怪物のレビュー・感想・評価
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音楽と脚本と、監督と。
私はずっと是枝裕和監督の作品が好きです。
そして坂本龍一さんの音楽も好きで、坂本裕二さんのドラマも好きです。
その超一流の3人が一緒に作品を作られるという事で、ずっと公開を待ち望み、そしてまた、その才能がぶつかり合い混沌とした作品になってしまうのでは?と一抹の不安もよぎりました。
しかし映画の終演後、その3人のあまりにも美しい協奏に、震えが来るほどに感動しました。
坂本龍一さんのAquaやhibari、と言った楽曲が好きで、「怪物」という名の映画で、もしかして怖いシーンに使われたらどうしよう、などとも考えましたが、それはそれは美しいシーンでこれらの曲が流れ、私はより一層これらの曲が好きになりました。
そして俳優陣の演技も素晴らしく、特に子役の子達の演技は、さすがの是枝演出といったところなのか、あまりにも自然で、あまりにも秀逸でした。
坂本龍一さんの最後の映画作品としては、大変素晴らしい作品を遺されたと思います。
タイミング的に、坂本龍一さんが亡くなられた後だった事、台風が通り過ぎた翌日に観た事なども相まって、この映画に感情的な奥行きを感じました。私は心から、この映画を皆さまにおすすめいたします。
追伸
本作は「カンヌ」「是枝裕和」「坂本裕二」「坂本龍一」と言った、名前先行で観に行った方々を吹き飛ばすような、骨太で本物の作品でした。上映開始1秒前までずっとうるさくお喋りをしていたカップルの女性が、終演後にすっかり黙り込んでいたのには、なんだか不思議な爽快感がありました。
答えのない観客と作り上げる映画?
『TAR/ター』『aftersun/アフターサン』に続き、またもや本作の様な作品を続けて見てしまうと、なんか世相的な大きな流れというか、映画界から社会(観客)に対しての挑発的なものを感じてしまう。
それほどに、この3作品はトリッキーであり、観客に対してある意味突き放していて、分かる(感じられる)者だけに分かって(感じて)もらえれば良いとも捉えられることもでき、それでいて見る者に寄り添う側面も強調していた様な作品であり、それらのことでのシンクロニシティが感じられました。でも、個人評価は前二作より低いです。
本作の場合は映画ファンならお馴染みでもある『羅生門』的別の視点から物語で描かれ、更にそれに捻りを加え換骨奪胎したような変則的であったので、上記作品以上に観客によって様々な捉え方が出来るような仕組みになっていました。更に、映画の中には観客を惑わす様な様々なトリックが仕掛けられていて、私もかなり疑問が残っていて鑑賞後もいい加減な解釈をしているのかも知れないという引っかかりが沢山ありました。
それって、ひょっとすると今のネット社会に対する皮肉にも繋がっている様にも感じられましたが、これも今や流行りの一現象というだけのことなのかも知れない。
ここからはネタバレ注意としますが、私自身1回見ただけではよく分からなかった点を少し挙げて行きます。
まずは本編の予告から観客を誘導する台詞として「怪物だぁ~れだ!」という言葉が使われていますが、観客はこの台詞を最初に脳に刷り込まれているので、映画に対して当然そういう観方をする様に洗脳されています。
そして、三部構成となる第一部ではその怪物探しを作り手により誘導されてしまいます。次の二部では違う側面から物語を映し出し、観客に一面だけでは捉え切れない現実を提示してから、一旦物語が終結されてしまいます。
そして、唐突に二部までとは違う世界観の希望的三部が映し出されます。
観客の多くはここで恐らく?マークが脳に過ったとは思いますが、無理矢理ここで何らかの結末を自分の中でこじつけさせられたような、なんでこんな三部構成にしたのか?これはかなり難しい問題です。
まず二部までの状況との整合性が取れていないので、三部は観客の好きな様に捉えてくれれば良いという単純な発想なのかなぁ?、彼らの(実際の)生死も分からず「怪物だぁ~れだ!」の答えも分からず、結局は提示されていないままの様な気がするのですよ。特に校長も、ネグレストの父親も、謎の女子生徒も、子供という無邪気な悪魔達も、同調圧力という名の脇役達も、怪物のまま放置されている。
結局、鑑賞後の今も分からないままの状態ではあるのですが、上記した様に今の社会に対しての比喩であることは間違いない気はするのですが、答えは明示されていません。
それこそ「それは観客自身が感じて下さい」ということなのでしょうか?、本当にこういう映画こそ、高評価をつけた方々は「素晴らしい」だけではなく具体的に何が良かったかをハッキリと明示して書いて欲しい作品の一つではありますね。これも意地の悪い観客を試し翻弄する作品だと思います。(悪い意味ではなく)
是枝監督の初の本人以外の脚本ということで、これが吉と出たか凶と出たかは、後々決定されていくのでしょうね(苦笑)
ひとつの視点からでは真実が解らない事を表現した作品。 本年度ベスト級。
小学校のイジメがテーマになってる感じ。
母親目線。先生目線。子供目線の3つの視線で進むストーリー。
この3つの目線が事実が明かされる感じはとても面白かった。
2人の子供の演技が自然でストーリーに引き込まれる中、大人のキャスト陣の安藤サクラさんはじめ、田中裕子さんや永山瑛大さんなども素晴らしい。
映画賞を取る作品って、やっぱり火事や大雨はお約束なのか?
