ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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これは映画で見たほうがいい
理屈なく面白い映画だった。感情が何度も揺さぶられたのがその証拠。原爆の要素をしっかり取り入れてエンタメに昇華している。見る人に視覚的に訴えるもいいバランスだと思った。見終わったあとにゴジラよりも痣のシーンが一番印象に残ってます。海神作戦も限られたリソースで必死に繋げていく様は映画ならではでよかった。最後に、轟音シアターは初だがこれもよかった。
怪獣映画だけじゃない!?
ゴジラ映画としての出来は様々なレビューや結果からもとても素晴らしい作品です。
それとは別に海戦映画として見ても非常に素晴らしい作品だと思います!
重巡高雄や雪風他駆逐艦の細部のデティールも秀逸ですがその艦達があれほどヌルヌル動く(褒め言葉)日本映画として見ても珍しい作品だと思います。
凄く面白かった!……それだけに-1.0点!!
ゴジラシリーズ9割方観賞済み。
山崎貴監督作も8割方観賞済み。
好きな山崎監督作は『バラッド』と『ヤマト』
本作も予告発表以来公開を楽しみに待ちつつ、公開初日に観賞。
結果ドハマりし、現在までモノクロ版含め6回観賞しました。
それほどまでに本作は面白く魅力的であり、それは興収と海外公開での高評価が証明していると言えるでしょう。
第二次大戦敗戦直後の日本にゴジラが現れ、元特攻隊の主人公が、なけなしの戦力や船や幻の飛行機を駆使してこれに立ち向かうと言うアイディアを、2020年代のVFX技術を駆使し、キャスト陣の熱演と共に大迫力の映像化を成し遂げたことは、ただもう素晴らしかったとしか言いようがなく、間違いなく全ゴジラシリーズの中でも5指に入る傑作と言って間違いありません。
中でも、独創性と説得力と時代設定と映像栄えと主役の活躍という条件を全て満たした『海神作戦』は見事としか言いようがありません。
……しかしながら、一部の方々の本作の感想でも散見されるように、VFXを駆使したゴジラや艦船パートに比して、キャラのみで繰り広げられるドラマパートに対し見過ごせないレベルの引っかかりを覚えたこともまた、他が素晴らしかったがゆえに気になるのも事実です。
セリフや演技が大仰で棒読みとの意見も散見されますが、自分的にはキャスト陣の他作品での功績を鑑みるに、ドラマパートの演出や脚本に要因がある気がしております。
中でも特に自分が気になったのは二点。
◆〈敷島のキャラ造形と特攻に対するスタンス〉
◆〈ゴジラ銀座襲撃前の一晩〉
……です。
まず◆〈敷島の特攻に対するスタンスとキャラ造形〉についてですが、映画冒頭でゼロ戦から降りた敷島の橘との会話などの様子を見る限り、彼は極めて冷静で自覚的・確信犯的に“特攻”を拒否し、大戸島に降り立ったものと受け取れます(少なくとも自分には)。
あの滑走路に爆装したままのゼロ戦ですんなり降りたてたことからもそれは伺えます。
ということは同時に敷島という人物が、あの時代にしてはとても先進的な価値観の元、冷静かつ打算的な判断力を持って、仲間と共に挑んであろう特攻より生を選び、その結果を覚悟して行動している人物というような印象を受けます。
……この敷島のキャラ造形が自分には納得がいかなかったというか、そういうキャラにした脚本上の利点が見えない判断であったように自分には思えてならないのです。
もしも冷静に確信犯的に特攻を拒否するような人間ならば、後の呉爾羅に大戸島守備隊が襲われた際にゼロ戦の機銃を撃てなかった理由が『恐怖のあまり撃てなかった』から『撃ったら呉爾羅を怒らせて自分が死ぬから』ではなかったのか? という疑念が芽生えてしまいます。
特攻を冷静にボイコットできる男なのですから、その判断はあり得る話ですし、怖かったのと生き残る為の両方で撃たなかったのもありえるでしょう。
実際、敷島は呉爾羅襲撃後の夜明けに、大戸島守備隊の亡骸を前にしてもただ茫然とするだけで、撃たなかった(無駄であったとしても)ことで死んだ者への謝罪の一言もありませんでした。
自分はこれらの映画冒頭の描写から、敷島は生きる為にそういう冷静な判断ができる人間と認識したのです。
仮にその通りであったとして、あの時代あの社会あの年代でその決心に至るには、それなりのバックボーンというか理由の描写が必要な気がしますが、映画を見る限り、それは母から生きて帰えれ云々(その内容で当時検閲は通るのかな?)という内容の手紙を受け取ったから……という描写に僅かに特攻拒否の理由が伺えるのみで、実際のところは明確ではありません。
とはいえ、敷島がもし母からの手紙で特攻をボイコットしたならば、終戦後に東京の実家に帰還し、両親が死亡していることを知った際のリアクションは、もっと激しいものであるべきだと感じてしまいます。
母と父と生きて再会する為に、社会全体が後押しし、仲間と共に挑んだ特攻をボイコットした意義が無くなったのですから……。
しかし母の手紙と両親の死へのリアクションは描写こそされたものの、そこまで激しいとは言えないものでした。
そこから話は進み、敷島はノリコとアキコと出会い暮らしていくわけですが……。
ここでの敷島は、あのボロ屋内に赤ん坊のアキコがいるにも関わらず、一度ならず大声でノリコと口論したりしています。
普通のドラマでは、赤ん坊が泣きだすシチュエーションです。
その口論に乗るノリコも大概ですが、ここでの敷島は感情の抑えが利かない人間に見えます。
さらに掃海艇では口を滑らせた小僧に『それ本気で言ってるのか?』と凄み……。
また敷島家の新築祝いの席では、アキコには「お前のとうちゃんじゃないぞ」と言い‥‥‥ノリコとの関係を揶揄した小僧に対し『黙れ!』と凄みます。
(ついでに『海神作戦』説明回での「それで絶対にゴジラを殺せるんですか!?」発言も)
これらは敷島の態度は、PTSDとサバイバーズギルドの描写として評価が高いようですが、特にPTSDとサバイバーズギルドに関する事前知識を持っておたず、作中でそれらの症状がなんたるかの説明が特にない状態で見た自分からしてみれば、敷島は控えめに言っても嫌なヤツという印象を受けます。
またPTSDでサバイバーズギルドあったとしても、敷島が自身の憤りをぶつけたノリコやアキコや掃海艇の面々は、敗戦後の焼け野原の東京で敷島と同等のPTSDとサバイバーズギルドたりえる経験をした人間達であり、敷島だけが溜め込んだ心の傷を吐きだして良いわけでないと感じました。
それに本作での敷島のPTSDは、描写を見る限りではあくまでゴジラ由来であり、戦争が原因とは言い難くあります。
‥‥‥と同時に、戦後のこれらの感情のコントロールが出来ていない敷島の描写は、前述した冒頭の大戸島での敷島の描写で自分が感じたような、この時代で特攻を確信犯的に拒否するだけの冷静さを持つ人間とは、齟齬があるということになります。
そもそも自分が勝手に抱いた敷島のイメージですし、人間とは多面的なものですし、変化もするものなのですが……自分が猛烈な違和感を覚えたのもまた事実です。
それはキャラに一貫性や整合性が無いとも言えるのですから‥‥‥。
なかでも、〈海神作戦〉説明会後の掃海艇メンバーとの居魚屋シーンで、敷島が艇長に言った「俺の戦争がまだ終わって無い」というセリフは、名演ではありましたがその内容には大いに違和感を覚えます。
確信犯的に特攻を拒否した時点で、戦争は敷島自ら終わらせているのですから。
それに、敷島のPTSDは作中描写を見る限りはゴジラが原因であり、戦争ではありません。
戦争のPTSDとゴジラのPTSDとを、意図的か偶発的か分かりませんが、ごっちゃに描いてそう見た者に受け取られるのは、あまり良い事では無い気がします。
そしてこれらの敷島という人物の違和感や齟齬をふくめた描写が、本作を面白くすることには特に寄与してはいないと感じたのです。
……というより、作中の吉岡秀隆さん演じるガクシャの言葉を借りるならば〈最適解〉ではなかったのではないか? と思うのです。
自分なりの結論から言えば……。
“敷島は確信犯的ではなく、単に死の恐怖により思わず特攻から逃げてきた人間にすべきだったんじゃね?”
