「なにものも有害ではあり得ない」REVOLUTION+1 パッチワークすさんの映画レビュー(感想・評価)
なにものも有害ではあり得ない
事後報告
2022/09/27 観ないと言う選択肢がとんでもないストレスになるので、行くことを決意した矢先に降り始めた雨のなか悪態吐きながら『Revolution+1』を観に行く。観ないでお手軽に批判する奴らの鼻っ柱を叩き折り、足立正生監督に「つまらなかった」と言う権利を得るためだ。
映画館に妨害みたいなのはなし。少しそう言うの期待して、議論ふっかける気満々だったのに、上映が遅いのと雨が降った影響か…いずれにしてもSNSや電凸はあったかも知れないにしても、お手軽にそう言うことだけで鹿児島は上映中止に追い込まれたのだろうかと思うと、こんなに情けないことはない。私もとんだピエロではないか。
ちょっと中身の話をするので、嫌な人は回れ右して帰りなさい。
宗教二世、革命家二世がそうぼろぼろ出て来るのでは、ファンタジーではないか? あと、みんな急いでモノローグで説明するため、例え製作途中にしても、感情移入出来ないのは、映画の強度として弱い。
全体として安倍晋三銃撃事件をリッダ闘争の継続戦として物語が進行しているようだ。これに関しては、私も三島事件を経団連襲撃やテルアビブ空港事件、オウム真理教の事件、新宿南口焼身自殺未遂、京大一時バリ閉鎖からISILにまで続く持たざる者の横断戦線なんてことをの賜って論文を掲載拒否された記憶もあるから、ここにツッコミ入れない。
最後に、山上(劇中川上)妹が「安倍さんが民主主義の敵だった」みたいなことを兄に(視聴者)に向けて話すシーン。「自分は別の方法で」と兄のテロを否定しつつ変えてゆく決意を語ってまぁなんとかテロ礼賛にならないようにしているが、安倍に民主主義の敵になるような力はない。この点では国葬反対派も賛成派も、安倍政治を肯定否定する両者が安倍晋三と言う幻の独裁者、幻の有能な指導者に対しておんぶ抱っこしてもらってしかも、彼が死んでいるにも関わらずそうであるのは度し難い。民主主義はみんなで独裁するのだ。
三島由紀夫が「なにものも有害であり得なくなった」とする官製の文化国家日本において、宗教も革命も山上も安倍も、岸信介も文鮮明も有害ではあり得なくなったのだ。
そういう意味で皆んなが思うようなテロ礼賛でも何でもなかったし、不謹慎卑劣な映画と言う幻で独り相撲取りたいなら、いつまでもそうしていればよろしいと思います。
取り急ぎ書いたので、わかりにくいかとは思いますが、こんなところで。
以上。