怪物のレビュー・感想・評価
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やられた
やられた
ラストも完ぺきだった
あぁ 坂本龍一が音楽だったんだ 今思い出した
ひとりひとりが主人公
同じ事象に対して それぞれの見え方とか感じ方がある
・安藤サクラ
・瑛太
・みなと
・田中裕子
現代版羅生門(藪の中)
瑛太がそんな悪いやつだとは思わなかった
というオラの感覚はまんまと裏切られた
いろいろと思い出してあれはどういうことだという場面
腑に落ちない箇所もあるがむしろ心地よい
行間を埋めるパズルの楽しみ
・中村獅童の行動原理
・2年生の時の担任の作文への評価
・火をつけたのは誰か
・父親は浮気相手と事故にあったのか
・田中裕子の夫は拘置所に入っているのか 何ゆえか
・水筒の泥… あ これは 分かった
・台風の日にみなとはなぜ友だちの家に向かったのか
重層的なストーリー 伏線回収
テレビドラマ全盛期に視聴者を引き付けるために
しのぎを削った人のストーリーテリングはさすがだ
花束みたいな恋 を見るまではちと低く見ていたのだが
今回是枝監督と組むと そしてこの内容 あっぱれだ
なんか日本の繊細できめ細かいストーリーは
海外では受け入れられないと思っていたのだが
むしろこれから評価される気がする 素晴らしい
是枝監督はこれまでは自分が脚本を書くことにこだわっていたように思う
今回の坂元裕二とか前作の韓国のスタッフとか
組むことコラボレーションに喜びを見出している印象を受ける
前作ではソンガンホが主演賞を獲っていたし
今回は脚本賞 組む相手の良さを引き出す才能があるのだろう
田中裕子が校長 さすがにこれは年齢的にチト…
でもこれは減点対象にはならない
このタイトルには唸るしかない
(ここから映画と無関係)
オラは今日誕生日で55歳になった
イオンシネマは1100円で観られると
早速権利を行使したのだが月曜日はハッピーマンデーで全員1100円だった
終了後は駅前の公園で昼間から③ビール×2とポテトチップ コンソメ味
いい天気 その後のラーメンも美味かった いい休暇だった
当事者から観た怪物とは
怪物の啼き声
冒頭、火事を見てはしゃぐ麦野母子に軽く嫌悪感を抱く。
学校側とのやり取りでは正しくも見えるが、その違和感が頭の中に残り続けた。
保利も校長も依里くんも、最初に各々の異常性を見せた後に善性を提示してくるのです。
そういった奥行きと反転が非常に上手い。
安藤サクラの自然さ、瑛太の絶妙に怖い笑顔、田中裕子の生気の抜け方、何より子役2人、特に依里くんが抜群。
身近にも覚えのある女性的な男子で、しかもいじめに(我慢でも諦めでもなく)頓着しない難役を見事に演じていました。
屋根の上で保利が聞く(後に校長と湊が奏でていると分かる)管楽器の音が、怪物の啼き声に聞こえる演出は最高。
しかし、そもそもの発端である湊が「保利に豚の脳と言われた」と騙った理由が分からない。
保利が飴を舐めたのもやりすぎだし、校長が失意の中とはいえ学校の対応があまりに杜撰。
子供の行動に逐一理由はないし、湊と依里の友情は二人にしか分からないものでもいい。
だが誰も見ていないトイレで助けなかったのはサスガに解せない。
物語としても、事態の真相に気付き、最後の“転”に入ったところで梯子を外されてしまう。
湊と依里の生死をボカしたかったからその後が描けなかったのだろうか。
更に、制作陣の意図とは別に、クィア問題を絡められると「またか」と辟易してしまう。
物事を一側面から見る危うさは手垢がついているが、悪意すらなく噂や嘘を流す罪深さも含めて印象的。
女子生徒の件は、「猫(の死体)で遊んで」たけど「殺してはいない」ということかな。
是枝監督が撮る日本版ジョーカー
この映画は[怪物だ〜れだ]の一言で表されているなと感じました。
