怪物のレビュー・感想・評価
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変わっていく視点。
予想を裏切らない展開
大人の型抜き
怪物では大人が子どもに対して「こうなってほしい」「こう育ってほしい」「こうだからダメだ」みたいにある種の押し付けを行う。それは私たち観客も同様で、お母さんの視点、先生の視点、校長の視点、子どもたちの視点を知るにつれて、誰が悪者なのか...怪物であるのかを探ってしまう。どの作品においても、こんなストーリーになってほしいと望んでしまう。少なくとも私はそのように捉えている。それは見えているものからしか、考えることができない、相手を思うことができない人間の性だと思う。大人になると視野が広がったようで、実は狭くなってしまってるのかもしれない。
何気ない一言でも、子どもたちにとっては視野を狭めてしまう一言である。だからといって大人は慎重になりすぎる必要はない。ただ、子どもの考えや価値観をみんなの幸せの一つとして受け入れてあげる。
小説みたい
ラノベの悪影響
凝った構成ですが、エンディングは、、、
居心地の悪かった作品
脚本の出来、シンプルに悪いのでは??
観終わってまずの感想は、これでカンヌ脚本賞!??脚本の出来はかなり悪いのでは??というもの。
三幕構成で一幕ずつそれぞれの視点で見せる、「真相はそれほど単純ではない」形式とでもいうような、よくある形なんだけど、これが非常に雑に感じられた。
そもそもこの形式で魅力的な映画にするなら、人物自体の根本的なキャラクター性は一貫していないといけないし、伏線も張り放題なので意味を持たせる必要があると思う。
ところが……
◇主要人物である瑛太扮する先生が人格レベルで変わっている
1幕目と2幕目でいくらなんでも人として違いすぎ。視点が変われば人への見方も変わるというレベルじゃない。
特にこれ見よがしに高畑充希に「飴でも舐めて、テキトーに振る舞えばいい」みたいなことを言われるシーンが挟まれているけど、絶対に謝罪の場で飴舐めるような奴じゃないじゃん!
1幕目ではサイコパス野郎かと思って、ある種ワクワクしていたのに、超普通の人。それに対して受ける仕打ちが酷すぎて、ただただ可哀想すぎるよ。
特に作劇的に面白い人物でもないし、普通の人が超つらい境遇に貶められて、しかもなんのフォローもない話って、これは何を見せたい伝えたい話なんだ!?
◇ミスリードなのか意図があるのか、よくわからない伏線ばかり
・ちょいちょい出てくる眼光鋭めで、猫について告げ口する女の子は何がしたかった?みなとくんが好きだった?作中で語られなすぎて意味不明。
あと、猫については、あの状況で女の子はどうやって知れたの??
・よりくん、学習障害とか広い意味で発達障害を匂わすような描写が多々あったけど、その設定必要あった??結局、中村獅童の教育的虐待が向いているのは、ゲイであることだったんだよね?
・田中裕子全般、意味ありげなキャラクターとして出てくるけど、シンプルにどクズなだけだよね??なぜ深い思慮ある感じで吹奏楽を吹くシーンを??全然深くねーだろ!
樹木希林もそうだったけど、是枝作品の高齢女性が語れば深い、みたいなのが個人的に嫌い。
その他、
・金魚はなんか意味あったの?
・高畑充希は単なる貢がせ女だったの?
・なぜあそこまで安藤サクラは息子に話を聞かないの?
・ガールズバー云々の件全般、必要だった?
・小2のとき?の担任の先生はなんだったの?
・靴の踵を踏んでいたりネグレクトを受けてそうなのに、よりくんの家はなんで綺麗なの?別にネグレクトはされてないの?
