ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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初ゴジラ鑑賞者の感想
ゴジラは人災天災のメタファーだというのなら組織で立ち向かい(立ち向かってはいたが)倒して欲しかった。主人公の「僕の戦争が終わっていない」という解決したかしていないかの評価のしようがない個人的理由。自分じゃなく周囲の人の為の動機で動いてくれよ。結局1人でゴジラにとどめを刺すシナリオが腑に落ちない。全て主人公の為の茶番って感じ。浜辺美波は?子どもは?仲間は置いてけぼりか。1人で災害に立ち向かってどうすんねん。上手く行ったから良いものの‥もう相手ゴジラじゃなくてええやんってなった。
戦後のゴジラ
戦後でなにも無くなってしまった日本にゴジラが追い討ちをかける。それがゴジラ マイナス ワン
展開的には和製アルマゲドン
特攻隊だった主人公は逃げたきた自分と決別しゴジラに特攻する。死んだと思われた典子はG細胞で生きており再開を果たす。
ゴジラのテーマが絶望であり希望であり印象に残る。ゴジラの熱線の絶望感はすごい
映画館で観て良かった
特撮モノは全く観ない派だけど、ストーリーも凄く良いと知人に勧められて鑑賞。知人の言う通りだった。途中で戦争と特攻隊を肯定する内容になるか不安になったが良い方に裏切られた。
そして特撮モノは観ない派の自分でも大迫力で時々美しいとさえ感じるゴジラに、これは映画館で観て大正解だったと思った。
人間ドラマが9割
2時間余りの長尺だが人間ドラマが9割、これも「ALWAYS 三丁目の夕日」や「永遠の0」などヒューマンドラマが得意な山崎貴監督らしさ全開、さしずめゴジラは厄介な悪役といった冷めた脇どころ、昔、鶴田浩二さんも揶揄されていましたが特攻の生き残りの同僚への罪の意識とかは「永遠の0」の流れでしょうかね。
初代ゴジラの芹沢博士のように最後はゴジラと心中でも成り立ちますが、山崎監督はどうしてもハッピーエンドにしたかったのでしょう、当時の戦闘機には緊急脱出装置はありませんでした、装置は大戦末期にドイツの「サラマンダー」機で初めて実用化、なんと映画の震電の座席にはドイツ語で「Druckluft-Schleudersitz」(圧縮空気式射出座席)と書かれたプレートが付いていました、敷島を助けるためにわざわざドイツ製の座席を付けることを結びつけた博識ぶりには脱帽です。
ソ連との開戦を避けるべく助けてくれない米国というのはどうなんでしょう、アメリカ映画なら3発目のオッペンハイマーの原子爆弾で撃退という描き方だったかもしれませんね。
最後は民間の漁船迄総動員というのはチャーチルのダンケルク撤退作戦をモジった海外受け狙いかも、今までより動物臭いゴジラの造形、足の爪の迫力、海中シーンなどアカデミー賞は納得ですが視覚効果賞にとどまったのはアメリカの出番が無かったからかも知れませんね。
これまでゴジラをほぼ見てこなかった者の感想です
シン・ゴジラも見てません。古い作品のTV放映くらいは見たことがあるかも。
感想としては、人間側のドラマに感動しました。涙も出ました。銀座の街が壊されるシーンもすごい技術だと思いました。
ですが、率直に怖くない。ゴジラに生物みを感じず、恐怖心が全く湧きませんでした。人が次々死ぬシーンを見ても、本当に死んでる感じがしない。理由はわかりません。
面白かったんだけど、おかしいな…と自分でも思いながら映画館を後にしました。
ゴジラ(1.0)
ゴジラ映画もこれまで結構な本数を見てきて、またぞろゴジラが街を破壊して群衆がわーっと逃げ惑うんだろうなと絵づらの予想がついて、食指が動かなかった(が、アカデミー賞の結果を聞いて少し興味が)。
怪獣映画は肝心かなめの怪獣登場シーンが見たいのに、それ以外の人間ドラマ部分がもどかしくて、イライラしてしまう。本作はゴジラの最初の登場こそ割と早くて良しとしたが、相変わらずドラマ展開は陳腐で退屈極まりない。同監督の「ALWAYS」と「永遠の0」を単に踏襲しているようにも思える。
ゴジラの出現シーンも水面に背びれが出て迫ってくる「ジョーズ」もどきの繰り返しで、工夫が足りない。造形と操演にもとりたてて新味は感じられなかった。戦闘機乗りの生き残りが怪獣に突っ込むくだりも、ウルトラQの「東京氷河期」と同じで既視感がある。
意思表示の乏しい主人公のキャラクターは共感しづらく、長いこと同居している女性と肉体関係がない設定も嘘くさい。「シン〜」もそうだったが、浜辺美波とか石原さとみとか、きれいだけど生活感のない女優を起用すると物語全体の中で浮いてしまう。
ラストで再生を暗示するカットがあるが、じゃあそれまでの2時間は何だったのかとなる。
貧乏くじのままで終わらせない!!!
夢に出てきそう、映画のゴジラを見てそう思いました。
初見のゴジラは荒々しく、誰も見たことないのに実際に存在するようなリアルさがありました。
て、そんな落ち着いて映画観ていられなかったですけどね!!