と思えてならないのです。
特攻の為に離陸はしたものの、土壇場で死の恐怖から大戸島に逃げ込んだ敷島が、それを激しく後悔する中で呉爾羅と遭遇、やはり恐怖で機銃を撃てずに生き残り‥‥‥。
恐怖ゆえに特攻しなかった後悔とPTSDとサバイバーズギルドを抱えながらも、アキコとノリコと出会い、共に暮らすことで症状が癒されていく中、ゴジラと再び遭遇し、銀座でノリコを失ったことで、今度こそ特攻で自分の死をもってしてゴジラを殺そうと思った人間にした方が、余計な引っかかりもなく共感できると主人公足り得ると自分は思ったのです。
このキャラ造形ならば、戦後アキコとノリコと出会って以降の敷島の数々のPTSD関連の描写も、仕方がないと納得がいきます。
また、特攻するつもりはあっても恐怖で逃げたというこの設定でいけば、敷島の「俺の戦争はまだ終わって無い」発言も納得できます。
するつもりはあっても出来なかった特攻をやり遂げることで、自分の戦争が終わると思うのならば筋が通っているからです。
また『ゴジラ-1.0』の根幹的テーマが「生きて抗え」ならば、最初から〈特攻拒否して生きる〉を選択した人間が、クライマックスでやはり〈特攻せずに生きる〉を選ぶ話よりも‥‥‥。
恐怖から特攻できず、ずっと特攻すべきだった=〈死ぬべきだった〉と思っている人間が、戦後のノリコとアキコと澄子や掃海艇の面々との出会いから、クライマックスの土壇場で(生きる)を選んだ方がカタルシスがある気がするのです。
そしてもう一つの◆〈ゴジラ銀座襲撃前の一晩〉で気になった点についてはシンプルです。
掃海艇VSゴジラの後、ゴジラが東京に向かっていると把握しているにも関わらず、東京に帰宅しても、住民はもちろんノリコとアキコに避難を呼びかけるどころか一晩過ごしてノリコを仕事に行かせて(その結果失って)しまうのは、違和感どころではない物語進行に思えます。
ノリコとの一晩のドラマをたっぷりと描きたかったのならば、ゴジラとの遭遇直前の掃海艇でのクルーとの『また東京を火の海にしたくない』云々や、ゴジラ遭遇後、横須賀病院での政府批判を交えた『東京の住民を避難させましょう』の会話を無くした方が良かったのでは? と思えてならないのです。
これらの会話で〈東京〉と限定するのではなく〈関東の太平洋沿岸部〉にゴジラが向かっている程度に情報をボカしておいた方が良かった気がしてありません。
(自分的には件のノリコと敷島の会話は、掃海艇VSゴジラの直前に終わらせることで解決したいところですが)
その他‥‥‥。
◆澄子初登場時、アメリカをすっ飛ばしていきなり敷島に怒りをぶつけたこと。
◆掃海艇で呉爾羅について敷島が語った時、海中で暴れている巨大生物が陸上でも動けて大戸島守備隊を壊滅させたことに驚かない海神丸クルー。
◆掃海艇VSゴジラでの一度目の機雷爆発後、初めてゴジラの顔を真正面から間近で見ても、特にリアクションが無い敷島ふくむ海神丸クルー。
◆敷島は映画前半でノリコとアキコによってPTSDから救われてゆく描写をもっと増やした方が、銀座での悲劇がより際立ったのでは?
◆〈海神作戦〉説明会での敷島の『それで絶対にゴジラを殺せるんですか!?』発言は「そうです」と答えられた場合は敷島はどうするつもりだったのか?
そのセリフはモブに言わせて敷島が『黙れ!』と制した方が良かったのでは?
……などなど細々と重箱の隅的に気になるところはありますが、最も気になったのは前述した二点です。
すでに特大のヒットとなり、スタッフ・キャスト人が暗中模索の中ゼロから生み出した作品に対し、後から完成品を見ただけの素人が好き放題に言うのは短絡的な行いですが、これがこの映画初見時に覚えた違和感を、6回目まで見た中でまとめた末の自分の感想です。
数多ある感想の中で、一つくらいこんな感想があり、ほんの僅かでも何がしかの形で今後の映画業界に寄与することを願います。
岡田斗司夫に押されて
【良かった所
・映像技術、街のリアリティ、物理演算
銀座をぶっ潰し人々が逃げ惑うシーンや戦車の戦闘シーンは、とても良かった。神木龍之介が乗る戦闘機によるゴジラを沖へ誘導する所で陸から海へ行くシーンでガクっと下に変な挙動をしていたがそれ以外物理法則が崩れている所は無かった。
・ゴジラの熱線の描写
大量の酸素を吸い込んだ後、熱線の着地とともにキノコ雲が上がる爆弾タイプは、シンゴジのビームとは違う良さがあった。
・神木隆之介君の演技
浜辺美波がぶっ飛んだ後絶望する所はなかなか良かった。
その他の人物の演技やセリフがクサイと言われているが、別に見てられないほどでも無かった。
シンゴジラの方が演技はキモい。
【個人的意見で嫌いだった所
・ゴジラの造形、生態
怖くない。
ヘビやトカゲ、ウサギにさえ見られる動物的な不気味さが目に宿ってなくただ無邪気に目的もなく目の前の物を追いかける可愛いモンスターで、
敵として見れない(シンゴジラのキモさと比べてしまうが)
ドラマシーンの謎の家族関係でない所と、あいまみあって全く対象に対する危機を感じない。
絶対にここ日本で駆逐しなければならない理由も薄く感じられ(世界的危機として認識され各国の軍隊が出動するシンゴジラと比べてしまうが)
ゴジラに対する憎しみも感じなかった。
ゴジラの生態(何がしたいのか腹が減ってんのかイラついてんのか遊んでんのか)について学者考えろよ!
