怪物のレビュー・感想・評価
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無邪気<邪悪
最初に断っておくと、私、自分のレビューを書く前は、作品に関する解説や批評は読んだり聴いたりしないようにしているのですが、今回は観終わってすぐ、我慢できずに前日のラジオ番組のライムスター宇多丸さんによる「是枝監督インタビュー」を聴いてしまったため、少々影響を受けてしまっているかもしれません。
私にとって、是枝さんの監督作品は「リラックスして観られるもの」と、「観る前から緊張感のあるもの」があり、今作は言わずもがなの後者。そのため、疲れ気味だった先週末、絶対に混んでいるであろうこの作品を観に行くことは避け、集中して観られるように休暇をもらって、平日の109シネマズ木場の「エグゼクティブシート(会員は一般席と同額)」で鑑賞です。木場、平日とは言え空いてるな。。。(若干の複雑な思い)
人は見えないことや理解できないことに対し、「恐怖心」を抱くことがあります。そして、真実はたった一つではなく、そこにいる人の分だけあるのです。三部立てに構成されたこの作品はそれぞれの視点で語られ、観ている我々に対して徐々に起きた事に厚みを持たせることで「こういうことなのか(か?)」と解釈させてくれるものの、あくまでどう思うかは「真実」同様に観る人の数だけありそうな、「何度かは観たい」作品に仕上がっています。
特に一部である母・早織(安藤サクラさん)の視点は観ていて「あれ、是枝さん、何かいつもと違う気がするけど大丈夫?」と思って観続けますが、これ、恐らく作り手側の思う壺だと思います。何なら、解り易くバイアスをかけたような展開や演出は感情を持っていかれやすいため、二部、三部と進む都度に見える別の視点から、前に抱いた自分の感情の薄っぺらさを思い知らされ、だからこそ観ながらに「もう一度観直したい」と思いつつ、要所要所に紡がれる坂本龍一氏のピアノの旋律に心が揺らされます。
保利役の永山瑛太さん、恋人・広奈(高畑充希さん)からも散々いじられる通りの、どこか不気味な感じが醸される「(えがおでなく)笑い顔」が上手過ぎてしびれます。あの雰囲気で子供たちと相対する姿は、迂闊で危なっかしく、10歳くらいの「無邪気<邪悪」な彼・彼女たちにかかると尚更に、保利の顛末に必然さを感じてしまいます。
一方で保利と同じ側の立場である(はずの)校長役の田中裕子さん。今回も役としても俳優としても実に「請け負ってるなぁ」と感じます。落としどころが難しい本作に対し、この校長の存在がどこかハマりがいい上に、この人物の憎み切れなさ、そしてストレートではないのに紛れもなく包容力を感じる存在感。一部、二部で何気に気になる調子の外れたラッパの音が、三部のそのシーンで思わず胸が熱くなります。
そして、やはり是枝さんの子役選びとその演出は間違いないですね。メインキャストのお二人、いずれも素晴らしいのですが、私が特に驚いたのは依里役の柊木陽太さんが圧巻と感じました。一見した透明感とは裏腹に、彼の秘密めいた部部に潜む不穏さで、いつしか彼を中心にドライブしていく展開は、三部における湊(黒川想矢さん)とのシーンの全てに、何も見えていなかった大人の一人として、ショックを隠し切れませんでした。だからこその「あのエンディング」がまた凄く、さらにそこで聞こえてくる坂本龍一さんのピアノがまた尊いのです。あゝ。。。
構成、演技、音楽、そして編集、どれもが素晴らしいわけですが、とりわけはやはりカンヌでも賞に輝いた坂元裕二さんの脚本ですね。基本はクラシックなミステリーですが、「怪物誰だ」の一言で引っ張ってこれだけ深く、厚く、そして温かみのあるストーリーは、現実に返って様々な偏見や悪意、狡さなどに無意識であってはならないことを痛感させられました。
もう一度言いますが、もう一度観たい。脱帽です。
カンヌ脚本賞納得!まちがいなく忘れられない作品となりそう!