気になりながらの鑑賞で、いまひとつ作品にのめり込めず(笑)
カンヌで脚本賞を受賞しているだけに素晴らしい内容だったけど、自分の心にはあまり刺さらず。
坂本龍一さんの音楽は本作にマッチしていた感じ。
ご冥福をお祈りします。
やっぱり自分はエンタメ性のある映画が好きなのかもしれません( ´∀`)
わたしは、恥ずかしくなり、そして翻弄された
※ネタバレというほどの感想ではないですが、1ミリも何も知識無く観るのが好きな人は読まないでください
この映画観て、強く思ったのは、偏った考え方でまず見たものしか信じられない自分の想像力のなさです。恥ずかしくなりました。
この映画は、母親の目線、教師の目線、少年たちの目線、で同じ時系列をそれぞれで見ていくのだけど、最初は母親だけの目線で見えていた世界が、だんだん紐解かれてくと共に、少年たちに寄り添って見えていく感じで進んでいきます。そこが面白かった。最初から最後まで、心底苦しくなる場面や心情が多くて(それもやはり坂元脚本、是枝作品ならではのリアリティと丁寧な描かれ方なのでより苦しくなる)ずっと、胃と頭が痛くなることの連続なんだけど、続きや展開が気になってしょうがなかった。この辛い現実から目を背けたいんだけど、一筋の光を信じて、続きを追わずにはいられなかった。
脚本担当した坂元裕二は、パンフレットのインタビューにて、この物語のモチーフのひとつとして、自分の過去の経験も参考にしていると書いてあった。自分が車の運転中に目の前にトラックがいて、信号が青になっても動かず何度かクラクションを鳴らしたけど動かなかったが、その後分かったのが、トラックは前を横切る車椅子?か何かの人が渡りきるのを待っていただけだった…そういう経験やその時の感情等もモチーフにしているとあった。まさにこの映画を見た上で恥ずかしくなった自分の感情だと感じたし、この映画を象徴してもいる出来事だった。また、映画の中だけじゃなくて、仕事や生活していく中でも毎日何度となく実は対面してる事を描いているなと。ただ、それだけをテーマにして描いてる訳でもなく、少年達の苦悩を映画の主体にしようとしている訳でもない、(これもパンフの受け売りですが)だんだんと展開を紐解くに連れて、物語を起承転結の結に向けて進めてはいなくて、ただ少年の心に寄り添って進んでいくところが流石で、また新しい映画の形を見た気がした。私達は、映画もドラマも小説でも、起承転結を追いながら進めてしまう傾向があるし、子どもや少年を主人公として置いてる作品は、その子達の苦悩をテーマとして、もっと嫌な言い方すれば売りものにしてるものが多いけど、そういう作品を作ろうとした訳じゃないんだなと…。目から鱗だった。固定概念や見たものだけを繋ぎ技合わせて答え合わせしようとしちゃう自分が本当に恥ずかしくなった。
今回は是枝裕和監督×坂元裕二脚本で、私の好きな監督と好きな脚本家の作品なので最高だったし、期待も裏切らない内容でしたが、改めて私は坂元裕二脚本が好きです…!!人物像の作り方やひとつひとつの台詞が、ほんとの意味でもある意味でも魅力的で、ずっと翻弄されてました。この映画を観た私は、恥を感じながらもずっと翻弄されていた、という感想が正しいかも。
また映画界の宝物みたいな映画が増えたなと思いました。
嵐の日に観ました
“怪物”たちのための映画だった
世界的に知名度がある是枝裕和監督と
日本を代表する脚本家の坂元裕二が
クィアをトピックにして映画を撮ったこと自体は
素晴らしいことだろう。
しかし本作でのクィア性は、
所詮、トピックでしかなかった。
“怪物だーれだ”
製作者はこの言葉を厭に気に入っているようだが、
そんなの問い直さなくても、決まりきったことだ。
母親は結婚やら理想の家族像を押し付け、
先生は男らしさを規定する。
そんなのアウトだって啓蒙するのって今更すぎないか?
