怪物のレビュー・感想・評価
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観る前の想像していた印象とは全く異なる映画
ポスターやCMでは『怪物だ〜れだ?』と言うミスリードを促すような謳い文句が前面に出てたので、所謂ミステリー色が強い作品なのかと思い観に行きましたが、観終わった後の印象は観る前に想像していたものとは良い意味で全然違いました。
人間は自分が見た、聞いた、得た情報だけで、あたかも
それが間違いのない真実かのように、自分の中で、物語を作り上げ、思い込んでしまう。ある事象が球体であるならば、自分が見ている側面など、正面の側面だけで、決して、球体の裏側や左右上下の側面までは見えていないし、見る事は現実的に難しい。けれど、事象には必ず、自分が見えてない側面がある事を忘れてはならず、見えてない側面についても想像を働かせ、考え、見ようとする努力はしなければならない事を改めて教えてくれるような映画でした。
今、SNS等、見方や考え方を固定してしまうような切り抜き情報が垂れ流される時代で、それこそ、思い込みの不確実な事実がまぎれもない事実かのように拡散されてしまう世の中において、この映画はある種の警告のようにも受け取れました。
結末は明るい未来にも悲劇にも、観る人にとって様々な受け取り方が出来るような演出になっている点もとても良かったです。
『怪物』とは事象に付随する人の思い込みから肥大化した虚妄を指しているような気がしました。
2度、3度観る事でまた新たな気づきが出てきそうな映画なのでまた観たいと思います。
タイトルに
教員のなり手がいなくなる
生煮えで未消化です。高評価なのが分からない。学校に勤務していたことがある者として、学校の描写が違和感しかない。校長室での台詞は教員と言うより政治家。パロディだと思ってずっと笑っていましたが、もし本当にパロディのつもりなら、子供という正義を振りかざして何でも学校に投げつけてくる政治とやり方は同じで、ずるいと思った。そして、校長が女性なのも違和感。権力にしがみつきその場をやり過ごそうとするのはむしろ男。あー腹立ってきた。星もう1つ減!
胸にくる
母として
安藤サクラの泡立つような不安に共鳴しすぎて見終わっても納得が追いつかず、坂本龍一の音楽が最上の仕事しててもあ…うん…てなる。
繰り返される車のバック。そもそもが運転どころじゃない気持ちでなされていて、だんだんと平常心を失って、3回目には失敗。
ならば校長も、バック失敗の手前にはきっと何かあったんだろうと映像にないことまで心象風景が覆ってくる。
最後、転生かな?と喜び、違うよ!と答えてるのをみて安心し、見終わってしばらくしてからやはりあれはとなり。
どちらが母親は救われるだろうと今は思ってる。
息子の全てを受け入れただろう母親が受け入れる呼びかけもしてたのにその機会を与えられずに終わったのなら辛い。
でも呼びかけが届かなかったとしても、悔やまれる終わりでも、本人は望む場所で幸せならそれは慰めになるなあと思う。
マスコミが許可なく写真を撮るのは盗撮ではないのか
上質な文学のような…⭐︎
是枝監督、坂元裕二、音楽 坂本龍一という個人的にはオールスターの製作陣。
物語は、予告編でも何度も言われたように子供の喧嘩と瑛太演じる教場の暴力ということから
始まるが、もちろんそれはプロローグに過ぎない。
最初に安藤サクラ演じるシングルマザーが教師の暴力に対する抗議をし、見ている者は学校側の
強調されていること勿れ主義に苛立ちを感じる。
(このシーンの校長役の田中裕子が不気味。)
次に瑛太の教師側からの目線で、最初の母(安藤サクラ)の時に感じた気持ちとは全く逆方向とも言える感情を
抱えることになる。
物語は、時間軸を言ったり来たりしながら進み、最初に現れた伏線が次から次にと回収されていく。
このあたりは、脚本が見事で、特に大きな事件らしきものがおきないのにどうなるのか?という不穏な
空気が溢れてくる。
是枝監督の子役遣いは相変わらず冴え渡り、二人の子供はとても演技とは思えぬ自然さでこの物語を
引っ張っていく。
この二人、黒川想矢と柊木陽太の受賞がなかったことが不思議。
この二人の関係性に対してのクィア・パルムだったのだろうが、自分はそこまで意図したものだったのかと
疑問に思った。
ただ、11歳の仲の良い二人、それだけで良かったような気がした。
ラストシーン、大雨の中 隠れ家にしていた廃線なら二人が抜け出し、光溢れる世界へ走りでる。