とかいちいち気になって、なんか入り込めなかった。
怪物だーれだって、誰しもが怪物って見せたい映画なんだろうけど、
・いじめっ子
・中村獅童
・田中裕子
の描かれ方が雑すぎるうえにシンプルにわかりやすくクソだから、いやいや怪物はこいつだよ!ってなります(次点で安藤サクラ)。
そのくらい浅い見方を許す程度には、ディテールの描き方が雑。いじめっ子なんか、昭和ファンタジーの描写みたいだよ。
あと、坂元脚本✖️是枝監督のそれぞれの良さが微妙に噛み合ってない気がしたのが、子ども2人の年齢設定。妙に10歳程度の子にしては、悩み方や発言が大人びていて、是枝さん最大の武器?である子どもの自然さが本作では損なわれている気がしました。
そもそも社会派を気取りたいのか?賞レース的に狙ってなのか?ゲイを主テーマにして案の定?クイア賞も受賞していますが、それほどそこに真摯な想いを持った作品には感じられませんでした。
観終わってから是枝さんの発言が一部で炎上していたことを知りましたが、日本映画でももっと誠実に取り上げている作品はありますよ。『彼女が好きなものは』とか素晴らしかったもんね。
とはいえ、観て損したと思うような駄作映画ではないですし、船場吉兆ギャグかましていた1幕までは面白かったです。
この映画はいろんなテーマを盛り込みすぎてゴチャゴチャになっちゃっていましたが、もしそのタイトルのテーマに惹かれる方がいたら、吉田恵輔監督の『空白』を激推しします。
見終わり感がなぁ。。。
観客の心の中にも怪物は潜んでいるのかも知れない。
3部構成になっている。
最初のパートでシングルマザーの安藤サクラがこどものいじめ問題で学校に乗り込む。担任や学校の対応は責任逃れのようでイライラする。
ところが次のパートで担任や学校側の目線になると、まるで違って見えてくる。担任はそんなに悪い先生ではないし安藤がモンスターペアレントのように見えてきさえする。見る視点により色々に見えるということだ。だから物事は色んな方向から見る必要がある。
そして最後のパート。子供の目線だ。こどもが嘘をついていた。先生のせいにしたのは誤魔化したかったからではなく母を気遣ってのこと。結局、校長が1番の理解者だった。
思い込みでものを見るという事はかくも怖いことなのか?観客の心の中にも怪物は潜んでいるのかも知れない。
黒澤明監督の🎦羅生門にそっくりだった。🎦羅生門も心に訴える怖い映画だった。ホラーという意味ではないですよ、念のため。
怪物とは?って思いながら
映画のタイトルの怪物とは何のことだろう?って思いながら鑑賞。
見終えたあとに答えを委ねられ、考えさせられるやつでした。
それゆえ、見たあとにあー!面白かったー!みたいな感じにはならないけど、
映画は面白かったです。ずっと集中して見れました。
坂元裕二の脚本はやはり面白い。
子供、保護者、教師、全ての視点から世界を見て、やはり物事には死角、見えない景色があるものだと考えさせられる。
場合によっては自分も怪物になり得ることを知る。
本当に表面だけでは分からないことがきっとあるんだろうなって…
こんなん、リアルな人生においては難しすぎる問題であることは確かなこと。
ただ、それぞれが表面に見える物事だけで決めつけてはいけないということ
自分で確かめることの大切さだけは忘れてはいけないなと思いました。
子どもがキラキラしてる、のは素晴らしい。
映像も綺麗。展開も気になる。その都度描写に釘付け。俳優人たちの演技の不気味さ、不可解さなども注目して惹き込まれていきます。全体的に評価が高いのはとってもうなづけるのです。ただ…いつもわたし是枝監督の作品は、テーマの取っ掛かりは、本当にずば抜けていると思うのだけど、展開やら落としどころには…正直いつも何とも言えないモヤモヤを感じてしまう。今回の作品も前半はおお!となるものの、中盤辺りからの展開ごとにご都合主義の発展?おいおいそりゃ無理がないかい?と突っ込みたくなる衝動が頭の中でざわざわ渦巻く感じになっていく。これはこれでいいのでしょうけどね。最終的にはミステリーに誘導されてから、少々肩透かしをくらった感。
