怪物のレビュー・感想・評価
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う〜ん、やっぱ是枝作品微妙
それぞれの視点からストーリー展開が違って見えたのはよかったけど、
ラスト2人の子供は死んだのか、生きてるのか曖昧な表現だったのでモヤモヤした😅
一番意味わかんなかったのが、
なぜ子供同士の同性愛をもってきたのかですかね😅
カンヌでどれだけ評価されても、是枝監督の作品はな〜んかスッキリしないな😅
気になってたので鑑賞。 それぞれの視点から描かれる出来事。 なんて...
気になってたので鑑賞。
それぞれの視点から描かれる出来事。
なんていうか、うまく言語化できんな、、、
学校側がとりあえず最悪ってことはわかるけど
なんかもう、あーってなる
純粋な子供を通して、大人のエゴや願望やらが浮き彫りになり、その結果出てくる歪みみたいなものを見せつけられた感覚なのかな、、、?
なんかもう、本当に学校が最悪すぎる。
でも、それでもあの2人は自分たちで希望を見つけながら生きていくのかな。
なんか、上手いこと言えんな。
とりあえず、何気ないシーンで子供達の逃げ場が失われてることが説明されるのが辛いね。
音楽ももちろん良いし。
あぁーってなる作品でした。
90/100
怪物は…お前だー!
怪物だーれだ、と予告で脳内に刷り込まれた状態で、かつてのNEVADA事件的な展開が待っている…と勝手に思ってたら、完璧なミスリード。次々と予想を裏切ってくる脚本のおもしろさと、役柄に絶妙にマッチしていた瑞々しい少年二人の佇まいと演技で、坂本裕二×是枝裕和の裕裕コンビ(勝手に命名)に見事にやられた。
話は藪の中スタイルで、謎はQIAなライトBL方面へ着地していくが、実際にそこは友情の半歩先ぐらい?という印象。意図的な勘違い演出は展開が辻褄合わせにも思えるが、立場や視点が異なればこう見えるという理解の仕方もできてうまい。小学生にしては博識すぎる星川君がかかとを踏んづけた靴を履いているとか、消しゴムで机をひたすらゴシゴシしているクラスメートがいるとか、細かいとこまでこだわりがあったし、列車の窓の泥を拭う画作りなどもすばらしかった。
結局、怪物とはだれだったのか。それは、二人の少年を追い詰めた「常識」や「当たり前」「普通」といった世の中に潜み根付いている価値観にほかならず、AKIRAの爆心地のごとく夜景のなかに巨大な穴がぽっかり開いたような諏訪湖の陰は、そんな社会の闇を表しているように思え、初っ端から終わりまでやられっぱなしな作品だった。
最後に、R.I.P.坂本龍一。
最高です!
これは本当にピュアな恋愛物語なのです。ただみなと君は人を好きになっただけなのです。大人は固定概念で勝手な想像をしてしまいます。それは仕方のないことで、誰かが悪いわけではありません。(でも中村獅童さんは本当に悪いです。)大人目線から入り辛い物語に見せかけているから、ラストの2人が明るい緑の中を叫びながら走っていく楽しそうな姿により感動するのです。そのギャップが凄すぎるのです。私は映画館で泣きました。是枝監督、坂本龍一さん、坂元裕二さんのいい所が全部出ていると思います。最高です!
誤認
凄い作品だった。
エンドロールが終わり、館内が明るくなるまで席を立てなかった…呆然としただただ脱力してた。
ラストカットを見ながら浮かんだ言葉は「ごめんなさい」だった。
タイトルの「怪物」
前半に感じたソレと、ラストに感じたソレは全く違うモノだった。同じ言葉で表せるも本質が違う。脚本の内容ともリンクするとても優れたタイトルだった。
冒頭から兎に角惹きつけられる。
というか…目を背けられないのだ。ショッキングな事柄ではあるのだが、ほんの些細なキッカケで起こりうる事ばかりで、身近に潜む事ばかりだ。
なんという狡猾で優れた脚本であろうか…冒頭の数分間で、ものの見事に意識が作品に囚われてしまう。
この社会に「怪物」はいる。
ずっと昔から。でもここまで育ってしまったのは何が原因なのだろうか?誰のせいなのだろうか?
