怪物のレビュー・感想・評価
全945件中、641~660件目を表示
「出発するのかな?」「出発の音だ。」
監督はまた、家族の話を作り上げた。同じ時間を三つの視点で展開していく物語。その視点は、ときに本人の思い込みも激しく、まったく別の印象となる。黒澤映画「羅生門」のように。劇中、子供をバケモノと表現する場面があるが、安藤サクラも永山瑛太も二人の子役も、バケモノと呼んでいい演技力だった。さらに伏線がいたるところに張り巡らされて考察が尽きない。「豚の脳」「虐待」「廃線」「二人の関係」や、そして「出発の音」の意味するところ。結局、この映画の中の「怪物」は誰だったのか、何だったのか。鑑賞後の感覚は、是枝監督の「三度目の殺人」の時のような、煙に巻かれたような有耶無耶にされたような、つかみどころがない。だけど裏返せば、「怪物」は誰の中にも潜んでいるとも思える。善人とか大人しいとか思われていた人間が、なにかの拍子に急に豹変してしまうような。自分が正義だと信じる者は暴走してしまうことや。ありもしないことが噂となって、さも真実のように捏造され歪められて事実とされてしまうことや。平穏だと呑気にしている日常にこそ、得体のしれぬ怪物は潜んでいるよとでも言いたげな。
ああそうだ、窪田空穂の短歌を思い出した。
「哀しみは身より離れず人の世の愛あるところ添いて潜める」
胸が痛くて蹲る。
三つ子の魂。
鑑賞しながら最初に浮かんだのが
この言葉だった。
幼い頃の環境、佇まいがいい年に
なっても影響を及ぼしていると
この頃思う。
でも、それがどんな環境だったかは、
視点次第で、がらりと姿を変える。
映画は三部構成で見事に真実のあやうさを
伝える。
若くて軽い先生が、息子をいじめてることに
気づき、猛然と抗議するシングルマザー
(安藤さくら)。
観客も感情移入し、学校に怒りを感じる。
これが一部。
ところが二部はがらりと変わり、先生にどうやら
罪はなさそうだと思わせる。
悪いのは子どもか。
そして三部は子どもの闇と光が描かれ、
怪物というのはいったい誰なのか、
幻惑されていく。
謎が謎を呼ぶ脚本の妙味と、真摯なテーマ、
役者陣たちの見事な演技。
あまり好きな言葉じゃないけど、
ここには弱い立場の人たちのどうしようもなさと
哀しさ、切なさを、肯定する懐の深い世界観が
ある。
映画で行間を読ませるというのは、
一歩間違えば芸術的になって、
エンタメ性に欠けるのだが、
この作品はちゃんとそこにも到達している。
是枝さんの中でも一番じゃないかな。
あと、2回は観るつもりです。
観たい度○鑑賞後の満足度○ 日本映画で恐らく初めてこのテーマに切り込んだ先進性と挑戦意欲は認めるが、それを描くのにこの演出と脚本で良かったのかは疑問。と云うことで、も一回観ようっと。
2023.06.09. 2回目の鑑賞。
で、1回目より評価上がりました。★★★★にしても良いかな。
どこに伏線があったかを確認するために、犯人とトリックとを知ってしまった推理小説を再読する感じ。で、推理小説ついでに言うと、ダブルトリックみたいな構造にしてあるんだね。
実際は単に子供の嘘に大人が振り回されるだけの話に(こういう映画でしたら『落ちた偶像』とか『噂の二人』とか沢山ある)、『羅生門』的構造を乗っけて、如何にも一つの出来事が人によって見方が変わってくる話という体裁を取っているだけ。
ただ、どうしてこういう構造にしたのかはやはり疑問が残る。
真相の意外性を強調するためか、あまりこういう構造の話はなかったので一回使ってやろうと思ったのか。
それに母親編、教師編はやはり違和感はそんなに薄れなかったけれど(もっと練った方が良かったかも)、1回目の鑑賞では気づけなかったが、子供編は素晴らしいと思う。
ここだけ抜き取れば佳作と言えるかも知れない。
①「カンヌでクィアパルムを取りました」、なんてポスターにデカデカと書いたらどういう映画か分かっちゃうじゃない。
と思うが、大多数の日本人はそれでも分からなかったりして…
②全作品を観た訳ではないけれども、これまで是枝裕和演出の映画で感心したことはない。
演出力はあると思うし画作りも上手いと思うのだがいつもピンとこない。