衣里の「生まれ変わったなかなぁ?」に対する湊の「そんなわけないじゃん!」という返事。
坂本龍一の繊細で美しく哀しみを抱えたようなピアノ…。
泣くところじゃないと思いながら、何だかジーンとしてしまった。
是枝監督の作品(万引き家族依然の)を観てきた人なら共感するところもあるだろうが、坂元裕二の脚本と
いうことで、「花束みたいな恋をした」風な作品を期待して来場した人にはどうだったのだろう。
終映後、若い女性が「何か良くわからなかった。」と言っているのが聞こえて来た。
人類みな怪物の素質はもっている
久々にもう一度観たい作品に出会えた
カンヌでの受賞云々ではなく、観たい作品だったので、事前の情報もあまり入れずに臨みました。
後から振り返ると、隣の人が席を立っている事もわからないくらい作品に引き込まれていました。
鑑賞後のファーストインプレッションは「もう一度観たい‼︎」素直にそう感じると同時にこんな感覚はとっても久しぶりです。
最近の映画によく取り入れられている「伏線の回収」もここから回収ですという、いかにもな感じではなく、ストーリーに自然に取り込まれているのがとっても心地よかったです。それぞれの人物が、何故そんな言葉を発したのか、何故そんな行動を起こしたのか…
そして怪物とは何なのか…
人それぞれ違った見方をすれば、その怪物もきっと違ってくるのでしょう。
だからこそ、また観たいと思えるのではないかと思います。
あなたにとっての「怪物」とは…
音楽と脚本と、監督と。
私はずっと是枝裕和監督の作品が好きです。
そして坂本龍一さんの音楽も好きで、坂本裕二さんのドラマも好きです。
その超一流の3人が一緒に作品を作られるという事で、ずっと公開を待ち望み、そしてまた、その才能がぶつかり合い混沌とした作品になってしまうのでは?と一抹の不安もよぎりました。
しかし映画の終演後、その3人のあまりにも美しい協奏に、震えが来るほどに感動しました。
坂本龍一さんのAquaやhibari、と言った楽曲が好きで、「怪物」という名の映画で、もしかして怖いシーンに使われたらどうしよう、などとも考えましたが、それはそれは美しいシーンでこれらの曲が流れ、私はより一層これらの曲が好きになりました。
そして俳優陣の演技も素晴らしく、特に子役の子達の演技は、さすがの是枝演出といったところなのか、あまりにも自然で、あまりにも秀逸でした。
坂本龍一さんの最後の映画作品としては、大変素晴らしい作品を遺されたと思います。
タイミング的に、坂本龍一さんが亡くなられた後だった事、台風が通り過ぎた翌日に観た事なども相まって、この映画に感情的な奥行きを感じました。私は心から、この映画を皆さまにおすすめいたします。
追伸
本作は「カンヌ」「是枝裕和」「坂本裕二」「坂本龍一」と言った、名前先行で観に行った方々を吹き飛ばすような、骨太で本物の作品でした。上映開始1秒前までずっとうるさくお喋りをしていたカップルの女性が、終演後にすっかり黙り込んでいたのには、なんだか不思議な爽快感がありました。
答えのない観客と作り上げる映画?
『TAR/ター』『aftersun/アフターサン』に続き、またもや本作の様な作品を続けて見てしまうと、なんか世相的な大きな流れというか、映画界から社会(観客)に対しての挑発的なものを感じてしまう。
それほどに、この3作品はトリッキーであり、観客に対してある意味突き放していて、分かる(感じられる)者だけに分かって(感じて)もらえれば良いとも捉えられることもでき、それでいて見る者に寄り添う側面も強調していた様な作品であり、それらのことでのシンクロニシティが感じられました。でも、個人評価は前二作より低いです。
本作の場合は映画ファンならお馴染みでもある『羅生門』的別の視点から物語で描かれ、更にそれに捻りを加え換骨奪胎したような変則的であったので、上記作品以上に観客によって様々な捉え方が出来るような仕組みになっていました。更に、映画の中には観客を惑わす様な様々なトリックが仕掛けられていて、私もかなり疑問が残っていて鑑賞後もいい加減な解釈をしているのかも知れないという引っかかりが沢山ありました。
それって、ひょっとすると今のネット社会に対する皮肉にも繋がっている様にも感じられましたが、これも今や流行りの一現象というだけのことなのかも知れない。
ここからはネタバレ注意としますが、私自身1回見ただけではよく分からなかった点を少し挙げて行きます。
