福田村事件のレビュー・感想・評価
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様々な時代、様々な場所で起きてきたこと
普遍的にヒトが抱える病理、ではあるが2度と起こさせたくはない歴史
少なくとも、one child nationやact of killingで同じことを目にしてきた
もちろんナチスもそうだし、ウクライナとロシア戦争でも、パレスチナとイスラエルの戦争でも
誰しもがそうしてしまう危険性があることを学ばなければ、人は人になれない
森達也は初の劇映画ということで登場人物の多さを捌き切れてないかな、...
惨劇
いまの世で言うリベラルとは日本叩きや自虐を身上とすることであり、マスコミはだいたいリベラルだと思います。
リベラルは時には自らを加害者だと告発しますが、同時に弱者(被害者or犠牲者)に寄り添うポジションに陣取ります。寄り添いポジションをとらずに省察することはありません。
この監督もイソコと組んでドキュメンタリーをつくるのでリベラルだと思います。
映画福田村事件はリベラルなのでリベラルなマスコミが絶賛し、それが世評のようになっていますが、下げ評価しにくい事件が高評を支えている──というのはあると思います。
善悪の色分けがあざといと思います。
悪はひどさが強調され、善は清らかさが強調されます。外見もぶさいくな俳優が悪に、ぶさいくでない俳優が善に設定されています。差別告発の映画でありながら映画内には美醜差別があるとオタキング氏も指摘していました。
いずれにしろ、いじめっこといじめられっこの単純さは、のび太とじゃいあんのように子供向けです。
ふつうに考えて、それを指摘しなければならないほど、観衆が映画慣れしていない──とは考えられませんが、クオリティのアラは、都合良く重い主題に隠れてしまいます。
『生き残った被害者の証言によると、関東大震災発生から5日後の1923年(大正12年)9月6日の昼ごろ、千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀の利根川沿いで、「15円50銭」などと言わせ、休憩していた行商団のまわりを興奮状態の自警団200人ぐらいが囲んで「言葉がおかしい」「朝鮮人ではないか」などと次々と言葉を浴びせていた。福田村村長らが「日本人ではないか」と言っても群衆は聞かず、なかなか収まらないので駐在所の巡査が本署に問い合わせに行った。この直後に惨劇が起こり、現場にいた旧福田村住人の証言によれば「もう大混乱で誰が犯行に及んだかは分からない。メチャメチャな状態であった」。生き残った行商団員の手記によれば「棒やとび口を頭へぶち込んだ」「銃声が2発聞こえ」「バンザイの声が上がりました」。駐在の巡査が本署の部長と共に戻って事態を止めた時には、すでに15人中、子ども3人を含めて9名の命が絶たれており、その遺体は利根川に流されてしまい遺骨も残っていない。かけつけた本署(松戸警察署野田分署)の警察部長が、鉄の針金や太縄で縛られていた行商団員や川に投げ込まれていた行商団員を「殺すことはならん」「わしが保証するからまかせてくれ」と説得したことで、かろうじて6人の行商団員が生き残った。』
ウィキペディア「福田村事件」より
結局映画福田村事件は、事件のすさまじい重さ・むごさがクオリティの甘さをスポイルしていると思います。
そもそも映画は方言とぶっきらぼうなことばづかいによって半分以上聞き取れません。
また、描き方や立脚点が「わたしは解っていて、弱者に寄り添っている」という、贖罪を成し遂げたポジションにいて、ポストモダンな社会正義になっていると思います。
木竜麻生演じる女性記者が虫酸の走るようなイソコ的正義感を振りかざしますが、作者の代弁者とみていいと思います。
脚本には荒井晴彦が参加しており日本映画臭も強烈でした。同氏のこの国の空(2015)や瀬々敬久の菊とギロチン(2018)によく似ています。
日本人が悪いのはもちろんですが、描き手が、じぶんは朝鮮人の味方に立ちながら、日本人の悪さを告発するというスタンスがとても日本映画的・業界的・リベラルだと思います。
釜山へ持っていき「わたしは日本人を告発し贖罪・解脱を果たした日本人である」という安全圏内から韓国上映に立ち会ったというスタンスがとても日本映画的・業界的・リベラルだと思います。
史実については日本の恥だと思います。
コロナが始まってまもなく、感染者が出た会社や店舗が報道されていた頃、近所の会社に感染者が出て、未明にその会社が投石されるという事件がありました。
福田村事件とはくらべものにならないかもしれませんが、コロナの草創期、感染者にたいして抱いた心情はこの映画にでてくる官憲と大差ないかもしれません。
あのときわたしたちはたいがい感染者を「なにやってんだ」という憎悪のまなこで見ていたはずです。