誘導できるんなら、太平洋の中心で遊ばせて
各国、月に行くくらいのモチベーションで
ゴジラしばいた方が世界のリーダーくらいの方向でいけるだろ。
船のワイヤーとかがご都合主義かな
この監督はドラゴンクエスト ユア・ストーリーの時にドラクエという非常に楽しいゲームをめちゃめちゃに改悪した人だったので、もう手がけた作品を見るのは止めようと思っていましたが、山田裕貴さんが出ているので作品によっては良い演出のこともあり得るのだろうか。。?と、
少々時間があったため少しでも作品の良い所を探せるかどうか消極的な気持ちで試しに見て見ましたが、
やっぱり話の持って行き方が私には合いませんでした。
無理な監督はやっぱり無理って勉強になりました。
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ゴジラ系の映画では、
これまでにシン・ゴジラは見てます。
ゴジラとメカゴジラの作品も見た記憶が。
今回のゴジラ自体の強さは破壊出来る海軍の軍艦とか街並みの破壊具合によりよく分かるけど、そもそも時折上陸してくる理由がよく分からないし、
目の前に見えてるのに茫然と立ったまま見てる群衆もよく分からない。もっと逃げるんじゃないだろうか。
あと「銀座が襲われています」、のラジオで同居女性を助けにとにかく銀座に向かってしまうのは分かるけども、彼女は電車ごと持ち上げられ、川か何かの水中に落とされたわけだけど、その水からなんとか脱出したとして、そのあとあれだけの群衆の中に逃げ出していて何で見つけられるの??いくらなんでもご都合主義。
勤務先の会社の前なら納得するけど、命からがら逃げ出した場所がいくら銀座の中とはいえ大きな街。探し出せるとは思えない。主人公の同居人なら「偶然」会えるのはなぁってまずここで興ざめ。
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そして最後の駆逐作戦で、2隻の軍艦ではパワーが足りなくて引き上げられない、という時に、まぁ山田裕貴さんの最後の見せ場として複数の船が協力しにやってくるのはいいけど、
15〜20隻は来たでしょうか。その各船にワイヤーを縛りつけて初めて一緒に引き上げることが出来るというのに
車だってワイヤー出して引っ張る協力車に括り付けてって作業に多少時間必要なのに、海上の船どうしなんだから小船でも出すのか??ともかくあれだけの数の船に何で一瞬でワイヤー付けられたのか疑問。
一刻一秒を争う時に間に合うのか??深海から一気に引き上げることにより「水圧の急激な変化」を与えることで弱らせる作戦なんだから数分程度で一気に引き上げなきゃ意味無いのに、
15隻くらいがそれぞれ小船とか出して??「ワイヤー付ける時間」、端折りましたよね???っってここでも興ざめ。。ワイヤー付けてる間に水中からビーム出されたら終わりなのに、主人公達の闘う準備を悪役に待っててもらうって。。
神木隆之介さんがちゃんと脱出出来たり、同居人の女性があの爆風で飛ばされ怪我を負いながらもかろうじて生きていたという主人公補正は許容範囲ですが、
銀座とワイヤーについてはどうにも展開に無理が感じられて残念でした。
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あ、でも脱出出来た神木隆之介さん、あんなにビーム出す直前の、背中に放射能の青い光の状態のゴジラによって放射能汚染された海にパラシュートで降りてなんともないんでしょうか??
飛行機からパラシュートで出てもその放射能の海に降りて無事なのはやっぱり主人公補正し過ぎかな。
すみませんやっぱり脚本が無理かも。
うーーん、ゴジラは1度口からビーム出せば次撃つまでしばらくかかる、と吉岡さんが説明してた割にはわりとすぐ2発目撃つ準備してたし、
その監督なりのファンタジーは、ちゃんと設定の中で話を進めてくれれば「その巨体を維持するエネルギーは何を摂取して補給してるのか??」などの疑問も気にしないでいようと思いましたが。。
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また銀座とかあれだけ日本の街が壊滅状態にされて、ソ連への影響を考慮するとアメリカに刺激を与えられないから日本国政府として官での対応が出来ない?だから民間で頑張るしかない???いや、この設定も無理がある。自然災害でもゴジラでの災害であってもとにかく甚大な被害が出てるのに「今自国の軍隊は出せない」なんて言うんだろうか?
そしてゴジラの再生能力。もしや鬼滅の刃でも参考にしたの?っていうチート能力。。そんな存在だったかな?とりあえずキングギドラやモスラとかには再生能力無かったと思うので、なんだか無駄に強すぎてドン引き。
うーん、「なんだかなぁ~」という微妙な映画でした。残念。
敗戦の落とし前・・・
観終わってしばらくして、この映画を振り返った。これは日本の戦後、いや敗戦の清算なのではないか?特攻隊の戦闘機が整備不良でも整備基地にもどってくる。実際、こういうことは多く、特攻をできず、戻ってきたり不時着したりしていたと聞く。特攻で死ねなかった人たちは生き恥として、敗戦後まで隔離されていたようだ。山﨑監督は特攻隊の作品に取組んでいたのでそのあたり、調べていたのだろうと推察する。主人公は機体の整備不良で戻って来るが整備平たちからは嘘であると見抜かれている。しかし、整備兵たちはこんな臆病者を責めたりはしない。この描写はやはり戦争未体験者の表現だ。わたしも山﨑監督と同世代。父からも「天皇陛下万歳!」なんて叫んで死んでいっていない、と聞かされた。
突如、この基地はゴジラが出現し、隊は全滅する。主人公、gあ神木隆之介はここでも怖気づき、ゴジラに整備兵さちが殺されていくのを見ているだけ。
そんな生き恥男が主人公で物語は進んでいく。
ゴジラは戦後復興をとげた東京に現れ壊滅していく。この描写を見て、わたしはこれはアメリカ軍の日本上陸ではないかと思う。このフィクションをまだ戦争は終わっていない、日本はまだ戦っていないかの錯覚をもって見ていた。
ゴジラ出現に、アメリカ軍は一切、手を出さない。日本政府も何もしない。この時代はまだ自衛隊はなかったんだろうか?
