ウィッシュのレビュー・感想・評価
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願いは生きる原動力
109シネマズプレミアムにて鑑賞。
ディズニーは私が生まれた時からずっと好きで、長い付き合いと言ってもいいぐらい大事な存在です。そのため、100周年記念作ということですごく楽しみにしていました。
3DCGなのに昔の手書きをイメージした絵柄がすごく新鮮で、これまでの伝統と最新技術を融合させたディズニーの凄さに驚きました。今作の挿入歌も素晴らしく、「ウィッシュ〜この願い〜」は「レット・イット・ゴー〜ありのままで〜」のように周りに流されず、自立していこうとする力強さが込められた楽曲になっていました。また、過去のディズニー作品のオマージュも多く、特にエンドクレジットではファンへの感謝を伝える内容に感動しました。
登場するキャラクターはどれも印象的でした。主人公のアーシャはジャスミンのように自ら行動していく前向きな姿勢が共通しており、彼女が必死で行動していくところから勇気をもらいました。相棒のバレンティノはこれまでの動物キャラを、スターは初期のミッキーマウスを彷彿とさせ、どちらとも表情豊かに動いて可愛かったです。マグニフィコ王は自分の欲望に取り憑かれ、願いの力で暴走する姿はマレフィセントとジャファーを組み合わせたようなインパクトある悪役になっていました。
そして何よりも一番感心したのが、「なぜ人は願うのか」という素朴な疑問に一つの答えを出していた点でした。アーシャが「願いはみんなの心なのよ!」と何度も言っている場面から、願いは人間が生きる原動力なのではないかと考えました。多くの人は王にそれぞれの願いを差し出しますが、そのほとんどが叶えられないどころが、逆に利用されてしまいます。それに気づいたアーシャは、願いは他人に叶えてもらうのではなく、自分で叶えるために行動を起こすようになりました。ここから夢を実現させるためには、世間の風潮に惑わされないことも大切なんだと実感しました。
今回は、子供のころから大好きな山寺さん目当てで日本語吹き替え版を鑑賞しました。アーシャを演じた生田絵梨花さんは、前向きさと力強さを持ち合わせた歌声に惹かれました。山寺さんのバレンティノは野獣のようなイケメンボイスが子ヤギと自然にマッチし、本作でも彼の気合いが入った演技になってきました。他にも、ディズニー作品に出演経験のある声優も多数参加しており、オールスターのような豪華さもありました。
創立100周年という記念すべき年の中で自身が生きていることが奇跡だと思えるぐらい最高に満足できました。また機会があれば、もう一度英語版で観ようと思います!
なんだこれ・・・って、なんだこれ? なんじゃこりゃ!?
って、一人ではしゃいでしまったのは、「ウィッシュ」本編ではなく、前座にして同時上映の『ワンス・アポン・ア・スタジオ -100年の思い出-』の方。
この短編で共演しているのは、ディズニー100年のキャラクター達だけではありません。それぞれ歴代のアニメーションテクノロジーまでもが共演している、正に驚異の短編アニメーション。技術的なことは判りませんが、それぞれのキャラクターがそれぞれ当時のアニメーション技術で動いているんです。昔の人は凄かった。予算の都合とかもあるのでしょうか、アニメによってはチープなデッサンや動きになっちゃうけど、当時の技術そのままに、ミッキー・ミニー・シンデレラなど、由緒あるディズニーの滑らかなアニメーション技術が忠実に再現され、しかも最新のCGアニメと見事に共演を果たしている凄まじさ。昔からのトムとジェリーのような戦前から続くカトゥーンアニメなんかも含めて大好きな人間にとって嬉しい短編でした。
そして本編。どんなお話なのかよく知らないで映画館に飛び込みましたが、まさに「ディズニー100年」の記念作品という以外、何者でもありませんでした。
「星に願いを」というテーマを踏まえ、「鏡よ鏡、世界で美しいのは」だとか判りやすいパロディーやオマージュが目白押し。ついでにカービィのゲスト出演!(なのかな?)という、ディズニーの記念すべきエンターテイメントと言えるかと。
でも、そうですね。「雪アナ」「ラプンツェル」「アラジン」だとか、お話そのものがテーマの作品と思って期待してしまうと、マイナス点を付ける人も多いでしょう。見に来ていた子供達とか大丈夫かな?
