「〈アカデミー賞受賞は少人数、低予算だからでは決してない理由〉やはり会いたかったのはこいつだ‼️ハリウッドゴジラが霞む国産ゴジラの圧倒的な存在感‼️」ゴジラ-1.0 菊千代さんの映画レビュー(感想・評価)
〈アカデミー賞受賞は少人数、低予算だからでは決してない理由〉やはり会いたかったのはこいつだ‼️ハリウッドゴジラが霞む国産ゴジラの圧倒的な存在感‼️
(※IMAXGT、MX4D、4DX、轟音上映、アトモス鑑賞等加筆)
まず第一の感想は
「観るゴジラから体感するゴジラ!日本人として生まれ、日本にゴジラがいる喜びをひしひしと感じる!」そんな作品だ。
なので、映画館で見てこそこの作品の良さを一番感じる事ができる。
と共に-1.0公開前『シン・ゴジラ」の庵秀明総監督が「ツッコミどころは満載だけど面白い。よくできていた。これでゴジラも続くから大丈夫」との意味深なコメントになるほど!と共感。
(ここからネタバレ)
本作公開前の山崎貴セレクションという歴代のG作品を劇場で観る機会があった。過去のゴジラをスクリーンで観ながら思っていた事は”ゴジラは戦後からの日本の歴史を常に背負ってきた事”だ。初代は戦後まだ10年も経たない中で先の大戦、そして原爆への痛烈な日本人の思いを代弁するかの様に国土を破壊しては倒され、人々は立ち直っていく。その後の昭和ゴジラは世の中の世相を現し子供達のヒーローへ、1984年復活した新ゴジラの時代はアフガニスタンにソ連が侵攻ロス五輪に東側がボイコットと東西冷戦が激化した中、1984の有楽町マリオン・新宿副都心から→1989大阪ビジネスパーク→1991東京都庁→1992横浜みなとみらい→1993幕張新都心→1994福岡タワー→1995(阪神淡路大震災・地下鉄サリンと激動の年)東京臨海副都心→1999東海村→2000お台場ゆりかもめ→2001横浜みなとみらい→2002八景島シーパラダイス→2003国会議事堂→2004→2016シン・ゴジラでは工業地帯から急激なタワマン建設発展を遂げた武蔵小杉と・・・時代を象徴するランドマークを次々破壊する破壊神となる、そして再生。それはまるで日本の進歩の歴史そのものを見る様だった。
そんなゴジラが今回破壊するのは銀座・有楽町界隈、初代ゴジラが和光ビルを破壊して長い間出禁になってた場所だけに”ゴジラ”にとって象徴的な場所だ。また、ゴジラ-1.0では”海”のシーンが多い、小舟を追うゴジラはまるでジョーズが襲って来るようで、この辺りは山崎監督の中にある若き頃のハリウッド特撮に影響を受けた事を物語っているだろうか。あの頃の黒船映画はエンタメの極みでまさに映像で表現されているのは夢の世界、圧倒的な映像技術に国産映画が全く太刀打ちできない時代だった。
しかし、この-1.0は凄い!VFXのクオリティもさることながら、近年の映像中心で中身が薄っぺらいハリウッド映画にクサビを打つような作品になっている。ハリウッドの予算の何十分の1ではあってもここまでのVFX国産映画ができるとは・・・と感慨深い。
と良いところを上げたが、シン・ゴジラの庵野監督曰く「ツッコミどころ・・・」もある。
多分多くの人が思ったであろう
・ゴジラの全身をもっと見せてくれ〜!主な上陸は銀座のシーンでほぼ終了、2回目の上陸後はあっさり海に誘導されて全身の姿をもっと観たい気持ちと海上シーンの圧倒的な迫力のジレンマ。海上で追っかけてくる映像とかそれはそれでめちゃめちゃ良いのだが、やはり本土上陸して大勢の人々に恐れられてこそのゴジラ(GMKでも海上でラストを迎えるが横浜ベイブリッジエリアなので本土からは近し)、海上に行ってしまったままでは民衆も何が起こってるのかわからないのでは?
