ取り、農家まで運ぶ職業)であり、ウンコさんのシーンが多数登場するために白黒にしたんだと、少なくとも一義的理由はそこにあるんだと開始直後に了解させられました。そうじゃないと、90分間のかなりの部分を占めるウンコさんのシーンで、途中退場してしまう観客が続出する可能性がありますからね。
時代設定としては、江戸時代末期の安政年間から文久年間にかけてのお話でした。井伊直弼が反対派を弾圧した安政の大獄、その井伊直弼が暗殺された桜田門外の変、老中安藤信正が襲われた坂下門外の変など、激動の幕末期の真っただ中なのですが、本作にそうした激動の波はあまり押し寄せて来ていません。ただ現代人的には歴史を知っているので、そういう時代背景のフィルターを通して観ており、そうした激動の時代が物語にも影響して来る展開になることを予想しながら観ていた訳ですが、結果そうなっておらず、製作者は敢えて市井の人々を描く映画に拘ったようです。
では何を言いたい映画なんだろうというと、ひとつは今注目の(?)循環型社会ということ。前述の通り主人公はおわい屋であり、江戸の市中、庶民の住む長屋や武家屋敷などから出る糞尿を汲み取り、当時は江戸の府内ではなかった亀有辺りの農家まで運ぶことで生計を立てています。肥料となる糞尿を入手する農家からお金を貰うのは当然としても、糞尿処理をして貰っている江戸の住人が、おわい屋からお金を貰っていたのには驚きました。糞尿処理がなされなければ街中糞尿まみれになるというのに、これをお金を貰って処理してもらうというシステムは、現代感覚からは全く思いも及ばないこと。ただ現代の糞尿は下水道経由で処理されて川や海に流されるだけですが、当時は肥料として使われており、立派な商品だったこともまた事実。こういう構造が結果的に循環型社会を構築していたことを考えると、中々に興味深い話ではありました。循環型社会を是とするなら、それを実現するヒントが歴史に隠されているのではないかと思ったりもしたところです。
肝心のストーリーですが、おきく(黒木華)と中次の恋物語でもありました。おきくは物語中盤で喉を切られて声を失ってしまいますが、それでも懸命に生き、恋をしています。ただそもそもの話、おきくが中次に恋するきっかけの部分がイマイチ明示されておらず、また中次の兄貴分たる矢亮との対比で、おきくが何ゆえに中次を選んだのかなどもはっきりと描かれていませんでした。そのために今ひとつ感情移入が出来ぬまま、物語は終わってしまいました。まあウンコさんの印象が強烈で、そちらに目(鼻?)が行ってしまったこともあるのかも知れませんが、もう少しおきくの心情を掘り下げて貰いたかったと感じました。
また、白黒時代劇の割に、セリフ回しが完全に現代調になっていたのも、大いに疑問でした。冒頭の「ここ笑うとこだぞっ」というセリフも、矢亮の口癖なのですが、完全に現代のお笑い系の口調。別に全てを江戸言葉にする必要はないし、そんなことをすればむしろ理解を妨げることにもなるでしょうが、敢えて現代調のスラングをぶち込まれても、違和感しかないように思われました。勿論時代設定だけ江戸時代の現代劇もたくさんありますけど、折角白黒作品にしたんだから、もう少し言葉遣いも白黒トーンで行って欲しかったところです。
