正欲のレビュー・感想・評価
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いろいろな人がいる
横浜に暮らす検事の寺井啓喜は、不登校になった息子の教育方針をめぐり妻と衝突していた。 広島のショッピングモールで契約社員として働きながら実家で代わり映えのない日々を過ごす桐生夏月は、中学の時に転校していった佐々木佳道が地元に戻ってきたことを知り飲み会で再会をはたした。 大学のダンスサークルに所属する諸橋大也は準ミスターに選ばれるほどの容姿だが、誰にも心を開かないで過ごしてきた。 学園祭実行委員としてダイバーシティフェスを企画した神戸八重子は、大也のダンスサークルに出演を依頼した。 何ら関連の無さそうな人達が絡み合っていく話。 検察官が家では妻や子供の意見を聞かずこうあるべきと押し付けたり、容姿に自信のない女性がイケメンに告白したり、イケメンは女に興味なかったり、いろんな人がいる、という事なのだろう。 久々にガッキーをスクリーンで観たが、役柄なのだろうが、覇気がなかった。 こんなガッキー観たくない。 星野源との結婚生活はうまくいってるのかと気になってしまう。 そんな感想。 稲垣吾郎含めその他の出演者には全く興味を持たず、そんな偏った見方をしてました。
「多様性」は便利な言葉。まぶすだけで暴論さえソフトに変化させる免罪符
本年7月11日の「トランスジェンダー職員の女性トイレ利用制限」についての あるいは10月25日の「性別変更の手術要件」についての最高裁判決からも分かるように、 この国での「LGBT」への見方も随分と変化か起きているよう。 とは言え、それは「LGBT」に対して、との あくまでも括弧付きの事柄であって、それ以外についてはどうにも心もとない。 いみじくも作中で「多様性」について語られるように、 ある人の嗜好や思考を100%理解することは不可能なのに、 それを耳障りの良い言葉で軽く括ってしまっている。 また、「LGBT」についても、今でこそ追い風は吹いているものの、 いつ逆風に変わるかは判らぬのは、過去の歴史からも明らかだろう。 タイトルにある「正」が「性」でないのは、 言葉遊びではなく、人の欲望の対象は様々なことの象徴。 勿論、犯罪に結び付く欲望はあり得ないにしろ 個々人の興味の対象は、それこそ多様であって良い。 男女が結婚し、子を多く産むことのみが生産的との ステレオタイプな思考は、頭が凝り固まった意見。 映画化された四本の『朝井リョウ』作品 〔桐島、部活やめるってよ(2012年)〕 〔何者(2016年)〕 〔チア男子!!(2019年)〕 〔少女は卒業しない(2023年)〕 は、何れも群像劇。 そして今回もそれは例外ではない。 登場する主要な三人 『桐生夏月(新垣結衣)』『佐々木佳道(磯村勇斗)』『諸橋大也(佐藤寛太)』は 共に無機物である「水」に並々ならぬ興味を示す。 他の人とは異なる嗜好を認識し、 それ故に生きづらささえ感じる。 その対極に検事の『寺井(稲垣吾郎)』が居る。 彼は我々の右代表であり、世間的な常識を体現する存在。 が、時として自己の独善的な意見だけを押し付ける煙たい人物、 直近で言われる正義と正義のぶつかり合いを見せられているような。 この二つの属性は 理解し合えることは たぶん無い。 会話はどこまでも平行線で、 良識派には多数ではない好みを持つ人のことは理解不能だろう。 建前として「多様性」を口にはするものの、 それはあくまでも世間的にはやっているからとの 自分を理解のある風に見せる方便でしかないのだ。 過去作とは違う横顔を見せる『新垣結衣』は印象的。 生々しく、時として底知れぬ暗ささえ感じさせる。 これは新たな境地と言えば良いのか、 それとも・・・・。
食べるガッキーは必見!
