怪物のレビュー・感想・評価
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怪物って誰のことか。。
タイトルなし(ネタバレ)
私が見えているものなんて私の感情でしか作られない。誰かを可哀想な人や悪者にするときに思わなきゃいけないのは、それが全部私の気持ちだけで作られたものだということに自覚を持つことだ。どんな物語だってそう、悪役には悪役の正義がある。みんな自分を守りたいしそのために誰かを責めたい。映画を見てる私が怪物になっていたと、観終わってから自覚する。誰かを悪者にして怒りをぶつけるのは簡単だけど、全部は知るところから始まりたい。許すことも許さないことも、信じることも諦めることも。私には、どんな事情でも受け入れる覚悟と、知る勇気が必要だと知った。人のままならなさ、報われなさ、わかってもらえない悲しさを抱えながら、それぞれに大切なものがあり、それを守るのにどうにも必死で、自分の大切なものだけは、それだけは守られますようにと、登場人物の全員が思っていたと思う。それが他人なのか、自分なのか、そこで生き方が変わってしまう。この映画一本から、自分が向き合うべき対象がいくつも浮かび上がって、何にここまで心を震わせられたのかと一言では説明しづらいほどの濃密さだった。まだしばらくこの映画について考えると思う。でももう二度とこの映画を「初めて観る時」には戻れないのが悔しい。できるなら何度でも、初めてこの映画を観たい。
他者としての子供、発達障害、同性愛
2023年。是枝裕和監督。小学生の男の子の様子がおかしくなっていくことを巡って、シングルマザーの母親、担任、校長など大人たちの思惑がすれ違っていく様子を淡々と描く。「他者」(今回は子供)を中心にしたわかりやすくない話をわかった感じに仕立て上げるのは是枝監督の真骨頂。
子供たちの世界への誤解、その誤解が大人たちの世界に投げかける波紋を描いた後で、中心となっている子供たちの世界が描かれるという謎解き構造。謎は医学的な名称とすれば発達障害と同性愛ということになるのだが、もちろん、そんな線引きは子供たちには関係ない。線引きがない世界を手探りで生きていたあの頃のことを誰もが懐かしく思い出すのではないか。もちろん、その世界は可能性とともに未熟な想像力やむき出しの暴力の世界でもあったわけだが。
わからない他者としての子供たちの姿が、発達障害と同性愛という「答え」がわかって安心がもたらされる。この安心感が最後の光となっているならば、わからないままの子供たちには安心できないということか、と思ってしまう。
お父さんみたいにはなれない
「うしろの正面だあれ」
タイトル「怪物」かぁ…。
私だったらこの映画、なんていうタイトルにするだろうか。
「怪物」、か…。
子どもたちが当てっこカードゲームをしていましたが、
もし「怪物」というカードを当てるとするなら、
それはどんな言葉で表していたのだろう。
知りたかった。
嘘をつく時って、
得てしてこういう時かもしれないね。
誰かを陥れてやろうって思ったり、自分を庇おうって思ったりして嘘をつくんじゃなくて、
理由なんてなくて、
なんかモヤモヤしてて、
それでつい、そう言っちゃったってことかもしれないね。
映画「せかいのおきく」
でも
この「怪物」でも
どうしようもない現実だけれど、友達がいたらなんとか生きていける
という希望の映画でした。
「せかいのおきく」では江戸のエコを題材に
「怪物」ではLGBTを題材に扱っていました。
今、やはり軍配が上がったのはLGBTだった。
人と人は分かり合えない。
色々詰め込みすぎな気もするが
面白かった。
演出は抜群によかったと思う。
母視点では、常にミナト君の読めない気持ちが終始あり、鑑賞者側は「自殺念慮があるのかな?」と思ってしまう。
学校側には心底イラついた。いや、飴食うなよ、それは演出としてもやりすぎでは?と思ったが、その部分は後で補完されたので良かった。
ホリ先生、マジで可哀想だった。飴玉シーンとかは真面目な故によっぽど追い詰められてたんだと思う。実際にこんな生贄の様な事はあるのだろうかと考えてしまう。噂話は時にその人の生活状況、人生を狂わせてしまう。誰にでもあり得そうで非常に怖い。
ミナト君and星川君、素晴らしかった。星川君はおそらく発達障害を持ち、かつ同性愛者。今作のキーマンは間違いなく星川君で、彼らの葛藤する様や、彼らを取り巻く環境、観ててヒリつく展開が多くて見応え十分。
ただ「ん?」と思うシーンもチラホラ。
•ミナト君の横に座ってた女の子は何故スポンジをミナト君に投げつけた?
•学校側は分かるが、何故子どももホリ先生を追い込んだ?(これもガールズバー疑惑の関係から?)
