リトル・マーメイドのレビュー・感想・評価
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キスが一番エッチ
「ポリコレ批判」の滑稽さ
実写化の良いとこ悪いとろ半々。
意外と楽しめた
アリエルやディズニーに思い入れが薄いタイプ(幼少期アニメのアリエルには親しみ有り)で、期待しないで吹き替え版で見ました。
長年ディズニーアニメのアリエルは見ていなかったのに、この歌!このセリフ!このシーン!とアニメで親しんだシーンが実写になっていることに感激しましたね〜。いつも洋画は字幕で見ていますが、吹き替え版で見て正解でした。しかも長年見ていないのに思い出すほど、アニメの昔の吹き替えを意識して、吹き替えした方々がそれを再現しているのがまた凄い。
アリエル役も色々言われていますが、最初はあんまり…だったけれど、セリフの無いシーンでの演技や笑顔がチャーミングで素直に可愛いな〜と思って見ていました。
セバスチャンなどの生き物も、実写版違和感半端ないと思っていましたが、話が進むに連れて映画の世界観に慣れたのか違和感を感じなくなっていきましたね。
アジアン含め、多人種使いすぎ問題については、小さい子が見る時に、色んな人種がいるんだよーって伝えるディズニーなりの考え方かなと。私達は黒人、白人、黄色、という目で見てしまって、多様性アピールしすぎと感じる瞬間もありますが。小さい子にはどのように見えるんでしょうね。多人種が居るこれが普通、なんの違和感も無いというこれからを見据えたグローバルさには憧れますね。
エンディングなどアニメと比べてウーンと思う所もありましたが、もはや別物と考えるのが正解かなと!!総じて、見てよかったと思える映画でした。
「分断の克服」というテーマが、理屈抜きにロマンチックに語られるのも本作の魅力でしょう。
今年創立100周年を迎えるディズニーによる、伝説的なアニメーションの実写化。奇策とも言える大胆な配役で、よく知られた物語から新たな価値を引き出しました。
監督は「シカゴ」のロブ・マーシャル、新曲はアニメ版も手がけたアラン・メンケンが作曲、「モアナと伝説の海」のリン・マニュエル・ミランダが作詞を担う盤石の布陣です。
●ストーリー
好奇心旺盛な人魚姫アリエル(ハリー・ヘイリー)は人間の世界に憧れていました。海の王トリトン(ハビエル・バルデム)はそんな末娘が心配でなりません。でも、嵐の夜にエリック王子(ジョナ・ハウアー=キング)を助けたアリエルは、エリックへの思いを強くするのです。人魚は人間との交流を禁じられていますが、アリエルは自分の心の声に従うのでした。
アリエルは、邪悪な海の魔女アースラ(メリッサ・マッカーシー)と契約し、「3日間だけ人間の姿になれる代わりに美しい声を差し出す」という取引をします。
人間の姿になったアリエルは、陸上での生活を経験する機会を得ますが、最終的には自分の人生と父親の王冠を危険にさらすことになるのでした。
●感想
おなじみの名曲に新曲を加えたミュージカルナンバーは多様性に富んでいて、特に前半のハイライトの一つ「アンダー・ザーシー」の心躍るシーンは期待を裏切りません。
1989年(国内は91年)公開のアニメ映画のアリエルは、声と歌を担当したジョディ・ペンソンの澄んだソプラノで、「箱入り娘」といった風情でしたが、ヘイリー版は野性味と無垢な魅力を感じました。グラミー賞にノミネートされた実力派の歌手だけに、エリック王子ヘの抑えがたい思いを託す「パート・オブ・ユア・ワールド」もパンチが利いてソウルフルです。長編映画初主演という演技経験の乏しさも、見聞きするもの全てが珍しいという初々しさにつながりました。
●海中のダンスシーンをどう実写化したか
CG技術を駆使した海中の描写も圧倒的で、海洋生物たちのリアルな質感や潮の流れで揺らめくような動きはアニメを超えています。
作品を象徴する楽曲の一つ「アンダー・ザ・シー」をどう実写化するか悩んだ監督が考えた方法は、実際のダンサーたちに海の生物の動きを表現してもらうことでした。
公開された映像は、カラフルな衣装を身にまとったダンサーたちが、アリエル役のハリー・ベイリーを中心に踊っている様子を収録したもの。世界的なダンスカンパニーや振付師にも協力を仰ぎ、ウミガメが行進しているシーンやカサガイのダンスなど、全てダンサーたちが実際に動きをつけることで、まるでパーティをしているような華やかな動きを再現し、新たな「アンダー・ザ・シー」の場面を作り上げたのです。
