正欲のレビュー・感想・評価
全277件中、161~180件目を表示
いなくならないから・・・‼️
ダイバーシティ、マイノリティ、アイデンティティを描いているという事でしょうか。新垣結衣さんと磯村勇斗くんの人間関係構築が不得意な似たものカップル‼️学校に行かないでユーチューバーを目指す小学生の息子と妻から別居される稲垣吾郎の検事‼️自分のアイデンティティーを見失いそうになってる大学のダンスサークル部の学生、佐藤寛太‼️この3つの物語が途中チョコチョコと交わりながら並行して描かれます‼️そして終盤、ある事件をきっかけに、この3つの物語が一つにつながる‼️そして観客に丸投げのエンディング‼️多分、新垣結衣との会話で、稲垣吾郎は磯村勇斗を不起訴にするんだろうなぁと思うんだけど、もうちょっと物語的にカタルシスというか、光が欲しかった・・・。ただ新垣結衣ちゃんは周りに馴染めず、一人浮いてる感の演技はリアルで良かったと思います‼️素なんだろうね‼️
ガッキー=可愛いと消費してきた我々に突きつけてくる
前半説教くさいな〜とか既視感ある雰囲気映画で終わってしまわないかな〜思ったけど、冒頭のモノローグを相槌込みで繰り返すシーン(ここから第二幕と言って良いでしょう)から物語が急加速していき、胸にこびりつくシーンの数々にやられた。誰かと話をすることで世界が広がっていく映画はやっぱり素晴らしいよね。 大変申し訳無いけど、最近「ミッドナイトスワン」を観て激情してこともこの映画をより良く見れた要因の一つだと思う。いわゆるマイノリティーとされてる側の消費の仕方とか、「マイノリティーの人たちかわいそう…こうはしちゃダメだよな…」で片付けない(そういう意味では車の突っ込みまではいらなかったかも)。 多様性って枠組みじゃなくて自然に元々あるべきものだよなという再確認。LGBTQとフェミニズムに触れておけば、多様性を“勉強して”いると思ってしまう世間の浅はかさへのカウンター。やっぱり異性愛前提で会話してしまってるなと自分を省みる。 性的嗜好は、欲望はどこまで許されるのかを突きつけてくる。水フェチに関しては、誰にも迷惑かけてないし、映画的に綺麗に撮れていて受け入れやすい反面、小児性愛は… 綺麗に撮れているからこそ実際水フェチを受け入れられたとしても、多くの場合稲垣吾郎演じる役のように「あり得ない」と無意識に断罪してしまう可能性もある。 今年公開された映画でも「渇水」「波紋」「アンダーカレント」など印象的なものが多いけど、一番水を美しく撮れている。新垣結衣演じる役が寿司屋に行くのも、カニクリームコロッケも水と繋がってきてる?? キャンパスのシーン、「好きだから」じゃなくて「大事だから」で入るの本当に素晴らしい。マイノリティーが分かってもらう側前提でいるのはおかしいというのは、アップデートされてるなとも思う。 マイノリティーの気持ちを「地球に留学しているよう」と良い、分かり合える同志を見つけると「地球の中心にいれる」と表現する美しさ。 稲垣吾郎が急にキレると本当に怖い。 確かに正常位って何が正常なんだ??と思いたくなる擬似性交体験があまりにも滑稽で笑えた。 仕事柄、不登校ユーチューバーに夢見て不登校ユーチューバーになる流れは心苦しく見た。自分も絶対許せないタイプだろうなあ。「普通」に縛られる稲垣吾郎演じる役柄の、分かり合おうどころか分かろうとしないところが他のカップリングとの対比として美しい。 ラストシーンが本当に本当に最高。