怪物のレビュー・感想・評価
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パズルのような映画
同じ話を視点を変えて見せる映画はいくつかありますが、本作では単に奇をてらっているのでは無く、作品テーマに通じるものがあります。主観的映像(バイアスのかかった見え方)で、母からは教師が、教師からは子供が、登場人物は皆、怪物に見える瞬間があります。怪物だーれだの答えですが、私は、それは全ての人の中に眠っているものと捉えました。他でも無い、この自分自身もある人からは怪物に見える瞬間があり、その事に無自覚であると。エピソードを時系列に並べていくと、実にパズルのように全ての回路が繋がって行くようで驚きました。ミステリーとして見ても面白いと思います。(あるシーンだけが、AパートとCパートで位置が違うようでしたが・・・気のせいかな。)語り足りないですが、このように素晴らしい作品を作った、監督、脚本、役者(特に子役)の皆さん、それに美しい音楽を提供された坂本龍一さんに拍手です。
ものごとは多面的に捉えると本質に近づく。
坂元裕二、恐るべし
多重な世界観をみた
是枝裕和監督の作品、ということで観てみた。TOHO梅田で観ましたが、私の見たコマは満員でした。
抽象的な感じの映画でした。子どもの世界って大人にはうかがい知れない世界だし、大人になった自分たちも、子どものころに親に人間関係の悩みとか相談しなかった。それはひとつに、相談するにしてもその言葉がみつからなかったからだったと思う。あのとき、親に相談していたらどんなアドバイスもらえたかなって考えること自体、大人になっている証拠。
シングルマザーの母親の視点、教師の視点、子どもの視点、とそれぞれの世界観を描いていて、多面的な世界観が重複していく。一見、ありそうな日常であっても、それは片面でみる世界に過ぎないと思わされる。男の子ふたりの遊び、基地を探して、そこに二人だけの世界をつくる。子ども、特に男の子はこうした傾向がある。
映画としては、そのときの野原や廃バスの風景がしっとりとして映像としてエモかった。ストーリーはあるようでないし、ストーリーやミステリー性は期待していなかった。
是枝裕和監督の過去作「幻の光」が衝撃的だったけど、そのときもストーリというよりは映像、映像のエモさ、映像とセリフの間に感情を移入できたし、この映画もそれは引き継がれていると思えた。
小さな恋のメロディ…?
カンヌで賞を獲っただけのことはあって、たいへん凝った脚本だと思う。ちょっと戸惑うけど、すぐに理解できる。回収される伏線と、回収されないそれ。
最初の安藤サクラのターンでは「むむむ社会派バリバリか?」と思わせておいて、永山瑛太のターンで「視点を変えれば見方も変わるのだな」と観客を解った気にさせてからの、最後のターンで全部ぶっ壊す…という。
是枝監督独特の深い感動という面では、『万引き家族』や『海街diary』には及ばないと思う。けど、見終わったあとのモヤッとする感じは『ベイビー・ブローカー』に似ている。
多くの映画評も言っているように、子役の演技は素晴らしかった。逆に、ここまで入り込んだ演技だと、後のメンタルケアもちゃんとしてあげてほしい。
星川依里役の柊木陽太(ひいらぎ・ひなた)くんは、1982年のTVドラマ『君は海を見たか』に出演していた六浦誠くんによく似ているなと思った。
最後のシーン(というか全体を通してだけど)は、1971年の『小さな恋のメロディー』を彷彿とさせるものがあった。なんとなくではあるのだけれど。
映画のCMで「怪物だーれだ」という台詞がよく流れていた。見終わった後、「この題名ってどうなの?」と違和感を持ったのだが、時間が経つにつれて「怪物だーれだ」という台詞の持つ意味がじわじわと解ってきたような気がする。
そこまで分かってるなら救ってくれよ!
