「登場人物たちの視点、そして鑑賞した私自身の視点から見た「怪物」の正体」怪物 スモーキー石井さんの映画レビュー(感想・評価)
登場人物たちの視点、そして鑑賞した私自身の視点から見た「怪物」の正体
本作は3人の登場人物のそれぞれの視点から本作で起こった事象を映し、我々俯瞰する者がひとつの納得する形に創られた作品。
是枝監督らしいしっかりと余白を残し、あれやこれやと想像させる作品となっている。
本作のタイトルとなっている「怪物」とは何かを考えさせられた。
息子の異変から学校や教師を「怪物」とする母親からの視点から始まり、
その息子がいじめの首謀者と疑い、やがて自分の職場や上司、はては世間そのものを「怪物」とする若き教師の視点、
そして思春期の誰もが経験する自分はおかしいのではないかと感じ、ひとり葛藤を抱える少年の視点、の順で物語はすすみ、とある事象をそれぞれの角度から映し出す。
視る人によって解釈は変わり、真実は人の数だけあるとはよく言ったものだ。
結末は映し方こそ清々しいもののハッピーエンドともバッドエンドとも判然しないストーリー。
ただ、私自身鑑賞後しばらくたって「怪物」とは何なのかを考えてみた。
それは紛れもなく映画館に刺激やら感動やらを求め、足を運ぶ自分自身こそ「怪物」なのではないかと。
本作では、3人の視点で紡がれることで、ある事象は実際はこうだったという
形に落ち着く。ただ、それすらも本当にそうだったのかと疑いたくなる。
無論、それがこの作品の良さであり、是枝監督作品の真骨頂なのだが。
予告編をみて、「怪物」というタイトルとコマーシャルのあおりで興味をそそられ、
有名俳優や監督、脚本家、そして作曲家が携わり、
更には映画祭で世界的にも高評価を得た作品だ。
私も例外なくこの作品はきっと自分を満たしてくれるものだと。
ただ、実際はそんな「刺激」あるものではない。
期待値が高かっただけに、拍子抜けした感はある。
それこそが私自身映画などの作品に過度な「刺激」を求める「怪物」に成り下がってしまったことの証左なのだと。
まるで劇中冒頭で起こるビルの火災現場に集まるやじ馬たちのようなものだと。