特に社会性のあるもの、現代日本の持つ色々な問題を取り上げて描くものは設定が極端すぎて外国人には受けるかもしれないけれど、日本人としては「だからどうせよ、というのよ。そんなこと、わかってるよ。」と言いたくなる事が多い。あざといというのかしら。
かえってあまり問題意識のない『海街diary』みたいな作品の方に上手さを覚える。
(2回目の鑑賞時:子供編ではやはり演出力には唸らされる。)
本作は脚本が『花束みたいな恋をした』の人ということで期待したが少々期待外れ。
「怪物」という題名にしたのも、これまたも一つ?何かみんな「怪物」探しが主体になってしまうし。
もっと「人間」探しに必死にならなくちゃ。
この世の中には人間だけしかいないんだから、悪いものはみんな「怪物」にして魂鎮めすれば良いと思うのかなぁ…
ネタバレを言えば“怪物、だーれだ?”は二人の恋人たちの遊びの一つに過ぎなかったのだ。
③私は親ではないし子供がいないので、偏った見方なのか中立的な見方なのかわからないが、いろんな現代の子供を廻る問題があちこちに置かれているけれども、どれも中途半端か尻切れトンボの感あり。
現代は情報過多の時代であるが、本作も情報を盛り過ぎた感もある。
④母親、教師、子供達…と主役が交替する度に話の形相が変わってゆくという、ある物事が人の視点や角度によって見え方が違うということであれば古くは黒沢明の『羅生門』をはじめ似た作品には事欠かない。
しかし、本作は最後に判明した事実でそれまでの出来事の意味が理解できるという一種のミステリーである。
それからすると前半の学校の対応とか無駄に尺を取っている感がある。それともred herring か?
⑤各登場人物の視点によって話が変わってくる、という構成に目を向ける人が多いが、みんな大人の目線・立場からばかりだから違うのはある意味当然で、私達は一番肝心な子供達の視点・立場・想いに目を向けなければならない。
そういう意味では最後に子供達のそれらを持ってきた脚本の構成は、初めから大人の観客の反応を計算に入れていたとしたら、結構巧妙であながち的外れなものではないとも言える。
⑥湊くんがいなくなって探しだした(後からすると星川くんとの逢瀬を邪魔したのであったことがわかる)佐織が、帰りの車の中で“お父さんにね、約束したの、湊が世界で一番の宝物である家族を持つまでは頑張るって(だったかな?)”と言った時、(真相を知る前でも)「うわっ、うざ!」と思ったが、湊くんにしてみたら「うざ」どころか存在を否定されたようなもので、車から降りたくなったのも分かろうというもの。
ただ、佐織を一方的に責めるのも可哀相で、本人は一生懸命シングルマザーとして頑張って、息子を父親みたいなマッチョな男(ラガーマン、ラガーマンにもゲイは多いようですが)にしなくちゃと思っていて、でも父親が浮気中に事故死したから息子には幸せな家庭を持って貰いたいと思っていて、それにまさか息子がゲイだとは普通思わないだろうし(でも親には分かるともいうけれども)。
まあ、あの台詞と対比する形で、後に校長先生が湊くんに言う「限られた人にしか掴めないのを幸せというんじゃないのよ。誰にでも掴めるものを幸せというのよ。(だったかな?)」という台詞が本作でのほぼ唯一の救いになっているんだけれども。
⑦ほんでまた、この佐織もある意味常識がない。
いくら子供が体罰にあって(誤解だったけど)腹が立つとはいえ、噂に過ぎないのに「ガールズバーに入り浸っている」だの、証拠もないのに「放火したのはアンタじゃない?」とか、侮辱罪に問われるぞ!
田中裕子演じる校長先生に「最近お孫さんを事故でなくされたんですってね。苦しいでしょう?辛いでしょう?私の今の気持ちもそうです(だったかな?)」って、比較のレベルが全然違うぞ!
⑧子供に奇態な振る舞いがあれば、今時の親はすぐ学校で何かあったのか?と学校のせいにするのだろうか。勿論その場合も多いだろうけど、先ずは子供自身に問題はないか、家庭に問題はないか、と考えるのではないだろうか?親になると自分の子供は絶対に正しい、おかしくない、と信じ込んでしまうのか?
