怪物のレビュー・感想・評価
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大人になって、保守的になったかなあ
母の言う家族(子)を持つことが幸せだと言うのなら
なぜ生まれてきたのか?と悩むミナト。
幸せは誰にでもあるもの、が主題なのか...
皮肉にも感じてしまう私は、子供のまっすぐさを忘れてしまったのかもしれない。
忘れてしまった子供の頃の秘密基地を覗き見させてくれる本作。
是枝監督の撮る情景が好きな者としては、坂元脚本は脳フル回転でちょっと疲れる笑(ミステリ好きにはむしろいいのかも)
怪物は噂のことかな。
観たい度○鑑賞後の満足度○ 日本映画で恐らく初めてこのテーマに切り込んだ先進性と挑戦意欲は認めるが、それを描くのにこの演出と脚本で良かったのかは疑問。と云うことで、も一回観ようっと。
2023.06.09. 2回目の鑑賞。
で、1回目より評価上がりました。★★★★にしても良いかな。
どこに伏線があったかを確認するために、犯人とトリックとを知ってしまった推理小説を再読する感じ。で、推理小説ついでに言うと、ダブルトリックみたいな構造にしてあるんだね。
実際は単に子供の嘘に大人が振り回されるだけの話に(こういう映画でしたら『落ちた偶像』とか『噂の二人』とか沢山ある)、『羅生門』的構造を乗っけて、如何にも一つの出来事が人によって見方が変わってくる話という体裁を取っているだけ。
ただ、どうしてこういう構造にしたのかはやはり疑問が残る。
真相の意外性を強調するためか、あまりこういう構造の話はなかったので一回使ってやろうと思ったのか。
それに母親編、教師編はやはり違和感はそんなに薄れなかったけれど(もっと練った方が良かったかも)、1回目の鑑賞では気づけなかったが、子供編は素晴らしいと思う。
ここだけ抜き取れば佳作と言えるかも知れない。
①「カンヌでクィアパルムを取りました」、なんてポスターにデカデカと書いたらどういう映画か分かっちゃうじゃない。
と思うが、大多数の日本人はそれでも分からなかったりして…
②全作品を観た訳ではないけれども、これまで是枝裕和演出の映画で感心したことはない。
演出力はあると思うし画作りも上手いと思うのだがいつもピンとこない。
特に社会性のあるもの、現代日本の持つ色々な問題を取り上げて描くものは設定が極端すぎて外国人には受けるかもしれないけれど、日本人としては「だからどうせよ、というのよ。そんなこと、わかってるよ。」と言いたくなる事が多い。あざといというのかしら。
かえってあまり問題意識のない『海街diary』みたいな作品の方に上手さを覚える。
(2回目の鑑賞時:子供編ではやはり演出力には唸らされる。)
本作は脚本が『花束みたいな恋をした』の人ということで期待したが少々期待外れ。
「怪物」という題名にしたのも、これまたも一つ?何かみんな「怪物」探しが主体になってしまうし。
もっと「人間」探しに必死にならなくちゃ。
この世の中には人間だけしかいないんだから、悪いものはみんな「怪物」にして魂鎮めすれば良いと思うのかなぁ…
ネタバレを言えば“怪物、だーれだ?”は二人の恋人たちの遊びの一つに過ぎなかったのだ。
③私は親ではないし子供がいないので、偏った見方なのか中立的な見方なのかわからないが、いろんな現代の子供を廻る問題があちこちに置かれているけれども、どれも中途半端か尻切れトンボの感あり。
現代は情報過多の時代であるが、本作も情報を盛り過ぎた感もある。
④母親、教師、子供達…と主役が交替する度に話の形相が変わってゆくという、ある物事が人の視点や角度によって見え方が違うということであれば古くは黒沢明の『羅生門』をはじめ似た作品には事欠かない。
しかし、本作は最後に判明した事実でそれまでの出来事の意味が理解できるという一種のミステリーである。
それからすると前半の学校の対応とか無駄に尺を取っている感がある。それともred herring か?