まずは本編の予告から観客を誘導する台詞として「怪物だぁ~れだ!」という言葉が使われていますが、観客はこの台詞を最初に脳に刷り込まれているので、映画に対して当然そういう観方をする様に洗脳されています。
そして、三部構成となる第一部ではその怪物探しを作り手により誘導されてしまいます。次の二部では違う側面から物語を映し出し、観客に一面だけでは捉え切れない現実を提示してから、一旦物語が終結されてしまいます。
そして、唐突に二部までとは違う世界観の希望的三部が映し出されます。
観客の多くはここで恐らく?マークが脳に過ったとは思いますが、無理矢理ここで何らかの結末を自分の中でこじつけさせられたような、なんでこんな三部構成にしたのか?これはかなり難しい問題です。
まず二部までの状況との整合性が取れていないので、三部は観客の好きな様に捉えてくれれば良いという単純な発想なのかなぁ?、彼らの(実際の)生死も分からず「怪物だぁ~れだ!」の答えも分からず、結局は提示されていないままの様な気がするのですよ。特に校長も、ネグレストの父親も、謎の女子生徒も、子供という無邪気な悪魔達も、同調圧力という名の脇役達も、怪物のまま放置されている。
結局、鑑賞後の今も分からないままの状態ではあるのですが、上記した様に今の社会に対しての比喩であることは間違いない気はするのですが、答えは明示されていません。
それこそ「それは観客自身が感じて下さい」ということなのでしょうか?、本当にこういう映画こそ、高評価をつけた方々は「素晴らしい」だけではなく具体的に何が良かったかをハッキリと明示して書いて欲しい作品の一つではありますね。これも意地の悪い観客を試し翻弄する作品だと思います。(悪い意味ではなく)
是枝監督の初の本人以外の脚本ということで、これが吉と出たか凶と出たかは、後々決定されていくのでしょうね(苦笑)
ひとつの視点からでは真実が解らない事を表現した作品。 本年度ベスト級。
小学校のイジメがテーマになってる感じ。
母親目線。先生目線。子供目線の3つの視線で進むストーリー。
この3つの目線が事実が明かされる感じはとても面白かった。
2人の子供の演技が自然でストーリーに引き込まれる中、大人のキャスト陣の安藤サクラさんはじめ、田中裕子さんや永山瑛大さんなども素晴らしい。
映画賞を取る作品って、やっぱり火事や大雨はお約束なのか?
気になりながらの鑑賞で、いまひとつ作品にのめり込めず(笑)
カンヌで脚本賞を受賞しているだけに素晴らしい内容だったけど、自分の心にはあまり刺さらず。
坂本龍一さんの音楽は本作にマッチしていた感じ。
ご冥福をお祈りします。
やっぱり自分はエンタメ性のある映画が好きなのかもしれません( ´∀`)
わたしは、恥ずかしくなり、そして翻弄された
※ネタバレというほどの感想ではないですが、1ミリも何も知識無く観るのが好きな人は読まないでください
この映画観て、強く思ったのは、偏った考え方でまず見たものしか信じられない自分の想像力のなさです。恥ずかしくなりました。
この映画は、母親の目線、教師の目線、少年たちの目線、で同じ時系列をそれぞれで見ていくのだけど、最初は母親だけの目線で見えていた世界が、だんだん紐解かれてくと共に、少年たちに寄り添って見えていく感じで進んでいきます。そこが面白かった。最初から最後まで、心底苦しくなる場面や心情が多くて(それもやはり坂元脚本、是枝作品ならではのリアリティと丁寧な描かれ方なのでより苦しくなる)ずっと、胃と頭が痛くなることの連続なんだけど、続きや展開が気になってしょうがなかった。この辛い現実から目を背けたいんだけど、一筋の光を信じて、続きを追わずにはいられなかった。
脚本担当した坂元裕二は、パンフレットのインタビューにて、この物語のモチーフのひとつとして、自分の過去の経験も参考にしていると書いてあった。自分が車の運転中に目の前にトラックがいて、信号が青になっても動かず何度かクラクションを鳴らしたけど動かなかったが、その後分かったのが、トラックは前を横切る車椅子?か何かの人が渡りきるのを待っていただけだった…そういう経験やその時の感情等もモチーフにしているとあった。まさにこの映画を見た上で恥ずかしくなった自分の感情だと感じたし、この映画を象徴してもいる出来事だった。また、映画の中だけじゃなくて、仕事や生活していく中でも毎日何度となく実は対面してる事を描いているなと。ただ、それだけをテーマにして描いてる訳でもなく、少年達の苦悩を映画の主体にしようとしている訳でもない、(これもパンフの受け売りですが)だんだんと展開を紐解くに連れて、物語を起承転結の結に向けて進めてはいなくて、ただ少年の心に寄り添って進んでいくところが流石で、また新しい映画の形を見た気がした。私達は、映画もドラマも小説でも、起承転結を追いながら進めてしまう傾向があるし、子どもや少年を主人公として置いてる作品は、その子達の苦悩をテーマとして、もっと嫌な言い方すれば売りものにしてるものが多いけど、そういう作品を作ろうとした訳じゃないんだなと…。目から鱗だった。固定概念や見たものだけを繋ぎ技合わせて答え合わせしようとしちゃう自分が本当に恥ずかしくなった。