ゴジラ退治はなんと民間人が対峙することなる。それも元軍人たち、兵隊に召集された有志たちで。立ち向かう兵器も旧日本軍もの。戦後、日本陸海軍などの兵器、軍艦などはアメリカ軍により没収され、破壊されている。そんな残された兵器を、どうぞご自由に~と渡されそれで戦いに挑む。それは、日本にアメリカ軍が上陸したら、おんなこどもたちは、槍で戦えと言う具合に。丸腰でゴジラに挑む、まさにこれは本土決戦ではないか!と思って見入ってしまった。過去の東宝ゴジラ、シン・ゴジラのように国、政府が立ち上がって化学兵器で立ち向かう路線とは一線を画すものになっている。
映画はそれまで、神木隆之介と浜辺美波の家庭ドラマが展開し、戦後どう生きていくかのストーリーが展開されていく。この有志団結成にあたり、戦闘機乗りであり、機銃も扱える生き残り兵として参加することになる。ここでこの生き恥特攻野郎は自らの敗戦の落とし前をつけにいく。ここを乗り抜けないと、戦争を終わらすことができない、のどにひっかかった棘をとるために。この描写は戦争体験者なら、自分が死ぬまで戦うストーリーになっていく。実際、そんな作品は少なからずある。ここは戦争未体験者ならではの視点である。
山﨑監督の時代、私も同じだが、多くの戦争映画、ドラマがあった。邦画、洋画を問わず、戦争賛美的なもの、娯楽映画ながら戦争への批判を織り込んだもの、反戦映画などさまざまなものがあった。8月15日は戦争をテーマにした特番ドラマが必ずあった。
私の世代は戦争というものがまるでビッグイベントのようなもの、そんなものがあったという認識がどこかにあった。これら公開された戦争映画は中高生の観客がけっこう多かった。角川春樹はこのあたりをついて、「男たちの大和」で、中高生に向けたプロモート活動を行っていた。そんな環境もあってか、監督の視点をなんなく推察してしまう。
映画はクライマックス、震電という戦闘機で立ち向かう。これはご存知の人も多いと思うが、戦争中に日本軍が開発していた秘密兵器。ジェット機のプロトタイプのようなもので、プロペラはおしりについている。この幻の兵器でゴジラとの決戦に挑む。
日本の戦争の落とし前をこんなゴジラで見るとは思わなかった。
世界でこの映画が見られていると聞く。日本映画が海外市場で話題になったのは「新幹線大爆破」以来と思う。(これはわたしだけの思い)海外の観客はこんな視点で見てないと思うが、この作品がここまで受け入れられているのは、ヒットするツボがあったと思う。特にアメリカ人が好むストーリーラインが見られた。黒澤明作品がアメリカで絶賛されたことにもつながる要素がこの作品にもあったと感じた。それは何かと、ここに記載してはおもしろくないので、鑑賞して感じていただけたらと思う。(終)
シリアスな割には重みが足りない
うーん、シンゴジラがエンタメ的にも映像的にも良くできていたことを考えると、こっちは色々劣っていると言わざるを得ない。
映像からハッとさせられるシーンはあまりなかった。
ただ口からビームでどっかんするのは割と良かった。
ドラマは安っぽい。
浮き輪のくだりが物理的にどうなのと思う。
もっと1500mで長時間沈めておけばいいのに。
その浮き輪もほんとに深海で開くの?
海の上に立ってるゴジラってのもどうなのと思った。
ドラマでいうと安藤さくらはさすがの貫禄があって圧倒的な演技力。
最初の登場シーンはゾクッとしたね。
それに比べて浜辺や神木はシリアスな雰囲気が出せてない。
佐々木蔵之介も重みが感じられなかった。
メカニックの人もそんなキーマンになるような前振りあったっけ?
とにかく怖いゴジラ
ゴジラがとにかく大迫力!
演技やストーリーは良くも悪くもくさいな〜って感じだし、浜辺美波さん早く電車から降りて逃げてくださいよ!!とか思うところもあるけど、ゴジラの背びれガシャンガシャンからの放射線みたら全部吹き飛びました。
戦国エース&とんがり帽子のメモル
先に鑑賞した知人から、しれっとオチをバラされてしまった…
楽しみにしてた作品だったので、落胆してしまった
僕は鑑賞前のネタバレは厳禁
昔、レオンを観ようとしてたら、先に観た知人にオチをバラされた苦い経験がある
「王様のブラン痴」や映画番宣特番は、見ないようにしてます
「王様の〜」の映画特集は、あらすじや見せ場を放送しすぎて、ネタバレに近い気がする
今作は残念ながら、先入観無しで鑑賞
前半は淡々と…あまりハマらなかった
序盤、急に現れるゴジラ
海に浮かぶ膨れた深海魚が、僕の視力では変態魚に見えた
魚と言うより、大きなウジ虫に見えた
84年版ゴジラに現れた、ショッキラスを思い出す
人を襲うのかな…? と、ホラーテイストを期待したが、そのままスルー
だって死んだ深海魚だもの
眼鏡の度数を変えましょう
序盤から脱線しないで
ジュラシックパークみたいに人をパクつくが、食べずに綺麗に放り投げるゴジラ
放射線ならぬ放物線を描く被害者多数
漫画みたい…
再度観たら、笑ってしまうかもしれない
もっとグロくていいのに…G指定だからか?
G-1ポイントである
削除しないで
青木崇高は、危なっかしくて、あまり好きではないが、汚くて泥臭い役が似合う
そんな役ばかり…?
削除しないで
急に家族?になる神木君と美波ちゃん
美人じゃなければ成立しない展開である
不幸中の幸い? 棚ボタロマン!
あぁっ!女神さまっ!
削除しないで
「らんまん」と、少し被る展開と台詞回し
スピリッツの「あさドラ!」とも少し被る
知らんがな
意地悪婆さんから、親切おばさんに急変する安藤サクラ
やっぱりそうなのね
ピシッと綺麗な割烹着が少し不自然
気にしないの
序盤の人間関係は、この手の映画にはどうでもいい…
中盤あたりから、蔵之介劇場になる
ギョギョッと光る蔵之介まなこ
この辺から、急に面白くなる
ゴジラより重厚なベテラン演技合戦
放射能を浴びたような吉岡秀隆
ヨレヨレの役がよく似合う
吉岡里帆とは全然違う
性別が違う
日本軍特有の? 上部マガジン給弾の13mm機関銃
調べたら、やはり20連弾倉だったが…弾切れの気配無し
耳栓も保護具も無しで撃ちまくる
鉛被害も気にしない
漢のロマンである
旧日本軍の機関銃・砲って上部マガジン給弾式が殆どだけど、超疑問である
「アルキメデスの大戦」でも見たけど…不便極まりない気がする
戦闘機はベルト給弾なのに…
調べれば解るかもだが、調べない
忙しいの
嘘です
このレビューが物語る
昔なのに現代用語な台詞がチラホラ
しょうがない…のか?
