「ゴジラ映画史も兼ねて」ゴジラ-1.0 シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
ゴジラ映画史も兼ねて
凄く楽しみにしていて直ぐに見に行ってきましたが、個人的に感想を書くとなると邪魔臭くなる種類の映画なんで、この手の作品の感想はいつも何処から書こうか迷ってしまいます。
何が邪魔臭いのかというと、こんなに長い歴史のある“ゴジラ”というキャラクターの作品となると、個人的な“ゴジラ”との関りも書いておかないと文章として残す意味がなくなってしまうので、それも前説として書かせて貰います。
で、ゴジラ誕生70周年記念公開という事で、私は68歳なので1作目のゴジラ映画はリアルタイムではありませんが、第1回目の怪獣映画ブームの時に幼少期を過ごし、私もどっぷりとそのブームに溺れた子供時代でした。
とは言っても、『シン・ゴジラ』の感想の最初に書いたのですが、「基本的に“ゴジラ映画”には二種類あり、一つは1954年版の第1作目のゴジラ映画、もう一つはそれ以外の全てのゴジラ映画」と私はそう思っていました。
第1作目の『ゴジラ』以外のその後の日本のゴジラ作品はずっと、子供(少年)の為の映画だった訳で、なので少年期を過ぎると卒業してしまう様なクオリティであった訳です。
通常成人になると着ぐるみの怪獣映画など子供騙しとしての価値でしかなく、いい大人が見るジャンルの作品ではなくなり、子供時代の楽しい思い出としての価値しかなかった訳です。なので、既に成人していた平成ゴジラなどは、映画としては“どうでもよい映画”でしかありませんでした。
でも昔熱狂した映画好きには、「もしハリウッドなどで本気で作ってくれたら、大人が見ても面白い作品が作れるかも知れない」なんて、何処か心の奥底で願っていたらそれが本当に実現し、それからもどんどん映像技術が進歩して、ひょっとしたら日本でも(着ぐるみではない)リアルな映像で大人が見れる怪獣映画が見れるかも知れないと思っていたら『シン・ゴジラ』が出来た訳です。
ハリウッドのゴジラバースは基本は日本の子供向け“怪獣プロレス”オマージュではあるが、映像そのもののクオリティが雲泥の差があり巨大生物のアクション映画として楽しめ、『シン・ゴジラ』は第1作目以外は全て無視した、怪獣に“大災害”という新たなメタファーを取り入れたポリティカルムービーとして楽しめました。
その後にもアニメ版ゴジラも作られて、全く新しい世界観でのゴジラキャラだけを生かした作品にしていたりで、ゴジラキャラそのものが多様化の時代になったので、今後のゴジラは1作、1作別世界のゴジラとして登場でき、大人も一緒に楽しめる時代になったという事で、オールドファンの私にとっては嬉しい時代になったと言えます。
長々と前置きを書いてしまいましたが、本作は山崎貴が監督ということで、感想を一言でまとめると山崎貴カラー全開の作品になっていました。
それ以上でも以下でもない、ど真ん中の山崎『ゴジラ』で私は楽しめました。
もう少し詳しく言うと、今までの全『ゴジラ』映画に無かった“人間ドラマ”を主軸にしたゴジラ映画は初めての試みだったと思います。
細かく言えば、第1作目('54)やハリウッドゴジラバースの1作目('14)などは“人間ドラマ”も取り入れていましたが本作との方向性が違いますし、その他の全作品の人間ドラマパートはステロタイプの典型でしたので、この路線のゴジラは初めてでした。
まあ、厳密に言うと山崎貴作品の人間もステロタイプと言えなくもないのですが、この映画ではそれを深堀りする意味がないのでやりません。
あとは『ゴジラ』映画に於いて、今の技術でクリエーター魂をくすぐるのは何と言っても“構図作りの面白さ”でしょう。
今までに見たことのない、本当の怪獣が出現したらどのように目に映るのか?どのような光景が出現するのか?、これを考えるのがゴジラ映画を作る一番の楽しみだと思いますが、『ゴジラ−1.0』も新しい絵を沢山見せてくれたので、私は大いに満足しましたよ。