正欲のレビュー・感想・評価
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何が普通で、何が異常なのか
朝井リョウの原作は未読。登場人物を一人一人章立てした群像劇が、一つの事件に収斂されていく。
様々な場面で多様性が謳われている現代社会で、一般に広く認められる多様性と、「あり得ない」と思われる多様性があるのではないか、そもそも何が普通で、何が異常なのか、といった一種の思考実験を迫られるような作品。
普通であることを当たり前に受け入れる人たちと、異常であることを自覚し、それを押し隠す人たち。夏月がふと漏らす「地球に留学してるみたい」という感覚は、社会で生きづらさを感じる人たち共通のものかもしれない。夏月と佳道の疑似セックスは、普通の人たちが行う行為が、冷静に見ると異様なものであることを感じさせる。
夏月役のガッキーが実質の主役。冒頭の水に浸されるシーンから、おっと思わせ、内面が窺い知れない無表情、検事との対決シーンでの目力など、これまでのイメージを覆す好演。佳道役の磯村勇斗は、注目作には常に出ている感じ。検事役の稲垣吾郎は、もっと冷酷でもよかった。普通と異常の繋ぎ役とも言える山田真歩と東野絢香の演技も印象深い。
ただし、映画としての完成度はどうかというと、微妙なところ。そもそもこの題材を映像作品にすることは難しかっただろう。それでも「水フェチ」なので水浴びシーンが画になるが、これが「匂いフェチ」だったらどうしていただろう。
生欲(生きようと思う気持ち)
宣伝コピーが言うような、「価値観を揺るがす問題作」かというと、そこまで特殊な話では無かったです。ただ、共感できるところと、理解しにくいところがありました。
題名の「正欲」とは、普通(多数派)が正しいとされる現実に一石を投じ、では普通でない(少数派)は間違っているのか?という問いかけなんだろうと思いました。
私は「水フェチ」についてはよくわかりません。テレビでタレントが「私、匂いフェチなんです」と言うのと、どこが違うんだろうか。水には魅せられるけど、性的興奮を感じるなんてことがあるのか。多分、明るくカミングアウト出来ないことが問題なんでしょう。
本作は私には、人と違う性的指向の話というよりは、生きづらさを抱えている人の話のように見えました。
最近、性の多様性がしきりに言われますが、生きづらさを感じるのは、性的指向の違いに悩む人だけではありません。
私も、朝スッキリした気分で目覚めて、楽しい一日の始まりにワクワクした記憶が無いので、夏月(新垣結衣)の「地球に留学している気分」というのは分かります(でも、留学生は希望に満ちていそうなので、異邦人ということですね)
学校に行きたくないのも分かりますが、ユーチューバーを逃げ道にするのは危険です。あの子達はリクエストに応じるだけになっており、小児性愛者は喜んで観ても、「普通の」視聴者からは飽きられていきます。母親は視野が狭くなっていました。
寺井(稲垣吾郎)は職業柄、鋭く、断定的な物言いもするけれど、それ程傲慢で排他的な人物とは思いませんでした。
ラストで夏月の言葉にひるむ姿が印象的で、稲垣さんは良い演技をするなと思いました。他の出演者も見事でした。
結末をどう見るかですが、私は佳道と大也の疑いは晴れるだろうと思いました。
ホントこの国の圧力はねえ
LGBTQ問題のレベルでなく、ホントこの国の日常の同調圧力、正常バイアス圧力は嫌になるほど強く、またそれがアタリマエって思われてる。マジョリティの趣味趣向を押し付けないでほっといてってハナシですね。
鑑賞前に主演俳優陣を見て、若干の不安がありましたが結論それは取り越し苦労でした。
皆さん、内面に秘めた感情をうまく表現し、各々の配役に馴染んで違和感なかった。
とくに新垣結衣さん、こんないい女優さんだったのですね。(同居人とセッ◯スしない偽装結婚って役は、あのドラマをやったせい?)
