怪物のレビュー・感想・評価
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怪物になれなかった子どもたちのために
「怪物だーれだ」という不気味な予告が印象的なこの映画は,1つの事件に多角的に光を当て,黒沢明監督の『羅生門』的な構成で進行する。1つの物事をさまざまな角度から見せられると,自分たちがいかに狭隘な視点で世界を見ているかを気づかされる。戦争が「正義と悪」という二項対立で片付けられないように,現象は簡単に割り切ることはできない。人は世界を自分の見たいように見ているという「認知バイアス」は誰しも心当たりがあるだろう。SNSの世界では特にその傾向が顕著だ。子供に体罰を加えたとして謝罪する教師(永山瑛太)は,母親(安藤サクラ)のいるその場で飴を口にするが,あの行為は実際に起こったのか,それとも母目線ではそういうふうに見えたのか。常識的に考えれば,謝罪の場で,教師が飴を口に入れ,噛み砕くことは(おそらく)ありえない。もしそのような脚本があれば「リアリティがない」として修正されるはずだ。しかしこの映画にはその「ありえないこと」がいくつも書き込まれている。さらに,教師の口調や態度もおぼつかない。下手な役者の演技を見せられているようだ。しかし,これらは母親には「そう映った」という認知の表現なのではないだろうか。「実際に起こっていないこと」も映画は描き出せる。幻や想像,過去や未来として。もちろん「認知バイアス」をその系で表現することも可能である。映画が終わっても,作品世界の事件は解決しないし,解釈は観客に開かれている。悪く言うと物語の構造は「ネグレクト」されている。多くの物語には起承転結があるが,この映画にはそれどころか着地点がない。だから見終えたあとにもやもやした気持ちで,劇場をあとにする人も多いだろう。本作は割り切れない現実のリアリティを提示しているように思える。そして,大雨警報の発出された夜に,子どもたちが打ち捨てられた電車に乗って新しい世界へと「出発」するラストシーンはまるで『銀河鉄道の夜』のように美しい。光の中へ駆け出す彼らは怪物だらけのこの世界から抜け出すことができたのだろう。それがどのような救済だったのかは定かでないが,『銀河鉄道の夜』の風景を想起させられた私はそこに死を読み取った。真実はひとつではない。物事を単純化することに警笛を鳴らす鉄道は,邦画の次元をひとつ繰り上げることに成功した。第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出され,「脚本賞」と「クィア・パルム賞」の2部門を受賞。脚本は坂元裕二。
ほんとっ「怪物誰だ~」
鑑賞し終わっって『なかなか~』ってまず思いました。
まずファーストカットで集中して観ないと、思わせられました。
緊張感があり重みがある画でした。
是枝監督は本当にうまい監督なんだなと思いました。
幻の光の頃は「何かイマイチ」って思ってましたが。
今の是枝監督は感覚的なところと、理責めのところがうまくミックスアップしてる感じがしました。
万引き家族が未鑑賞なので観ないといけないなと思っています。
良い脚本を活かす構成力。
丁寧によく考えられていたと思います。
時系列どうりでない構成ですが上手く纏めているので、わかりやすく違和感なくスッとお話が入っってくるのは監督の技だと思いました。
前半のケレン味のある感じから、後半の自然な感じ。
誘導もうまく色々と観客に考えさせるうやりかた。やりすぎると鼻につくかもしれないので、丁度のいいところを押さえられている感じがしました。
そういう演出的な部分もさるところながら、監督の特性なのでしょうか、子役がとても良かった。どういう指示を出してるのだろうと思いました。
どの役者とても良かったのですが、一番目を引いたのは瑛太です。
ホントいい役者。彼のあのなんとも言えないアンニュイ演技。素晴らしいなと思いました。
後半残り1/4くらいから「どう終わらせるのかな~」と思って観てましたが、終わってみて「この終わらし方しかないよな~」と思いました。こういうのって「なんだ結局これか」と思ってしまうことが多いのですが、この映画はスッと納得できました。
今の時代には刺さる内容で、とても悲しいです。
こういう内容は映画の題材になりやすいので、
その目新しさは無いのですが子供でやってるところが『なかなか~』と思わされました。
時代と噛み合ってて『これだけの映画そりゃ賞取るよね』と思いました。
悲しい映画です。
少し経ってもう一回観てみたい気もします。
是枝監督の限界
カンヌ国際映画祭パルムドール受賞等など、輝かしい実績を誇り、今や日本を代表する映画監督といえる是枝裕和監督の最新作ですが、私自身は、これまでの是枝作品で満足感を得たものはありませんでした。どれもせいぜい半径500m圏内の出来事をこじんまりとまとめていて、映画館で観る映画としてのスケール感が圧倒的に乏しく、深い奥行きと広大な立体感がしないという感想を抱いてきています。