…おそらくならば大人とカテゴライズされる人達だ。
育てるにあたり与えた原料は色々ある。
保身だったり、体裁だったり、先入観だったり、隔離だったり、噂だったり、無言だったり。
社会を滞りなく収める為の術を餌に「怪物」は育っていく。それこそ宇宙のように無限に拡張し続ける。
何回も食い止める機会はあったはずだと考えさせられる。瑛太氏を通して語られるソレらは、会話や対話の必要性を訴えてくる。
誤解と先入観が産む『思い込み』
点在し独立する立場による視点を前半は描いていく。
安藤さんからの視点を思えば違和感だらけだ。
彼女は「何故?」を問いかけ訴える。その解明を妨げる『前例』と『マニュアル』彼女は一方的にモンスターペアレンツの烙印を押される。
そして瑛太氏は責任を負わされ解雇される。
何も解明されぬまま1人の人間の運命が狂わされる。
そこから展開される瑛太氏の視点。
表面化されない事のオンパレードで、彼の行動原理が説明される。冒頭に出てきた「ガールズバーに居た」って話すら、火事の時に遭遇した生徒の「近くで先生に会ったよ」から派生した『噂』なのだろう。
それを吹聴した途端にその正誤を担うのは事実よりも、語り部との関係性に転嫁される。
勿論、その『噂』に真実味を与えてしまう人間性もありはするが、それこそ曲解でしかない。
瑛太氏は瑛太氏で、結婚まで考えている彼女から間違った『先入観』を植え付けられる。
各々が振り翳している斧は『自己防衛本能』と『正当性』なのである。
次は校長の視点なのかなと思っていたのだけれど、展開されたのは当事者である子供達の視点だった。
あぁ、なるほど、と単純な事を複雑化させている存在に気付く。大人である僕達だ。
子供の感性を僕達はいつの頃からか亡くしてしまっている。子供達の間で交わされるそれぞれはとても尊いものから発生している事ばかりだ。
思い遣りや、友情や、冒険心やら…だけど、その視点を大人達は共有出来ないから、自分達の納得できる理由を押し付けてしまう。それは親としての責任感でもあるのだろうし『答え』を無理矢理にでも見つけないと不安に耐えられないのだろうとも思う。
昨今、浮上している性同一障害を絡めているのは、流石と思えてしまう。
そして、ふと立ち返る。
コレが現代の現状なのか、と。
なんという悍ましい世界を、今の子供達は生きているのだろうか、と。
大人達が導き出す最善策に子供達の意思は全く反映されてはおらず、むしろ蹂躙されてるんじゃないかと思う。子供の視点からすると『大人達』こそが怪物だ。
子供達がやってる事は、今も昔もそうは変わらない。秘密基地を作ったり、友情を育んで、今に一生懸命で。
ただ不憫で仕方がないのは『親』から『普通』を押し付けられる事だ。
湊は性同一障害を。
依里は、きっとIQが高すぎるのだと思う。
『普通』なんて曖昧な価値観は唾棄した方が賢明だと俺は思う。周りと較べる事でしか生まれない価値観であるといい加減気付くべきだし、そんな事に左右される程愚かで悍ましい事はない。
『普通』なんてものは管理する側が管理しやすいようにする為に拵えた檻でしかないのだから。
作中で明確に語られる悪意は『親』と『イジメ』だけだと思う。
その他のモノは悪ではない。
『イジメ』の主犯である彼にも『親』によって労働を科せられ自由を抑制されるストレスの源が提示される。
新聞にチラシを挟み込んでるのが彼ではないかと思うのだけど…違うかな。
なんせ、今作には発露に至り関与する原因なり源が無数に散りばめられてるような気もしてて、2回目を観たら驚く程緻密な仕掛けにぶったまげるんじゃないかとも思ってる。
土砂に埋もれた窓を親と先生が必死になって取り除こうとする絵が印象的だった。
掻き出せど掻き出せど、泥は流れ込み、どんなに踠いても泥が無くなる事はない。コレはなんの揶揄なのだろうか?現状に抗い必死に子供達を救い出そうとする人達が置かれている環境そのものなのだろうか?