もう、うおおおおとかああああとか言葉にならない衝撃と興奮がありました。
ゴジラ見たことあるの!?て思うほど皮膚の表面までリアルで、ゴジラが本当に東京に来たらどうしようと不安になる程でした。
今までゴジラシリーズを観たことがなく、今回は何かの思いつきで映画館へ。
とてもよかった!!映画館で観られて私はラッキーでした!あの時思いついて本当に良かった!
小さいお子さんも割といらっしゃいましたが、怖くなかったのかな、、。
でもお子さんを連れてきた親御さん、めちゃくちゃいい!と思いました🥹
舞台は戦後の日本。
戦争で家族や同僚を亡くし、正直気持ちは0どころか既にマイナスな暗い雰囲気がありました。
そこから更にゴジラの存在が追い討ちをかけていく、、!!
ゴジラの作りも本当に素晴らしいのですが、圧巻なのは役者の方々の演技、、!
メイキングを見ると、ほぼグリーンバックの中撮影であったり実は船が動いていなかったり、もちろんいないゴジラに恐怖していたり、、!!
神木さんの役作りは、考え方が本当にすごい、、!!
安藤サクラさんの家族を亡くし敷島に詰め寄る最初の登場シーン、グッと悲しみが心にきて息を呑みました。
浜辺美波さんも本当に美しくて、神木さんとの相性最高でずっと見ていられました😌
新生丸のあのメンバーの選出は、意外な反面ぴったりすぎでした!!
ただ、戦後にしては画面が美しすぎるというのも分かります。しかしそれは、隠しきれない役者の方々の光と言ってしまえば私は納得してしまうかもです。。
ゴジラの伏線は分かりやすく、典子の写真のシーン、特攻で使われる飛行機に脱出装置がなかったと話すシーン、橘が飛び立つ前に機体の説明をしているシーン、これは後で何かあるんだろうな〜と予想は立てやすかったと思います。(個人的に、誰かが貧乏くじを引かなければならないというセリフは1回でよかったかな〜と感じました。)
でもゴジラには分かりにくさは必要ない!
音楽もとても素晴らしかったです、、!!
エンドロールで流れたのもとてもよかった!!
ゴジラのメイン曲が流れた時に、これかあああと興奮しました。
実際にゴジラが来たらどうしようと恐怖も感じましたが、興奮しながら映画を観ている自分に驚き。
本当にゴジラが来た時に、今回の作戦は有用なんでしょうかね、、?🤔
ゴジラ、これは続編ありますね!次はどんなタイトルになるのかな??
絶対観に行きます!!
YouTubeで公開のBehind the scenesもぜひ観てほしいです、、!!
隣の女子高校生は泣いていたからそれでいいのだ、と思う
いや~~~よくやったな~~~
「特攻隊」というワードだけで嫌な作家を思い出してー山崎監督が自身で映像化しているわけでー、同じくナショナリズムに回収する物語になると思ったから観る気をなくしていた。けれどゴジラはかっこよくて恐かったし、VFXは凄かったし、物語もよかった。隣の人は感動で泣いていたし。皆がみて楽しめて感動できて、色んな人の「ご意向」を上手く調整して、面白くしているのだから素晴らしい。
例えば主人公・敷島浩一の名字について。これがどこから出典または創作されたか定かではないが、本居宣長は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と詠んでいる。この発見はDHC元社長の新会社がホームページで誹謗中傷と差別発言をしているニュースから私も閲覧してできた。元社長には中指を立てて感謝を示しつつ、本居宣長という国学者との関連ーというか「敷島」が日本の別称と後に知るー、また物語でも「戦後復興」という「日本/人」という想像的共同体を構築する物語を準備した点で本作にナショナリズムの側面があることは免れ得ない。簡単に言えば、「俺たち」は焼け野原から必死に働いて復興して高度経済成長を果たしたのだ!俺たち日本人は素晴らしい!そんな美しい国ニッポンに現在の俺たちは生かされているのだ!である。
そういう言説を支持したくなる気持ちも分からなくはないし、ある程度の事実は含んでいると思いつつ、その言説から捨象された事実についても本作は主眼を置いている。
例えば敷島は特攻逃れの内向的な人物として描かれており、それはとても現代的な人物像のように思える。さらに彼はPTSDを患っているようにみえ、戦後になっても戦争の傷が癒えていない。彼と同居する典子は、彼に貧困を指摘され「パンパンになれと言うの」と発言する。「パンパン」とは米兵を主な相手として売春を行う街娼であり、この言葉を物語に登場させたことも大きな意味があるだろう。このように二人の人物像をみれば、「モーレツ社員」の「俺たち」から二人は捨象された人物であると言える。
しかも二人は共同で生活を営みつつ、規範的な意味での家族でもなければ性愛的な関係でもないことは驚きである。そして二人の間に子どももいるが、孤児であり血縁関係は一切ない。つまりここでも結婚して血縁関係になることで家族になるといった保守的な家族観とは違い、生き延びるために共同で生活を営むことで、結果的に家族となり、それを家族と呼ぶ転換が起こっている。このような家族のあり方は戦後に事実としてあっただろう。そういった点でこのような家族像を描こうとしたことも大きな意味がある。
このようにこれら二人の人物像や家族のあり方は、ナショナリズム的な側面を批判的に捉える逸脱があるし、性愛ー結婚ー家族を強固な三角関係に捉えるロマンティック・ラブ・イデオロギーについても同様な眼差しがある。
さらに敷島とゴジラの対峙は、内向的な彼が勇気をもってゴジラを退治する私的な物語≒個人的な語りにもなり得るが、批判的な視座をもたらすことも可能にみえる。つまり自己責任としての語りの不可能性である。