残念ながら、世評極めて高い本作も同様の印象を持ちました。
本作は3部構成で、1部は母役の安藤サクラ視点の一人称映像、2部は永山瑛太演じる教師・保利視点の一人称映像、そして3部は息子・湊視点で描かれます。視点が変わることによって事象の事実関係の捉え方が全く異なるという、70年前に製作された黒澤明監督の名作『羅生門』に相似するコンセプトであることは、多くの方も言われています。
但し私が思うに、是枝監督が描きたかったのは3部の子供目線での真実の世界で、寧ろ全ての子供に根差す、無邪気な猟奇的残虐性を抉り出して曝け出すのが狙いだったように思えます。私には、世間から殆ど注目されなかったフランス映画『小さな悪の華』(1970年)に通底するように感じました。
大人を客観視して醒めた眼で眺め、諦観し、蔑視する。そして人の生き方に対しては、冷ややかで乾ききったアナーキーで孤独な価値観を感じさせます。でも、本作は、その原点を辿ったり、顕わに曝け出そうとはしません。ただ淡々と映し出すのみです。
坂本龍一の美しく、物悲しい旋律は、専ら人物の心が激しく動揺する時に奏でられます。その静かな曲調とはアンビバレントな使われ方で、観客に、歪曲した人の心を無自覚的に感じさせる効果がありました。
諏訪湖の周りにある、閉鎖的で、空気が重く澱んだ小さなコミュニティーの出来事を通じて、湖水、水道、雨、諸々の”水“で覆われ、”水“が全てを流していく中で、子供の心の深層を描いていると思います。
多くの人が絶賛している校長役の田中裕子の無気力・無感動・無責任の演技は、視点が変わる3部各編を通して唯一、一貫して不変であり、子供と大人の対峙、葛藤を子供視点で描く際の、大人の象徴として捉えられ、彼女こそ本作の真の傍観者であり、語り部として位置付けられているのではないかと感じます。
ただ、125分の間、メリハリがなくダラダラと日常が描かれる展開で、あまりにもテンポが緩慢過ぎます。そもそもクライマックスがなく、シーンの中にアクションも、ラブロマンスも、謎解きも、どんでん返しも一切なく、無論美しい自然描写もありません。観衆をワクワクドキドキさせる、或いは笑わせる、泣かせるといった映画的な娯楽要素が全くない一方で、映像としては寄せアップがなく、やや引き気味のカットばかりなので観衆にとってはドキュメンタリーでも観ているような単調な映像を延々と観させられるという、かなり退屈で、それでいて難解な映画、というのが私の率直な印象です。
子供の心、大人は知らず。ただそれだけの話し
子供はただ楽しくやっているのに、誤解した大人たちがいたずらに騒ぎたてる。
という映画。
これを凝った作るにしている。
観ていて冷めてしまった。
大人も子供も怪物ではありませんでした。
タイトルに引っぱられたが、、、
ゲイとして自分がこの社会で生きるということ
間違いなくゲイとして日本で生きる自分にとってオールタイムベストに入りこんでくるとても大切な作品になりました。
「海外の賞レースを狙って、あとは見る人が見ればいい」という映画や、当事者への気持ちに寄り添うと言いながらこういった関係性を好む人たちに消費させる事で興行を成立させる映画ばかりの中で、この国の閉塞さを支える根本的な全体の問題に絡め取られている一つの要素として当事者も当事者以外の人たちにも多くの人に真剣に見てもらうという覚悟と気迫をこの映画から感じ、まずそこに勇気づけてもらいました。自分の身を削って自傷的な表現をしてでも真剣にテーマに向き合う作り手の人たちに自分に関連するテーマを描いてもらうとこんなに心強く感じるんだな。
ラストシーンに関しても、自分が映画を見た時は全く「死んで理想の世界に行った」なんて思うこともなく、2人がこれからもずっと一緒に生きていくという2人の決断と覚悟を祝福してるようにしか見えませんでしたし、第二幕の母親と教師の様子を見ても、あの後に湊と依里の告白を受けても真剣に悩み考えてくれそうな雰囲気を感じました。
もちろん、取り返しのつかないことも、解決していないこともありますが、それを安易な形で映画の中に収めず2人の決断そのものが最も重要なことで、それを受けて自分たち大人はどうすればいいのかという問いを観客に渡す姿勢はとても誠実に映りました。
そして、監督や脚本家の2人もラストシーンに関して強い口調で「2人とも死んでいない」「最後に流れたaquaも坂本龍一が娘に送った祝福の曲で、そういった明るさをイメージして採用した」と答えていて、余白のあるラストシーンですがそこをはっきりとしてくれたことも嬉しかったです。もし、ここでラストシーンに関して「みなさんの想像にまかせます」とインタビューに答えていたら5点満点から3点に下げてしまっていたかもしれません笑
また、決定稿であるシナリオブックを読むと、時間の都合で削られた部分には自認や三幕目に関してさらに丁寧に掘り下げている描写が多くあり、ラストシーンもさらに明確に明るく描かれていたので脚本も買ってよかったです。当初、脚本家の方が構想して書き上げていたという3時間verのシナリオや映画も見てみたいとおもいました。