⑨子供がいないので現代の学校がどんな実情か分かっていないけれども、本作で描かれているレベルの苛めであれば、50余年前の私の小学校でもあったぞよ。
教師が親に気を遣いすぎているのは当時と大きく違うところだが、現代の学校・教師は本当にあそこまで卑屈なのだろうか。
是枝監督作品によくあるようにややデフォルメし過ぎに思う。
それとも母親編は母親を一見正義に見せるために敢えてああいう演出をした?
⑩校長先生もキャラが振れ過ぎて不自然。
流石の田中裕子も上手く具現化出来なかったか、流石の田中裕子も肉付け出来ないほど脚本に上手く書けていなかったのか。
⑪中村獅童扮する、自分の息子がゲイであることを受け入れられず“脳ミソが豚の脳ミソ”と言い放ち酒に溺れる父親像は、多様性を受け入れられない人間を代表するキャラとして登場させているのだろうけどやや陳腐。
本作は結構陳腐なキャラや設定が多いけれども、陳腐と捉えるか、“あるある”と頷くかは個人の好みでしょうね。
⑫遥か昔、50余年前、私が小学生の時にもクラスに一人苛められっ子がいた(しかも女の子)。
確かに汚い子だったけれど、「さわると汚れる。その子がさわったところは汚いから手を触れない」なんてクラスで平気で言ってた。今から思うと随分酷い話だけど。
後年、大人になって再開したら結構たくましいお母さんになられてました。
⑬星川くんは見た目も可愛いし小綺麗だし何で苛められるのかな、と思うくらいだが、父親に「脳ミソが豚の脳ミソ」と言われている事がクラスメートに知れわたっていたりゲイであることをクラスメートがそれなりに感じていたからか?(子供って案外敏感で残酷だから)
湊くんは、最初から星川くんを意識していたのは2回目の鑑賞でハッキリ分かった。
星川くんを人知れず見つめる目の演技が宜しい。あの歳で意味を分かっていたのなら大したもの。
星川くんを守ってあげたい。でも星川くんの側に立てば彼も苛めや冷やかしの対象となってしまう。父親のDVや同級生の苛めをやり過ごすために何も感じないやり方を選んだ星川くんの心情を考えれば切ない。本人は表面だけかも知れないが飄々としているが。
ただ、机に絵の具を塗りたくられているのを発見した時の表情には胸をつかれる(昔、自分が加害者側だったことを考えると更に)。
湊くんは学校とプライベートで社会的上っ面と素の顔とを使い分ける。星川くんもそれを受け入れる。
誰かに見られたと思ってカモフラージュで触られた部分の髪を切ったのか、自分の想いを封じるために切ったのか。
星川くんへの苛めを直接的には止められない。だから自分が暴れて注意を自分に向けさせる。
雑巾を星川くんに返したことで(恐れていた)冷やかしが始まる。だから星川くんと喧嘩しているように振る舞う。星川くんもそれに調子を会わせる。
でも午後二人きりでいる時は本当に楽しそうだ。
二人が二つの顔を使い分けて日々をやり過ごす姿は本当に切ない。
ただ、二人が嘘を突き通す、芝居を見破られない為には誰かをスケープゴートにしなければならない。ここはまさに子供ならではの残酷さだが、スケープゴートになった保利先生が二人の真の関係に気づくという皮肉な設定にしてある。
何故子供達は嘘を突き通さねばならなかったのか。その理由を特に子供達をクィアにすることに求める必然性はなかったとは思う。
脚本家の小学生の時の出来事がベースにあるそうだか、子供達が自分が周囲とは違う異質な存在と思い込むには確かに二人をゲイにするのが現代的ではあったと思う。成人はもとより少年少女の同性愛を描く映画は邦画でも増えてきたが、日本で児童の同性愛に踏み込んだのは本作が初めてだと思うから。
「男らしさ」が現代でも子供達を縛り付けているとは思わなかった。私達の世代ならともかく、「結婚」「家庭」「家族」=「幸せ」という概念も。
「将来」という事にも周囲との同一性を見いだせない彼らは「生まれ変わり」にしがみつくしかない。
クライマックス、地滑りの音を発車の音と捉える二人がまたも切ない。
私としては二人は地滑りに巻き込まれてしまったのだと思う。
何とか二人だけの世界で“幸せ”を掴みかけたのに土砂崩れが社会のように、それこそ“怪物”のように二人を呑み込んでしまった。
ラスト、生まれ変わった二人は、星川くんの「僕たち変わったかな?」という問いに、湊くんが「いや変わってないよ(変わらなくても良いんだよ)」と答え、二人で新しい世界で自由を満喫するイメージで終わる。