3つの独立した物語が平行して展開し、最後にある不幸な1点で交錯するという脚本は、
ありがちといえばありがちですが、全体として混乱もなくうまくまとめていると思います。
エンディングの投げっぱなしに突然終わる感じはヨーロッパ映画的で私の好みだった。
主張できる人間が生き残れる世界
社会的少数者、マイノリティ
人間の欲求、生きる上で切り離せないもの
密接にあるから簡単ではない
食欲、睡眠欲は誰かと話せることなのに
性欲に関しては普段は話せない
しかもその中でも他の人と違うともっと話せない
マイノリティの中のマイノリティ
マイノリティが声を上げることで生きづらく追いやれ
さらなるマイノリティが存在する
人間に生まれたら
他の人間と生きていかなければいけない世界
私なんかでは想像できないくらい絶望する世界
作中では小児性愛者を擁護できない描き方(買春)をしているものの
自分の中で楽しんでいたら黙っていたら問題がない
それをも周りは駄目だと言ってはいけない
何もわからない子供に興奮しようが
無機質なものに興奮しようが
個人が自由に生きるためには尊重しないといけない
秩序のために被害があったら犯罪とする
自分以外のものを苦しめたり痛めつけてはいけない
これだけがこの世で生きるためのルール
だったはず
孤独 矛盾 異常 皮肉
やっと見つけた安心できる存在かけがえのない同士を
ありえないとさらっと否定される
全ての欲は正しいと願いたい
日々の自分の何気ない言動を反省させられる
世間話のつもりが傷ついている人もいる
批判せず軽蔑せず、認めるという表現も違う
ただ、視野を広げるしかないのだと思う
原作だと偉そうに勝手にラベリングする人間を
もっとはっきりぶった斬ってくれていた印象
検事の性的趣向が描かれていた
誰でも後ろめたいものが少なからずあるはず
多様性に揺れる男女観とそれぞれの思い、そこに愛はあるんか~!
先日、阪神が日本一に!それはメデタイ・・・そうアナタは思えますか?
関西人なら当たり前やろ~、とか でもオリックスファンも関西には多いだろうし。
そもそも 映画ファンは野球に いやスポーツに興味が既に無かったり。
前にyahooでレビュ-書いてたけども、TOPカテゴリに映画が無くなってしまって。
何で~?と強く思った。 スポ-ツ蘭の中にはカテゴリいっぱい有るのに・・・。
この映画見て 素直に思うのはマイノリティ(少数派)の事象は無くなるべきか、もしくは無視しても良いのか?と言う事を感じたな。
いま 某ジャ○-ズ問題で揺れてる様な事象も、この映画で少し取り扱いされてて
きっとその事を目の当たりにした観客の中には激しい嫌悪感を抱く人も少なくとも居るだろう。よって その繋がりを絶ちたい感情が沸き起こり この作品の真の価値観への評価が厳しい物に変えられて行くだろうと 私は察する。
水と空気と光の間で人間は生きている。どれもコレ程無いと思える無限のアナログ感がそこには一緒に備わっていて、その中の水について異常な程の興味を抱く少数の人達をこの映画で取り扱っていると 私は感じた。人間で有る限り水に興味がある事を何ら否定は無いと私自身は思うね。
生きて行く事にツライとか・・・皆と違うとか普通じゃ無いとか・・・何故か自分は特別なんじゃないかなとか・・・だから? 何って思うわ。
それで 結論的に死を選ぶのかな。佐々木の人生の詰まりが自殺に展望で、それを結局冷静に止めに入れた桐生がいた訳で。その後の二人の生き方、馴初めとふたりの結婚観。
コレに対比する寺井夫妻の崩れゆく夫婦仲。
信じてゆける愛とは何なのか、そこが見物でしょうか。
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・この映画の登場グル-プ
