怪物のレビュー・感想・評価
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巨匠の凡作
前作のいかにも巨匠な自らのシマで取ったような退屈さはないけれど、かといって圧倒されるほどでもない映画。君は良い子のような圧倒的な演技と全く思わない。
タルコフスキーのストーカーが好きなのはよくわかった。先週観たtarでもオマージュしていた。いじめられっ子と裏でつるんで、助けないような子供は大人になってもそんな人になるんだろうな。子供の同性愛とかより、そこが気になってしまう。助けてくれない男を彼氏にしてもしょうがないと思うがどうだろう。
後半40分ぐらいの答え合わせがつまらない。依里君がいわゆるフェミニンなセンスであることから、トランスジェンダーという認識で合っているのか。私の小学生時代からフェミニンなファッションはメンズに充分浸透していたので、恐らく親のセンスとしてフェミニンな服を着ている子はいたので、判断が難しい。このように判断をすること自体が差別的だと思う人もいるだろうが、映画の表現力のなさを観客が慮る必要はない。息子のクィア性に気付かない安藤サクラより、はっきりとその事を知り、動揺して恐らく虐待をしている中村獅童の視点の方を導入したほうが、子供の性をどう観ればいいのかという、更に踏み込んだ論点に進めるのにしないで、聖なるLGBTとしてふんわりと置きっぱなしにする。この映画の男子同士のキャッキャに同性愛を感じられなかった。これぐらい誰でもありそうなのに。だからこそ、予告でLGBTを描いた映画というのは伏せて置いたのかな。
好き嫌いは置いといて、tarやエゴイストは同性愛者の権力性や商品としての性に踏み込んで、聖なるLGBT像を打ち壊そうとしているが、この映画では子供というのを足して、聖なる子供・LGBTにしてしまっている。天国としてのラストにも二人とも天国に行けるような人間だったかと疑問が残る。安藤サクラの息子は地獄に落ちるべきである。最初の段落に戻るが、自分はいじめっ子グループとつるんで、自分が可愛くて表向きには助けてくれない男を彼氏にしてもしょうがない。体操着袋に当たるんじゃなくて、いじめっ子に殴りかかりましょう。
自分じゃ自分が何者か分からないから、教えあって生きていく
鑑賞後、熟考させられる作品だ。
人と人が分かり合う
人間はデバイスではないから、そもそも同期なんてできない。
だから、永遠に分かり合うことなんて、あり得ないのかもしれない。
これが私自身の考えだ。
部分的にもしくは一時的に分かり合う事はたくさんあるとおもうけど。
それでも日々は過ぎていくのであって
生きていく糧を得るために、何らかの労務をしながら
できればその精度を高めながら、暮らしていくのだ。
だから、無理に分かり合うことなんかせずに、
できるだけ自分にとって必要な情報だけを得るようにして、
むしろ孤立化を図った方が生きやすい、なんてこともあるだろう。
但し、人間は社会性があるから、本当に一人ずつだと生産性は低いから、
なんとなくダマのように固まり合って、塊同士は必要レベルで理解しあう努力をして生きてる。
こういった原理原則は人間の歴史において
今も大昔も 大して変わらないんじゃないかと思う。
***
この映画は脚本としては登場人物それぞれの目線により
見え方かわるよね、っていう仕掛けになっていて
でも怪物って誰なんだ?っていうプロット。
私の感じ方だが、
怪物なんていなかったじゃん、というのが感想だ。
各章における演技の方向性はともかく、
皆がみな大人なだけだし、異常者なんかいない。
反面「怪しい」という意味においてはとてもよく描けており
物語序盤では誰しもが怪しく見えたりする。このあたり面白い。
(棒読み謝罪なんか見てて教員をぶん殴りたくなりましたね・・・)
主人公の二人の子供は、いじめ問題への本能的な正義感と、クラス社会との相反に悩んでいて、
ただでさえ可哀想に思えるのにくわえ、LGBTの感受性にもお悩み。
家庭環境にもお悩み、って(はぁーー・・・)、
子ども的・超複雑シーズンを過ごしていて、
この子たちを助けてあげられるのは金八先生くらいしかいないんじゃないか、
とか 馬鹿な妄想をしながら見ていた。
最後はきっと事故で・・・というのが私の感じ方だったが、