•結局いじめ問題、ホリ先生の今後や星川君の家庭問題など、課題が山程のまま終わってしまった事にモヤモヤ爆発感はある。
傑作ではあるだろうが、怪物は違うかと
怪物の正体
怪物の正体が誰なのか?は、鑑賞した各個人に依って異なるのであろう。
私は、事なかれ主義の世間と、事なかれ主義の個人、それとそれを取り巻く嘘だということだと感じました。
この映画は、3人の主観が少しだけ異なる時間軸で描かれています。
①主人公である、小学5年生の息子のお母さん
②小学校の先生、
③最後は小学5年生の息子さん。
怪物は、小学校のイジメっ子同級生、学校を守り嘘を突き通す校長、それと母に嘘をついてしまう主人公。
①のラストシーンから少しだけ先が②のラストシーン、②のラストシーンの少しだけ先が③のラストシーンでした。
但し、②のラストシーンが正しい時間軸だとすれば、③のラストシーンにならないため、③のラストシーンは別の世界なのかもしれない、と感じました。
おそらく普遍的なもやもや感
切ないけど子供の幸せを願いたい
ここで終わったら嫌だなと思うところで終わった。
でも万引き家族同様やっぱりか、、、という気持ちだった。
親も先生もそして子どもたちも視点を変えればみんな怪物だった。怖いなーと思う。
何が正解か分からなくなる。
安藤サクラの子供を守るために詰め寄る目が怖いし、田中裕子は血が通ってない感じが怖いし、瑛太は普通の良い先生ぽいのにあの彼女を選ぶというのはやっぱりなんか変だし、見てもないのに平気で嘘ついたり事実と違う事を言う子供も怖かった。
微妙な感じがよくお話になったなーと思う。
最後2人がどうなったかわからないけどそれもまた良くって、子供たちが笑顔で居られたらいいなと思う映画だった。
引き込まれた!
前半のフリの部分で「ん?大丈夫か」という感じだったが中盤から見事に展開していった。
ストーリーの要の子役の演技が素晴らしく、安藤サクラの存在感もフリに思えてくるほど。
怪物は誰なのか。
パッと見ではわからないが子供は多様性をもっていて大人が思っている以上に頭がよく敏感なのだと。
それをわからず単純なものさしですばすばと割りきって接していく大人全員が怪物なのだと読み取りました。
ただ観賞後主役二人(子供)の想像力がすごすぎる点を振り返ると、画一化されていない子供はこれはこれで上とは別の(かなりポジティブな)意味で怪物なのかもしれないとも思いました。
「怪物」は誰の心にも潜む
母親の目線、担任の目線、子供達の目線。
同じ時系列を3方向から見ている。
物語の余白が絶妙なバランスで、私の頭の中の点と点が線(糸)になり、最後には見事にひとつの錦絵になってゆく感覚。
真綿でじわじわ、心を締め付けられていく息苦しさと、人物描写の繊細さ。
エンドロール前の、一瞬の黒い画面に坂本龍一さんのピアノの音が1音なった瞬間、涙が溢れました。
この映画は、諏訪湖が何回か映し出されるのですが、夜景の灯りのない真っ暗な部分の諏訪湖は、誰の心の奥にもある闇、それはブラックホールのようで、美しくもあり、怖くもある。
生きている人間が一番怖いと、昔誰かが言っていた。
「怪物」とは、誰もが心の中に作り上げてしまうかもしれない、虚像なのだ。
怪物は自分
純粋と偏見
難易度が高すぎる令和版「羅生門」
「真実は藪の中」という言葉は日本映画屈指の名作「羅生門」の原作になった芥川龍之介先生の「藪の中」という小説のタイトルから来ている。羅生門のストーリーは多くの人もご存じだと思うのであえて語らないが、ある小学校で起きた些細な喧嘩の真相を「親」「先生」「子供たち」それぞれの視線で描いていくこの映画の手法は、まさに「令和版羅生門」であると言えるだろう。
この映画の中頃で、ある人物が話している「穿った見方」についてのシーンに注目した人は多くはないと思うが、私はそれこそがこの映画の隠されたテーマ「穿った見方(物事の本質)を見ることの大切さ」ではないかと思う。わずか数行のツイートや発言で人生が破滅することが当たり前になってしまった今の時代、ひとつの行動の裏に隠された本当の意味を見つけるのは非常に困難である。インターネット社会の今、正義と思った発言が別の誰かを傷つけ、傷ついた誰かを守るための発言がまた別の誰かを傷つけている。まさに現在人は、ある意味では全員が「怪物」であると同時に、全員が「怪物の被害者」になってしまっているのも事実である。
そして、そんな世界における唯一の未来はいまだ「何者」にもなっていない子供達である。そんな「何者」にもなっていない子供たちを「怪物」に育ててしまうかどうかは我々の手にかかっているのも明確の事実である。
長々と述べたが、本作に関してはとりあえず一回観てほしい。群盲象を評すの例えの如く、この映画は「藪の中」に隠された答えを手探りで探していくような映画なのだ。藪の中から鬼が出てくるか蛇が出るかは本人の人生観が大きく影響されるだろう。とにかく観終わった後は考察を語り合うのが楽しみな映画である。ただ一つだけはっきりしているのは主役の子役ふたりの演技はまさに「怪物」レベルだということだ。
虚言が誤解を広げてしまったのではないか
初めのうちは、不適格教師と事なかれ主義の学校の対応ではあるが、自分が中学校の初任で問題を起こしたときにも、学校からあのように庇ってもらっていたのではないかと感じた。「問題児」扱いされるようになる子どもの描き方が部分的で偏っていたので、その辺りから真実の予想はできた。自分自身も虐めを受けたり、からかわれたりするのが嫌だったし、教師として担任したクラスのなかで虐めを庇って被害者になる子がいたりした。本作では、女の子は庇っても虐めを受けていなかったのが不思議で、虐めを受けた子が女の子扱いをされてもおかしくないくらいの可愛さであったし、同性愛と捉える必要は感じなかった。永山瑛太氏や田中裕子氏それぞれの二面性のある演技は見事である。題名の予告編からの疑心暗鬼を招くような思わせ振りの割りには肩透かしを食った思いが残り、虚言が誤解を広げてしまったという表現で言い表せるのではないかという気がする。似たような設定の作品で、『きみはいい子』の方が、悩める教師が現実的な課題への前向きな踏み出しを感じたものだった。
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