燈火(ネオン)は消えずのレビュー・感想・評価
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ラストのサプライズが映画ファンの思い出を照らす
もう一度ネオンを輝かせたいと、ネオン職人だった夫の死後に妻が奮闘する姿を描いており、夫婦愛とともに香港への愛に溢れた映画です。昔気質のネオン職人だった夫ビルを「エレクション 黒社会」などの名優サイモン・ヤム、そしてその妻メイヒョンを名女優シルビア・チャンが演じ、香港映画ファンには垂涎の共演を果たしています。2人の過去の出演作や1980年代から90年代の香港映画の名シーンがネオンに重なって見えてきます。
この物語は、1997年にイギリスから中国へ返還され、2000年以降に徐々に勢いを失っていった香港映画界の状況とシンクロしてきます。ネオン看板への規制が続く香港には今も「その灯を消さない」と奮闘するネオン職人たちがおり、レトロなネオンに魅せられる若者も増えているようです。
そしてそれは、全盛期のような自由のある映画製作が難しくなった中でも、香港映画人が新しい世代とともに「香港映画の灯を消さない」という決意と重ねて見ることができるでしょう。香港映画は“かつての輝きを失った”と言われることもありますが、本作がその“灯”は消えていないことを証明しているようで、ラストのサプライズが映画ファンの思い出を照らしてくれます。
ナショナルのネオン
香港の象徴とも思えた極彩色のネオンが、今や殆ど撤去され、違法にすらなっているとは知りませんでした。
誇り高かったネオン職人の亡き夫の遺志を継いで最後のネオンを完成させようと、一から修行を始めるする妻のお話です。時代の流れに押し流されて行く文化は経済的にもはや成立し得ないと分かっていても、それに抗しようとする人々に自動的に共感スイッチが入るのは、僕自身が既にネオンになってしまった証かな。特に輝いてもいなかったけど。
4000本のガラス管を用い、当時ギネス記録だった香港のネオンが、今は無きナショナル・ブランド(現パナソニック)の広告だったとは、ここにも時代の流れを感じるなぁ。
【”燈火には神様がいる。”香港の2010年の建築基準法改正以来「百万ドルの夜景」を彩った多くの燈火が消えて行く中、亡き夫がやり残した仕事を完成させる妻と弟子の姿を、情緒溢れるトーンで描いた作品。】
ー 学生時代、中国に放浪の旅に行く時に、貧乏だったのでいつも船便で香港経由で中国に入国した。夜の香港の街は、原色の色鮮やかな多くの燈火が灯っていたモノだ。
だが、今作のフライヤーによると、2010年の建築基準法改正以来、この2-3年で9割もの燈火が違法とされ、消えているそうである。-
■腕利きの燈火職人だった夫・ビル(サイモン・ヤム)を亡くしたメイヒョン(シルヴィア・チャン)。
夫の弟子だと言うレオ(ヘニック・チャウ)と工房で出会い、彼から「師匠のやり残した燈火を完成させよう」と説得されたメイヒョンは、燈火作りの修行を始める。
そんな時、娘のチョイホン(セシリア・チョイ)から香港を離れてオーストラリアへ恋人と移住すると告げられる。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・個人的に好きな、情緒感溢れる作品である。消えゆく香港文化への郷愁も感じさせる。
・失われつつある光の芸術を追い続けた燈火職人とその妻の愛情物語でもあると思う。
・娘のチョイホン(虹)は最初は、借金塗れの工房を考え、燈火再現に反対するが、幼き時に父から言われた”燈火には神様がいる。お前がお母さんのお腹にいた時に、燈火の下で祈って居たらお前が産まれたんだ。”という言葉を父の姿と共に、思い出すのである。
■独りで暮らすメイヒョンの思い出の中は、何時でも若き夫の姿と燈火のシーンで満ちている。
哀愁を感じさせると共に、燈火の下でのプロポーズを始め、美しいシーンの数々に魅入られる。
<ラスト、メイヒョンとレオ達が作った”妙麗”と言う言葉が中心にある、孔雀のような燈火に光が灯った時に、メイヒョンとレオ、チョイホン、そして制作を依頼した女性と彼女の認知症の父がやって来て、その燈火を見るシーンは美しい。
極彩色の燈火が、彼らの未来への一筋の希望を照らし出しているように思えたシーンでもある。
実在の燈火職人の数々が登場するエンドロールも、印象的な作品である。>
二度と出会えない香港