わたしは日本に愛着を持ち日本を擁護しますが日本人(自分)をあまりよく思っていません。拾った財布を届けることとちゃんと列になって並ぶ以外に取り柄のない民族だと思っています。わたしは被害者でも犠牲者でもなく寄り添いもしません。わたしは言うなれば自虐型の保守です。それでもリベラルよりははるかにましです。
人間とは
人間とは,いかなるものかを
真っ向勝負で問われた映画だった。
貧しく,何かに縛られ
幸せそうには思えない日常を
何とか生きる
どこにでもいる人たち。
たがが外れた虐殺シーンでは
テレビで見た
興奮状態に陥った
猿の群れを思い出した。
猿と同じような
群衆心理による
残虐さがありうるということ。
被差別部落の人が言い放つ
「朝鮮人なら殺してもいいんか。」は
厳しい差別を受けているからこそ
真実を見抜くことができた言葉だ。
でも,それでは悲しい。
自分がその立場にいなくても
相手の立場に立てるような自分に
自分を育てていくことが大事だ。
こういう良作に出演している
大好きな井浦新さん。
奥さんを背負うときの
背中や足取りが
情けなくて温かくてたまらなかった。
日本人同士が殺し合った悲劇、ではない
愛着を持つことも情報の不足も「かたより」であり、一方へ偏る重さが歪みにひずみを作り出す。それは時代に関係なく、エコーチェンバー、推活等々、まったくもって今も何も変わらない危うさを啓蒙しているとうすら寒く鑑賞した。巡る情報のスピードなど現代の方がより早く、そのぶん膨れ上がる群衆の大きさも「村」どころでないなら、なおさらだ。
史実のため物語のなりゆきについてはおおむね皆が理解しているところだが、そこへどれだけ何を詰め込み見せるのか、その部分に史実を越えた作り手のメッセージは表れるはずで、人種が違えばあやめていいのかという堂々たる問いかけや、福田村がいかに閉鎖的であるかの描写、鑑賞者を感情から引き離す第三者的視点、東京の記者の描写など、バランスのよい構成は最後まで冷静に見届けることを可能とし、より深く考えさせるようと導いていることに成功していると感じた。
なにはさておき「あやまって日本人同士が殺し合った悲劇」という誤解を与えない行き届いたシナリオの鮮やかさが(おそらくそこを一番恐れ、それこそが言いたかったことではないのとうがるが)とにかく胸に残った。
村人から見れば常識ハズレのとんでもない女だろうが、田中麗奈さん演じるシズコが一番、現代的で良識ある開かれた人物として映り、観ていてほっとする。
知(情報)の、持つことがヨシとされる場合とは、一点の深さではなく、浅くともきっと分母を増やす事なんだろうな、と改めて感じさせられた。
「村を守る」って?
差別とは
一番怖いのは人間
「世界に対し自分達の知は常に不足している」
太鼓の音が
今のところ今年No. 1。観てよかった
野田と言う地域に想いを馳せて・・・。
念願の作品、とうとうの鑑賞である。しかも現場となった野田と言う地域で。
陰惨で重苦しいイメージの映画と言う先入観があったが、一言で言うと極めて骨格のしっかりした見事な作品と言う印象。さらにその延長上の印象で言うと熟練した俳優たちと行届いた演出の元で展開する良質な舞台演劇を見ているようであった。
それでいて室外の撮影は、ほぼフルロケであり、見事な自然の中で今起こってるかのような鮮烈な風景描写の中、忌まわしく矮小な日本人の情けなさ、絶望的なまでの個の喪失した文化の中にある事を今更ながら思い知らされるよう計算し尽くされた映画であった。
俳優の皆さんの演技が本当に素晴らしい。実はこれほど著名な俳優陣が出演しているとは見るまで知らなかった。その著名な俳優陣の演技みならずホント全ての出演者の演技が素晴らしい。
そしてこれはたまたま事件について調べていたらYouTubeでヒットした伝説のフォークシンガー中川五郎のおよそ30分に渡る作品として謳い上げてるVがあるのだが、実はこれこそがこの映画作品の元となったと聞いて興味深かった。聞いてみたところ、これがまた凄い。
当時日本と言う村から弾かれていた民たちにどう言った人がいたのか・・ウクライナやイスラエルの今の現状と併せて日本人としての自分を見つめ直す良い切っ掛けとなる作品であった。個人的にはピエール瀧の復活が嬉しかった。
幽霊なんかよりも、よっぽど怖い
オウム真理教のAや佐村河内守のフェイクなど、ドキュメンタリー作家である森達也監督初の劇映画。
関東大震災後の流言飛語などで、朝鮮人や社会主義者が殺されたのは歴史の授業で習ったと思う。(映画の最後に6千人殺害されたと説明があった)
しかし、現在は千葉県野田市となっている福田村で、四国からの行商人9人が、聞いたことのない方言などを理由に日本人ではないとされ、村人に虐殺された事件があったことは、この映画で初めて知った。
当日も結構客が入っていたけれど、重い内容の映画にも関わらず、予想以上にヒットしているようです。
現在も何かあると、SNSでデマを流す奴がいるけれど、根底にある差別意識と群集心理は恐ろしい。心霊スポットや幽霊なんか全然大した事ないよ。
人類の進歩とは。