理念を掲げて王様になったは良いけど、夢を叶えて上げる代わりに、夢を取り上げる。その矛盾が行き過ぎて、まるで情報統制された国家の独裁者に! そんな王様相手に「星のカービィと愉快な仲間達」が立ち向かい・・・って、こんな理解で良いのかな。だとするとシンプルで判りやすいけど、シンプルすぎて物足りない人もいるのかも。
でも大丈夫でしょう。相変わらずの凄まじいカット割りにアニメーション、迫力のある歌と音楽。見応えは十分。
最後のスタッフロールは、ちょっと地味だけど、よく見ていると歴代のディズニーキャラクター達が星の輝きと共にゲスト出演。『ワンス・アポン・ア・スタジオ -100年の思い出-』の始まりに対する括弧閉じの役割を果たしていて、同時上映ではなく、丸々一本の映画としてみるべきだと、感じた次第です。
スタッフロールを最後まで観た人のご褒美、老人にして習い始めたギターで奏でる「星に願いを」――この意味は深い。
メモリアル要素は隠れミッキーのように散りばめられた過去作オマージュ
ディズニー作品は有名どころしか知らない私でも、「ん、これはアレでは?」と思う箇所がぽつぽつとあり、ちょっと調べたら結構な数の小ネタがあったようでびっくり。100年の歴史へのリスペクトということだろう。
タイトルはディズニーを象徴する楽曲「星に願いを」からであることはわかりやすい。アーシャの7人の仲間(7人のこびと。名前の頭文字も一致)、魔法使いである王マグニフィコに弟子入りするアーシャ(ファンタジア)、空を飛びたいという願い(ピーターパン)、鏡よ鏡(白雪姫)、などなど。他にも、「衣装や行動がそれっぽい」みたいなレベルを含めるとかなり仕込まれていたようだ。
監督2人はインタビューで、「チャレンジしてほしいイースターエッグ」として、森のシーンの背景に登場する「柳の木のおばあさん(ポカホンタス)」を挙げている(私はポカホンタスを観ていないので当然分からず)。
絵柄はアナ雪などで見たようなやたらリアルな質感のものとは違い、あえて絵本っぽくしたような温かみのあるタッチだ。パンフレットによると、水彩画をイメージしたとのこと。
パッと見てディズニーキャラとわかる個性を持つキャラクターが並ぶ中で、スターのデザインだけがちょっと浮いて見えた。ああ見えてミッキーマウスに着想を得たキャラらしいのだが、巷で言われる通りどう見ても星の◯◯◯ィの……ゲフンゲフン、日本のゆるキャラにいそうなルックス。さすがに動きはディズニーっぽかったが。
映像の美しさや歌と動きの調和はディズニーらしいハイクオリティ。
ロサス王国では、18歳になったら「願い」を王に預け、王は魔法の力で預かった願いを叶えてくれるという。しかし、アーシャの100歳になるおじいちゃんサビーノの願いはいまだに叶えられておらず、願いを預けたばかりのサイモンは早速生気が抜けている。ここで、「そういうケースがままあるのに、どうしてみんな王様に預けるの?」という素朴な疑問が湧いてしまい、今ひとつ感情移入出来なくなってしまった(野暮なことは百も承知)。
何年も待たされて叶えられないことに疑問を持つ人が出てくる、というバグを防ぐためなのか、預けたこと自体を忘れてしまう、という設定。でも、サビーノの預けた願いが長年叶えられていないことをアーシャが知っていたように、預けた願いが何年も叶えられないことがあれば本人以外の周囲の人間にはわかるのでは? アーシャ以外誰も疑問を持たない様子なのが不思議だ。
こういった不自然なルールの説明を序盤のナレーションや台詞に詰め込んでいたことも、世界観への没入を妨げた。
王の作為に気づけない民衆の願いを救うため、真実を知るアーシャが奔走する。さながら目覚めた活動家のようだ。
彼女は17歳なので、まだ願いを預けていない。「この願い 諦めることはない(So I make this wish to have something more for us than this)」と歌いつつ、アーシャの個人的な願いについてはほぼ語られず、彼女の行動原理はおじいちゃんや他人の願いの奪還。このように、個々の欲求がテーマに据えられながら、主人公の個人的欲求がぼやけている点も物語の引力を減じたような気がする。いっそ、預けてしまった自分の願いを取り返す、みたいな設定で自分ごととして動いてくれた方がパワフルな話になったかもしれない。