『普通』に縛られる稲垣吾郎から『世間から“普通”とされない』新垣結衣から『普通のこと』と語られる分かり合えた者同士の強み。 ”水“を性的嗜好として死んだ目で自慰(自らを慰めるって凄い言葉だ)行為を嗜むパブリックイメージからはかけ離れた役柄。「ガッキー=かわいい」と消費してきた我々にも突きつけてくる。女優:新垣結衣の代表作の一本に刻まれる。 正しいなんてない何でも良いじゃんと思うと小児性愛者を野放しにしてしまう。法?理屈?結局分からないけど、自らで何もかも枠組みを作って理解できないものを切り捨てるのはせめてやめれる人間になりたいと思った。そして、理解できなくても理解しようとはしていたいし、傷つけたくないと改めて思った。
ガッキーは大画面で
よかったです。 元々新垣さん好きなのでバイアスかかってるかもしれませんが。大画面で観るべき映画だと私は思いました。 原作は読んでました。ストーリーは朧げに記憶。 他者とは基本わかり合えない。わかり合える人を見つけたらラッキー。結婚して子どもを産んで心から幸せを感じ生きている人は超ラッキーだと思います。「はじめてのおつかい」を両親と見たくないのとても共感しました笑 新垣さん以外にも、佐藤さん、東野さん、新垣さんの子ども時代役の方など、素敵な演技されてたと思います。
濡れる=水浸しなのかと思いきや
水フェチという(100%ないとは言い切れないけど)架空のフェティシズムを性的マイノリティの比喩として提示しながらダイバーシティをモチーフに描いた話で、見応えがあっただけでなく、鑑賞後もいろいろ考えをめぐらせたくなる作品だった。 「普通」というぼんやりした枠の外側にある多様性を想像しつつも「多様性」という枠組みを作った時点で、そこからもはみ出す外側があるわけで、そこにいる夏月や佳道や諸橋らの孤独感は想像するだにしんどいし、だからこそ同じフェチを有する人間を見つけたとき心の高揚は計り知れないのだろうと思った。終盤の展開は、怪物だーれだのマイノリティの悲劇的ファンタジーな結末とそれへの批判を想起させるが、今作では「普通」を強調する寺井検事の家庭状況と対比させながら、夏月の「いなくならない」というラストの一言が救いをもたせていた。 …と、しかし。そもそもこれはマイノリティとマジョリティ、多様性と画一性、アブノーマルとノーマルとかの話なのだろうか。たとえ相互の理解は望めなくとも、大切なのは相手の気持ちに向き合うという、実は人と人とのコミュニケーションの話なのではないだろうか。 寺井が家庭不和に陥ったのは、妻や息子に普通を押し付けたからではなく、不登校の息子やそれを案ずる妻の話に耳を傾けなかったからなのであり、その意味でラストの、質問はするけど夏月の問いには答えないという一方通行の質疑応答は象徴的だ。また、夏月や佳道は特殊な性的嗜好もあって人との交わりを忌避していて、それゆえさらに自らの孤独感を増幅させていた。他方、取り付く島がなく拒絶を続ける諸橋へ、男性不信の八重子がそれでも素直に思いを伝えることで、孤独に閉ざしていた諸橋の心はわずかに開き、ありがとうという言葉が引き出される…。そのように見ていくと、他人との濃厚なコミュニケーションであるセックスを起動する性欲を話の中心に据えているのはなるほどと思えた。 映画としても、ベッドルームが水で満たされていくシーンなど邦画にはないレベルの演出はよかったし、いずれの俳優も役にぴったりとハマっていたと思う。元J案件の吾郎ちゃんが児童買春事件を担当するのはたまたまだろうけど、東野絢香のおどおどキョドった演技は特に見事だった。人々を結びつけるのがYouTubeというのも今時だし、中学生のガッキー役(つーより小松菜奈風味)の滝口芽里衣も目をひいた。 そんなわけでオレもガッキーと模擬性交をして一緒に回転寿司が食いたいと思える(そこか?)見どころの多い作品だった。