Twitterをみてると、この映画がLGBTQをオモチャにしてるとか、傷つくから観ない方が良い、みたいな批判がバズってたけど、僕はそんな風には感じなかった。
子供の頃、女子みたいって揶揄われた事とか、親に本当の事を伝えようとしたけど、TVに映るゲイタレントを「気持ち悪い」って言ってるのを聞いて伝えられなかった事とか、色々思い出して心がグッてなったけど、「消費されてる」なんて感じなかった。
寧ろ、何が湊や星川くんを追い詰めていったのかが緻密に、的確に描かれてて、こんな風に自分達と同じ目線を描いてくれるんだなって感覚の方が強かった。
でもだからこそ、描いているモノのリアルさに比べて、ラスト(救い)が抽象的すぎないか、という戸惑いもある。
この映画のラストは、湊たちが生きてるのか死んでるのか、どう捉えても正解な作りになってる。だって、他人が思い込みで誰かに、こうなんだよって言えないって事がこの映画のテーマなんだから。
だからもし、今まさに問題に直面してる人がこのラストをネガティブに捉えてしまわないかって考えが頭の片隅にあって、手放しで絶賛できない。
この映画が「答え」じゃなく「問いかけ」に重点を置いてるのも分かるし、多くの人に観てもらうためには効果的なのも分かるけど、ラストだけは大勢の観客の為じゃなく、今泣いてるたった1人の誰かのために作って欲しかった。
少なくとも、現実的な救済(解決策)を1つでも良いから描いて欲しかった。
校舎の屋上から下を眺めてた当時の自分がこのラストをみても、明日を頑張ろうとはならなかったと思う。
今、自分は大人になって少なからず理解してくれる人がいるけど、学生で同じ様な問題に1人で直面している人達が観たら、かなりキツいんじゃないだろうか。
でも、そういう人は必ずいる。ってか居ないはずがない。湊みたいに、なんで自分は生まれてきたのって、人が望む幸せは絶対に手に入らないのにって苦しんでる人が。
だから、そういう人に伝えたい。
そんな事はないよって。
止まない雨なんて絶対ないって。
嘘だって思うかもしれないけど、今抱えてる苦しみは必ず和らぐ時が来る。
誰にも言えなくて、苦しくて、もしかしてずっと自分は1人ぼっちかもしれないって不安に押しつぶされそうになってる人がいたら伝えたい。
諦めないでって。
大人になって世界が広がれば、貴方を理解してくれる人が必ずいる。あなたの味方になってくれる人が、あなたのことを信じてくれる人が。
だから、あなたのままでいて欲しい。
願わくば子供が、なんで自分は生まれてきたの、なんて悲しい事を言わなくてすむ世界が、2人が駆け抜けた、晴れ渡った柵のない世界が、少しでも現実に近づきますように。
怪物探しはフェイク
怪物どーこだ
なんて、どれが怪物かって探してしまいます
そういう意味ではミステリーじみて退屈しない
でも、結局は怪物なんていない
何をもって怪物と表現したかったのか
差別する社会?
差別する人?
これって怪物という言葉がそぐわないと思う
信じられない行動をおこす少年ですか?
陰湿な校長ですか?
ここからはネタバレが入ります
じゃあトランスジェンダーが怪物だっていっているのかとかんぐってしまう
もちろん、そんなバカな映画ではないですが・・・・
だいたい主人公の少年の成長期の性的な心の迷いなんて誰でもあって、歳とともに変わっていくものです
今回は相手も可憐なルックスだったからなおさらです
まだ小学生の子供の話ではインパクトが薄いと思う
その上、二人ともあの世にやっちゃってはなんの解決にもなんないじゃないか
て思いません?
安藤サクラはさすがですね
観たくなる女優です
しかし
高畑充希はなんでなん?
あれは出演じゃなくて友情出演みたいなものです
彼女はちゃんとインパクトを残せる女優です
誰でもいい役で出るのはやめてほしいな
まあ、喜ぶ人もいるだろうけど
個人的な感想です
怪物探しをしに観に行ってはいけない。
全ての面で完璧な作品
音楽 脚本 構成 子供エピソードのロケーション 役者の演技 完璧でしたね!
例えばこれが韓国映画だったら(韓国映画は大好きなので韓国批判では無いです)もっとドロドロするような内容なのに綺麗に描いていて感動ポルノで今から泣けるシーンが来ますからさあさあ泣いて下さいーって感じでも無くラストは自然と涙がでるような綺麗な終わり方!