昔香港に行ったとき当たり前のようにあふれん秤りのネオンなんだかうるさすぎて看板好きの私だがあまり写真撮ろうとも思わなかった暗い。明るすぎてストレートな欲望にうんざりなくらいな気持ちだったかもしれない。今は後悔しかない。
ネオンと香港人。本当の香港。
この10年20年、失われていくものが多すぎて自分自身も失いたくなる。
出てくる人みんな素敵な映画だった。
香港映画の昨日と明日
シルビア・チャンがプロデュースした作品である。1953年生まれ。ほぼ同年代の香港生まれの女優にノラ・ミャオとかいる(懐かしい)
欧米ではキム・ベイシンガーとかイザベル・ユペールが同じ年齢。世代的には作る側に回るということなんだろうけど彼女は本作ではほぼ出ずっぱりで主演を務める。
愛する夫を喪った喪失感と、姿を消していく香港のネオンサインをシンクロさせたお話ではあるものの、やはり全盛期の香港映画への郷愁と、現状への危機感が意識にはあるのでしょうね。
アナスタシア・ツァンという若い女性監督に演出と脚本を任せ、出演者も盟友サイモン・ヤム以外は、夫の弟子役レオくんをはじめ子世代というか孫世代といってもよい若い役者で固めています。ここにはまず、これからの香港映画を支える新世代への期待感を感じます。
一方、ネオンサインが撤去される、新しく設置するには規制のハードルがとても高いというところに、同じく大工仕事であるところの映画制作を意識しているところがチラチラみえます。香港の行政や警察当局は巡撫意識が極めて高くおそらくは融通はどんどん効かなくなっている。例えばロケなんかも難しくなっていると思われるのです。この映画で意外にも目抜き通りのネオンの現状の映像がそれほどは出てこない(過去の映像は出てくる)のはそんな事情があったのではないでしょうか。
若い人はそれでも工夫してよいクリエーティブ(ネオンであっても映画であっても)をつくってね、というのがシルビアさんの言いたかったことなんでしょうが、映画の中では最後にともに建築士である娘と婿がオーストラリアに出ていってしまう。このあたりにシルビアさんの強い危機感というか絶望感を感じてしまうのです。
香港の夜を彩ったネオン職人へのオマージュ
自分が香港を訪れたのは、イギリスからの返還を翌年に控えた1996年。その時の記憶から、香港には、今もネオンに彩られた風景が残っていると思いこんでいた。けれど、それから25年がたって、当然街並みも変わったことをスクリーン越しに伝えられ、時の流れを感じた。
観ている限り、ネオンの撤去は、建築法などの改正によるもので、香港の政治体制の変化とは直接関係はないようだ。だが、香港に花開いたネオン文化を、今なお後世に伝えようとしている「ネオン職人」を取り上げることで、観客に対して、香港が歩んできた(歩まされてきた)歴史を想起させる効果を意図していることは間違いない。
ただし、この映画は単なるノスタルジーに留まっていない。市井の人々が、数々の困難の中でも、たくましく生き抜いてきたこと、そしてこれからも、変わり続ける状況を受け入れながら、新たな展開を模索して生き続けていくだろうことを描く。
取り上げられた「ネオン」というモチーフが秀逸だと思う。なんとも言えない色合いが、やはり観ているだけで美しい。そして、他の照明にはない温もりを感じさせる。実際、ネオン管は、どんなに熱くなっても40度ほどらしい。「人の優しさ」を象徴するモチーフとして、これ以上にふさわしいものはないのではないか。
ストーリー的には「?」と思う部分もあり、自分は宣伝されているように「泣ける」までは行かなかったが、香港ならではの文化やしきたりが所々に描かれていてとても興味深く観られる一本だった。
照明さんの神仕事
映画の中に出てくるネオンは、昔からテレビなどで見た香港の風景だった。それが法律の改正で失われつつあるのは、なんとも勿体ない。
LEDが悪いわけではないけれど、昔ながらのガラス管にこだわる職人にスポットを当てるというのは、なんとも趣深い。
若い頃の2人は、時代もあってなのか、そこはかとなく漂うダサさが可愛らしくもある。
そんな可憐な少女も無駄にスマホを叩くおばちゃんに。
夜の街を照らすネオンはアグレッシブで活気があり、それとは対照的に夫婦で毛染めをするシーンは、柔らかな太陽光で幸せそう。
光の緩急がとても良い。
夫であり父であり、師匠であり友人である亡きビルの想いを、今っぽくクラウドファンディングも使いみんなで協力して作り上げ、ついに完成したネオンにジーンとくる素敵な映画だった。
エンドクレジットはお馴染みNG集ではなく、ネオン職人紹介。
最後のネオンは圧巻。