正癖
人にはそれぞれ性癖がある、その性癖が他人を傷つけないと満たされない癖の場合、理性で抑えて、別の方法で満たすしかない。 LGBTQや多様性がうたわれる昨今、性癖も多種多様だ 、言葉では説明できない、何が正しくて何が間違っているのか、人が他人を裁くのにも、限界を感じる。
言葉足らず…なんかじゃなかった。
傑作だった。見てよかった。観るべきものだった。 物事は自分基準のモノサシでしか考えられない。なぜならそれ以外の考え方を構成するためのパーツが足りないから。 新しい考え方を受け入れるのにも時間がかかる。練習しないとそれを習得出来ないように。 世界は、明日も生きる人のための物で溢れてるなんて、どんな生き方をしたらその視点が当たり前になったのか、私が知らない、それか見えてるけど見ようとしなかった世界線なのか。 この映画を見てから考えが溢れて止まらない、つまりたくさんのパーツが落ちていた映画だと私は受け取った。 序盤は言葉足らずではないか?と汲み取れていなかったのだが、物語が進むにつれ、その少ない中で発せられた言葉だからこそ一言一言に価値があったのだと気付かされた。 エンドロールではVaundyの「呼吸のように」久しぶりに映画の余韻に浸ることができた主題歌だった。
朝井リョウのファンとして
朝井リョウさんのファンとしてみにいった 学生時代はとことん受け入れのキャパのあった社会とずれている自分という感覚も 社会人になると生きづらさの塊である 直視できないほどの自分の殻に閉じこもった感覚は 何度も体験したが深くはまってもいいことはない もはや朝井リョウさんの書く暗い青い色のような感情を受け入れるだけのキャパがなくなったのかもしれない 明日生きていたくないという気持ちは持っていてもいいが 表に出すべきでない 一人で抱えるべきものだと思ったりする でも自殺せずに済むなら出してよかったよな 登場人物たちに言いたい 自分だけじゃないこの感覚、別に特別じゃない ただ周りが迎合できないのは直視したら生きづらくなるのを何となく知ってるから その人たちの事を明日も生きたいと思ってる人たち、と一括りにしてはいけない 何故なら自分は少なからず 明日死んでも後悔したくないからこそ 殻にこもっていたくないなと思うから 学生時代朝井リョウさんに大共感だった自分は 昔とちょっと変わっていたな 苦しいくらい気持ちは分かるけどそれじゃだめなんだよな ただ登場人物たちの気持ちを理解できないと否定する人たちに言いたい 否定はするなただそれだけでいい
ビジネスダイバーシティになってないか?
マイノリティが描かれる映画は数多くあるが、マイノリティな性的趣向を描く作品、しかも、その苦悩を描く作品には初めて触れた。 (何年か前にTitanという車、チタンに性的趣向を持つという映画は観たが。) とある登場人物は、水フェチということもあり、作品全体のトーンは静かに流れる渓流のようなトーンであり、登場人物の繊細な心情に寄り添った表現になっていると感じた。 多様性、ダイバーシティという言葉をよく聞くようになったが、ビジネスダイバーシティ、ファッションダイバーシティになっていないか?自分の考えを改めるきっかけになった作品だった。
普通とは?普通じゃないとは?
