怪物のレビュー・感想・評価
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あなたの中の怪物
是枝裕和監督作品の中で物語が
一番ちゃんとしてるというか、上手いと思った。
脚本が坂元裕二が担当したからかもしれない。
それぞれの視点から観ていくと、皆、勘違いし合ってる。
ただ一部を除いては。
それは依里の父親と依里をイジメていた生徒達。
彼等立ちが「怪物」なのでは?と、個人的には思った。
でも、イジメを知りながら傍観していた湊とクラスメートも
ある意味「怪物」だったのかも?
でも本当は「あなたの中にも怪物がいませんか?」
というのが真のテーマなのだと思う
安藤サクラは相変わらず上手い!絶対に裏切らない女優
永山瑛太も上手い俳優だと常々思っていたし、今回も良かった
ラストは観た人それぞれの解釈に任せるという感じで
個人的には、二人が死ぬ寸前に観た「理想の世界」だと解釈しました。
タイトルなし(ネタバレ)
依里は父親から「お前の脳は豚の脳だ」と教えられ、それを治すために父親は息子の依里に水風呂に入れたり等の暴力を振るう
後半に湊が依里の家に行って依里が「僕治ったよ」と言っていたなぜ治ったと言ったのかの本当のところはわからないけどお灸やろうを垂らすなどの父親が思う最大級の(暴力は何だろうと悪だけど父親視点で)暴力を耐え抜いたら病気が治ったってことなのか?と自分では思った
保利先生が湊の母のいる応接室に近づいて先生に取り押さえられてがんじがらめにされた自分の体を振り解いて湊の母のところに近寄って「申し訳ございませんでした」と謝るまでの動きが面白かった!
・耳を引っ張ったり、腕を捻ったりお前の脳は豚の脳だって言ったのは依里の父親なのに湊は担任の保利先生に言われたやられたって言ったのは暴力被害を第三者に言うことでもっと父親が依里への暴力がひどくなると思ったのかな?
誰にされたかを(湊はされてないけど)言い誤ると教師ではいられなくなり解雇されたりすることもあると理解が及んでいない点が小学生のリアルになっていた
・自分はされていないのに自分のことのように動揺して保利先生にされたと言ってしまったのか?
湊が保利先生に豚の脳などと言われたと言わなければ湊の母は学校側が困るモンスターペアレントにならなかったのかなぁ
父親が虐待で罰されることはなく家族は介
入しずらい狭い世界だと思う
・一人一人の視点で物語ができていて見方が全然違かった
湊の母視点だと校長先生や保利先生を警戒していて、湊視点だと校長先生は誰にも言えないことを話せる大人という存在だった👀
人は人によって見方が違うことがわかった。だから何が本当のその人かなんてわからないな〜。
⭐︎4.3 / 5.0
子役の演技は印象に残ったが...