とめどなく溢れ出す川の防波壁なのかな?それにも無力さを感じとってしまう。
そしてラストに至る。
台風一過。
快晴の眩い光の中に駆け出す湊と依里。
青々と生い茂る草っ原を、笑いながら走ってゆく。
彼らが走っている場所は『大人達』によって危険と判断された柵の向こう側ではなかったか。
実に逞しく、実に楽しげで、彼等を取り巻く様々な厄介事をまるで歯牙にもかけず、一心に突き進む。
ここに至り、タイトル「怪物」が示す事に気付く。
恐怖や脅威を内包する存在も「怪物」だし、突出した才能を有し前人未踏の記録や功績を残した者も「怪物」と呼ばれる。
後者は傑物と同意であると思うし、すべからく一般の人々が想像する理解の範疇の外にある。
全ての子供達には、後者である傑物としての「怪物」になりうる可能性があり、大人達が張り巡らした鎖を破壊し続け成長する「怪物」でもある。
そんな希望を抱いたラストでもあった。
そして、こんな社会にしてしまった後悔に苛まれた。俺もそんな社会を作った『大人達』の一員だからだ。
なので…俺はこの作品を作り上げた怪物達のせいで、呆然とし、エンドロールが終わって館内が明るくなって尚、席を立てずにいた。
「次回上映の為、館内の清掃を行います。お客様におかれまして速やかに退出いただきますようお願い致します。」
映画館のスタッフが毎回言うのであろうアナウンスを初めて聞いた作品にもなった。
今年のアカデミーは今作が総ナメだろうと思われる。
坂本龍一さんの奏でる音楽は、凝り固まって沈殿するドス黒い何かを、解きほぐすかのように優しく静かに、染み渡っていくようであった。
🔳追記
他の方のレビューを読むに子供死亡説なる解釈もあるようだ。なるほど、ソレも無くはないと唸る。
考えてみると台風一過の時間経過があり、廃バスから脱出してくるってのは不可解なタイミングでもある。
だとするなら、そんな未来を摘み取ったのは誰だってオチにもなりはするのだが…現代に蔓延る怪物は、その全容を把握できないほど巨大で邪悪で凶悪な代物で、無慈悲な公平さを擁し、突如襲いかかってくるのであろう。
僕達はなんてものを産み出してしまったのだろうか…。
死亡説に感化された訳ではないのだが、その方向の感想もしたためずにはおられなかった。
怪物=誰が作ったか分かりもしないような固定観念を土台とした同調圧力
「怪物だーれだ」というセリフが繰り返される印象的な予告編が印象的で、半年前から観ることを楽しみにしていました。
怪物は、一言にするなら「誰が作ったか分かりもしないような固定観念を土台とした同調圧力」でした。
・既存の体制保持のための無理筋な対応
・噂で動く田舎の凝り固まった人間関係
・家父長的考え方が社会に浸透しているせいで、暴力親にも認められる親権
・片親への偏見
・同性愛への偏見
・いじめ(映画ではいじめ主導者が教室の空気を支配)
自然や街の中を飛び回る子供たち、日本の小学校に通った人なら誰しも懐かしく感じそうな校舎(吹き抜けなど、モダンな構造でしたが)、なぜか安心してしまう廃列車、素晴らしい映像でした。
そして作品の中心的役回りとなっている子供の。常にポジティブな言葉に感動しました。
ラスト、列車は銀河鉄道になって宇宙に向かったんだと思いました。
怪物はどこにいる?
是枝監督って子供の自然な演技を引き出すのが
改めて上手だなと感心させられました。
この子役黒川想矢さん、柊木陽太さんは見事でした。
また、この映画の冒頭部分の輪郭を作った安藤サクラさんの存在感と迫力、
対照的に校長役の田中裕子さんが奥歯に物が詰まったような演技が絶妙でした。
役者陣だけでなくこの物語の脚本、構成も絶妙でした。
物悲しく優しい坂本龍一氏の音楽と諏訪湖の風景が
より心の内側に染み込んでくるようでした。
子供のいじめ。子供は残酷です。
私もいじめられたことがありました。
私の親友は同調圧力に負けて、私をいじめ、
私は裏切られた気持ちになりました。
映画のワンシーンにもありましたが見ていて
気が気でなかったですがこの二人の友情は
堅固だったようで、微笑ましかったです。
子供の世界って大人にはわからないなと
改めて思い知らされました。それに嘘もつくし。
その後はどうなったのでしょうか?
