怪物のレビュー・感想・評価
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二面性を持つピースどうしの複雑な関係性から浮かび上がるもの
ちょっとした何気ない一言や仕草が、妙に何十年も心に残っていて、『あのとき大丈夫だった?』当時のことを聞いてみると、『そんなこと言ったっけ?』と本人は何も覚えていないといった反応を示されることがたまにあります。
当たり前ですが、多分同じ事でも感じ方や受け止め方は千差万別で、その千差万別が少し通常とは違う形で、増幅されたときどのような物語が生まれるのだろうか。そんな一つのシュミレーション実験のような印象を受けました。
物語を構成する一つ一つのピースは、それぞれが別のピースと複雑にいりくんでいて、かつそれぞれのピースの全てが、一見悪のようでいて、実は悪ではない。強いようでいて実は強くない、黒のようでいて、実は白でもある・・・そんな二つの相反する性質が同時に存在しているような不思議な二面性をもっているような印象を持ちました。まるで量子系のように。そのことが徐々に明らかになる過程が実にスリリングであり、一時も目が離せませんでした。
そしてなおそれぞれのピースは互いに依存関係を結び、他のピースの弱い部分を互いに補い合っていたような印象を持ったのです。儚い夢のように、微妙なバランスのうえに成り立っているその関係の全体像が見えたとき、浮き彫りになっていたのは・・・・人が生きていくことの哀しさと微かな希望の光でした。
本当の…
坂元裕二さん作品、とても好きです。
余白を存分に残してくれ、その中で自由に思考を巡らせることができるところが。
極力内容を知らずに観ると決めて鑑賞。
前半、理解不能な大人たちの対応に観ていて本当に腹が立ってきた。それに対して真っ向から立ち向かう母(安藤サクラさん)を援護射撃するような気持ちで観ていたところ…
子供や家族の気持ちを分かっているようで本当は何もわかってないのかも知れない。
同じように自分の言動も正しく(自分の思い通りに)理解されないことがあっても仕方がないことなんだろう。
世の中にあるマイノリティーに対して寛大にとか弱者だからという視点で世の中が動く時、当事者が本当は何を望んでいるのか、その声の吸い上げは根気よく丁寧に行いたい。と同時にその機会が身近にない。
依里さんへ"もう大丈夫、安心して生きてほしい"と言いたい。それには何が出来るのか。
余白部分に引き続き思考を巡らせたい。
坂本龍一さんのご冥福をお祈りします。
親になる覚悟
母、教師、子供、複数の視点から物語を捉える
予想外の展開
最初は誰が悪いのか犯人探しのミステリーかと思ったら、違った。
それぞれの視点で行きつ戻りつ語られていくうちに物語はだんだんと姿を表すが、それぞれの言い分も見方を変えると悪いのはどちらなのか分からない。
かわいそうでひどい人ばかりが出てくるけれど、ラスト手前、衝撃の事実が判明する。ここまでの物語は全てそれを隠すためのものだったとは。
男らしく、女らしく、そんなセリフに耳を澄ませていると見えてくるはず。
校長の真実は、ラストはどうなったのか賛否両論だと思うけど、私個人的にはあの真相を隠すための物語というところに衝撃を感じた。実際にあり得る話だし、知らず知らずのうちに追い詰める人にならないように気をつけたい。
子供には明るく生きて欲しい
闇の中から見つめるものの正体。
狭い世界のよくあるお話。
これは…警告!…か?