どんだけクソジジイを対象に映画作ってんだよ。
タイトルからして怪しいと思ってはいたが、
怪物のために作る映画って本当に意味あるの?
そしてその“怪物”性を描くために、
それまでは二人の少年の繋がりはクローゼットされる。
単純に、後半の二人の姿から観られればよかった。
前半部分のミステリー要素なんて本当に冗長で、
特に母親と校長の諍いとか本当に見たくなかった。
田中祐子にあんな言葉言わすなよ。
(二人で演奏するシーン)
瑛太パートとか何のためにあるのマジで。
そういう諸々抜きにしても、単純に面白くなかった。
行ったり来たりしてまで描きたいものが見えてこなかった。
言葉の暴力とかをいちいち伏線にするなよ。
謎として解き明かそうとするなよ。
何年前の映画だよ。観客は先進んでんのよ。
ラストシーンとか、本当に、は?だったよ。
この主題で曖昧さを残すとか許されないんじゃないかな。
「ハートストッパー」とか
「ムーンライト」とか
「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」とか
観てんのかな?
当事者たちが映画の中に自分を探してきた
その旅の深さを舐めすぎてるよ。
結局は、マイノリティが物語として消費されただけだった。
物語でもないか、感動ポルノに近いかもしれない。
涙も流れないよ、、。
もう当事者としての涙しか流したくない。
追記。
やっぱり瑛太パートで気に食わなかったのは、
マイノリティが周囲からの日常的な圧力で
身を隠そうとしてしまったときに、
何故マジョリティが犠牲になる、みたいな
描き方をしてしまったのかという事だと思う。
だってさ、いま起きてることって、
例を挙げれば黒人差別者によって無害の当事者が
通報されたり殺されたりとか、
トランスヘイターやトランスを偽る加害者によって
無害の虐げられた人々がより不幸を被る
とかってことじゃない。
それをさ、なんでマイノリティも加害者になり得るって話にしてるの??現実と全く擦りあってなくない?
ラストについて、猫について
猫について。
猫は死んだ。
なぜ猫なのか。
1番普通でストーリーに馴染むから。
最初はそう思った。
しかしこの猫は生まれ変わるために火葬される途中で、中止される。
これは生まれ変われたのか、生まれ変われなかったのか分からない中間にいる。
これはシュレディンガーの猫だと思う。
この物語においては、「生まれ変わりとはそれが出来たのか出来ていないのかがわからない、折り重なったものであり、確認できない以上、開けられないままのシュレディンガーの猫」なのだ。
それがラストに繋がるのだと思う。
彼らは結果どうなったのか。
どちらも考えられるが、それは確認できない箱であり、それは折り重なっている。
折り重なった様こそがラストシーンなのだ。
怪物は誰か
全員怪物(不快な人間)と思える、不愉快な作品でした。
見始めてすぐに不愉快に気分になって、なぜこれが脚本賞をとったのか私には理解不能でした。ダイ・ハードや伊坂幸太郎さんの本のようにすべてが繋がってすっきりすることもなく、無理やりパッチワークでつなげたようにしか思えません。とにかく、学校にいるすべての人間の描写がむご過ぎです。カンヌであれが日本の学校のスタンダードだとは思われてはいないでしょうが、昔の学園ドラマや、アニメに出てくるような教師や子供ばかりで、ものすごくイライラしながら観ていました。
とにかく後で伏線を回収するために無理やり作ったような場面が多すぎです。クローズゼロなどのように、荒唐無稽な話なら、どんな突飛な場面があっても受け入れられるけど、この映画は日常を切り抜いた、リアリティのある話という前提ではないんですか?