しかもハッピーエンドじゃなくてある意味ハッピーエンドっつうフランダースの犬状態のオチですし(とはいえあんな綺麗な明るい草原なので絶対に天国だろうと思えるのでそこは安心)それにこの構成ややこしくてわかりづらくなりがちなのにそんなに難しくなく案外サッパリしているのには驚きでしたよ(考察地獄の超難解な作品はターとアフターサン)見た人なら分かると思いますが母親エピソード 先生エピソード 校長エピソード 子供エピソードがあるけど 順番がもし違っていたら かなり作品の印象かわると思いますし エピソードの順番を色々自分で変えてみて もし順番違ってたらこんなに面白かったか?って考えてもらうと分かるんですが すなわち順番が完璧だという結論に辿り着き構成と編集が神だという事にきづかされました。
あと予告のイメージと本編の展開が全く違うのは怪獣のあとしまつと一緒なんですが予告詐欺とはいえそこがプラスに働いてますよね(怪獣のあとしまつはそれもダメだけどそれ以前の◯◯)
サクラさんてもっとガンガン行ける人なのに
あえて抑えた演技での学校でのやり取りとか相当凄いです、存在感を出せる人って逆に存在感を消す事も出来ますからこの人も演技の化け物で怪物だと思います。
子供パートを後に持って来てるおかげでそれまでの謎が綺麗に全て回収されるのはカメラを止めるなレベルで見事でした。
息子が車から落ちて頭の心配をやたらしてる理由も
後半になればその理由に気づくんだけど最後まで見て あー!だからあの時頭を凄く心配して母親に聞いてたんだとなりずらいしそこを理解するのには2回目の鑑賞じゃないと辿りつきづらいですね!
だから2回目に見た時はまた違う観点で前半部分を見れますし一回目で見逃してるポイントもあるので2度見て再確認してより深く内容を楽しめる本当に良くできた作品だとおもいます。
無駄の無さと文句の無さがトップレベルの作品て中々無いですからね。
それとパートが変わると怪物に見える人が変わる手口が巧妙で実に面白い。
例えば最初のエピソードが母親だから先生の態度悪いしこいつ絶対やってるだろ!クズだなって思いますが 映画の始まりが先生エピソードで次が母親エピソードなら最初の時点で母親が単なるモンスターペアレントでイかれた母親が学校にクレーム言いに来てるわ最悪だなあって印象で先生がクズって思う状態が一切ありませんから これは相当優れた脚本だなあって思いました!
あとこれだけ演技の出来る超実力者だらけの作品なのに 子供二人が抜群に良い自然な演技で普通に遊んでると思わせるくらい自然でそれが凄かったです!
カンヌで脚本賞取ったのはカンヌの全作品を見たわけじゃないけど納得ですし脚本の凄さでいうと
ターとカンヌで賞を取ってる英雄の証明と怪物は相当凄いと思います(アフターサンも71の賞を取ったの納得のとんでも無い作品だった!)
校長と息子が一緒に楽器を吹きながらの心の叫びを表すシーンは良かったなあ。
しかしかなりハードル上がった状態での鑑賞でこれだけ満足するとか相当衝撃でした
日本映画でこのレベルの作品を見れるとか本当に嬉しいし日本人として誇らしい気分にすらなれますね。
今年はターと対峙に勝てる作品無いと思ってたけど
これを見たら自分ランキングアッサリ変わりましたよ! 流石にター 怪物 対峙の三強に食い込む作品は今年は無いと思えるくらいこの3本完成度が異常に高い作品だなあって思ってます(アフターサンを6月25日に見ましたがアッサリ上位に食い込むくらいの超名作でした)
あと主役の子役の子が平手友梨奈ちゃんそっくりなのね、
中性的な感じで適材適所だと本当に思いました。
少年を苦しめているもの
芥川龍之介の「藪の中」のように1つの事件を三者の異なる視点から語り直す構成になっている。観客は視点が違うことで同じ事件がこんなにも異なる実相をもつことに驚く。
ただ、単にそれだけではなく、この映画がユニークなのは、異なる視点の3つのパートが、それぞれ全く違うテイストの物語になっている、ということだ。