しかし、自分の願いを王様に預けて叶えられるのを待つ(そして自分では何も努力しない)ことが現実の何を暗示しているかよく考えると、目標のための努力を先延ばしにしてしまう、明日から本気出すメンタルとよく似ているような気がしてきた。我が身を顧みてその点は反省しきりだ。ロサスの市民を笑えない。
3DCGを再考する機会
ディズニーにも手描き感ある3DCGの波が押し寄せてきた。輪郭線を描いている。「スパイダーマン:スパイダーバース」がアメリカの3DCGアニメーション界にもたらした影響の大きさを物語変化だと思う。
絵のようなテクスチャーに寄せたのは、ディズニー100周年という理由もあったかもしれない。昨今のフォトリアル3DCGだけでなく、かつての手描き時代の作品も思い出させるようにしたかったのだろう。
ちなみに、同時上映だった短編では実写空間に歴代ディズニーキャラクターが多数同じ画面に共存しているのだが、やっぱり昔の手描き時代のキャラクターの方が生き生きとしている。デザインのシルエットがすごくいいから、同じ画面にいるとそっちに目がいってしまい、3DCGキャラは目立たなかった。
話を戻して本編の話。願いを奪うヴィランの動機がやや不透明で、役割ありきな感じが否めないのだが、願いを込めた歌の力で倒すという展開はちょっとマクロスみたいで熱いと思った。アリアナ・デボーズの歌唱力は素晴らしい。このレベルで歌って踊れて演じれる役者がいるというのがすごい。
安全牌
100周年記念ということで失敗できないプレッシャーの中、当たりさわりのない内容になってしまった。(ポリコレは忘れずにまぶしてある)
いたって平凡なので、感想といった感想が出てこないw
同時上映の「ワンスアポンアスタジオ」方が盛り上がった印象。
主人公アーシャを追えば追うほど、かつてのマグニフィコ王と重なる。歴史はくり返す、これブーメランだぞ。
続編やるならアーシャをヴィランにした方がしっくりくるな。
マグニフィコ御霊鎮魂レビュー
これを書くためだけに映画.comに登録してしまいました。それくらい個人的にはなかなかとんでもない内容でした。
あくまで個人の感想であり、面白かったという感想を否定するものではありません。気持ちの整理です。文章下手なのでこうして人目に晒すのはお恥ずかしいですが、ディズニーアニメで育った身としてどうしても書かずにはおれず…。
この作品の評判は鑑賞前から耳にしていました。マグニフィコは善人であり、ヒロインこそヴィランであると。
実際に鑑賞したところ、気持ちは正直分かってしまうけれど、それは極論すぎるなとは思います。国民にアメを与え続け疑問を持つことさえない環境を作り上げたのはマグニフィコ自身ですから。願いの検閲は謂わば思想統制ですね。
では何故こんなにも反感を買ってしまうのかというと、最後に受ける仕打ちがあまりにも彼の功績と見合っていないからでしょう。
多数の方が指摘しているようにマグニフィコは、家族を亡くすつらい経験をし、そのうえで独学で魔法を習得し、ためらいなく主人公サイドのキャラクターがクッキーを踏み潰せるほど豊かな食糧を蓄え、老人も母子家庭も障がいを抱える人も安全に生活できる福祉国家を作りあげた神様も真っ青な人間ですから。
こればっかりはキャラクターの描写と設定の問題ですね。マグニフィコがあまりにも苦労人すぎた。(あと主人公サイドの人間がクッキーに鼻水ぶっ飛ばしたり踏んだりしたのはもうマイナス五億点すぎた。)
その点アーシャは父を失った悲しい過去があるとはいえ、何の努力の描写も挫折もないまま願ったら星(以降:邪神)が降りてきて、何の代償も制限もないまま魔法を授けてもらえてチート能力を発揮してしまう。シンデレラ3の継母展開をヒロインでやるとは思いませんでした。しかも何故アーシャが魔法を授かったのか全く理由がわからない。歴代のプリンセスたちの中で、一番苦労描写の無いヒロインという描写はさすがにいかがなものかと。過去ヒロインからは恨まれそう。しかし努力も挫折もないぶん、民衆を先導する能力はしっかりあるので、なかなか一筋縄ではいかない恐ろしいキャラです。