豪雨の中、廃電車(秘密基地)から抜け出した二人は
やがて野に放たれ、遠くに線路を見つけました。
それは希望の線路に見えましたが…
「怪物だーれだ」
不思議とこのフレーズ、予告編観て以来
毎日ひとりごとのようにつぶやいてます。
印象的で強いフレーズなんですよね。
怪物とは一人一人の心の奥底にあるもの。
だから答えも違うもの。
なのかもしれません。
うーん😔是枝ワールド
久々に映画館♪話題の是枝監督の「怪物」鑑賞。 さすがに カンヌで脚...
久々に映画館♪話題の是枝監督の「怪物」鑑賞。
さすがに カンヌで脚本賞を取っただけのことがある、よくできた脚本♪観客もマンマと踊らされてしまう。現実世界でも、一面だけで物事を捉えたり、恣意的に単純化された情報、自分が見たい情報だけで良し悪しの判断をしてしまうことは少なくないだろう・・。危険なことだなぁと・・・。一つの出来事にはそれに関わった人それぞれの事実があるのですよね・・。
賛否があると聞くが・・どこが否なのか、私には理解できない・・・。教室の中で、傍観者に徹していたり、いじめる側にいた人間には、もしかしたら理解できないのかもしれないなぁ・。日本全国の依里君と湊君に幸あれ。
是枝裕和監督は、愛情に溢れた優しい人なのだろうなぁと、彼の作品を見るたびに思う。
たったひとつ気になったのが、「怪物」と言うタイトル。人間の中にあるモンスターをイメージしたのだろうと思うけど、「怪物だーれだ」がちょっと無理矢理っぽくて・・。
諏訪方面に行ったら、ロケ地巡りツアーしてみようかしら♪
このラストはいい。
最初は怪物とは誰のことなのか、、、と思いながら観てたが、、、。
麦野の母親も、子供の異変を心配し、学校に乗り込んで行く気持ちはよく分かるが、見ようによってはモンスターにも見えるし、保利先生もその場を適当に取り繕う自己責任の欠落した教師に見えるし、校長先生も真摯に向き合うことをしない陰険な人に見える。子供たちも大人の分からない闇を抱えて何をしでかすか分からなく不気味にすら見える。
それぞれの視点から見ると全く違ってどんどん引き込まれていく。さっきまで嫌悪感を覚えていたのに。誰も悪くない、誰も悪くないのではないか。
なんと真っ新な子供たちの悩み、気持ち、複雑だが何も変わらない普通のことだょ、と。
台風が去った後の晴天の中を、吹っ切れたように清々しく走る子供たちにじんわりきた。
坂本さんの曲もすごく染み込んできて、より一層じんわり。さすがです。
誰も悪くなくはないか。依里の父親だけはアカンやつや。
ドキドキした
シングルマザーとシングルファザー
この映画は、母親、教師、子供の3つの視点から事象を捉え、その真相を明らかにしていくという構成になっている。学校で起きたケンカをきっかけに、息子を愛する母親は、息子の主張を信用し、学校に対して猛烈に抗議をする、生徒思いの教師は、生徒がついた嘘からあらぬ疑いをかけられ学校を退職せざるをえなくなる、無邪気な子供たちは、秘密基地を作って楽しそうに遊んでいる、3者のそれぞれ異なる真実がわかることによって、観ているものは登場人物の敵になったり味方になったりする。
生活環境が似ている2人の子供の育ち方が気になった。シングルマザーが息子を育てる場合、父親のようになってほしいか、父親のようにはなってほしくないか、どちらかであるが、この映画では、死別であるためか、母親は息子にラガーマンであった父親のように男らしくなって、普通に結婚してほしいと期待をかけている。それが、息子には重荷になっていて、実際の自分は全く別人で父親のようにはなれないという自覚がある。仮に父親が生きていて子育てにも携わっていれば男らしくなれたのか、生まれつきのことなのでしかたがないのか、わからない。シングルファザーが子供を育てる場合、自分のようになってほしいと願う。しかし、思い通りにならない場合、どうなるか。この映画では、父親が息子に対して、体中に痣ができるくらいの暴力を振るい、「お前には豚の脳ミソが入っているという暴言を吐く、息子の憎しみは頂点に達し、ついには父親が通っているガールズバーのある雑居ビルへ着火ライターで放火する、という事態を引き起こす。