見る人によって、受け取り方によって[怪物]の定義は変わってくると思います。
個人的には「是枝監督が日本を舞台にジョーカーを撮ったらこうなりました」といった感想で、
監督のこれまでの作品[誰も知らない]や[万引き家族]などで描かれた「あなたの隣で起こってるかも知れない出来事、あなたの近くにいるかも知れない人達、明日は我が身かもしれない。」よりも更に踏み込んだ「あなたがそうかもしれません、今のあなたはどうでしょう?」と問い掛けられる感じで、
トット・フィリップス監督のジョーカーでの「誰もがジョーカーになり得る」と言ったメッセージを、日本のありふれた日常の中にある、ありふれた家庭からの目線で伝えてくる、
ある意味ジョーカーよりもエグくてグロい内容なのに、映像としては一切のグロさが無い(それが余計にグロい)。
人によって特定の人物を怪物としたり、登場人物全員を怪物としたり、怪物なんていなかったと思う人もいるだろうし、受け取り方が多様に出来るのが面白い。
ラストシーンも、単純に何にも起きなかったでもいいし、実は死んじゃってあの場面は死後の世界でもいい。
そして視点が変わるだけで登場人物に対する感情を違和感や嫌味無く変えさせてくるのは凄い表現の仕方だと思いました。
[本当は何の事件も起きてはいない物語]とも取れるし[本当はとんでも無い事件だらけの物語]とも取れる。
とんでも無い怪物みたいな映画でした。
瑛太演じる教師は個人的な解釈としては‥
という幅のある読み取りの余地が残されているぐらい、物語上の真実 を意図的にボカすような語り口であった印象。そしてそれこそこの映画が浮かび上がらせようとする 怪物 の正体であったのかなと‥
日本最高峰の監督と脚本家によるタッグなだけあって
一筋縄では行かない、しかし流石な一本であった。
・怪物とは‥
本作はいわゆる 羅生門スタイル の構造で、一つの事柄を視点を移して何度も描いていくが、この物語が浮かび上がらせようしている 怪物 の姿とはこの羅生門スタイルを通して描かれる 「各々の視点から見た他者全般」、もっと言えば個人が他者(時に自分自身も含め)を理解した気になろうとする過程で生じる無理解 の事を指すのでは?というのが個人的な解釈。
この映画はそんな他者という存在の 怪物性 を突きつけるが如く、おそらく意図的に登場人物の心情の動きを空洞にしている節があり、画面上で描かれる事柄だけでは全てが繋がらないようになっている。
そこを わかりにくい と分類してしまうとそれまでなのだが、まさしくそれこそ現実の 他者=怪物 の姿ともいえるのが現実であり、この羅生門スタイルだからこそ描ける物語だと考えると 流石 な演出と脚本構成の手腕である。
そして それぞれのパートで薄く伏線が張られる 音 にまつわる描写について、後に正体が判明するときの感動と快感もこの構造ならではだろう。
・空洞になっている部分の個人的解釈の一つ
個人的に 大きな空洞 があると感じた箇所の一つは、瑛太演じる先生の心情の部分。
特に なぜ彼は大雨の中謝りに来たのか という部分ははっきりとは特定されていないと感じたが、ここについては 麦野君の抱える痛みが自分のうちに潜む痛みと同じだったことに気がついた=彼も性自認を巡る葛藤を胸に秘めていたが故に、自分や周囲が彼を傷つけていたことに気がついた というのが個人的な解釈‥(本当に 一つの例として)
彼のパートの冒頭、高畑充希演じる彼女との一連のやり取り(雑なプロポーズ、避妊をめぐるやり取り)は捉え方によっては 男女的な関係に早く結論を出したがっている=目を背けたがっている というふうに見えなくもない。また、組体操の練習中等時折生徒たちに 男らしさ めいたものを求める言動も垣間見えており、彼の中にある 痛み を匂わせる描写と見えなくもない。
※反転文字だけでそこまで気がつけるのか? と言われるとどうなんだろうかとは思うが‥