⑤各登場人物の視点によって話が変わってくる、という構成に目を向ける人が多いが、みんな大人の目線・立場からばかりだから違うのはある意味当然で、私達は一番肝心な子供達の視点・立場・想いに目を向けなければならない。
そういう意味では最後に子供達のそれらを持ってきた脚本の構成は、初めから大人の観客の反応を計算に入れていたとしたら、結構巧妙であながち的外れなものではないとも言える。
⑥湊くんがいなくなって探しだした(後からすると星川くんとの逢瀬を邪魔したのであったことがわかる)佐織が、帰りの車の中で“お父さんにね、約束したの、湊が世界で一番の宝物である家族を持つまでは頑張るって(だったかな?)”と言った時、(真相を知る前でも)「うわっ、うざ!」と思ったが、湊くんにしてみたら「うざ」どころか存在を否定されたようなもので、車から降りたくなったのも分かろうというもの。
ただ、佐織を一方的に責めるのも可哀相で、本人は一生懸命シングルマザーとして頑張って、息子を父親みたいなマッチョな男(ラガーマン、ラガーマンにもゲイは多いようですが)にしなくちゃと思っていて、でも父親が浮気中に事故死したから息子には幸せな家庭を持って貰いたいと思っていて、それにまさか息子がゲイだとは普通思わないだろうし(でも親には分かるともいうけれども)。
まあ、あの台詞と対比する形で、後に校長先生が湊くんに言う「限られた人にしか掴めないのを幸せというんじゃないのよ。誰にでも掴めるものを幸せというのよ。(だったかな?)」という台詞が本作でのほぼ唯一の救いになっているんだけれども。
⑦ほんでまた、この佐織もある意味常識がない。
いくら子供が体罰にあって(誤解だったけど)腹が立つとはいえ、噂に過ぎないのに「ガールズバーに入り浸っている」だの、証拠もないのに「放火したのはアンタじゃない?」とか、侮辱罪に問われるぞ!
田中裕子演じる校長先生に「最近お孫さんを事故でなくされたんですってね。苦しいでしょう?辛いでしょう?私の今の気持ちもそうです(だったかな?)」って、比較のレベルが全然違うぞ!
⑧子供に奇態な振る舞いがあれば、今時の親はすぐ学校で何かあったのか?と学校のせいにするのだろうか。勿論その場合も多いだろうけど、先ずは子供自身に問題はないか、家庭に問題はないか、と考えるのではないだろうか?親になると自分の子供は絶対に正しい、おかしくない、と信じ込んでしまうのか?
⑨子供がいないので現代の学校がどんな実情か分かっていないけれども、本作で描かれているレベルの苛めであれば、50余年前の私の小学校でもあったぞよ。
教師が親に気を遣いすぎているのは当時と大きく違うところだが、現代の学校・教師は本当にあそこまで卑屈なのだろうか。
是枝監督作品によくあるようにややデフォルメし過ぎに思う。
それとも母親編は母親を一見正義に見せるために敢えてああいう演出をした?
⑩校長先生もキャラが振れ過ぎて不自然。
流石の田中裕子も上手く具現化出来なかったか、流石の田中裕子も肉付け出来ないほど脚本に上手く書けていなかったのか。
⑪中村獅童扮する、自分の息子がゲイであることを受け入れられず“脳ミソが豚の脳ミソ”と言い放ち酒に溺れる父親像は、多様性を受け入れられない人間を代表するキャラとして登場させているのだろうけどやや陳腐。
本作は結構陳腐なキャラや設定が多いけれども、陳腐と捉えるか、“あるある”と頷くかは個人の好みでしょうね。
⑫遥か昔、50余年前、私が小学生の時にもクラスに一人苛められっ子がいた(しかも女の子)。
確かに汚い子だったけれど、「さわると汚れる。その子がさわったところは汚いから手を触れない」なんてクラスで平気で言ってた。今から思うと随分酷い話だけど。
後年、大人になって再開したら結構たくましいお母さんになられてました。
⑬星川くんは見た目も可愛いし小綺麗だし何で苛められるのかな、と思うくらいだが、父親に「脳ミソが豚の脳ミソ」と言われている事がクラスメートに知れわたっていたりゲイであることをクラスメートがそれなりに感じていたからか?(子供って案外敏感で残酷だから)
湊くんは、最初から星川くんを意識していたのは2回目の鑑賞でハッキリ分かった。
星川くんを人知れず見つめる目の演技が宜しい。あの歳で意味を分かっていたのなら大したもの。
星川くんを守ってあげたい。でも星川くんの側に立てば彼も苛めや冷やかしの対象となってしまう。父親のDVや同級生の苛めをやり過ごすために何も感じないやり方を選んだ星川くんの心情を考えれば切ない。本人は表面だけかも知れないが飄々としているが。
ただ、机に絵の具を塗りたくられているのを発見した時の表情には胸をつかれる(昔、自分が加害者側だったことを考えると更に)。
湊くんは学校とプライベートで社会的上っ面と素の顔とを使い分ける。星川くんもそれを受け入れる。
誰かに見られたと思ってカモフラージュで触られた部分の髪を切ったのか、自分の想いを封じるために切ったのか。
