「超難解ホラー」みなに幸あれ R41さんの映画レビュー(感想・評価)
超難解ホラー
「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」というテーマを下敷きに作られた作品のようだ。
これは確かにホラーだが、それ以前に「SF」というジャンルにしなければ何もわからない。
主人公が父の姉を訪ね、彼女と接見し、彼女が言った言葉がこの作品のテーマであり、この作品にSF要素があるということを示している。
しかしこのSFとしての設定がほぼテーマにしかなく、このSFがわかりにくいことで作品の意味がわからなくなることが残念な点だ。もしかしたら「異世界もの」の方が近いのかもしれない。完全に個人的主観ではあるが…。
さて、
この特殊な設定は、食に関する主人公と祖父母との会話で始まるが、それは食肉の過程を知らずに飽食する者たちへのジャブだろう。
その「犠牲」は、一家で「人間一人分」というのを、実際の人間(搾取される)に置き換えている。
基本的に普段は考えないことをリアル化した「世界」がこの作品だ。
しかし、
それにしても難解だ。そもそも「誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている」という感じのタイトルにしたほうがよかったように思う。
それを「みなに幸あれ」としたことにはどんな意図があったのだろう?
テーマがダイレクトに来ることで作品の設定が明確になる。それに沿ったホラーであればよかったと思う。
しかし「ホラーなのだ」と言われれば何も言えないのだが…。
また、
祖母の妊娠出産は何を意味するのかさっぱりわからなかった。そこにはテーマはなく、ただホラー感だけがあった。
この世界の秘密を知らずに生きてきた主人公。猟師が狩る鹿は象徴。味噌は犠牲者によって作られるのだろうか? そこら辺りに仕組まれた映像は、ホラー特有の気持ち悪さを演出しているが、ただ気持ち悪い。
さて、
幸せとは、完全なる主観でしかない。比較も不可能だ。その幸せという主観には「犠牲」があるという考え方こそ不幸なのだろう。
最後に主人公が彼の両親に会いに行く。その様子を近所の独身女性が覗いている。主人公はにこやかに笑い「だって幸せなんだもん」と答え再びタイトルが表示される。
誰に何を思われても自分が感じる「幸せ」にケチを付けてはいけない。そこが不幸への落とし穴だ。
タイトルは真っ赤な文字 落とし穴が潜んでいる。
彼氏と待ち合わせた主人公は、横断歩道で荷物を持つ老女と再び同じシチュエーションとなる。しかし主人公の心はそれどころではなく、彼女に変わって誰かが老女を助ける。
できなかった些細な行動も、自分を責めなくていい。関わる時は関わるのだから。
自分を責めるのも不幸。
いじめを受けていた中学生が「オレ、大丈夫っすよ。なっても」というのも、同級生が主人公に首を絞めさせ、彼女の祖母宅の新たな「犠牲者」になる選択も、それこそ不幸の元凶だろう。
日本には「犠牲」が美徳とされた歴史が長い。しかし犠牲が誰かを幸せにするわけではないのだ。幸せとは、ただそれを自分自身が感じるものだ。
この作品は、幸せという言葉を遣いながら、不幸が何かを伝えているのかもしれない。
そう思えばこの作品が如何に濃いテーマを持っているのかわかる。そこに異世界要素はあっても、SF要素を削っているのも理解できる。
しかしホラーで難解な作品は初めてだった。