自分の思い通りにならない親の苦悩、親の期待に応えることができない子供の焦り、程度の差こそあれ、どんな家庭であっても、思い当たる節はあるはずだ。誰もがいつ怪物になってもおかしくはないのである。
映画でしかできない職人芸
こうあるべきという怪物
子どもの世界は大人の世界の写し鏡
残酷すぎて泣けて仕方なかった。
パンデミック後の世界。
この時代に生きる子どもたちと大人。
…そして少年のある感情の芽生え
彼らの世界が一番しっくり来た。
(そうは言っても大人から見た彼らの世界であり、彼らの目には別の世界が映っているんだろう。)
仕合せにはなれない。
子供ももうそれを解っている。
湊のアップ
今一瞬が美しいと、切り取る側も解ってる。監督も、脚本家も、カメラマンも解っている。気づいてないのは少年だけ。或いは気づいているのか…。
大人に変わるほんの一瞬の悪魔的な美しさ。是枝監督はそんな少年を画面にとじ込めるのがとても巧い!
幸福そうな映像や音楽(彼らの心象風景なんだろうか?)でいて、いきなり終わるような予兆もそこかしこにある。その刹那、儚さに涙が流れた。
薄日差す風景が度々映る。一見すると何も起きてはいない。町はいつも通りだ。
これは何を意味してるんだろう…。
あの廃電車
ワイパーのように泥を掻き分ける手や丸い模様。
子供の世界に大人が土足で入ってきた。
彼らは彼らの世界でもう生きている。
子どもは大人の写し鏡。
残酷な“今”に生きていかなきゃならない。
次世代に託すしかない大人側の責任をひしひしと感じる。せめて逞しく生きて行って欲しいと祈るしかないのか…。
楽器の音。あれこそ怪物の唸り声じゃあないのかな。
永山瑛太
ある面から見ると挙動不審に見えるが、別の面から見ると誰も気づかないような事に気づいたりする。
田中裕子
人間の年輪
年の功
擬似祖母
ラストシーンが強烈。
この締めくくり方はスゴい!さすが。
湊と依里の髪型、トレーナーがいつの間にかお揃いになっていた。
黒川想矢(湊)…心の揺れ、ヒリヒリするような演技が素晴らしかった。
柊木陽太(依里)…彼の演技は天性のものなのか?
火事で始まり、嵐で終る。
是枝裕和監督、坂元裕二氏、黒川想矢さん、柊木陽太さん、田中裕子さん、俳優の皆さんに拍手を!!
是枝監督はまた別次元に行った。
怪物ならぬ、怪作!
実写映画の限界を感じたが、同時に実写映画としての最高峰を感じた
何が言いたかったのか分からない。
そういうレビューを度々見かけました。
その通りだと私も思います。
一般的に、物語には二つの意味合いがあるのではないでしょうか。
一つは、命題の提示。
そしてもう一つは、その作品なりの解答。
例えば、友情とはなんぞやと問い、友情とはこれだと示す。
そこまで行って一つの作品だと私は思います。
この作品は、この作品なりの解答を示しません。
2時間という時間を使って、終始私たちに問いかけてきます。
怪物とはなんぞや、と。
ですが、これは仕方のないことなのではないかとも私は思います。
普段、アニメ、漫画などの二次元を好んでいる私からすれば、実写映画というものは情報が観客に伝わりにくいメディアです。
キャラクターの感情一つ伝えることだって、いくらでも誇張が出来る二次元に比べて困難だと言えるでしょう。
同じ2時間という尺であるならば、実写映画というだけで伝えられる情報は限られてしまいます。
けれど、ならばこその今作なのではないかと、私は
考えました。
中途半端に命題を提示し、中途半端に解答を示す。
そうすれば一定の完成度は保てたかもしれません。
けれど、敢えて命題の提示に全てを注ぎ込み、観た者に最大の爪痕を残す。
もしもそのような意図であるならば、これこそが実写映画という範囲での最高峰なのではないでしょうか。
勿論、自分で考えさせられるのではなく解答を示して欲しい人たちには無価値である可能性も存分に孕んでおり、そういった意味では全国放映の映画として欠点ではあるのかと思います。
私は考察も大好きなので個人的には命題投げっぱなし上等で星5をつけたいくらいですが、客観的にレビューをするなら3.5くらいかなと。
後、いくら考えても飴ちゃん食べるのだけはおかしくないです?