始まって40分くらいは興味津々だったが、そのあとは釈然としない。
そこらのエンタメ映画とは違うんだぜ、と言わんばかりの純文学風の内容だが、そのわりには、わざとらしい漫画チックな演出が散見される。例えば、母親が学校に文句を言いに行ったときの学校側の対応なんて、まるで漫画に出てくるような、これでもかと言うぐらい過剰に憎たらしく描いている。また、中村獅童演じる父親は、教師の安月給を馬鹿にしたり、息子に「お前の脳は豚の脳。病気を治してやる」と言ったり、これも漫画に出てくるような性格の悪いサイコパスっぽく描いている。他にも、他の方も指摘しているが、問題の教師が母親に謝罪するとき急に飴を舐めだしたり逆切れしたりするが、これはのちの展開でその教師の本当の姿が180度変わることをカモフラージュするため、わざと「嫌な教師」の演出をしたのだろうが、単に不自然で矛盾する演出となってしまった。
内容は、ある出来事に関して次々に視点が変わり、見る者が思っていた真実も変わっていくという凝った作りになっている。でも結局これが導きだすのは、実はこれこれが真相でした、ということだけの話で、作者が本当に言いたいことはいろんな視点を行ったり来たりするのでぼやけてしまっているように見える。もし、「人は誰でも見方によっては怪物になりうるのだ」あるいは「信じているものは本当に真実なのか」と言いたいのだとしたら、先生視点のパートや子供視点のパートのエピソードはもっと短くていいはずで、あれだけ長いのなら他に何か言いたいことがありそうだが、よくわからない。特に、終盤の子供視点のパートは長くて2人の友情(怪しい関係?)が育まれる物語に変わってしまい、もはや「怪物だーれだ?」とは関係ない展開になっている。そういう意味で、色々なエピソードを詰め込んでいるため焦点が定まっていないように見える。結局なんの物語だったんだろうというモヤモヤした気持ちだけが残った。こういう映画は、いくらでも勝手な解釈で深読みできるので、「いやいや、君は分かっていない」と言われそうだが。
してやられた
普段自分たちが実際目で見てないもの、
子どもの学校の事だけじゃなくて、
SNSやネット記事もどれだけ先入観で良い悪いを決めてるかをまざまざと見せつけられた。
瑛太さんのあの先生の謝罪、あれは謝罪の態度は明らかに
ヤバいやつでしかなかったけども、
それでも悪い奴だと決めつけてしまった自分がいて、
恥ずかしいと同時にしてやられた!手玉に取られた!と
その手法と演出に感動すらしました。
自分で見たもの以外は信じない。と思って生きて来たけど
見て来たものも疑え!と言うのが、
この映画で一番思った事。
子どもの世界は大人が思ってるより複雑で、
悪気もなく言った言葉が、心を壊して行く可能性がある
と言うのもよく分かった。
怪物は一体何だったか、何が怪物を作ったのか?
やはり、それは言葉だったのかなと思う。
完全な悪人などいなく、また完全な善人もいない。
飴を舐めたのが、
繊細な描写の中に大袈裟な演出あり
羅生門のように、同じ時間軸の出来事を違う視点から繰り返すことで、全く違った捉え方になるという話
保護者目線での、クズ教師と不安定な息子
教師目線での、モンスターペアレントと生徒のいじめ
そして最後に子供目線
自分からは見えない他者の一面、背景があるのだという、他者理解の根本。
それが最終的には大人からは到底見えない子供のセクシャリティやその葛藤に達する。
とはいえ、その視点間のギャップを演出するように、明らかにやりすぎの演出がなされている。
例えば保護者目線からの教師と、教師目線からの教師が、到底同一人物とは思えない。
主観を演出に反映しているのかもしれないが、それを加味しても違和感しかない。
教師目線の教師が、保護者の前であんな話し方や、ましてや突然飴を舐めたりするわけがないことは視聴者が一番わかる。
異常者のようだが、実はありふれた人間の1人でした、をやろうとし過ぎて過剰な異常者演出になっている印象。
息子もそう。保護者目線で見られた混乱は、本来本人目線ならそれ以上の混乱であってしかるべき。
ただ
映像や音楽、何より子役の演技は、圧倒的。
生まれ変わったら、何になるの?