(子供が不登校でネット配信を巡る理解で夫婦仲決裂 ⇒ 調停)
寺井啓喜(稲垣吾郎さん):夫、検事、不登校の子の父親、ネット配信反対。
寺井由美(山田真歩さん):妻、子供を元気付けたい思いでネット配信に加担。
西山修(渡辺大知さん):寺井息子のネット配信指南役
越川秀己(宇野祥平さん):検事補佐、寺井啓喜の同僚
(いわゆる水フェチ、自己と同類者をネット探す。事件に巻き込まれる)
桐生夏月(新垣結衣さん):同級生、寝具の店員、佐々木の妻になる
佐々木佳道(磯村勇斗さん):同級生、横浜から戻る、桐生の夫になる、事件に巻き込まれ疑いがかかる。※1
那須沙保里(徳永えりさん):寝具店の同僚、妊娠中
(大学生でダンスサ-クル関係、陰キャ同士)
諸橋大也(佐藤寛太さん):水フェチ※2
神戸八重子(東野絢香さん):極度の(男性)恐怖症
高見優芽(坂東希さん):ダンスサ-クル内の陽キャ
(水フェチの オフ会で出会う ※1~3)
矢田部陽平(岩瀬亮さん):水フェチかつ小児性愛者、逮捕される ※3
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この中で、一番の力量を感じ獲たのは 桐生役の新垣結衣さんかな。今まで感じた事ないくらい良い味出してたと思う。そして 私の推してる佐々木役の磯村勇斗さんですね。
毎作楽しみにしてるんですが、今作もいい感じだったと思います。
服着ての抱き合うベットシ-ン。
ハグって全く知らないのか~って思っちゃう このカップルを
どことなく応援してあげたくなる・・・そんな思いにさせてくれた所が素晴らしい。
生きてて良いんだよって 言いたくなる。そこが この場面と思うよ。
桐生が言う”これから先、一人では生きていけないかも~”
そうつぶやく所が 全てを表現していると感じます。
それが 二人の愛なんじゃないかな。
そして、宇野祥平さん 平然と指し示すヒョウヒョウとして良い役柄でしたね。
あと目を見張ったのが、若手?神戸八重子役の東野絢香さんですね。
諸橋君への勇気ある告白がメッチャ良かったですよ。
アレは中々の心情場面と思います。素晴らしい表現で思いの丈を感受しました。
全体的に 陰キャと陽キャの対比展開の話筋で、中々理解が得られないかもですが、
多様性テ-マとしてそれに観客がどう絡められるかが 見極めの差となって出るでしょう。
私的には とっても良かった作品と感じました。
最後の桐生の言葉 ”わたしは ここにいるよ” でしょうか。
興味ある方は 是非劇場へ!
普通とはなにか、社会はどのように向き合っているのか
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである、という言葉を残したのはアインシュタインである。
この映画において使われるのは常識ではなく、普通という言葉だ。
皆さんは昨今、普通という言葉を使うことに後ろめたさや、ためらいはないだろうか?それは多様性社会において、マイノリティやマジョリティはあっても、何が”普通”かということは定義できないしされるべきでない、という価値観に基づいているからだ。
この映画を陳腐な言葉でまとめるとマイノリティを尊重しましょう、ということになるが、それだけで済まされるわけではない。
水に対して性的に興奮を覚える性癖や男性恐怖症・不登校といった、いわば普通でない人々が、それでもつながりや生きる意味を求めて葛藤しながら生きていく。それと同時に多様性を謳いながら、型にはまった対応しかできない人々との断絶を描く。
ここまではわかるのだが、買春をしたショタコン教師はともかく、他の二人は水着の小学生が映った動画をもらっただけで逮捕されるのだろうか?