人はみんな、心に刺さったトゲの痛みをこらえながら生きている
子供も、大人も…
そのトゲは、いじめ、虐待、個人の特異性、
強いられる犠牲、愛する人の裏切り…など、
様々な形で作品中で見せつけられる
それでも人は、
大切な者を痛みから救いたいと願う
親が子供を、教師が生徒を、子供が友達を…
しかしこれが、見事に噛み合わない
同じ時間を共有しているのに、抱える痛みと立場が違うので、それぞれ全く違って見える
特に、子供はまだ自分を守る術がない
その時その時を、嘘で切り抜けるしかなく、
それがまた、大人をも傷つける大混乱へとつながっていく…
坂元裕二の脚本が、
このあたりを実にうまく展開させていて、
唸った!
そして、是枝監督は、
ただ「人」を見せる
ストーリーに結論や結末は特になくて、
人間ってみんな、こんな感じだよね
辛いけど、みんな懸命に生きてるよね
そんなふうに優しい眼差しで語りかける
心の痛みにつぶされそうになりながらも、
緑の中を笑いながら駆けてゆく少年たちの
美しいラストシーンに、
坂本龍一のピアノのメロディが重なったとき、
なぜか涙が溢れてきた
この作品はしばらく忘れられそうにない
怪物探し
一人の人間は自分の見たもの、聞いたもの、感じたものからしか考えられない。
序盤、母親の火災を見ての「頑張れー」のセリフに不謹慎な感じを受け、その息子の情緒不安定さといじめの痕跡に学校と教師を疑う。校長、担任、他の誠意のない対応に不信感をいだく。
誰もがおかしいと誰が悪いんだとさんざん疑ってかかって疑心暗鬼にさせてから、きれいなものを見せるのはやめてくれ。
子供達を追い詰めた周囲と同じものを自分の中に見せないほしい。
物事の一面しかみないで疑って、誰が悪いんだ、おかしいんだと怪物探しをしている自分が怪物だった。
映画が終わって帰る人達で笑っている若い人はいましたが、年齢いってる人はなんともいえない顔をしてました。
もう一度観たい
怪物だーれだ
公開前から絶対見ようと思っていた作品。
是枝裕和監督×坂元裕二脚本。
気にならないわけがない。
「怪物だーれだ」という予告のインパクトから、まんまと怪物探しに来てしまった。
そして、サスペンスかホラーものだという思い込み。
映画の冒頭から、怪物と思われるキャラが続々と登場。
日常から、仕事で学校で、何かあると人々は犯人探しをしてしまう。
誰がなにをして、どう言って、誰が悪いのか。
事件や噂話にしても、自分が聞いて自分が見て、自分が感じた事が、真実とは限らない。
ただの日常会話も、人がどう捉えるかわからない。
そして人は簡単に嘘をつく。
なんでみなとくんが急に走ってる車から飛び降りたんだろうって思ったけど、その直前の安藤サクラの普通の母親の気持ちが原因と思うと切ない。
家族や先生からでるフレーズ
男なら、普通の結婚、普通の家庭、、、
普通ってなに?
幸せってなに?