星川くんへの苛めを直接的には止められない。だから自分が暴れて注意を自分に向けさせる。
雑巾を星川くんに返したことで(恐れていた)冷やかしが始まる。だから星川くんと喧嘩しているように振る舞う。星川くんもそれに調子を会わせる。
でも午後二人きりでいる時は本当に楽しそうだ。
二人が二つの顔を使い分けて日々をやり過ごす姿は本当に切ない。
ただ、二人が嘘を突き通す、芝居を見破られない為には誰かをスケープゴートにしなければならない。ここはまさに子供ならではの残酷さだが、スケープゴートになった保利先生が二人の真の関係に気づくという皮肉な設定にしてある。
何故子供達は嘘を突き通さねばならなかったのか。その理由を特に子供達をクィアにすることに求める必然性はなかったとは思う。
脚本家の小学生の時の出来事がベースにあるそうだか、子供達が自分が周囲とは違う異質な存在と思い込むには確かに二人をゲイにするのが現代的ではあったと思う。成人はもとより少年少女の同性愛を描く映画は邦画でも増えてきたが、日本で児童の同性愛に踏み込んだのは本作が初めてだと思うから。
「男らしさ」が現代でも子供達を縛り付けているとは思わなかった。私達の世代ならともかく、「結婚」「家庭」「家族」=「幸せ」という概念も。
「将来」という事にも周囲との同一性を見いだせない彼らは「生まれ変わり」にしがみつくしかない。
クライマックス、地滑りの音を発車の音と捉える二人がまたも切ない。
私としては二人は地滑りに巻き込まれてしまったのだと思う。
何とか二人だけの世界で“幸せ”を掴みかけたのに土砂崩れが社会のように、それこそ“怪物”のように二人を呑み込んでしまった。
ラスト、生まれ変わった二人は、星川くんの「僕たち変わったかな?」という問いに、湊くんが「いや変わってないよ(変わらなくても良いんだよ)」と答え、二人で新しい世界で自由を満喫するイメージで終わる。
子供達が(クィアであろうがなかろうが)ありのままの自分を隠し嘘をつかなければならない、どんな人であれ「幸せ」になれると思えない(だから校長先生の台詞が活きてくる)、そんな社会こそが「怪物」なのではないだろうか。
これが現在私たちが生きている社会というのなら、私たちはずいぶんつまらない(しょーもない)社会に生きているんだな、と思う。
それを弾劾したかった、というのなら成功してますよ、監督。
誰もが見えない戦いをしている
前情報ほぼ無しで観てきたので、"怪物"というタイトルをみて、サイコスリラー映画だと思って観た。結果的に予想が大きく裏切られた。心揺さぶられる良い映画だった。
本作は怪物の正体を問い続ける、心理的な要素が深く込められている作品だ。一見平凡な母子家庭の麦野家の日常が描かれた序盤から、徐々に息子が抱える問題に焦点が移る。彼の学校での苦境、そして友人である星川君の問題、これらが複雑に絡み合った関係性が見事に描かれている。
衝撃的な展開は序盤から終盤にかけて見事に配置され、視点の変化とともに怪物の正体を明らかにする。特に、星川君が虐待を受けていること、そして彼が同性愛者であることが明らかになる場面は、その衝撃度合いを一層引き立てる。
映画の中盤では、星川君と息子が秘密基地で過ごす場面が長めに描かれ、映画全体の緊張感を一時的に緩和する休息的な時間となっている(これが若干中弛みの要素にもなっていると感じた)。
しかし、その穏やかさは一瞬にして消え去り、衝撃の結末へと導かれる。彼ら二人の運命とそれを取り巻く大人たちの反応が心に深い影を落とし、映画が終わった後も、考えさせられる。
この映画は、性的マイノリティを描きつつ、全ての人が怪物性を持っている可能性を示唆している。モンスターペアレントで息子に普通を押し付ける母、友人を助けられずいじめを見て見ぬ振りをする息子、同性愛者の息子を蔑む星川父、異質さを持つ星川君、男らしさを無分別に押し付け、ストーカー的な傾向を持つ担任教師、孫を轢き殺したと噂される校長、無関心な態度をとる他の教師たち。
この映画は性的マイノリティの問題だけでなく、人間性そのものを大きな視点で探求している。
そして、それぞれの登場人物が直面している独自の"怪物"は、我々自身が経験する可能性のある現実の反映とも言える。映画を観ることで、我々は自己内部の”怪物”と向き合うことを迫られる。
また、叙述トリックを巧みに駆使した物語の構成も見事で、観客の先入観をうまく利用していて見事だった(しかし、クィア・パルム賞の受賞情報が解説などに添えられている為、物語の核心に対するヒントとなっていて、トリックを台無しにされている感は否めない)。
全体的に見て、“怪物”は感動的な展開を持ちながらも、人間の心理と社会的な問題を深く探求した作品だ。序盤から終盤まで一貫して感情移入することが可能で、その過程で感じる怒りや衝撃を通じて、映画の世界に深く引き込まれ、時間を忘れてしまう。この映画を観た人は、その強烈な印象が映画鑑賞後も心に残り、しばらく思考を強く刺激し続けるだろう。
余談。息子と星川君はどうすればよかったのか?