児童ポルノに該当するのはざっくりいうと、服全部または一部をつけず性的な部分が強調され性欲を刺激するもの、だそうだ。
法解釈や適用の問題はわからないが、少しご都合主義の気がした。作り手に好意的に解釈するなら、その後の裁判で水フェチが理解されず有罪というオチになるのかもしれない。
誠実に生きても理不尽な罰を受けるというなんの救いもない結末にしたくないために、曖昧なエンディングに逃げたような印象を持ってしまった。
作中で、マイノリティを支援するために自分の興味がないことをするのはむしろ多様性に反するのではないか、と佐藤寛太演じる男子大学生が言っていた。
しかしこの作品自体も、マイノリティや普通とは何か、といったテーマを扱ってはいるものの、そういった社会的関心を商業的に利用しているのではないかと思った。
・・・・・・・・・・
スッキリした終わり方ではなかったものの、俳優陣、特に鬱屈したアラサー女役の新垣結衣と、男性恐怖症をもつ大学生役の東野綾香の演技は引き込まれるものがあり、今後も色々な作品で拝見させてもらいたいと感じた。
ラストシーン
ラストで桐生が寺井に伝言を頼む「普通」のこと。
寺井が少し可哀想になったけど、あれが桐生にできる最大の反抗だったと思うし、一番ベストなセリフだったと思います。
この映画は笑える面白さを求めて観るジャンルではなく、どちらかといえば純文学小説を映画化した作品という認識で観に行く方が良いと思います。
子供の頃から「変わってるね」「何でみんなと同じようにできないの?」と言われてきた人間からすると、寺井が自分の価値観の"普通"を疑うこともなく、それからはみ出した人間には見下したり高圧的な態度を取っているシーンには怒りも覚えました。さらに、最終的にただの社会的にマイノリティである水フェチだった彼らは冤罪で捕まってしまい、物語としてはハッピーエンドではありませんでしたが、この登場人物たちが出会えたことは私にとっては救いにもなる映画でした。
小説は分厚くてもっと話も色々あった記憶があり、少し物足りなさも感じましたが、映画の尺にするにはこの脚本で良かったなと思いました。
ただ、自分の価値観の"普通"で攻撃してくる人物が、主に寺井ひとりだけだったので、寺井だけが凄い悪党に映ってしまったのが共感できない人がいる原因かなと思いました。
実際の社会では、もっと大勢の人たちが「普通」という言葉の暴力で自覚ありなし関係なく殴ってくるから。
だからこそ、桐生と佐々木の擬似セックスのシーンはひとりぼっちだった2人がお互いに1人じゃない安心感を得ることができて、それに感情移入した私はとても嬉しかったし、こちらも幸せな気持ちになりました。
2023/11/21
本日2回目鑑賞しました。
小説を半分ほど読んでの再鑑賞だったのですが、小説には描かれている神戸八重子と諸橋大也の過去や深い描写は丸ごとカットされていることに気付きました。
どうりで神戸八重子がお節介な気持ち悪い人物に見えてしまう訳ですね...。
映画化する上で仕方ないのは承知ですが、できれば同級生が死んだシーンも入れて欲しかったなと個人的には思いました。
あと、特に気にし過ぎかもしれませんが、寺井の食事にレトルトばかりなのと、帰宅して散らかっているのに対して、寺井がなにも言わない(妻を責めない)のは少し不自然に感じました。あの人格なら文句言いそうだと思ったのですが...。
心の居場所
『自分の心の居場所はどこなんだろう』と今作を観終えて感じ入りました。
心の働きは千差万別ですが、詰まるところ『自分が心地よく生きられる世界になっているか否か』だと思います。自分の心が休まる空間をどこまで広げられるかという事です。
(一般的な趣味も同じようなものではないのかなぁ)
一人称の世界です。
自分の居場所が見つかり出したら次に欲しくなるのが『他者とのつながり』です。他人と連携することで自己愛がお互いに強くなります。
ここで二人称の世界になります。
そして最後、繋がりが出来つつあったら『愛すること』が欲しくなります。
より一層深いつながりで、多様性の受容です。(犯罪は当然いけません)
「明日などなくてもいい」と自殺をしようと思っていた人が、明日のためにもう少しだけ生きてみようと思えたり、男性恐怖症を克服しようとしてみたりするの人の行動は、時間がかかっても自分の中に心の居場所や、少しだけの自己肯定が芽生えたからではないかと思いました。
映画本編では『愛する』という言葉は出てこなかった(と思います)のですが、それは桐生さんがラストシーン面会に訪れた際、名字に『佐々木』と記入したことや最後の台詞によって愛するという言葉以上に愛を語っているのを際立たせたのだと思いました。
桐生さんの時間的な心境・環境の変化と、寺井さんの変化とが上手く真逆に進んでいくのが面白かったです。
あと音楽が素晴らしかった。曲は当然ながら、ここぞというタイミングで音楽が入るのがとても心地よかったです。
長い映画でしたが最後まで楽しめました。
あと余談として… OPシーンの『大きな窓ガラスをバックにベッドの上に座り込むシルエット』や『ベッドが水で満たされて仰向けで浮かぶシーン』はアニメ攻殻機動隊のOPにそっくりだと思ったのは私だけでしょうか?