そこで思ったのですが、この映画はベルのいない美女と野獣に近いですね。
アーシャが民衆を先導するシーンはどうみてもガストンで、意図的なのではないかと疑うレベルでしたが、スタッフの現状の告発をしていると言われたら信じてしまいそうになります。
彼女が優しすぎるヒロインというなら、野獣となってしまった孤独な王様に寄り添い、対話を何度も試みて、民衆と手を取り合って"人"に戻してあげてこそだったのではないでしょうか?アーシャだけではなく、国民や、王妃だってそうできたはず。
この作品は最終的に野獣を殺してしまったけど。
小説版ではマグニフィコが親を失ったとき邪神に願ったのに助けてもらえず、何故あのとき助けてくれなかったんだと邪神に問う描写があるそう。しかしノーアンサー。完。
あんまりすぎませんかさすがに。
自戒でもありますが、答えやそれに代わるものが出せず雑に片付けてしまうくらいなら、最初からデリケートな問題を取り扱うべきではないと思います。
必ずしも神は助けてくれるものではないのは誰だって分かっているのです。むしろ神も仏もないと思わざるをえない人のほうがきっと助けてもらえた人よりも多い。分かっているからこそよりマグニフィコの理不尽さとアーシャのチートが悪目立ちしてしまう。邪神があのとき助けてくれれば、そもそもマグニフィコはあんなことにはならなかったんじゃないかと問いたくなる。
没になった初期案が本当に惜しい。王妃が悪役だって、ヴィラン夫婦だっていいじゃないですか。男だって女だってバケモノになるやつはいる。人格者もいる。それが人間です。ヒロインとスターボーイVSヴィラン夫婦、ディズニーでは斬新ですごくいいと思いました。そのうえで悪役と和解なんて流れになったら100周年記念っぽくてめちゃくちゃよくないですか。まあこれは個人の好みなので何とも言えませんが…。
どこかのシュガーラッシュで取り上げられた「女の子は男の子がいないと世界を知れない」という問題だって、アーシャがスターボーイに世界を見せてあげる展開にできたはず。
恋愛にならなくても、淡い恋で止めたり男女バディものにだってできた。対象をどう扱うか突き詰めるのではなく、排除してしまっては、もう何も生まれない。ウィッシュはそれが顕著に出てしまったと思う。
(余談ですが七人の小人も村人AやBといった感じで半分くらいしか顔を思い出せないし全体的に色が暗く同化してて「あれ?」となりました。ミラベルは皆個性的なので一発で大体の顔を覚えられた。)
ディズニーに限った話ではありませんが、最近のいわゆる"ポリコレ"という考え方は結局女性に「こうでないといけない」というステレオタイプをおしつけているように感じてしまう。
説教くさくったっていいんです。結局キャラが魅力的で話が面白ければウケるものはウケるから。どう伝えていくかなんだと思います。ポリコレという"見直し"自体は間違ってないと私は信じていますし。
「女性とは男のように強く、豪快で、リーダー性がなくてはならない」というのは、これまでの男性像をただなぞっているだけです。結局男性のステレオタイプありきなんです。母親に無償の愛をささげる聖母像を押し付けてきた頃と何も変わっていない。
自分の意思での選択なら、王子様を待つ女の子も、自分から王子様を迎えにいく女の子も、それらに当てはまらない女の子もいたっていいはずなのに。
下手に高下駄を履かせたためにアーシャやアマヤ王妃への批判がそのまま女性を揶揄する下品な言葉に繋がる様を見かけて非常に気分がわるいです。フェミニズムとは女性崇拝ではなく、女性の権利を獲得するためにあるはずなのに。
売れた作品の続編ばかり作ってた低迷期を脱出したと思ったら今度は原型を止めていない実写化までついてくる近年。おまけにいつまでも面白おかしく擦り続けるハンス王子のタヒ体蹴り。気分の良いものではないし、こんな下卑た行為をディズニーにしてほしくなかった。ゲ謎の時貞という本物の人間のクズの姿を見せたい。
今のディズニーが探している答えは、すでに「プリンセスと魔法のキス」に全部詰まっています。
スタッフを白い部屋に拘束してプリキスを300回くらい見せたら、あの頃のディズニーに戻ってくれるんでしょうか…。