燈火は消えたのかも・・・
映画は正に<燈火(ネオン)への鎮魂歌(レクイエム)>とも云うべきものだが、結局は(ネオンがなくなってしまうのは)仕方がないね的な結末は個人的に気に入ってはいない。
映画を見ながら30年近く前、(中国)大陸を旅して辿り着いた時の香港の夜景を思い出した。その頃の大陸はまだ発展途上で(個人的にはこの頃の中国の方が好きだ)、香港の夜景を見て”文明”の世界へ戻ってきたとの感を強くした記憶がある。又この頃の香港には、中国に戻ることの高揚感みたいなものも感じられた気がする。
’97に人民解放軍が香港へ進駐した映像を見て、アジアの一員として熱いものを感じずにはいられなかった。ヨーロッパに奪われたアジアの地を、やっとアジアが取り戻したんだとの思いを強くした。しかも西洋(英国)が武力=覇道で奪ったものを東洋(中国)は交渉=王道で取り戻した。さすが<中華>だと中国に畏敬の念さえ覚えたものだった。
そんな香港が半世紀も経たない内に、映画に描かれたような諦め=母親と逃避=娘の地になろうとは、思いもしなかった。
自由を失った香港人の叫び
香港の街を象徴した派手なネオンサイン。中国返還後の2010年の建築法改正でその9割が撤去されたそうで、ネオン職人にとってのそんな“逆境”をどう生き抜くのか。あるネオン職人夫婦とその家族を取り巻く人間模様がそんな主題を紡いでいきます。
一国二制度の掛け声が形骸化し自由社会から途絶されたかのように見える今の香港は、往時の活力の象徴でもあったネオンの燈がその変化に呼応するように消され、文字通りの輝きが急速に失われつつあるのでしょうか。言論活動もままならなくなった香港では、映画製作現場も然りとすれば、この映画は、今も奮闘するネオン職人の生きざまを題材に「反体制」を謳っているのではないかと感じました。全編に散りばめられた美しく少しもの悲しいネオンサインの輝きが、香港人の叫びのようにも感じられる秀作。お勧めです。
中国への返還後、香港名物のネオンは規制され、取り壊しが進んでいた。...
中国への返還後、香港名物のネオンは規制され、取り壊しが進んでいた。
根っからのネオンサイン職人だったビル(サイモン・ヤム)が死んで6週間ほど。
残された妻メイヒョン(シルヴィア・チャン)が夫の残した工房に出かけると、工房には見知らぬ青年(ヘニック・チャウ)がいた。
彼はビルの弟子だと名乗り、師匠が最近現れず、工房の家賃の支払いも滞っていると告げる。
青年のスマホには、ビルから指導を受ける青年の姿が写っている。
青年が続けて言うには、ビルは最近なにかのネオンの再現に取り組んでいたが、なにを作っているのかは教えてくれなかった、と。
メイヒョンは青年とともにビルがやり残した仕事を完成させようと取り組む・・・
といった物語で、あらすじだけ書くとしんみりしたハナシなのだが、香港映画特有の猥雑さやユルさなどが織り込まれていて、しんみり一辺倒というわけではありません。
ネオンはかつての香港の象徴であり、ネオンを題材にするのは中国に取り込まれた香港の、香港人としての抵抗みたいなものだろうなぁというのが鑑賞する前からの予想だったが、それは当たっていた。
メイヒョンが取り壊されようとするネオンにすがって、「わたしを先に殺しな」とわめくエピソードはまさにそのとおり。
ただし、そんな香港人の怨念・怨嗟のようなばかりだと映画は成立しないので、最終的には、ネオン慕情、香港ノスタルジー、さらに香港のネオン職人たちを讃える(ひいては中国人を讃える)方向に決着させ、当局の検閲を掻い潜っている。
このあたりの逞しさが底辺に流れているのことが、本作の見どころ。
シルヴィア・チャン、サイモン・ヤムのベテランふたりの存在感も素晴らしいが、へなちょこ青年を演じるヘニック・チャウもなかなかにいい。
まぁ、時折、柄本時生に見えて仕方がなかったけれどね。
監督はアナスタシア・ツァン。脚本もツァイ・ソーウェンと共同で担当してる。
香港の街のネオンのお話。 ネオン職人が亡くなり、しばらくはロス状態...
香港の街のネオンのお話。
ネオン職人が亡くなり、しばらくはロス状態だった奥様。弟子がいたとも知らず。
最後に作りたかった作品があるときき、
それは何なのか、作れるのか、
奥様や弟子など、皆で探り、奔走する様子。
すてきなお話でした、心配りも、彩りも。
街のネオンは激減しているそうですね。
建築法の改正とか、LEDに置換えとかで。
各人が抱く、故人との思い出。
ご夫婦、師弟、親子、旧友、客と職人、 etc.
