正欲のレビュー・感想・評価
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そのひと、ひとりじゃなかったらいいね
結局のところ、人は誰にも明かすことのできない嗜好があるのだと思う。そしてそれは説明できない類のものであることが多い。
わかってほしいのだけど、わかったふりはしてほしくない。ひっそりと自分の嗜好とともに世界の片隅で、息を潜めて行きて行くことが自分が傷つかずに済む方法だとわかってはいるのだが、「共感」「理解」の幻影に騙されて淋しさに押しつぶされそうになる。
自分だけが違うと思って生きている人も世間一般の常識で生きていると思っている人にもそんなに差はないと思う。「生きる」ことをどの角度から見ているかが違うだけ。でも手に持ってる「信頼」とか「愛情」とかってプラスのアイテムをいくつ持ってて、それがハイスペックなものかどうかで「生きる」ことは受け入れやすくもなるし、受け入れがたくもなる。生きにくさこそが普遍的なものかもしれない。
多様性を語ると実は答えはシンプルなものになるのではないだろうか。
生きていくうえでの苦しみや辛さはひとりで抱え込めないからオーバーフローしちゃう。
もし奇跡的に「同志」が見つかったときは、いなくならないでほしい。お互いに。
普通に生きていく事がほんとはレアなのだから。
集中力のある構成で、佳作だ。これは日本でしか作れないタイプの作品。
八重子役をされてた東野絢香がいいと思った。「貞子」感溢れる動きや仕草、眼差しが印象的。
今作られるべき映画
発売当時に原作小説を読んで凄い作品だと思っていたが、まさか映画化されるとは思わなかった。この性的欲望に映像でいかに説得力を持たせるのか、この作品が描くものはシンプルなエロスではない。あまりにもレアで多くの他社に理解されないがゆえの苦悩を描く作品だが、まさに多くの観客にとって普通に提示されても理解が難しい題材だ。
現代社会のキーワードに「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)」がある。ポリティカルとコレクトネスと2つの単語が構成されているこの言葉は、「ポリコレ」と省略されて使われることが多いが、2つの単語から成るものだと意識した方がいい。
コレクトネスという観点で本作を観ると、本作で描かれた人々を犯罪者扱いするのは「正しくない」はずである。しかし、ポリティカル(=政治)な議席の数には限りがある。全員がその椅子に座れるわけではない。政治を社会をスムーズに営むための統治で多数決を原則とするなら、多くの人が理解できない性癖の持ち主は排除されるべきとなりかねない。この作品に描かれたものは、ポリティカルとコレクトネスに引き裂かれており、この単語の矛盾を的確に指摘している。
多様な人間が暮らす現代社会は、多数決の原則で動かざるを得ない政治的な正しさだけでは包摂しきれない。だから、マイノリティは政治運動を展開し、政治的なパワーを得ようと努力してきたわけだが、現実問題として、どんな属性でも政治的なパワーを持つことが可能かというと、そんなことはないかもしれない。皆が平等になるのが正しいが、政治の椅子の数は決まっている。今作られるべき映画だったと思う。
透明感のある生々しさ。現代社会を捉えたひとつの写し鏡として。
不思議な、得体の知れない手触りを感じさせる作品だ。透明感のある生々しさは「水」のイメージからくるものだろうが、水と言っても、澄み切ったものから濁りきったもの、澄んでいるけれど危険なもの、さらには性的なものまで実に様々だ。おそらく我々はこの「かっこ」的な部分に自分なりの様々な要素を当てはめて捉えることができる。「自分を理解してくれる人なんて誰もいない」という孤独感や、同じ嗜好性を持った誰かと奇跡的に出会うことの喜び(およびその反作用)は何も今に始まったことではないが、しかし本作はあえてギリギリの淵に立った者たちの繋がりに焦点を当てる。その上で、共に気づきや安らぎを重ね、いつしかふと相手を愛おしいと感じたり、守りたいと感じたり、つまりは知らぬ間に壁が融解し、「私」が「私たち」となっていく過程に寄り添おうとする。新垣の徐々に変わりゆく表情に心奪われる。それは対極的な軸を担う稲垣においても同様だ。
欲望や嗜好に“正しさ”はあるのか
高校を舞台にした「桐島、部活やめるってよ」、就活生たちの関係を描いた「何者」といった具合に、映画化された朝井リョウの代表的な小説を並べてみると、作家としての成長に並走するかのように登場人物らの年齢層が上がり、描写される内面もまたより深くより複雑になっている。さらにこの「正欲」では、小学生の息子を育てる夫婦、かつて中学の同級生で15年後に再会した30がらみの男女、大学生らといった具合に平均年齢が一層上がり、マイナーな性的嗜好、価値観の相違、対人関係の悩みといったテーマが交錯する群像劇となっている。
水をめぐる性的興奮と快感を鮮烈に描くシーンがいくつかある。たとえば、ベッドに横たわる夏月(新垣結衣)が水に浸されていく心象風景(映倫区分がGで大丈夫か、親が未成年の子と観たら気まずそう、などと余計な心配をしてしまった)。交通事故に性的快感を覚える人々を描いたデヴィッド・クローネンバーグ監督作「クラッシュ」や、ヘイリー・ベネットが異食症の女性を演じた「Swallow スワロウ」のように、特殊な嗜好を観客に想像させる一面はあるものの、より強い印象を残すのは、ある事件の事情聴取を行う検事・寺井(稲垣吾郎)と夏月との“かみ合わなさ”だ。自分に理解できない嗜好を否定し常識で物事を決めつけようとする寺井を反面教師に、さまざまなレベルでの多様性を受け入れるには想像力と柔軟性が必要だと映画は示唆する。他人に迷惑をかけたり法を犯したりしないことが大前提とはいえ、欲望や嗜好に正解も間違いもないのだ。
HSPの方が作ったHSPの方に向けた映画
終始理解はできず、逆にこちら側が違う世界の留学したような気分だった。
誰しも嫌なことはあるし楽しいばかりではないがそれでも我慢したり頑張って生きていく。
自分は変わっているからと殻に籠っていては発展性がないし、より自分を生きにくくする。
一体どのくらいが『分かる!』と思ったのだろう?
