怪物のレビュー・感想・評価
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見えたもの見たいもの
心の「怪物」とは?
自分が見えたもの。その全てが真実なのか?
観るものに問いかける。
モンスターペアレント、暴力を振るう教師、体裁のみ取り繕う教師、火に油を注ぐメディア、人と違うことへの偏見、それぞれにはそれぞれの側面がある。そしてその見え方は人それぞれの視点によって違うことを痛感させられる。
人は不条理を感じ、怒り、誰もが(自身の)思いを語ろうとするが、そこには真実という言葉はなく、ただただ人の澱んだものを吸い込む何かが存在する。
その澱んだ大人たち(社会)の中で彼のためになるのなら、前に進むことを誰が咎められようか?その結果がどうなろうとも。そのことに気づかされた時、何を願い想うんだろうか。
物事に対してその想いを観た人たちにも持つことを願わずにいられない。
怪物だ〜れだ
是枝監督一流の子役演技指導術や家族の描き方と坂元さん特有の一筋縄ではいかない恋愛観がとても最高な化学反応を起こしている映画だった。
映画の形式としては火事から子供達の失踪までを3視点から描く羅生門形式である。
そして、最後の答え合わせとなる子供達視点はかなり衝撃、というか予想外の所からきていて不意をつかれた。
怪物とは誰のことだろうか。
母親も先生も決して悪い人ではない。しかし、無意識に自分の価値観や思い込みを持って子供達に接する。
自分の息子が異性が好きだと信じて疑わない。
もし母が子供からカミングアウトされたらどうしていただろうか?星野君のお父さんみたいに豚の脳と言って罵っただろうか?そんなことはないと思う。子供達も誰かに話せば認めてくれたかもしれないのに話さなかった。
どうすればよかったのだろうか。
最後の解放をハッピーエンドと捉えるのかバッドエンドと捉えるのかいまだに整理がつかない。
すきだけど、少し残念なところもある
この映画に対しての違和感は演出の過剰さのみです。少しだけソレは残念。全体的な評価でいけば、とてつもなく高いと思います。
ただ、序盤でのシーンでの先生の飴のシーンで緊張をほぐすために舐めていたのだとしても、社会人としてどうなの??と思ってしまう。
色々と気になるところは多いが、少し現実離れしてるように感じるシーンも多々あり気持ちが映画から離れてしまう感も否めません。
子役たちの演技はとても素晴らしいです。特に柊くんに関しては役を自分のものにしていて、物語にとてもマッチしている子役さんでした!!
あの子だからこそあの役を演じきれたのだな…と。
湊くん役の子もとてつもない存在感で未来の柳楽優弥の呼び声も理解できます。
またDVD発売したら、2回目も観たいなと思いました!
うーむ…
まず瑛太のキャラクターが安藤サクラパートと瑛太パートで違いがありすぎると思った。『いや、瑛太全然キャラ違うじゃん…それはダメでは?』と観ていて思ってしまった。途中のライターを点けるシーンや、2人で電車の窓を拭うシーンは良かった。
ただ、最後の子供達のパートがただの答え合わせになっているのが嫌だった。最も大切で観ている側が感じるパートだと思うけど『あぁ、あの時はああだったのね。この時はこうだったんだ』みたいな断片的な部品を埋めていくのに頭がいっぱいになって映画を楽しめなかった。
私は苦手…
先週は2つの上映作品を観た。そのうちに1つが監督・是枝裕和 × 脚本・坂元裕二 の「怪物」。私はこの手の映画はもともと苦手・・・。とくに是枝作品は苦手である。世間的には評判がいいのは知っているが、私の評価は星3.0。
坂元裕二さんの脚本もよかったし、ラストで流れる坂本龍一さんの遺作曲も素晴らしかったけど、私にとっての映画の時間は、エンターテインメントに限る。
とりわけ、制作者が鑑賞者に答えを委ねたり、あるいは作者の意図を理解してみろといわんばかりの、ややこしい映画志向は好きにはなれないのである。今回も行こうか行くまいか迷ったけれど、安藤サクラさんが観たくて行ったが、やはりお金出してまで観なきゃよかったと後悔をした。
いくつかのYouTube解説をみて、もやもやしていた大方のなぞ(フランケンシュタインと銀河鉄道の夜や)は解けたけれど、主役麦野湊の母(安藤サクラ)も担任教師である保利先生(永山瑛太)も全く救われていない、後味の悪さだけが私には残ったのだった。なので、世間になにを言われようとも、私の評価は低い。LGBTもめんどくさいわ・・・。やはり映画はスキッとしたエンターテインメントに限るなあ。
よく知らない理解できないものを怪物という
タイトルなし(ネタバレ)
それぞれに大切なこと、守りたいものがあって、そうすると見えなくなるものがあって、、
自分は分かってる、見えてる、なんて驕りでしかないんだなあ、、と自戒。
悪意だけでできている人はいないという希望と、自分ではどうにもできない不可抗力感と、、
とりあえず息子をもつ母として、ザワッザワしながら見ました!