令和的会話表現?は、アニメなどでよくあるけど、慣れるしかないのか…
Z世代に寄りすぎな気もする
ゴジラの特殊な能力表現は作品により様々だが…
エヴァ風の急速再生表現に少し違和感
鉄雄みたいになりそうだが、形状記憶なのね
背びれのニョキニョキ放射準備表現に少し違和感
しっぽから出てくるの?
しっぽり八兵衛
宇宙戦艦みたい…
ヤマトは幼少期に見ただけなので、記憶が曖昧
森 雪よりメーテル派
コスプレ動画はつい見ちゃう
脱線しないで
そして後半、震電登場!
確信犯である
戦国エースでは、お世話になりました
誰も知らない…
ラストで見事なイラマチ…
削除しないで
不自然に崩れていくゴジラ
凍って砕けたT-1000みたい
EDテロップで、挿入歌「とんがり帽子」
とんがり帽子のメモルとは無関係だった
ジジババしか知らない…
当たり外れの極端な山崎作品だが、今作は当たりだった
近年の邦画ゴジラ特有の、余韻が残らない強烈な鳥肌ラスト
不死身の女神はネタバレされて知ってたけど、十分に楽しめた
観て良かった
良くも悪くも
良くも悪くも怪獣映画なので、怪獣映画ファンには刺さるかもしれませんが、それ以外の人にはそこまでかな。
主人公以外の人物の掘り下げ、心理描写がやや弱くキャラクターが表面的に感じたので、そこに時間が割かれていれば、もう少し入り込めたかなと思いました。
一方で、この映画の主役はあくまでもゴジラだから、人物描写に時間を割くとゴジラの要素が薄くなってしまうので、怪獣映画はそこの塩梅が難しいなと思いました。
期待や想像通りの展開をしてくれるバランス感覚の鬼
ゴジラや怪獣映画作品ジャンルに疎いため、そういった着眼点はまったく分かりません。
個人的に好みの要素も、好みでない要素も、両方含んだ作品だった。
基本的には好ましいことだらけなのだが、まず序盤でゴジラの被害に遭われた方々が、噛まれてもちぎられることはなく綺麗に皆投げ飛ばされていて人体の姿を留めていたので、早々に「なるほど!これは公開先を最初から見据えた配慮をしてるのかな!」と伝わり、最初の時点でそういった配慮が前提とされているとわかる事で、以降の作中の雑念が1つ減ってとても良かった。
当作品に限らず、作品において「ん?なんかソレおかしいな?」みたいなものは鑑賞中の雑念となってしまうので、そういった物は設定や脚本で最初からほとんど無いか、演出で排除されてるか、あるいは早い段階で「そういうものだからさ」とできるだけ潰してあると、その後がとてもクリアに見られて良いと思っている。すごく助かる。
人間ドラマ部分は、予想通り良い、という感想。
予想を裏切らないので、ある程度気を抜いて見ていても予想通りのことをしてくれるので、上映中に常に気を張って見ていなくても良いくらいのバランス。
また、気を張って見るシーンと気を張らずに見られるシーンがミルフィーユ状だとそれはそれで気を抜けなくて疲れてしまうが、今作はだいぶブロック毎に別れているので、安心して緊張を解くことが出来た。
またその要素を中心に見たい人にも期待通りの感動が得られるので、良いバランスなんではないかと思う。
ただ、情報をこぼさないように皿のように見ていなかった部分があるため、もしかして見落とした情報があるかもしれないので、それは一長一短。
細かくは色々あったが、例えば上陸したゴジラの動きがあまり前傾姿勢にならず、スッと背を伸ばした状態でずっと動いていたので、陸上は縄張りの外であり、背筋を伸ばして遠くまで見通すことで外敵に注意をしているということなのだろうか?という疑問が湧いた。
考えてみれば、ゴジラの生態がほとんど分からないにも関わらず、作戦の肝となる部分でゴジラの縄張り意識を前提としていた。
縄張りを持つ生態をしている、という何か情報があったのを、見落としてしまったようだ。縄張りを主張する匂い付けだったりのような描写があったろうか。海中を東京に向かってきているという話の時に、固定のルートを巡回していて恐らくそこが縄張りである、といった話をしていただろうか。ぼんやりしていた部分かもしれない。さっぱり記憶にない……。
前に海で遭遇した際に執拗に追いかけてきたことだろうか?だとしたら、あの時主人公の乗る船が逃れられた理由は、縄張りから外に出たからだったっけか。シーンとしての最後は船は止まってたような記憶なのだが、うろ覚えだ。
あるいは、冒頭も配慮はありそうだが、襲って噛み付いた人間を全部高く放り飛ばしたが、獲物を弱らせたあとに捕食する行動かと思いきやそのまま放置したっぽかったので、捕食目的でない場合は縄張り主張目的だろう、みたいな判断で縄張りをもつ生き物だとしていただろうか。
そういったいくつかは、ぼんやり見てしまっていた部分で見落とした要素のような気がする。
水爆実験によるゴジラ被爆の描写も、ゴジラという生き物を取り巻く状況が一変しそのあと上陸にまで至る大きなきっかけであろう割にはびっくりするほど短い描写だったので、細かい物語設定の裏付け描写は本当に画面端に一瞬とかだったのかもしれない。
その辺の取りこぼした部分はあったが、人間ドラマは想像通りのものがきちんとお出しされ、展開も裏切ることなくまっとうにストレートなものが描かれ、かつゴジラの恐怖は、災害と感じるレベルの恐怖を植え付け、しかし絶望とまでは行かないので何か対抗策を生んで倒すことは可能かもな、くらいに感じるという、とてもまとまりのよいバランスだったように感じた。
すごいバランス感覚なんだと思う。楽しかった。
追加で、これまで「なんでゴジラ、足のつかないだろう海深のところで直立姿勢になってるんだろう」という個人的な素朴な疑問に対し