それでヤッホー!と感情爆発させ解き放たれた 子どもたちの姿は
この社会から解き放たれてやっと 開放される心 ということになるけど
現代社会はこんな悲劇的なんだろうかって・・・
思考が悲哀ループしてしまった。
***
最後にひとつだけ
おでこにカードをあてる怪物だれだゲーム(?)っていうのかな、
「あなたはこんな特徴だよ」って自分じゃない人から
ヒントを出してもらって 自らを知っていく 示唆的なこれ。
これはこの映画の、語り継がれるべき名シーンだと思う。
人生にとって大切なことと思う。
みんな怪物。
湖のある郊外の町に住むシングル家庭の母と息子の話。
息子のアザや元気の無い姿を見て何かあった?と問いかける母(安藤サクラ)、先生から「豚の脳」と言われた!とそこから始まるストーリー。
本作を観て思った率直な感想は。
タイトルの「怪物」、観る前は子供が消えたと予告で目にしたのでホラーよりの作品なのかな?と思ったら違った。
友達の様で友達になりきれない湊と依里、クラスメイトから虐められてる依里、依里といる事で自分も虐められるのではないかと距離をおく湊。
「豚の脳」と言った保利先生(瑛太)と周りにいる教師達、息子に何をした!と学校に乗り込む母親、保利の意見とは話が噛み合わず...。保利の主張、教え子に何もしてない、誤解です!の意見は通らず学校側の言われた通りに話せ、とりあえず謝罪と促される。
これらの事に共通するのは不特定多数の人間で独りの人間を攻撃、虐める、力で押さえ込むなんだけど、作品に限らず身近で起こりうる話。
人間も動物、大人も子供も学校や社会に出れば少なからず弱肉強食の世界で生きてる。
ラストは怪物達の目から解放された湊と依里はホントの友達になり、笑顔で草っ原を走った!って解釈でOKなのかな?私にはホントの友達になれたって見えた。
エンドクレジットの坂本龍一さんの曲も作品のイメージに合ってたし泣けた。
ラストの疾走感がたまらない
観る前は、怪物探しの映画かと思っていました。敢えて怪物を挙げるとすれば、依里をいじめていたクラスメイトかなと思います。
随所に坂本龍一さんのピアノの音が、効果的に心に染み渡っていきました。
重要な場面を別の角度から再現しているので、徐々に全貌が明らかになっていき、納得です。
「ヒミズ」の作風を丸くした感じですね。
ラストの湊と依里が「線路はないよ」と言い、ひとすじの希望を持ち、走り抜ける姿に心が躍りました。
自分には、青春映画でした
本日、東京雨。
原作小説は未読。
「怪物」というタイトルから、
「見る位置によって誰でも『怪物』たりえる」
という勝手な解釈をしていたのだが
それを飛び越しての「青春映画」という一言に尽きてしまった。
東野圭吾さんの「レイクサイド」的な展開になるのかと思いきや…
相変わらず、子役のキャスティングは完璧。
鑑賞後、外はまだ雨だったが、ラストシーンの彼らとなんかリンクした気持ちだった。
カンヌで評価されたこと、わかる
日本でこういう映画ができたことが嬉しい。子どもに焦点を当てたこのタイプの映画はフランス語圈や制作にフランスが入っている作品に多い。「トム・ボーイ」「Girl ガール」「リトル・ガール」「無限の広がり」など。だから「怪物」がフランスの映画祭で評価されたことは嬉しい。
坂元さんによる脚本が素晴らしい。今のところ是枝監督の映画(あまり好みでないしそんなに見てないけれど)の中で一番好きだ。キャスティングがよく、二人の子役が映画の質を高めていた。視点と時間軸変化の映像化が現代的・羅生門構成で頭の中でカチカチとポイントを変える感じが快感だった。ワクワクする要素と音と映像と光と暗闇と美しく恐ろしい自然を追いながら最後まで息を詰めて見た。
「男らしく」「男だろ」とか、「子どもが普通の家庭をもって子どもを持つまで」(そこまでがんばるとか、そこまで出来たら自分の子育て終了)とか大きなお世話なんだけど、お母さんも先生もそう言ってたね。子どもは苦しいけどお母さんのことも先生のことも好きだからどうしていいかわからなくなってしまう。
誰かだけしか幸せになれないのは幸せって言わないんだよ。この箇所の田中裕子にほっとした。
緑がきれい、秘密基地が懐かしい、このお話の結末は決めないでおく。
子供は怪物!