どっちにも解釈できるラストは、
よくある【見た人の想像におまかせしまーす】系ではなく、【見たことだけが真実ではない、結局はなにもわからない】って意味かなと思いましたが、坂本龍一がレクイエムを作ったということは、そういうことか、、とも思いますけどね。
子役ふたりがとにかく素晴らしかった。
安藤サクラは、母親なら誰しもこうしてしまうだろうなという共感と危なさ。でも子を思うからこそ。
瑛太の2面的な演技はさすが。
最後までみたら、最初のあの態度もわかる。
クソに見える中村獅童も、シングルファザーとして悩み葛藤してあんなことになってるのかもと思うと悲しいですね。
怪物の鳴き声に聞こえる不気味な音の正体も、誰に言えない叫びだと思うと辛いですね。
田中裕子が漏らすセリフが真実だったりしますね。
感情の死んでると思ってた校長が1番全てを分かっていたかもしれない。
そして、カンヌが盛大なネタバレですね。
あえて怪物関連のニュース見ないようにしてたので、観る前に知らなくてよかったです。
感情が迷子になる
正しい見方をした感想と、抱いてしまった不適切な感情とで上映後1分くらいフリーズしたあと何故か笑ってしまったよ…
自分が泣いているのか、笑っているのか、悲しんでいるのか、はたまた喜んでいるのかもよくわからなくなった…なんやこれ……
「男らしく」「こうしないとモテない」「片親だから」「普通の家庭」っていうステレオタイプの見方考え方って世の中に溢れていて何の気無しに発言したとしても、それがじわじわ誰かを追い詰めていくことって少なくないよなあ、と。
本人は悪気なく発していてもそれがどんどん蓄積されていって、本人の中では人格否定されたことになってしまうんですよね…
保利先生はシングルマザーに関してはちゃんと彼女の前で「うちもそうだけど」って答えていて、やっぱり悪い人じゃないのに流石にあんまりだよ。。。
ちょっと彼氏としてはアレだなってのと、彼女に言われたからって突然飴食べるか?ってのはあるけど、それにしても全てを失いすぎじゃないですか?
保利先生に救いはないんですか!?
ここから先は私の寝言だと思って欲しいんですけど、ショタBLとしてもあまりにも天才すぎました。。。
感情に名前をつけたらいいのかわからない、名前をつけても言えない、どうしたらいいのかわからない、でも側にいて欲しいだなんてちょっとそれは流石に尊すぎませんか。
映画館で苦しみと喜びをミックスしたキモ顔面披露してしまったよ…映画館が暗くてよかった。
そして依里の「僕もそういうことあるよ」の「そういうこと」が「どういうこと」なのか、行間深読みおばさんは気になって夜しか眠れません。
「治った!」からの「嘘」で飛び出してくるシーンは今後道徳の教科書に載ってしまうかもしれませんね(載らない)
ラストシーンはふたりが死んだか生きてるかは大して重要ではなくて、ふたりが生まれ変わることなくそのままのふたりでこれから先も一緒にいられることが大事なのだと思います。
その先が地獄みたいな現実でも死後の世界でも。
ほんと、いろんな見方をしながらいろんな人に感情移入して何回も観たい。
それぞれの視点でこの世界を味わいたい。
反面、辛くてもう二度と観たくないとも思える。
そんな作品。
まあまあだった
瑛太が気の毒で、一人だけ全部背負わされて、仕事を辞めたり新聞で報道されたりしている。一方で子どもたちからは好かれていて、謝罪会見の時に父兄が誰も擁護しない。子どもで特に女の子はおしゃべりな子がいるだろうから、親にそんな先生じゃないよと言っている子がいないのが変だ。
また、安藤サクラに謝る時に飴を舐めるが、そんな人ではないので変だ。ミスリードするために人格をゆがめるような描写をしているのではないだろうか。
怪物は、息子を虐待している中村獅童と、その子をいじめている同級生ではないだろうか。彼らがなんの報いも受けないのが嫌だ。
タイトルなし(ネタバレ)
予告のみの情報で映画を観ましたが、自分の思っていたテイストとは少し異なった。(ミステリー系のものだと思っていた)
しかし是枝監督ということを考えると、納得のストーリー。
皆さんのおっしゃる通り置かれてる立場・視点によって、誰でも怪物になりうるのだと観て感じられる映画。
LGBTの要素というか、恋愛に近い感情がストーリー的に必要だったのかなと思った。
(個人的な意見だが、友情だけで完結させた方が良かった気がする・・・)
是枝監督の狙いとは異なると思うが、この映画を通して育児の大変さを最も感じた映画だった。
子供といえど、他人であり、感情や考えをもつ立派な人間であり、今何が起きていて、何を考えているのかなんて100%分かるわけがない。
映画のようにシングルマザーで子どもを立派に育てることは難しいことだと痛いくらいに感じる。
だからこそ、不安ながらも誰にも相談できず子どものために戦う親の姿は周りから見ると怪物にも見えるうるのかもしれない・・・
内容的にはいいが、テレビ放送を待ってからの視聴でもいいかも!
