福田村事件のレビュー・感想・評価
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噂や誹謗中傷で人は殺せる。今と変わらないじゃないか一。
噂や誹謗中傷で人は殺せる。今と変わらないじゃないか一。
昨年9月に公開され絶賛。
大手映画会社製作不可能な
日本の避けられていた黒歴史の映画化
関東大震災の後に起きた人種差別集団殺害。
今、物凄く心がどんよりと重い。
午前中に観るんじゃなかった。
でも日本人なら観るべき事実。
そして映画会社は動けないけど
役者達は立ち上がった。
素晴らしい俳優陣だ。
ちゃんとしたレヴュー書けないや、重くて。
まーでも、この感情も
レヴューのひとつか。
事件じみた俳優陣
危ういキャスティングに引き込まれる
TVの特集で、確信犯的キャスティングと言ってたが、その通りだった…
そのままの東出
普段着みたいな格好だった
似合いすぎて心に刺さる
船頭の王者ターちゃん?
そのまんま東出?
山小屋生活の賜物なのか?
鼻声で滑舌悪く、道徳的にアレだが、好きな俳優
抱かれたくは無い
そのままの水道橋
意外と小さかった
編集長ピエールさん
人生を編集中?
人生ぴえん…
もろ当事者である
削除しないで
コムアイが小雪に似てる気が
コユアイ?
そのままの役だった
なっちゃんが笠木忍に似てる気が
船の上で浮気する2人
船だけに浮かばれない…
激しすぎて大地震発生
削除しないで
木綿豆腐に指輪がキラリ
木綿に腕押し?
4人共浮かばれない…
昭和初期の戦争絡みの床事情
溜池ゴロー系? 爆
他の俳優陣も、危うくて怪しげで、濃厚で見応えあった
これだけでも観る価値がある
涙を流さず大泣きする脇役女優も居たが…
朝ドラ「らんまん」と同じ時代だが、らんまんは殆どフィクションドラマだった
らんまん実話はTVドラマ化は到底出来ない…
フィクションとしては満点なのかもしれない
脱線しないで
この映画と似てる部分もある気がする…
削除しないで
中盤やや失速
終盤、大地震からの大事件
政治・お国事情を書くと、間違いなくレビュー削除されるので書かない
この事件の証拠資料が殆ど残ってないらしいけど、それも恐ろしい事である
ヒリヒリした終盤の展開に再度、引き込まれる
F・ダラボンの「ミスト」の様な…
スコセッシの「沈黙 サイレンス」の様な…
昔レンタルビデオで観た「黒い太陽 七三一」を思い出した
人間が一番怖い
企画モノ邦画ホラーよりずっと怖い
最近の邦画にしては異色だが、観て良かった
いつでも起こり得る
福田村事件という事実があったことを教えてくれただけで、この作品は私にとって価値があります。
作中では、知識のなさが偏見を生むとの示唆もありますが、なによりも多数派に抗うことの難しさが描かれています。
多数派の者たちは、自分の考えで行動しているようでいて、何者かに扇動されていると気づいていません。
集団に抗えるのは、すでに何かしら「はみ出した者」だけです。
資産も特殊な技能もない者は、村八分にされると生きていけないので異を唱えることができません。
少数の「はみ出した者」たちは、多数派集団の暴走を止めることができません。
これは100年前の出来事ではなく、いつでも起こりうる事象だと教えてくれます。
ゆるやかにぎりぎりまで張り詰めていく緊張感は素晴らしかったです。
その分、虐殺シーンが安っぽくみえたのが残念です。
ここまできたなら容赦なく描いてほしかったです。
さした。二度もさした。日が出てないのに二度も日傘をさした。
映画的豊かさに欠けるB級映画
様々な時代、様々な場所で起きてきたこと
森達也は初の劇映画ということで登場人物の多さを捌き切れてないかな、...