●黒人がアリエル役に賛否両論
本作は配役が発表されてから、ネット上で賛否が渦巻く異例の経緯をたどりました。主な批判は、黒人のヘイリーの外見的な特徴が、白い肌に青い瞳、赤い髪というアニメ版のアリエルと違うことによります。しかしヘイリーは好奇心いっぱいに輝く瞳と伸びやかでエモーショナルな歌声でアリエルを演じ切り、プリンセスにふさわしいことを証明してみせたのです。
そしてアリエルは国境のない海の王の娘で、種を超えるほどの情熱を秘めた革命的なヒロイン。ヘイリーの起用は、特定の人種に結びついた表層的イメージから、本来の姿を解き放ったといえます。
●現代的な課題としての「分断の克服」というテーマ
原作はアンデルセンの「人魚姫」ですが、内容はシェークスピアの 「ロミオとジュリエット」にも近く、先行世代の争いが築いてしまった世界の分断を、若い世代が乗り越えようとする物語です。
陸と海を隔てる種族の対立という図式は、「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」や「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」といった最近の話題作でも見られます。 「分断の克服」というテーマが現代的な課題として顕れていることの証左でしょう。姫と王子の恋物語というクラシックな枠組みを基盤としつつ、同様の主題を備えた「リトル・マーメイド」が目指すのは、すべてが愛と融和で満たされる理想郷のような世界像です。
アリエルを突き動かすのは、王子への恋心よりも分断された世界の境界線を飛び越えていきたいという願いにも感じられ、「分断の克服」というテーマが、理屈抜きにロマンチックに語られるのも本作の魅力でしょう。
実写とCGの合成でデザインされた豊かな色彩は、多様性を謳う作品のコンセプトを明快に楽しく伝くれます。
アリエル役を黒人女性が演じることへの批判が、「分断の克服」という主題を何よりも大切にした映画なのに皮肉な話ではあります。しかし、少なくとも古い偏見を固持する側より、その抑圧や不寛容を実力で突破しようとする者のほうが、いつだって圧倒的に美しいものではないでしょうか。
●ディズニーにしかできない挑戦
最後に、アンデルセンによる原作童話は人魚の悲恋で終わります。時代背景を映した自己犠牲と魂の物語はアニメ化にあたってハッピーエンドに脚色されました。
実写化は原作からさらに遠のいたかもしれなませんが、祝祭的な雰囲気とポジティブな感情は増しました。定着した既存のイメージを刷新し、現代的な意味を問う。いずれもディズニーにしかできない挑戦だったと思います。
ディズニーの歌の力は素晴らしいが…
原作アレンジしすぎ!!!
ラストのトリトン王がアリエルを人間に戻して、エリックと再会するシーン、アレンジしすぎ!!!アニメのように再会してほしかった。
あとカメラワークと編集(繋げ方)がいまいちすぎて、あまり面白くなかった。
セバスチャンとスカットルの扱い方は面白かったけど、CGや音楽…特にアンダー・ザ・シーに力を入れすぎて他が雑になってて、非常に残念すぎる。
この監督はリトル・マーメイドを分かっていない。
他の監督でリトルマーメイドに対する思いが誰よりも深い人に、改めて原作をあまり壊していないリトルマーメイドを作り直してほしい。
リトルマーメイドを見ていない人にリトルマーメイドとして見せたくない
アリエルを助けるカニや魚や鳥のドタバタが楽しい
ディズニーマジックが無くなった、ディズニー映画。。。
色々と物議をかもしたディズニーの実写シリーズ第5弾。ミュージカル映画に実績がある、ロブ・マーシャル監督とあって期待値は上がる。
結論からいうと、「ライオン・キング」の実写化の時に顕著に感じたのだが、アニメキャラクター化された動物をリアルにする事のシュールさがどうにも払拭できておらず、ディズニー映画なんだけど、ディズニー特有のマジックが消えてってしまった寂しさが否めない。リトルマーメイドを見たくなったときにどちらを選ぶかとなったら、迷わずフランダーやセバスチャン、スカットルらがより魅力的なアニメの方を観るだろう。
それでも、アリエルとエリック王子のラブストーリーに焦点を絞ってみれば、ミュージカル映画としては決して悪くないと思う。