以上、最近には珍しい白黒映画ということで観に行きましたが、ウンコさんが大活躍する映画の割には消化不良の面があったので、評価は★3とします。
オェ~ カラーはやめて~
木挽町といったら銀座のど真ん中じゃありませんか。そこから水路で葛西まで糞尿を運び集め、江戸川を遡り、亀有村まで運ぶ。人糞を引き取るのにお金をもらうのではなく、逆に払う。そして、農家の庄屋に買い取ってもらう。労力を考えると全然合わない商売ですが、江戸時代の立派なSDGsと言えなくもないかと。
カラーでなくてよかった。
ちょっと、カラーになった場面。とたんにリアル過ぎて、幻臭に襲われました。くみ取り便所の頃のタンク車(バキュームカー)の臭いを思い出しました。ホースの先端のフタにはだいたい軟球のボールを使ってましたね。
肥溜めに落ちた(落とされた)ことが二回あります。
おぇー。
汚穢屋の二人組(矢亮と中次)と長屋住まいの武士の父娘(松村とおきく)。お役御免になった父はまっすぐ過ぎる性格が災いし、辞めたあとも危険分子とみなされ、同僚の武士により殺害される。父を案じた娘があとを追ったため、喉を切られ一命を取り留めたものの喋れなくなる。もしかして、娘の命を取ることに躊躇した同僚たちが喋れなくしただけかなとも思いました。しかし、頸動脈まで切られていれば即死は免れない傷。声帯だけを切るのはかなり高等な技。それに、おきくさんは喋れなくでも、書道の師範なので、字が書けますからね。
武士の娘役の黒木華ちゃんお目当てでしたが、池松壮亮と寛一郎もお目当て。阪本監督作品冬薔薇に出演していた僧侶役の眞木蔵人もよかった。
そして、石橋蓮司の主演作品の一度も撃ってません以来の佐藤浩市と寛一郎の親子共演。しかも長屋の厠(共同便所)で佐藤浩市がしゃがんでうんち💩中の会話が面白かったです。
華ちゃんが半紙に「ちゅうじ」と書いて身悶えるシーン。
ここ笑うところでしょ。
華ちゃんの和服姿のおしり、よかったです。
おきくさんのいわゆる菊のお花がアップになるシーンはなかったです。
それにしても、武家のお嬢様がおわい屋稼業の青年に惚れるでしょうかね。もちろん、池松壮亮よりは寛一郎てしょうけど。おわい屋稼業の若造が江戸の長屋住まいというのもね。
しかし、さすがに映像は超一流で、どしゃ降りの雨の音などもよかったです。カンヌ狙い?
クソ映画(貶してません)
ハッとするシーンはいくつかあったけど、ハッとする映画にはなれなかったかな。
江戸末期の若者の青春が描きたかったのか、
汚穢屋の仕事を描きたかったのか。
もっと見せずに見せる方法があったんじゃないかな。
臭いものには蓋をしてほしい。ここ笑うとこ?
多分見せたかったんだろうけど。
クソにこだわりすぎて、せっかくの美しいシーンがかすんでしまう。
半世紀前まではああやって暮らしてたんだもんなぁ。
肥溜めってそういや、ある時期に一気に見なくなったような気がする。
生まれた時から水洗トイレが当たり前の世代は、自分のうんこしか見ることないんだろうな。
それにしても映画の画面では見たくないや。
寛一郎は佐藤浩一にそっくりだし、佐藤浩一は三国連太郎にそっくりになってきたな。
何故白黒なのかは見てのお楽しみ!!