惨劇
いまの世で言うリベラルとは日本叩きや自虐を身上とすることであり、マスコミはだいたいリベラルだと思います。
リベラルは時には自らを加害者だと告発しますが、同時に弱者(被害者or犠牲者)に寄り添うポジションに陣取ります。寄り添いポジションをとらずに省察することはありません。
この監督もイソコと組んでドキュメンタリーをつくるのでリベラルだと思います。
映画福田村事件はリベラルなのでリベラルなマスコミが絶賛し、それが世評のようになっていますが、下げ評価しにくい事件が高評を支えている──というのはあると思います。
善悪の色分けがあざといと思います。
悪はひどさが強調され、善は清らかさが強調されます。外見もぶさいくな俳優が悪に、ぶさいくでない俳優が善に設定されています。差別告発の映画でありながら映画内には美醜差別があるとオタキング氏も指摘していました。
いずれにしろ、いじめっこといじめられっこの単純さは、のび太とじゃいあんのように子供向けです。
ふつうに考えて、それを指摘しなければならないほど、観衆が映画慣れしていない──とは考えられませんが、クオリティのアラは、都合良く重い主題に隠れてしまいます。
『生き残った被害者の証言によると、関東大震災発生から5日後の1923年(大正12年)9月6日の昼ごろ、千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀の利根川沿いで、「15円50銭」などと言わせ、休憩していた行商団のまわりを興奮状態の自警団200人ぐらいが囲んで「言葉がおかしい」「朝鮮人ではないか」などと次々と言葉を浴びせていた。福田村村長らが「日本人ではないか」と言っても群衆は聞かず、なかなか収まらないので駐在所の巡査が本署に問い合わせに行った。この直後に惨劇が起こり、現場にいた旧福田村住人の証言によれば「もう大混乱で誰が犯行に及んだかは分からない。メチャメチャな状態であった」。生き残った行商団員の手記によれば「棒やとび口を頭へぶち込んだ」「銃声が2発聞こえ」「バンザイの声が上がりました」。駐在の巡査が本署の部長と共に戻って事態を止めた時には、すでに15人中、子ども3人を含めて9名の命が絶たれており、その遺体は利根川に流されてしまい遺骨も残っていない。かけつけた本署(松戸警察署野田分署)の警察部長が、鉄の針金や太縄で縛られていた行商団員や川に投げ込まれていた行商団員を「殺すことはならん」「わしが保証するからまかせてくれ」と説得したことで、かろうじて6人の行商団員が生き残った。』
ウィキペディア「福田村事件」より
結局映画福田村事件は、事件のすさまじい重さ・むごさがクオリティの甘さをスポイルしていると思います。
そもそも映画は方言とぶっきらぼうなことばづかいによって半分以上聞き取れません。
また、描き方や立脚点が「わたしは解っていて、弱者に寄り添っている」という、贖罪を成し遂げたポジションにいて、ポストモダンな社会正義になっていると思います。
木竜麻生演じる女性記者が虫酸の走るようなイソコ的正義感を振りかざしますが、作者の代弁者とみていいと思います。
脚本には荒井晴彦が参加しており日本映画臭も強烈でした。同氏のこの国の空(2015)や瀬々敬久の菊とギロチン(2018)によく似ています。
日本人が悪いのはもちろんですが、描き手が、じぶんは朝鮮人の味方に立ちながら、日本人の悪さを告発するというスタンスがとても日本映画的・業界的・リベラルだと思います。
釜山へ持っていき「わたしは日本人を告発し贖罪・解脱を果たした日本人である」という安全圏内から韓国上映に立ち会ったというスタンスがとても日本映画的・業界的・リベラルだと思います。
史実については日本の恥だと思います。
コロナが始まってまもなく、感染者が出た会社や店舗が報道されていた頃、近所の会社に感染者が出て、未明にその会社が投石されるという事件がありました。
福田村事件とはくらべものにならないかもしれませんが、コロナの草創期、感染者にたいして抱いた心情はこの映画にでてくる官憲と大差ないかもしれません。
あのときわたしたちはたいがい感染者を「なにやってんだ」という憎悪のまなこで見ていたはずです。
わたしは日本に愛着を持ち日本を擁護しますが日本人(自分)をあまりよく思っていません。拾った財布を届けることとちゃんと列になって並ぶ以外に取り柄のない民族だと思っています。わたしは被害者でも犠牲者でもなく寄り添いもしません。わたしは言うなれば自虐型の保守です。それでもリベラルよりははるかにましです。
人間とは
人間とは,いかなるものかを
真っ向勝負で問われた映画だった。
貧しく,何かに縛られ
幸せそうには思えない日常を
何とか生きる
どこにでもいる人たち。
たがが外れた虐殺シーンでは
テレビで見た
興奮状態に陥った
猿の群れを思い出した。
猿と同じような
群衆心理による
残虐さがありうるということ。
被差別部落の人が言い放つ
「朝鮮人なら殺してもいいんか。」は
厳しい差別を受けているからこそ
真実を見抜くことができた言葉だ。
でも,それでは悲しい。
自分がその立場にいなくても
相手の立場に立てるような自分に
自分を育てていくことが大事だ。
こういう良作に出演している
大好きな井浦新さん。
奥さんを背負うときの
背中や足取りが
情けなくて温かくてたまらなかった。
日本人同士が殺し合った悲劇、ではない
愛着を持つことも情報の不足も「かたより」であり、一方へ偏る重さが歪みにひずみを作り出す。それは時代に関係なく、エコーチェンバー、推活等々、まったくもって今も何も変わらない危うさを啓蒙しているとうすら寒く鑑賞した。巡る情報のスピードなど現代の方がより早く、そのぶん膨れ上がる群衆の大きさも「村」どころでないなら、なおさらだ。
史実のため物語のなりゆきについてはおおむね皆が理解しているところだが、そこへどれだけ何を詰め込み見せるのか、その部分に史実を越えた作り手のメッセージは表れるはずで、人種が違えばあやめていいのかという堂々たる問いかけや、福田村がいかに閉鎖的であるかの描写、鑑賞者を感情から引き離す第三者的視点、東京の記者の描写など、バランスのよい構成は最後まで冷静に見届けることを可能とし、より深く考えさせるようと導いていることに成功していると感じた。
なにはさておき「あやまって日本人同士が殺し合った悲劇」という誤解を与えない行き届いたシナリオの鮮やかさが(おそらくそこを一番恐れ、それこそが言いたかったことではないのとうがるが)とにかく胸に残った。
村人から見れば常識ハズレのとんでもない女だろうが、田中麗奈さん演じるシズコが一番、現代的で良識ある開かれた人物として映り、観ていてほっとする。
知(情報)の、持つことがヨシとされる場合とは、一点の深さではなく、浅くともきっと分母を増やす事なんだろうな、と改めて感じさせられた。
「村を守る」って?