パート1は、シングルマザー(麦野早織)の視点での物語。この物語での「怪物」は、学校や教師。息子のいじめにまるでまともにとりあってもらえない不条理さは、まるでカフカの「城」のようだ。「あなたたちは人間か? 人間の心をもっているのか?」と叫ばずにいられない。そしてヒートアップする彼女の態度は、ここだけ切り取ればまさに「モンスター・ペアレント」そのもの。彼女にとって教師はモンスターだが、教師にとっても彼女はモンスターに見えているであろうことに気がつく。そこで観客は、「相手をモンスターと見る」ことの相対性にハッと気づく。「モンスター」とは、自分に理解できない相手を安易に「モンスター」とレッテル張りする自分の心にあるのではないか…。
パート2は、教師(保利道敏)の視点での物語。純粋で守るべき存在と信じていた生徒たちに陥れられていくような不気味な物語。パート1であきらかな教師失格のような保利は、パート2では生徒思いの良い先生である。ここで、麦野が星川をいじめていると保利が誤解した経緯が明かされるとともに、無垢な存在であるようにみえる星川がこの一連の事件の真の首謀者であるかのようなほのめかしがされていく。浦沢直樹のMONSTERを思わせる。
パート3は、子供(麦野)視点での物語。この物語はこれまでに提示されていた数々の謎に対する真相解明編にあたるが、それだけではなく、少年どうしでの清らかな桃源郷のような世界が展開される。「青い珊瑚礁」を思わせる。二人だけの幸せに満ちた時間と、”外の世界”の醜さと生き辛さが対比される。少年たちは、ビッグクランチ(世界の終わり)や、死んで生まれ変わることを夢見る。ここで、麦野の苦しみの正体が、性的少数者であることに対する悩みであることが明かされる。パート1で描かれた理想的な母親、パート2で描かれた理想的な教師、彼らが理想的で善人であるほどに、彼らが無自覚に語る「常識」が麦野を苦しめる原因になる。見事な反転の構成であると思う。
同じ場面をパート1,2,3のそれぞれの視点で描きなおしているシーンがたくさんあり、面白かった。一番印象的だったのは、校長先生と麦野が管楽器を吹くシーン。パート2では不快な雑音に聞こえた音が、パート3では全く異なる印象に聞こえる。また、パート1では単なるバラエティ番組が、パート3でははっきり「オネエタレントが出ている番組」と認識できた。テレビでは性的少数者を「道化」として扱っていることについて、我々はもっと自覚的でなければいけないのでは?と思わされた。
この映画を性的少数者をテーマにした映画と見ることは、直観的にしっくりこない。そうだとするには、あまりに少年たちの恋愛を理想化しすぎているように思う。たとえば「恋人はアンバー」などのゲイをテーマにした映画では、慎重に性的少数者を理想化して描かないように気をつけているように思う。
この映画が描こうとしている「苦しみ」は、現実世界という不条理を受け入れて生きていかなければならないこと、なのではないかと思った。
構成は非常に高度で面白いが、脚本が完成されているとはあまり思わなかった。いろいろとひっかかる点が多すぎる。パート1やパート2での学校での対応は現実にはありえない。パート2での教師は保護者との話でアメをなめるといった非常識な行動をとると思えない。実際には何も暴力や暴言をしていない教師をまるでハメるように生徒たちがウソをついたりアンケートに不利なことを書いたりするのも腑に落ちない。パート3で教師は作文から麦野と星川が恋仲であることを見抜いたぽいが、あれだけの情報でそう思うには無理がある。数十年前ならともかく、現代が舞台であれば、自分自身を性的少数者と自覚している少年たちが、自分たちを異常(ブタの脳が入っている)と信じ込むのは無理があるのでは…、などなど。
正直よく分からなかった…
アスペクト
物事の側面は、それを見る断面によって違って見える。
「真実はいつもひとつ」と、同時に他のスクリーンで上映していた作品の主人公は言うけど、ひとつなのは「事実」であって「真実」は見る角度によって違うのだよ…お子様にはわからないか…。
というのを坂元さんは脚本にした。この脚本は周り回って是枝監督の元に届いた。教授が印象的なスコアを付けた。
観客席の感情は、最初安藤サクラ演じる母親に、次に瑛太演じる先生に移入していっただろう。だけど最後のパート、子供(達)に気持ちを持って行けた?物語を俯瞰する、客観的な鳥瞰的な視点を得て、気持ちの遣り場に困らなかった?母親は悪くない、先生は悪くない。無論、子供(等)も。「怪物だ~れだ?」…なるほど。
最初は怪物探しをしていたが…
一見明るい教室でも、目元、口元、その人の影や仕草でおどろおどろしさや不安を強調する是枝監督の最新作。