映画から読み取れる麦野母のキャラクターは、「普通」という価値観を子供に押し付けるものの、それは彼女の無知から来るもので、悪意があるわけではない。彼女は子供のことを真剣に考える人物であり、適切に話し合いを行えば、理解を示し、息子たちのサポートに回ってくれただろう。
また、担任の先生は一見奇人に見えるかもしれないが、心無い言葉を使ってしまうのは無知や思慮の欠如からで、必ずしも差別意識からではないと考えられる。
だからこそ、息子が最大に失敗したのは、自分たちの味方になり得る二人を諦めてしまったことだろう。
麦野母のすれ違いもまた痛ましい。彼女は自分が子供に寄り添っていると思っていたが、実際には寄り添えていなかった。息子が一足の靴で帰ってきたとき、水筒に砂利が入っていたとき、トンネルで一人になっていたとき、何度も問題の兆候は現れていた。それでも、理解ある親の振りをして子供の本心を見逃し、学校対応に時間と労力を注ぐことに一生懸命になってしまったのは痛恨の極みだった。
余談その2。この作品は要所要所で認知を歪ませるトリックが使われていて、観客は何度も騙されている。つまり観たままの映像は、イコール真実ではないということだ。なので、最後の子供二人死亡エンドはトリックで、全員生存ルートのハッピーエンディング説を私は支持いたします!
今年観た映画の中で一番
今年観た映画の中で一番面白かった。大人は勿論、子役の2人の演技が上手い。特に依里役の男の子の演技は素晴らしいと思った。自分は最後は死んでしまったのだと解釈した。
かいぶつ、だれだ。
怪物とは、我のことなり。
人はそれぞれに先入観や思考や想像や信じてしまうこと考えてしまうことの癖があり、それゆえに誰もが誰がに対する加害者や害悪になってしまう。お前は怪物だ、という私こそが怪物。
結婚して普通の家庭を、
とか、
男ならできるだろ
とか、
プロポーズは夜景の綺麗なところでするものでは
とか、
母子家庭だから、
とか、
生徒の親=モンスター
とか、
なんでも良いのだ、人の心に浮かび人の口から出たことは、なんらかの形で悪意を持ち誰かを傷つける、
それぞれの視点視野から見えたもの。だから嘘ではないかもしれない。その角度からの事実が次々と明らかにされる。
自分が嘘をついたとわかればそれは嘘。
堀先生も、湊くんも。依里くんも。嘘がなさそうな子ども2人も気遣い、空気読み、保身してしまうのだ。
存在感を薄めよう、としてより一層際立つ田中裕子の存在感に全てかすんでしまうところがあるが、
誰にでも手にはいらないようなものは幸せじゃない
一部の人にしか手に入らないものは幸せとは言えない
と年老いた田中裕子校長は小学生の湊くんにいい、ホルンやトロンボーンに、そんな時は
フーッと、フーッとするのだ とおしえる。
子どもたらちは台風のビッグバンを経て怪物ではなく人間としての自分を生きるだろう。生きようとして挫折するだろう。
森の中の秘密基地とか、火遊びとか、遊び方は昭和なところがあり、今の子どもにはなかなかできないこと、子どもっぽい遊びがができて羨ましいと思うけど、親だから気を使うという気持ちは今どきな感じの会話で、それはまた真実の子どもの気持ち。
押し付けがましいところが全くないのがよい。
万引き家族とはまるで逆。なにも押し付けてこない。淡々と凝り固まりがちな視座を動かし我にかえり、という作業。
諏訪湖もまた、海のようにとてつもない大きさに見えたり箱庭の、子どもらの秘密基地のなかの池のように見えたり。そんなところもよかった。
最後の映画音楽作品なのか坂本龍一の音楽も、押してこないところがよい。しずかに自らの怪物性を顧みる。誰もが手に入れるような幸せじゃないとだめなんだ、幸せじゃないんだ。
誰もが優しくあったからこその悲劇
視点が変わる度に、さっきまでこういうことだろう、こういう人物だろうと思ってたものがガラリと変わる。
立場や視点で起きてる事実はひとつでも受け取るイメージがあまりにも違うのに驚かされる。
さらには誰もができるだけ大切な人を傷つけまいとついた嘘が、巡って1番のダメージを与えることになる悲しさだ。
ずっと、なぜ?と抱く問いの答えが徐々に明かされていくに従い、なぜからどうしてに変わっていく。
完璧な組み立て。
あまりにも悲しく切ない。
走らないはずの線路、窓が上部になってたということは、車両が嵐で崩れた土砂で横転したということなのだろう。
つまりラストはそういうことだよね…。