この映画は母親・先生の視点があるが
終始、湊の立場になって見ること
周りの子ども達から状況を
察することをお勧めいたします。
子どもほど感性が豊かです。依里には
女友達が多く、いじめっ子達がキ~ス、キ~スと言ったり、オネェキャラの真似で
茶化すのは性的嗜好に気づいているからです。
依里がそれを受け入れているかは
分かりませんが、自分らしく生きている様に
見えます。そんな依里を湊が羨ましく思って
いるのか、自身の性的嗜好も
依里との関わりで気づいたのか、
もともと周りに隠して生きてきたのかは
分かりませんが、湊が依里の虐待やいじめを
間近で見て、自身もその嗜好を持つ限り
偏見の目で見られ
生き続けるであろう将来に
苦しさや怒り、自己否定と
葛藤しているのです。
「生まれ変わったら何になる?」は
映画の中で何度も出てくるセリフで
この映画で凄く重要です。
湊は、結婚して大人なるまで
成長を見続けることを父親と誓った母親に
さえも嘘をつかなければいけないこと
周りに依里との関係を
隠し続けなければならないことから
生まれ変わったら幸せになれるのか、
母親の言う“普通”の家庭を
築けるのかと考えます。
生まれ変わった先にあるのは
ある日、先生が将来を語った時の
生まれ変わったら必ず結婚するが
湊の思いと重なっています。
湊は生まれかわっても
依里と一緒にいたい
結婚したいという思い
だったのだと思います。
誰がこんな世の中を作ってしまったのか
誰がこんな社会を作ってしまったのか
誰も怪物ではなく、母親・先生
誰もが誰かの幸せを願い
人の為に動いた結果の不条理さが
心を締め付ける映画でした。
怪物だーれだ?
やるせなさと向き合うということ
子どものころは、ここまではないが親には言わない遊びや秘密はあったものだし、それを共有することで仲が深まる時があった。
一転、親の視点から考えた場合そうではなくなる。傷やケガ、帰りが遅いがあれば事件、事故はたまたイジメを想像するのは無理もない。
今回の件の場合は、どうすればよかったのだろう。
イジメに早期に対処したらよかったか?
虐待する父親の通報か?
好きな気持ちを話せる大人、場所があればよかったのか?
はたまた、何もしないのでよかったのか?
顛末を知れば、大人が感情的かつ忖度した結果とも見れる。
だが、では親は何も出来ないのか
言いようのないやすせなさを感じてしまう。
向き合うことの難しさを感じた作品でした。
見るもの、聞くものだけが、真実ではない…
親、担任の先生、子供、それぞれの視点によって事実が異なるということ。ましてや、子供の嘘や、周囲が強要させた嘘、噂によって、真実とはどんどんかけ離れていく。冒頭、親の視点から見るので非常に心がざわざわと不快な時間が長かった。担任の先生が不敵に笑ったり、飴を舐めるシーンはやり過ぎ感があり、余計に煽られた。ラスト子供二人は死んでしまったのだろうか。人と違うということは異質であり、間違いであり、怪物であるという思う側もまた怪物である。こんなことを言いたかったのだろうか。
❇️『瑛太さんは何故飴を食べたのか?マジ一番笑うところ😅』
怪物
❇️『瑛太さんは何故飴を食べたのか?マジ一番笑うところ😅』
🇯🇵長野県諏訪市
🔵かーるくあらすじ。
シングルマザーの息子が虐められてるのか?
靴が無くなったり、水筒に泥水、先生に殴られた事を母親に伝える。母親は学校に抗議する。
しかし見方の角度を広げて見ると、おかしいのは学校だけではなかった!いろんな種類の怪物達が現れる青春クライムドラマ。
◉70点。
★彡ややこじつけや過剰な演出も、あった様な気がするが、角度を変えて見るとこんなに真相は違う事に驚きました。
🟢感想。
1️⃣🔺『怪物とは言い難い!』
★彡怪物の表現には見合わないと思いました。
2️⃣⭕️『学校の対応ってあんなに酷いのか?』
★彡瑛太さんも飴を途中で舐めるとか普通ないでしょう😅ちょっとコメディーの雰囲気ありました。
3️⃣⭕️『スタンドバイミーぽくて良かった。』
★彡秘密基地的な環境は癒されるな。
4️⃣⭕️『一筋縄では行かないイジメの実態』
★彡誰でも瑛太さんの様になりうる。
見た時の状況だけでは判断が難しいですね。
👩🏻👦🏻🚃🏞️🧑🏻🏫
苦しくて辛い
火事を起点に少しずつ事実がわかっていくところが、時系列の記憶が追いつかず
もう一度確認のために観たくなるのかもしれないけど、もう一度は辛い
ずっと胸の奥がザワザワして
「かいぶつだーれだ」 が突き刺さってきます
最後の最後になって もしかしてもうラストを迎えているのか?と不安になったところでエンドロール
こんなラストなんだーー岩井俊二作品だから??