久しぶりにディレクターズカット版がどうしてもみたい映画に出会えたことがとても嬉しく、映画を観終わったあともこの映画に関する続報にワクワクしています。
ホリセンセイハイイヒトダヨ。
予告の「怪物だ~れだ」が頭から離れず、子供達に陰で酷いことする大人を探し当てるストーリーだと思い込んで映画館へ。正直これはやられた。
小学校で起こるある出来事を多面的に捉えた時、次々と浮かび上がる真実。何が本当で何が嘘なのか。一方通行で誰もが辿り着けない中、その答えを知っているのはもしかしたら私達観客だけかもしれない。母親、教師、子供達、それぞれが背負う生々しい痛みを感じながら嵐のクライマックスへ。
光の中を自由に走り回るラストシーン。この場面をどう解釈するかはこの物語をどう受け取ったかで変わってくると思う。不完全だけどここしかない、私は好きな終わり方でした。
子供達の演技の素晴らしさにただただ感動。本当の事が言えない世界でみんな必死で自分を守っている。そして誰の中にも怪物はいると思い知らされる。展開も早くて、私が今まで観た是枝監督の作品の中では一番良かったです。
是枝監督版のスタンドバイミー
レビューをざっとみたら、「視点を替えたら見え方が異なる。」的なのが多かったけど、そんな事を伝えたかった訳では無いだろう。タイトルが『怪物』なので、その正体はテーマになり得るが、じゃテーマ設定が余りにも一般的だ。怪物の正体は世間であり、普通という価値観だ。
真実なんてどーでもいい事なの みんなが思う幸せが本当の幸せなのよ、という校長のセリフがそれをよく表していたとは思う。それが本当にこの映画のテーマ?なら、じゃ切口をもっと斬新にして欲しかった。
・星野と麦野との関係性、性指向に目覚めるのが小学五という設定、LGBTQ的な取り上げ方。大事だけど切口にはなりにくい。
・学校の描き方、子どもたちの様子、イジメともはっきりは言えない関係性。中途半端で余りにも一般的、ステレオタイプ。
・母親像の描き方、あれがモンスターペアレントか? 私には全くそうは思えない。むしろ常識的で協力的。
・管理職 校長、教頭、の描き方も中途半端。管理職と市教委は利害関係が一致してるのでもっと一体的だし、保護者に対してあんなふうに冷たくはしない。
・担任の守り方、切り捨て方はもっと段階的で、じわじわ。担任を追い詰めて行く場面も中途半端。
私が思ったこの映画、監督のテーマ設定は、
・人が、子どもが育つとはどういう事なのか、です。そこには真実も正解も色々。だから関わる周りの人、大人も子どもも地域も、行政もマスコミも、丁寧に、ゆっくり、当人達を見守るしかないんだということ。
・現代社会においてそれはなかなかできないよ。だからこそ、[自然に帰れ]のルソーなんですよ。星野と麦野は最後の場面で大地を走り回ってた。目指すものを見つけた様に。周りの大人達が、もちろん、保護者、教員も、あれやこれやと口を出さなかったら、市教委や文科があれやこれやと口出ししなければ、マスコミが人を煽らなかったら、紆余曲折はあるだろうけど、二十歳になれば、まずまずの所に落ち着くのが子どもですよ。
私がこの場面は良いなーと思った所は、
・真実を見ようとしても、嵐で秘密基地の電車が倒れ、次から次へと泥が流れ込む。拭っても拭っても泥で汚れていく。でも、そこにポツポツと風穴を開けるのは人の手、瑛太とサクラ二人の手ではなく、雨粒であり、おそらくトローボーンとホルンの音、だからこそ怪物の正体は『バイアス』のかかった作為的な行為。「自然状態」こそが自立に導く唯一の方法。そう伝えたかったんだと思いました。
大人たちは「フリ」でしかない
凄いものを見たという気にはならないがクレバーな仕掛けを見たという気にはなる。驚きやワクワクはないけれど、へぇ、みたいな。
是枝作品らしい出来事を追っかけてくタイプのドラマではなく、羅生門方式の坂元脚本を使って、割とテクニカルな構成で描く、エデンの園なのか、誰も知らない知られてはいけない2人だけの世界。
ひとり息子が常軌を逸した行動に出始め、各セクションで怪しき人たちがうろうろ出てくるのだけど、結果的にみな大きな「フリ」で、中心に横たわってるのはボーイミーツボーイ。ちっちゃい子のファムファタールぶりがなかなかのもの。ただ、モンスターペアレント、子どもに向き合わない学校(死んだ目の)、この辺りが結果的に現代の記号・標本のようで、もちろん、それも裏から見れば、という視点が用意されてるのだけど、この構成ではあくまでフリ、になってしまうのがどうも。「こちらあみ子」みたいな壮絶な子ども時代ものを観ると、なんかゆるいドラマにみえる。それと、少年失踪の謎を別の角度から見ていくと、というパートに入っていくと、いろんな答え合わせにはなるのだけど、結局は大人は邪魔なだけじゃん、となるので、この複雑な構成は何か意味があったのか、と思わざる得ない。
隣に来ないような場所を予約したのに空席ほぼなしの超満員。左のおっさ...