「浮いてるんなら沈むだろう」
という解が与えられて、喜んでしまった。
なんで直立姿勢で浮くんだ、という疑問についてはまるで解決していないが。
その上で、個人的にどうもひっかかってしまい好かない要素があった。
どうしてもゴジラが主役ではなく、群像劇でもなく、一人の人間が主役の物語のため、主人公のための舞台装置が多くなってしまっている印象だった。
主人公のための展開、主人公のための登場人物、主人公のための舞台、なにより、主人公のための多くの人の死。
海上や銀座。主人公(たち)以外にも、全体から見たら少数かもしれないが、偶然その場を生きのびた人々はそれなりに居るだろう。偶然の生という奇跡は、主人公以外にも万人に降り注ぐはずのものである。
しかしそういった主人公たち以外の人達の生は一切描かれず、死のみが描かれた。この差は「主人公以外に与えられた奇跡は、余計な情報」だから描いていないのだろうと思う。
そして奇跡の生を余計な情報たらしめるのは「これは主人公の物語だから」であり、つまり主人公の物語における奇跡を作るための舞台装置としてモブの死がある、という構造なので、そういった構造の物語や展開、演出、要素に気持ちがどうもひっかかってしまうようだ。
自分は、「主人公の物語」ではなく、「物語という世界の中を生きている主人公」という描きかたの方が好ましいのだと自覚した。
今まで薄らとしか自覚していなかったので、割とハッキリ感じるキッカケとなる作品でもあった。
あとは細かい事として、被爆については、ゴジラというファンタジーだからそこはなんかゴジラが分解も同時に行うみたいな、なんかいい感じなことがあるんじゃないか、という認識。
放射線や爆発による拡散なんかを扱う以上、放出されたそれどうすんの?はついて回る問題だと思うので、それ踏まえた物語を描くか、ファンタジーで処理するかの2択しかない気がする。
めっちゃ良かったです。GODZILLA of No. 1
最後、生きてたシーンは本当感動しました‼︎
銀座が壊されていくシーンはリアリティが感じられてとっても良かった。
人情派の近所のおばちゃんも良かったし(安藤サクラさんだったなんてびっくり)
敷島役は神木隆之介さんで、それも全然気づかなかった。典子役めっちゃ可愛くて、浜辺美波さんだったのも全然気づかなかった。
神木隆之介さんも浜辺美波さんも数年前まで少年、少女役をやっていたのにもう夫婦の役なんだね(夫婦ではないけど)約束のネバーランドでもう少女役は無理かなと感じたから良かった。(時々大人の顔になってたから)
戦後の設定が良かった。
自衛隊の対策本部とかない方がいい
最後の、敷島のシーンは本当良かったからもう一度見に行きたい
次もカラーで!
恐ろしい映画でした…
ゴジラは米国そのものに見えました。また、広島県出身の私には典子が爆風に飛ばされる姿は、小学生の時から何度も8/6に習ったピカドンのシーン。その後の黒い雨も伴って言葉を失いました。
典子と浩一の最後のシーンで、典子がゴジラを倒した浩一に、「あなたの戦争は終わりましたか」と問いかけましたが、それは日本人に先の戦争が本当に終わったのかと問いかけているように聞こえました。そして最後のシーンで、「ゴジラ」はまだ蠢いていると…
ウクライナ、中東と米国が関与する紛争最中、また極東での緊張が高まる中でこの映画を日本のみならず米国と英国で公開することに恐ろしさを感じました。
今のところ、一般的には好評とのことですが、黄禍論を今も持っていそうな英米の高級情報担当者らが、どのように解釈するか…考え過ぎでしょうか…
主演の二人からの広がりとゴジラの迫力
朝ドラ『らんまん』の主演二人が本作でも共演しているということ以外には、あまり関心がなかったけれど、安藤サクラ氏、吉岡秀隆氏、佐々木蔵之介氏、山田裕貴氏が出演しているだけでも、期待感が広がった。ゴジラはやはり圧倒的な破壊力を発揮するのだけれど、人を食うわけではないようである。海中を泳ぐゴジラは、『コング vs ゴジラ』でもそうだった気がする。『シン・ゴジラ』は、ゴジラ自体の迫力場面が少なく、会議場面が多かった印象が強い。熱光線は、巨大戦艦をあっという間に破壊するのだけれど、機雷除去のための小舟や主役を破滅させることはなく、ぎりぎりの緊張感は演出していた。機雷除去の苦労に関しては、呉の大和ミュージアムの側にあるてつのくじら館の展示で学んだことがある。全般的に命を大切にしろというメッセージが強調されるとともに、小舟が巨艦の救援に駆けつける場面には、『ダンケルク』で、英独戦争での多数の漁船が駆けつけた場面を思い出した。戦闘機震電は、大刀洗平和記念館での展示では、本作での利用のことを秘密にしていたらしく、本作公開後に知ることになったが、空中戦の場面は意外に迫力がある。アメリカ占領下にもかかわらず、アメリカが介入しないという設定も興味深い。
これぞゴジラの原点
浜辺美波がゴジラなみに不死身すぎる! ゴジラ映画ってほかの巨大生物と戦うか、シン・ゴジラみたいに闊歩するだけだったのが、本作は人を襲う、町を壊す、船を投げ飛ばす、ひたすら悪いゴジラなのが最高です。地球防衛軍どころか自衛隊さえない状態でどうやってゴジラを倒すのか、なるほどあれなら行けそうと参考になります(なんの?)脱出装置のミスディレクション(実は赤いレバーだと思ったら違っててあのまま玉砕か)も良かったです。「パシフィック・リム」を見たとき日本の技術ではリアルな怪獣映画は無理だよなと思いましたが、いつもまにかここまでの水準になってたのが感激でした。山崎監督ありがとう!
子ども向けの怪獣映画ぢゃない。60代以上の方には絶対にモノクロ版を推奨!!