うーん
私はストーリーは良かったと思うが魅せ方がなんというか、説教臭いし押し付けがましいなと思った。ウルサイな、てなった(笑)なんでこんなにダイレクトに「1人ひとりがスターなのよ!」的なことを伝えてくるの?感動もしないし響かない。
映像は綺麗だし、スターはディズニーっぽくないけどイチイチ可愛いから好き。吹き替えも良かった。
可も不可もなく、、、
流石にディズニーなので、一定のクオリティはあり。
ただ他の作品と比べ、内容、キャラクター、歌にあまり魅力を感じることができなかった
ストーリーもところどころツッコミどころあり
ただ前評判通り悪役のキャラクターは魅力的だった
また他作品の小ネタもところどころにあり、全体としては楽しめた作品
期待外れかなあ。曲以外すべてが薄い
100周年記念ということでかなり気合いが入った作品なのかなと思っていたので正直少し期待外れでした。
何がと言うとキャラが皆弱い!主人公も優しい子ということしか分からず、仲間も人数いるけれども特に掘り下げられることもなく、王がどうしてそうなったかなどもなく、ましてやキーキャラクターである星も唐突に出てきて話もしないからわからない…
ディズニー自体がそこまでキャラを深掘りする作品ではないのかなとは思うのですが、それならそれで、深掘りしなくても愛着がもてたり目を引くような見た目やキャラ付けにしないと何も引き込まれないまま終わってしまいます。
他のディズニー映画の名前が出てきたりというところが唯一の特別感でしょうか。
ディズニー映画の冒頭のお城にかかる光の円の正体がこの映画で分かったのですが、思い入れがなさすぎてなんなら魔法がかかる演出です、のまま置いておいてもらった方がよかったまである。あのスターに愛着が湧かないので正体は知りたくなかったかな…
とはいえエンディングの曲は最高に良かったです!この曲だけで星3と言ってもいいかも。もう少し別の場面でも聞けると嬉しいな。
いつ面白くなるのかなと思って見ていたら終わってた
私の身近な友人が公開当時に劇場へ足を運んで見ていましたが、あまりいい反応をしていなかったのもあり今更になってDisney+で吹き替え版を視聴しました。
まず、これは好みの問題なのですが、今回のCGが違和感ありまくりでした。
手書きをイメージしているという噂も聞いたのですが、もしそうだとしたらこんな中途半端になるなら初めから手書きで作ってよ!と言いたくなる感じでした。(恐らくもう手書きができるアニメーターが少ないのだと思いますが)
シナリオについても、『これ、自分の思い通りにならないからって主人公がワガママ言ってるだけじゃね?』という考えになってしまったので、楽しむことができませんでした。
100周年ということでイースタ―エッグが散りばめられていましたが、無理やり感すら感じる量だったので、ワクワクしませんでした。
ミュージカルシーンはハルというキャラの歌声が素晴らしかったです。
逆を言えば、そのほかのキャストは「ディズニーのミュージカル音楽」に求めているレベルではなく、がっかりしました。
曲調はいいものも多く楽しいシーンもあったのですが、やりたいことのために無理やり入れた感が否めなく、作品を通して観ると特に感動などもありませんでした。
他にも物語の展開には疑問を持つところも多く、「いつ面白くなるんだろうこれ」と思いながら見ていたらエンディングになっていたという印象です。
レビューでは「ディズニーが好きな人なら楽しめる」という意見もありましたが、ディズニー大好きな私は楽しめませんでした。
イースタ―エッグ探しと楽しい曲があれば満足できるような人には向いてるかもしれないので、是非一度その目で確認してみてください。
夢を持ち続けることの大切さが伝わる作品でした
ディズニーの創立100周年を記念して製作された映画という事で、以前から気になっていたのでやっと鑑賞出来ました。
物語は、どんな願いも叶うと言われるロサス王国が舞台で、主人公はお城で働く17歳のアーシャ。ある日、王の従者に志願して面接を受けた時に、人々から差し出された夢はほとんどが叶えてもらえない事を知る。