少なくとも私は共感できないので高い点数はつけられない。
普通だと思っていた自分には戻れない
セリフでもあったように、世の中には想像もできない人達がたくさんいるのかもしれない。
途中、諸橋が言っていた『思っちゃいけない感情なんてない』みたいなセリフはその時すごく納得できたけど、終盤の子どもを傷つける事件とかも起きてしまうことを考えると、肯定できなくなってしまった。
感情や指向に対して100%な回答が映画からは得られず、鑑賞している私達が考えなければならない。
行きづらさを感じる場面演出が細かくていろいろ描かれているが、それぞれのセリフもすごい。
・やっぱり“人間”とは付き合えない。
え、この2人って宇宙人か何かの設定ってこと?と勘
違いするくらい佐々木は自然に語っていた。
自分は“人間”になれていないということか。
・地球に留学しているみたいに感じる。
これもさっきのセリフ同様、みんなと同じ星に生まれ
ていないように感じる、という例えとしてすごく腑に
落ちる表現だった。留学して自分とは言語も文化も違
う世界で生きる生きづらさはキツいけど、それが毎日
続いているのかもしれない。
検事の寺井にマジョリティの人間をやらせたのが面白い。寺井自身も不登校の子どもの親であり、息子のことを理解できないでいた立場。
そして繋がるあのラスト。桐生や佐々木、諸橋は分かり合える人達とともに生きていき、逆に1人になってしまったのはマイノリティを異常者だと罵った寺井だったというオチはすごく良い。
原作を読んで、映画があることを知ったので……
原作小説を読んだので、映画の内容はずっしりと心に刺さりました。
ただ、初見だったら、よくわからないで終わってしまいそう。
だから、そうならないようにしようとする監督の意志は強く感じた。
それゆえか、原作にはない演出と、原作から削除または改変された部分が、余分だと感じ、また、足りないと感じてしまった。
この深くて、難しく、デリケートな問題を、実写化する、ガッキーを始めとする出演者の演技は、非常にすばらしかったと思います。
普通ってなんですか、っていう物語増えたな
いろんな人がいるのは構わないし
多様性でもなんでもいいんだけど
どうしたって多数決なんですよ世の中
私だって少数派の立場になることが多いんだけど
別に理解は求めてませんよ
多様性を受け入れよう
みたいな世の中はあんまり好きじゃありません
別に普通に生きられますよ
少数派だって
あ、普通って言っちゃった笑
多様性の時代
明日が来なくていいと思ってる人たちの群像劇。
「あり得ない」「普通じゃない」「常識がない」日常的によく聞く言葉。
そういう言葉を使う人は言われた相手がどれだけ傷つけているのか全く気づいてないようだ。
もちろん人を傷づけたり、犯罪行為はダメだが、どんな人に対しても人権を尊重する世の中になってほしい。
同じ価値観の人とだけ生きていけたら幸せだけど、現実はそうはいかないから世の中は厳しい。
寺井の夕飯がオムライスとかレトルトカレーとか手抜きメニューなのことに違和感。食に興味がないのか本人も気にしてない様子。妻の夫への冷めきった気持ちを表しているのか。
そして、本来すごく華のある人なのに、同一人物とは思えないほど、目も窪み、虚ろなガッキーは新鮮だった。東野絢香も感情を爆発させる難しい役どころをリアルに演じていて良かった。
でも、人と関わりたくないはずなのに、同級生の結婚式に参加したり、セールスの仕事したり、私だったら避けるけどな。
マイノリティの気持ち
稲垣吾郎扮する検事寺井啓喜は息子からユーチューバーになりたいと言われたが子供だからと否定した。
吾郎ちゃんも老けたね。稲垣吾郎はじめ新垣結衣などオムニバス方式で展開されていく。最後で繋がるか否かも分からずちょっと苦手な展開だ。不登校でユーチューバーなんてね。新垣結衣もどうして頭にきてるのか分からない暗い設定だったな。映画のテーマは重要なんだろうが、身内ならともかく所詮マイノリティの気持ちを理解したいとは思わないな。
「普通」ってなんですか?