子供達が(クィアであろうがなかろうが)ありのままの自分を隠し嘘をつかなければならない、どんな人であれ「幸せ」になれると思えない(だから校長先生の台詞が活きてくる)、そんな社会こそが「怪物」なのではないだろうか。
これが現在私たちが生きている社会というのなら、私たちはずいぶんつまらない(しょーもない)社会に生きているんだな、と思う。
それを弾劾したかった、というのなら成功してますよ、監督。
二面性を持つピースどうしの複雑な関係性から浮かび上がるもの
ちょっとした何気ない一言や仕草が、妙に何十年も心に残っていて、『あのとき大丈夫だった?』当時のことを聞いてみると、『そんなこと言ったっけ?』と本人は何も覚えていないといった反応を示されることがたまにあります。
当たり前ですが、多分同じ事でも感じ方や受け止め方は千差万別で、その千差万別が少し通常とは違う形で、増幅されたときどのような物語が生まれるのだろうか。そんな一つのシュミレーション実験のような印象を受けました。
物語を構成する一つ一つのピースは、それぞれが別のピースと複雑にいりくんでいて、かつそれぞれのピースの全てが、一見悪のようでいて、実は悪ではない。強いようでいて実は強くない、黒のようでいて、実は白でもある・・・そんな二つの相反する性質が同時に存在しているような不思議な二面性をもっているような印象を持ちました。まるで量子系のように。そのことが徐々に明らかになる過程が実にスリリングであり、一時も目が離せませんでした。
そしてなおそれぞれのピースは互いに依存関係を結び、他のピースの弱い部分を互いに補い合っていたような印象を持ったのです。儚い夢のように、微妙なバランスのうえに成り立っているその関係の全体像が見えたとき、浮き彫りになっていたのは・・・・人が生きていくことの哀しさと微かな希望の光でした。
誰もが見えない戦いをしている
前情報ほぼ無しで観てきたので、"怪物"というタイトルをみて、サイコスリラー映画だと思って観た。結果的に予想が大きく裏切られた。心揺さぶられる良い映画だった。
本作は怪物の正体を問い続ける、心理的な要素が深く込められている作品だ。一見平凡な母子家庭の麦野家の日常が描かれた序盤から、徐々に息子が抱える問題に焦点が移る。彼の学校での苦境、そして友人である星川君の問題、これらが複雑に絡み合った関係性が見事に描かれている。
衝撃的な展開は序盤から終盤にかけて見事に配置され、視点の変化とともに怪物の正体を明らかにする。特に、星川君が虐待を受けていること、そして彼が同性愛者であることが明らかになる場面は、その衝撃度合いを一層引き立てる。
映画の中盤では、星川君と息子が秘密基地で過ごす場面が長めに描かれ、映画全体の緊張感を一時的に緩和する休息的な時間となっている(これが若干中弛みの要素にもなっていると感じた)。
しかし、その穏やかさは一瞬にして消え去り、衝撃の結末へと導かれる。彼ら二人の運命とそれを取り巻く大人たちの反応が心に深い影を落とし、映画が終わった後も、考えさせられる。
この映画は、性的マイノリティを描きつつ、全ての人が怪物性を持っている可能性を示唆している。モンスターペアレントで息子に普通を押し付ける母、友人を助けられずいじめを見て見ぬ振りをする息子、同性愛者の息子を蔑む星川父、異質さを持つ星川君、男らしさを無分別に押し付け、ストーカー的な傾向を持つ担任教師、孫を轢き殺したと噂される校長、無関心な態度をとる他の教師たち。
この映画は性的マイノリティの問題だけでなく、人間性そのものを大きな視点で探求している。
そして、それぞれの登場人物が直面している独自の"怪物"は、我々自身が経験する可能性のある現実の反映とも言える。映画を観ることで、我々は自己内部の”怪物”と向き合うことを迫られる。
また、叙述トリックを巧みに駆使した物語の構成も見事で、観客の先入観をうまく利用していて見事だった(しかし、クィア・パルム賞の受賞情報が解説などに添えられている為、物語の核心に対するヒントとなっていて、トリックを台無しにされている感は否めない)。
全体的に見て、“怪物”は感動的な展開を持ちながらも、人間の心理と社会的な問題を深く探求した作品だ。序盤から終盤まで一貫して感情移入することが可能で、その過程で感じる怒りや衝撃を通じて、映画の世界に深く引き込まれ、時間を忘れてしまう。この映画を観た人は、その強烈な印象が映画鑑賞後も心に残り、しばらく思考を強く刺激し続けるだろう。
余談。息子と星川君はどうすればよかったのか?