寺井も『普通』ではない。
原作からの鑑賞です。
磯村勇斗さんが出演される作品は
考えさせられるものが多くて疲れますね。笑
でも舞台挨拶で見る磯村さん、
本日も素敵でした。笑
自分にとって生きやすい世界。
それは他者にとって
生きにくい世界かもしれない。
誰もが持っている感情や癖や趣味嗜好は
普通であり普通じゃない。
多様性を知ることと理解すること、
受け入れることは別物だし
その多様性に拒否反応を示すのも多様性…。
レビューを見ても皆様感想がバラバラ…
この映画に対して正解なんてないと思うし、
どの感想も感情も正しいものだと思います。
それもまた多様性ですね。
(多様性ってとっても便利。)
映画では終始『普通』代表、
自分の理解に及ばない人間は全て
『社会のバグ』と考える寺井ですが、
原作では寺井の癖についても描かれています。
これだけ『普通』のレールに乗っていると
自負している寺井の『普通ではない一面』
についても描いていただけたら
「はてさて普通とは?」…と、
観客の考察に深みが出たのでは?と感じました。
ただ最後に桐生が逮捕された
佐々木への『普通』の伝言は
調停中の寺井への最大の皮肉だなぁと感じました。
優しい虐待
寺井検事の言い分、ほとんどがまっとうに思える。
「人間の皮を被った悪魔いるんだよ!」全くご尤もです。
子どもたちが動画配信を始めてイキイキしてきたと母親は全面応援だが、単にコドモの言いなりになっているだけ。肝心の動画は子どもたちがフォロワーさんの要求に応じて自らを消費しているだけで子どもたち自身のためになることはなにもない。
子供は苦言を呈する父より自分の言いなりになってくれる母が良いに決まってる。
見当違いに父を憎む子供の出来上がりだけど、お片付けも命じられずに育ったコドモはどんなオトナになるんだろう。
社会で生きていけるおとなになるための「しつけ」がされない育て方は、優しい虐待といえないか。
この夫婦のキャラクターは類型的。かなり悪意のある描かれ方と思う。
人と変わった性指向があることを後ろめたく感じるのは分かる。
でも、「水フェチ」だからといって特に世の中の害になるわけでなく、カミングアウトしたところで「そーですか」で済むんじゃないか?
ガッキー、磯村くん、佐藤くんがコミュ障で生きづらいのは他にも原因があるとしか思えない。
嗜好とかシュミは理屈ではなく、ただただ心の底から湧いてくるものなので、同じ志向を持つ人とは魂のレベルで理解し共感できる仲になれそう。
コミュ障同士なら相手は唯一無二で、巡り合ったことで二人に生きる気力が出てきたのは分かる。
このあたりでちょっと面白くなってきたのにその後の展開が予想通り暗転。
変態教師が磯村くんや佐藤君を仲間だと証言したとしても、犯罪の証拠が全くないのに逮捕・送検までされるものか? それに、検事なら様々な事件を見ているはずで、世の中には理解できないような志向を持つ人達が普通にいるのを身に染みていると思う。
肝心なところが嘘くさくてはまともに観る気が削がれる。
くらし安心に電話したら、吹き出す水見たさに磯村くんが修理に飛んできそう。
好きな人に好きっていうのってとっても大事
原作を読んで考えさせられたので、どんな風に映画化されるんだろうという興味で観てみた。観てみて、原作未読であれば、話しのつながりやその人物の葛藤がみえにくい場面があるかもとは感じたけれど、原作を読んでいるので、あぁこの場面かと思いながら観ることができました。
朝井リョウ作風の群像劇、今回は男女の組み合わせのそれぞれの群像劇。私はどちらかというといわゆる普通ではない方の部類(40代独身、理解しあえたと思えるパートナーと付き合えたことはこれまでナシ)だから、共感できる場面は多かった。