敷島は特攻逃れで大戸島ー硫黄島の連想をしたのは私だけ?ーに「不時着」する。この逃げで彼の臆病が描かれるのだが、さらに島にゴジラが到来してしまう。この時、彼が銃撃をしなかったことで整備兵を死なせることになり、彼らの死を自己の責任として、その傷に戦後も苦しめられることになる。さらに時を飛んで、ゴジラが銀座を急襲する時も、銀座に働きに出た典子を救おうとする。しかしその気持ちとは裏腹に敷島はゴジラの放射火炎による爆風から典子に庇われて、彼女が死んでしまう悲劇に転じてしまう。このことからも典子の死を自己の責任として責めを負うのである。
これは理路整然とした語りのように思える。確かに敷島はその場にいて、彼だけが生きて、他の者は死んだ。彼が他の者が死ぬことを防がなかったことには責任がある。だから彼は役に立たないものであり、トラウマを抱えても仕方がないし、死ななければならない。この語りが逆説的にーつまりそう思われたくなかったらモーレツに働けー「戦後復興」を可能にした側面はあるだろう。けれど現代に生きる私としてはそんなわけないじゃんとも思ってしまう。
ゴジラは圧倒的な暴力だ。ゴジラが原水爆から生まれたことから人為的な側面もあるがーちゃんと本作はそこも描いている。素晴らしいー、災害なのだ。だから敷島個人がどうこうしても防ぎようがない。大戸島の描写もそうだが、彼が銃撃できたとてゴジラが死ぬわけがない。だって後の描写で戦艦を簡単に沈めているのだから。典子の死も偶然そうなっただけだ。なぜなら典子が列車の時点で死んでいたことだって十分あり得るからーむしろあの状況から生き延びたのが奇跡だろうー。つまり私たちは災害による生き死にを物語として理解はしたい。けれど自己責任として語るには、災害も死も人為による操作可能な対象ではない。だから本作は一見、現代に即した敷島の自己責任についての物語と思えつつも、その語りの逆説的な不可能性を示してもいる。
このように自己責任の物語を排しつつ、ゴジラにされるがままに破壊されることを受け入れているわけでもない。そのために政府による介入や撃退というナショナリズムを導入するわけでもないーというか銀座襲撃で国会議事堂は暗に爆破されている。政府批判ー。ここで本作は、民営の防衛組織をつくって、科学技術で退治しようとするのだ。まさに人為を超えたゴジラの襲撃という災害をセカイ系のような個人による解決ではなく、市民が集団して民主主義的に解決する。このような問題解決に結実したのは純粋に立派だと思う。今、私たちに必要な物語はまさにこれなのだ。
だから典子が実は生きていたというご都合主義的な結末も問題ない。だって典子にも浜辺美波にも生きていてほしいじゃん。やっぱり大切な人には生きていてほしい。その思いは大事にして、災害のような事象を無理矢理に自己責任の物語に回収させない。そもそも「自己責任」という言葉自体、「責任」が「自己」に内包されている以上、この言葉を使う時には自己に責任をなすりつけたい集団心理、イデオロギーが働いていると考えるべきでしょう。「私に特攻をさせてください」「では、死んでも自己責任だからな」みたいな。ここでは特攻をしなくてはいけない構造/権力関係に対する言及は一切なく自己責任に結実する。
それでも「責任」を負おうとすること。そのために皆で協力して集団的に解決しようとすること。災害それ自体が起こることは防げないが、防災に努めること、起こったことに懸命に対処すること、それは私たちにもできるはずだ。そんな「責任」の原理が今、私たちが生き延びるために必要とされている。
そうは言っても純粋に結末を称賛できるわけでもないと思っている。二点指摘するが、それは「民営の防衛組織の表象」と「敷島がパラシュートで脱出する描写」についてである。
民営の防衛組織については、ナショナリズムを排する点でいいとは思いつつ、現況においてどのように捉えられるかは注意が必要だろう。現在においては、敷島のような市民が集団で民営する形態は、いつの間にか私企業のような私営に取って代わり、災害といった問題を民主主義的に解決することが、利潤の追求に変わってしまってはいないだろうか。それはオリンピックや万博の状況をみれば一目瞭然であるが、このようなイベントの理念は形骸化して、企業の利潤獲得という暴利に変わっているじゃないですか。しかも企業は政府と結託して共犯関係を成していることも明らかだ。本作の民営の防衛組織もそうだ。戦艦は自前では製造されておらず、政府による譲渡だ。このような点で、結末が政府を排しているように思いつつも実は、暗に結託、関係せざるを得ないことは批判的な注意が必要である。しかもゴジラの退治を企業による科学技術で行うことは、戦後復興のナショナリズム言説を再び浮上させることになりかねない。
敷島がパラシュートで脱出する描写も納得はいかない。彼は最後の「海神作戦」で、戦闘機による誘導を買って出て、「特攻」をする。しかしかつて怨恨のあった整備兵による技術改良のおかげで、敷島はゴジラに突っ込む直前にパラシュートで脱出できるのである。もちろん敷島が死ぬべきだと言いたいわけではない。そうではなく、観客は敷島が特攻して死ぬしかないと思いつつも、実は事前に脱出方法が説明されていたというカラクリがある点だ。このように描写されることは、敷島のみが生死を操作可能な主体として描かれてはいないだろうか。それは災害や生死、自然も人工的に操作可能な主体を立ち現させて、再び自己責任の主体/語りを導入することになりかねない。
そのような点で、結末を無批判に擁護したいわけではないし、東宝といった企業と関わらざるを得ない以上、限界はあると思いつつ留保は必要だとは思っている。
大迫力のCG!だが脚本はこの上無くお粗末...