本当の怪物はだれなのか? 観てみて下さい!
子どもたちの世界に大人が介入すると居た堪れないけど子どもの変化に気づき優しく見守る母親の姿が狂気だった。
真実が表に現れず裏側が見え隠れする視点で描かれている。真実の表と裏側、そんな世界に少しばかり違和感が漂い気が重くなってしまうのであった。
教職員の児童に対しての指導が本来なのか?作ろう世界感に苦笑いしました。
子役の2人も熱演でしたし安藤サクラは素晴らしい!
スッキリしないけど納得はする
それぞれの視点から見る事で真実はどこに。
ただ全てが映像からの解釈なので答えはわからない。
モヤモヤながらも、まったく飽きさせないのはスゴイと思える。演技力もさることながら、坂本龍一を感じながらの贅沢な一本。
是枝監督が使う子役は演技が上手いから、逆に怖い…
学校の闇が全く解消されない、そしてこれも現実。
生まれ変わりの話題で個人的にはドラマを思い出し「クスっ」としました。
現代的なテーマを用いた人間の本性の描写
先日発表された第76回カンヌ国際映画祭で見事脚本賞を受賞した「怪物」を観に行って来ました。何カ月も前から予告編をやっていたので、どんな映画なんだろうと思っていましたが、「怪物」という題名の通り、かなり怖い映画だったというのが第一印象でした。
予告編の印象では、子供が「怪物」として描かれているのかなと思っていましたが、実際は子供だけじゃなく、親、先生のいずれの登場人物も「怪物」の側面を持っていることが描かれており、流石はカンヌの脚本賞を受賞した作品だけのことはあると感じたところです。
構成としては、まず親(湊の母親の早織)の視点で描かれる1章目、続いて先生(保利)の視点で描かれる2章目、そして最後に子供(湊と依里)の視点で描かれる3章目という3部構成になっており、それぞれほぼ同じ時間軸の話を概ね繰り返す形でした(別に何章だと明示されている訳ではありませんが)。偶然ですが、先日観た藤井道人監督の「最後まで行く」も、前半は岡田准一の演じる刑事の視点で描かれ、後半は綾野剛演ずる監察官の視点で描かれていました。ストーリーは全く異なりますが、同じ時間軸の物語を、別々の登場人物の視点で繰り返して描くことで、前章で疑問が残った部分を次章以降で答え合わせをするという手法の映画を連続して鑑賞したことになりました。こういうの流行ってるのでしょうかね?