解放感とアハ体験
この映画の弱点と感銘
(完全ネタバレですので鑑賞後にお読み下さい)
※本来の長いレビューを書く時間が最近ないので、短く
結論から言うとこの映画『怪物』は非常に感銘を受ける映画だと思われました。
しかし一方で、特に前半に欠点もはらんだ映画だとも思われました。
この映画は前半、映画『羅生門』のように、シングルマザーの麦野早織(安藤サクラさん)、小学教師の保利道敏(永山瑛太さん)、小学校校長の伏見真木子(田中裕子さん)のそれぞれの視点からほぼ明確に分かれて描かれます。
つまりシングルマザーの麦野早織の視点から描かれていた時は、小学教師の保利道敏や小学校校長の伏見真木子はどう見ても悪人に見えるのですが、小学教師の保利道敏や小学校校長の伏見真木子の視点から描かれると全く違う印象が生まれるという描き方です。
しかしこの描き方は、視点が変われば違う見方になるとの相対的な面白さはありながら、ドラマ性としての面白さは落ちてしまうとの欠点があります。
なぜなら、それぞれの視点で違う見方があるとの描き方をするには、それぞれの登場人物の直接対立を巧妙に避ける必要が出てくるからです。
事実、校長室でのシングルマザーの麦野早織と、小学教師の保利道敏や小学校校長の伏見真木子との直接の対決は、小学校側が謝るばかりで巧妙に避けられています。
実は私達は、人が集まればそこで(それだけではないのですが)対立が大なり小なり発生し、価値の優劣、つまり上下関係が派生します。
そしてこの対立こそがドラマ性だと思われるのです。
この映画『怪物』は、前半で巧妙に直接対決が避けられ、それぞれの(今回重要な)事実性の価値優劣上下関係が発生しないように作られています。
これがこの映画の特に前半のドラマ性の低下につながったと個人的には感じられました。
個人的には、前半は普通にきちんとシングルマザーの麦野早織と小学教師の保利道敏や小学校校長の伏見真木子と直接対立させる脚本構成の方が良かったとは思われました。
そうすれば後半の麦野湊(黒川想矢さん)と星川依里(柊木陽太さん)の2人の美しい世界がさらに際立つ傑作になったのではと思われました。
前半の事実性の優劣上下関係を避ける脚本は、個人的には作品全体としては惜しい描き方になってしまったとは思われました。
直後は何も語れない映画
事前の情報無しに観に行きました。観た直後(エンドロール)では「この映画は何を伝えたかったのか?何を感じさせたかったのか?」理解が追い付きませんでした。感想を言葉に出来ませんでした。※それは決して退屈な作品と言う事ではありません。
またエンドロールではじめて「あの先生って瑛太だったの」とわかりました。どこかの実力派舞台役者かと思ってましたがそれ程、瑛太は怪演でした。いや、みんな役者は素晴らしかったです。やっぱり是枝監督は「素材を活かすのが上手いな」と思いました。
自分の感想を整理出来ないまま、ネットやユーチューブなど様々な考察を見聞きする中で、徐々に整理され、考察を聞いてく中で映画のラストシーンを思い出して涙してしまいました。感性が低い人には理解は難しい映画ではないでしょうか。
ラストは
そーゆー事?先生と安藤サクラ、土砂崩れに飲まれた?
