怪物のレビュー・感想・評価
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ちょっとよくわからなかった
怪物!?
観終わった後、「怪物!?」って首を傾げる。
それを題したのも、あえてのことかしらとも感じられた。
そもそも映画の内容に対して論ずることなのか!?という気持ちでいる。
と言うのも、今の日常を客観視でみたような感覚だから。
私自身の日常にも、映画の主となるテーマは違えど、コミュニケーションの掛け違いで受け取り方が異なり、思いもよなぬ方向に出来事が進む。
そのため、日頃の出来事とかさなり、自身もであり周りもであり、その要因を映画を通じて見えてきたように思えた。
どう普段の私生活に落とし込めるのか、、、。
物語に対する内容より、通じて日常の出来事に対して、ディスカッションすべきその取っ掛かりを感じた作品であったと思う。
最後に私にはまだ子供はいないが、映画の子役のような感情など芽生えたとき、私は子供の気持ちを解放させ、生きやすくその感情のままでいいのよ!って言ってあげられるのだろうか。問いかけが始まる。
テーマの意味を観るものに委ねる最近の日本映画の悪いところ
実は構成に甘さを感じた
あそこまで教師を貶める理由があったのかな?
その教師は日記から何を読み取ったのかな?
飴をなめるのは前後とも、あの場での行動とも合わない。
カンヌで脚本賞を取った作品だけど、実は雰囲気で強引に押してるところがある。
ラストも何か結論からはぐらかしている気がする。
作文の鏡文字
映画館で観るべし
本当の怪物とは
国内外から高く評価されている是枝作品ですが
今回のテーマは、かなりボヤかして表現されており
作品名の謎を
最後の最後まで解かせず
予想通り示さずに終えました
親
教師
子供
三方からの視点で映画を紡いでいく手法は
芥川龍之介の薮の中で
これまでも数々の作品が引用されたのです
しっかりハメ込めた腕前は
さすがの力量でした
さて是枝さんの言いたかったテーマはなんでしょうか
ネグレクト
いじめ
偏見
同性愛
嘘
多方に渡りすぎて
ちょっと掴めません
ただ心の中に潜む怪物は
大きくも小さくもあれ
誰にでも生息していて
それが表面化するのか
内在しながらも純化していくのか
どんな方向性にも動いていくもののようです
映画のメッセージを掘り下げるのは
実はあまり得意ではないので
他の方にお任せしようと思います
新たな名作
ホモセクシュアリティな感情と人間の幸せとは
この作品は、安藤さくらが単純に教師の子供への暴力(本当は暴力ではない)を、勇気凛々と解決していくストーリーと最初は思っていましたが、途中からその想像は見事に打ち砕かれました。結論を言ってしまえば、本当の主人公である2人の少年のホモセクシュアリティな感情が、嘘を誘発し、引き起こした人間模様だと私には思えました。いじめ問題をさまざまな視点から見ると、真実は全く違うのです。その不思議なストーリー展開は、脚本家の面目躍如なのでしょうか。物語が進行していくに従って、真実が全て明らかになっていくところは、まるで鮮やかな謎解きのようです。時間軸は何度も引き戻されて、これでもかこれでもかと真実を明らかにして行きます。つまり安藤さくらの正義も、永山瑛太の正義も、全て意味を持たなくなるほど昇華していくのです。怪物というテーマについても、出演者たち全てが怪物に見えましたが、最終的には怪物でもなんでもないのです。ただ、全員が縁起の法則によって絡み合い、感情をぶつけ合い、時には憎み合ったり、罵り合ったりしていますが、結局全ての事象はなんの意味もなく、ただ、それを見る人が、幸福だの不幸だのと判断しているに過ぎないということを、この作品では教えてくれている気がしました。ラストの、少年たちが走り回る姿は、青春の喜び、至高の喜びに満ちていましたが、これはどんな人の人生も、完璧なのだと示唆してくれているように思えました。
追記 田中裕子のセリフ。「誰もが手に入れられるものが本当の幸せ」。含蓄のある言葉です。
後半が残念
怪物はいなかった
是枝作品だから結局そうなるんだろうなと思ったけど。瑛太目線の中盤まではすごく面白かった。後半はダレてきて、なんとか小さい方の子役の演技力でもった感じ。
中村獅童がいい味だしてたからもっと掘り下げて欲しかったなー。こどもを虐待する理由が(自分は学歴もありエリートだったのに妻に逃げられ酒におぼれ、頼みの子供が同性愛者なのが許せないから?)もう少しほしかった。
個人的に、是枝作品の一番の怪物は「誰も知らない」のYOUだと思う。
追記
見終わったあとはこんな終わりか。という感じだったが、あとからチクチクと色々なシーンを思い出す。一度見なのに内容を鮮明に思い出せる作品になった。
特別な映画ファンや是枝監督ファンではないのですが、面白かったです!...
人物の描かれ方、投げかけ方が素晴らしかった
自分は、子供がいて働く母だから、シングルではないけど初めのパートには割とすっと入っていけた。分かりやすかった。そりゃそうだろう、すごく辛いだろうと思った。それがダメなことではない。最後の子供達と緑の多い秘密基地のパート、子供は無垢なもの、子供だからなにをしてもいいとはいかない。どのパートにも良さと行きすぎてる面がある。途中から、不気味に響く音の正体がわかった時に、何だかそんなこともあるよなって思った。私の心の中でもトロンボーンやホルンが鳴り響くこともある。
音楽と、脚本は素晴らしかった。喋りすぎない脚本。坂元裕二さんは軽妙な会話のやり取りが魅力だと思っていたけど、特に子役の少ないセリフの中に複雑な思いを込めていて、対して大人たちのセリフは軽く、感情的だった。田中裕子のセリフはすごく深かった。一人一人の人物の描き方、投げかけ方良かったです。
誇張はあるがリアル
怪物だーれだ?