王に管理されている国民の夢を開放し、戻したいと願ったアーシャは夜空の星に祈ると、不思議な力を持ったスターが彼女の元に舞い降り、王から夢を取り戻すためためスターと共に行動を起こす姿が描かれた作品。
この作品、とにかく不思議な力を持ったスターがキュートで可愛らしく、家族ともどもスターの虜になってました。無邪気な子供みたいで可愛かった。
アーシャが飼っている子ヤギも、スターの魔法によって話すことが出来るようになるんだけど、低音ボイスで見た目とのギャップが凄くて思わず笑ってしまった。
純粋に楽しめる映画でしたし、クライマックスで国民一人一人が立ち上がって歌うシーンは圧巻で興奮しました。
ディズニー作品は大人も子どもも一緒に楽しめる作品なので、これからの作品にも期待しています。
期待しすぎた
タイトル通りです。
ディズニーの100周年記念と持ち上げられていたり、テーマが素敵だったのでかなり期待していたのですが、、、
やりたいことを詰め込みすぎたのか、歌に力を入れた結果なのか、ストーリー進行や人物の動機のあたりが雑というかあっさりしすぎていました。言葉を選ばずいうと、薄っぺらい。
映像もCGに手書きアニメーション風の要素を取り入れているそうなのですが、私は中途半端な印象を受けました。歌も、最初の曲とアーシャのソロ曲しか印象に残っていません。
どなたかも書いていましたが、本当に記念映画がこれでよかったのか?と感じます。
声優さんの演技や歌声、ところどころに散りばめられた過去ディズニー作要素については楽しめました。
100周年はこれでいいんか?
もう素直に新しいプリンセス考えた方が良い。
ミュージカルシーンが多すぎて話が上手く入ってこない、
ストーリーは良い言い方をすればベタで特に良くも悪くも感想が思い浮かばない。キャラクターに関しては素直に言えば差別主義者の烙印を押されそうなので控えておきます、ロイヤルストレートフラッシュみたいに完璧でしたね。
星かわい〜!!!
ストーリーはまあ、なんか薄味な感じかな。
各キャラの過去とかもうちょい掘り下げてほしかった。
ただねーとにかくスターがかわいい!
あんなにかわいいと思わなかった。
丸っこいかわいいのが好きな人は観て。
願いが叶うという魔法の国の秘密
ディズニー創立100年記念作品。
どんな願いも叶うと言われる【ロサス王国】
国王はマグニフィコ王。
登場人物は黒人とも白人とも中南米系ともつかない作画。
マグニフィコ国王はフレディ・マーキュリー風。
主人公のアーシャは日本人の杏さん系。
王妃は雅子妃似?!
といささか迷走しています。
毎月一度「願いの儀式」の日があって国民は大競技場に集まります。
しかし願いが叶うのはわずか一年に16件位。
これは国王が自分の権威を維持するために調整しているのです。
アーシャは祖父のサバの100歳の誕生日に、是非ともサバの願いを
叶えたいと思うのですが、国王の企み(願いを握りつぶしていること)を、
知り闘うことを選択するのです。
スター(黄色く光る可愛い魔法使い)の助けを借りて、国王の嘘を暴き
ロサスの国が平和で楽しい嘘のない国にするために、
アーシャは奮闘します。
夢や願いを実現するには、自分が努力して
自分のチカラで掴み取る。
そんな当たり前のことを謳っている映画でした。
楽曲は覚えやすく美しい曲が多かったです。
折角の《100年記念作品》がやや平凡で驚きも感動も薄くて、
やや残念な仕上がりでした。
disnyですらこれが限界のメッセージ
この時代に、このタイミングでDisneyがこの作品とは。
政治的メッセージ強め。
夢を叶えてくれる国のはずなのに(笑)
アメリカンドリーム。
でもその願いは権力者の采配によるもの。
権力に従わなければならない。
王が誰であれ、誰かに期待しすぎてる結果のあの大国。
宗教も?うちの国も?誰かに願いを託しすぎ。
背に腹はかえられぬ。
逃げ道は作りながらだから?
ハッキリしなかったから作品としてはコケたんだろうけど
これがDisneyの精一杯のメッセージなのかなと。
願いは誰かに託すもんじゃない。
宗教しかり。
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