席立ちたくなるよね⁈
【”人心に潜む様々な怪物。そして自覚無きある資質を持つ二人の小学生が起こした事と生まれ変わり。”今作は、視点が変わる事で、出来事の見方が全く変わる現代情報社会に警句を鳴らす作品でもある。】
ー 今作は、序盤はミナト君の母親(安藤サクラ)の視点で、中盤はミナト君の担任であるホリ先生(永山瑛太)、校長先生(田中裕子)を始め学校側の視点で描かれている。
観ている側は、序盤の展開でミナト君の付いた”嘘”を含め、母親の視点で学校側の不誠実な態度に苛立ち、その後ホリ先生たちの視点で描かれた内容を観る事で、ミナト君と喧嘩をしていたホシカワ君との真なる関係性に気付くのである。ー
◆感想
・ホシカワ君はその衣装や女の子のような顔つきも含めて、自らのクィアの資質を自覚している小学生であると思う。
ー 彼の愚かしき保守的思想を持つ父(中村獅童)の訪ねて来たモリ先生に対して言った言葉。”アイツは駄目です。豚の脳ですから・・。人間に戻すんです。”
そして、ホシカワ君の身体中にある痣は、この父親が付けたモノであろうとすぐに分かる。尚、ホシカワ君の母親は、既にこの世にはいない。-
・ミナト君の母親は、亡きラガーマンだった父の遺影の前で、ミナト君に自覚無き”呪”をかけている。
”お父さんみたいな、男らしい男になって普通の結婚をさせるまで、お母さんは頑張るよ!”
ー 母親の自覚無き”呪”により、ミナト君は”男は男らしく生き、女の子と結婚するのが幸せ。”と刷り込まれている。
故に彼は、ホシカワ君に対する想いと彼からの想いの狭間で苦しみ、学校では皆の前では仲良くしないようにするのである。-
・赴任して来たホリ先生が、ミナト君の付いた”嘘”により追い詰められて行くシーンが恐ろしい。
ー ミナト君の母親から見るとモリ先生は明らかに教職者としては不適格な人物であるが、学校側の視点では、ホリ先生は生徒に対する接し方も問題なき良き先生である。逆に学校側から見るとミナト君の母親はモンスターペアレントなのである。
だが、孫を不慮の事故で亡くした校長は学校を守るために、ホリ先生を父兄会を開き謝罪させるのである。-
・ミナト君とホシカワ君は廃線跡にある、列車を秘密基地にして、相言葉を”怪物だーれだ。”にして、列車の中で楽しそうに遊んでいる。
ー あの列車内の二人の楽しそうな姿が、彼らの真なる関係性を示していると思う。-
・そして、台風が近づく中、二人が遊んでいた秘密基地を土砂が襲う。
ー 必死にミナト君の母親と、ホリ先生は列車の中に入るのだが・・。ー
■これは、勝手な個人的意見であるが、ミナト君とホシカワ君は二人の秘密基地で、土石流に呑み込まれてしまったのではないかと思う。
故に、ラスト、陽光が燦燦と降り注ぐ中、ミナト君とホシカワ君が誰の眼を気にすることなく、楽しそうに手を繋ぎ走って行く姿を見て、私の琴線は震えたのである。
<今作は、人心に潜む様々な怪物(場合によっては、ミナト君の母親のように、自覚はない。)と共に、幼きクィアの資質ある二人の男の子の姿を、親、学校側、及び二人の視点から描いた作品である。