アカデミー賞受賞のゴジラ映画と聞けば映画館で見る他ないでしょう。予告映像もかなり良かったので勇んで映画館へ!
冒頭5分ぐらいのやり取りで早くも嫌な予感がしましたが、案の定(悪い意味で)予想的中^^;
確かにCGで作られたゴジラの襲撃シーンは、どれもクオリティが高く、恐怖心を覚える程大迫力の映像です!
けれども、この映画で評価できるのはこれだけ(笑)。細かいツッコミどころは無視しても(それも他の映画なら見過ごせない程度の粗があります)、全体的にお粗末な出来と言わざるを得ません。
映像のクオリティに反し悲しいことに、全編通して神木隆之介演じる主人公の元、ご都合主義溢れる安っぽい人間ドラマが展開されます。最後のヒロインもG細胞でバッドエンド〜だとか考察されてますが、感情移入出来ずに興味が湧かないです。
また戦中戦後という時代設定なんですが、軍関係者や民間人の言動も違和感しかありませんね。特に序盤の特攻から引き返した敷島に対する守備隊の反応とか、旧海軍人の作戦辞退者の反応とか...平成生まれの自分が言うのもなんですが、当時の人々がいざゴジラと向き合ったとしたら、本当にああいう反応をするんですかね?なんだか命懸けで戦った当時の人々に対する理解とリスペクトを欠いているようで、あまり良い気持ちはしませんでした。
あ、主演の神木隆之介くんら俳優陣は何も悪くありませんよ。おそらく脚本と監督の指示を忠実に守ったのでしょう...やたらと敬語で説明口調が多いのは最近の邦画でありがちですが、それなら映画じゃなくて小説で良い訳で。って言うか山﨑監督ってこの辺苦手なんでしょうね。良い役者揃えてるんだから、表現を台詞じゃなくて演技に任せれば良いのにな〜。そうすれば不自然な説明口調のドラマパートもかなりマシになったのに、そこが残念です。
震電や四式中戦車、高雄が出てくるのは良いんですが、やっぱりどれも取ってつけたような登場なんですよね。まあ彼らの勇姿が劇場で観れただけで良しとします。
総括としては、邦画のCG技術に対する希望を見せてくれた点は評価できるかと思いますが、映画として一番大切な脚本があまりにも稚拙で作品としてのクオリティを著しく下げています。今後、山﨑監督はVFXだけに集中して、脚本は誰かに丸投げするか、少なくとも添削はしてもらった方がいいんじゃ無いでしょうか?折角の技術が勿体なく感じました。
お金を払って劇場で観るべきか?と言うと微妙な所です...CGは凄いけど話がアレだし...かと言ってDVDだと迫力が無くなっちゃうし...う〜む、難しい(笑)
新しいゴジラ
まず思ったのが、このゴジラ-1.0公開当時期待してなくて見なかった。
でもアカデミーで賞を受賞して観てみたいって意欲が湧いてきて今回観た。
ごめんなさいバカにしてた自分を殴りたいくらいだ。
このゴジラ-1.0は最高で傑作のゴジラ映画だと思った、人を踏み潰すシーンもあるし、人間ドラマでもしっかり描かれていてあきのこないシーンも無いゴジラのシーンも迫力がありまさに過去1怖いゴジラでした。
神木君と浜辺美波さんの演技鳥肌でした!
又最後は続編を匂わせるシーン最高です!
後昔のゴジラの音楽を使うシーンは最高に最適で鳥肌でした。
最後浜辺美波さん亡くなってたと思ってたのに生きていたのはびっくりでした。
Blu-ray買います!
続編期待してます!
