「「核の原罪」に戦慄するリアリティーって・・・」ゴジラ-1.0 みなとのジジイさんの映画レビュー(感想・評価)
「核の原罪」に戦慄するリアリティーって・・・
1回目のレビューの後にいただいた「自分史と1作目への懐古ばかり、もっとしっかり本作ついて述べてください」というコメントが、実はかなり胸に刺さりまして・・・そんな訳で改めて本作に向き合った感想を述べさせてもらいます。
先ず、VFXについて。はっきり、これは歴代ゴジラの中で最高、巨大生物としてのゴジラの禍々しさもさることながら、強烈な既視感を覚える破壊された都市の描写にはシン・ゴジラさえ超えているリアリティがあり、その点は最大限に評価したいです。
一方、敷島を中心に様々な人々の、ゴジラという災禍を通してそれぞれの戦後を乗り越えようとするドラマについても、私は十分な説得力があったと思います。特に敷島の、「特攻からの逃避」と「ゴジラからの逃避」という2つの十字架を背負った心の痛み、そしてそれ故に、典子たちと一つ屋根の下で寄り添うように暮らしながら本当の家族として受け入れられない切なさ、哀しみは十二分に伝わってきましたし、だからこそ、今度こそは逃げないという敷島の覚悟と、それ故に姑息な手を使ってまで橘とバディを組むことにこだわったことも十分理解できました。敷島は既に、自分の命を賭すことを決意している、その死にざまを見届けてもらうのは橘しかいない。そんな彼の覚悟が橘にもしっかり伝わり、彼にはそれで十分だった。だから万感の思いで「生きろ」と敷島に言ったんだと、ここまでの神木・青木両俳優の演技を見ながら確かに熱くこみ上げてくるものがありました。
そう、ここまでは。
震電による攻撃でゴジラが崩れ落ちるシーンで、今まで描かれてきた敷島の物語へのカタルシスは感じながら、同時に胸に去来したのは「手ぬるい・・・まだまだだよ」という思い。何故、そんな思いを抱くんだろう・・・なんで、素直に感動の涙が流せない・・・我ながらそうも思います。
けれど仕方がない・・・70年近く生きてきて、米ソ冷戦やベトナム戦争、核競争、水爆実験・・・それらを「ここにある危機」、身近なものとして育ち、そして今という時代を生きている自分はそのように感じてしまうのだから。
先にこの映画のVFXについて「強烈な既視感を覚える」リアリティと述べました。そう、確かにあのゴジラに破壊された都市の光景を自分は既に見ている。ウクライナの都市、ガザ地区の街並み・・・(それまでにも、バクダッド、サラエボ、ベトナムのソンミ村・・・)
都市を破壊するゴジラに戦慄するのではない、同じ人間の暮らす都市を破壊する人間に戦慄を覚えるのです。ゴジラの炎に立ち上るキノコ雲より、プーチン大統領の背後に、黒いアタッシュケースを抱えて控える2人の高官の姿に戦慄するのです。
そのような思いを想起させる力強さを持ったリアリティを生み出した山崎監督だからこそ、この映画のクライマックスには、エンターテインメントの枠を超えてでも見る者の心に訴えかける「今」にコミットしたものを突き付けてほしかったのです。
やや不穏な余韻を残す病室での敷島と典子の再会シーンを見ながら、私はふと原民喜という作家の短編小説を思い出していました。戦時中の地方都市に暮らす人々の日々、ささやかな葛藤、軋轢などを淡々と描写し、終盤、それらが一区切りしてほっと息をつげるようなシーンのあと、「壊滅の序曲」というこの小説は次の一文で締めくくられます。
「……原子爆弾がこの街を訪れるまでには、まだ四十時間あまりあった。」
人類が核兵器を知ってしまって以降、この一文は全ての人間ドラマの最後に繋がるように思います。人々のドラマチックな、あるいはごくささやかな営み、様々なストーリーを根こそぎ消し去る無慈悲で非条理な核の恐ろしさを表すこの一行は、敷島の胸を打つドラマの後にも繋がるものでしょう。
そんな私が本作のエンドロールを見ながら尚も幻視したのは、最後により禍々しく巨大な姿で海上に起き上がるゴジラの姿、それは旧海軍の戦闘機に爆弾を積んで体当たりしたぐらいでは打ち崩せない、「世界終末時計90秒前」の現在にまで私たちの前に立ちふさがる「核という原罪」としてのゴジラの姿です。
オッペンハイマーが、原子爆弾を生み出した罪ではなく、より壊滅的な力を持つ水爆開発への障壁となったことで国家から裁かれるという、巨大な歴史の皮肉を目撃することになる1954年、その同じ年に公開されたゴジラ1作目。芹沢という人物の苦しみと死を通して「パンドラの箱」を開けた科学者の悲劇を描く先駆的な、おそらく最初の作品となった1作目こそ、私にとっては、全てのゴジラ映画の頂点であることに変わりがないでしょう。
それでも、あれだけの映像クオリティを見せてくれた山崎監督には、マイナス・ワンを1作目の正統な前日譚として、「核という原罪」を私たちに突きつける覚悟、矜持を持ってほしかった、というのが、今の正直な思いです。例えハッピーエンドでなくても、私達に突きつけられたそれから目をそらさない限り、エルピスはあると思うから・・・
【上のレビューを投稿したら最初に投稿したレビューが消えてしまったので、以下に再記します。くどくなりますが、合わせて読んでいただけたら、私のこの映画への思いが一通りお伝えできるかと思いますので・・・】