そして、今作は自分に都合の良い情報を取り入れる傾向にある現代社会への警句とも取れる作品なのである。>
是枝監督と合わないようだ。
はっきり言って、この監督の作品は私の好みではない。
こんだけ持ち上げられて、カンヌに出展するのだからきっと日本代表の凄腕監督なんだろうけど、、映画評論家の方々からしたらお叱りを受けそう笑
人間の生々しさ、ちょっと気持ち悪いところ、
なんと無く懐かしさを感じる風景。
俳優陣の芝居の上手さ。(校長先生のご主人は当てはまらず)
だいたいの外枠は好き。
だけど、この監督、基本視聴者に委ねる映画なんだよな、、だから?それで?どうなったの?が全く描かれてない。
別に問題も提起してるわけでもないんだろう。
起承転結の「結」がないと私は言いたいのだが、
そもそも「起」すら視聴者が勝手にそう捉えただけだよね、と言われてるよう。
LGBTと思春期の話。
怪物だ〜れだ。
怪物は自分を否定する(と思われる)人達かな?
それぞれが自分を偽って生活してるわけだ。
これだけイジメの事を色々問題視されているのに
なぜか1番のいじめっ子にはフォーカスが当たらない。
まるで、いじめられる子に原因があるような描かれ方。
先生、あの場で飴玉舐めるのは絶対駄目だよ〜
あの始終不穏な空気の校長先生も
結局のところよく分からないな。
孫は事故なのかな?故意なのかな?
どの登場人物にも感情移入できなかったけど、
ちょっと余韻に浸りつつ考察してみます。。
坂本龍一さんのピアノ、とても良かった。
それで星3にしておきます。。。
子供たちよりも教師が気の毒に思えてしまう
1つの出来事を、異なる主観から何度も描き直すという手法は、決して目新しいものではないものの、同じ場面の繰り返しがほとんどないため、そこから生じるテンポの良さに引き込まれる。
その一方で、3つの時系列を頭の中で1つに再構成しようとすると、時間が一致しているところを認識しにくいために苦労する。
結局、それぞれの見方を変えると、母親が教師を見る目も、教師が子供たちを見る目も間違っていたということなのだろうが、それでも「怪物」の意味は、最後まではっきりとは分からなかった。
「怪物」とは、誤解や思い込みから、それぞれが頭の中で勝手に作り出すものということなのだろうか?
それにしても、学校側の対応の描写は、あまりにもお粗末さを誇張し過ぎていて興醒めしてしまう。穏便に収めたいという姿勢や、隠蔽とか保身とかの体質を強調したいのは分かるが、その分、リアリティが失われてしまったのは残念としか言いようがない。
子供たちが、本当のいじめっ子を告発しないのも腑に落ちない。自分たちの恋愛?感情を隠したい気持ちは理解できるが、そのことと「いじめ」とは別問題なのではないか?
すべての発端となった子供たちの「嘘」は、先生ではなく、いじめっ子にこそ向けられるべきではなかったのかと思えてしまうのである。
何も解決していないのに、無理やり美しく終わらせようとしているかのようなラストにも違和感が残った。
人間の心のなかに潜む怪物! すれ違う感情とやり場のない気持ち!