何回観ても面白い
公開初日に観たが、いろいろ見どころを見逃し、その後3回程鑑賞。
毎回色々発見があり飽きない。
一番興味深い点は敷島の変貌ぶり。目の表情がどんどん変わっていく所がが素晴らしい。
シンゴジラの方がゴジラに対する悲しみと哀れみを感じる場面が多かったのだが
マイゴジは最初から荒ぶって多くの人間に危害を加えるので対ゴジ共感度としては
こちらの方が低いかもしれない。
一番好きなのは海上でゴジラが大迫力で迫ってくる場面。音楽も含めて最高。
アカデミー賞獲ってIMAX上映復活してくれて良かった。
〈アカデミー賞受賞は少人数、低予算だからでは決してない理由〉やはり会いたかったのはこいつだ‼️ハリウッドゴジラが霞む国産ゴジラの圧倒的な存在感‼️
(※IMAXGT、MX4D、4DX、轟音上映、アトモス鑑賞加筆)
まず第一の感想は
「観るゴジラから体感するゴジラ!日本人として生まれ、日本にゴジラがいる喜びをひしひしと感じる!」そんな作品だ。
と共に-1.0公開前『シン・ゴジラ」の庵秀明総監督が「ツッコミどころは満載だけど面白い。よくできていた。これでゴジラも続くから大丈夫」との意味深なコメントになるほど!と共感。
(ここからネタバレ)
本作公開前の山崎貴セレクションという歴代のG作品を劇場で観る機会があった。過去のゴジラをスクリーンで観ながら思っていた事は”ゴジラは戦後からの日本の歴史を常に背負ってきた事”だ。初代は戦後まだ10年も経たない中で先の大戦、そして原爆への痛烈な日本人の思いを代弁するかの様に国土を破壊しては倒され、人々は立ち直っていく。その後の昭和ゴジラは世の中の世相を現し子供達のヒーローへ、1984年復活した新ゴジラの時代はアフガニスタンにソ連が侵攻ロス五輪に東側がボイコットと東西冷戦が激化した中、1984の有楽町マリオン・新宿副都心から→1989大阪ビジネスパーク→1991東京都庁→1992横浜みなとみらい→1993幕張新都心→1994福岡タワー→1995(阪神淡路大震災・地下鉄サリンと激動の年)東京臨海副都心→1999東海村→2000お台場ゆりかもめ→2001横浜みなとみらい→2002八景島シーパラダイス→2003国会議事堂→2004→2016シン・ゴジラでは工業地帯から急激なタワマン建設発展を遂げた武蔵小杉と・・・時代を象徴するランドマークを次々破壊する破壊神となる、そして再生。それはまるで日本の進歩の歴史そのものを見る様だった。
そんなゴジラが今回破壊するのは銀座・有楽町界隈、初代ゴジラが和光ビルを破壊して唯一出禁になってた場所だけに”ゴジラ”にとって象徴的な場所だ。また、ゴジラ-1.0では”海”のシーンが多い、小舟を追うゴジラはまるでジョーズが襲って来るようでこの辺りは山崎監督の中にある若き頃のハリウッド特撮に影響を受けた事を物語っているだろうか。あの頃の黒船映画はエンタメの極みでまさに映像で表現されているのは夢の世界、圧倒的な映像技術に国産映画が全く太刀打ちできない時代だった。
しかし、この-1.0は凄い!VFXのクオリティもさることながら、近年の映像中心で中身が薄っぺらいハリウッド映画にクサビを打つような作品になっている。ハリウッドの予算の何十分の1ではあってもここまでのVFX国産映画ができるとは・・・と感慨深い。
(加筆:アカデミー賞視覚効果賞受賞は特撮ファンだけでなく多くの邦画ファンにとっても感動の一言だが、各メディアでの少人数・低予算だから受賞できたという報道に違和感を感じる。もちろんショートリストの「Bake Off(ベイクオフ)=プレゼン」で低予算・少人数をアピールするのはありだが、この作品の良さは少人数・低予算だからでは無い。アカデミー賞はそんなお涙頂戴で取れるほど甘くは無い事は山崎監督もよくわかっているだろう。
では何が良かったのか、
それはやはり〈〈”こんなゴジラが見たかった”〉〉という多くの観客の心を打ったからに他ならない。
「ゴジラが連れて言ってくれた」山崎監督もそう述べるようにまずはゴジラという大スターがあってこそ、形を変えながらも70年もの長きの間連綿と受け継がれてきたゴジラというスターの存在を忘れてはいけない、ゴジラの歴史の中で幾度も終焉の危機はあったがこの稀代の大スターを受け継いでいこうという情熱がなければ今回の快挙には至らなかった。
そんなゴジラの歴史の中で待ち望んでいた一つの答えがあった、それは2016年のシン・ゴジラだ。当時の日本アカデミー賞を総なめにし「こんなゴジラが観たかった」という一つの答えが産まれた、あのシン・ゴジラがいなかったらもしかしたら今回のゴジラ-1.0は生まれていなかったかもしれない。
そしてもう一点。ドラマとドラマに隠された数々の名作へのオマージュが大きい。
スターウォーズや未知との遭遇、初代ゴジラを製作してきた円谷英二やスピルバーグ達の「誰も観たことが無い映像を作りたい」という欲求から生まれた情熱や工夫そのもの、この作品にはそんな創作に対するレジェンド達へのリスペクトが詰まっている。
本作公開時のインタビュー 記事で「マイナスな状態でなんとか工夫して成し遂げようとする時にドラマが生まれる」と監督が言っていたのがとても印象的だ。アカデミ賞受賞後のインタビューでは「ほかの作品が今までのVFXの延長上という中で、少人数、少ない予算の映画というところを面白がってもらえたんじゃないかと思います。あとは今回の賞というのが、VFXが物語にいかに貢献したかというところを大事にしていたので、VFXで作り出されたゴジラの絶望感などが、〈物語に貢献している〉ところが評価されたのかなと思います」「あちらのスタッフも、CGが使えなかった時代には、いろいろ工夫をして、なんとか成立させようとした時代があったと言っていました。そういうところが皆さんの琴線に触れたのだと思いました」とのべている。
VfXはあくまで一つの方法論なのだ。
「予算がある事に越したこたはないが、制約がクリエイティブを産む、制約はクリエイティブの父でそれも大事な事、そういうところからエネルギーが生まれる」
と述べていた。