差別とは
一番怖いのは人間
「世界に対し自分達の知は常に不足している」
太鼓の音が
今のところ今年No. 1。観てよかった
野田と言う地域に想いを馳せて・・・。
念願の作品、とうとうの鑑賞である。しかも現場となった野田と言う地域で。
陰惨で重苦しいイメージの映画と言う先入観があったが、一言で言うと極めて骨格のしっかりした見事な作品と言う印象。さらにその延長上の印象で言うと熟練した俳優たちと行届いた演出の元で展開する良質な舞台演劇を見ているようであった。
それでいて室外の撮影は、ほぼフルロケであり、見事な自然の中で今起こってるかのような鮮烈な風景描写の中、忌まわしく矮小な日本人の情けなさ、絶望的なまでの個の喪失した文化の中にある事を今更ながら思い知らされるよう計算し尽くされた映画であった。
俳優の皆さんの演技が本当に素晴らしい。実はこれほど著名な俳優陣が出演しているとは見るまで知らなかった。その著名な俳優陣の演技みならずホント全ての出演者の演技が素晴らしい。
そしてこれはたまたま事件について調べていたらYouTubeでヒットした伝説のフォークシンガー中川五郎のおよそ30分に渡る作品として謳い上げてるVがあるのだが、実はこれこそがこの映画作品の元となったと聞いて興味深かった。聞いてみたところ、これがまた凄い。
当時日本と言う村から弾かれていた民たちにどう言った人がいたのか・・ウクライナやイスラエルの今の現状と併せて日本人としての自分を見つめ直す良い切っ掛けとなる作品であった。個人的にはピエール瀧の復活が嬉しかった。
幽霊なんかよりも、よっぽど怖い
オウム真理教のAや佐村河内守のフェイクなど、ドキュメンタリー作家である森達也監督初の劇映画。
関東大震災後の流言飛語などで、朝鮮人や社会主義者が殺されたのは歴史の授業で習ったと思う。(映画の最後に6千人殺害されたと説明があった)
しかし、現在は千葉県野田市となっている福田村で、四国からの行商人9人が、聞いたことのない方言などを理由に日本人ではないとされ、村人に虐殺された事件があったことは、この映画で初めて知った。
当日も結構客が入っていたけれど、重い内容の映画にも関わらず、予想以上にヒットしているようです。
現在も何かあると、SNSでデマを流す奴がいるけれど、根底にある差別意識と群集心理は恐ろしい。心霊スポットや幽霊なんか全然大した事ないよ。
人類の進歩とは。
福田村事件。こんな事件のことは全く知らなかった。1923年、今からちょうど100年前の史実。10年前でもかなり昔に感じるものだが、100年前はこんな暮らしだったのかという描写、フィクションと分かっていても衝撃を受ける。あんな暮らしできないよ。
当時熱狂する者もあった共産主義・社会主義の実験は失敗に終わり、資本主義を基盤とした社会に生きるのが我々現代人なのだが、この先どうなっていくのだろうか。
朝鮮や中国ばかりではなく、他国の者を揶揄する、誹謗中傷する言葉が飛び交う昨今。しかし、今に始まった訳ではなく、人間というのは余所者を排除することで自らのテリトリーを広げ守ってきた訳で、本能にただ従っていると異端を排斥する方向に流れるものなのだろう。それは、欧州の移民希望者に苦慮する現状をみても明らかだ。理想と現実は異なる。
だからといってその状況を追認・黙認していることがイイとは思わない。ただ「見てるだけ」ではいけない。やはり、人間が後天的に獲得する理性で感情や衝動をコントロールする術を、一人一人が磨いていかないとなのだろう。できない人が少なくないという問題はあるのだが。
玉石混淆の情報に振り回されること、重大な事象にパニックとなること。人間はなかなか成長しないなと思う。その成長しないという事実を知り少しでも成長しようと努めるのが、今を生きる人間のあるべき姿だと思うんだけどな。自分自身はできているだろうか。そして、これから先の人類はどうか。
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