怪物というのは、己が理解出来ないものを外部が勝手にそう呼ぶ言葉。自分からそうは言わない。怪物を生み出すのは周りの人間なのかもしれない。
追記として。田中裕子演じる校長が、湊くんに「誰でも手に入れられるものを幸せと~」のセリフ。
すぐには自分の中で理解ができず引っかかっていたのですが、時間を置いたら納得が出来ました。
私が独身だったころに母がいきなり「あんた達(私を含めた友人数人)でAちゃんは幸せね。公務員と結婚して子供もいて」と言いました。当時私は、独身でも私けっこう楽しく過ごしてるんだがそこは無視?え?娘に私は不幸だわって思って暮らして欲しいのか?となんとも嫌な気持ちになったものでした。
作中のあのセリフを思うにこういうことなのですね。いわゆる「みんな」「平均的に」そうしてる、というものをほとんどの人は幸せと呼び、当てはまらない人々の気持ちや考えなどは見ようとしない。
改めてすごい脚本だと唸りました。
お前らはそれでいいのかもしれないが
タイトルからホラー映画かなと思ったのに…(笑)
いわゆるBLモノ。ポリコレ意識か。
ただそれをズバリ言うのではなく、ぼかした表現にしている。
他の事件も明確に答えを出さず、全体を通してフワッとした感じ。
「逆転のトライアングル」に似た投げっぱなしジャーマン。
解釈を客に投げるようワザとやってるんだろう、監督の思うつぼか(笑)
視点を変えて同じ日々を3回繰り返してはいるが、時系列が微妙に繋がっていないような気がした。
時系列を合わせて再編集しても面白いかと。
大人たちの最後が気になるトコロ。
子役2人の演技はすごい。
胸が締め付けられる。
胸が締め付けられるとはこういうのかと、
なんか初めて感じた。自分が歳をとったせいもあるのだろうが、
何か凄いのを見たという感想。
面白いとか、凄いとかってのとは違う。
どのジャンルかもよくわからない。途中、スタンドバイミー的な感じもしてしまったが、そういうのでもない。
邦画ならでは感じるような。
怪物は誰だったのか。中村獅童演じる親か、クラスのいじめっ子たちなのか。
汚れのない子たちが汚されて、怪物に変えられる。
心締め付けられた。
辻褄合わせっていうか、回収って言葉にしたくないが、映画の作りも内容も思っていたのと違いすぎて、終わりまで惹きつけられました。
間違いなく良品でした。
他の映画と迷ったが、これ見て良かった。
怪物だーれ だったんだ?
予告から何度も見せられていた、印象操作のような必死な母親と重大案件なのにヘラヘラしている笑顔の怖い教師と取り巻く覇気のない教員たち。
冒頭のこの描き方で母親目線の怒りを持たせたかったのはとてもよくわかったのだが、私はどんどん母親に腹が立っていきました。
いいから少しは黙って話を聴けよお前。
相手のペースを待て。急かしてかき乱すな。
あー、ダメだこの母親には感情移入できないや。
そこから目線を変えて罪を着せられ追い込まれていく教師に。
教師パートのラストシーンは一瞬ドキッとしました。
最後は、友達への複雑な想いと学校生活における自分の安全や勇気や母親からの無言の重圧などの色んなことの折り合いがつけられない男の子がついた小さな嘘が「怪物」のようになっていく話として、これまで見ていた2つの目線の「事実」が改めて紐解かれる。
人は大抵の場合、自分の立ち位置からしか物事を見られないが、こうやって映画として目線を変えられても全てを把握など出来ないし、受け手によって解釈が変わる。
起きた事実は1つでも、物事はときに怪物のようになり、台風のようにもなり、太陽のようにもなる。
静かにそう締めくくられるラストシーンが、どうか映画の中のリアルであって欲しいと希望を抱きつつ、静かなエンドロールを迎えるのでした。
結局、怪物などいなくて、みんな必死に生きる1人の人間であるものの、誰の中にも怪物がいて、物事はそうなる可能性をいつもはらんでいる、という風に私は個人的に解釈しました。
素晴らしい作品だと思います。
技術は高いが危うい作品
破綻のない構成、視点人物を変えていくのも効果を上げており、映画の技術として世界の超一流であることは間違いありません。
また安藤サクラ、永山瑛太、田中裕子、それぞれの演技も堪能しました。
しかし、です。
すでにそうした批判は起きていると思いますが、作中人物がタブーを内面化し、「言えない」状態を相対化せずに作品が終わることは、それがタブーであることの難点を問うことに本当になるのか?という疑問は残りました。
むしろ「それはタブーである」という観念を強化しまうのでは?