他人とは理解し合えないけれど、かといって人とのつながりを諦められずにもいる、それでいて異性も好きになるときがある、こんな葛藤には共感できた。その意味では、夏月や佐々木君が数十年を経て付き合うことができたのは奇跡的な幸運だったと思える。同窓会って気になってた人に声かけたくてもかける勇気いるんよね、あの時結局、自分の思い込みだったんじゃないかって疑心暗鬼になったりして。
それはさておき、最後の夏月のセリフは、唯一無二のひとに出会えたという確信があって、そんな人に出会えたならば、人生幸せだと思った。あと感動したのは、八重子が大也に告白する場面。あれだけ自分をさらけ出して思いを伝えることって、なかなかできない、それをやるくらいなら何も伝えないってこと多いんじゃないかな。時が経ってしまうとそのときの感情はもう言えなくなるから、シンプルに、その人が届く距離にいるうちに、好きならば好きって言おうって、それめちゃくちゃ大事なことなんだと思った。
【”居なくならないから・・。”一般的常識外の思考、嗜好を持ったが故に、生き難さを抱える人たちの苦しみと似た者同士が助け合い救済される姿を描いた群像劇。一般的常識って何だろう、と思った作品でもある。】
ー 今作は”一般的な常識や、正しい思考、性欲ってなんだ。”と言う問いかけに満ちた作品である。-
1.夏月(新垣由衣)は、広島の中学で同級の佐々木(磯村勇斗)が、工事する水道を壊し、水しぶきを嬉しそうに一緒に浴びる。
その後、二人は同じ思考、嗜好を持っている事に気付き、世間的な体裁を考え同居を始める。
2.大学でダンスサークルに所属する大也(佐藤寛太)は、皆に認められながら表情は暗い。そんな彼を見つめる八重子(東野綾香)
3.息子が不登校になり、ユーチューバーになることに違和感を覚える検事の寺井(稲垣吾郎)と息子の側に立つ妻(山田真歩)
■今作は上記の”一般的な常識に捕らわれた人々”の群像劇である。
◆感想
・夏月も佐々木も、ノーマルな性欲を持たず生きている。
ー 夏月の言葉”地球に一時的にいるみたい。”
そして、二人は世間体を考え同居を始めるが、部屋は別々。食事も別々。けれども二人の表情は穏やかである。
ある日、夏月が”SEXをしたい”と言って、二人で服を着たままSEXの真似事をするシーンが印象的である。
佐々木は”普通の人って、裸になってやるらしいよ。”と言って笑いあうのである。-
・大也も夏月も佐々木と似た”明日目覚めたら、別人になっているといいな”と思いながら暮らしている”が、八重子は大也に”男の人は嫌いだけれど、貴方だと平気。”と言う。
■検事の寺井が、妻と息子に言う一般的常識は確かにそうであろうが、彼の言葉は自覚なく息子及び妻を傷つけているのである。
彼が帰宅した時の妻が作る夕食の変遷も見事である。
最初の頃は、手料理だったのが、溝が出来始めた頃から、レトルトカレーになりオムライスになっていく・・。
・水フェチの佐々木が大也と小学校教師の陽平(岩瀬亮)とネットで知り合い、実際に在って子供達と楽しそうに遊ぶシーン。
ー だが、陽平は子供を”買って居た事”で警察に逮捕。連動して、佐々木も大也も拘留される。寺井は佐々木と大也の取り調べをするが、彼らの言い分が理解出来ない。
彼にとっては一般的常識内の思考、嗜好しか分からないのである。-
<そして、夏月が佐々木に関して呼び出されるシーンが印象的だ。
夏月は、佐々木は子供に対する性的嗜好は無いと言い切り、”ところで、奧さん達は戻ったのですか。”と以前、街で寺井が自転車と接触して転んだ夏月を助けた時に彼が漏らした”家が広すぎて・・。”と言う言葉を覚えて居て問うのだが、寺井は俯いた表情で”調停中です。”と答えるのである。