怪獣映画なのに観客にお子さんが一人もいませんでした。庵野作も同様でしたが、あれはお子さんでも観れるレベル。本作はちょっとキツイかも。お子さん連れでは楽しめないかな。私はオッサン一人がベストでした。東宝の考えるゴジラ像、かなり変わっちゃったのかな。本作は海外でも受けているとのことですが、ゴジラフリークのアダルト相手でしょ?ここは商売。マーケティングが成功したのか?失敗なのか?データですぐにわかるでしょう。
ところでオッサン一人の本作。昭和30年代生まれのジイは、モノクロ版を観ればよかったと後悔しています。戦後すぐのことはわかりませんが、小さい頃は戦争で障害を負った方(片輪と言われていました)が怖くて堪りませんでした。誰もが貧しく道は未舗装でダイハツミゼットが走っていたことを覚えています。空の大怪獣ラドンをモノクロ映写で観ました。恐怖で両手で目を覆っていました。お若い方はどのように解釈するかわかりませんが、往年を知る方にモノクロ版はノスタルジーを味わえると思います。
本作は怪獣映画ではなく戦争映画でもなくヒューマンドラマですよね?ストーリーは期待を裏切ることなく予定調和なので、NHK朝ドラを2時間枠にまとめたといったものですかね。神木さん、青木さん、安藤さん、浜辺さん、佐々木さん、吉岡さん、山田さん、一コマ登場の名優含めて演技達者です。幼児役の可愛いお嬢さんも親御さんが頑張ったことが目に浮かびます。ジイはホントに心を奪われました。映画興行は1日の上映回数を考えて(将来放送局にセールスすることも含めて)ナンボですから仕方ありませんが、ゴジラが主役じゃないなら、登場人物の人生劇場を描くことにもう少し時間を割けたらベターであったかなと感じています。
ゴジラは悪。しかも頭も悪い。人類の敵。そこはシン・ゴジラと同じ。昔のような可愛げはまったくない。銀座四丁目、数寄屋橋辺り(だけ?)をボコボコにします。戦禍を免れた名勝も一瞬で灰となり3万人も殺傷します。戦後の東京を攻撃する理由がさっぱりわからんけど悪の権化。造形はカッコイイ!欠点を上げると、まず島上陸時の登場シーンがマヌケ。ジュラシックパークみたい。次に、出現する予兆があまりにもチープ。苦笑するレベル。最後に、海中のラストカットは不快。要らない。
40年ほど前になりますが、山崎監督入社前の白組さんとお仕事をご一緒させていただきました。青山事務所時代から活き活きとした印象を持っていましたが、このような作品に係るとは思いませんでした。素晴らしいエフェクト、ありがとうございます!
生きる力を与える
世界的に有名になったゴジラ。
そのゴジラをどう扱うのか?そして第二次世界大戦後の日本を舞台に描くゴジラとは?ワクワク感を持って観に行った。
敗戦のどん底からもがき苦しみながら生きようとする人々と、戦争により心に深い傷をおった主人公。
そんな状況でも徐々に復行に向かう東京に上陸するゴジラ。その圧倒的な力により破壊される街並みを描き、それでも抗うことを諦めない人たちの想いが心に響く。
主人公たちの自己犠牲を厭わない姿とそれでも生きようとする人間の力も感じさせる。
そのドキドキ感と最後の切り返しは素晴らしかった。
この国の-1.0にむけて
1954年の驚動に戻るまで70年かかったということだろうか。
今回の作品は、つい先日まで放送されていたNHKの朝の連ドラのことを考えると、万太郎と寿恵子の物語のようにも思えてしまう。それはそれでいいと思う。確かに二人の情愛はあの作品とこの作品では異なっているのだから、あの作品を下地にこの作品を見るのも悪くはない。なにせ、あんなに万ちゃんに尽くした寿恵ちゃんの命が奪われてしまった・・・と思っていたら、最後に笑顔を見せてくれたのだから(しかし、これがこの作品では大切な鍵になるのだが)。また、あのドラマを観ていた者は、あき子になった園ちゃんを感じていたかもしれない。それはそれでいいだろう。
さて、この映画である。
前回の「エバ的駄作」とは決定的に違うものがある。それが何か2時間余りずっと考えていた。作りは至ってシンプルだ。ストーリーも単純。登場人物もあまりにもわかりやすい。
しかし、じつはそのわかりやすさにこそ、簡単には理解し得ないものが隠されているのだろう。
おそらく、おそらくなのだが、あのエヴァ・ゴジラと決定的に異なるのは、「ゴジラ」に存在する私たちの「負債」を物語に徹底的に織り込んだということではないのか。
前回の「ゴジラ」。自分は次のように書いていた。
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可能であれば、60年かかってもかの問題を超克できないでいるこの国に、あえてセンセーショナルなタブーをぶつけて欲しかった。希望なき身も蓋もない最後から、何が見えてくるのか問うて欲しかった。でなければ、エヴァファンが喜ぶだけの、薄い映画にしかならないだろう。
1954年のゴジラを、今ここで問う意味を、3.11とフクシマの後にきちんと問いただして欲しかったと思うのは自分だけなのだろうか。
*映画終了後、自分の目の前で「すっごーく面白かったねぇ〜〜」と躊躇いもなく彼氏に笑顔を振りまいていた女の子。この時点で、この映画は、失敗作だと確信した。これは人の心の悪と罪に、届いていないのだと。ゴジラは我々自身であることが描かれていないのだと。
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今回の結末は明るいようでいてじつは重たいものがある。いまだ不分明な将来に託すあり方が最後に待ち受けるのだが、実はそれが笑顔の中にしかない。その笑顔によって生きることを徹底して描き込み、それによってかえってその辛さを滲み出そうとしているかのように思える。
約束された生から一転、約束されてはいなかった死へと落ちる。一般にはこのように生と死を捉えたいと、人は願うだろう。しかし、この物語は、誰もが約束されてはいない生をいかにして生き抜くのか、むしろ約束されている死をどのように迎えようとしているのかに焦点を当てている。
典子の無事を人は安堵する。いささか予定調和的で、陳腐なまでの結末は、だが、このようなありきたりの流れにこそ、徹底して生き抜くことを主題化しようとした意図があったのではないのか。周りから嘲られ生と死のはざまに苦悶する霧島もそうだろう。その霧島に生きることへの光を見出させる橘もまたそうだろう。典子とて、自らの意思とは無関係に一人の生を引き受けなければならなかった。
だから、私たちは至るところで生を根扱ぎとするものに出会う。
それにどのように向かいあわなければならないのか。
その「根扱ぎ」がゴジラという表象を通して立ち現れてくる。
しかし、この国は、1954年以降、その表象を捨ててしまった。ゴジラを通して表象されていたものをも捨ててしまったのだ。だから、ここにも「負債」がある。1954年が始まりだとすれば、その後は絶えず負債を増やし続けたということか。
かつて『永遠のゼロ』という無意味な数字で生と死を美化する反吐が出るほどの小説・映画があった。それもまた負債の一つだろう。