しかも、その点は世界の潮流からみてもかなり遅れていますね。
下手をすると、「ミッドナイトスワン」のような時代錯誤で差別の強化を手を貸す作品にも堕しかねません。
日本映画がもう一歩も二歩も進まなくてはいけない点です。
テーマは面白いけど長い
怪物というタイトルに惹かれた事と、前評判が高かった事で鑑賞。
途中、瑛太の視点から見た物語になったとこからが見どころだと思うんですが、そこに行くまでがまず長い。
そして、子役2人の関係性が徐々に明らかになっていくんですが、そこからがまた長い。今の尺の半分で十分じゃないかという感じ。
セリフ回しが拙いというか、違和感ある所が諸所目立った。脚本の問題なんですかね‥
怪物、というタイトルも、モンスターペアレントっていう視点、子どもの行動によって、瑛太演じる教師が暴力教師として解雇されてしまう、ってとこからなのかなって思えたけど、物語の本筋はLGBT的な子役2人の関係性って気もするので、タイトル的にどうなのかって感じました。
意味深な火災のシーンも、決定的な描写が無いので、誰が犯人なのかわからず(おそらく子役の1人なんでしょうけど)、縦読みのメッセージが隠されてた作文も、何が書かれていたのかはハッキリとは明らかにならず‥
カット割りも見たいとこを見せてくれない感じで、見てる人の想像に委ねようって事なんでしょうけど、なんか見ててストレスの溜まる映画でした。
題材に逃げてる
少年同士の愛を描いている為、その部分をラストに持ってくることもあり、一見美しくも見えるが、
実社会における校長や教師のあり方の描き方が酷すぎる。そしてあれだけの騒ぎをしている生徒達への勘違いをする教師、また生徒達、もおかしいし、
極め付けは、あのアンケート用紙、あんなものを生徒全員に書かせたら、逆に教師に訴えられると思う。
完全に題材に逃げた作品だと思った。
誰かにとって誰かは『怪物』
圧倒され、圧縮された。この感想が実に当てはまる傑作でした。
3部構成からなる物語は視点が変わるだけで物語としてはどこにでもありそうな問題を描いています。
ただ、この視点が変わるがとても重要なファクターであり、この視点によって僕たち観客はそれぞれの登場人物に同情し、寄り添う。ああでもないこうでもないと予測を立てながら物語を吟味する。怪物探しの果てに気付いたのは全員が全員の最善を尽くしたということ。しかしそれがそれぞれの最善ではあっても誰かにとってはそうではなく、知らず知らずの内に誰かを傷つけ誰かにとっての怪物になっていく。3章はとても美しく、切なく、怪物を探していた自分自身の気持ちが圧縮されるような独特な感情になりました。二人の子どもたちはもっと圧倒され、圧縮されていたのでしょう。普通という常識が作り出した怪物が彼らを抑圧したのかなぁ。2つの楽器から鳴る怪物の鳴き声は抑圧された悲鳴にも高らかに生を謳う叫びにも聴こえました。天国なのか現実なのかはそれぞれの解釈によるのでしょうが、せめて2人の行先に幸せが多くあらんことを。今年イチの傑作です。
モンスターと保利先生の受難
早織(安藤サクラ)は5年生の息子の湊(黒川想矢)が担任の保利(永山瑛太)にいじめられていると思い学校にかけ合うも、学校は形ばかりの謝罪をするだけで全く誠意を感じられず、イラつく早織。保利は湊が依里(ヨリ。柊木陽太)をいじめていると言う。保利は退職させられるが、湊の様子はおかしいまま、嵐の夜、家からいなくなってしまう……
親、学校、子供の視点によって見え方が全く違ってしまうという話です。
問題提起をして、解決はされないというパターンの映画ですが、最後の子供視点でのシーンがあまりに美しくて、幾つもの問題点が薄れてしまった気がします。
母親の怒りは当然で、モンスターペアレントとは思いませんが、校長に対して「あなたが事故で孫を無くしたのは今の私の気持ちと全く同じ」と言ったのは無神経と思いました(無神経さは、アイスを食べながら火事見物する場面でも)
その校長(田中裕子)は一番モンスターだと思います。「学校を守る」って、公立の小学校で、何をどう守ろうとしているのか。無気力で、ただ生きながらえているだけの人に見えました。途中で2度ほど聞こえた管楽器の不協和音が、実は校長と湊が吹いていたと分かりますが、それで校長の印象は変わりません。言いたいことをぐっと飲みこんで、代わりにラッパを吹くって、おしんのアドバイスなら良いかもしれませんが、言わなきゃいけない事まで飲み込むというのは、校長のすべき事では無いと思います。
依里は女の子みたいで父親(中村獅童)に疎まれ虐待され、学校でも男子にいじめられているのに、周りは気付けませんでした。湊は自分の気持ちの整理が出来ず、母親にも言い出せず、ずっと不安定になっています。
保利先生は、湊の乱暴を止めようとしてうっかり鼻血が出る怪我をさせた事を報告しなかった為に後々暴力教師扱いされることになりますが、子供たちは噓ばかり付き、恋人は見放します。
他の教師は協力する気がありません。
カンヌで脚本賞を獲った作品ではありますが、所々リアリティが無いのが気になりました。
早織「オリーブオイルを切らしたからコンビニに行ってくる」オリーブオイルは高いからスーパーで買うし、サラダ油を使えばいいんです。
「湊が普通に家庭を持つまでお母さん頑張る」大学を出るまでではなくて?