怪物だれだ
是枝裕和監督・坂元裕二脚本・坂本龍一音楽。
間違いない実力派が組んだこの映画が面白くないワケがない。公開前から期待していた映画を、公開から少し遅れて鑑賞しました。
結論ですが、面白かった!!!
是枝監督が得意とする陰鬱だけど美しい描写、坂元脚本の魅力でもあるコミカルとシリアスの切り替わり・坂本音楽の恐ろしく繊細で引き込まれるような感覚。どれをとっても素晴らしかった。役者陣の演技も本当に素晴らしく、どの俳優さんもハマり役でしたね。内容が結構重い内容なので誰にでもおススメできるかと問われれば微妙ですが、少なくとも観ておいて損は無い傑作だったと感じます。
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夫を亡くし、女手一つで息子を育てる麦野早織(安藤サクラ)。息子の湊(黒川想矢)の怪我や奇妙な言動から「息子が学校でいじめを受けているのではないか」と疑った早織は、学校へ直談判に行くことにする。そこでの教師陣の態度や言動から、早織は更に疑念を深めていくのであった。
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数人の登場人物の視点から、学校でのいじめ疑惑について迫っていくという内容。最初に抱いていた印象が視点が変わるごとに塗り替わっていき、最後にとある人物の視点から描かれた描写を観ることで、これらの事件の真相が見えてくる。
物語の構成としては特別斬新なものではありません。昨年公開された佐藤二郎主演のサスペンス映画『さがす』も本作と似た構成となっていましたし、古くは黒澤明監督の大傑作『羅生門』(1950)だって、「複数の登場人物の視点から一つの事件を描き、真実に迫る」という構成の映画でした。
本作は構成が良いだけでなく、それによって描かれるストーリー自体の美しさが非常に魅力的です。現代的といいますか、今の時世に合っていると感じます。そしてラストの展開も、観客に対して最終的な判断を委ねているような、人によって解釈が分かれるような描き方をしているのも素晴らしいです。
テーマや内容は結構重い話ですし、前半は胸糞悪い展開があるので万人に勧められる映画ではないとは思いますが、多くの人にぜひ観てもらいたい傑作映画だったと思います。オススメです!
怪物だーれだ?
私が、映画を見て果たして誰だろう。。
誰が1番酷い事をしてしまったのか。。
色んな意見があると思いますが
ここは、星川依郷君の父親だと思う。
そして、校長の伏見。。
この作品は子役の彼たちやクラスメート
にとって
凄く良い映画になったと思います◡̈⃝︎⋆︎*
演技力もそうですが、
可愛いくて最高でした◡̈⃝︎⋆︎*
これからも、頑張って欲しいです。
とても、応援したくなりました!
幸せになる資格
「誰かにしか手に入らないものは幸せとは言わない。」
田中裕子演じる校長先生のこのセリフは、心の奥に突き刺さる。
彼女は「永遠に幸せになれない道」を選んだ。
その彼女にしか言えないセリフだ。
私たちは何かを望むとき、すぐに「資格」をイメージしてしまう癖がある。
手に入れるためには何かを差し出し、資格を得るのだ。
でも、差し出すものを私は何も持っていない、と確信することがある。
私はプロ野球選手にはなれないし、総理大臣にもなれない。
当然だ。それは認める。そういうものだ。
でも幸せはそういうものではないはずだ。もっと別の種類の何かだ。
「誰かにしか手に入らない幸せ」は「しょうもない」のだ。
これは、本当にそうだと思う。
「しょうもない幸せ」は目標にしやすい。
本当の幸せは、目標になんてできない。
そして「いつかやってくる可能性」は絶対に消えたりはしない。
ロジックを超えた田中裕子の怪演に、深く説得されました。
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