正欲のレビュー・感想・評価
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正癖
人にはそれぞれ性癖がある、その性癖が他人を傷つけないと満たされない癖の場合、理性で抑えて、別の方法で満たすしかない。
LGBTQや多様性がうたわれる昨今、性癖も多種多様だ
、言葉では説明できない、何が正しくて何が間違っているのか、人が他人を裁くのにも、限界を感じる。
言葉足らず…なんかじゃなかった。
傑作だった。見てよかった。観るべきものだった。
物事は自分基準のモノサシでしか考えられない。なぜならそれ以外の考え方を構成するためのパーツが足りないから。
新しい考え方を受け入れるのにも時間がかかる。練習しないとそれを習得出来ないように。
世界は、明日も生きる人のための物で溢れてるなんて、どんな生き方をしたらその視点が当たり前になったのか、私が知らない、それか見えてるけど見ようとしなかった世界線なのか。
この映画を見てから考えが溢れて止まらない、つまりたくさんのパーツが落ちていた映画だと私は受け取った。
序盤は言葉足らずではないか?と汲み取れていなかったのだが、物語が進むにつれ、その少ない中で発せられた言葉だからこそ一言一言に価値があったのだと気付かされた。
エンドロールではVaundyの「呼吸のように」久しぶりに映画の余韻に浸ることができた主題歌だった。
朝井リョウのファンとして
朝井リョウさんのファンとしてみにいった
学生時代はとことん受け入れのキャパのあった社会とずれている自分という感覚も
社会人になると生きづらさの塊である
直視できないほどの自分の殻に閉じこもった感覚は
何度も体験したが深くはまってもいいことはない
もはや朝井リョウさんの書く暗い青い色のような感情を受け入れるだけのキャパがなくなったのかもしれない
明日生きていたくないという気持ちは持っていてもいいが
表に出すべきでない
一人で抱えるべきものだと思ったりする
でも自殺せずに済むなら出してよかったよな
登場人物たちに言いたい
自分だけじゃないこの感覚、別に特別じゃない
ただ周りが迎合できないのは直視したら生きづらくなるのを何となく知ってるから
その人たちの事を明日も生きたいと思ってる人たち、と一括りにしてはいけない
何故なら自分は少なからず
明日死んでも後悔したくないからこそ
殻にこもっていたくないなと思うから
学生時代朝井リョウさんに大共感だった自分は
昔とちょっと変わっていたな
苦しいくらい気持ちは分かるけどそれじゃだめなんだよな
ただ登場人物たちの気持ちを理解できないと否定する人たちに言いたい
否定はするなただそれだけでいい
ビジネスダイバーシティになってないか?
マイノリティが描かれる映画は数多くあるが、マイノリティな性的趣向を描く作品、しかも、その苦悩を描く作品には初めて触れた。
(何年か前にTitanという車、チタンに性的趣向を持つという映画は観たが。)
とある登場人物は、水フェチということもあり、作品全体のトーンは静かに流れる渓流のようなトーンであり、登場人物の繊細な心情に寄り添った表現になっていると感じた。
多様性、ダイバーシティという言葉をよく聞くようになったが、ビジネスダイバーシティ、ファッションダイバーシティになっていないか?自分の考えを改めるきっかけになった作品だった。
普通とは?普通じゃないとは?