とか思いました。ファンタジー
子供を愛している 日々の暮らしがある
なんかおかしい
こうありたいと思うがどうにもならない
モヤモヤする
気づけない 気づいても私ができることは?
なんでこんなに忙しいのだろう
忙しいふりをして本当は煩わしいのかな
モヤモヤする………
とにかくキメツケルのはやめよう
推測や憶測での話は控えよう
認知のズレ
怪物は。。
誰もが誰かにとっての怪物になりうる。
親、教師、校長、同級生、そして湊と悠里。
それぞれの視点から見た一連の出来事の顛末。
ナレーション少なめで、余白を解釈で穴埋めしながら鑑賞する必要があるものの、登場人物たちそれぞれの主観がうまく描かれていた。
人は自分が見たいものだけを見てる。
そして自分が見たいものだけを人にも見てほしい。
自分と違う価値観や考えを持つ人を恐れて怪物扱いする。
また、自身も人から不本意にも怪物扱いされる。
普通とは?
自分にとっての普通が他の人にとっての普通ではない。
自分にとっての普通は他の人にとっての幸せではない。
ラスト、これ以上ない幸せな表情で明るく走り去る子どもたち。自分たちだけの世界でしか幸せになれない子どもたちの現実が浮き彫りにされたようで、「僕は可哀想じゃないよ」と言われているようで、親としての絶望、哀しみに胸が締め付けられた。
子を持つ親として、心穏やかでない描写が多く、子どもたちとしっかりと向き合って話を聞いてあげたい、そして自由にしてあげたいと考えさせられました。
その先は・・・
怪物とはなんなのか、という問い
「藪の中」のような作りになっているが、それぞれの主張が食い違うのではなく、それぞれの出来事が組み合わさると事実が見えてくるという作りがうまい。
作中でテレビのドッキリを見ながら「どうしてわからないんだろうね」と母親が言って、息子が「(自分たちは)テレビで見ているからわかるんだよ」と返すやりとりがある。それがこの作品の構成をうまく言い表している。
麦野早織はシングルマザーで息子の湊を育てている。元気な良い子なのだが徐々に様子がおかしくなってくる。早織が問い詰めると、学校で担任の保利にいじめられていると打ち明ける。
早織は事実を知りたくて、学校に行って校長に訴える。しかし、学校側は棒読みの謝罪を繰り返すばかり。それでもあきらめない早織の前に保利が面会し、謝罪する。心のこもらない言葉に早織は苛立ちを募らせる。事態が悪化していく中で、保利が「あなたのお子さんは星川依里という同級生をいじめている」と口走る。
本作には3種類の「怪物」が登場する。
最初の怪物は麦野早織だ。学校側にとって、クレームをつけてくる親は怪物で、事態が大事にならないように対応しなくてはならない。
次は、教師の保利だ。早織にとって息子の湊を傷つける保利は怪物で、事実を確認しても謝罪の言葉をつぶやくばかりの存在だ。
最後に、湊の同級生の星川依里。彼の父親が「息子は怪物なんです」と語る。また、星川は教室でも宇宙人扱いになっている。
時間軸を戻しながら、それぞれの「怪物」の視点で物語が描かれる。
誰が「怪物」なのか、という犯人捜しがテーマではない。
描かれているのは「怪物」の印象に踊らされる人々の姿だ。
現代社会において主にインターネットの問題点としてよく指摘される、陰謀論やエコーチェンバーといった問題が本作にも通じるテーマになっている。ネット社会だけでなく、われわれは印象や噂に踊らされる。自ら作り上げたフィクションの中で生きている。
レビューの最初に書いたドッキリに関するやりとりのように、我々も自分の視点からしか物事を見られないのだからいたしかたない。それが現実というものだ。
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