「差別すら秩序維持に利用する中世人。天命を無視する現代人。」山女 ソビエト蓮舫さんの映画レビュー(感想・評価)
差別すら秩序維持に利用する中世人。天命を無視する現代人。
18世紀後半の東北貧農地域のお話。
子供の頃、社会科授業で「やませ」という、冷害を表す単語を習ったが、最近は全く聞かない。
中学生の頃に、平成の米騒動という出来事があり、
うだるような暑さの、今の夏と違って、夏なのに全く暑くない、不思議なシーズンの年があった。
タイ米を輸入するしないの議論が行われ、日本人にとって米食がいかにアイデンティティの根源にあるかを、思い知らされた出来事だった。
この作品も、そういった当時の冷害のお話で、米が不作になり、それによって貧困が生まれる。格差が生まれる。
元々あった、村八分や差別も加わり、弱者が、より一層村人から差別されるという、かなりシリアスな社会派ストーリー。
柳田國男の「遠野物語」に収録された民話を叩き台にして生まれたオリジナルストーリーでもあり、
ここまで見ても、社会科と国語科の要素が強めなので、まるで教科書的な教育映画みたい。
とはいっても内容はかなりダーク。閉鎖的な村社会の、陰湿な日本人のいや〜な面があちらこちらに散りばめられている。
自然への畏敬も強いが、同時に自然信仰も強めな中世の世界観で進む話でもあり、
非科学的な信仰の危うさがあり、お祓いだの生贄だのと、中世らしいエピソードが出てくる。
そして差別の問題が一貫したテーマとして横たわっている。
主人公の家族は、村人から差別を受けているのだが、理由は「先祖の犯した罪」。
不条理な差別であり、これはおそらく「穢多(エタ)」を差別するエピソードなのだろう。穢多だから死体処理という、皆が避けたがる行為の、ケガレ仕事をしている。
おまけに主人公の弟は全盲。これも先祖のせいと言われているのだろう。
そうした悪循環から抜け出す意味もあり、父の不祥事の尻拭いを建前に、主人公は山に入る。
しがらみから解放され、山に入って、山男と出会い、生肉を喰らいながらそれなりに楽しく生活していると、
今度は山から集落へ引きずり出そうと村人が山に入る。
不条理な苦しみの連続連鎖が主人公を縛り付ける。
そして生贄として磔になり、ラストはまさかの、、、
現代人には理解に苦しむような急展開だが、
神頼みが当たり前の時代。それしか解決方法がない中世だし、
差別ですら村の秩序維持の為に、組織維持の歯車として構造的に組み込まれている社会。
なによりもまず、村人達に現代人のような人権感覚など持てるわけがない。
村のために、良かれと思いながら差別している人たちなのだから、なかなかの強敵だ。
村人を正すのは、人間ではなく神だけなのだ。あるいは、神が宿る自然だけ。
だから、自然が天罰を下せば、村人は自然の怒りを恐れて何かの間違いに気づき、天命に従う。
そこが、現代にはないロジックで面白い部分だなと思う一方で、
現代人は異常気象を目の当たりにしながらも、見て見ぬふりをし、天命に耳を傾けようともしない。
神様よりも、トランプ大統領の動向の方が心配の種なのだ。
先週なんて、まだ3月なのに30℃の真夏日に至る地域すらあったが、数日後の夜中は3℃になった。
本当に地球は壊れていないのだろうか。
現代人は中世人より賢くなったのは確かだろうが、神すらも見下すようになってはいないか?