・野田( 吉岡秀隆)がゴジラの進路を海図で予測する演技はちょっと雑、進行経路のライン引くのに定規がずれて真っ直ぐ引けてない。
・電球の色がやたらに白い。昭和感を出すにはあえて電球色を強調して欲しかった。
(震電の駐機整備工場は逆に白色系の作業灯で街の灯りと対照的になって良い)
・大石( 浜辺美波)の昭和の美人感がめちゃめちゃ良かったのだが、走るのあまり得意では無いのかな〜(笑)
他諸々あるが、きっとこれらの要望を満足させるとしたら125分の上映時間では足りないだろう(あと少なくとも30分は欲しい)
ただ、そんなこんなツッコミどころを差し引いてもゴジラの歴史に残る名作には違いない。
ゴジラは娯楽映画である。老若男女楽しめる映画としてどうしても2時間という枠にはまらざるを得ないのかもしれないが、決していなくなることの無い永遠の大スターなのだからこれでもかというくらい暴れ回って欲しい。
かつてハリウッド映画でも3時間を超える娯楽映画はNGだった、しかし「タイタニック」がそんなタブーを突破して歴史的な大ヒットになった、ゴジラ-1.0公式ページには『焦土と化した日本に、突如現れたゴジラ。残された名もなき人々に、生きて抗う術はあるのか。絶望の象徴が、いま令和に甦る』とある、今回令和の時代にゼロから-1.0として蘇ったゴジラには、今までの娯楽映画としてのゴジラから新たな歴史がここから始まる?そんな監督の思いも込められているのかもしれないしれない。
余談になるが今回は色々な上映形式があり、まさに観るゴジラから体感できるゴジラになってる。「MX4D 」「4DX 」「ドルビーシネマ」「IMAX」といったフォーマットに加え、3面マルチプロジェクション「Screen X」形式でも上映。 邦画では初。
初日はIMAXレーザー:噂の邦画額縁だったが12ch イマーシブ・サウンドは迫力があって良かった、充分通常スクリーンより醍醐味は増してるが確かにIMAXフルスペックじゃない時はその旨記載して客も納得の上で+¥αなら文句も出ないだろう。同日2回目19.8×8.3m TCX®に比べても満足度は高い。スクリーンXは海原や大空のシーンは没入感あり(以前トップガンマーヴェリックでは撮影機材もIMAXや270度を意識した作りで満喫)だったが室内シーンとかサイドのスクリーンは使われないので少し残念。IMAXと言えば以前新宿高島屋にあった高さ18m×幅25m3フロアぶち抜きの本物のIMAXを思い出しIMAXGTに行ってみた、入場時からド迫力のスクリーンサイズW25.8m×H18.9m、額縁は残念だがサウンドが凄いのでゴジラの足音、銀座の熱線放射などの迫力は半端無い、サウンドが内臓に直接響く。ついでに試してみたかった4DX SCREEN、ちょっとキワモノとなめていたが予想以上の激しさでまさに体感するゴジラ。プラス¥1,600を高いと思うかは人それぞれだが、充分楽しめた(熱風ありだったが熱風なくても充分楽しめる)。4DXとMX4Dはエフェクトが異なる個人的にはMX4Dの方が体感度合い大きかった。
そして、何と言っても轟音上映!正にゴジラ の為に作られたのでは無いかと思うほどゴジラの咆哮や足音を”体感”できる。通常上映と料金同じなのにはっきり言ってIMAXより満足感高い。轟音というのでうるさいのかと言えば決してうるさい訳ではなく音の振動を体感できるので不思議な感覚が体験できる(+¥200のアトモスより轟音!の方が絶対オススメ、もっと轟音シアター増やして欲しい)
(加筆:アカデミー賞視覚効果賞受賞は特撮ファンだけでなく多くの邦画ファンにとっても感動の一言だが、各メディアでの少人数・低予算だから受賞できたという報道に違和感を感じる。もちろんショートリストの「Bake Off(ベイクオフ)=プレゼン」で低予算・少人数をアピールするのはありだが、この作品の良さは少人数・低予算だからでは無い。アカデミー賞はそんなお涙頂戴で取れるほど甘く無い事は監督もよくわかっているだろう。
ゴジラ-1.0の制作費は1500万ドル(約21億6000万円)と発表されている、1980年東宝公開の超大作黒澤明監督「影武者」・深作欣二監督「復活の日」の製作費が14〜15億で2023年の消費者物価換算だとほぼ同程度、邦画としては超大作レベルの制作費!平成ゴジラの製作費も7〜8億で当時の邦画製作費平均3〜4億に比べてもゴジラは東宝正月映画の顔、製作費は頭一つ抜けている。
では何が良かったのか、
それはやはり〈〈”こんなゴジラが見たかった”〉〉という多くの観客の心を打ったからに他ならない。
「ゴジラが連れて言ってくれた」山崎監督もそう述べるようにまずはゴジラという大スターがあってこそ。ゴジラの歴史の中で幾度も終焉の危機はあったが、70年もの長きの間連綿と受け継がれてきたゴジラという稀代の大スターを受け継いでいこうというファンやスタッフの情熱、そして、新たに眼前に現れた着ぐるみ特撮の世界では表現しきれなかったゴジラが“センスオブワンダー〈未知との遭遇〉”な存在だったからだ。
そしてもう一点。ドラマとドラマに隠された数々の名作へのオマージュも大きい。
それらは、スターウォーズや未知との遭遇、初代ゴジラを製作してきた円谷英二やスピルバーグ達の「誰も観たことが無い映像を作りたい」という欲求から生まれた情熱や工夫そのもの、この作品にはそんな創作に対するレジェンド達へのリスペクトが詰まっていた。
本作公開時のインタビュー 記事で「マイナスな状態でなんとか工夫して成し遂げようとする時にドラマが生まれる」と監督が言っていたのがとても印象的だ。
アカデミー賞受賞後のインタビューで「ほかの作品が今までのVFXの延長上という中で、少人数、少ない予算の映画というところを面白がってもらえたんじゃないかと思います。」というコメントと共に「あとは今回の賞というのが、VFXが物語にいかに貢献したかというところを大事にしていたので、VFXで作り出されたゴジラの絶望感などの〈物語に貢献している〉映像が評価されたのかなと思います」・「あちらのスタッフも、CGが使えなかった時代には、いろいろ工夫をして、なんとか成立させようとした時代があったと言っていました。そういうところが皆さんの琴線に触れたのだと思いました」
「予算がある事に越したこたはないが、制約がクリエイティブを産む、制約はクリエイティブの父でそれも大事な事、そういうところからエネルギーが生まれる」
『VFXはもはや主役ではなく、映画を彩る豪華な額縁、脇役なのだとも気がついた。「VFXのもたらす魔法のような効果が大好きだし、僕の映画製作においては欠かせない存在。でも今はVFXがどんなに良くてもお客さんは映画館に来てくれない。』
これらのコメントには、VfXはあくまで一つの方法論であり、視覚効果というツールを介してもあくまで目指しているものは、作りたいと思う作品そのものがいかに作れるかという事。そんな、VFXにお金をかければかけるほどハリウッドが忘れてしまった、“工夫と情熱”そして、一番大切な「こんな映像を観客に見せたい!」という思いがこの作品にあったからに他ならない。)