公開前から物議をかもしたハリー・ベイリーのアリエルは本当に魅力たっぷりだった。解釈が行き届いた豊かな歌唱力と、チャーミングなルックスが素晴らしく、キチンと本作の要になっていてることは明記しておかなければならない。ディズニープリンスを体現したジョナ・ハウアー=キングのエリック王子も、どこか憂いのあるハンサムガイが好印象で、彼もまた歌唱力が素晴らしい。この二人の役者の初々しさが、ミュージカル映画としての魅力を高めているのは間違いない。新たなミュージカルスターの誕生だと思う。
アースラを演じたメリッサ・マッカーシーも、見事な再現度で迫力たっぷりにディズニー・ヴィランを演じて、この若い役者に華を添える。
アニメで成立している世界を実写化する意味はどこにあるのか。この課題は本作がミュージカル映画としては素晴らしいが故に、より浮き彫りになってしまっている。なんなら足かせにすらなってると思う。「ディズニー映画」と銘打つなら、もっと開きなおってディズニーのアニメーションマジックが同居していれば良かったのにな、と思わずにいられない。
アニメ版を全く観てない ディズニーファンではない私 実写版のアリエ...
アニメとは別物
アリエルは曲が良い
ディズニー実写化は、美女と野獣、アラジン以来に観に行きました。
美女と野獣はエマ・ワトソンがベル似合いすぎ
アラジンはアニメが好きだったから
そしてアリエルはストーリー自体観たことなかったんですけど主役の方の歌が凄いということで観に行きました。
マジで凄かった!パートオブユアワールドもいいし、アンダーザシーはディズニーに行きたくなるしで話もどんどん進んで面白かったです。
やっぱディズニーはみんなハッピーエンドなのが良いところですね!
歌うまだったらアリアナグランデとかがアリエルしてるのも観たいなぁと思いましたが、美女と野獣で歌ってたから無かったか。
アリエル役の方はまだ23才なんですね。この役をきっかけにこれからもっと活躍していってほしいです!
原作愛が強い程…
原作のアニメ版のアリエルが本当に大好きなのですが……今回の実写は全体的に色彩が暗すぎる。
そして、謎の改変の多い事。
アリエルのお姉様達の名前は全て変わっており、同じトリトン王の娘のはずなのに、何故か全員別々の国の人種の人魚。
スカットル(鳥)は、アニメ版ではカモメのオスだったのに、実写ではなぜかカツオドリのメスに変更。
フランダーもセバスチャンもなんかリアルすぎて喋ってるのが違和感で可愛くない。
原作には無いエリックのお母さん(女王)が登場しましたが、エリック役の男性は純白人なのに、何故か黒人女性。違和感でしかなかった。
ポリコレ意識しすぎでは…
唯一良かったのは、アースラ(魔女)。
歌声も動きも迫力があって良かった。変身した姿もとっても綺麗で見惚れました。
一方、肝心のアリエルは、、綺麗で透き通るような可憐なアリエルの声とは大きくかけ離れ、歌声は力強すぎてなんか違うし、2000万以上かけたというドレッドヘアーは水に濡れてグチャグチャになっていて汚いし、カミスキーのシーンが上手く表現できていなかった。ディズニープリンセスの実写なのに、可愛いと思える瞬間が1度もなくてガッカリでした。
実写の映画をするなら、歌手とは言えどキャラクターに寄せようとする女優魂を見せてほしかった。原作イメージを壊していて、アリエルへの愛が全く感じられない。
原作が大好きなだけに、見ているのがツラい作品でした。
全く別の人魚モノの映画だと思って見ていれば、もう少し違ったのかもしれません。
今までのシンデレラ、美女と野獣、アラジン、マレフィセントなどの実写が凄く良かった分、今回は残念でした。
見る心の問題
今日子どもと一緒に観賞してきました。
ひと言で言えば良くできた映画だなと思います。子どもも純粋に楽しんでいて、見終わった後は興奮していました。
上映時間が2時間半と長いので、子どもには厳しいかとも思いましたが杞憂でした。
水中のシーンは髪や髭も水の中のような動きをし、魔女のディテールも素晴らしかったです。
ストーリーは既知のものですが、実写という特性を活かした演出がなされているなと感じました。
さすがはロブ・マーシャルという感じです。
主人公の人種がとか、多様性に囚われ過ぎてと言ったネガティブな意見も散見されましたが、個人的には気にし過ぎだなと思います。
「原作と実写化が必ずしも同じイメージでなければならない」必要はないという人間なので、見て面白ければ何でも良いです。
見たいと思っていた人が、人種や多様性のネガティブな意見で見ないのであれば、ぜひ見て欲しいです。
表情があまり...