以前の記事で『VFXはもはや主役ではなく、映画を彩る豪華な額縁、脇役なのだとも気がついた。「VFXのもたらす魔法のような効果が大好きだし、僕の映画製作においては欠かせない存在。でも今はVFXがどんなに良くてもお客さんは映画館に来てくれない。』と述べているように視覚効果というツールを介してもあくまで目指しているものは、作りたいと思う作品そのものが面白くて映画館で観たい様なものかどうかだ。
この作品の良さは、前述してるがハリウッドが忘れてしまった工夫と情熱の固まり。
散りばめられたオマージュの数々をあげると、例えば大石典子が乗っていた山手線(国鉄63系)の運転手役は初代ゴジラ当時の俳優に似た役者を起用、小舟を追いかけるゴジラのシーンは勿論ジョーズ、サメはリアルに存在するから怖さにも現実感があるのだがゴジラも実際にいるのでは無いだろうかと思ってしまうほどハラハラドキドキ海上シーンは圧巻だし、ドラマの根幹となるストーリーにもあの名作を彷彿させるドラマ展開が見られる。
映画冒頭の敷島は戦争・ゴジラの恐怖から逃避し葛藤とトラウマを抱えてしまう、そんなゴジラと海上で対峙した時ゴジラを機銃で打ち返す、敷島の気持ちが一つ変わった時だ、銀座へ上陸したゴジラに愛する者を奪われ、ゴジラと対決する事を決意。ラストはゴジラを倒し失われたと思った家族を取り返す。という主人公の成長物語。
まるでスターウォーズのルークスカイウォーカーが、勝てるはずが無いと思っていた敵に立ち向かい、試練を乗り越え勝利するという王道の成長物語と共通する。
他にも色々あるが、やはりドラマがあってこそのVFX)
と良いところを上げたが、シン・ゴジラの庵野監督曰く「ツッコミどころ・・・」もある。
多分多くの人が思ったであろう
・ゴジラの全身をもっと見せてくれ〜!主な上陸は銀座のシーンでほぼ終了、2回目の上陸後はあっさり海に誘導されて全身の姿をもっと観たいのにそこはちょっと残念。
ゴジラが海上で追っかけてくる映像とかそれはそれでめちゃめちゃ良いのだが、やはり本土上陸して大勢の人々に恐れられてこそのゴジラ(GMKでも海上でラストを迎えるが横浜ベイブリッジエリアなので本土からは近し)、海上に行ってしまったままでは民衆も何が起こってるのかわからないのでは?
・野田( 吉岡秀隆)がゴジラの進路を海図で予測する演技はちょっと雑、進行経路のライン引くのに定規がずれて真っ直ぐ引けてない。
・電球の色がやたらに白い。昭和感を出すにはあえて電球色を強調して欲しかった。
(震電の駐機整備工場は逆に白色系の作業灯で街の灯りと対照的になって良い)
・そして音楽の使い方も伊福部昭ゴジラのテーマの凄さを改めて痛感させられるのだが(あのトロンボーンのロングトーンから始まるgodzilla tema今更ながらインパクト大!)、今作品の音楽にはもう少し何かが欲しかった、やはり映像と音楽がシンクロしてこそ鳥肌ものなので(シン・ゴジラの覚醒シーンとかは物凄いシンクロで鳥肌立ちまくった)
・大石( 浜辺美波)の昭和の美人感がめちゃめちゃ良かったのだが、走るのあまり得意では無いのかな〜(笑)
他諸々あるが、きっとこれらの要望を満足させるとしたら125分の上映時間では足りないだろう(あと少なくとも30分は欲しい)
ただ、そんなこんなツッコミどころを差し引いてもゴジラの歴史に残る名作には違いない。
ゴジラは娯楽映画である。老若男女楽しめる映画としてどうしても2時間という枠にはまらざるを得ないのかもしれないが、決していなくなることの無い永遠の大スターなのだからこれでもかというくらい暴れ回って欲しい。
かつてハリウッド映画でも3時間を超える娯楽映画はNGだった、しかし「タイタニック」がそんなタブーを突破して歴史的な大ヒットになった、ゴジラ-1.0公式ページには『焦土と化した日本に、突如現れたゴジラ。残された名もなき人々に、生きて抗う術はあるのか。絶望の象徴が、いま令和に甦る』とある、今回令和の時代にゼロから-1.0として蘇ったゴジラには、今までの娯楽映画としてのゴジラから新たな歴史がここから始まる?そんな監督の思いも込められているのかもしれないしれない。
余談になるが今回は色々な上映形式があり、まさに観るゴジラから体感できるゴジラになってる。「MX4D 」「4DX 」「ドルビーシネマ」「IMAX」といったフォーマットに加え、3面マルチプロジェクション・映画上映システムである「Screen X」形式でも上映。 邦画では初。
初日はIMAXレーザー:噂の邦画額縁だったが12ch イマーシブ・サウンドは迫力があって良かった、充分通常スクリーンより醍醐味は増してるが確かにIMAXフルスペックじゃない時はその旨記載して客も納得の上で+¥αなら文句も出ないだろう。同日2回目19.8×8.3m TCX®に比べても満足度は高い。スクリーンXは海原や大空のシーンは没入感あり(以前トップガンマーヴェリックでは撮影機材もIMAXや270度を意識した作りで満喫)だったが室内シーンとかサイドのスクリーンは使われないので少し残念。IMAXと言えば以前新宿高島屋にあった高さ18m×幅25m3フロアぶち抜きの本物のIMAXを思い出しIMAXGTに行ってみた、入場時からド迫力のスクリーンサイズW25.8m×H18.9m、額縁は残念だがサウンドが凄いのでゴジラの足音、銀座の熱線放射などの迫力は半端無い、サウンドが内臓に直接響く。ついでに試してみたかった4DX SCREEN、ちょっとキワモノとなめていたが予想以上の激しさでまさに体感するゴジラ。プラス¥1,600を高いと思うかは人それぞれだが、充分楽しめた(熱風ありだったが熱風なくても充分楽しめる)。4DXとMX4Dはエフェクトが異なる個人的にはMX4Dの方が体感度合い大きかった。
そして、何と言っても轟音上映!正にゴジラ の為に作られたのでは無いかと思うほどゴジラの咆哮や足音を”体感”できる。通常上映と料金同じなのにはっきり言ってIMAXより満足感高い。轟音というのでうるさいのかと言えば決してうるさい訳ではなく音の振動を体感できるので不思議な感覚が体験できる(+¥200のアトモスより轟音!)