鑑賞してから一週間、ようやくレビュー書きます。 一言でいえば、ダイバーシティ、多様性なんでしょうけど。。。 難しいテーマでしたね~。 登場人物のもつ性的嗜好、欲望について、パラレルに描き、 それが他人に理解してもらえず、「普通」の人として生活する息苦しさ。 「地球に留学しているみたいな感覚」という言葉が物語っていた。 でも・・・ 人はそれぞれであり、それを分かり合える人と出会えることが大切さ、 偽装かもしれないけど、それでお互いを支えあう、夫婦という形。 改めて、今の世の中の難しさ、多様性について考えさせられる作品でした。 稲垣吾郎さん、映画は初めてでしたが、登場人物の中では唯一のマジョリティ、 「普通」の検事のはずなのに、家庭は崩壊、調停中。。。 ガッキー、映画やドラマはあまり観たことないけど、大ファン笑 でも、イメージと違う役で大変だったかな、と。 最後のシーン、セリフは、びしばしと検事さん、そして観ている方に 突き刺さったのでは。 磯村勇人さん、いろいろな映画で拝見していますが、 今回もなかなか難しい役どころでした。 でも、ガッキーとの絡みは、役得としか言えません。ずるいです笑 映画を観終わって、そのまま舞台挨拶の中継を観ました。 そして、家に帰り、特典でもらったしおりを見ると、 「(ab)normal desire」とタイトルにこっそり書かれていることに気づいた。 (アブ)ノーマル・・・どれが普通で、どれが普通じゃないのか。 ホントに、難しいテーマでした。
言いたいことはわかるのだけどこう何というか伝わらない…。
今年389本目(合計1,039本目/今月(2023年11月度)21本目)。 (参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで)) 11月3週は異様なまでに数が少なく、2週より前の作品の「未視聴の回収すらできる」というラインナップです。 さて、こちらの作品なのですが、「感想が書きにくいなぁ…」というのに大半つきます。 結局「特定のものへのこだわり」という論点や、LGBTQほかの論点があるのだろうということは多くの方がわかるのではと思うのですが、一歩進んで「映画の主義主張は何か」という点がいまいちはっきりしない(というか、実際には存在しない?)のがかなりつらいです。おそらく「性的マイノリティ」問題を「間接的に」描いた結果こうなったのではなかろうか、と思えるし、一応その「特定のものへのこだわり」も理解はしなくはないですが(実際、程度の差はあっても何かへの「こだわり」はあるんでしょう)、結局多くの方が触れているように「一歩進んだその先にある、映画の主義主張」がはっきりしない点などはどうしてもあげられます。 さらに輪をかける事情が、実はこの映画は「ご当地枠」であり、具体的には「広島県福山市」です(広島市ほかはほぼ出ない)。一方で福山という地名は明示的に出るし広島弁ほかもでる一方で、広島文化もほぼ出てこず(お好み焼きすら出てこないという状況)、「ご当地枠」で見るのもつらく(いわゆる「映画に出てくる場所の巡礼巡り」すらできない)、その観点でもかなりきついです。 ※ しかもその割に、なぜか協力地に久留米市が出てきたりと無茶苦茶がすごく(広島弁は明確にわかるので広島の成分があることはわかっても、なぜか久留米やら栃木やらなにやら無関係な場所がエンディングロールで次々出てくる)、どう見たらよいかがかなり謎な作品です。 ただ、「多くの方に伝わるように描くと3時間コースになってしまう」のも確かで(この映画自体も2.5時間コース)、時間調整などもした結果こうなったのでは…とも思え、積極的に無茶苦茶というシーンまでもはないといったところです。 採点は以下のようにしています。 ----------------------------------------------- (減点0.2/ラストの警察が出てくるところの逮捕状の読み上げ) ・ この「罪名」は慣用的に使われているのみで正式名称でも何でもないのでややまずいです(読み上げ時には正式名称が必要)。もちろん各都道府県、市町村ほかの条例で「その名称」になっていることはありますが、「法違反」と「条例違反」はそもそも違います。 ※ 条例違反に対しても懲役刑を課することはできますが、2年以下という縛りがあります(地方自治法)。 (減点0.2/結局何を述べたいのかがいまいちはっきりとしない) 多くの方が書かれている通りなので省略します。おそらくマイノリティを扱った結果こうなったのではなかろうか、と思えます。 -----------------------------------------------