(このバブル世代の監督は、この自らの負債を消しにかかったのだろうか?それとも、なおそれを自らの負債として返済することをあえて拒んだのだろうか?聞いてみたい[2024.5.14追記])
1954年のゴジラは、10年の戦後の復興と繁栄があまりにも表面的なものだということを思い知らせるものだった。そして、その時代は「核」から逃れることはできないということを私たちに突きつけた。私たちの成長は、死の延長線上にあるということがリアリティを持って物語の中で語られていたのだった。ゴジラはその表象であったのだ。
しかし、私たちは見事に忘れた。ゴジラを忘れ、私たちを忘れた。
私たちは、「東宝チャンピオンまつり」にうつつを抜かした。いまだに続いている「VSシリーズ」はそれに目を向けようともしなかった。私たちは、恣意的にゴジラを飼い慣らし「ゴジラの映画」にしたのだった。
今、70年を経て問わなければならないだろう。
「ゴジラ」とはそのような存在だったのだろうか。私たちは、ゴジラを了解可能なものとして手元におきたかったのだろうか。
違う。最初の作品のセンセーショナルな印象は、私たちの理解を超えた、いわば不条理な絶対的な存在でしかなかったはずだ。しかし、それでいながら絶対的に外在化できない存在でもあったはずだ。
1954年以降、私たちはゴジラを整理し了解可能なゴジラをひたすらに求めたのだった。あまりにも整理しすぎたその姿に初回の破壊力も衝撃も、もはや探すことはできない。それは現代的な技術で対峙するものを透明化しようとするテクニカルな姿でしかない。
あの駄作、「モダン」を追求した結果、安っぽい別作品のコピーになってしまった。それに対して、今回は極めて「クラシック」な問いの中で「ゴジラ」の意味内容を投げかけている。残念ながら前作は、エヴァ的な審級でしかそれを判断し得なかったところに最大の「不幸」があった。
負うたものはここで返済されるのか。
70年の負債は、70年前に立ち戻ることによって帳消しにはされない。
もしそうしなければ、負債をそのまま引き受け、「ゴジラの映画」ととして生き続けることを望むのだろうか。
ゴジラを外在化などできない。
ゴジラは私たちそのものである。
私たちの罪であり悪、
私たちの希望であり良心、
徹底して受容しつつ抗う存在、
私たちの生と死の表象そのものなのだ。
ゴジラを「ゴジラの」映画から解放する。
「ゴジラ-1.0」
この物語は1954年よりも以前のものではあった。
しかし、と同時に、この物語は1954年に立ち戻らせるものであった。
1954年のゴジラを再表象するということ、それがこの作品の使命ではなかったか。
「-1.0」という数字の意味は、この国の戦後の在り方を再考させるものでもある。
ポップコーン食べてる場合じゃない
知り合いから「ゴジマイこそ映画館で観るべき」「トラウマを抱えてる人に観てほしい(トラウマを乗り越える話だから)」と言われて、ゲ謎のあとに観てきました。
私の中でゴジラは「ゴジラvsモスラ」しかなかったので、ポップコーン片手に観てました。
しかし、ゴジラが出てきた瞬間にポップコーンを置いて真剣に観いっていました。
CGとわかりつつも圧倒的なゴジラの存在に、思わず絶望しました。
最終的には人間が勝つ、こういう展開になるとわかっているはずなのに、始終ハラハラして何度も泣いて帰りたいと思いました。
演出、演技、音楽、脚本、どれも申し分なかったです。
ラストがちょっと、うーん、でしたがそれ以外はすべてよかったです。
白黒もよさそうなので、観に行きたいです。
迫力満点の映像で、特攻精神や自己犠牲と断固として決別した様なストーリーも素晴らしい
山崎貴 脚本監督による2023年製作(125分/G)の日本映画
配給:東宝、劇場公開日:2023年11月3日
ゴジラが銀座の街を破壊する映像に少しつくりもの感はあったものの、全体的に物凄く迫力のあるゴジラで、これなら海外に出しても恥ずかしくない映像であり、とても嬉しかった。
ゴジラの背びれが光りながら一段と高くなり、エネルギーを充分に充満したその後に一気に強力な放射熱戦を吐くという新たなゴジラの造形に、リアリティと共にど迫力を感じ、拍手!地上を歩く際の重量感も良かったが、それ以上に高速で海を泳ぎ、巡洋艦を破壊しつくゴジラの海上での凶暴性表現も素晴らしいと思った。
庶民の命を粗末にし、重要な情報を隠微する日本政府的精神の糾弾しそれお民間の力で克服することを意図している様に思われる脚本も、とても良かった。特攻隊で逃げて生き延びた元飛行士の主人公神木隆之介が、他人の赤ちゃんを託されて育てている浜辺美波と戦争で破壊された故郷で出会い、家族を形成し愛を育んでいくという物語も、とても良く寝られた設定で、ひたすら感心。
ゴジラを前に何も出来ず仲間を死なせてしまった過去にずっと苦悩していた神木隆之介。そんな彼が、意を決して「震電」(B-29爆撃機を迎撃するための戦闘機で、時速740km目指して開発中であったらしいが実戦に間に合わず)に乗り込みゴジラに戦いを挑んでいく姿は、カッコ良く見惚れてしまった。いつも見るたびに感心させられる彼の演技だが、今回も新たな神木隆之介を見せつけてくれた。
ヒロイン浜辺美波の可憐さもまさに今旬であったし、ゴジラにより宙吊りにされる電車の中での彼女の絶体絶命的状況も、ゴジラ映画の王道らしくて、実にお似合いだった。ゴジラの熱線を浴び葬式まであげた彼女が、病院で何とか生きていたとの展開も、脚本の組み立てが上手いせいで意外感もあって恥ずかしながら感涙。ただ、彼女の首に出来ていた黒い痣は、ゴジラの細胞が巣食っている様にも思え、単なるハッピーエンドではなく、次回作?への布石なのだろうか。
そして、なんと言っても、ゴジラに特攻攻撃すると思わせておいて、直前にパラシュートで脱出するというのが、今だ邦画ひいては日本社会にはびこる特攻精神や自己犠牲の賛美との決別という意味で、清清しく感じた。山崎貴脚本、素晴らしい!
監督山崎貴、脚本山崎貴、製作市川南、エグゼクティブプロデューサー臼井央 、阿部秀司、
企画山田兼司 、岸田一晃、プロデュース山田兼司 、岸田一晃、プロデューサー阿部豪 、守屋圭一郎、協力プロデューサー上田太地 、山内章弘、チーフゴジラオフィサー大田圭二、
ラインプロデューサー櫻井紘史、撮影柴崎幸三、照明上田なりゆき、録音竹内久史、特機
奥田悟、美術上條安里、装飾龍田哲児、衣装水島愛子、ヘアメイク宮内三千代、音響効果
井上奈津子、VFX山崎貴、VFXディレクター渋谷紀世子、カラリスト石山将弘、編集宮島竜治
選曲藤村義孝、音楽佐藤直紀 、伊福部昭、助監督安達耕平、キャスティング杉野剛、スクリプター阿保知香子、制作担当横井義人、プロダクション統括會田望。
出演
神木隆之介敷島浩一、浜辺美波大石典子、山田裕貴水島四郎、青木崇高橘宗作、吉岡秀隆野田健治、安藤サクラ太田澄子、佐々木蔵之介秋津清治、田中美央堀田辰雄、遠藤雄弥齋藤忠征、飯田基祐板垣昭夫、永谷咲笑明子。
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