暴力教師…実は…。いじめ…実は…。我々は自分が見聞きした事象を事実だと思う。そして行動する。それは自然だ。しかし…本当に事実に即した対応なのか?「完全な誤解」という危険性はないのか?見る視点を変えれば、見える現象が違ってくる。そういうことは当たり前のことであるはず。我々は理解してるだろうか?我々は常に偏見を有している。そして、SNSの発達は、ある意味、我々の偏見が支えている。偏見が商売のエサになる世の中で、我々は適切な行動を取れているのだろか?少年は…こうあるべき…小学5年生はこうあるべき…我々は思い込んでいるかも知れない。時代の進化は、大人たちだけが影響を受けるわけではなく、子供たちも同時代を生きている以上、影響を受ける。これも自然な論理だが…我々は意識できているか?以前とは違う時代認識のなか、その空気を吸って子供たちは「純粋」に育つ。そして、以前使った定義とは違う育ち方をする。そのことに我々はきちんと向き合えているだろうか?示唆に富んだ映画だ。この脚本はシンドい。さすが!カンヌ脚本賞!BRAVO!🤣
それぞれの良さが詰まった、バランスの良い作品
是枝監督の作品は好きでほとんど観ています。
期待をせざるを得ないですが、期待通りの作品となっていました。
是枝監督らしく、社会問題を勧善懲悪でなくリアルに描きつつ、
坂元裕二の脚本で観る人を最後まで惹きつけ、
坂本龍一の音楽で雰囲気を一気に持っていく。
それぞれのよさが十二分に伝わってきました。
諏訪湖のショットと音で時間を説明する、
是枝作品には欠かせない、主役である子供たちの活き活きとした演技、
隙間からのぞき込むカメラワーク、など演出も印象的。
ただ、欲を言えば、鑑賞後のモヤモヤがほしかった。
言い方をかえれば、きれいでキラキラした作品であり、是枝監督がいつも描く、現実はこんなに甘くない、というメッセージがあまり感じられない。
期待と、名スタッフが揃うと、あまり挑戦的なところも難しくなるのかな、という印象ももちました。
総じて、映画としては面白く、社会問題としてもありきたりではおるが、うまく絡められている作品でした。
2023年劇場鑑賞74本目
怪物は…
ようやく是枝監督作品の面白さを理解出来た。彼の作品は常に社会性を持って、映画的なファンタジーを作り出す。カンヌが認める才能に気付けることが出来た。彼の本質は社会における欺瞞を映画というファンタジー装置を使って、上手く処理する。成熟した大人のパンクスだと感じた。人間、それも個人としての人間の尊厳は絶対に守られるべきであり、尊重すべき金科玉条である。私たちは社会のために生きる前に、個人として生きる。そして、個人を主にして社会を作る土台が完全に崩れている日本、否、世界だからこそこの作品が輝くのだ。あえて言いたい。日本国憲法は常に私たち庶民であり、国民の側にあり、私たち一人一人が日本の代表である意識を持つことは、大それたことでは無く、むしろ当たり前のことだと、私はこの作品を鑑賞して、感じた。それこそ「穿った」見方だと思う。彼の次作が楽しみである。
怪物は閉鎖的な環境であり、凡庸な個人、個性を全く認めない社会のことである。目玉が二つだと人間、一つだとカタワ扱い、全盲だと障害者、三つ以上だと神か妖怪。カテゴライズにこだわる社会が「怪物」なのである。私たちは猛省し、心情の大改革をすべき現代社会に生きているのだ。同調圧力に屈することなく、楽しく自由に生きて、個人個人が第一に尊ばれる社会がこの未来のない日本には必要なのである。
残酷だけど、ずっとずっと美しい
怪物だーれだ。
映画に出てくる"怪物"は一体誰なのか?
観客はタイトルに引っ張られ、このような考察をしながら映画を観るだろう。
学校の汚れをガリガリと落としている校長か?保利先生か?母親か?もしくは子供たちか?そのような奇妙さが前半この映画に蔓延している。得体の知れない不気味さである。
そして母親の視点、教師の視点となるうちに物語の全貌が少しづつ明らかになる。
教室の真実は大人からは決して見えない。まさにブラックボックスだ。そして大人たちの"物語"によって子供たちは勝手に解釈されていく。
最後に子供たちの目線が描かれる。教室は残酷だ。まだ鎧のない子供への言葉は、ダイレクトに傷付ける。コミュニケーションとは、どうしても加害性をともなう。だからこそ子供たちは、その残酷さも美しさも両方を大人よりも痛いほど知っている。
大人の視点で描かれたトンネルは不気味だ。でも、子供たちからしたらあそこは唯一の逃げ場なのだ。
誰かを怪物に仕立てようとする観客を、私たちをこの映画はまるで批評する。
確かに終盤になるにつれて映画の物語性は少なくなる。そこにはただ社会に揉まれながらも、自分自身で行き場を見つけ出す子供の姿が描かれる。是枝監督らしく、子供たちに優しく繊細にレンズ向けている。よって物語の終盤、観客は子供たちと同じ目線で傷つきながら、それでも美しく共に過ごす。
中盤までは言葉で語りつつ最後はやはり映像で語る。絶妙な塩梅である。
最後はなんて美しいのだろうか。この映画は結局何も変わってないし、変わることなんて出来ないだろう。ただそれでも、最後の映像があるだけで観客は心の底から救われる。
本当に素晴らしい映画はテーマに沿って人が動いていない。必然的にそこに存るのだ。それをカメラでどうにかすくい取る。それを見た人がテーマを勝手に見出す。監督の発言もこのような意図があったのだろう。
怪物は人が生んだもの
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