マジョリティである稲垣検事の方にも不幸があるのが、現代の問題だと思った。
価値観がどんどん多様化するということは、物事の善悪の判断もどんどん変化するということか。 子供が学校に行かずに、ユーチューバーを目指す。ユーチューブを始めた子供はイキイキとして、それを母親も応援する。 検事の父親は、子供の将来への不安、不特定多数の大人と関わる危険から、それに反対する。 そのせいで家族の中が悪くなり、離婚裁判まで行ってしまう。 稲垣検事は正しい事、当たり前の事をしているはずなのに、作品中の誰とも意見が合わずに孤立して、疑問を抱えたまま映画は終わってしまう。 水が好きな人達は捕まった者もいるが、息苦しい世の中に希望を見つけた形で終わった。 どっちが正しいのだろう?どっちが幸せなのだろう?と疑問を投げかける作品だと思う。 どうでもいいけど、今年広島を舞台にした映画が多いのはG7のせいなのかな。 自分が広島県人ですが、夜景の中途半端な街並みがちょっと恥ずかしいですね。
つめたい世の中
稲垣さんは幸薄い役が多いですね。新垣さんは難しい役で大変 だったのでは? 違う一面を観れた感じがしました。 磯村さんは 映画、テレビ大活躍でまだ若いと思うのですがもうすっかり 名バイプレイヤーですね。 今作品もうちょっと未来がある 明日がある風に終わってれば良いのになぁと思いました。 堅物で頭固い検事と一般的 には理解されにくい癖がある人達がいるという話しで終わって しまいました。もうちょっと皆さんに未来志向がある風に終わって欲しかった。冷たい世の中に益々なって来てるなぁと思いました。
誰だって人に言えないことはある。
人それぞれだよね、っていう本当にシンプルな事がどんどん複雑に大袈裟になってきてるような気がする。 普通であることこそ健全だという人。普通になりたいと思いながら生きる人。他人を理解することはとても困難だけど、それでも誰かとなんとか繋がって生きている人。登場人物達は一様に自分の事なんて誰も分かってくれないと思っている。実はここがこの映画の本質であって決して性的嗜好の物語ではない。 エアバッグを外さなくても、ガムテープで隙間を埋めなくても、日々なんとか生きてはいけるし、無理して居なくならなくてもその日は勝手にやって来る。最後の夏月の一言は印象的な言葉で良かったけど、全体的に細かいとこがなんか気になった。とりあえず皿をスプーンでカンッカンッしながら食べるのはやめて欲しいし、子供には学校とか配信うんぬんの前に自分で散らかした物の片付けくらいしっかりさせて欲しい。で、佐々木君がなんで連れて行かれたかもよく分からなかった。
普通じゃないとは
な、なんだろう...。言いたいことは分かるし、この手の映画を見た後は胸にグサッと刺さって何日も考えることなんてざらなのに、全くと言っていいほど心が動かない。体感時間3時間越えの驚異的な居心地の悪さだった。性的マイノリティの人々は常にこんな気持ちなんだよ、と上手いこと片付けようと思えば出来るけど、そうじゃない。演出が淡白過ぎてとても見入れなかった。 稲垣吾郎の役回りがまるで極悪人のように描かれていることがすごく違和感。自分に正直生きているのは彼しかいないし、魅力的な登場人物と言えばこの検事しかいなかったのに、なんでこんな扱いされなきゃならない?この人は言い方に問題があるのであって、本質的にはそこまで変じゃない。そりゃ子どもの今後を考えれば学校に行かせたいし、それほど親しい仲でもない男が家を出入りしているのは誰だって腹立つ。妻の私は分かってますよアピールがマジでムカつく。 自分では理解できない人がこの世には多くいて、彼らのことを除け者扱いするのではなく、そういう人もいるんだと受け止めて尊重することは大切だ。