余談だが、今回和光(旧服部時計店=SEIKO)ビルを木っ端微塵にぶち壊すゴジラ-1.0がシチズンとのコラボで時計を発売しているのが興味深い、シチズンの関係者さんは和光ビルをぶっ壊すことを知っていてコラボしたのであろうか(笑)
劇場で三度鑑賞。映画館で見ないともったいない作品、ぜひ見られるうちに劇場へ。
1度目は公開されてすぐ、2回目は友人に見せたくて一緒に劇場へ。3度目は劇場で見られるうちに、と先日。ちなみに、同じ作品を何度も映画館で見るのは人生で初です。
人間ドラマをメインに描き、時代背景とゴジラを見事に合わせた素晴らしい作品となっています。テーマの「生きろ」というメッセージも強く視聴者に伝わってきて、ゴジラ映画ですが涙なしでは見られませんでした。VFXもまた、さすがアカデミー賞受賞するだけあって、見事です。初見は、え、これ日本で作ったんだよね?こんなすごいもの日本映画で作れるんだ!!というのが率直な感想です。個人的に、ゴジラのデザインも登場シーンもゴジラの動きもすべてドハマり。ゴジラ、怖い!強い!かっこいい!そして神々しい!
一番好きなゴジラは、中盤の海上シーン。振りかえって、海に潜るシーン。尻尾(すいません、こんな可愛い言い方で)が船にバーンと当たる、あのシーンです。ゴジラが、人間なんて戦うに値しない、と思っているような、そんな神々しい強さがうかがえました。
また、音楽もいいんです。ゴジラ登場シーンの、あの曲。まさに、きたーー!って感じです。
あのゴジラの大迫力、ぜひ映画館で見てもらいたいです。できれば席は後ろのほうではなく、中ほど、もしくはそれより前で。
一つ気になるところがあるとすれば、浜辺美波ちゃん、あの爆風で生きているなんて予測できませんし、傷もあの程度で済んでいるのがやや違和感でした(笑) まあ「生きる」のテーマで考えれば、あの終わり方になるんでしょう。
あの迫力を味わいに、また映画館行こうかな。
昭和らしさが出てて良かったと思います。
生まれて初めてゴジラを観ました。
今までただの1度もゴジラを見たことがなく、今回も見る予定はなかったのですが、自分の予定と時間の兼ね合いでゴジラを観ることになりました。
結論から言うと、まぁテレビでもよかったかなという感じでした。ゴジラファンから怒られそうですが、ゴジラも手作り感が感じられ、なんだか動きもゆっくりだし、迫力はありますが、もっとCGで何とかなったんじゃないかなぁという感じがしました。予告でゴジラ×コング観ちゃったからかなぁ。そちらの方が機敏な動きに感じちゃいました。
だがしかし、それはきっとゴジラファンには歴史あるゴジラの在り方でしょうからたまらないのでしょう。
それよりもストーリー的なものが良かったと思います。
神木隆之介くん扮するする敷島は特攻からも逃げて、そしてまたゴジラを撃つこともできず、そのせいで整備の人たちが死んでしまいずっとそれに悩まされる。が、他人に託された子供アキコを世話する典子に居着かれ、それでも追い出すこともせず、危険な仕事をしてまで2人を養う。そうするうちに、大切なものが出来て自分の戦争を終わらせるという目標ができた。
銀座を襲うゴジラから、典子を助けにきた敷島だったが、ゴジラの発する激砲で典子をなくしてしまう。
それでも自分の戦争を終わらせる為、敷島は驚きの行動にでる。
そしてとうとうゴジラを倒し、人々を守る事ができ、何よりも特攻で命を落とすかと思われた敷島が脱出出来て良かったです。
この辺りで典子は多分死んではいないと思ってましたが、最後やっぱり生きてましたね。でも首筋を這う黒いものは・・・放射能の影響か・・・
そしてまたゴジラが再生されて・・・ゴジラはまだまだこれからということですか。
アキコが可愛かったですね
なぜゴジラじゃないといけなかったのか
正直言って、ストーリーは予想通りというか、見てるうちにこうなるんだろうなとわかってしまう。最後主人公が特攻した時に脱出するのだって、シンデンに脱出装置がついているのを知っている人なら特に、知らない人でもなんとなく察してしまう。
だが、決して悪いストーリーではないと思う。シン・ゴジラとは違い、現代ではなく戦後すぐ、政府ではなく民間が立ち向かうというのは良かったと思う。この設定のおかげで、命がかかっているのになぜここまで行動ができるのかが納得しやすかった。ただただ愛国心があるからとかただの自己犠牲とかではなく、戦争を経験して、その時の国からの命令で動き命を軽く見られた。そういうことがあったから、自分の中の戦争はまだ続いているから危険な作戦に参加できるというロジックはとっても説得力がありとても良かった。あと政府万歳エンドにならなかったのは個人的にとても好印象()そして自分の中の戦争が続いているというテーマは、ベトナム戦争から帰ってきたアメリカ兵などのアメリカ映画でよく取り上げられる題材にも重なるところがある気がする。だから、アメリカでも高い評価がされてるんじゃないかなとも思ったり。