突っ込みを入れたくなる場面の主なものを書くと
①母親・・・靴が片方なくなっていたり、水筒に石ころなどが入っていた時点で、明らかに子供からのSOSなのにさらっと流すなんてありえないでしょう。
②息子の湊・・・なぜあそこまでうそをついて担任の人生を狂わせる必要がある? 靴も片方だけ家に置いたり、水筒に石ころを入れっぱなしにするのもおかしいでしょ。そもそも担任やほかの先生にいじめのことをなぜ言わない?
③担任・・・あんな露骨ないじめに気が付かない時点で教師失格です。図工の時間に絵の具を塗りつけるいじめがあるけど、担任(または専科の教師)は見て見ぬふり? ありえないでしょ。校長室での場面でも、あの状況で飴をなめさせる脚本っていったい何ですか?リアリティのかけらもないですよね。猫の件で女の子に話を聞く場面も、ほかの子の前であんな聞き方をする教師はいません。ふつうは別室にさりげなく呼ぶなどして聞くはずです。あんなほかの子に聞かれる場所で質問されたら、「チクった」と思われるので、本当のことを言えるはずないでしょ。
④他の教師たち・・・あんな事実確認もしないまま、保護者の言うがままに担任を悪者に仕立てるなんて、いったいいつの時代の話ですか?(いや昔でもこんなむごいことはなかったのでは?) 腕と鼻の接触の件も、ちゃんと他の子供たちにも聞き取りをしたら、偶然当たったことがわかるはずです。
⑤他の生徒たち・・・いじめを見てもほとんどが放置だし、教師にも伝えない。まーそういう信頼のない教師や学校という設定なんですかね。
ほかにも映画を観ながら突っ込みを入れていた場面が多々ありましたが、多すぎて忘れました。
最後だけちょっとハッピーエンド?っぽく光に向かって進んでいくという描写でお茶を濁したとしか思えませんでした。
最初から最後まで批判ばかりになってしまいました。この映画を面白いと思った人には不愉快かもしれませんが、素直な感想です。
どこに逃げれば
「怪物だーれだ」
これは、ちよっとしたゲームの、それ以上でもそれ以下でもない台詞。それがタイトルとなっているが故に、強烈なリードとなって怪物探しが始まってしまうのだ。これにこだわりすぎると、せつかくの本作に埋め込まれたメッセージが薄まるように感じた。個人的には、観る際にあまりタイトルに振り回されない方が良いのかと思う。エンタメとして良いのだろうが、どうしても本作の感想につきまとう「誰が怪物論」には、いささか疲労感を覚える。
子供達の真実は明朗だが、周りの大人達は自分から見えるものを自分の見たいように見て、勝手に事態を複雑にしていく。観終わればただそれだけの物語だが、その過程では怪物探しをしている観客も、周りの大人に溶け込んでいたことに気づいて、なんとなく居心地悪さを感じるところが、本作の面白さか。
1つのストーリーを、章立てごとに、何人かの人物の視点で描かれる。最後の章が一旦の真実となるのだろうが、本作は真実を追いかけるサスペンスものの面だけではなく、複雑になっていく社会で思春期を送らねばならない子供達の、シリアスな課題を汲み取る事が期待されているのではなかろうか。一昔前は若者は「自由への逃走」で良かったが、今の子供達はどこへ向かって逃げれば良いのだろう。
ともあれ、是枝監督の丁寧さがありつつ、ノンフィクションっぽくまとまっていて、テンポも良かった。背景が諏訪湖の周りの自然豊かな田舎の街だったので、ゆったりとしたシーンもあるのかと思ったが、意外に少なかったかな。
車から落ちるシーンはドッキリで、これは想定外。「レディ・バード」のシアーシャ・ローナンの同じようなシーンを思い出した。
俳優陣も人々を章立てごとに濃淡つけて演じていて、そのあたりも見どころでしょう。子役達に加えて、永山瑛太は怪しくもあり、誠実でもありの役でひとり数役くらいの感じで熱演だった。
本作を見て、大人にとっても生きづらい世の中は、子供にはどんなふうに映っているのだろうと思った。社会課題に向き合う是枝監督が、そんな作品を作ったら見てみたいですね。
子供達よ 信じる道を走って行け
一人息子を育てるシングルマザーを安藤サクラさんが、春に小学校に赴任したばかりの教員を永山瑛太さんが熱演。
トンネルを抜けたその場所は、まるでジブリの世界のよう。
早朝から夜遅く迄、多くの業務をこなしながら働く教員達の事を思いながらスクリーンを見つめていました。