重い。 とにかく重い。 観終わったあとの率直な感想としては4.0点くらい。でもこの作品は後を引きそうな予感が既にしてる。ホアキンの『ジョーカー』を観た後に感じた“スルメ”感に近いもの。重くて息苦しくて嫌だなーと思いながらも何度も何度も頭の中で思い返してしまいそうな。だからそれを見越して+0.3点。 前半の舞台は広島弁で展開される。その方言の柔らかさが重くて、後ろめたい(と本人は感じてる?)、仄暗い趣向を若干和らげてくれる。場面が横浜に移ってからはキレキレ感が出てきてコントラストとしては良いけど、より息苦しさを増す。 情報量が多過ぎてまとまらないや。 だからこそ、何度も反芻して楽しみたい。 『いろんな人が居る。それでいいんだよ』って軽々しく言えなくなる。 原作未読だけど、あの水の“躍動感”にフェチズムを感じる様子を小説ではどのように表現しているのかが気になるから読んでみようかな。 ガッキーがとにかくよく食べます。 食べる姿フェチな人にはオススメの映画です。
映像では再現が難しい原作
映画の作品が良いというよりも原作が良い。鑑賞後はとても原作が読みたくなりました。 あらすじ 自分の居場所が見つからない、男女、30代、小学生、大学生など年齢役職もバラバラな地球上で生きている人々が孤独から自分と同じの指向の仲間を見つけ、当たり前から外れた人間たちが生きる話です。 思ったこと 社会で言う普通な指向の人はなぜ多いか? ・自分の本当の指向が見つかっておらず、学んだ結果普通の指向となった。 ・自分の指向を何かしらの経験や理由から見つかったけど、それはほとんど反社会の指向。 なぜなら、社会の普通の指向は最低限の迷惑になるようにできている。 なぜ、それが今の社会で非普通の指向が目立つようになったのか?それは情報の自由です。インターネットやSNSで自然に自分の非普通の指向を告白する人が増えています。 同じ境遇の人たちに告白する勇気や指向を満たす勇気を与えてるのは非普通な仲間です。 それでも社会のルールを守る範囲で行わなければいけない。なぜなら非普通の指向が数え切れないほどあるからです。そんな人たちの告白を疑わずに受け入れることが大切です。LGBTQの理解が推進したように。
普通ってよく使うけど使い方が難しいね。
何が「普通」なのか? 誰を普通と言えるかと思うと法を遵守する立場の検事だろうか。 様々ヘチが存在する社会で共鳴する人の存在の嬉しさがしみじみと伝わって来る。 共感する内容が受け取る人々の価値観により受け止め方が違うのは当然だと思う。 検事を中心に出遭う人々の秘めた心の裏側を上手く描いていました。 終盤、SNSの同じ動画に映ってからと言って児童買春の取り調べを受ける展開は微妙で残念でした。 吾郎くんとガッキーの取り調べのやり取りは重みのある内容でした。 久しぶりの見るガッキーの笑顔が少ない映画だったのには困惑してるでした。
世界ってそんなに生き辛いかなぁ
人は誰でも、自分だけの領分があると思う。 それは、死ぬまで自分で抱える秘密。 それでいいじゃない。 この世界に生まれたのは、その美しさを味わうため。 他者を傷つけたり、自分を傷つける人に、この世界は輝かない。 だってあなたも私も世界の一部だから。
レンタルで…
ガッキーさんを大画面で拝みたい方は、映画館に行くしかないですね。。ガッキーさんに癒やされて来ました。 内容は、多様性の押し付け映画です。 この描写だと、逆効果な気がする。 作中で、ガッキーさんが放った言葉「うるさいっ」を、多様性押し付け映画に言って欲しい。 こういう映画を作る事に対して否定的では無いですが、共有する形で作れないですかね。 多分、多様性を受け入れきれて無い方々が作ろうとするから、こういう問題提起型映画はチグハグになるのではないかな⁉。 要らないシーンが多く感じました。 そんなシーンよりも、深堀りして欲しい所が多々あったのに…何故だ⁉。 ・磯村くんの絶望までの孤独感はどこから? ・子供が学校に行きたくないのは何故? などなど。 分からないから、物語に没入出来ない。 仕舞には「水フェチ」押し。 水フェチなんて、いくらでも居ると思いますけどね。
生きづらさの共感
各役者さん達の演技が素晴らしかったです。今までに見たことがない稲垣吾郎さん新垣結衣さん磯村勇斗さんの新境地になる作品かと思います。見ていて苦しくなりつつも、生きづらさの共感を私は感じました。