登場してくる人たち、それぞれに思いや正義があって、怪物な芽も持っている。
本人の知りうる限りでは、普通なことも違うところからみたら、筋違いでしかないことも。
そんなあり得る日常を演じている俳優陣が素敵。
音楽やごく自然な風景もいい。
それぞれの人物のスクリーンには出てこなかった裏設定を考えると、怪物になってしまう原因もあると思ったり。
いろいろな視点で思ってみるという、鑑賞後の楽しみをいただきました。
三幕目でミステリー構造から脱却し、物語性を消失させる子供たち
ゲイであると自認しながら、それをどうにか隠して生きてきた自分としてはいくらカンヌ主要賞である脚本賞とクィア・パルムを満場一致で受賞した映画とはいえ、少し見るのが不安なところもあったのですが、間違いなく大傑作であると同時に、よくぞここまで繊細で誠実に攻めた内容を日本で作り上げ、放映まで持ってこれたなととてもびっくりしています。
ある海外批評誌の記者がカンヌ映画祭で本作を鑑賞した時、「羅生門(藪の中)の構造を使うと一般の映画好きは無意識にミステリーだとカテゴライズするが、この映画は『他者の痛みの共有』のためにこの構造を転用していて、奇しくもそのジャンル的な構造を批評的に打ち壊すことに成功している」と大絶賛していて、その批評が頭の片隅に残りながら先日映画を見たのですが、見ている間はそういった「批評する自分」を置き去りにするほどの映画としての強さにとにかく圧倒されました。視聴後もしばし呆然としていたのですが、すぐに決定稿のシナリオとパンフレットを購入し、その内容を確認した後、監督、脚本、音楽、撮影にこれほどの才能が集まるとこういった映画が日本でも放映されるんだなとなぜか少し泣けてしまいました。
TAR、アフターサンと最近の映画は自分の好みに合うことも多かったのですが、この「怪物」はそれらを超えて自分にとって間違いなく大切な作品になりました。
ガチガチの構造に準拠した合理的なミステリーを見せてほしい人と構造ごといらない昔ながらのシネフィルの2パターンの人が日本人の観客には多いとよく映画監督や映画批評家で言っている人が多いのですが、パンフで脚本家も言っていた「最後、三幕目で物語性(構造)を無くす」という発想がこの映画のテーマそのものとリンクしてることに気がついて鳥肌がたち、これの凄さに気がついて脚本賞を受賞させたカンヌの審査員である監督や各国の映画祭のプロデューサーたちの確かな目と、なぜカンヌがこれほどまで世界で評価されている映画祭なのかを改めて実感しました。
スコセッシやアフターサンの監督が言っていたように「構造的に準拠した合理性からの脱却」は今活躍してる監督全員が抱える裏テーマであり、そういう部分こそ、「最大公約数なデータ集積では書けない人間の『ゆらぎ』」という形で評価される評も海外の批評誌でよく見かけるようになりましたが、そういった視点をさらに包括させるような素晴らしい映画だと感じました。
だって人間だからね
観終えた後でもモヤッとした霧が晴れなかったのはヨリ君の父である中村獅童、ホリ先が自宅に行った際「あんた大学は?」と尋ね、自らを「前はXX不動産(?)だった」と語るプライド臭プンプンの男が自らの子供を「バケモノ」だと言い、妻は何処へ?そして玄関のチャイムはガムテで塞がれ、最後にはヨリ君はバスタブの中痣だらけでグッタリ、御本人は暴風雨の中路上で酒を煽る。うーん、子供のどこにバケモノを感じ、なぜ虐待に至ったのだろう?ここの描写はもう少し丁寧にしてほしかったな。
まあ、それはさておき作品全体を通じ「人間ってそうだよなぁ」と思わせる象徴は高畑充希さんの有り様だったと思います。優しい言葉をかけているようで実は不干渉、自分に嫌なことが及んできそうになれば逃げるに限る。
誰もがそうですが、心無い言葉や根拠のない憶測を口にしたとき、大概は「いやいやいや、そんなことありえないでしょ」と返すのだろうが、例えば「ホリ先は火事の時ガールズバーにいた」・「実は孫をひいたのは校長」・「ホリ先が階段から突き落とした」・「お前女みたいだな」なんてことがどこかのタイミングで多数の意見になった途端、それに異を唱えるのではなく黙り込む、黙示の承認をしてしまうのが人間だからね。
そう思ったら、今作のようなお話は未来永劫我が国では起こり得るのだろうなと、ちょっと虚しさが拭えなくなるものを観させてもらった気がします。
さて、ラストシーンですが、校長とラッパを吹きあったミナト君が「自分はありのまま、嘘はつかない」と踏ん切りをつけヨリ君の家へ行き、二人の秘密基地で一夜を過ごした翌朝「ガコッ」と開けたドアから駆け出す、ああ、子供二人には明るい光が差し込むのか、そこだけでも救いがあった。なんてスクリーンを見つめながら思ったのですが、帰りの道すがら、どうにも台風一過の風景にしては風景が泥だらけじゃなくお花畑感満載だったので、これは別の世界に行ってしまったのかもしれないなと考えを改めたのですが、それよりも前の中村獅童の路上飲んだくれシーンとヨリ君のバスタブグッタリシーンもあったから、まだまだ別の展開もあったのだろうか、受け取り方はそれぞれにお任せします、7日もしれませんね。
ワタシ的には「どうすればよかったのだろう」と考えるのではなく「日本人の性で、発想の大転換がない限りこの手の出来事はなくせない」だろうと無力さを感じる作品でした。
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