ただ毎回この方が作る作品として思うのは、子どもの描き方が上手い!いつだって子どもたち目線のキラキラした世界の映り方がうつくしい。心が曇ったり、戸惑ったり、動揺が隠せない衝動が突発的に行動へ出てしまうところ。言葉を上手く表現できないで自分の中のもどかしさみたいなものと戦っている感じ。中ぶらんな年相応の成長が見事に描かれている。うんうん、わかるわかる、苦しいよね、みたいな共感が自然体でじわーっと心に沁みてく感じ。それを観るだけでも十分な評価を得られるんだろうな。
なんだかんだ管を巻きましたが、それでも再度見てみたい衝動に駆られる気持ちもあるから、やっぱり引き込む力は十分にある作品。坂本龍一さんの音楽がまた素晴らしかったです。
かいぶつだーれだ。
子が担任から体罰を受けたと学校に乗り込む母親、その担任の先生、そしてその子供の群像劇。
三人の目線から”かいぶつ”とは何なのかを考えさせられる話。
人間味の全くない対応をされて、隠蔽することしか考えていないような学校に憤慨する母親。
新任で右も左も分からず身に覚えのない体罰を言われ、弁明もできないまま暴走する先生。
クラスでイジメがあるけど立場が危うくなるから何も言えず、しかも誰にも言えない秘密を抱える少年。
多様性という言葉が広く聞くようになった最近。
相互理解が大切だ!と頭では分かるけど、映画を見て、三人のような当事者の立場になったら難しいと思う。無自覚の偏見や差別を抜くのは困難。
観てるときに自分自身が”かいぶつ”になっていたくらいだし。
本当のことを互いに言い合い、理解し合えたたら誰も傷つきはしなかった。
でも言えない空気感。言ったら壊れてしまう信頼や世間体。ほんの少しのすれ違い。それが募りに募って、嵐のような”かいぶつ”となって全てを破壊した。
だから最低限できること。
それは相手の話をフラットに聴き、そして自分の先入観に自覚することだと思った。めっちゃ難しいけど。
ゲーテの言葉で「世の中のいざこざの原因となるのは、奸策や悪意よりも、むしろ誤解や怠慢である」がこの映画にぴったり。
誰でも得られるものこそが”幸せ"?
是枝作品なのでエンディングがこちら側に委ねられるのは予想通り。でも、それ以外は凄かった!ずっと「うわ、やられたー!」と思いながら観てた。
火事をトリガーに母親と先生と子どもたちのそれぞれの視点から一連の過程を振り返っていくことで、事実がいかに曖昧なものなのか、人間の複雑な多面性、何気ないセリフに散りばめられていたトゲの存在、社会の醜悪さ、そんなものが湊、依里パートでぶわーっと見えてくるのは圧巻としか。
物語では3人の視点が中心だけど、やる気の無さそうな校長先生にもまた校長先生だけが抱えている事実があり、保利先生に猫の死体の話をした女の子にもまた彼女なりの事実があるんだろう。
校長先生の「誰でも得られるものこそが幸せ」は世間一般的には「普通」って呼ばれるやつではあるんだろうけどもその「普通」のことができない人間には堪らない。このセリフにあらゆる理不尽が凝縮されてたように思う。
観終わってからずっと「怪物」とは何なのかを考えている。彼らの親のことなのか、学校なのか、この先待ち構えている不寛容な社会のことなのか、彼と自分を守るためにどうしようもなくなって些細な嘘をついた湊のことなのか、宇宙人と呼ばれるほどにピュアな依里のことなのか、それとも物語が進むごとにコロコロと見方を変える私のことなのか。
やはり是枝作品は容赦なく回答をこちらに委ねてくる。
人は主観でしか物事を見れない。
人は主観でしか物事を見れない。
時折耳にするが、日頃そこまで意識することのないこの言葉を強烈に突きつけられる。
母親が学校の教師陣を問い詰めるシーンで、教師達の杜撰な対応に、母親が理解に苦しむような目を向ける場面。視点を変えて処世に付き合わされる若い教師が何かを読み上げるように謝罪を述べる場面。それぞれの主観に立つと見事に感情移入ができてしまう。
一見まごう事なく悪に見える学校側の隠蔽も(もちろん許されることではないが)、過去の経験から見出されてしまった結論である。
そんな出来事の中心にいる少年たちが、宇宙の未来について話す場面がある。宇宙は膨らみ続け、いつか破裂して時間は巻き戻ると、例えを挙げながら軽口のように話すが、身の回りの重い現実を、宇宙が始まってから終わるまでに起こるある種の自然現象のように捉えたような視点。
そんな達観したような一面を持ち合わせながら、良いことも悪いことも、懸命にもがきつつ経験していく姿が尊く映る。