鑑賞してから一週間、ようやくレビュー書きます。
一言でいえば、ダイバーシティ、多様性なんでしょうけど。。。
難しいテーマでしたね~。
登場人物のもつ性的嗜好、欲望について、パラレルに描き、
それが他人に理解してもらえず、「普通」の人として生活する息苦しさ。
「地球に留学しているみたいな感覚」という言葉が物語っていた。
でも・・・
人はそれぞれであり、それを分かり合える人と出会えることが大切さ、
偽装かもしれないけど、それでお互いを支えあう、夫婦という形。
改めて、今の世の中の難しさ、多様性について考えさせられる作品でした。
稲垣吾郎さん、映画は初めてでしたが、登場人物の中では唯一のマジョリティ、
「普通」の検事のはずなのに、家庭は崩壊、調停中。。。
ガッキー、映画やドラマはあまり観たことないけど、大ファン笑
でも、イメージと違う役で大変だったかな、と。
最後のシーン、セリフは、びしばしと検事さん、そして観ている方に
突き刺さったのでは。
磯村勇人さん、いろいろな映画で拝見していますが、
今回もなかなか難しい役どころでした。
でも、ガッキーとの絡みは、役得としか言えません。ずるいです笑
映画を観終わって、そのまま舞台挨拶の中継を観ました。
そして、家に帰り、特典でもらったしおりを見ると、
「(ab)normal desire」とタイトルにこっそり書かれていることに気づいた。
(アブ)ノーマル・・・どれが普通で、どれが普通じゃないのか。
ホントに、難しいテーマでした。
言いたいことはわかるのだけどこう何というか伝わらない…。
今年389本目(合計1,039本目/今月(2023年11月度)21本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
11月3週は異様なまでに数が少なく、2週より前の作品の「未視聴の回収すらできる」というラインナップです。
さて、こちらの作品なのですが、「感想が書きにくいなぁ…」というのに大半つきます。
結局「特定のものへのこだわり」という論点や、LGBTQほかの論点があるのだろうということは多くの方がわかるのではと思うのですが、一歩進んで「映画の主義主張は何か」という点がいまいちはっきりしない(というか、実際には存在しない?)のがかなりつらいです。おそらく「性的マイノリティ」問題を「間接的に」描いた結果こうなったのではなかろうか、と思えるし、一応その「特定のものへのこだわり」も理解はしなくはないですが(実際、程度の差はあっても何かへの「こだわり」はあるんでしょう)、結局多くの方が触れているように「一歩進んだその先にある、映画の主義主張」がはっきりしない点などはどうしてもあげられます。
さらに輪をかける事情が、実はこの映画は「ご当地枠」であり、具体的には「広島県福山市」です(広島市ほかはほぼ出ない)。一方で福山という地名は明示的に出るし広島弁ほかもでる一方で、広島文化もほぼ出てこず(お好み焼きすら出てこないという状況)、「ご当地枠」で見るのもつらく(いわゆる「映画に出てくる場所の巡礼巡り」すらできない)、その観点でもかなりきついです。
※ しかもその割に、なぜか協力地に久留米市が出てきたりと無茶苦茶がすごく(広島弁は明確にわかるので広島の成分があることはわかっても、なぜか久留米やら栃木やらなにやら無関係な場所がエンディングロールで次々出てくる)、どう見たらよいかがかなり謎な作品です。
ただ、「多くの方に伝わるように描くと3時間コースになってしまう」のも確かで(この映画自体も2.5時間コース)、時間調整などもした結果こうなったのでは…とも思え、積極的に無茶苦茶というシーンまでもはないといったところです。
採点は以下のようにしています。
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(減点0.2/ラストの警察が出てくるところの逮捕状の読み上げ)
・ この「罪名」は慣用的に使われているのみで正式名称でも何でもないのでややまずいです(読み上げ時には正式名称が必要)。もちろん各都道府県、市町村ほかの条例で「その名称」になっていることはありますが、「法違反」と「条例違反」はそもそも違います。
※ 条例違反に対しても懲役刑を課することはできますが、2年以下という縛りがあります(地方自治法)。
(減点0.2/結局何を述べたいのかがいまいちはっきりとしない)
多くの方が書かれている通りなので省略します。おそらくマイノリティを扱った結果こうなったのではなかろうか、と思えます。
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マジョリティである稲垣検事の方にも不幸があるのが、現代の問題だと思った。
価値観がどんどん多様化するということは、物事の善悪の判断もどんどん変化するということか。
子供が学校に行かずに、ユーチューバーを目指す。ユーチューブを始めた子供はイキイキとして、それを母親も応援する。
検事の父親は、子供の将来への不安、不特定多数の大人と関わる危険から、それに反対する。
そのせいで家族の中が悪くなり、離婚裁判まで行ってしまう。
稲垣検事は正しい事、当たり前の事をしているはずなのに、作品中の誰とも意見が合わずに孤立して、疑問を抱えたまま映画は終わってしまう。
水が好きな人達は捕まった者もいるが、息苦しい世の中に希望を見つけた形で終わった。
どっちが正しいのだろう?どっちが幸せなのだろう?と疑問を投げかける作品だと思う。
どうでもいいけど、今年広島を舞台にした映画が多いのはG7のせいなのかな。
自分が広島県人ですが、夜景の中途半端な街並みがちょっと恥ずかしいですね。
つめたい世の中
稲垣さんは幸薄い役が多いですね。新垣さんは難しい役で大変
だったのでは?