汚穢屋の仕事シーンがしょっちゅう出てきて、クソまみれになったり、クソをネタにした会話に溢れています。
白黒なので個人的には笑えましたが、生理的に無理な人もいるだろうなと・・・
兄と弟の会話で、口ではデカい事ばかり言って実際には何もせず、世の中の不平不満を言いながら卑しい仕事を続けている兄に対して、弟が「兄貴は気持ちはつええが、心が弱いんだよ!」と言います。
この台詞が私の心に刺さったので4点になりました。
ハッピーエンドではないけど、それ以前よりも希望が見えているラストシーンも好きですね。
“おわい”のおきく…せかいは“あい”ではなく“おわい”で満ちている…
①肥溜めの蓋を開けるところから始まるなんて確かに前代未聞の時代劇。
②「おわい屋」と元武家の娘の恋なんて本当は有り得ない話だけれども、それを不自然に感じさせないのがやはり黒木華の佇まい(特に横顔の額から顎への線が美しい)と演技力。
『ヴィレッジ』などで無駄遣いしてほしくないものだ。
③映画だから臭いはないのの、もし臭いが付いていたら一部分を除いてずっと“おわい(人糞)”の臭いが漂っていただろう。これは、そういう世界で生きていた人達の話。
④私は奈良の農村で育ったから、子供の頃は普通に畑の中に肥溜めがあったし、目の前で落ちた人も見た(あれは悲惨)。
畑も当然肥料として肥を撒いていたし(映画の中とは言え久しぶりに見たわ)、そういう畑で育った野菜を洗って食べていたし。
でも勿論臭いものは臭いので、傍を通るときは鼻をつまんで息を止めていたし、なるべくその光景を見ないようにしていた。
⑥ただ循環型社会を目指して人糞を肥料にしていたのではなく、それが当たり前だったから。だって人糞て畑にとって栄養あるんだもの。
江戸時代は循環型社会でエコ社会だったとよく言われているけど、単に鎖国をしていたから外国から物が入ってこないので物を大事にしないといけないしリサイクルをせずにいられなかっただけ。
“おわい(人糞)”もエコというより先に述べたように畑の肥として有用だったから。
⑦子供の頃、勉強をサボると父親から“そんなことなら将来はバキュームカーの運転手にしかなれないぞ”とよく言われたもの。
今から思うと随分酷い言いようだし、ホント私の父親ってバイアスだらけの田舎の人だったと思うけど、ある意味それを反面教師として今の私があるとも思う。
⑧ただ、それでも子供心に「おわい屋」さんを少し歪んだ目で見ていたことも確か。
人間は物を食べれば100%吸収出来ないから当然排泄物が出る。
それを処理してくれない人がいないと劇中にあったように世界は人糞まみれになる。
「おわい屋」さんに限らないけれども、人が穢いと思う仕事をする人が世の中には必要なのだ、と気付いたのは恥ずかしながら自分も仕事をし出してから。
日本古代は水洗だったけど(今の水洗とは違って河に流すだけだった)人口増加に下水設備が追い付かないのが原因で藤原京や平城京からあんなに早く遷都しないといけなかったらしいし。
⑨だから、上で述べたことと矛盾するけれど、今の感覚だからそう思うけれども、江戸時代は社会に必要不可欠なものだったから「おわい屋」も現代で思うほど穢い稼業ども思われなかったのかも。
忠次も他に幾らでも仕事がありそうなのに意外とスッと「おわい屋」になったし。
それでも歴史のリアリティーを重視すると身分差別の厳しい江戸時代で最早武家ではないにしても元武家の娘が「おわい屋」を好きになったりするのは有り得ないと思われずにいられないし(そもそも武家社会には自由恋愛なんて無かったし)、それを言えば矢亮や忠次の話す言葉もほぼ現代語で若い世代に観て貰う為かも知れないがどうしても違和感が残る。
江戸時代の庶民が「青春」という言葉を知っていたか、という疑問も残るし。
⑩それでも、江戸時代という窮屈な社会(現代人が勝手にそう思っているだけで当時の庶民はそれが当たり前だと思っていたでしょうけど)を背景に、「どんな人間・職業にも役割がある」「身分を超えた恋愛があっても良い」「やがて来たる新しい時代(何せ年号は安政・万延ですから)に向かって走っていく若者たち(ラスト、そういうことでしょう?)」という理想を描いているところにこの映画が映画たる所以があるように思う。
⑪ともかく、歩き去っていく忠次の足音を障子越しに聴くおきく(黒木華)の表情が素晴らしい。
この表情を観るだけでもこの映画を観る価値があるというものだ。
うんこ映画!
うんこが好きな人いるのかな?私は途中で気持ち悪くなって退場。黒木華は好きな女優さんだけどうんこまみれの映画はさすがに勘弁かな。気持ち悪くて昼飯食べれませんでした。途中退場者なので評価する権利はないのですが余りのくそ映画なので、、、。
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