上映時間が長い
キャストにあまりにも批判が巻き起こっていたので気になり上映しました。
アニメ未読です。
主人公可愛らしくて歌うまくて違和感なし。
カニと魚と鳥も可愛い!
でもこの手の作品ってそんなに上映時間が長くないものが多いのにこれは本当に長かったです。
王子とアリエルの趣味や多動なところが似てて惹かれるのに納得!
アリエルのお姉様方魅力的な人が多かったのでもう少し登場シーン多かったら嬉しかったです。
余談ですが、、
原作のアンデルセン人魚姫が小さい頃本当に大好きでした。最後儚く消えてしまうところがこの物語の1番好きなところなのに、ディズニーはそこを改変して何が人魚姫だよ!と思ってみなかっためんどくさい子どもでした。この映画のキャストの人種でわーわー差別的なこと言ってるコメントみてその気持ちを思い出しました…
分断された合衆国に、その初心を思い出せと呼びかける切実さが、ラストに無条件の感動を与える
まず初めに、演出面に関しては殆ど褒めるべきところが見つからないほど悲惨であり、
無自覚的レイシストだとか、ディズニー低迷期に制作された例のアニメ映画に未だに郷愁を引きずる厄介なファンだとかに猛烈なバッシングを受ける本作の評価の大勢を否定することはできないのだが、
アメリカ合衆国の現在に対する切実な思いをなりふり構わずぶつけたラストシーンを観ては、擁護のひとつも必要であろうと思わされてしまう。
海を統べるトリトン王には7人の人魚娘がいて、それぞれが7つの海を司っている訳だが、この娘たちはアングロサクソン系、北欧系、アフリカ系、アジア系、インディアン系などとそれぞれ人種が異なる。
片や陸上。
時は大航海時代。スペインと植民地競争を繰り広げるイギリス(この国名は明示されない)の大西洋上の植民島が舞台であるようだが、その島の王女はなぜか黒人であり、臣下の白人やらアジア系やらの人々を従えている。
海中でも陸上でも、あらゆる人種が混在していながら、それが物語においてなんら機能を果たしていない。人種差別のない世界を描いているようでありながら、この表層的な取り繕いは現実の問題を無視した、むしろ差別を助長するような振舞いとも取られかねない。
しかし、ラストシーンに至り、その出鱈目な振舞いが切実な願いに昇華する瞬間が訪れる。
結ばれた王子とアリエルは、作中語られる“まだ見つけられていない土地”へと出帆する。
言外に語られるその土地とは、もちろん、北アメリカ大陸に決まっている。
結ばれた二人の男女は、異人種であると同時に、移住者である。
その二人が今、アメリカ合衆国を建国する旅に出るのだ。
沖合に停泊した帆船に向かい、ボートを漕ぐ二人。
ふと振り返ると、島の人々、そして姉妹の人魚たちが二人を見つめている。
アングロサクソン系、ノルマン系、アジア系、アフリカ系、インディアン系・・・。
彼らの切実な表情が訴えるのはまさに、現実のアメリカに向けた“移民国家としての初心”
に帰れという切実な希望である。
この瞬間、あらゆる人種を雑多に起用しつつも説話的機能を有さないという出鱈目な振舞いが、ある願いの切実な表明として画面の上に結実する。
説話上の辻褄を合わせないがむしゃらさがむしろ、願いの切実さを強めるという、映画においてしばしば見られる現象がここでも起こっているのだ。
それと合わせて、悪役のタコ叔母が化けて王子を誘惑する美女の姿は、あまりに不健全さの欠けていた画面に多少の深みをもたらす魅力的なファム・ファタールとして機能していた。
以上2点において擁護しようと思う。
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