物語の内容としては、学校のイジメやシングルマザー・シングルファーザーの家庭、学校という組織、そうした環境下で抑圧された子供、SNSで飛び交う流言、そしてLGBTQと言った、実に現代的なテーマを複合的に描いており、中々深いお話でした。映画が全て具体的な現実を描いている訳ではありませんが、この時代学校に通わせる親も、通う子供にも、相当なリスクがあるんだと感じると同時に、先生の疲弊はいかばかりのものかと、改めて感じたところでした。
カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した是枝監督の「万引き家族」は、格差社会の象徴として万引き家族を描いていた感があり、ああした家族はいるかも知れないけど、何処にでもいるというものではない感じでした。しかし本作の登場人物たちは、何処にでもいる人たちであり、その分リアリティが極めて高く、それが怖い映画だという第一印象に繋がったんだと思います。
そして、題名である「怪物」、そして副題である「だーれだ」という問いに対する答えですが、冒頭にも触れたように、誰しも「怪物」の側面を持ち合わせており、誰もが「怪物になり得る」というのが私の答えでした。基本、個人として完全な悪人はいないものの、完全な善人もおらず、それが自分の属する集団や対人関係に応じて、悪にも振れれば善にも振れるということではないかと。本作は、そうした人間の本性を描写したかったのではないかというのが私なりの結論です。
俳優陣ですが、1章から3章までのそれぞれの主役である安藤サクラと永山瑛太、そして黒川想矢、柊木陽太は、いずれも迫真の演技でした。安藤サクラが上手いことには定評がありましたが、特に子役の2人が実に良かった!この2人の演技がなければ、本作は成り立たなかったと言っても過言ではないでしょう。彼ら以外では、校長先生役の田中裕子がいい味を出してました。隠蔽と論点ずらしにより保身を図る役柄で、ちょっと抜けたところがあるのかと思わせつつも、実は周到な策略を巡らせる一面も垣間見せるなど、相対的に「怪物」の要素が最も濃い人物を、絶妙な演技で表現していました。
最後に本作が遺作となってしまった音楽担当の坂本龍一に触れておきます。体調を崩された中での作曲だったようですが、透き通るようなピアノの音調が、逆に不安を掻き立てており、本作にピッタリだったように感じました。
そんな訳で、ストーリー、役者、音楽と言った各要素が見事に融合した本作の評価は、星5としたいと思います。
『わかりやすくない』
あー、そういう事かぁ。これはやられたわ💧
要するに、マルチアングルストーリーなのね。
例えていうなら黒澤明の羅生門スタイルかな😓
人間味の欠如した校長先生を演じる田中裕子が本当に絶品。あの得体の知れない気持ち悪さの底が知れなくて、ガチで嫌悪感を抱いてしまう。
自分の子どもに「お前の頭には豚の脳みそが入ってるんだよ」という暴言を平気で言い放つ中村獅童も横っ面をブン殴りたくなるし💦
逆に永山瑛太の担任教師が、自分自身ではどうしようもない何か大きな理不尽な力に押し流されるように、どんどん“問題教師”として公私ともに破滅へ向かって落ちていくのが怖かった。
ただ、あの子ども2人が性差を超えて惹かれあう設定までは、物語の展開としてお腹がいっぱいになりすぎて、個人的にはちょっと…
嵐が過ぎ去って2人が晴れ渡った草原を走り回るシーンで映画は終わるが、そこに結論は何も示されない。もしかするとあのシーンは2人の死後の世界なのかなぁ。
で、怪物って誰だったんだろう。。。
今まで是枝監督のは「万引き家族」「誰も知らない」等、見ていてげっそ...
今まで是枝監督のは「万引き家族」「誰も知らない」等、見ていてげっそりくるような家庭環境の物語だったのと、怪物というタイトルに苦手なホラーミステリーを予想してしまったので、すっかり遠ざけてしまっていた。ここ数日の評判の良さに、どうも違うぞということで鑑賞した。
相変わらず社会的マイノリティの子供たちを主人公にしているが、今までのとはテイストが若干異なって、おお?と思った。小学校のいじめを扱っているからかもしれない。
自分の小学生時代は、田舎の里山で、集落と集落の間にはおそらく集落に受け入れてもらえなかったであろう家があり、そこから通ってくる同級生がいた。その一方でできたばかりの新興住宅から通ってくる同級生もいた。当然学校内に格差というか分断というか壁が作られていたし、からかいといういじめも存在した。
この映画をみている間中、胸を締め付けられる感覚にとらわれていたが、おそらく当時のいろいろな事柄が思い出されたからかもしれない。
怪物というのは、臭い物には蓋をしてしまおうとする日本の社会そのものなのかもしれない。
久しぶりに引き込まれる作品だった。 加害者にでも被害者にでもなり得...