あとは 何故か急に手のひらを返したように見えるクラスメイトの女の子、この子は麦野君が河川敷を歩くシーンでうっすら後ろで何か話していると思しき描写はあったのも何かの演出意図なのか‥等、とにかくこの作品は 描写されないが何か背景がある と思われる登場人物達の心情が多く、そしてそれらは結論 わからない というのが大きな味噌なのは間違いない。
そうした 自分が気がつけない他社の中の痛み に思いを馳せたくなる本作はやはりまごう事なき 是枝裕和映画 なのだろう。
・少しだけ気になったところ‥
東京03角田のハマりっぷりもありあまり気にならないと言えば気にならないが、 学校の隠蔽体質 みたいなものにややステレオタイプというか 決めつけめいたものも感じなくはなかった。あそこまで酷いことは無いだろう‥ と信じたい‥
※写真の角度まで調整するところは笑ったが
「怪物だーれだ」同士のみが共有できる密やかなジョーク
「怪物」って何だろう。
能面のような校長か、息子を盲信するシングルマザーか、子供を虐待する父親か、何の考えもなくいじめをする子供たちか。
事なかれ主義の学校と戦うシングルマザーが主人公の話かと思いきや、二転三転する。
実は、主人公は彼女の一人息子の湊のほうだった。
「羅生門」のよう、と聞いていたがちょっと違うかな、と思う。
羅生門は「ある事実」がそれぞれの視点で違う内容になり、真実は藪の中、という話と記憶しているが、本作は、関係者がそれぞれ、自分が見聞きした「事実の一部分」しか知らない。彼らは事実の欠片からそれぞれの解釈で事態を類推して「こういうこと」と思い込んでいただけ。だれも全容を知らないのだ。
全容はやがて、当事者の子供二人の立場から明かされ、ようやくすべてが繋がる。
観客と大人たちはここで初めて真実を知ることになるのだ。
そして、些細な描写の積み重ねから、LGBTの話だったか、と分かるようになる。
湊は変声期を迎えているようだ。
第二次性徴が始まる、この年ごろから他の人と違うセクュシュアリティを持つことを知りはじめるのだろう、それは自身の存在に関わる、一人では抱えきれないほどの悩みと思う。
親にも打ち明けられない。「想い人」依里はそれが故に「病気」として、矯正という名のもとに父親から虐待されている。なにより自分自身が「病気」と言われるほどの異常者なのだと感じる。これは地獄だ。
依里の方は心は女の子、という感じで、その傾向を隠さない。男子に虐められるが女子に味方されて仲間になって、そこそこうまく生きているたくましさがあるが、これは虐待されている子供が身につけた処世術から来ているかも。
湊の傾向とはまたちょっと違うようで、彼らの個性も一言でLGBTと言えない多様性があると思う。
湊と依里の心中が、セリフで説明ではなく行動や、短い言葉、仕草等で丁寧に描かれて、その深刻さが伝わってきて胸が苦しい。
「怪物」とは、湊が自分自身をそう感じ、恐れたのだと思う。
「怪物だ~れだ」お前と僕!
これは、「同士」のみが共有できる、密やかなジョークに聞こえる。
最近、「結末は観ている方の想像にお任せ」な映画がトレンドなんだろうか。
私は結末はきっちり描いてほしい。観客の想像にお任せ、は作り手の逃げのように感じてしまいます。
とにかく二人の子役が素晴らしい。
演技派の大人の俳優女優揃う中、彼らと互角かそれ以上に、主役にふさわしい堂々たる演技力で、映画を見せる。
是枝監督作品の子役の良さには定評があるが、作品はこのところ今ひとつだった。
今回脚本を坂元裕二に任せたのが良かったのでは、と思う。
理不尽と嘘
映画の中で様々な問題が起きる。そしてその問題に対する
受け止め方が人によって違う。確かなことは悪いことをする
人間と嘘をつく人間がいてそのとばっちりで災難に遭う人が
存在することだ。映画ではそんな理不尽なことが描かれる。
誰が悪いのか?誰が嘘をついているのか?本当の被害者は?