性的マイノリティの2人が惹かれ合う話。
普通ってなんだろうとか、
多様性ってなんだろうとか、
を突きつけられる話。
とてもよかったです。
自分が普通かは分からないけど
人に「あなたは普通じゃない」と言うのは
よくないことだとはっとされられます。
ラストはある意味スカッとします。
あと価値観やものの考え方が似てる人と
一緒にいることが幸せだなと改めて感じました。
人の目や世間体を気にせず生きたいけど
自分も結局「普通」に囚われていると思った。
観た後はいろいろ考えさせられます、、
劇中の授業風景に金子みすずさんの詩が出てたのも
「みんな違ってみんないい」という
隠れメッセージが込められてたのではないかな。
出身である広島弁を喋るガッキーがとてもいいです!
吾郎ちゃんもハマり役でした!
えっこれで終わり?!
エンドロールに入った瞬間なるほど‥と唸ってしまった。多様性の時代。目に見える性別云々は分かりやすいが、見えない部分の多様性もある。ここでは性癖ということだが、彼らにとっては、普通にセックスすることが滑稽なのだ。再現シーンでは確かにおかしいよな、と思ってしまった。こちらが想像もできないフェティシズムをもった人たちが、この世にたくさんいることを理解しなければならない。
変化する社会概念と変わらない意識
新垣結衣、稲垣吾郎、磯村勇斗
みんなの気持ちはよくわかる。
私は多分多数派。
この作品、新垣結衣の睨みが全てと思う。
前半の頑なさが後半柔らかくなる
新垣結衣さんの新境地となる素敵な作品です
物語が上手くまとめられていて、引き込まれる作品
「正欲」って本当に人それぞれの欲があって、3大欲求の「食欲、睡眠欲、性欲」が一般的だが、自分が当たり前に思っている欲が実は当たり前ではなかった時、それを人に言えない辛さってその人にしかわからないことだと改めて感じた。
誰しもが人には言えない秘密を一つは抱えていると思うが、自分の視野の狭さを痛感する映画でもあった。
視野を広げることができただけでも、とても価値のある作品で、たくさんの人に届いて欲しいものだと思った。
理解をすることは簡単ではないけど、「そういった感情もあるよな」と少しでも思える人になりたいと強く感じた。
「普通」に生きるってとても難しいもの。
繋がりたいけど繋がれない私達に向けた物語
内容は、主要登場人物の五人が織りなす立場と性癖と人間模様の中で、それぞれの小説をミステリー形式で最後にまとめ上げる作品。
印象的な台詞は『1人でないとええね。』桐生が佐々木に話す言葉。お互いの性癖に辟易している2人が共感覚を大切に思いやる場面が方言もあり温かく印象に残った。
印象的な場面は、主要人物の若さが気になりました。若気の至りとも思える其々のキャラクターの原風景はそれ程ひた隠しにするものでもない様な気持ちになりました。しかし自分もそうですが若い時は視野狭窄になりやすいので仕方ないですが、もっと内省的な心の機微がみたかったです。
印象的な立場は、三幕構成の三段目にいきなり矢部陽平という小学校の先生を持ってきてオチに向かう所です。その間ミスリードのオンパレードで、くどすぎました。子供が好きな先生が、好きな子供と遊ぶのはいつもの事ですが時代が悪かった。現代ぢゃなきゃ大丈夫だったのに世の中の流れに羨むばかりです。
大多数の人が、少数派に分け入る様な構図の物語。普段と逆の見方が出来る作品は面白いと感じますが、少し短絡的な感じが否めず熱い芝居が逆に引いてしまいました。
最後の終わりにも扉に正面に向かう検察官の寺井を映しながら扉が音を立てて閉まる場面は、分かり合えない人間の描写で、視聴者に考える余韻を与えない寂しさが、後味を悪く変えてしまった様に思えてなりません。
かなりガッカリ
良い書き込みに釣られて観たが、ガッカリ。
原作は未読だが、確かに難しいテーマを描いていると思うが、それにしてもあまりにも淡々と進み退屈。そして、色んなシチュエーション(特に家族)が、あまりにも嘘臭い。セリフ、芝居、動き。観ていて、舌打ちしてしまうぐらい、偽物感(作った感)が満載。久し振りに、酷い作品を見た。
唯一救われたのは、ガッキーの芝居かな。
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