映画から読み取れる麦野母のキャラクターは、「普通」という価値観を子供に押し付けるものの、それは彼女の無知から来るもので、悪意があるわけではない。彼女は子供のことを真剣に考える人物であり、適切に話し合いを行えば、理解を示し、息子たちのサポートに回ってくれただろう。
また、担任の先生は一見奇人に見えるかもしれないが、心無い言葉を使ってしまうのは無知や思慮の欠如からで、必ずしも差別意識からではないと考えられる。
だからこそ、息子が最大に失敗したのは、自分たちの味方になり得る二人を諦めてしまったことだろう。
麦野母のすれ違いもまた痛ましい。彼女は自分が子供に寄り添っていると思っていたが、実際には寄り添えていなかった。息子が一足の靴で帰ってきたとき、水筒に砂利が入っていたとき、トンネルで一人になっていたとき、何度も問題の兆候は現れていた。それでも、理解ある親の振りをして子供の本心を見逃し、学校対応に時間と労力を注ぐことに一生懸命になってしまったのは痛恨の極みだった。
余談その2。この作品は要所要所で認知を歪ませるトリックが使われていて、観客は何度も騙されている。つまり観たままの映像は、イコール真実ではないということだ。なので、最後の子供二人死亡エンドはトリックで、全員生存ルートのハッピーエンディング説を私は支持いたします!
今年観た映画の中で一番
今年観た映画の中で一番面白かった。大人は勿論、子役の2人の演技が上手い。特に依里役の男の子の演技は素晴らしいと思った。自分は最後は死んでしまったのだと解釈した。
かいぶつ、だれだ。
怪物とは、我のことなり。
人はそれぞれに先入観や思考や想像や信じてしまうこと考えてしまうことの癖があり、それゆえに誰もが誰がに対する加害者や害悪になってしまう。お前は怪物だ、という私こそが怪物。
結婚して普通の家庭を、
とか、
男ならできるだろ
とか、
プロポーズは夜景の綺麗なところでするものでは
とか、
母子家庭だから、
とか、
生徒の親=モンスター
とか、
なんでも良いのだ、人の心に浮かび人の口から出たことは、なんらかの形で悪意を持ち誰かを傷つける、
それぞれの視点視野から見えたもの。だから嘘ではないかもしれない。その角度からの事実が次々と明らかにされる。
自分が嘘をついたとわかればそれは嘘。
堀先生も、湊くんも。依里くんも。嘘がなさそうな子ども2人も気遣い、空気読み、保身してしまうのだ。
存在感を薄めよう、としてより一層際立つ田中裕子の存在感に全てかすんでしまうところがあるが、
誰にでも手にはいらないようなものは幸せじゃない
一部の人にしか手に入らないものは幸せとは言えない
と年老いた田中裕子校長は小学生の湊くんにいい、ホルンやトロンボーンに、そんな時は
フーッと、フーッとするのだ とおしえる。
子どもたらちは台風のビッグバンを経て怪物ではなく人間としての自分を生きるだろう。生きようとして挫折するだろう。
森の中の秘密基地とか、火遊びとか、遊び方は昭和なところがあり、今の子どもにはなかなかできないこと、子どもっぽい遊びがができて羨ましいと思うけど、親だから気を使うという気持ちは今どきな感じの会話で、それはまた真実の子どもの気持ち。
押し付けがましいところが全くないのがよい。
万引き家族とはまるで逆。なにも押し付けてこない。淡々と凝り固まりがちな視座を動かし我にかえり、という作業。
諏訪湖もまた、海のようにとてつもない大きさに見えたり箱庭の、子どもらの秘密基地のなかの池のように見えたり。そんなところもよかった。
最後の映画音楽作品なのか坂本龍一の音楽も、押してこないところがよい。しずかに自らの怪物性を顧みる。誰もが手に入れるような幸せじゃないとだめなんだ、幸せじゃないんだ。
誰もが優しくあったからこその悲劇
視点が変わる度に、さっきまでこういうことだろう、こういう人物だろうと思ってたものがガラリと変わる。
立場や視点で起きてる事実はひとつでも受け取るイメージがあまりにも違うのに驚かされる。