そして、彼女が寺井に佐々木に伝えて欲しいといった言葉。
”居なくならないから・・。”
感動的で有りながら、寺井にとってはシニカルなシーンである。
今作は、”一般的常識の世界に安住して来た人々。”の”一般的常識外の世界で苦しみながら生きている人々。”に対する、無自覚な罪を描き出した作品なのである。>
異種。
過去に起きた事件、藤原悟に魅了され気づかされた桐生夏月と佐々木佳道、後に絡む事になる検事、寺井啓喜の話。
中学の時に転校してしまった唯一分かりあえる佐々木、人伝に地元に帰ってきたと聞き…同窓会で再会…、その同窓会では話せないが後に、検事寺井家の不登校の子供がYouTuberになりコメント欄にハンドルネームSatoru Fujiwaraからメッセージ、後に複雑に絡む人間ストーリー。
人間、人それぞれ色々な趣味、癖、フェチって持ってると思うけど人に言える趣味や癖、逆に言えない趣味や癖などあると思う。
だけど桐生と佐々木の水が好き、水飛沫が好きってなぜ隠したがったんだろう。
稲垣吾郎演じた検事寺井の一言「人間の皮を被った悪魔がいるんだよ!」全くその通り!
この人達は人間の皮被ったカッパなんだ!
そうなんだ前世はカッパだ!髪の毛あるけど実は頭頂部はサラなんだ!と都合よく解釈したら、あの水遊びする姿 は納得できた!(笑)
終盤辺りで出来た共通の仲間、あの変態教師のせいで、ああいうラストはちょっと残念な終わり方でした。
作品としては惹き込まれ面白かったです。
生き延びるために、手を組みませんか?
近年「生きる」というテーマで作品を発表している朝井リョウ先生。
本作の原作となった同名小説は、1年前位に読みました。
まず、この物語は皆が目にして
「共感」出来る作品ではないし、そもそも共感が目的ではないのかもしれないです。
「マジョリティ側の人間が、マイノリティを理解する」って、よく考えると、それこそ上から目線ですよね。
そこを突きつけられたんです。
どんどん増えるアルファベット。
LGBTQIA+
人間なんて100人いたら、嗜好も性癖も全て違って当然だ。と、思っていた私でしたが、そこにも当てはまらない、私なんかでは到底理解の及ばない所にいる人々の存在を知りました。
お互い理解し合えるような関係を築けるのが理想だけど、
中途半端に理解して、わかったフリはやめなくてはと思いしりました。
(性犯罪は勿論論外です)
そして、原作ありきだと、長い物語の中で、どこをピックアップしていくかが重要だと思うのですが、本作は映画で伝えたい事を上手に切り取って、つなぎ合わせていたと思います。
朝井先生お得意の群像劇。
様々な人物が交錯して、クライマックスにむけての見せ方がお見事でした。
夏月(ガッキー)が佳道(磯村君)と擬似セックスしながら抱き合う時の
セリフが印象的でした。
「どうしよう。もう1人で生きてた時間に戻れないかも」
誰か1人でも自分を理解してくれる他者がいて、心が繋がる事が出来た時の安心感や自己肯定感って、マイノリティもマジョリティもないのにね。。
小説で上手く理解出来なかった部分が、本作で少し補完出来た気がしました。
まぁ、ケチをつけようと思えばありますが、それに勝る衝撃と余韻に包まれました。
エンディング曲も良かったです!!
レイトショーで終わりが23時過ぎだったのですが、歩いて帰りたい気分になりました。
車だったので仕方なく窓全開で帰りました。
1人で余韻を噛みしめたい作品。
ガッキー新境地!おでこの吹き出物も敢えてかな?
磯村君は安定安心◎
チャレンジングな役が続きますが、様々な顔を見せてくれますね。
(ちょい渇水かぶりw)
佐藤寛太君。目力が!ダンスもすばらしま!