保利先生「男らしくないな」「男らしく握手して仲直り」彼は男らしさにこだわる人に見えないし、最近学校でそういう言い方はしないでしょう。
湊はなぜ髪が長かったのか。なぜ突然髪を切ったのか。
依里がいつも中性的な服装なのもおかしいです。わざとらしさを感じました。
本作を観て、最近私の中で評価が変わった「風と木の詩」を思い出しました。ストーリーは全く違います。父親の性的虐待を受け続けてある意味(魔性の)怪物のようになってしまったジルベールの心情はほぼ描かれず、セルジュの視点を通して、美しくロマンチックな物語に昇華してしまっています。セルジュには夢があったけれど、ジルベールには未来が描けませんでした。
本作の少年たちが不幸だったかはわかりませんが、苦難に立ち向かって生き抜く機会は失われました。早織はなぜ息子が出て行ったのか分からないまま一生の苦しみを、保利先生は汚名を着せられたまま(校長は話す気が無いので)さらに後悔を、背負わされるんです。
怪物探し
一人の人間は自分の見たもの、聞いたもの、感じたものからしか考えられない。
序盤、母親の火災を見ての「頑張れー」のセリフに不謹慎な感じを受け、その息子の情緒不安定さといじめの痕跡に学校と教師を疑う。校長、担任、他の誠意のない対応に不信感をいだく。
誰もがおかしいと誰が悪いんだとさんざん疑ってかかって疑心暗鬼にさせてから、きれいなものを見せるのはやめてくれ。
子供達を追い詰めた周囲と同じものを自分の中に見せないほしい。
物事の一面しかみないで疑って、誰が悪いんだ、おかしいんだと怪物探しをしている自分が怪物だった。
映画が終わって帰る人達で笑っている若い人はいましたが、年齢いってる人はなんともいえない顔をしてました。
怪物だーれだ
公開前から絶対見ようと思っていた作品。
是枝裕和監督×坂元裕二脚本。
気にならないわけがない。
「怪物だーれだ」という予告のインパクトから、まんまと怪物探しに来てしまった。
そして、サスペンスかホラーものだという思い込み。
映画の冒頭から、怪物と思われるキャラが続々と登場。
日常から、仕事で学校で、何かあると人々は犯人探しをしてしまう。
誰がなにをして、どう言って、誰が悪いのか。
事件や噂話にしても、自分が聞いて自分が見て、自分が感じた事が、真実とは限らない。
ただの日常会話も、人がどう捉えるかわからない。
そして人は簡単に嘘をつく。
なんでみなとくんが急に走ってる車から飛び降りたんだろうって思ったけど、その直前の安藤サクラの普通の母親の気持ちが原因と思うと切ない。
家族や先生からでるフレーズ
男なら、普通の結婚、普通の家庭、、、
普通ってなに?
幸せってなに?