怪物誰だったんだろ。
怪物は真の中村獅童としか思えない 。
途中だれてつかれた。
瑛太のクズ役って右に出る者がいないのに、観てたらそんな悪い役じゃなかった
いじめっ子のガキがイライラした。特にのび太タイプの、見た目のいじめっ子って鬼畜そう
少年時代
子供たちが絡むいくつかの出来事、 誰の目線で観るかによって見え方が...
いつまでこんな事が続くのか。
傑作
公開日に観に行ってから今日までに5回観に行きました😅
最初は少し難しいと思い、考察を見るとなるほどそういうことかと理解することが出来ました。
そこから、友人とこの作品を共有したいと思い様々な人と足を運びました。
シナリオブックとノベライズを読んだ後の4回目が1番沁みました。
観終わった後にここまで語り合える映画は今までなかったです。
自分の中の邦画ベスト1になりました。
脚本、音楽、演技、全てが最高峰。
最初、保利先生はすごい先生だ、、、、と。
しかし2幕、3幕と進んでいくとどんどん視点が変わっていきラストシーンはとても切ない、けど愛おしい演出でとても好きです。
湊と依里のシーンはずっと観ていたいほど素晴らしい演技、雰囲気。
小5の難しい年頃の感情をうまく表現していてこの2人には拍手です。。すごすぎる。。
また、田中裕子さんのセリフも色々考えさせられました。
公開からだいぶ日も経って、本数も減っていますがまた行きたいと思います。
「怪物」 最高です。
怪物になれなかった子どもたちのために
「怪物だーれだ」という不気味な予告が印象的なこの映画は,1つの事件に多角的に光を当て,黒沢明監督の『羅生門』的な構成で進行する。1つの物事をさまざまな角度から見せられると,自分たちがいかに狭隘な視点で世界を見ているかを気づかされる。戦争が「正義と悪」という二項対立で片付けられないように,現象は簡単に割り切ることはできない。人は世界を自分の見たいように見ているという「認知バイアス」は誰しも心当たりがあるだろう。SNSの世界では特にその傾向が顕著だ。子供に体罰を加えたとして謝罪する教師(永山瑛太)は,母親(安藤サクラ)のいるその場で飴を口にするが,あの行為は実際に起こったのか,それとも母目線ではそういうふうに見えたのか。常識的に考えれば,謝罪の場で,教師が飴を口に入れ,噛み砕くことは(おそらく)ありえない。もしそのような脚本があれば「リアリティがない」として修正されるはずだ。しかしこの映画にはその「ありえないこと」がいくつも書き込まれている。さらに,教師の口調や態度もおぼつかない。下手な役者の演技を見せられているようだ。しかし,これらは母親には「そう映った」という認知の表現なのではないだろうか。「実際に起こっていないこと」も映画は描き出せる。幻や想像,過去や未来として。もちろん「認知バイアス」をその系で表現することも可能である。映画が終わっても,作品世界の事件は解決しないし,解釈は観客に開かれている。悪く言うと物語の構造は「ネグレクト」されている。多くの物語には起承転結があるが,この映画にはそれどころか着地点がない。だから見終えたあとにもやもやした気持ちで,劇場をあとにする人も多いだろう。本作は割り切れない現実のリアリティを提示しているように思える。そして,大雨警報の発出された夜に,子どもたちが打ち捨てられた電車に乗って新しい世界へと「出発」するラストシーンはまるで『銀河鉄道の夜』のように美しい。光の中へ駆け出す彼らは怪物だらけのこの世界から抜け出すことができたのだろう。それがどのような救済だったのかは定かでないが,『銀河鉄道の夜』の風景を想起させられた私はそこに死を読み取った。真実はひとつではない。物事を単純化することに警笛を鳴らす鉄道は,邦画の次元をひとつ繰り上げることに成功した。第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出され,「脚本賞」と「クィア・パルム賞」の2部門を受賞。脚本は坂元裕二。
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