吾郎ちゃんは吾郎ちゃん。
彼が少年性犯罪を扱う作品をやるなんてビックリです。
俳優さんみなさん達者でした♪
⚪︎おまけ⚪︎
あるシーンのロケ地が近所で驚いた。
生ガッキーチャンス逃す( ; ; )
良い映画を観れました。
対立に終わるのではなく、対話による相互尊重への移行に
自閉症者が水にこだわりがある様子はみたことがあるけれども、そのような特性ではなく、フェティシズムとして好む人々がいるということなのだろうか。異性愛者ではなく、偽装結婚までして隠して生きていかないといけないほどのことなのだろうか。新垣結衣氏が演じた「逃げ恥」も偽装だったけれど、異性愛に移行していた。本作ではそうはならなかった。噴水や水飲み場の水を浴びたりするのは社会的にも許容されるけれども、蛇口を盗んだり、ブロックをぶつけて破裂させるのは犯罪行為となるので、止めてほしい。裏切られたと思って、相手の家の窓ガラスを割ったり、自殺未遂をするのも、賛同できない。
セクシュアルマイノリティのパレードをみて少子化に拍車がかかると誤解する年代の人々は、今も確かにいるけれども、30歳くらいの同世代で、結婚しないことに干渉したりする風潮は減っていると思う。余計なお世話だという感じ方が普通になっていると言えよう。
不登校の子どもが社会参加のために動画投稿に活路を見出し、母親が夢中になり過ぎ、父親が非協力的なときに、決裂してしまうのは、極端過ぎると思う。犯罪的な部分について母親に理解してほしいというのは無理からぬところだろう。本作では動画投稿の問題での家庭分解だったが、反社会的な宗教の場合でも、検事の父親の常識的判断が非難の対象になるのだろうか。本作のように無害な宗教であったとしても、『星の子』や『カリスマ』のように、偏見に晒され、偏見を受ける立場でともに生きる覚悟を求められるという描き方もあるのだろう。対立に終わるのではなく、対話による相互尊重への移行は必要であろう。「耳ざわりがいい」という表現は、私にとっては心地良くないものである。
自分にしか分からないこと
ストーリーは全く違うのに何故か頭の中で怪物だーれだ?が流れた。どこか同じ匂いでデジャヴ感があった。
個性とも違うその人特有のフェチの世界が描かれていて、共感はできなかったがどこか理解はできた。
自分にしか分からない事で、決して共感を誰かに求めてるわけじゃないけど理解し合えるならそれは幸せで嬉しい。人間誰しも人それぞれの形で繋がりが欲しいものと分かる。
結構、精神的な内容なので暗いドラマです。
最後はあそこで終わるんだーって、まさかのエンドロールが流れビックリ。
あんなんで共犯と見られちゃうの⁉️
怖いね。
余談
吾郎ちゃんってやっぱりあーいう役ピッタリですよね(笑)
若い時のドラマの役は違ったのに。
普通とは何かを問いかける映画
だったように思う。
多少、悪意ある表現になっていたが、最後まで水に性的なものを感じることが信じられなかった稲垣さんの役は、この映画での私の救いになっていた。
普通
普通って…?
自分は普通じゃないと自覚して生きづらい人
自分は普通と思って自覚していない人
普通を装っている人
映画始めは、磯村さん、ガッキー
吾郎ちゃん、異性に対してトラウマがある大学生
それぞれの生きづらい毎日の話が続き
中盤までとてもモヤモヤしました。
徐々にお互いが絡み合ってくる
話が進むにつれ
普通とは?
または、普通じゃなくてもいいね
そもそも普通って存在しないかも…
という感覚になってくる。
ある事件が更に話を複雑にするかと思いきや
各々の心に迷いから確信が見えてくる
最後にガッキーが
離婚調停中の吾郎ちゃんを
一言で黙らせるとこが良かった。
それが答えだと思いました。
スッキリしました。
是非映画館で見てください
あ〜
稚拙な文章、読んでくれた方
ありがとうございます。
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