それら一つ一つも、光輝いて見えました。
エンドクレジットには、実在するネオン職人さんらの写真や略歴の紹介が連なっています。
一人一人に、積み重ねやドラマがあること、深い印象に残りました。
現在の香港の状況を知るのによい作品
今年39本目(合計1,131本目/今月(2024年1月度)39本目)。
(ひとつ前の作品は「砂の器」、次の作品は「弟は僕のヒーロー」)
香港で過去、現在に起きている実際の出来事をテーマにしたヒューマンドラマです。
ここのサイトや公式サイトでは「建築法の改正」とあり、2010年ごろから少しずつ始まったとされるこの「ネオンサインの現象」は意外に知られていない(香港を舞台にした映画はカンフー映画以外では何らかの形でネオン街が出てくるが、それは現在2024(2023)年ではほぼCGによるものこと)といったところで着眼点は良かったかなというところです。この点、国の制度として中国の直接統治を受ける香港と、争いはあっても一定の自治権が存在する台湾とでは事情が異なる部分です。
映画ではヒューマンドラマの色合いを強くするために(換言すれば、ドキュメンタリー映画あるいは問題提起型の映画にしないため)このように「法の規制によるもの」として一気に紹介されますが、実際にもっと調べてみると、香港に関しては、
・ いわゆる雑居ビルで、1F~2F程度がお店、3F以上がマンション(賃貸アパート)というビルが普通に見られたが、住居場所とお店の分離が進んだ(土地開発の一環)
・ (こちらのほうがより自明ですが)オンラインショッピングの発達により、そもそもオンラインショッピングで代替のきかないもの(有名なお店の飲食物やホテル等、代替性がないもの)を除き、それらの発達により昔ながらのお店そのものが成り立たなくなる状況になった(消費者の志向や情報技術などによっておきたことがら)
…の2つもあり、特に3番目の「オンラインショッピングの普及」によって発生したという部分がやはり若干強いようです(どれか一つに決まる、というものではない)。
ただ、この問題提起をするタイプの映画ではないし、香港で実際に消えつつあるネオンサインをめぐる一つのヒューマンドラマとしては良いかなというところです。
なお、(日本の)公式サイトでも「日本についても同じ現象がみられる」とされていますが、こちらは記載されている通り「技術の発達により、ネオンサインの作り手の不足(後継者不足)である」というのが正しいようです(日本ではいわゆる中華街である神戸・横浜以外では表立ってネオン街というようなものは見当たらないし、この2都市でさえ今後どうなるかは微妙。ただ、いわゆる昔ながらの中華街文化があるこの2都市に限っては(その限られた範囲の中華街で作りうるものに限定される以上は、(負担の度合いが異なる以上)ネオン文化は続くとみることもできるし、ここは未来予知でもできないのでいろいろな解釈が可能)。
採点に関しては以下が気になったところです。
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(減点0.3/字幕について(ネオンサインについて))
・ もちろんすべてのネオンサインに字幕が付くのではないところ、一方で漢字文化圏に属する日本ではある程度の推測はつきますが、中には「安易な推測ではできない」ものもあるので(よく言われる「飯店」は日本では「レストラン」を想像するが、中国語(あるいは、香港で実際につかれている語)では「ホテル」の意味しかない)、これら「類推のきかない語に関しては」ある程度ケアが欲しかったです。
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表現方法が変わる中、伝統的な温かみは記録映画の中にしか生き延びる場所はなかった
2024.1.25 字幕 京都シネマ
2022年の香港映画(103分、G)
ネオン職人の夫の死を受けた妻の再生の物語
監督&脚本はアナスタシア・ツァン
原題は『燈火闌珊』で「薄暗く消えかけのネオン」と言う意味、英題は『A Light Never Goes Out』で「ネオンは決して消えない」と言う意味
物語の舞台は、SARS蔓延後の香港
10年前にネオン工房を閉めた夫チャンビル(サイモン・ヤム、若年期:ジャッキー・トン)が他界し、妻メイヒャン(シルヴィア・チャン、若年期:アルマ・クォク)は人生を見つめ直す日々がやってきた
夫との思い出に耽る中、一人娘のチョイホン(セシリア・チョイ)は、婚約者のロイ(シン・マク)とともにオーストラリアへの移住を決めていた
ある日、閉めたはずの工房の鍵を見つけたメイヒャンは、その鍵を持って工房へと向かう