怪物はどこにでもいる
最初はよくある虐め問題かと思って観ていたら、途中から事件の真相が徐々に明るみになっていくことで予想外の方向へドラマが展開され、最後までグイグイと画面に引き込まれた。
脚本を担当したのは坂元裕二。前作の「花束みたいな恋をした」が評判になっていたことは知っていたのだが未だに観ておらず、その才能や如何に?と思いながらのぞんだ。結果から言うと、その手腕には脱帽してしまった。
時制と視点を交錯させながら謎が解明されていくという構成自体はよくある手法で特段驚きはないのだが、それにしても伏線と回収がよく計算されている。あのシーンの裏側ではこういうことがあったということが分かり、そのたびに一体誰が悪なのか?誰が怪物なのか?ということを常に自問しながら、気がつけば画面を注視していた。
特に、校長室のフォトフレームのクダリ、湊が車から飛び降りるクダリには唸らされた。
湊、母の早織、教師の保利、友人の星川、校長といったキャラクターたちが、夫々に心に傷を負った者として魅力的に造形されている点も特筆に値する。彼らの心中を察すると、今回の事件が辿る結末には悲しみを禁じ得ない。
但し、決して分かりやすい映画にはなっていない。こうなった原因はどこにあったのか?果たして誰が怪物だったのか?そうした単純なドラマではないからだ。むしろ、誰でも怪物になり得る、本作のメインキャラはすべて怪物だった…という言い方もできる。
湊の嘘は保利を傷つけ、早織は湊の苦しみを理解できなかった。校長も倫理に反する嘘をついていた。保利は学校の虐めに気付きながら無力だった。星川も重大な罪を犯していた。このように人は誰でも悪心を抱え、嘘をついたり、周囲を傷つけるエゴを持っている。人間とはそうした業を抱えた生き物なのだ…ということを暗に言われているような気がした。
ラストの意味を考えてみると、劇中にたびたび登場する”生まれ変わり”というフレーズが反芻される。果たしてこれをハッピーエンドと捉えていいのかどうか…。人が業から逃れられるとしたら、それは”生まれ変わり”しかないのか?だとしたらひどくネガティブな結末ではないか。そんな風に思った。
監督は「ベイビー・ブローカー」、「万引き家族」等の是枝裕和。
子役の起用に定評がある氏だけに、今回も湊と星川を演じた二人の子役が実に活き活きと活写されている。前半は鬱々としたダークなトーンが支配し同監督作「誰も知らない」を想起させられたが、後半から「奇跡」のような甘酸っぱく微笑ましいトーンが混入され、二人の絆を情緒豊かに綴っている。意外だったのはその関係に、これまで是枝監督が描いてこなかった要素を持ち込んだ点である。これも時流の流れだと思うが、良い意味で驚かされた。
それと、本作のクライマックスには同氏の「海よりもまだ深く」も連想させられた。風雲急を告げるとは正にこのこと。映像面から物語をドラマチックに盛り上げている。
キャスト陣はメイン所含め芸達者が揃っているので安心して観れた。ただ、校長役の田中裕子がやや作りすぎという気がしなくもない。もう少し自然体な方が、深みが出ると思った。
また、保利役の永山瑛太は、序盤と中盤の演技に少しチグハグな印象を持った。早織の前で初めて謝罪するシーンで彼は無作法な態度を取っていたが、あそこは今一つ理解できない。確かに少し変わった所がある男だが、そこを踏まえてもあの場面だけは浮いてしまっている。
大きな変化
はストーリー上は無いのに、一つの体罰騒動だけなのに、最後まで引き込まれます。大きく言うと3人の視点からの一つの出来事を追って行きますが、それぞれのストーリーにそれぞれの事情や思いが交錯します。怪物は‥、人が人と接する時に起こる大きな感情の事でしょうね。
「感動」で片付けてはいけない
まず坂元裕二の脚本が素晴らしい。
第1幕の主人公早織から怪物に見えた保利。第2幕の主人公保利から怪物に見えた湊。そして、第3幕の主人公湊から怪物に見えたのは、自分の知らない自分と、それを誰にも話せない空気を作る社会だった...