映画の終盤まで種明かしがないのだけれど伏線を張って徐々に
核心に近づいて行く。立場が違う登場人物それぞれの事情と
伏線とが絡まって構成される上手い脚本だった。
人によって主張が違うとき、何を信じたら良いか分からなくなる。
自分にとって都合の良いことしか言わない人がいるからだ。
映画はフィクションだけれど、現実世界でもよくある話。
巷に流れるニュースを見ていても、どちらか一方の主張だけを
広めようとしたり、言葉の切り取りや印象操作によって
誰かが悪者に仕立て上げられていることもある。そんな
怖さも描かれていた。
2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門の
脚本賞を受賞し、またLGBTやクィアを扱った映画を対象に
贈られるクィア・パルム賞も受賞しているとのこと。
海外の映画祭で絶賛というのを鵜呑みにはしない自分だが
自分の目で確かめて今回の作品については妥当だと思う。
良い映画と認めつつケチを付けるなら125分の上映時間は
もう少し詰められなかったのか?と思った。
ヒューマンドラマ×見事な伏線回収=坂本脚本の是枝監督作品
あんまりマメじゃないから、見た直後にレビュー書くこと少ないけど、これは。余韻が凄すぎて。
翌日だけど今も余韻ひたひたで、あのピアノのメロディーがループしてるし、スマホで怪物の記事とか動画ばっかり見てる。ここまでの映画久々な気がする。
なんというか、この感動を言葉にするの難しくて語彙力喪失してるけど、とにかく良かった。
ストーリーの最初何が起こってるのかよく分からず小学校のシーンは体罰といじめがテーマなのかな?みたいな感じで安易に見てたら、2章以降次々に伏線回収されていって、もう途中からはその見事さに圧倒されて見入ってた。
2人の少年が葛藤して立ち向かおうとする姿に心打たれたし、子役さんたちの表情がとにかく良くて。癒された。
カンヌでクィアパルム賞受賞されたって聞いて、どんな賞かを知ってしまってから多少テーマをネタバレされてた感はあったけど、それでも十分過ぎるほど心動かされた。
これ、まったく前情報なく見てたらもっと感動できた気がするな。でもまあ、見終わってみたら受賞も納得だった。
さて、映画見るまではと思って我慢してたシナリオブック買お。
「怪物だ~れだ!」
ユナイテッドシネマ浦和にて鑑賞。
映画館で観た予告編「怪物だ~れだ!」が気になっていたので、やはり観に行った。
この映画、やはり事前知識は入れないで観ることをお勧めしたい。
なので、レビューはちょっと行間を空けて記載。ネタバレは殆ど無しで…(笑)
是枝裕和監督作品なので、だいたい公開されると早めに観るが、今回はカンヌ映画祭で坂元裕二氏が脚本賞を受賞、今年3月に他界した坂本龍一氏が音楽担当なので、やはり注目度アップ。
息子を愛するシングルマザーの安藤サクラと息子のやりとりで、息子が「頭の中に豚の脳」とか変なことを言い出す。この安藤サクラが学校の教師(瑛太)への抗議に行くと校長の田中裕子が「原稿を読むようなセリフに終始」(笑)
個人的に、田中裕子は学生時代に観た『天城越え』や『男はつらいよ・花も嵐も寅次郎』で大好きになったので、舞台挨拶の出待ちをして田中裕子さん直筆サインをいただいた素敵な女優。
話がそれたが、本作はその後さまざまな出来事を描いて、意外な展開を見せる。
本作は、カンヌ映画祭でクィア・パルム賞も受賞したため、「また、そっち系の話もあるの?」は判ってしまって、ちょっとネタバレ的なのは残念…(^^;
やはり、安藤サクラの「モンスター親」も良かったが、感情を表に出さずに演技を貫いた感のある田中裕子が最高であった。
<映倫No.123363>
マスク派orノーマスク派
タイトルが怪物、
主人公は子ども。
想像するのは、
え?この子が怪物?