誰もいないはずの工房には若い男レオ(ヘニック・チョウ)がいて、彼は夫の弟子として、彼が残した仕事を続けていると言う
だが、家賃や光熱費は滞納し、彼は自らの命でケジメをつけようと考えていた
メイヒョンは代わりに工房の維持費を捻出し、一緒に「夫の最後の仕事」を手伝うことになった
そんな折、チョイホンはロイを連れて母に会いにきて、結婚して移住すると告げる
突然の出来事に驚きを隠せないメイヒョンだっだが、それを受け入れるしかなく、金にならないネオンを続けていることで娘とも険悪なムードになってしまう
さらに、夫の遺品を整理する中で、彼が出せなかった女性宛の手紙を見つけてしまう
宛先は「リウ・ミウライ(ミミ・クン)」となっていて、メイヒョンは事の真相を確かめるために会いに行くことになった
だが、彼女との関係は想像していたようなものではなく、ミウライは認知症の夫(チェン・ツゥアン)の治療のために「思い出のネオンを再生しよう」と考えていたのである
物語は、法改正によって撤去を余儀なくされたネオン業界を描き、そこでLEDに転身せずにこだわりを持ってネオンを続けてきた夫との日々を回想する流れになっていた
回想と現実パートを思った以上に行き来するものの、そこまで混乱するほどではなく、物語はシンプルなものになっていた
エンドロールでは現職のネオン職人さんや、本作の慣習に携わった職人さんなどが登場し、100万ドルの夜景を担ったネオンの数々が映し出されていく
工房の屋上で1日限りで再現されたネオンは圧巻で、それを見るための映画と言う感じがした
いずれにせよ、そこまで複雑な物語ではないものの、ネオンが消えていく理由とか、香港のSARSの影響などを念頭に置いておかないと意味がわからないシーンも多い
ある意味、ネオンの記録映画的な部分もあるお仕事系なので、そう言った部分に興味がある人向けとなっている
業界自体が存続が危うく、レオもこの業界で生きるならLEDへの転換を受け入れないと仕事としては成立しないだろう
ネオン懐古的な趣がメインで、消えゆく伝統と変わりゆく表現方法について思いを馳せると言う意味では鑑賞の意味はあるのかもしれません
香港。返還前の風景が心から懐かしい。九龍城、 啓徳空港のあった時代。
1997年秋、返還寸前の香港へロケに行った。ネイザンロードをはじめ、さまざまな風景が、その遥か前に旅をしたときから随分と変化していて驚いたが、ネオンは健在だった。しかし、2010年の建築規制で撤去が進み、この作品の香港の風景では、、、。こんな作品が通用するほど「郷愁の懐古風景」となってしまってきるのか。
なかなか良い出来の、お仕事ドラマでした。
燈火は心の中で灯り続ける
香港の街を彩るネオンサイン。
法改正や時代の流れでなくなってしまうが、それに抗う悪あがきを一緒に楽しもう。
この映画を観ると、燈火はいつまでも心の中で灯り続けることになる。
若き日の2人のシーンがノスタルジックで、とても素敵だ。
ネオンの前で願い事をしてネオンが灯ると願い事が叶うなんてジンクス、ネオンの前でのプロポーズ…
そして、夫が妻の白髪を染めてあげるシーンがなんとも言えず微笑ましい。こんなことをされたら夫が亡くなっても一途に夫を愛し続けてしまうわ。
娘は子供の頃父に貰ったどこにでも持って行ける瓶の灯りをオーストラリアにも持っていくのだろう。
良き夫であり良き父だ。
そして良い師匠でもある。
弟子は抜け目がないところもあるがとても素直で頑張り屋さん。そして、笑顔もいい。
夫が作りたかったネオンを力を合わせて作り上げた頃には観ている者の心にも燈火が灯っていることだろう。
香港に行かなくちゃ!
消えゆく香港のネオン
香港といえば、街を彩るネオン群、100万ドルの夜景。
僕は香港のネオンとか街並みとかが好きなんですが、
そのネオンも時代が変わり9割が消えたそうです…
とても残念、こんな素晴らしい文化…
最後はシンミリしたな…
良かったです♪
ロマンスありで女性にもウケが良さそうな映画です。
エンドロール中も映像が流れるので、ぜひ最後まで、ご覧下さい。
生涯を賭けてネオンを輝かせたネオン職人の方々に敬意を(敬礼)
好きすぎだろ
なんとなくネオンにフォーカスしたドキュメンタリーっぽい作品なのかな、と思ってたらネオンをモチーフとした夫婦と親子と、疑似家族の愛の物語だった…
しかし奥さん、旦那好きすぎだろ…
古臭い演出ながら、ネオンが全盛だった香港の過去映像とともに綴られる家族の愛の物語はうるっとくる。
エンドロールのネオン職人列伝、みたいなのも面白い…
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