怪物に見える対象が次々に変化し、観客の感情移入を手玉に取る構成は見事としか言いようがない。
そして、怪物探しの果ての第3幕にあったのは、2人の少年のかけがえのない時間。ここは是枝監督の手腕が存分に出ていたと言って良いだろう。特に片足けんけんのシーンでは、この映画で初めて「他者を思いやり痛みを分かち合おうとする人間」が映されており、今年ベスト級の尊さを誇っていた。
ラストに関して、彼らが生きているのか死んでいるのか、それはどうでも良いと思う。
問題は、あれが何であれ現実ではないということ。
本当に素晴らしい撮影で、「感動」「美しい」「希望」という言葉でこの作品を締めくくりたくなるが、彼らは現実ではついに受け入れてもらえなかった。
あの美しい光景を、現実世界でも実現できるようにするために、僕たちはどうすべきなのか?何が出来るのか?
それを考えることが、この作品の価値なのではないかと強く思う。
本当に素晴らしい
是枝裕和監督の新作。
是枝作品としては珍しく速度が早い作りでした。
脚本が実に巧みで“立ち位置が違えば見え方も全く変わる”、その3つの視点を組み合わせた作りも見事。
多様性をテーマに、その危うさをじっくり見せてくれました。
導入のエピソードから物凄く不穏で、嫌な気持ちでいっぱいになるんですよ。
怪物。それは誰もが抱えていて、誰もが作り出せるというのがよく伝わってきます。
序盤は安藤サクラの芝居が全部持ってってますが、やはり子役の二人がすごいですね。
瑛太も2方向の教師をよく演じ分けていました。
それと最初こそ怪物そのもののような校長の存在。
怪物にみせてその実、要所要所で物語を動かしているのが、本当うまい位置付けでした。
3月に亡くなった坂本龍一の音楽も、作ったのは二曲だけなのに全ての曲が本当にフィットしているから驚きます。
そうして迎えた物語の終わり。
それは観客に見えている二人とは別に、やはり違う視点から見えている真実があるのだと信じています。
少なくとも二人は自分達を受け入れてくれる希望を見つけ、そこに向かって走り出していました。力一杯に。
そしてこれがとても美しいんです。
本当に素晴らしい作品でした。
ひとつでない真実
この物語で眼中に入ってこなかった人々。
それは、教師の見えないところでいじめを働く子供たち。
自分の子供が他人の子供を傷つけていることを知らない親たち。
体罰や虐待があたりまえだと思っている親、教師。
弱いから、不潔だから、勉強も体育もできないから。片親だから。
そんな理由で、感じやすい子供から大切な学校時代を奪い去る人々。
おそらく、「暗い映画だね」のひとことで、あらぬ噂を立てるだけ。
あの子はもともとそういうい子よ、と決めつけるだけ。
感じやすい子供が、自分を見失うことを恐れて、真実から目を背けることを知る由もない。
そんな人々をあえて無視した、是枝監督の功績は大きい。
それぞれの真実を抱えた、感受性の強い母親、教師、子供だけに人格が与えられた。
そのこだわりの演出と坂元裕二の脚本のなにげないひとことに心が揺れる。
孤独な少年二人が共有する、「怪物だーれだ」のゲームは意味深だ。
彼らが考えた怪物に対して、矢継ぎ早に繰り出されるヒント。
だが、ヒントだけでは怪物の正体を当てることはなかなか難しい。
まるで、真実はひとつという言葉をあざ笑うかのように。
みんなが無責任にヒントを出し合えば出し合うほど回答は遠のく。そんな現実。
「誰にでも手に入れられるものを幸せというんだよ」
孫を失くした傷心の校長の、怪物とは真逆の言葉だけが、なぜか回答に一番近いヒントのように思えた。
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