を是枝裕和監督の少年時代の思い出をモチーフに描かれたストーリーでした。
自然豊かな湖に近い街。
多感な時期を迎えた少年、湊と依里が互いに
思いやりながら、未熟さゆえに言葉に出せない、もどかしさや歯がゆい気持ちを感じました。シングルマザーの早織が息子の湊の言動に変化が見られて小学校に乗り込んでいく様子、母親の学校側の一方的な謝罪に違うと 感じ、取り乱す状況、湊の担任である教師
保利が子どもに対して暴力があったのではないかとの疑惑。
マスコミや新聞に取り沙汰される学校の記事。少年時代に誰しも経験したような好奇心や冒険が、草木の茂みにある廃れた車両の中にありました。
音楽が坂本龍一さんで2人の少年の行末は
見る方によっても変わる多角的な視点を
イメージする作品でした。
校長先生を演じた田中裕子さんが折り紙を
折る場面は、失った大事なものが戻って来ない侘しい気持ちが表現されていました。
人の心は誰にも分からないということ。
この映画を観終わった後、涙が勝手に頬を伝っていました。
なんでだろう、
本当に、理由のわからない涙。
三視点から見る、三者三様の物語。
母の感じる心。
先生の感じる心。
子供たちが感じる心。
全てが間違いではない、
でも、見えるものだけが正解でも無い。
悪に見えていたものが、本当は善であったり、
本当のような、嘘で溢れていたり。
私たち人間は、複雑で、"本当"なんて、誰にも分からない。
誰かを理解したいと思っても、
本当の心を知るなんて誰にできるんだろうか、とちょっと絶望に近い感情すら芽生えてしまう。
その心をちゃんと見つけてくれる、瑛太さんのような人がもっと溢れた世界になるといいな。
フィクションだとしても、
お母さん、
先生たち、
そして、子供たち。
この世界の人たちが、幸せになる世界でありますように。と願いたくなる、
そんな、とてつもなく苦しくて、
胸にグサグサと刺さる素晴らしい映画でした。
散りばめられた違和感が、
一つずつ一致していく度に、心臓がぎゅっとしてしまいました。
是枝監督の作品は、いつもとんでもないものを訴えかけてくる。
坂元裕二さんの世界観から目が離せなくなる。
そして、心に当たり前のように浸透していく、
坂本龍一さんの音楽、本当に素晴らしかった。
心より、ご冥福をお祈り致します。
こんなに素晴らしい映画を、ありがとうございました。
おそるべき子供たち
タイトルなし
中村獅童がカンヌに行くんじゃなく、田中裕子だろうと思った。他の演技を食ってた。記者会見のときはぼうっとしてたけど、背の高い男の子の伸びやかな感じがいい。低い子は会見ではとても聡明なのに、映画ではあんなふうに撮れるのはすごいと思いました。そして瑛太さんはすごい。サクラさんがいまいち演技の幅がなく、瑛太さんは広がりがあった。音楽も良かった。管弦楽器の音があんなふうに使われるとは思わなかった。確かにシナリオとして面白い。映画ならでは。保護者から見た学校の見え方が恐ろしすぎて、でもその裏側を見せる演出が面白い。
是枝さんの切り方はかなりシーンが短くて、あとセリフがいつもよく聞き取れない。
視点変更が生む真実への道
感想
個人的には、是枝監督作品の中では一番観やすい作品だった。
・物語構成
母親、教師、子供の3つの視点で同じイジメ問題多面的に魅せる脚本が素晴らしかった。視点変更がされる度に明かされる真実の連続に、ラストまで没入しっぱなしだった。
心情描写も複雑に描写されるので、鑑賞後は複雑な心境になった(褒めてます)。
個人的には学校の上層部側の思惑パートがかなり不快で(良い意味で述べてます)、観ていて辛くなった。
人間の救済を求める貪欲さが全編通じて描かれる作品テーマが好みだった。
・演技
実力派俳優陣が勢揃いしているので、集中して鑑賞出来た。特に、主人公の子供の母親とメインの子供二人組の演技は自然さ感じられた。
怪物は自分
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