LGBTQや人種、障がい者差別なんてあってはならない。当たり前だ。だが、異性に恋をしたり、結婚して子供を産んだり、父親として母親として生きる人が全体の多くを占めていることだって現実だ。大幅に変更したアカデミー賞の基準やポリコレは、マイノリティの人々を理解しよう、尊重しようとしすぎるがあまり、彼らを間接的に差別することに繋がったり、これまで俳優として生きてきた人が用無しになったりと、悪循環に繋がっている。 以前話題になった男女で分けるトイレの撤廃問題。それは、誰のためにあるのか?私のようなマイノリティに属さない人間は気持ちよく利用することが出来るのか?いや、出来ない。出来たもんじゃない。ようは、ひとつの物差しじゃ全てを測りきれないということだ。稲垣吾郎演じる検事は、法律という物差しで物事を判断している。無情のように思えるかもしれないが、彼のような人間は絶対的に必要だ。犯罪がマイノリティだからと容認されるような世の中になれば、それを利用した事件が横行するに決まっている。それは私のような人間にも、マイノリティの人々にとっても損しかない。全ては不可能なのだ。 ただ、日本の法律や風習、人々の考えは彼らに厳しすぎるというのは100%賛同する。なぜ同性婚が許されていないのか、何度考えようとも理解できない。でも、犯罪を犯罪といえなくなっては世は崩壊してしまうし、検事は決して間違ったことはしていないと思う。だからこそ、この映画は私には響かなかった。なんかこう、すごく違和感。色んな人の意見聞きたいな。
マイノリティに寄り添うが如き傑作
「二重生活」「あゝ、荒野」「前科者」の岸善幸監督が2023年に間に合った。 今年の日本映画のベストの一本だろう。 「あり得んだろう」と言われ存在を否定された記憶がある人、言葉にすることさえできず独りで生きてきた人、あるいは映画の中を居場所を見つけた人にとって大切な作品になるかと。
「普通」って何なの?
世間の「普通」という波。 早く結婚して子供を産む。いい学校に行っていい会社に入る。会社に入ったら上手く泳いでいく。 「普通」でなければ生きていけないという呪縛が、いたるところに充満している社会。 朝井リョウの原作は、そんな社会で我がもの顔で闊歩する、高速度なSNSの実態をかなり理屈っぽく語っている。そこに辟易としてしまった。 だが、映像は違った。映像には小説では描けない顔の表情があった。 「普通」って何なの?と思案するガッキーの表情。 居場所がない学校に行く必要はあるの?と思案する親子の表情。 生きるか死ぬかと思案するガッキーの恋人の表情。 社会はそんなものだよと決めつける、不登校児の父親である検事の表情。 愛の行為は苦手だけど愛はほしいと懇願する女子大生の表情。 それぞれにその人なりの表情がある。あたりまえのことがとても新鮮に感じられる瞬間がある。 時折ズームアップされるそれぞれの表情。そこには理屈では測れない人間の感情がある。 世間は、実は感情で支配されていると改めて感じる。 感情の向こうにYouTubeの共感の世界が広がっている。 蛇口を破壊して大量の水を放出させる、「水フェチ」たち。 小説ではついぞ理解できなかった世界が、映像では不思議な解放感で充たされる。 「普通」は測れない。そこを語り続ける映像の使命に酔いしれた。
傑作か?問題作か?
原作は未読ですが原作者の浅井リョウ氏の本は何冊か読んだ事があるので鑑賞してきました。 標題にもあるとおりのキャッチコピーこの作品を鑑賞して感じる点は各人によって様々だと思います。 様々な価値観を持つキャラクターが登場して、私自身としても物語が思わぬ展開となりましたので驚きました。 個人的には桐生夏月役は難しい役柄なのに新垣結衣が丁寧に演じている点が光りました。 またこれも難しい役柄の神部八重子役の東野綾香の演技が非常に良いと思いました。
繋がった時の表情良かったなあ、新垣さんと大学生の女の子。 あと最後...
繋がった時の表情良かったなあ、新垣さんと大学生の女の子。 あと最後の一言のあと5歳くらい老けたゴロちゃんの表情も良かったなあ。
全277件中、161~180件目を表示