どっちにも解釈できるラストは、
よくある【見た人の想像におまかせしまーす】系ではなく、【見たことだけが真実ではない、結局はなにもわからない】って意味かなと思いましたが、坂本龍一がレクイエムを作ったということは、そういうことか、、とも思いますけどね。
子役ふたりがとにかく素晴らしかった。
安藤サクラは、母親なら誰しもこうしてしまうだろうなという共感と危なさ。でも子を思うからこそ。
瑛太の2面的な演技はさすが。
最後までみたら、最初のあの態度もわかる。
クソに見える中村獅童も、シングルファザーとして悩み葛藤してあんなことになってるのかもと思うと悲しいですね。
怪物の鳴き声に聞こえる不気味な音の正体も、誰に言えない叫びだと思うと辛いですね。
田中裕子が漏らすセリフが真実だったりしますね。
感情の死んでると思ってた校長が1番全てを分かっていたかもしれない。
そして、カンヌが盛大なネタバレですね。
あえて怪物関連のニュース見ないようにしてたので、観る前に知らなくてよかったです。
感情が迷子になる
正しい見方をした感想と、抱いてしまった不適切な感情とで上映後1分くらいフリーズしたあと何故か笑ってしまったよ…
自分が泣いているのか、笑っているのか、悲しんでいるのか、はたまた喜んでいるのかもよくわからなくなった…なんやこれ……
「男らしく」「こうしないとモテない」「片親だから」「普通の家庭」っていうステレオタイプの見方考え方って世の中に溢れていて何の気無しに発言したとしても、それがじわじわ誰かを追い詰めていくことって少なくないよなあ、と。
本人は悪気なく発していてもそれがどんどん蓄積されていって、本人の中では人格否定されたことになってしまうんですよね…
保利先生はシングルマザーに関してはちゃんと彼女の前で「うちもそうだけど」って答えていて、やっぱり悪い人じゃないのに流石にあんまりだよ。。。
ちょっと彼氏としてはアレだなってのと、彼女に言われたからって突然飴食べるか?ってのはあるけど、それにしても全てを失いすぎじゃないですか?
保利先生に救いはないんですか!?
ここから先は私の寝言だと思って欲しいんですけど、ショタBLとしてもあまりにも天才すぎました。。。
感情に名前をつけたらいいのかわからない、名前をつけても言えない、どうしたらいいのかわからない、でも側にいて欲しいだなんてちょっとそれは流石に尊すぎませんか。
映画館で苦しみと喜びをミックスしたキモ顔面披露してしまったよ…映画館が暗くてよかった。
そして依里の「僕もそういうことあるよ」の「そういうこと」が「どういうこと」なのか、行間深読みおばさんは気になって夜しか眠れません。
「治った!」からの「嘘」で飛び出してくるシーンは今後道徳の教科書に載ってしまうかもしれませんね(載らない)
ラストシーンはふたりが死んだか生きてるかは大して重要ではなくて、ふたりが生まれ変わることなくそのままのふたりでこれから先も一緒にいられることが大事なのだと思います。
その先が地獄みたいな現実でも死後の世界でも。
ほんと、いろんな見方をしながらいろんな人に感情移入して何回も観たい。
それぞれの視点でこの世界を味わいたい。
反面、辛くてもう二度と観たくないとも思える。
そんな作品。
まあまあだった
瑛太が気の毒で、一人だけ全部背負わされて、仕事を辞めたり新聞で報道されたりしている。一方で子どもたちからは好かれていて、謝罪会見の時に父兄が誰も擁護しない。子どもで特に女の子はおしゃべりな子がいるだろうから、親にそんな先生じゃないよと言っている子がいないのが変だ。
また、安藤サクラに謝る時に飴を舐めるが、そんな人ではないので変だ。ミスリードするために人格をゆがめるような描写をしているのではないだろうか。
怪物は、息子を虐待している中村獅童と、その子をいじめている同級生ではないだろうか。彼らがなんの報いも受けないのが嫌だ。
予告のみの情報で映画を観ましたが、自分の思っていたテイストとは少し...
予告のみの情報で映画を観ましたが、自分の思っていたテイストとは少し異なった。(ミステリー系のものだと思っていた)
しかし是枝監督ということを考えると、納得のストーリー。
皆さんのおっしゃる通り置かれてる立場・視点によって、誰でも怪物になりうるのだと観て感じられる映画。
LGBTの要素というか、恋愛に近い感情がストーリー的に必要だったのかなと思った。
(個人的な意見だが、友情だけで完結させた方が良かった気がする・・・)
是枝監督の狙いとは異なると思うが、この映画を通して育児の大変さを最も感じた映画だった。
子供といえど、他人であり、感情や考えをもつ立派な人間であり、今何が起きていて、何を考えているのかなんて100%分かるわけがない。
映画のようにシングルマザーで子どもを立派に育てることは難しいことだと痛いくらいに感じる。
だからこそ、不安ながらも誰にも相談できず子どものために戦う親の姿は周りから見ると怪物にも見えるうるのかもしれない・・・
内容的にはいいが、テレビ放送を待ってからの視聴でもいいかも!
スッキリしないけど納得はする
それぞれの視点から見る事で真実はどこに。
ただ全てが映像からの解釈なので答えはわからない。
モヤモヤながらも、まったく飽きさせないのはスゴイと思える。演技力もさることながら、坂本龍一を感じながらの贅沢な一本。
是枝監督が使う子役は演技が上手いから、逆に怖い…
学校の闇が全く解消されない、そしてこれも現実。
生まれ変わりの話題で個人的にはドラマを思い出し「クスっ」としました。
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