違う一面を観れた感じがしました。
磯村さんは
映画、テレビ大活躍でまだ若いと思うのですがもうすっかり
名バイプレイヤーですね。
今作品もうちょっと未来がある
明日がある風に終わってれば良いのになぁと思いました。
堅物で頭固い検事と一般的
には理解されにくい癖がある人達がいるという話しで終わって
しまいました。もうちょっと皆さんに未来志向がある風に終わって欲しかった。冷たい世の中に益々なって来てるなぁと思いました。
誰だって人に言えないことはある。
人それぞれだよね、っていう本当にシンプルな事がどんどん複雑に大袈裟になってきてるような気がする。
普通であることこそ健全だという人。普通になりたいと思いながら生きる人。他人を理解することはとても困難だけど、それでも誰かとなんとか繋がって生きている人。登場人物達は一様に自分の事なんて誰も分かってくれないと思っている。実はここがこの映画の本質であって決して性的嗜好の物語ではない。
エアバッグを外さなくても、ガムテープで隙間を埋めなくても、日々なんとか生きてはいけるし、無理して居なくならなくてもその日は勝手にやって来る。最後の夏月の一言は印象的な言葉で良かったけど、全体的に細かいとこがなんか気になった。とりあえず皿をスプーンでカンッカンッしながら食べるのはやめて欲しいし、子供には学校とか配信うんぬんの前に自分で散らかした物の片付けくらいしっかりさせて欲しい。で、佐々木君がなんで連れて行かれたかもよく分からなかった。
普通じゃないとは
な、なんだろう...。言いたいことは分かるし、この手の映画を見た後は胸にグサッと刺さって何日も考えることなんてざらなのに、全くと言っていいほど心が動かない。体感時間3時間越えの驚異的な居心地の悪さだった。性的マイノリティの人々は常にこんな気持ちなんだよ、と上手いこと片付けようと思えば出来るけど、そうじゃない。演出が淡白過ぎてとても見入れなかった。
稲垣吾郎の役回りがまるで極悪人のように描かれていることがすごく違和感。自分に正直生きているのは彼しかいないし、魅力的な登場人物と言えばこの検事しかいなかったのに、なんでこんな扱いされなきゃならない?この人は言い方に問題があるのであって、本質的にはそこまで変じゃない。そりゃ子どもの今後を考えれば学校に行かせたいし、それほど親しい仲でもない男が家を出入りしているのは誰だって腹立つ。妻の私は分かってますよアピールがマジでムカつく。
自分では理解できない人がこの世には多くいて、彼らのことを除け者扱いするのではなく、そういう人もいるんだと受け止めて尊重することは大切だ。LGBTQや人種、障がい者差別なんてあってはならない。当たり前だ。だが、異性に恋をしたり、結婚して子供を産んだり、父親として母親として生きる人が全体の多くを占めていることだって現実だ。大幅に変更したアカデミー賞の基準やポリコレは、マイノリティの人々を理解しよう、尊重しようとしすぎるがあまり、彼らを間接的に差別することに繋がったり、これまで俳優として生きてきた人が用無しになったりと、悪循環に繋がっている。
以前話題になった男女で分けるトイレの撤廃問題。それは、誰のためにあるのか?私のようなマイノリティに属さない人間は気持ちよく利用することが出来るのか?いや、出来ない。出来たもんじゃない。ようは、ひとつの物差しじゃ全てを測りきれないということだ。稲垣吾郎演じる検事は、法律という物差しで物事を判断している。無情のように思えるかもしれないが、彼のような人間は絶対的に必要だ。犯罪がマイノリティだからと容認されるような世の中になれば、それを利用した事件が横行するに決まっている。それは私のような人間にも、マイノリティの人々にとっても損しかない。全ては不可能なのだ。
ただ、日本の法律や風習、人々の考えは彼らに厳しすぎるというのは100%賛同する。なぜ同性婚が許されていないのか、何度考えようとも理解できない。でも、犯罪を犯罪といえなくなっては世は崩壊してしまうし、検事は決して間違ったことはしていないと思う。だからこそ、この映画は私には響かなかった。なんかこう、すごく違和感。色んな人の意見聞きたいな。
マイノリティに寄り添うが如き傑作
「二重生活」「あゝ、荒野」「前科者」の岸善幸監督が2023年に間に合った。
今年の日本映画のベストの一本だろう。
「あり得んだろう」と言われ存在を否定された記憶がある人、言葉にすることさえできず独りで生きてきた人、あるいは映画の中を居場所を見つけた人にとって大切な作品になるかと。
「普通」って何なの?