ラストシーンでは思わず嗚咽が。
是枝監督の真摯で温かな眼差しが本作でも溢れていました。
坂本龍一さんが弾く美しいピアノの音色が沁みた。
映画館での鑑賞
物事の視点について
映画をみて物事の視点について考えさせられる映画でした。
ここでは先に映画の評価や内容のことより先にこのことを書きたいと思いました。
物事はいろいろな角度や観点、一つの方向だけではなくあらゆる角度から判断していかなければいけないなと思わされた映画でした。
ここからは映画について。
前半ではシングルマザーからみた子供の様子や生活の様子です。シングルマザーとしてしっかり子供を守らなければという母性が描かれています。
中盤は担任の先生視点からみた子供たちの様子。担任としてしっかり子供たちをみなければいけないという責任感が描かれています。
後半は子供たちの葛藤が描かれており、すべての謎が解けていきます。
おおざっぱにざっと書くとこんな感じかなと思いました。
最後までみると…
子どもたちにとって親も担任の先生も一番身近で味方になってくれるはずの人たちからの何気ない言動で傷ついていくことがわかる描写が丁寧に描かれています。これは子どもたちだけでなく大人にも言えることであると思いますが…。
最後のシーンについても意見がいろいろあると思います…
自分の見解としては土に生き埋めになって亡くなったと思っています。
このことについては伏線がはられているのでそう捉えました。
そして最後はいろいろなことから解き放たれた二人が描かれています。二人にとってはハッピーエンドなのかもしれません。
この作品はいろいろな方に見ていただきたいと思いました。
見る人によって視点が違い感想もざまざま出てくると思いますのでぜひ見ていただきたいです。
子役がとにかく素晴らしい。
主演の2人が、演技とは思えないほどの自然さで素晴らしかった。子供独特の純粋さと危うさ、矛盾だらけの言動をよく演じていた。今後が楽しみだ。
物語はできるだけ事前情報を入れずにフラットな気持ちで見てほしい。
さすがカンヌで脚本賞をとっただけあり、前半で貼られた伏線が後半でどんどん回収されてくるカタルシスがあり、全てを知ってからもう一度最初から観たくなる。
~以下ネタバレ~
最も粗は残るし最初まで解明されない部分は多い。なぜあそこまで保利先生を悪人に仕立て上げたのか。主演の2人に加え、うさぎについて証言した女生徒や、他のクラスメイトも保利先生の無実を知っていて味方をしない。
ただ子供とはなんとなくで嘘をつくし、予想以上に空気を読むので、保利先生一人を犠牲にしようとする学校側の求めるような答えを返したのかもしれない。いじめ問題に目を背けるために先生をスケープゴートにしたのかもしれない。いずれにしてももう少し納得できる理由付けが欲しいところだ。
第一章で酷い悪人に見えた保利先生が実はいい先生だったという仕掛けにしたかったのはわかるものの、恋人にゴムなしで「大丈夫だよ」とセックス迫ってる時点でこいつクズだなと思ってしまったので、全く保利先生に同情できなかった。
他にもダメな部分は多く、親から事実無根のクレームがあったとしても、理由をシングルマザーで過保護なせいだと決めてかかったり、子供が嘘をつくにしてもその背景を考えたり肝心の子供に丁寧に聞き取りをするのを怠ったり、謝罪の場で飴を食べたりしたらどう考えても悪手なのにそれをやること自体もう相手を舐めてるんじゃないかとしか思えない。
いくら保身に走っているにしても、周りの教師が保利先生を少しもかばい立てしないというのはさすがに人望がなさ過ぎる。マスコミが来たことで彼女にあっさり切られたところも、所詮相手と浅い関係しか築けなかった象徴のようだ(避妊しないクズだからこれを機に別れたのかもしれないが)。
湊の母親は頑張っている。だが頑張っているだけで息子を理解してはいない。11歳の子供が性的指向で悩んでいるかもしれないことを予測しろというのは無理があるかもしれない。だが、一つだけ映画から普遍的なことを言えるとしたら、親はどんなに子供のことを思ってるつもりでも、そういった必死さも含めて子供を時に追い詰めていることがあるのだ。湊の「うちも親に気を遣う」という言葉が物語っている。
第一章でいかにも良い夫、良い父親だったように語られる亡き湊の父親は、不倫相手と一緒にいるときに事故死している。それを湊は知っていることに母親は気づいているのかいないのか、湊は母親といるときは「良い父親だった」ごっこに付き合っている。
