「せかいでいちばんきみがすき」せかいのおきく ゆり。さんの映画レビュー(感想・評価)
せかいでいちばんきみがすき
江戸末期。これまでの価値観が大きく変わろうとしていた時代。でも変わらない人々の暮らしぶり、青春を描きました。
舞台は江戸。矢亮(やすけ)は厠の糞尿を買い取って亀有村(葛飾区。江戸には含まれていなかった)の農家に売りに行く下肥買い(しもごえがい)。中次は紙くず拾いを辞めて矢亮を手伝う事に。おきくは武家の出ながら父親の失業で長屋暮らしになり、寺子屋で字を教えていたが、ある事件で声を失う。この3人のたくましく生きていく姿が、時にユーモアを交えて清々しく映ります。
黒木華さん演じるおきくが可愛いです。凛とした後ろ姿、恋しい人を気遣って味噌入りおにぎりを握る姿、おにぎりに土が付いて渡せなくなり、自分で食べてしまうところ。寒い中、しもやけの裸足に下駄で、恋しい人を待つ姿。
本作は、世界中のおきくへの応援歌のような作品でもあります。
長屋の人々も生き生きとしていますが、池松壮亮さんが特に素晴らしかったです。
汲み取りの仕事なので、白黒だとまるで本物のような再現度の高い糞便がたびたび登場しますが、意味のないゲロより意味があるうんこの方が私は耐えられます。でも音は臨場感がありすぎですかね。
本作、私はかなり気に入りましたが、惜しい点もあります。
・糞便を扱うシーンが多すぎること。本物ならとても無理ですからかえって作り物っぽい。
・手を洗わないなど、不衛生過ぎて、いつ伝染病が発生するかと冷や冷やしましたが、実際はもう少し気を付けたのではないでしょうか。
・長屋暮らしにすっかり馴染んだタイミングで父親が殺された訳が分かりません。上司の恨みを買ったのならもっと前にやられそうです。危険思想の持ち主と判断されたのなら、塾で教えている場面があっても良かったです。
・父親と声を失った苦しみの描写が足りない気もします。
とはいえ、観終わって、とても良い映画だと思いました。
コメントありがとうございます。
いつも丁寧に読んで下さって嬉しいです。
ゆり。さんのレビュー。
この映画への愛が溢れていて胸を打ちます。
題名
そうですね。
世界中のおきくへの応援歌・・・
本当に純粋でおおらかで可愛い一途なおきくさんでしたね。
意味のないゲロより、意味のあるうんこ・・・
言い得て妙、です。
筧一郎さんの、ちょっと照れ隠しみたいな微妙な感じ・・・
ピッタリかもしれませんね。
その点、黒木華さんと池松壮亮さんは、
なんの見栄も躊躇いもなく役になり切っていますものね。
阪本順治監督って、考えることがユニークで、
良いですね。
コメントありがとうございます。
ほんと武家屋敷の門番は、憎ったらしいですね。
自分は武士じゃないのに、偉そうにしちゃって、まさに虎の威を借る狐ですね。
ゆり。さんの「世界中のおきくへの応援歌のような作品」という表現、ステキです♥
ゆり。さん イイねコメントお褒めのお言葉ありがとうございました。確かに今、世界一をぶっちぎりで突っ走る、トイレ🚽界のダントツレジェンド・トイレの最高峰日本しか知らない欧米人はビックリ‼️ですね。もしよろしければ私の欄もご覧ください、ありがとうございました😊
カール様、私の質問に答えていただいたばかりか、他の疑問にまで解説いただきまして、本当にありがとうございます。大感激です。一見有り得ない設定のようでも、聞き流していたセリフにもすべて意味があって、ちゃんと筋が通った奥深い作品だと分かり、うれしくなりました。松村は中次に、「おきくみたいなのは止めといた方がいいぞ」と言っていましたね。身分が低い者に対して、自分の娘の愚痴を言った、あそこで、すごく進歩的な人物だと思いました。
続きです。
松村は奉行所の役人だったようですが、おそらく上役の役人と商人との間の贈収賄の証拠を黙っていられなかったとかの理由でお役御免になり、長屋住まいになってしまったが、さらに上役が出世することになり、事実を暴露されることを危惧した同心たちにより殺されたのでしょう。松村はじきに世の中が変わることを感じており、それを世界(せかい)と呼んでいました。つまり、明治維新に繋がる潮流を感じていて、身分についても進歩的な考え方で、武士でありながら、最下層の中次にも身分を越えてひとりの人間として対応をする男でした。おきくも父親の思想信条を受け継いでいたのでしょう。汚穢屋となっても中次のことを恋愛対象に出来たわけもそのへんにあるかと思います。中次は若くて、まずまず健康てしたが、職人集団に入ることは難しく、かといって農村にも属せず、江戸の下町でひとりで長屋住まいをしていたわけです。家賃を払わなくても、大家は店子の糞尿代で生活出来たらしいです。家賃をちゃんと払っているおきくさんがわたくしのモノはこの中にはありませんと中次の前で恥じらうのも可愛いですが、家賃を払っているから、糞尿代とは関係ないと主張しているともとれる場面でした。
ゆり。さんの以下のご質問に私なりの意見を述べたいと思います。【よくよく考えると、中次は若くて体力もあるのに、なぜ紙くず拾いをしていたんでしょうね。飛脚は字が読めなければならないでしょうが、大工とか力仕事は出来そうです。】江戸はスーパーリサイクル社会でした。その最たるものが汚穢屋です。江戸の人の糞尿は近郊の農家が肥料として競って買い取ったと言います。中でも、吉原から出る汚穢は価値が高く、高く取引されたとか。中次は矢亮を手伝うまえは紙のリサイクル業に携わっておりました。江戸の台所を支える近郊の農家の間で野菜に混じってサナダムシのような回虫、蟯虫も循環したわけです。中次は読み書きが全く出来ないみたいでした。そうゆうひとはたくさんいたでしょう。江戸時代の身分制度、士農工商がありますが、リサイクル業界に携わる人たちは大切なエッセンシャルワーカーであったと同時に商人以下の隙間産業従事者で、汚穢屋の場合は農家の下請け業だったと考えられます。大工さんは親方を中心とする職人集団で工にあたる身分ですが、そこに入るにはツテやコネがなければ入れなかったのではないでしょうか。矢亮は水飲み百姓のせがれで、農村に住んでいましたが、中次は身寄りがなく、たったひとりの妹も癆咳(結核)で死んでしまったとおきくの父親と厠の外で話しておりました。おきくの母親も結核で死んでしまったようです。