世間の「普通」という波。
早く結婚して子供を産む。いい学校に行っていい会社に入る。会社に入ったら上手く泳いでいく。
「普通」でなければ生きていけないという呪縛が、いたるところに充満している社会。
朝井リョウの原作は、そんな社会で我がもの顔で闊歩する、高速度なSNSの実態をかなり理屈っぽく語っている。そこに辟易としてしまった。
だが、映像は違った。映像には小説では描けない顔の表情があった。
「普通」って何なの?と思案するガッキーの表情。
居場所がない学校に行く必要はあるの?と思案する親子の表情。
生きるか死ぬかと思案するガッキーの恋人の表情。
社会はそんなものだよと決めつける、不登校児の父親である検事の表情。
愛の行為は苦手だけど愛はほしいと懇願する女子大生の表情。
それぞれにその人なりの表情がある。あたりまえのことがとても新鮮に感じられる瞬間がある。
時折ズームアップされるそれぞれの表情。そこには理屈では測れない人間の感情がある。
世間は、実は感情で支配されていると改めて感じる。
感情の向こうにYouTubeの共感の世界が広がっている。
蛇口を破壊して大量の水を放出させる、「水フェチ」たち。
小説ではついぞ理解できなかった世界が、映像では不思議な解放感で充たされる。
「普通」は測れない。そこを語り続ける映像の使命に酔いしれた。
傑作か?問題作か?
原作は未読ですが原作者の浅井リョウ氏の本は何冊か読んだ事があるので鑑賞してきました。
標題にもあるとおりのキャッチコピーこの作品を鑑賞して感じる点は各人によって様々だと思います。
様々な価値観を持つキャラクターが登場して、私自身としても物語が思わぬ展開となりましたので驚きました。
個人的には桐生夏月役は難しい役柄なのに新垣結衣が丁寧に演じている点が光りました。
またこれも難しい役柄の神部八重子役の東野綾香の演技が非常に良いと思いました。
ありきたり
ひとりひとりが、自分の嗜好性の孤立感に悩んでる。
ただ悩んでる。
ガッキーは職場や親からのよくある普通の結婚みたいな言葉で傷つく
あまりにありきたり。
しかもガッキーと磯村くんは高校時代からの知り合いで互いの秘密を共有している。
う~~ん。
孤独じゃないじゃん
秘密を共有しているので絡み方も他があってよかったかも。
孤独感がパターンなので、途中で眠ってしまった。
今まできれいな役しかやっていないガッキーの新しい表情がまあよかったかな。
でも2時間は長すぎる。
それから二人の疑似的セックスシーンは、体位すら知らないというのは、嘘くさい。映画やテレビにあふれてる。見てないはずがない。
むしろ見てるからこそ、そうではない自分に違和感を感じているはず。
吾郎の家庭のすれ違いと対立はもっと見たかった。
タイトルに反する
邪欲があるならばそれは何か? 少数派の主張をダンスとかで分かり易く表現する事への嫌悪感、「み、みず・・」というベタネタ。残ったのはこの位でしたが、キャストは皆新鮮だったし、バッサリと終わって気持ち良かったです。
「怪物」へのアンサーみたいな所も・・・
境界線
朝井さんの原作を読み深く考えさせられたテーマ。まさかこんなに早く映画化するとは。
期待とあの濃密な内容をどんな風に映像化するのかーという不安で鑑賞。
日常生活にある何でもないようなモノが誰かの心をくすぐるモノになることは、趣味や推しの世界でごく当たり前のこと。
ただそれが性の対象になると膨らみ過ぎる疑問と拒否感が湧くのが正直な気持ち。けど、それはあちら側の人も同じように感じていることが痛いほど伝わって来た。それだけに、”ダイバーシティー”という言葉でくくられる概念に不甲斐なさを感じる。それがモヤモヤの正体なんだろう。
多様な価値観を受け入れるか排除するのかそのボーダーラインがどこなのか。時代の変化を大きく感じる。
鑑賞中に膨らみ続ける戸惑いに対して、俳優さんたちの演技が気持ちを離れないようにしてくれた。
稲垣吾郎さんのいい塩梅のお父さん/夫像。皮肉なまでにパートナーとの関係性の対比が現実味をゆるぎなくさせてくれた。もっと俳優さんとしての活動が見たい。
新垣結衣さんの見たことのない表情に驚き。一見の価値あり!この役を引き受けた経緯をお聞きしたい。磯村勇人さん、何でもできますと宣言された気持ち。
山田真歩さん、渡辺大知さん、徳永えりさん、好きです。白鳥玉季さん、お姉さんになって素敵です。これからも楽しみ。
岸監督の次回作も楽しみに待っています。
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