子供は親が思う何倍も物事をよく見ている。
ところで怪物の正体は何より中村獅童演じる星川君のお父さんだと思った。あの虐待っぷりは怖い。あいつをなんとかしない限り、2人の今後には何一つ救いがないように思えてしまう。
人生の交差
怪物
群像劇として緻密なことは勿論、ありがちなクレーマーという言葉を教師側から先に引き出しておいて反感を買い、一部その通りに視点をひっくり返すところに、演出の別格さを見る。
加害者は大人達で、子供達でもある。
どうしようもない場所で抗う、教師達の諦めに覆われた眼には意味があり、そして別の表情がある。子供達の天才性と残酷性は、そして大人の「世界」とは相容れない。
後半は救いのストーリーでも、保利先生と依里少年の酷く張り付いた笑顔が心に残る。
子役が素晴らしい
凄まじい完成度。問題を見過ごし続ける“現代”そのもの
これは傑作と言っていいと思う。
社会問題が山積で、解決できる時間も労力もない。そうして大切なことが蔑ろにされていく。
そんな現代へのあきらめと、
それでも希望を持ち続けたいという制作者の思いがひしひしと伝わってきた。
そんなメッセージを具現化させた脚本が素晴らしい。
そして、説明的なセリフがないかわりに、
映像と編集で伝える卓越した技術が素晴らしい。
本作はしばしば時系列が戻る。
(カメ止めや内田けんじ的に)
時系列が戻ったりすると、
途端に分かりにくくなるのだが、
様々なポイントで理解できるように構成され、
さらにそれがわかった上で物語が展開する。
途中で何度か登場人物の視点が変わるのだが、
それは視点によって人の印象がまるで違う、
という演出だろう。
そのすれ違い、勘違いこそが、問題の解決を遠ざけ、最も大事なことが置き去りにされるという現代の本質をついている。
諏訪湖という舞台設定も見事。
湖の美しさを感じるシーンもあれば、別のシーンでは鬱屈とした沼のような印象も受け、その表情がとても雄弁だった。
非常に複雑ではあるが、
それを理解できる形に昇華させた見事な傑作。
もう何度か見に行こうと思う。
手に入るもの
嘘って誰のために
何のためになんだろう。
自分守って
自分に嘘つくのはしんどい、そう追い込まれてしまう世の中(マジョリティ)の都合から身を守りながら
自分の心の動きを目を凝らして見続ける気持ちを持てるか持久力と耐久性が必要。
大事なことは言葉にできない
言葉になり得ないものを抱え込んでる人たちの話、なるべく言葉にせずに伝えようと思った(是枝監督)
言葉や表情身体で伝えても応えてくれる相手が自分にとって大事で、ほんの一握しかいない。
怪物探しをするばかりでは
言えない抱え込んでいるものに気づき受け取れる社会には道が遠い。
三者三様の三部構成。
ちょっと真偽不明のところもありますが
一回観るだけでは見落としてることがあるでしょう。
是枝監督がずっとテーマにしている社会の貧困。
貧困の根源は経済か愛情か…
イジメの場面がしんどい。
2人の少年、湊と依里が教室に居場所のない様子はその空気に感情が溺れてしまう。囃し立てる子たちの社会から心の貧困を映す場面がほとんどない尺に入らないのが残念。
周りはその他大勢とし役割として都合の良く切り取って消費してしまった、その辺りが物語を薄くしているのではないか。
同調圧力、何に怯えているのか、それぞれの中に怪物は宿る。
学校で形を変えて、この様な同調圧力が日常的にあるんだろうかと思うと気が重くなりました。
本当の自分の気持ちをそのまま言えない、そして自分の言葉が人に傷を負わせるのを快感とする社会はあまりにも思いやりがなく想像が貧しい。
思春期の自分の心に対する問いは人を好きになること、
そこから自分の形が見えてくる。
そして相手を大切に思いやる感情は親からの愛情が基礎になる。
そのままの自分をどう受け入れていくか
相手をどう受け入れていくか。
自分だけ特別に手に入るものより普通に手に入るものが幸せをもたらすのかな?
異形の心は怪物なのか?
「怪物だ〜れだ」が耳に残る。
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いた?
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