福田村事件。こんな事件のことは全く知らなかった。1923年、今からちょうど100年前の史実。10年前でもかなり昔に感じるものだが、100年前はこんな暮らしだったのかという描写、フィクションと分かっていても衝撃を受ける。あんな暮らしできないよ。
当時熱狂する者もあった共産主義・社会主義の実験は失敗に終わり、資本主義を基盤とした社会に生きるのが我々現代人なのだが、この先どうなっていくのだろうか。
朝鮮や中国ばかりではなく、他国の者を揶揄する、誹謗中傷する言葉が飛び交う昨今。しかし、今に始まった訳ではなく、人間というのは余所者を排除することで自らのテリトリーを広げ守ってきた訳で、本能にただ従っていると異端を排斥する方向に流れるものなのだろう。それは、欧州の移民希望者に苦慮する現状をみても明らかだ。理想と現実は異なる。
だからといってその状況を追認・黙認していることがイイとは思わない。ただ「見てるだけ」ではいけない。やはり、人間が後天的に獲得する理性で感情や衝動をコントロールする術を、一人一人が磨いていかないとなのだろう。できない人が少なくないという問題はあるのだが。
玉石混淆の情報に振り回されること、重大な事象にパニックとなること。人間はなかなか成長しないなと思う。その成長しないという事実を知り少しでも成長しようと努めるのが、今を生きる人間のあるべき姿だと思うんだけどな。自分自身はできているだろうか。そして、これから先の人類はどうか。
朝鮮人なら殺してもええんか
福田村は現在の千葉県野田市の一部分
「朝鮮人なら殺してもええんか」と断末魔の叫び(沼部新助・讃岐から来た薬売り行商の支配人)
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関東大震災(1923年・大正12年)があった時、メディアは「新聞」だけでした。AMラジオは同震災の教訓として始まる。
こうした環境では何が正しいのか、分からない状況となっていたのです。
さらに、9月3日に当時の内務省がデマを打電。当時の日本政府が「デマ」を煽ってしまったのです。
打電内容は書籍「福田村事件」49ページ目に記載があります
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讃岐から来た薬売り行商15名が福田村に投宿していたが、朝鮮人との疑いをかけられ、福田村や田中村の自警団によって虐殺。
6歳、4歳、2歳の幼児、妊婦も含まれていた。
タブーに向き合った
関東大震災で、朝鮮人大虐殺は、あったということ。福田村事件では、結果的に日本人を殺害してしまったという皮肉
被差別部落について 薬売り行商人は香川県の被差別部落出身
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千葉日日新聞の女性記者 恩田楓は原作にはない設定ですが、存在感あると感じています。
以下、恩田楓を中心にコメントします
夜、楓は和服を着ている朝鮮飴売りの少女と出会う。「いっしょに歩いてください」「オネガイ」と必死な姿。歩いていると自警団に見つかってしまう。
逃げるのだが足を引っかけられて少女は捕まってしまう。観念し「キム・ソンリョ」と本名を言った途端に自警団の竹槍が突き刺さる。返り血を楓は浴びる。
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翌朝、千葉日日新聞事務所で上司の砂田に「私の目の前で朝鮮人の女の子が自警団に殺されました、書かせてください」と述べるが
砂田は「朝鮮人が放火したり、爆弾を所持していると、内務省からの通達があった」と返す
「記者が目撃した事実より、内務省の電文を信じるのですか。それを紙面に載せるんですか。その結果、なにがおきてるか、部長は責任を取れるんですか。」楓は述べる
砂田は「俺は書かないで起きることのほうが怖い」と返す
楓は「わからないなら書くべきじゃない」
「私たち新聞は何のために存在しているのですか。読者を喜ばせるためですか。権力のいうことはすべて正しいのですか」
普通の人々が犯す大惨事
きわめて普通の人達が、ひとたびパニックになると、不安と恐怖に駆られ、このような大惨事を犯すのは、今も変わりがないのではないか。
被差別部落からの行商団だったことが悲惨な事実が語られなかった一因になったと思うし、頭の「朝鮮人だったら良いのか」の台詞は重い。
事実とは異なる報道や大本営の通達を行った人々、どさくさに紛れて社会主義者を処刑した警察、デマを信じ煽動された民衆の暗い歴史を私達はもっと知るべき。
メディアの矜持が薄れ、フェイクニュースが増えている今、容易ではないが、情報の真偽を問い、自らの頭で思考する重要性を感じる。妄信や決めつけ、格差や不条理による不安や不満、己れも気がついていない深層心理は怖い。
森達也氏の独自の視点と問題提起力のファン。
ドキュメンタリーの方がいいかも
差異を受容する
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