さらには誰もができるだけ大切な人を傷つけまいとついた嘘が、巡って1番のダメージを与えることになる悲しさだ。
ずっと、なぜ?と抱く問いの答えが徐々に明かされていくに従い、なぜからどうしてに変わっていく。
完璧な組み立て。
あまりにも悲しく切ない。
走らないはずの線路、窓が上部になってたということは、車両が嵐で崩れた土砂で横転したということなのだろう。
つまりラストはそういうことだよね…。
怪物というのは、己が理解出来ないものを外部が勝手にそう呼ぶ言葉。自分からそうは言わない。怪物を生み出すのは周りの人間なのかもしれない。
追記として。田中裕子演じる校長が、湊くんに「誰でも手に入れられるものを幸せと~」のセリフ。
すぐには自分の中で理解ができず引っかかっていたのですが、時間を置いたら納得が出来ました。
私が独身だったころに母がいきなり「あんた達(私を含めた友人数人)でAちゃんは幸せね。公務員と結婚して子供もいて」と言いました。当時私は、独身でも私けっこう楽しく過ごしてるんだがそこは無視?え?娘に私は不幸だわって思って暮らして欲しいのか?となんとも嫌な気持ちになったものでした。
作中のあのセリフを思うにこういうことなのですね。いわゆる「みんな」「平均的に」そうしてる、というものをほとんどの人は幸せと呼び、当てはまらない人々の気持ちや考えなどは見ようとしない。
改めてすごい脚本だと唸りました。
本当の…
坂元裕二さん作品、とても好きです。
余白を存分に残してくれ、その中で自由に思考を巡らせることができるところが。
極力内容を知らずに観ると決めて鑑賞。
前半、理解不能な大人たちの対応に観ていて本当に腹が立ってきた。それに対して真っ向から立ち向かう母(安藤サクラさん)を援護射撃するような気持ちで観ていたところ…
子供や家族の気持ちを分かっているようで本当は何もわかってないのかも知れない。
同じように自分の言動も正しく(自分の思い通りに)理解されないことがあっても仕方がないことなんだろう。
世の中にあるマイノリティーに対して寛大にとか弱者だからという視点で世の中が動く時、当事者が本当は何を望んでいるのか、その声の吸い上げは根気よく丁寧に行いたい。と同時にその機会が身近にない。
依里さんへ"もう大丈夫、安心して生きてほしい"と言いたい。それには何が出来るのか。
余白部分に引き続き思考を巡らせたい。
坂本龍一さんのご冥福をお祈りします。
親になる覚悟
お前らはそれでいいのかもしれないが
タイトルからホラー映画かなと思ったのに…(笑)
いわゆるBLモノ。ポリコレ意識か。
ただそれをズバリ言うのではなく、ぼかした表現にしている。
他の事件も明確に答えを出さず、全体を通してフワッとした感じ。
「逆転のトライアングル」に似た投げっぱなしジャーマン。
解釈を客に投げるようワザとやってるんだろう、監督の思うつぼか(笑)
視点を変えて同じ日々を3回繰り返してはいるが、時系列が微妙に繋がっていないような気がした。
時系列を合わせて再編集しても面白いかと。
大人たちの最後が気になるトコロ。
子役2人の演技はすごい。
母、教師、子供、複数の視点から物語を捉える
予想外の展開
最初は誰が悪いのか犯人探しのミステリーかと思ったら、違った。
それぞれの視点で行きつ戻りつ語られていくうちに物語はだんだんと姿を表すが、それぞれの言い分も見方を変えると悪いのはどちらなのか分からない。
かわいそうでひどい人ばかりが出てくるけれど、ラスト手前、衝撃の事実が判明する。ここまでの物語は全てそれを隠すためのものだったとは。
男らしく、女らしく、そんなセリフに耳を澄ませていると見えてくるはず。
校長の真実は、ラストはどうなったのか賛否両論だと思うけど、私個人的にはあの真相を隠すための物語というところに衝撃を感じた。実際にあり得る話だし、知らず知らずのうちに追い詰める人にならないように気をつけたい。
子供には明るく生きて欲しい
闇の中から見つめるものの正体。
全945件中、641~660件目を表示