今回は是枝裕和監督×坂元裕二脚本で、私の好きな監督と好きな脚本家の作品なので最高だったし、期待も裏切らない内容でしたが、改めて私は坂元裕二脚本が好きです…!!人物像の作り方やひとつひとつの台詞が、ほんとの意味でもある意味でも魅力的で、ずっと翻弄されてました。この映画を観た私は、恥を感じながらもずっと翻弄されていた、という感想が正しいかも。
また映画界の宝物みたいな映画が増えたなと思いました。
嵐の日に観ました
“怪物”たちのための映画だった
世界的に知名度がある是枝裕和監督と
日本を代表する脚本家の坂元裕二が
クィアをトピックにして映画を撮ったこと自体は
素晴らしいことだろう。
しかし本作でのクィア性は、
所詮、トピックでしかなかった。
“怪物だーれだ”
製作者はこの言葉を厭に気に入っているようだが、
そんなの問い直さなくても、決まりきったことだ。
母親は結婚やら理想の家族像を押し付け、
先生は男らしさを規定する。
そんなのアウトだって啓蒙するのって今更すぎないか?
どんだけクソジジイを対象に映画作ってんだよ。
タイトルからして怪しいと思ってはいたが、
怪物のために作る映画って本当に意味あるの?
そしてその“怪物”性を描くために、
それまでは二人の少年の繋がりはクローゼットされる。
単純に、後半の二人の姿から観られればよかった。
前半部分のミステリー要素なんて本当に冗長で、
特に母親と校長の諍いとか本当に見たくなかった。
田中祐子にあんな言葉言わすなよ。
(二人で演奏するシーン)
瑛太パートとか何のためにあるのマジで。
そういう諸々抜きにしても、単純に面白くなかった。
行ったり来たりしてまで描きたいものが見えてこなかった。
言葉の暴力とかをいちいち伏線にするなよ。
謎として解き明かそうとするなよ。
何年前の映画だよ。観客は先進んでんのよ。
ラストシーンとか、本当に、は?だったよ。
この主題で曖昧さを残すとか許されないんじゃないかな。
「ハートストッパー」とか
「ムーンライト」とか
「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」とか
観てんのかな?
当事者たちが映画の中に自分を探してきた
その旅の深さを舐めすぎてるよ。
結局は、マイノリティが物語として消費されただけだった。
物語でもないか、感動ポルノに近いかもしれない。
涙も流れないよ、、。
もう当事者としての涙しか流したくない。
追記。
やっぱり瑛太パートで気に食わなかったのは、
マイノリティが周囲からの日常的な圧力で
身を隠そうとしてしまったときに、
何故マジョリティが犠牲になる、みたいな
描き方をしてしまったのかという事だと思う。
だってさ、いま起きてることって、
例を挙げれば黒人差別者によって無害の当事者が
通報されたり殺されたりとか、
トランスヘイターやトランスを偽る加害者によって
無害の虐げられた人々がより不幸を被る
とかってことじゃない。
それをさ、なんでマイノリティも加害者になり得るって話にしてるの??現実と全く擦りあってなくない?
ラストについて、猫について
猫について。
猫は死んだ。
なぜ猫なのか。
1番普通でストーリーに馴染むから。
最初はそう思った。
しかしこの猫は生まれ変わるために火葬される途中で、中止される。
これは生まれ変われたのか、生まれ変われなかったのか分からない中間にいる。
これはシュレディンガーの猫だと思う。
この物語においては、「生まれ変わりとはそれが出来たのか出来ていないのかがわからない、折り重なったものであり、確認できない以上、開けられないままのシュレディンガーの猫」なのだ。
それがラストに繋がるのだと思う。
彼らは結果どうなったのか。
どちらも考えられるが、それは確認できない箱であり、それは折り重なっている。
折り重なった様こそがラストシーンなのだ。
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