ゴジラ-1.0の「-1.0」の私なりの解釈は初代ゴジラの芹沢博士が死んだ分が無くなった、死者数が-1されたからだと思う。
最後にあと一言言いたい。作中東京を襲うものがなぜゴジラである必要があるのかあまり説明されないのだ。ゴジラといえば核に怒った大怪獣、核の具現化というイメージがあると思う。しかし今作では核の要素は非常に少なく(多分ゴジラが青い光を放つようになった理由は核)おまけ程度といった感じだ。せっかく「ゴジラ」というのを使うなら。。と思わざるを得ない。ゴジラのポジションがキングギドラでも、大災害に入れ替わっても成り立つ気がするな。
色々いったが全体としてはとても良くできていて面白い作品で私は好きだ。
背ビレが青く光って伸びるフィギュア
日曜日にイオンシネマで 先週はオッペンハイマーだった
これは当初ノーマーク作
この監督の作品は何となく避けていた
しかしアカデミー賞を獲ったというので観ておかねばと
モーニングショーの玉川も絶賛していたし
ゴジラはよかった オモチャみたいな背ビレのギミックを除けば
歴代ゴジラへのリスペクトも感じられた
ローランドエメリッヒの速いゴジラとか初期の威風堂々ゴジラ
あとオラが大好きなジュラシックパークのイメージもあったな
玉川が言っていた核爆発のオマージュもなるほどと
戦闘機が突っ込んで静寂の中でゴジラがカチッと止まったところはクール
ゴジラはビキニの核実験で生まれたのではなかったか
そうするとなんか順番が違うような気がした
永遠の0もこの監督だったか 観ていないが
得意な時代背景なのか 脚本も監督だったのか
ステレオタイプで古くさい 予定調和が過ぎる
なんでそうなるのかとあぁやっぱりそっちに行くかの連続
・銀座の戦車はどこから来た
・どうやって集めた元海軍兵
・作戦のプレゼン時の意味のない白衣
・秘密にする必要がない説明用の水槽をベールで覆う
・なぜか最新鋭の戦闘機が見つかる
・エイエイオー的な集団行動
・青木何で髭そった
・神木どこで調達したカッコいい皮ジャン
・置手紙して子ども置き去り
・幼な子がその手紙をちゃんとそれを隣のおばさんに届ける
・タイミングのよい電報
・銀座にいかにもな服で就職する浜辺美波
・大した意味なく踏み潰されたり摘まみ上げられて放り出される連中
一方で生き残る浜辺美波
・個室に小綺麗なたたずまいで入院している浜辺美波
安藤サクラとか佐々木蔵之介 吉岡秀隆のいかにもな演技
学芸会レベルのストーリーに上手い役者を付き合わせるのは気の毒
まぁゴジラを観る映画だからなぁ 難癖だな
粗を探す観方は健全でないな
ん この映画のターゲットは 子どもなのか
せいぜい中学生までとか
そうするとオラの不満も解消する
背ビレが青く光って伸びるフィギュアは売れる
当然あってしかるべきの二人の性愛を描いていないのも仕方がない
子ども向けならば120分は長いよなぁ
前作のシンゴジラを観たら大人向けだと思ってしまう
VFX部隊にはVFXに徹してもらって
脚本には人間の営みとか体温が描かれていて
俳優が自らの人生経験を投影しながら演じて
それらを総合的にまとめられる監督の力量が必要だ
先週観たオッペンハイマーはそんな作品だったように思う
オッペンハイマーの続編みたいなことを監督が言っていたという
現状ではレベルの差は歴然
まぁリストアップしていなかったのは正解だ
オラが観る映画ではなかった
日本アカデミー賞作品賞ノミネート作で
観ていなかったのはこの一作のみだった
そしたら受賞 なんと脚本賞も
大丈夫か 日本アカデミー賞
今日も終了後は駅前公園で缶ビール2本
昨日でなくて今日で正解 いい天気で暖かくて気持ちよい
帰りは通り沿いの桜でも見ながらふらふら帰ろ
匂わせないで欲しかった
戦争がえりのトラウマ持ちが見れる。
という情報だけ。
映画館で見てよかった。
ゴジラのテーマ?いいよね。
コジラの口に特攻する前に、飛行機直してくれた人が耳打ちしてて、それで脱出できるってバレバレで残念…。
もっと、死ぬのか!?
て気持ちでみたかった。
深海に沈めて、また浮上させて倒すという作戦はわかりやすかったし、グロとかもなくておもしろかった。
ラスト、のりこが生きてたのはドン引きした。きれいに終わらせたかったんだろうけど、あの爆風に巻き込まれて生きてなくない?
ゴジラが放射能で爆破起こすの迫力満点でよかった。しかし、ゴジラは何がしたいのかわからず。
目的なく破壊行為してるのかな?
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