ゴジラ・マイナスワン 見てきました。その感想を、と言ってもほとんど1stゴジラ論的な内容になりそうだし、最後には来年日本での公開がついに決まった「オッペンハイマー」に寄っていくという感想になりそうです。何か鬱陶しそうでしょ。べた褒めの感想を期待されてる方はここでサヨナラしていただいてよいかと。
さて、ここで私個人のキャラ形成のバックボーンに触れると、私は昭和30年代前半生れ、10代の多感な時期を米ソ冷戦、ベトナム戦争、大国の核保有、水爆実験・・・といったニュースに触れ、常に頭のどこかに「核による世界の終焉」へのモヤモヤした不安を抱えながら育った世代です。(確か中国の水爆実験の直後に小学校の先生ができるだけ雨には濡れないように、と注意したのを覚えています。冗談なのか本気だったのか「髪の毛が抜けるから」
という理由で・・・)夜中に、明日にでも核ミサイルが降ってくるかもしれないという恐怖に捕われ夜泣きするという子供でした。
そんな私ですが、中学生まではゴジラ映画と言えば、ゴジラがキングギドラやコング、ヘドラなんかと派手なバトルを展開する怪獣スペクタクルという認識しかなかったのです。
私が1stゴジラを始めて見たのは高校2年生の時、京都の場末の2番館で「博士の異常な愛情」との2本立上映でした。(←この組み合わせも、完全に狙ってますね)
あの時、私の子供の頃から抱えていた「核」への暗鬱な感情とゴジラという稀代のキャラを描いた物語が完全にリンクしたのです。夜の大東京を、逃げ惑う人々を前景にして、遠くにゆっくり不明瞭な暗い影のように動いていくゴジラの映像は、あの時代の核に怯える暗鬱な空気感をそのまま伝えてくるのでした。
そして、核の恐怖を思う時、常に頭に浮かんだもう一つの思い・・・
「どうして人類は、そんな自らを滅ぼす力を手に入れたのか?或いは、その力を生み出した科学者は、そのことにどの様な責任を負うのか」
1stゴジラは、その問いにも一つの答えを描いています。
芹沢博士という人物の苦しみとその死を通して。
オキシジェンデストロイヤーもまた、水爆と同じ、人類にとっての絶対悪として描かれています。水爆の落し子であるゴジラ、それを抹殺するためのの最終兵器もまた人類を滅ぼすだけの恐怖の力を持っている。それはまさに大国間の際限ない核競争の図式そのもの、「瓶の中の2匹のさそり」を表しています。
そのような力を、人は持ってはいけない・・・だから、芹沢博士はそのすべてを封印するために自ら死ななければならなかった。ゴジラを抹殺するためのあの海中のシーンには、他のゴジラ映画(マイナスワンも含めて)に描かれたような、搭乗した兵器によってゴジラに体当たりする的な派手さ、勇壮さは全くなく、ただただ静かに、沈鬱で・・・
マイナスワンでも一筋の涙も流せなかった私が、多くのゴジラ映画の中で唯一、涙したのは、1stゴジラの最後、愛弟子が水爆に匹敵する力をその命とともに封印した海底を見下ろしながら、山根博士が万感の思いで一言「せりざわ・・・」とつぶやくあのシーンだけです。
今日、世界終末時計は、冷戦時代も含めて最も人類絶滅に近い1分30秒前まで進んでいます。そのような時代に、先の大戦のトラウマを乗り越えるリベンジマッチとしてのカタルシスはある程度感じたとしても、核という原罪に人類がどう向かい合うのか、を描き切った1stゴジラを超えるような評価は出せない、というのがマイナスワンへの正直な感想です。
そんな私ですので、はい、ようやく日本での公開が決まった「オッペンハイマー」への
思いがバク上がりです。
そう、私にとって芹沢博士はオッペンハイマーそのものなんですよ。
第一作は奇跡に近いです、本多猪四郎監督にとっても唯一無二、ここまで将来に強い影響を及ぼすとは考えてなかったでしょう。
マイナスワンのゴジラは動物ぽさが有ったので、畜生畜生の第一作メンタルが再現されるか? と思いましたが、結局近作の破壊神に対する感じでした。結局今作は達者な出来でしたが、後に残るものはほとんど無かったのが、自分の評価になりました。
「自分史と第1作への懐古ばかり、もっとしっかり本作への感想をのべてください」というコメントをいただいたので、先のコメントを書かせてもらった次第です。自分史というご指摘も、確かに・・鬱陶しいですよねきっと。でもおよそ感想を述べるって、ある面性格や経験、知識全てをひっくるめながら自分自身を反映させておこなう所業だと思うので。
そうでないと誠実な感想にはならないと思うんですよね。
確かに、もう少しマイナスワンについての感想をきっちりお話しすべきですね、ごめんなさい。でも「先の大戦のトラウマを乗り越えるリベンジマッチとしてのカタルシス」に尽きちゃうかな・・・あ、VFXは確かにすごいです。ただ、それを恐ろしいと感じたかというと・・・何せ、一番恐ろしい戦争映画を、戦闘シーンが全く出てこない「博士の異常な愛情」だと思うような感性なもんで・・・
懐古というのも・・・世界週末時計の数字をいちいち気にするような自分にとっては1stのテーマは今だに今、この瞬間のテーマなんです。