メタファ
怪物とは誰のことなのか
そして
観客はいずれ気付く
人ではなく
認識違いの隠喩なんだと
隠喩がいくつかあり
ストーリーのキーに
豚の脳→特異なものの象徴
うまれかわり→現状の環境からの脱出
鏡文字→逆側への思い
三つの視点
母親、教師、子供
の三部構成により
同じシーンでの行動の意味が
徐々に明かに
大切なものを守るために
登場人物がそれぞれ
嘘をつき
まずいことには
沈黙で蓋をしてしまう
その守りたいものの代わりに
差し出すものが何なのか
順番は意見が別れると思いますが
最後の生贄は
本作では教師でした
友達 〉学校 〉いじめ 〉保利
本作で核心を得たのは、
前半、死んだ目をしていましたが
後半は血の通った言動をみせた
校長の言葉
「誰かじゃないとつかめないもの
ではなく、
誰にでもつかめるものが幸せ」
と。
人の根っこの部分に触れる作品で、
教科書にはのっていない
社会の機微に溢れた作品でした
起こっている現象の意味を
読み解く力や知りかたが
身についていれば
自分や周りの人が
少しでも不幸を回避できるのに。
といつも外野が後から…
「怪物だーれだ」認知の歪みによって、誰しもが怪物になりうる
シングルマザーの早織、担任の保利、星川、麦野の子ども達2人からの視点から徐々に謎が解き明かされていく。
本作が面白いのは早織の視点に立てば、生気が抜けたような校長や、普通では考えられないくらいのおかしな学校の対応。とにかく先生達が気持ち悪くて、腹立たしかった。
それが不思議なことに保利先生からの視点で見ると、早織がまるでモンスターペアレントのように映ってしまう。「なーんだ、保利先生、普通にいい人じゃん、可哀想」ってなってしまう(しかし、学校側の対応には憤りを感じる)。
始まったばかりのあの不気味な感じも、時間と共に少しずつ霧が晴れていく。
保利先生、校長先生がここまで違うのは、見る人の視点によって全く違うということを表現してのあえて誇張しての演出ではないだろうか。前半の保利や校長は早織にはそのように写っていたと。
それぞれのシーンがそれぞれの視点でこんなにも変わるのかと、その構成や演出に唸らされる。
その人の視点によって人は誰しも“怪物”になるし、“怪物”として他人から映ってしまうのだ。
そしてもう一つのテーマとして描かれているのはマイノリティ、同性愛。このテーマをついに子どもに持ってきたかと!!とはいえ、最近このテーマ扱い過ぎでお腹いっぱい感はあるけれど。
私が思う本作の1番の魅力は、一つの答えがないところ。
結局のところ放火犯だって、校長が孫をはねたことだって、作文の頭文字の言葉の続きも、星川くんのお父さんのことも、そしてラストの2人の行方も、答えはない。全て観る人の想像に委ねている。
余白を沢山作ってくれることで、私たちは沢山想像して、作品について考え、語り合うことができる。
それにしても、田中裕子の名演にはあっぱれだ。冒頭の不気味な顔や、音楽室で管楽器をレクチャーするシーンとかめちゃくちゃ痺れた。表情で語るとはまさにこのこと。
息を呑むほどの諏訪の景色も美しかった。
そしてエンディングで流れる坂本龍一さんの美しくドラマティックな音楽に涙が流れました。
巧みな演出にぐいぐい引き込まれた2時間だった。
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