生きている限り逃れられない
描かれている内容は、もしかしたら身近にもあることで、皆が気づいていないだけなんだろうか。 誰しもその人の嗜好があって、それが多くの人と違う、ただそれだけなのに、なかなか理解を得られないで苦しむ。死を考えるところまで追い詰められるとは。。考えさせられる。 多様性、ダイバーシティと言葉を耳にするが、当事者でなければなかなか理解できない。水フェチ?そういうのがあるのか…わからん…というのが正直なところである。 ガッキーの絶望したような表情が上手い。同じ嗜好・指向の人とつながっていくことで、笑顔になるのは間違いないのかも。 犯罪はダメですが。。。 巻き込まれるようになってしまったのが悲しい。 図書館で去年の9月から予約して一年経つが、一向に順番が来ない。なので予約を諦め購入して読んだ原作。「流浪の月」の時もそうだったなー。作家の人気ぶりが伺えます。
ガッキー映画
みんな大好き新垣結衣ですが、出演映画を観るのは初体験 これはガッキーの裏アイドル映画ですよ 冒頭のジーをするガッキー(衝撃❗デモキレイナヒョーゲン) 小声でウルセ~と言うガッキー(イワレタイ…) 一人で回転寿司を食うガッキー(タマラン!) 個人的には家族で見ているあるテレビ番組をリモコンで替える場面イイネ~ ガッキーの口から「S◯X」「M字開脚」そして磯村勇斗との中学生みたいな疑似○○○ゼンゼンイヤラシクナ~イ いろんなガッキーを堪能できる♥ 社会的に立派な立場の稲垣吾郎(こちらもガッキー⁉)が、食べているのがカレーライスやオムライスというのも意味深 稲垣吾郎の奥さん役が、ずっと誰だろう⁉と思って観ており、一瞬菅野美穂に見えたのだが、昔の元◯◯が共演するわけないではないか!と自問自答する(正体は山田真歩)
ストーリーとしては面白いのだが
ストーリーとしては面白いと思うが、なんとなく表現出来てない気がします。全体的な演出なのか?役者の技量なのか? それぞれのストーリーがあり、それが上手くリンク出来てない気がします。 こういった映画は、それぞれのストーリーが何処かで上手に繋がってこそ、そこに面白みがあると思うのですが、そこが薄いため、ただ色々な人の人生の話がバラバラに表現されて、なかば強引に繋げてるという印象の映画でした。 監督の技量というか感覚なのかも知れません。 あと俳優の人気にチョット頼り過ぎてる感があります。
擬態、変態、変体
様々な理由から所謂マイノリティな指向を持つ人達を描いた群像劇。 人に興味が無い男女、学校に行かない道をマネしようとする息子とその両親、男性にトラウマを抱えるJDと彼女が唯一興味を抱けた男性、そんな人達をみせていくけれど、現代らしくネットで繋がり、とりあえず多様性がなんちゃらかんちゃら。 頭でっかちで誰かのマネして自分を決めつけ浸っている様にもみえてしまう。 人を否定するのは違うけれど、相容れないと考えるのはOKですよね。 結局はみんな自分が大好きなのかな…。 それにしてもラストは送検されたってことですかね?何の罪で?
多様性という言葉の乱用
多様性という言葉を今は好んで使う世の中になってしまっているが、受け入れる側には上から目線の嫌らしさを感じる。 しかし”人を傷つない“が共通言語で世界ではそれを越えては理解しうる世の中にもならないし100年先も何も変わらないだろう。 正欲のお勧めタグに「#映画正欲_観る前には戻れない」があるが私はこの世界を小さい頃から知っているので「#映画正欲_観る前から変わらない」が腑に落ちる。この中にいる登場人物の一興一投足が私の所謂“普通”で最後に至る夏月(新垣さん)の台詞に温かさを感じそのままVaundy『呼吸のように』のエンドロールで泣いた。 稲垣吾郎さんの普通が気持ち悪くてスパイスが効いた作品になったと思う。
夏月のラストの言葉が秀逸
私が呼吸できているのはもう一人の片割れがいるからだ、そうはっきり言える。 性も幸せも家族の形も全てに線引きはなく、不安定で凸凹だらけの道を歩いているけれど、人の視線を忘れて生きられたらどんなに自由で安心するか。自分の嫌いを否定しなくていいんだなと思うと少し救われる。 夏月のラストの言葉が秀逸。
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