とか、
ミスリードの後の、
マジ?この人が怪物!
本作はいずれでもない、
というか、
いずれでもある。
昨今話題の、
マスク派orノーマスク派、
両方に巣食うモンスターが、
チラチラと現れる、、、
怪物って、、、のような事を背景に、
「ミスティック・リバー」のような事件から始まり、
「スタンド・バイ・ミー」、
「台風クラブ」、
のような制御が一見難しい怪物くんたちの気持ちと行動を、
ループ系(といっても、超能力や時空のゆがみ、車もジャンプも無い、羅生門という言い方もアプデしよう)で観せていく。
音楽よりも、
草木の揺れる音、
虫の鳴き声、
水のせせらぎが、
怪物くんたちの気持ちに共感するための増幅装置音になっていた。
観る前の想像していた印象とは全く異なる映画
ポスターやCMでは『怪物だ〜れだ?』と言うミスリードを促すような謳い文句が前面に出てたので、所謂ミステリー色が強い作品なのかと思い観に行きましたが、観終わった後の印象は観る前に想像していたものとは良い意味で全然違いました。
人間は自分が見た、聞いた、得た情報だけで、あたかも
それが間違いのない真実かのように、自分の中で、物語を作り上げ、思い込んでしまう。ある事象が球体であるならば、自分が見ている側面など、正面の側面だけで、決して、球体の裏側や左右上下の側面までは見えていないし、見る事は現実的に難しい。けれど、事象には必ず、自分が見えてない側面がある事を忘れてはならず、見えてない側面についても想像を働かせ、考え、見ようとする努力はしなければならない事を改めて教えてくれるような映画でした。
今、SNS等、見方や考え方を固定してしまうような切り抜き情報が垂れ流される時代で、それこそ、思い込みの不確実な事実がまぎれもない事実かのように拡散されてしまう世の中において、この映画はある種の警告のようにも受け取れました。
結末は明るい未来にも悲劇にも、観る人にとって様々な受け取り方が出来るような演出になっている点もとても良かったです。
『怪物』とは事象に付随する人の思い込みから肥大化した虚妄を指しているような気がしました。
2度、3度観る事でまた新たな気づきが出てきそうな映画なのでまた観たいと思います。
タイトルに
教員のなり手がいなくなる
生煮えで未消化です。高評価なのが分からない。学校に勤務していたことがある者として、学校の描写が違和感しかない。校長室での台詞は教員と言うより政治家。パロディだと思ってずっと笑っていましたが、もし本当にパロディのつもりなら、子供という正義を振りかざして何でも学校に投げつけてくる政治とやり方は同じで、ずるいと思った。そして、校長が女性なのも違和感。権力にしがみつきその場をやり過ごそうとするのはむしろ男。あー腹立ってきた。星もう1つ減!
胸にくる
母として
安藤サクラの泡立つような不安に共鳴しすぎて見終わっても納得が追いつかず、坂本龍一の音楽が最上の仕事しててもあ…うん…てなる。
繰り返される車のバック。そもそもが運転どころじゃない気持ちでなされていて、だんだんと平常心を失って、3回目には失敗。
ならば校長も、バック失敗の手前にはきっと何かあったんだろうと映像にないことまで心象風景が覆ってくる。
最後、転生かな?と喜び、違うよ!と答えてるのをみて安心し、見終わってしばらくしてからやはりあれはとなり。
どちらが母親は救われるだろうと今は思ってる。
息子の全てを受け入れただろう母親が受け入れる呼びかけもしてたのにその機会を与えられずに終わったのなら辛い。
でも呼びかけが届かなかったとしても、悔やまれる終わりでも、本人は望む場所で幸せならそれは慰めになるなあと思う。
マスコミが許可なく写真を撮るのは盗撮ではないのか
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