ネタバレなしであらすじを語るのであれば、前半は一人息子の異変から怪物の登場で徐々に生気が抜けていく、さながら完成した塗り絵から色が抜かれていき、ふちどりした白紙の絵に戻っていくように虚しくなっていく。そして終盤に明かされるそれぞれの心情によって色を僅かに取り戻す。白紙の塗り絵には新しくニ色が入り完成する。分かりにくい言い回しかと思いますが、観たい後押しになれれば幸いです。
このタイプの映画は見る人によって見解はもちろん違うのだけれど、テンポが早く注目して欲しい部分が明確ですっきりと観れる仕上がりでおすすめです。
そして本当の怪物は自分の後ろの席で、何故というタイミングでくすくすしていた男性なのかも知れない…
怪物って言うけどあまりにも…
観てて、思ってたのは、「我々は何らかの選択を常にしている」って、最近よく聞く言葉。
人って、もともとそんな健康なひとばかりいない。みんな闇の部分もある。その一人一人が、ちょっとずつズレて、そしてそれがまた、変なふうに引っかかって、途方もないズレになっていく、みたいに思った。
怪物かあ…、、自分から見たら相手は怪物、
分かり合えなければそういうことなのかも。
しかし、子どもを学校行かせてる頃のことを思い出すと、コレあまりにも日常なんじゃない?って思えるような映画でした。改めてそういう世の中なのが怖いよね。
ホラーでも何でもない。そこが怖いのよ。
何とか、ならないもんですかね、今の世の中って。
すみません。適当にまとめたみたいになっちゃって。
ズレをね、いいズレ方してく、というか、一つ一つの選択がいかに大事か、って言ってもそんなうまくいくもんじゃないけど。でもその違いが大きいんだろうな。
「怪物」とは
怪物とは何だ?怪物とは誰だ?
社会?学校?世論?人間関係?校長?教師?生徒?友達?親?こども?
何が真実・正義で、何が嘘・間違いなのかは当事者同士しか分からない。他人(部外者)がそのときの感情や憶測で物事を判断するのは、「誤解」に近いものであり、「お門違い」だと考えた。
また、1つ1つのシーンの切り取り方・挿入の仕方・順番、カメラワーク、セリフなどとても秀逸だと感じた。
様々なことを考えさせられる良い機会となった。
おとなの事情で小学校を守った校長先生。
是枝監督は、こどもの自然な演技を引き出すのがうまいという印象がある。この作品は、是枝監督の脚本ではないようだが、今までになくこどもたちの演技が印象深かった。湊と依里の友情物語のような話は、最近の映画では見たことがないので新鮮であった。火事が起こった時を起点に、「母親の視点」「教師の視点」「こどもの視点」と三部構成になっているのもとても効果的だと思った。それは立場や見方が違えば、物事が違った意味を持つという単純なことだが、この作品においては、おとなの世界とこどもの世界の対比を鮮やかに描く効果がある。おとなになると守るべきものが増える。他から攻撃されることも多いが攻撃する手段も身に着けている。「思い込み」や「一方的な正義」にとらわれると、相手を激しく攻撃して収集がつかなくなることはよくある。母親が息子が学校で不当な扱いを受けていると思って教師に抗議したり、教師が表面的な事実しか見えなくて、生徒の親をモンスターペアレント扱いしたり、こどもを不公平に扱ったりする。そして何か事が起きるとマスコミが興味本位で書き立てて当人を傷つける。また、「体面」が重視されるため、取り繕ったり、嘘を平気でついたりする。それがおとなの世界とも言えよう。それに比べてこどもの世界は狭いだけにしがらみが少なくて単純だ。湊と依里はおとなたちの思惑に振り回されているが、自分たちの世界をしっかり守っているように見える。湊の依里に対する、恋心にも似た好意が健気であり共感できる。おとなたちが誰かを「怪物」扱いして誤った方向に向かっているのに、こどもたちは傷つきながらも人間的に正しいふるまいをしている。そんなおとなとこどもの世界をつなげているのが校長先生のように見えてきて、田中裕子の演技が印象的であった。
「万引き家族」と同様に、分かりやすい内容ではないので、解釈は見た人にお任せしますという感じである。個人的にはとても面白かった。
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