怪物とは何か、、
最初予告見た時、なんかホラー的なものかと思って見ようと思ってませんでしたが、後から思っていたのと違う系統だとわかって見に行きました。
映画は3人の視点で構成されていて、
最初は湊の母、湊の担任保利、そして湊となっています。
作り的には、湊かなえさんの本と似てるなあと思いました。それぞれの視点で見ることにより、実際はこういうことだった、というのが見えてきます。
前触れもなく、月日が戻るので、見ていて、あれ?となりましたが、それは一瞬だけでした。
●湊の母
湊の水筒から泥が出てきたり、怪我をして帰ったり、僕の脳は豚なんだと言い出したりするので、問いただすと、先生にやられたという。
クラスメイトの依里の家に聞きに行くと、湊の片方の靴があったりして、湊が貸してくれたという。そして学校で湊がいじめられてると思い、真実を確かめるべく学校に行くも、先生も校長先生もただすみませんと謝るばかりで、気持ちもなく、何もわからない。
ある日家に帰ってこない湊を心配して、依里に聞いて秘密基地の場所へ迎えにいく。その帰り道、湊は走っている車からドアを開けて飛び降りる。
母は湊が自殺しようとしたと考え、先生を辞めさせるように動いていく。
そして全てが終わったと思った嵐の日、湊の姿は消えていた。
母にとっては、学校そのものが怪物だった。
● 保利
担任になったばかりの新米教師で、自分の小学校の時の作文を読んだり、子供達に少しでも馴染もうと頑張っている。ある日教室で湊がクラスメイトの体操着を投げて暴れていた。依里は上履きを隠されたりトイレに閉じ込められたりして、湊がいじめてると思うようになる。
そして、湊の母が乗り込んできて、自分が湊に暴力をふるったとか、暴言を吐いたとか身に覚えのないことばかり言われる。校長や先輩の先生方には、こういう対処はまかせておけ、とりあえず謝れと指示される。ガールズバーに行ってたという噂も立ち、学校を辞めさせられる。
保利は週刊誌の誤植を見つけるのが趣味で、ある日未添削の生徒の作文を何気に添削して、湊と依里の関係性に気づいて家を飛び出していく。
保利にとっては、湊の母や先生たちが怪物であった。保利を信用できなくなって、自分の対面を気にして、離れていった彼女もまた怪物かもしれない。
●湊
湊のクラスでは依里に対するいじめがあり、自分に飛び火するのを恐れて、学校では庇えなかった。でも外では、依里は自分の知らないことをいろいろ教えてくれて一緒にいるのが楽しかった。
壊れたバスを秘密基地にして、2人だけの時間を楽しんでいた。
依里は父親から虐待されていて、「お前は豚の脳みそだ、病気なんだ」と言われ続けていた。
一方湊は、母から「お父さんのようにかっこよく生きて、結婚して子供ができるまで見守ってるから」、先生からは「男だろ」と言われたりして、当たり前の生き方というものに反発を覚えていた。
父は実は浮気相手と一緒に事故で死んだのに、それを無かったことにして母は正当化していた。
2人は似たような苦しみを持っていたのだろう。
依里が豚の脳なら自分もそうなんだと自ら追い詰めていく。
依里は父親がガールズバーに行ってることを知り、そのビルごと燃やしてしまおうと火をつけたように思わせるシーンもあるが、これはどっちだったのかな。
死んだ猫を湊と葬るシーンがあるので、それだったのかも。
湊にとっては、母や先生、依里にとっては父やクラスメイトが怪物、そして自分自身もまた怪物だったのかもしれない。
夜帰らなかったのも、単に依里を待っていただけで、母が迎えにいた時、その後ろに依里もいたが姿を隠した。でも帰りの車の中で依里からの着信があり、まだそこにいると思って車から飛び降りたのだった。
ラストは、湊と依里が嵐の中バスの秘密基地から脱出すと、青空が広がっている。草むらに駆け出す2人は心から笑っている。
死んでしまったのか、それとも現実なのか、、
もし生きていて、依里が祖母に引き取られたとしたら、湊と離れ離れになってしまう。
心の支えがいなくなってしまったら、2人はやはり現実に耐えられなくて死を選んでしまうかもしれない。
物語り過ぎない群像劇の成功作。
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